第10章  戦いを呼ぶ男


 太平洋上を航行するアウドムラは、連邦を振り切る事は出来なかった。常に偵察機や潜水艦に追尾され、その位置を把握されてしまっている。このことがハヤトの気を苛立たせていた。

「追跡機を撃ち落す事はできんのか?」
「あの高度では、ドダイ改でも届きません。せめてティン・コッドでないと」
「ミサイルは?」
「ミノフスキー粒子が濃くて、誘導できませんよ」
「くそっ、どうにも出来んのか!」

 ハヤトがキャプテンシートに座りながら拳をデスクに叩き付けたが、それで追跡機がいなくなる訳ではない。そんなハヤトに背後に立つアムロと舞、トルクが声をかけた。

「まあハヤト、少しは落ち着けよ。今のところ周囲に敵の気配は無い」
「だがアムロ、スードリは間違いなく我々を追撃しているぞ」
「そっちは何とかできるさ。祐一たちは無理な戦いを仕掛けてくるタイプじゃない」
「そういえば、アムロは機動艦隊時代には、彼らと一緒に戦ってたんだったな」

 ハヤトがシートごとアムロに向き直る。

「どんな奴らだった? 俺は機動艦隊のメンバーとは面識が無いんでね」

 ハヤトに問われたアムロは、辛そうに表情を曇らせた。

「・・・・・・いい奴らだったよ。仲間思いで、優しくて、あそこに居るだけで不思議な安心感があった」
「そうか、すまない事を聞いたな」
「気にしないでくれ。カラバに入ると決めた時、こうなるとは分かっていたさ」

 そうは言うものの、ハヤトにはアムロが無理をしているのがはっきりと分かった。

「それに、敵に回すとこれほど怖い奴らは居ないよ。今俺たちが向かっている香港に行くルートには海鳴基地があるが、あそこにはあのシアン中佐がいる」
「『絶対者』シアン・ビューフォートか。そんなに凄いのか?」

 ハヤトに問われて、アムロは表情を強張らせ、舞がブルリと身体を震わせ、トルクが顔を背けた。その反応にハヤトの表情が引き攣る。

「そ、そんなに凄いのか?」
「・・・・・・お兄ちゃんは、ジム改でRガンダム3機に勝てる」
「俺は、あの人に模擬戦で勝った事無いな」
「隊長は人類の規格外だ。俺はもう戦いたくないぞ」

 口々にシアンの脅威を訴える3人。エゥーゴ、カラバの両方を探しても最強と呼びうる3人をしてここまで言わせるシアンとは、一体どれほどの化け物なのだろうかとハヤトは思った。そして、ハヤトは端末からデータを引き出し、そこにある情報を3人に問いかけた。

「なら、こいつらがどういう連中かも分かるかな。前にカラバの諜報員が調べた海鳴基地のデータなんだが、こっちにはほとんどデータが無いんだ」

 ハヤトが示したデータを見て、舞とトルクは文字通り凍りついた。アムロだけは首を捻り、すまなそうに横に振っている。

「いや、俺は知らないな」
「そうか。じゃあ、2人はどうです?」

 ハヤトの問いに、舞は頭痛を堪えるかのように右手で額を押さえ、トルクはこの世の終わりが来たかの様な暗い表情で天井を仰いでいた。

「な、なんでこいつらがこんな田舎に集まってるんだ?」
「多分、お兄ちゃんがシェイドを手元に保護しようとしたんだと思うけど」

 トルクも舞もこの現実に絶望を浮かべている。訳が分からないハヤトとアムロは顔を見合わせているが、2人の様子からこの面子が決して油断できない相手だという事は想像が出来る。
 しばし現実から逃げていた2人だったが、何とか帰ってくると酷く疲れた表情で重苦しい溜息を吐き、顔を見合わせた。

「何と言うか、私たちって、もしかして不幸?」
「悪魔に魅入られてるとしか思えんな。よっぽど日頃の来ないが悪い奴が仲間に居るんじゃないのか?」

 2人は愚痴を言い合って、仕方なさそうに知っている情報を語りだした。

「久瀬隆之、ファマス戦役最高のMS隊指揮官の1人、『戦場の魔術師』の名で呼ばれてる」
「里村茜、エターナル隊のエースで、実力は俺や舞並」
「鹿沼葉子、リシュリュー隊のエースで、サイレン級のパイロット」
「巳間晴香、同じくリシュリュー隊のエース。サイレン級のパイロット」
「名倉友里、アクシズ出身のパイロット。実力はやっぱりサイレン級」

