トロイメライ

  

   

西暦2211年、地球 地球防衛軍総司令部……

「古代さん」
「なんだ?」
 少しでも早く帰るために、明日の会議の資料作りに集中していた進は、つい、無愛想に返事を返した。相原義一が困った顔をして立っていた。進の仕事ぶりを見ていて、なかなか声をかけるタイミングがつかめなかったようだった。
「すみません。佐渡先生から、すぐに連絡欲しいという電話がありまして」
 進は、始めは用件が飲み込めなかったようで、義一の顔をにらむように見ていたが、すぐに、近くの端末機をつかんだ。
「古代です」
 進は、佐渡酒造の姿が映るやいなや、しゃべりだした。
「こ、古代か。すまない、美雪ちゃんが行方不明になってしまった」
「美雪が? 先生のところからどこかへ行ったんですか?」
 佐渡酒造は頭を抱えて、深く頭を下げた。
「すまん。本当にすまん。保護された子犬が飛び出していったので、美雪ちゃんが追いかけて行ってくれたんじゃが、あまり帰ってこないので、アナライザーを探しにやったのだ……どうやら、森に入ってしまったようだ。今、職員が手分けして探しておる」
 進は一瞬考え、近くにいた若い参謀の一人を呼びよせた。
「すまない、この資料は未完成だが、もし、明日の会議が始まる30分前まで私が戻らなかったら、ここまでの部分とこの走り書き二枚を資料にしてくれないか。このファイル名は……」
 進は、紙の切れ端にファイル名を書くとにこりと笑って、若い参謀に渡した。
「ちょ、ちょっと古代さん、困ります。どこに行くんですか?」
 進は、佐渡酒造との通信回線を再開させた。
「今から行きます」
「あの、古代さん。明日の会議は?」
 進は立ち上がると、わけがわからないでいる男の肩をポンと叩き、端末の終了を目で確認した。
「出席する予定でいるよ」
 そして、進は真顔になって、義一を見た。
「行ってくる。ユキには、私が向かったと伝えてくれないか、今、彼女は会議中だから……」
「了解」
 進は何かを言おうとしたが、言葉を引っ込めた。走って、フロアを飛び出すと、夕日でオレンジに染まるビル群が窓の向こうにあった。
(佐渡先生が連絡をしてきたのだから、よほど困っているのだろう)
 簡単に見つかるところにはいないということのなのだということは安易に察することができた。
(暗くなるのが早くなったな)
 気温も落ちてきている。進は、車にのり、時計を見た。
(もうすぐ六時か)
 行き先を入れて、車の走りをオートに設定すると、進は、ユキへ連絡のメールを入れた。
<佐渡先生のところに行ってきます>
 進はそれ以上、打つのをためらった。なんとなく気になる……そういう言葉は、この未確定なときにユキには伝えるべきではないと、進はそのまま送信した。
 

