少年時代
2220年 地球 カスケードブラックホールとの最接近まで××時間前

 ぽつっ
 真田志郎の頬に雨粒が落ちる。こんなに雨に打たれるのは、子どものときに、時間を忘れて雨の中を遊びまわったとき以来かもしれない。
(私は……)
 英雄の丘、居並ぶ仲間たちの遺影の前で、志郎は首を振った。今更、何を言い訳にするのか、と。
 志郎は空を見上げる.。雲間の隙間に、消えかかりそうなヤマトの艦影がちらりと見えた。というより、見えた気がしただけかもしれない。
(古代、すまない)
 不本意ながら、友をまた戦場に巻き込んでしまった。
(ごめんね、美雪ちゃん)
 昔の約束を守れなかったことを志郎は悔やんだ。
(ごめんね、君のお父さんを再びヤマトへ導いてしまった……)




2211年 地球 エリア8(旧日本) 夏

 真田志郎は急に開いてしまった時間に、旧友に会いたくなった。勤務時間であるのに、思わず電話を入れてしまった。
「残念です。本当は私も午後、有給休暇を取っていたのですが、急な案件が入ってきてしまって」
「そうか」
 平和な時代、少しばかり仕事の段取りをつければ時間が作れる、と高をくくっていたことに志郎は気づいた。
「あの」
 普段は迷う事など無縁な旧友が言葉を濁す。
「あの、真田さんは午後時間があるんですか」
「ああ、今日は本当に何もなくてね」
 そう言っても、旧友は「彼女はまだいないんですか」等々の軽い言葉は決して言わない。
「あの、真田さん。もし、もし時間があるんでしたら」
 珍しく言いにくそうな様子である旧友の話を、志郎は聞こうと思った。
 そして、「いいよ」と簡単に引き受けた。
 そんな日が来る事を、ずっと待っていたのかもしれない。


「こんにちは」
 通された小学校の応接室。目の前にはまだ、背中のランドセルが大きく見える、学校に入ったばかりの少女だった。
「こんにちは、さだだのおじさん」
 志郎はにこりと笑った。
「保護者の方からは連絡を受けています。こちらの方にサインをお願いします」
 差し出された紙は、迎えの確認の署名をする用紙だった。志郎は手早く名前を書く。
「じゃあ、美雪ちゃん、あしたね」
「先生、さようなら」
「さようなら」
 小さいながら、しっかりした少女の言葉を聞くと、志郎も一緒に頭を下げていた。
 すっと志郎の手を小さな手のひらが包んだ。
「行こっ」
 笑顔の少女の顔を見た志郎は、どきりとした。デ・ジャブーか。志郎はすぐにそうではないことに気づいた。そうだ、前にも同じことがあった。

「きみのお父さんから、今日の花火大会を見に行く約束を聞いたんだ。お父さん、急に仕事が入って……でも、花火大会までは何とか間に合うように、がんばるって言っていたよ」
 志郎がそう話しかけても、少女は返事をしなかった。
「今日は夏休みの出校日だったんだってね。アナライザーも今日はメンテナンスで、夕方まで外出できなくて……」
 志郎の手を握っている手に力が入った。志郎は少女の顔を見た。にっと笑った少女は、
「おじさんでよかった」
と言って、駆け出した。
「お、」
 志郎もひっぱられるように、一緒に駆け出した。そう、そんな事、昔もあった。
(いつも、お父さんの代打だな)
 志郎は苦笑した。
 少女が向かっていったのは、学校の周りの、自然環境を人工的に作った地域だった。
(サンクチュアリ)
 志郎の頭にそんな言葉が浮かんだ。そこは、子どもたちを自然に触れさせるために作った場所だった。
 夏休みのせいか、何人かの子どもたちが遊んでいる。川が流れ、土手には雑草が生えている。バッタを追いかけている子どももいる。蝉の声はしないが、子どもころに遊んだような景色がそこにあった。違うのは、小さなカメラが、木の幹や草の間にいくつも設置されているぐらいだった。
「おじさん、おべんとうを食べよう。けさ、お母さんが作ってくれたの」
 少女は大きな木の根元にカバンをおろすと、小さなビニールシートを出して、控えめに生えている草の上に敷いた。
「はい、ここにすわってね」
 志郎は頷いて、座った。
「はいどうぞ」
「ありがとう」
 

「ごちそうさま、おいしかった」
 志郎は手を差し伸べた。少女は躊躇なく志郎の手の上に、自分の手を乗せた。少女は志郎の手をつかみ、志郎が引っ張る前にすくっと立ち上がった。
「おじさん」
「うん?」
「おじさんの手、冷たいね」
 志郎の手は少女にしっかり握られていた。
「でも、好き。お父さんの手とちょっと違うけど」
 にっこり少女は笑った。
 

 「真田のお父さまの手、私、好き」
  記憶の奥の中の少女が笑う。


 志郎は口にしようとした言葉を飲み込んだ。
「おじさん、行こう」
 志郎はまた手を引かれて、少女の後を追った。

(こんな青空を下を走ったのは……)
 カランカランとなるカバンを左右に揺らしながら、少女は走る。志郎の額から汗が流れる……
 少女の笑い声、流れ落ちる汗……

「ちょっちょっと、待ってくれないか」
 さすがに志郎も呼吸を整えるためにストップをかけた。
「はい」
 志郎が顔を上げると、水筒のコップを笑顔で差し出す少女がいた。
「ありがとう」
 
