くぼぞう実は2000年で自転車競技歴10周年です。
コレを記念(?)して、歴史年表なんぞを作ってみました。
ああ、なつかしい、とか思いながら閲覧していただくと光栄です。
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1991年 HOTGEARオープン
コレは僕がお世話になっている、HOTGEARの記念すべき第一回のイベント「バーベキュー」。 昔は定期的にバーベキューやツーリングなどを積極的に開催してました。 アウトドアブーム(MTBブーム)が始まって間もない頃、舶来品の輸入MTBを売っているお店も少なかった事もあって、お客さんも多様。HOTGEARのステッカーを貼っているMTBに乗ってる人を町でよく見かけました。 |
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1991年11月 初レース | |
くぼぞう記念すべき初レースは、三ケ日で行われた「第2回三ケ日MTBフェスティバル」。 まだダートを走ることも少なかったこの頃、本格的なレースに初めて、HOTGEARで参加(まだチームはない)。写真はクボゾーと植村。この頃にギアにいたのは佐藤、植村、クボゾーぐらいかな?あと丹羽君。 結果のほうはべリから数えたほうが早いくらい。 コレがきっかけでレースにどっぷりはまります。 マシンはGTのTEQESTA、今はなきサンツアーの部品で組まれています。 |
1992年 受験勉強 | |
NO PHOTO | この年、クボゾーは大学受験。高校の担任がHOTGEARの親族だったこともあって、レース参加は全て拒否。身近で行える「トライアル」に熱中する。 このころギアに、小野田、あんまん、ヒロシ、内田君etcが登場。サスフォークもこの頃。 マシンはMONGOOSE IBOC TEAM 不幸にもこのバイクは一度もレースに出ることはなかった・・・。トライアルバイクだ。 |
1993年 レース三昧 | |
こに来て勢いの出てきたHOTGEARはレーシングチームを結成。みんなで迷ってマヨッテ決めたチーム名は「チームギア」と言うなんとも平凡なものであった。 チームジャージは蛍光黄色。蜂がたかる。 チーム結成とともに地方のローカルレースにも遠征を開始。木曽福島、ひるがの高原、流葉など、各地でギアは好成績(ビギナー)を飾る。この頃、小野田君は絶好調。 ギア最強の選手でした。コレはもう伝説である。 バイクは夢にまで見たGTの「ZASKER LE」。 マニトウTにフルXT(当時XTRはまだなかった) ダーブロタイヤもちょうどこの頃。 |
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1994年 レース、レース、レース | |
この年も前年に引き続きレースに精力的に参加。 各自レベルアップに伴いスポーツクラスへと昇格してレースを楽しむ。ちょうどこの年あたりがレースが最も盛んだった年だろう。大きな大会では1000人を超す参加者がいたり、キャンペンガールがいたりした。 このころからヘルメットペイントに興味を持ち始めた。 チームギアの名前も徐々に有名になり、地元のレースではもはや常連。 写真は94年の4時間耐久レース。後ろにいるのは内田君。 |
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レースが終わるとみんなで川に飛び込んだ。MTBが錆びてしまうなんてお構いなし!楽しきゃそれでOK! バイクはSPECIALIZED スタンプジャンパーFS フルXTにテンションディスク、Fサスはフューチャーショック。 あと、クロームと言うWサスを持ってました。 |
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1995年 ニュージャージ完成 | |
チーム員の増加にともない、ニュージャージを制作しました。 あまりにもミツバチに好かれる「蛍光イエロー」を捨て、チームカラーは明るいレッドになりました。 実はこれ!デザインはクボゾーなんですよ。 レース会場では異様に目立つようになりました。 世間にはDHの波が徐々に押し寄せ、この年がXC最後(?)の年になろうとは・・・。 クボゾーもこの年がキャリアで最もXCの調子の良い年でした。 クボゾーはこの頃、瀬戸に下宿をし、毎日海上の森を走りまくってました。ビューポイントの人たちと知り合ったのもこの頃です。 |
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この年はTREKのOCLVの限定車に乗ってました。マニトウWにフルXTR パナレーサーのXCマジックが流行った年です。懐かしいね。 |
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1996年 レース場でできた友達 | |
くぼぞうは大枚はたいてビゴーレのWサスを購入。DHにはまりだす。岩岳のシリーズ戦はこの年からの参戦。初めは予選もギリギリ通るぐらい。ヒジョウにへたくそでした。 チームギアのメンバーはなかなかWサスに手が出ず、くぼぞうはチームで少々孤立気味に。カンモーのメンバーとレースに行ったり、一人で出かけたりもしました。辛かった・・・・。 それでも、レース会場に行けば友達もできた。ビューポイントのカネちゃんや陽介(当時RIN)、カンモーのアッキーさんや大三さん、ノングー、それに寺本君(現テックイン)。けいこちゃんもそうだ。 このころにできた友達って意外と多いなあ。 BIKEはビゴーレ96FS(100mm)にJUDY DH。 クロカンはKLEINのPALSE COMP。 毎年バイク買ってるなあ・・・。 この頃は魚市場でバイトしてて、高給取りだったからなあ。(いまより高給です) |