 学校に入り七歳になった娘を、学校の放課後、無機質な街の託児所には入れたくなかった。アナライザーが送り迎えしてくれるというので、その行為に甘えて、動物園に住み込みで働いている佐渡酒造の仕事場に娘の美雪を預けていた。
 当時の地球では、残された動物を増やしては自然に帰す試みが行なわれていたが、なかなか一度崩れた自然を取り戻すのは平坦な道ではなかった。佐渡酒造のいる動物園では繁殖を促しながら動物を増やし、より自然に近い環境で育て、一部を動物園として公開していた。その動物園で、森と呼ばれている部分は、少しずつ人工的に拡張し、いつかは、昔のように緑豊かな地になるようにと作られた自然保護地域で、害獣にならない程度に動物たちを繁殖させ、半自然というべき地域だった。よって、この区域内は、キャタピラで走行しているアナライザーは入ることはできなかった。
(それに森には監視装置がついているはず)
 迷ったのなら、監視装置を作動させれば、ある程度の足跡を得ることはできるはずなのに、見つからないこと、佐渡酒造のあせりはいつもと違っていたことで、進は、娘・美雪がいなくなったのは、ただ犬を追っかけていったわけではないだろうと考えていた。
 進の勘はあったっていた。進は、森へ行く準備をしながら、佐渡の話を聞いていた。
「美雪は迷子ではないのでしょう」
「すまん、古代。美雪ちゃん、ここ数日、あの犬の世話をしていて、情が移ってしまったようじゃ。帰したくないと言ってな」
「誰か、飼い主がいた犬なのですね」
「そうじゃ、だから、犬の名前も教えず、ここへ来た由来なども話してはなかったのだ」
 ちらりと窓の向こうの森を見ると、進は赤外線装置がついているナイトスコープつきのグラスをつけた。森はすでに闇の中だった。
「予想はなんとなくついてました。ここで美雪を見てもらっていたのは、動物園の皆さんの好意に甘えていたからなんですから。、先生、そんなに気になさらないでください。本人の意思で、森の中に隠れているなら、なおさらです。それよりも、職員の方にも、随分迷惑をかけてしまいましたね」
「いや、いいんじゃ。美雪ちゃんはワシにとっては孫みたいだし、ここの職員のアイドルだからな。あの森についても、今後は、市民にもオープンして行く予定じゃから、子どもが迷子になっていしまうようじゃだめなんじゃ」
 ウィキウィキウィキ
 アナライザーのキャタピラの音が聞こえるものの、いつもうるさいアナライザーは、ドテンと数メートル先で座り込んだまま、動こうとしなかった。
「森に入れんので、怒っているんじゃ。あそこはできる限り自然な森になるようにと育てているところなんでな。でも、古代、今夜は雨も降りそうだ。雨が降ったら、アナライザーや他のロボットたちを導入する」
「それでは、踏まれた草木に被害がでます」
「なあに、一年かそこらの後退だけじゃ。人一人の命には代えられない」
 進は、アナライザーのところに近寄っていった。
「アナライザー、お前が回ったところと、美雪が行きそうな方向を教えてくれないか」
 アナライザーの体が急に点滅を繰り返しだした。
「スミマセン、スミマセン。ワタシガセッキョウヲシタバッカリニ」
 進は、アナライザーを軽く小突いた。
「いいんだ。お前は、美雪のオジサンになんだろ」
「ソウデス。オジサンニナッテ、ユキサントキョウダイニナルノデス」
 進はくすりと笑って、ひざまづいた。
「そうだよ、兄弟」
「マア、アナタノキョウダイニモナリマスカ」
「そう。それでアナライザー、ちゃんと答えは出してくれたかい?」
「モウトックニ、スンデマス」
「よし」
 進は、手にしていた端末をアナライザーにつなげた。データが入ったことを確認すると、進は立ち上がった。
「ああ、それからな古代……」
 進は佐渡のもごもごした話ぶりから、まだ何かを隠していることに気づいた。佐渡は言葉を続けた
「誘拐の可能性もある。森にはいないかもしれない場合は」
「二時間、時間をください。それから、職員の方には、一度引き上げてもらってください。その時、探したエリアをデータで送っていただけるとありがたいです」
 進はさえぎるように、答えると、腰の麻酔銃を確認にした。
「古代、二時間だけ、すべてのエリアをオープンにする。美雪ちゃんはエリアの抜け道を知っているので、どのエリアにも入っている可能性がある。この森には、熊が数等住んでおる。オープンにすれば、その熊も限定のエリアから移動可能になる」
「熊がいるんですね、この森には。彼らに発信機は?」
「ついとる。端末にそのデータも表示できるようになっている」
 進はにこりとした。
「なら、大丈夫です。私も熊とは戦いたくない」
 