 二人は木陰に入って、流れてくる風を待った。
「おじさん、あつくない?」
 少女は長袖の志郎の姿を見て、そう思ったようだった。それだけでなく、半端なく志郎は汗をかいていた。
「ああ、暑いよ」
「そでをまげたら? わたし、てつだってあげる」
 志郎は一瞬、迷った。
 少女は顔をかしげた。
 志郎は、木の根に腰を下ろした。
 少女はずっと志郎を見ていた。
「……おじさんの手足は、義手・義足といって、本物の手足じゃないんだ。ちょうど、このあたりにつなぎ目があって……」
 志郎は関節のあたりを押さえてみせた。
 少女はその志郎の手をじっと見ていた。志郎に何を言ったらいいのか、考えているようだった。
「ごめんなさい……」
 少女は、聞いてはいけないことを言ってしまったという結論に達したようだった。
(確かに)
 志郎は、子どもの時の事故後、義手義足のことをなかなか人に言えなかった。だんだん外に遊びにいくことをやめ、一人で本を読んだり、家ですごすことが多くなった。特に、夏、こんな風に自然の中で過ごしたのは、何年ぶりだろう。
「ごめんね。昔からなかなか人に言えなくてね。袖、手伝ってくれる?」
「うん」
 志郎は袖口のボタンをはずした。少女はきれいに袖を曲げていく。世話好きな少女はきっと普段から、彼女の父親相手にやっていることなのだろう。
「他の人に言いにくいこと、あるよね」
 少女はポツリ、大人びた口調で話した。
「そうだね。おじさんも子どものころは、言えなかった。でも、大きくなって、友だちにはちゃんと話せるようになったんだけどね」
「そうなんだ」
「そうだよ。この人なら大丈夫っていう人には、話せるようになった」
 志郎はそう言って、少女に向かって笑みを浮かべた。
「そうなんだ」
 少女はひざを抱えて、小さく固まった。
「おとうさん……ヤマトにのって、うちゅうに行っちゃうのかな」
 志郎は少女の言葉に驚いた。
「学校のみんながいうの。美雪のおとうさんはヤマトのかんちょうだったって。そして、ちきゅうになにかがあったら、また、ヤマトにのって、ちきゅうのためにたたかう人なんだって」
 志郎は言葉を探した。
「おとうさん、一人のとき、よくそらを見ているの。そらのキラキラしたこおりのかけらを見ているの」
 志郎は、見たこともない空を見上げる進の姿を想像してみた。
「美雪ちゃんはお父さんに、聞いたことがある?」
「ううん。おとうさんは、きっと、どこにもいかないよっていうもん。でも、おかあさんにきいた」
「お母さんは何て答えてくれた?」
「おとうさんは行かないよって、だいじょうぶって。でも、おかあさん、かなしそう。美雪がそういうしつもんすると、かなしそうなかおをする」
「そうなんだ」
 少女はこくりとうなずいた。
 風がさらりと二人の間を駆け抜けていった。
「そうなんだ」
 志郎はもう一度、言葉を繰り返した。
「美雪ちゃんのお父さん、ヤマトが好きなんだ」
 少女はもう一度うなずいた。
「おじさん」
「おじさん、ヤマトをかくして、見つからないように」
「ヤマトをかくす?」
「おねがい」
「ヤマトはもうないんだよ。ヤマトはあのキラキラしたアクエリアス氷塊の中に沈んでいるんだ」
「もうないの?」
「そう、もうないんだ。だから、お父さんがヤマトに乗ることはないんだよ」
「そうなんだ」
「そうだよ」
 そう言ってから、志郎は自分の心の奥の何かを感じた。
「よかった」
 少女は心のとげが取れたのか、うれしそうな顔をしていた。
「おじさん、やくそくして。ヤマトがみつかっても、おとうさんにみつからないようにかくしてね」
 志郎は迷った。
「いいよ」
 志郎は深く考えもせず、そう答えていた。少女の笑顔をみたいがために。


「ありがとうございます。たくさん遊んでいただいて」
 無事に少女を家に送り届けると、少女の両親がそろって出迎えてくれた。
「おとうさん、さだだのおじさんと学校の近くの大きな木のとこでおべんとうをたべたんだよ」
「へえ」
「ダンボールでね、草をすべったの。こんど、おとうさんにもおしえてあげるね」
「ありがとう。楽しみだよ」
 志郎は少女と父親とのやり取りを見ながら、微笑んだ。
「美雪はホントにお父さんが大好きで。今日は花火を見るんだって特にテンション高くて。大変じゃなかったですか」
「いいや、楽しませてもらったよ。サーシャを育てていた頃を思い出せた」
 雪と話しながら、志郎はシャツの袖がまだまくり上がったままであることに気がついた。
「古代ほど体力ないから、美雪ちゃん、物足りなかったかもしれない」
 袖を元に戻しながら、無邪気に笑う少女の姿を志郎は見ていた。

    

2220年 カスケードブラックホール、地球に最接近

 美雪は、地球が消えていく姿をじっと見ていた。
「真田のおじさん……」
 美雪は、子どものとき、一瞬、答えを迷っていた志郎の姿を思い出していた。
(ごめんなさい。無理な約束をお願いして)
「さようなら、真田のおじさん。また、会えるよね」
 美雪は腕で涙をはらった。


なぜ、この話を書いたのか、知りたい方はこちらを読んでね。
SORAMIMI
 

   

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