月の舟
 
2
西暦2211年 地球


「かぐや姫は、夜、涙を流しながら月を見るようになりました」
 美雪は美しい着物を着たかぐや姫の、悲しそうな顔をじっと見ていた。
「『私はこの国のものではありません。月から来たのです。今度あの月が満月になる15日の夜、迎えのものが来るのです。私は月に帰らなければなりません』
 かぐや姫の言葉に、おきなは驚きました」
 美雪の周りの子どもたちがごそごそしだす。美雪は、キッとにらんだ。
「そこでおきなは帝と相談をして、かぐや姫を守ろうとたくさんの人で屋敷を守りました」
 美雪は皆に気づかれないように、胸のどきどきが鎮まるようにと胸元に手を置いた。
「かぐや姫は部屋の奥におうなといましたが、扉が開いていきます。矢を射ろうとしていた人々の手に力はなく、射る事ができたとしても、矢は思うように飛んでいきませんでした」
(ああ……)
 美雪は驚いている人々の顔を見ながら、本を持つ先生の手の動きをじっと見ていた。
 次のページは、かぐや姫が薄い布を体に羽織っているところだった。
「かぐや姫はおきなに『この羽衣を身につけると、この国でのことを私は忘れてしまうでしょう』と言って、手紙を渡しました。そして、」
 そして、羽衣を身につけた、美しいかぐや姫の姿を、遠くを見る瞳を、美雪は息を殺して見た。
 先生の手が動き、次のページが開くと、そこには、天からの乗り物に乗って、天へ向かうかぐや姫一行の後ろ姿があった。
「なあんだ、やっぱり、行っちゃうんだ」
 後ろの男の子の声を聞きいていた美雪は唇を固く閉ざしたまま、うなだれた。



「英雄殿がそう言うのなら、それでいいではないか」
 進は拳に力をいれた。会議の採決前に、ぼそりと出た言葉に、進は嫌な雰囲気を感じたものの、終わりまで口を閉ざした。
「あんな言い方をしなくてもいいのに」
 終了後、そんな言葉も漏れ聞こえたが、進は無言のまま、部屋を出た。
 若い参謀の一人が進に駆け寄ってきた。
「気にしないでください。古代さんの意見は真っ当な意見でしたから。ただ、私たちもつい、期待してしまうんです。ヤマトのような艦を作り、あなたがその艦(ふね)で艦隊の指揮を取る……そんなのを夢見てしまうんです。皆、わかっているんです。特殊な艦を作るより、ある程度使い勝手のいい艦を複数作って配置した方がいいってことは。ただ」
「すまないな」
 進は柔らかな顔立ちで振り向いた。
「まだまだ、駄目だな、つい、挑発にのりそうになってしまう」
 進は前髪をかきあげた。
「明日、今日まとまったところを詰めていこう。とりあえず、皆の賛同は得られたのだから」
 進の笑顔に若い男もつられて、笑みを返した。
「了解です」
「数字、もう一度確認しておけよ」
「はい」
「彼女とデートの日なんだろ。せっかく時間通り終了したんだ、遅刻せずに行けよ」
「はい」
 走り去っていく男の後ろ姿を見ながら、進はつぶやいた。
「英雄殿……か」



「あら、雪」
 司令本部のフロアで、雪は旧友に呼び止められらた。
「忙しい? もしよかったら、これに来て。新しい彼がバイオリニストなの」
 三枚のチケットを女は差し出してきた。
「時間は大丈夫よ。チケットありがとう。子どももいいの? まだ、小学生よ」
「全然、大丈夫。美雪ちゃん、だったわよね。いい子だし、そんなに固い演奏会じゃないの。大歓迎よ。ちゃんと前に席を取っておくから、少しぐらい遅れてもいいわよ。来てね。彼を紹介したいし」
「ええ」
「そうだ、今日の会議、艦隊の再編成についてなんでしょ。科学局でも話題になっていたのよ。真田さん、ヤマトが沈む前にヤマトの基本データをコピーしているらしいから、それを使って今度こそ、ヤマトが作られるんじゃないかって」
「データのコピー? ヤマトの?」
「今までも新しい戦艦を作るときに少し流用したことがあるみたい。そのデータがあれば、あのヤマトとまったく同じものが作れるらしいわ」
「ヤマト……」
 雪は自分の口から出た言葉を思わず手で押さえようとした。



「お父さん、帰っているかな」
 夕方、美雪は母である雪と買い物をして、家につく寸前であった。
「そうね、予定通りに仕事が終わったって連絡があったから、たぶん、帰っているんじゃないかしら」
 雪の言葉に、美雪は笑顔で答えた。
「お父さんに、今日学校で聞いた、かぐや姫の話をするんだぁ」
「ちゃんと、手洗いうがいをしてからね」
「うん」
 車が止まるのを確認すると、美雪は飛び出していった。
「お父さん……か」
 雪は荷物を持つと、美雪の後に続いて、玄関へ向かった。