「美雪にとっては、庭みたいなものか」
 毎日のように遊んでいる森は、美雪にとっては慣れたところのようだった。
「それでも、夜に森を歩き回るほど、森に慣れているわけではないはすだ」
 進は、森に点在する、小屋を回ることにした。
「それにしても」
 七歳の子どもにこんなに翻弄される自分がなんとも滑稽に思えた。
「親ばかだな」
 進は、携帯食のチョコをかじり、もう一度端末のデータを確認した。
 小屋につけば、周りから小屋の中まで探し、どんな微細な音を聞き逃さまいと耳をすますが、どの小屋も生き物の存在を感じることはできなかった。
(動物の数は、そんなに多くないのだな、まだ)
 ホッホー
 時折、野バトの声が聞こえるだけの、静かな森。もう秋も深くなり、気温もかなり落ちていた。
 バタ、
 バタ、バタ……
 雨のしずくが葉に落ちる音がし、その間隔は狭まっていった。
(雨か。雨がとうとう……)
 リリ、リリ
 通信が入った音がすると、進は端末を腰のホルダーからはずした。
「ユキです。美雪は?」
「まだ、みつからない。君は?」
「佐渡先生のところにもうすぐ着くわ」
「少し待っていてくれないか。小屋中心に探している。美雪は夜、歩き回れるとは思えない」
「そうね」
 ユキは沈んだ声だった。
「雨が降ってきた。警察を……」
 進が端末の画面に映るユキに言いかけたとき、何かが音が聞こえた。
「ユキ、音がした。一旦切るよ」
 進は、端末を切ると、ナイトスコープの慣れない色の風景を見渡した。
 ァアン
(犬の声?)
 ナイトスコープには何も映ってはいなかった。
 ゆっくり、音の聞こえた方へと進は足を一歩一歩、慎重に踏み出していく。
 キャアン
 進は、しゃがみ四つんばいになって、身を低くした。どこかくぐもった犬の声に、進は低いところから聞こえてきていると判断した。しかし、不自然に動く物はなく、水平方向は三百六十度、生きている動物はいない。バタバタ、パタパタと雨が葉を打つ音が聞こえるだけだった。
 キュウン
 進は音のする方へと、そのまま地面を這うように進んでいった。そして、伸ばした手が地面につくことなく、宙を踊った。
(窪み?)
 進は、更に顔を地面につけると、ウウーンと小さく鼻を鳴らしている犬に気づいた。雨は少しずつ強くなり、進の服はだんだんと湿り気だけでなく、冷たさまで、皮ふに届いていた。
「美雪?」
 進は、前方の草を払うように横にかき分け、体を更にくぼ地に乗り出した。丸まった白いかたまりがくぼ地の底にあった。
「美雪、美雪。声はでるか?動くことができるか?」
 白いかたまりが動く。犬を抱えた少女だった。
「ごめんなさい、おとうさん。私……」
 顔を上げた少女は泣いていた。
「動くことができるんだね。まずその犬を、こっちに出せるか?」
 うんと頷き、進に犬を差し出す、進は、身を乗り出して落ちないように犬を受け取る。
「一人で登れるか?」
 進は、立ち上がり、登ろうとする美雪の体を抱きしめるように引き寄せた。
(重たくなったものだ)
「うああ」
 美雪を引き上げると、進は乱れた息をゆっくり整え始めた。
 地面の上に座ったままの美雪は動かずに、父の動く様子をじっと見ていた。
「さ、とりあえず、一番の近くの小屋に行こう」
 進は小屋に進みだすと、その後ろに犬を抱いた美雪がついて歩いた。進は端末からメールを送った。
<みつかった>
 後ろを振り向きつつ歩いていくと、今度は、端末が警告音を出し始めた。進は、後ろをあるく美雪の手をさっと握った。
(小屋の方向……)
 小屋の近くに小さな影を見つけた進は、距離を保ちつつ、小屋の入り口の方へ回っていった。
「美雪、小屋のドアの開け方を知っているかい?」
 うんと小さくうなづくのを見て、進は、美雪の背中を押し出した。
「美雪、そのまま、回って、ドアから中に入りなさい」
「お父さん……」
「大丈夫、この端末は、ドアの鍵にかざすと中に入れるんだ。先に行きなさい」
「お父さん……」
「近くに熊がいる。熊は私がひきつけておくから、大丈夫。小屋の中に入っていなさい、さあ」
 進は、美雪を押し出すと、端末から音を響かせた。
「こっちだ、こっちに来い」
 秋の熊は気性が荒いと、昔、どこかで読んだと思いながら、まず、一発、遠くから熊に向かって撃った。
「こっちだ」
 進は更に近づき、背負っていたリュックを肩からはずすと、肩ひもを持って、回し始めた。
(こっちに来い)
 そろそろ、美雪はドアに近づけたころであろうか。進は、リュックを熊の足をねらって投げ、完全に熊の注意を引いた。
(あとは)
 充分近づくと、動物捕獲用の麻酔銃を連続して撃った。
(こっちを見ろ)
「お父さん!」
 犬を抱えた美雪が進を呼ぶ。子犬は美雪の腕をすり抜けて、美雪の前に躍り出た。熊は美雪と子犬にに気づいたようで、体の向きを変えていった。
「美雪、小屋の中へ入りなさい」
 進は更に銃を撃った。
 ワン、ワァン
 美雪の前で子犬が必死で吼えている。美雪は怖くて、立ちすくんでしまっているようだった。
 進は小屋の近くに積まれていた針金でくくられていた薪の束をつかむと、熊に向かって投げた。
「美雪、早く」
 進は叫ぶと、束を投げるそぶりをしながら、熊へと近づいていった。
 やっと麻酔が効いてきたのか、ふらついた熊の頭へ最後の束を投げつけると、進は、大きく息を吐いた。息を整えると、倒れた熊を迂回して、美雪の側により、手を引いて、小屋のドアに近づいた。端末をかざしてドアの鍵を開けると、進は、美雪と子犬と先に中へいれ、もう一度、倒れている熊を確認すると、ドアを閉めた。
 進はもう一度、息を整えた。覗き込んで様子をうかがっている美雪と目があった。
「ぬれちゃったね」
 進がそう言うと、美雪の目は、今にも涙がこぼれそうになっていた。
 進は、しゃがんで美雪と視線を合わせ、抱きしめた。
(親ばかだな、やっぱり)
「ユキ、美雪をちゃんと保護できたよ。小屋のナンバーは0112。外には熊が転がってる。こっちからは、ちょっともどれない。熊をなんとかできる人を手配してくれないか……えっ、すぐはできない? うん、美雪は怪我はない。食べ物は……そう。じゃあ、その誰かが来てくれるまで、ここで待つよ。うん、暖炉は使えそう?」
 進は、端末を美雪に向けた。
「お母さん、ううん、お父さんがいたから、大丈夫。ウン……ごめんなさい……」
 進は、大人用のスウェットのセットを見つけると、美雪に上を着せ、自分はズボンだけを履き替えた。毛布は何枚かあったので、それをその上から覆うようにして、暖炉の前で二人並んだ。
「ごめんなさい、お父さん」
 子犬は疲れたのか、二人の傍らで、横になって、すうすう寝ていた。非常食のパンやウィンナーを食べて、一安心したようだった。
 美雪は、食べ物には手をつけなかった。進は、美雪の頭をよせ、肩を抱いた。
「この子は、この子の家に帰してあげよう。きっと、自分の家に帰りたいと思っていると思うよ」
「うん」
 ぽろりぽろりと美雪の涙は頬を落ちていった。
「美雪も帰りたかったんだろ」
 うんうんと美雪は何度もうなづいた。
「佐渡先生や職員の人にも謝らないとね」
 美雪はこくりとする。
「お母さん、怒るだろうなあ」
「仕方ないさ、みんなに心配かけたんだ」
 進はアルミの皿を差し出した。美雪は手を伸ばし、ウィンナーを口に入れる。進のやさしい眼差しに見守られながら、美雪は、パンや野菜ジュースでお腹の中を満たしていった。
「あの熊、生きてるの?」
「ああ、撃ったのは麻酔銃だからね。せっかく、森で生活しているところを邪魔してしまったのは私たちだったから、驚いたのは熊の方だね。こっちは必死だったから、結構、ひどいことをしてしまったな」
「ねえ、お父さん」
「うん?」
「お父さんは、宇宙が好きなの?」
 進はどきりとした。
「どうして?」
「動物園のいろいろな職員の人が言っているの。お父さんはすごい人なんだよって。いつもいつも地球を守ってくれた、すごい人なんだよって」
 進は何も言わなかった。
 美雪は進の瞳がどこか遠くを見ているような気がして、それ以上聞くことがいけないことだと察した。
(みたことがあった)
 美雪は、家の窓から、アクエリアス氷塊を眺めている父の姿を思い出していた。
 そして、美雪は、暖炉のあたたかさと満たされたお腹と父親の体温を感じながら、夢の中へと誘われていった。