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BIKEはビゴーレ96FS(100mm)にJUDY DH。 クロカンはKLEINのPALSE COMP。 毎年バイク買ってるなあ・・・。 この頃は魚市場でバイトしてて、高給取りだったからなあ。(いまより高給です |
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1997年 DH革命 | |
チームギアのメンバーのほとんどがWサスバイクを購入し、再びレース熱が上がってきたよ! この年、KOWAから160mmのストロークを誇るFフォーク「DHS−160」が発売される。 友人の寺本君(当時KOWAのテストライダー)に進められて、クボゾー早速購入。 これで世界が変わった! 轍、ギャップもお構いなし!今までのSHOWAが情けなく感じるぐらいのストローク感! ライン取りの自由度が増え、確実にタイムアップした。 岩岳シリーズ戦の予選も100位以内で確実に通るようになり、同時にチームギアのメンバーも確実に予選を通過するようになってきた。 第二次MTBブームと言っても過言でもないだろう。 レース会場にはフルサスペンションのMTBがあふれ、シリーズ戦の参加者は多いときには400人を超えた。(うち200人が予選通過) BIKEはビゴーレ(120mm)カスタム。 ラメブルー特別仕様。 リジットはGTのPANTERAを使用。 |
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1998年 成長期 | |
98年はクボゾーが最も成長した年といってもいいだろう。 岩岳のレースも順位がどんどん上がり、雨のレースでは20位台の順位を出すことができた。 雨を得意としていた(今は苦手)。 コレはペダリングが重くハンドリングがスロウ(いい所ないなあ・・。)のビゴーレから、ペダリングセクションを得意とし高速安定性の良いGTのLTSにバイクをチェンジしたことが大きいだろう。 この年の流行はカッパとフェンダー。 フェンダーを前に付けることがこんなに効果的だったとは思わなかったなあ・・・。 しかし、この年、ペーさんの落車による大怪我がありました。ぼくは凄く心配でお見舞いに行きました。看護婦を見に(笑)。今は元気で何よりです。 変わったところでは兵庫で行われた12時間耐久レースと言うのにも参加しました。 写真は闇夜を駆け抜ける店長。 10時間ぐらいまでは走っていたんだけど、やっぱり眠気には勝てません。 2001年こそは完走を目指します(マジ?!) BIKEはGT LTS1000DS フォークはSHOWA。 KHS MONTANA TEAM。 GT PANTERA |
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1999年 絶頂 | |
99年はいろいろな出来事があった年だ。 まずはオフにダートジャンプとBMXをはじめたこと。コレは僕にとってはものすごく大きな出来事だった。 なんで今までやってなかったんだろう?と疑問に思うほど、この2つの種目は僕にぴったりだったからだ。 特にダートジャンプはちょっと自信があるぞ |
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岩岳は友達がみんないるから好きだ。 写真は寺本くんと陽介、それにゆきえちゃん。 みんな若いなあ。(俺もか・・・。) ハイジャンパーの増永さんともこの年に知り合いました。っという事は、そうです。トヨピーコーティングの創立の年なんです。 創立初年度は勢いがあってか、なんと4つもの作品を世に送り出しているんですね。今は・ |
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! ・? レースのほうも順調そのもの。 会社でCNCマシニングを使っていることもあって、SHOWAに無理やりヘイズをつけたり、マングースに補強を入れたりとかなりカスタムしてます。 この頃からフォームがかっこいいと人から言われるようになりました。うれしい限りです。 BIKE MONGOOSE NX9.7 GT PANTERA GT XCR3000(I−DRIVE) GT POWER SERESE BMX |
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2000年 さらに絶頂エクスタシー! | |
さて、2000年。まずは無理やり取り付けていたDISKブレーキを普通に 取り付けるためにフロント・フォークを新調しました。 3年使えることを前提に「テックインのT-01X」を購入しました。 なかなかすばらしいフォークです。しかし、この飛びきりの剛性があだになるとは・・・。 去年買ったばかりのMONGOOSE NX9.7のヘッドが開いてしまったのです。 あーあって感じ。乗りやすいバイクで気に入ってたのに。 そこでシーズン半ばで急遽用意したのがTMX。 フォークとのマッチングを考えての選択です。 毎月行われていた、岩岳の定期戦に欠かさず出場。 エキスパートで20位前後の成績を修めた。 岩岳最終戦となる「走りたい放題」ではスポーツクラスで スピードコース1位 テクニカルコース2位と好調。 しかも、レース後に下道で東京モーターショーにも行ったりした。 |
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2001年 さらば岩岳 | |