「お母さん、電気が点いていない」
 不安そうな美雪の背中を雪はそっと触れた。
「お父さん、居眠りしてるかも。昨日は遅くまで仕事していたから」
 美雪はその言葉に納得してか、小さく頷いた。
「そっと行くね」
 雪が鍵を開けると、美雪は居間へ向かって走っていった。
 居間では、窓の外の月明かりで、うっすらと部屋の中の物のシルエットが浮かび上がっていた。
「お父さん……」
 居間のイスにいないことを確認すると、美雪はふと、窓の外を見た。ベランダにもたれながら空を見上げている進の姿がそこにあった。
「お父さん」
 窓の開閉ボタンを押すと、ドアの開く瞬間を狙って美雪は進の背中に突進するように走った。
「お父さん」
 進は勢いよく飛び込んでくる美雪に気づくと、腰をかがめて顔を覗き込んだ。
「お父さん、お父さん」
 美雪は泣きじゃくり、進の体にすがりついてきた。進は美雪の体を覆うように抱きしめた。
「どうした? 帰ってくるなり。美雪?」
 後から部屋に入ってきた雪は、二人の姿を見ていた。そして、進の頭上に、キラキラと輝くものを見た。
(アクエリアス……)



「今日は一緒に寝ると聞かなくて」
 あれから、泣き止んだ美雪はいつもの通りに食事をして、進とお風呂に入ったが、進から離れようとしなかった。ずっと、進の傍らにいて、進の手を握り締めていた。
「仕方がないわ。一人で寝るのが寂しいときもあるわ」
「そうだね。じゃ、おやすみ。さ、美雪も」
 進に促されて、美雪は雪に向かって小さく頭を下げた。
「おやすみ……」
「お休みなさい、美雪。よかったね、今日はお父さんと一緒に寝ることができて」
 雪に頭を撫でられても、美雪は進の手をぎゅっと握り返すだけで、笑顔を浮かべることができなかった。

 二人を見送った雪は、司令本部で会った旧友の話の続きを思い出した。
「あの人はヤマトを作る事に賛成しないわ」
 雪は『ヤマト』という言葉に過剰に反応している自分を自覚していた。
「真田さんもそんな風よ。新しい戦艦を作る事は賛成なのに」
 多くの地球の人々は、ヤマトと進が再び宇宙に出る事を熱望していることも雪は知っている。この旧友もそう思っていることは、決して不思議ではない。
「それに、彼は宇宙には行かない」
 雪は思いもしない言葉を口にした。
 女も雪の言葉に驚き、唇を噛んだ。一度は言うのをためらいながらも、口を開くと、一気に雪に語りかけた。
「私の故郷に、昔、天女が舞い降りたって話があってね。天女を見た男が、その天女を好きになり、羽衣を隠してしまうの。羽衣を隠された天女は、男と結婚をして、二人の間には子どももできるのだけれど、天女は羽衣をみつけてしまい、羽衣を身につけた天女は天へ戻っていくの。あなたたちがいくらヤマトを隠しても、いつかは彼はヤマトと共に・・・」
「言わないで、お願い。それ以上……」
 雪は思わず耳を押さえた。
 やがて気持ちが落ち着くと、二人が寝ている寝室へ向かった。
 二人が寝息を立てて寝ている姿をしばらく見ていた雪は、二人の体にそっとふとんをかけると、部屋を後にした。

 雪は電話機の前に立つと、使いなれたボタンの上に指を伸ばした。
「すみません。夜分遅くに」
 雪はそう言ったあと、一気に言葉を続けた。
「アクエリアスに沈んだヤマトのデータについてお聞きしたくて……すみません」
 


 進はしっかり握られている小さな指を一つずつほどいていくと、そっと起き上がり、美雪の部屋を出た。居間へ向かうと、海に面した窓が開いていた。雪がベランダに出ていた。
「風邪をひくよ」
 進の言葉に雪は振り向いた。雪の微笑みに誘われるように進はそっと唇を重ねた。そのときに、進はもうかなり西に傾いたところにあるアクエリアス氷塊の輝きを見た。
「部屋に戻ろう」
 進は冷たい雪の指を包むようにつかみ、部屋に誘った。
「美雪、かぐや姫の話を今日、学校で聞いたそうだ」
 雪は何も言わず、ただ進に寄りかかりながら話を聞いた。進は雪の髪を撫でた。
「天に行ってしまったかぐや姫のように、行ってしまうような気がしたんだって」
 進の笑顔につられるように雪も笑い、雪はそのまま進の肩に顔を伏せた。
「寝ようか」
「ええ」
「先に行っていて、水を飲んでから行くから」
「ええ」
 

 グラスに入れた水を飲みながら進は電話機の前に止まり、ボタンを押し、発信履歴を確認した。見慣れた名前を見つけると、履歴の画面を消して、部屋を後にした。



 おわり
  


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