「TSUNAMI」 B
 

 真田志郎は、何年振りかで、姉の法要に参加できた。
 父と母とも、こんなに長く一緒にいたことも、本当に久々であった。母の白髪が、前に会った時よりも増えていた。
 夕刻近くになっていた。父から、食事をしないかと誘われたが、仕事を残したと嘘を言い、別れた。

「あっ」

 雨の街を、何の目的もなく歩いていた志郎は、一人の少女が自分の横をすり抜けた瞬間、驚いた。金色の髪の少女......。
 走り去っていく後ろ姿を追いかけたが、少女の姿は、角の向こうに消えてしまった。

 

 志郎は、小さい頃(まだ、姉が生きていた頃)、忙しい両親のかわりに、姉によく本を読んでもらった。姉の読んでくれる本は、女の子が好む話ばかり。「眠れる森の美女」、「シンデレラ」、「白雪姫」......

 毎日続く、お姫様物語を聞いていた志郎は、小さいながら、思った。

『ぼくは、王子さまにはむいてない』

 ある日、志郎の姉は、どんよりとした色の絵本を読んでくれた。志郎は、その中で、朝日の中に消えていった一人のお姫さまにくぎづけになった。

 志郎は、なぜ、このお姫さまが王子さまに愛されなかったのか、不思議だった。志郎にとって、このお姫さまが、他のお姫さまよりも、うんと美しく、心が清らかな少女に見えたからだ。

「なぜ、王子さまと結婚できなかったの?」

「うふふふ。志郎ちゃんが、大きくなったら、きっとわかるわ」

 姉は、その数年後、事故で亡くなった。志郎は、悲しいお姫さまのお話を聞くことができなくなった。

 

 志郎は、慣れない子育てを親友から、強いられた。

 御飯を食べさせて、勉強をさせて......。確かに、そんなことで、育てることになるのかもしれない。

 志郎は、自分が姉に、本を読んでもらったように、小さい少女に、本を読んであげていた。毎晩、必ず1冊ずつ。王子さまとめぐりあう、姫たちの話に、少女の目は、きらきら輝いた。

『彼女も、いつしか、彼女の王子さまに出会うのだろう』

 

「今日は、この本を読んでね、お父さま」

「これ?」

「すてきでしょ。地球のお父さまが送ってくれたの」

 志郎は、驚いた。姉に読んでもらった、あの暗い色調の絵本であった。 
 もう、すっかり、話を忘れていた。悲しい記憶だけ残っていて、細かいところまで、覚えていなかった。

「人魚姫は、どうして、王子さまに愛してもらえなかったのかな」

 少女の質問にうまく答えることができなかった。

 


 おねえさまたちは、十五に なると、つぎつぎと うみの うえに うかびあがりました。そして、いもうとたちに、めずらしい どうぶつや、めのさめるような まちの けしきなどを はなして きかせるのでした。いちばんとししたの にんぎょひめは、それをきかされるたびに、どんなに むねを おどらせたか しれません。

 

 少女は、植物のように、毎日毎日、目に見える速度で大きくなっていった。
 髪は、金色に光り、そして、体に沿うように豊かに流れた。体つきも、急に胸が膨らみ、腰がくびれ、大人の体に変化していった。
 志郎は、少女の姿がまぶしく見えた。

『もう、私の役目も終わりだな』

 少女の叔父が現れた時、志郎は思った。

 


おうじは、にんぎょひめに、じぶんを すなはまで すくってくれた むすめの はなしを しました。
「おまえに そっくりなのだよ。そのひとに もういちど あいたいのだ。」
しかし、にんぎょひめは なにも いえません。

 

 幸せがこぼれそうな笑顔、その反面、少女は、たまに物憂気な表情になった。まるで、あの人魚姫のよう......。   

 志郎の目は、知らぬうち、少女を追っていた。志郎は、少女を一人の女性として見ていることを認めたくなかった。つい、わざと、少女のそばから離れた。

 少女は、彼女の叔父を愛していた。しかし、叔父は、別の女性を愛していた。彼女の叔父は、少女に愛する人の面影を重ねていただけだった。

 少女は、知っていた。叔父が自分を見ていないことを。それでも、少女は、幸せだった。

 


 にんぎょひめは、あさひの ひかりの なかで、あわに なって しずかに きえていきました。かなしみでは なく、ひとを あいしたよろこびに つつまれながら、たかい たかい そらへ のぼっていきました。

 

 志郎は、走った。さっき、すれ違った少女の走っていった方向にむかって。 

 今なら、わかる。王子は、人魚姫に会う前に、隣の国の王女さまに出会って、恋に落ちていたのだ。けれども、人魚姫は、幸せだった。それが、たとえ、短い時間(とき)であっても、永遠に結ばれることがないと知っていても、愛する人の側にいることができて幸せだったのだ。

 行き止まりの路地裏で志郎は、雨の中、一人立ち尽くした。
 姉の葬式は、こんな雨の中だった。志郎は、ベッドの中。参列はできなかった。あの時、ベッドから見た外も雨が降っていた......。

 激しい雨に打たれながら、金色の髪の少女の姿と姉の姿を重ねていたことに志郎は気づいた。

END 


引用文は、偕成社刊『にんぎょひめ』(アンデルセン:作、曽野綾子:文、いわさきちひろ:絵)を使いました。

イラスト:夢工房 さま 



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