分岐点
西暦2220年、地球……
 
 バサッ
 美雪の背中に進のコートがかぶる。
 お母さんを一緒に探しに行こうという父の言葉に美雪は初めてうなづいた。
 進は、ぼんやりしていた美雪を抱えた。
(ああ、そうだ)
 やさしい父は、時として、とてもさみしげな目をしていた。そんな時、進はいつも無言だった。
 美雪は、進の腕の中で、進が周りの景色を地面を、木々を、空を見ているのに気がついた。
「一人であがれるか?」
 美雪は、進の指示に従い、後部の座席に体を入れた。
 バタバタバタ……
 森に住む鳥たちが騒ぎ、飛び立った。美雪は思わず声を上げた。
「鳥、昔よりたくさん住んでいるんだ」
「ああ。野うさぎの遺体もあった。機体が落ちた時に巻き込まれたのだろう」
 森は、いつの間にか、たくさんの動物が生活しつつあった。
(あの時の熊、まだ、森にいるのかな)
 そして、機体は、ヤマトへと向かった。後ろは青い宝石のような地球。そして、目の前には、一隻の艦(ふね)が美雪たちを待ち構えているかのように空間にあった。
(あれがヤマト。お父さんの艦(ふね)……) 
 アクエリアス氷塊の中に沈んでいると美雪が聞いていた艦(ふね)……
 進が語ることがなかったヤマト。二人の乗った機体はヤマトの中に吸い込まれていった。
「美晴先生、娘をお願いします。重い物にはさまれていました。骨折などはなさそうですが、検査だけお願いします」
 進はそう言って、美雪を美晴に託し、急いで第一艦橋へ登っていった。進にはするべき仕事がある。
(そう、あの時も、仕事を放って、私を助けに来てくれた)

 ヤマトは地球から離れていった。地球を一番守りたかったのは、きっと父だろうと美雪は思った。
(今度きいたら、お父さんは話してくれるのだろうか)
 「お父さんは宇宙が好き?ヤマトが好き?それとも……」
 そうきけるのだろうか、そして、何と答えてくれるのだろうか、美雪は母の帽子をぎゅっと抱きしめた。

 おわり




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