 2人が簡単に教えてくれたが、それはまさに絶望的な内容であった。追撃してくるスードリには祐一たちが居て、進路上には化け物が群で待っているというのだから。ちなみに、流石のカラバもパートにまでは注意していなかったらしく、要注意人物2人の存在を見過ごしていた。

「だが、海鳴基地には旧式機か練習機しかないと聞いている。こちらには最新型のMSがそこそこあるんだ。何とかなるだろう」
「・・・・・・絶対とは、言い切れない」

 ハヤトの言葉に舞は頭を振った。シアン・ビューフォートの恐ろしさを知ること、自分以上の者はいないと自負する舞である。何しろ近接格闘戦で自分と互角以上に渡り合いながら、中距離の射撃戦でも相当の技量を持っているのだから。
 アウドムラの主要クルーが絶望的な未来を語り合っていると、通信士が何かの無線を受信したらしく、メモに書きとめてハヤトに持ってきた。

「キャプテン、通信です」
「誰からだ?」
「それが、送信者は『アヤウラ・イスタス』と名乗っています」
「「アヤウラっ!?」」

 その名に舞とトルクが過敏に反応を示した。特に舞はその目には強烈な敵意を宿し、今にも襲い掛からんばかりに殺気だっている。漏れでるシェイド特有の威圧感と殺気を向けられた通信士は竦みあがって震えだしている。
 舞はそんな通信士の様子などお構いなく詰め寄ると、事情を問いただした。

「あいつが何を言ってきたの?」
「あ・・・ああ・・・・・・の・・・・・・」
「早く答える」

 舞の右手に力が集まっていく。どうやら剣を生み出そうとしているらしい。舞が暴走している事を察したトルクが慌てて背後から羽交い絞めにして動きを封じる。

「ま、待て舞、少しは落ち着け!」
「・・・・・・私は十分に落ち着いてる」
「なら殺気立つな、力も使うな!」
「・・・・・・御免」

 ようやく舞も自分が力を暴発させかけていた事に気付いたらしく、体から力を抜いた。トルクは額に浮かぶ汗を拭うとほっと安堵の息を漏らす。もし舞が暴れだしたら、この艦橋は血の海になっていただろう。幾らトルクでも同格の能力者を完全に押さえ込める自信はまるで無い。
 舞が落ち着いたのでどうにか動けるようになった通信士は、ハヤトに通信用紙を渡すと自分の席に逃げて行ってしまった。
 ハヤトはそれを咎める事もなく、通信用紙に目を通した。

「香港に来い、か」
「どういうことだ?」
「何でも、補給物資を用意して待っているそうだ」

 ハヤトの説明に、舞とトルクは露骨に不信感を露にした。あの男がそんな提案をただでして来るなど、おかしいにも程がある。

「あのアヤウラが補給物資を寄越す?」
「信じられんな。あいつがただで物を寄越すなんてありえん」
「そんなに信用出来ない男ですか?」

 ハヤトの問いに、2人ははっきりと頷いて見せた。

「あいつの言葉を信じるのは、バスクと仲良く握手をするくらいに難しい」

 舞のなんとも言えない答えに、ハヤトとアムロは顔を引き攣らせた。あのマフィアの親玉とまで呼ばれるバスク・オムと仲良く握手するほどに信じられない男とは、一体どういう奴なのだろうか。

 

 

 アウドムラの接近は海鳴基地にも届いていたのだが、シアンは出撃命令を出さなかった。すでに迎撃体制をとっていた海鳴守備隊は一向に出撃命令を出さないシアンに苛立ち、文句をぶつける事の出来る副官の久瀬に詰め寄っていた。

「どういうことですか、中尉?」
「なんで出れないんですか?」
「私たちはアウドムラを攻撃するはずじゃなかったんですか?」
「ま、待ってくれ。僕に言われても詳しい事は知らないんだよ」

 葉子が、晴香が、友里が詰め寄ってくる。久瀬は彼女らを必死に宥めていたのだが、こういう時は押しが弱くて強引になれないのだ。上官の権威をひけらかすという行動にも中々出れないので、我慢強く説得しているのである。

 久瀬を堤防にする事で追及の手を逃れているシアンは、自分の執務室でのんびり紅茶を飲んでいたりする。その部屋の窓辺には同じようにソーサーとカップを手に茜が立っていた。

「良いんですか。久瀬中尉が困ってますよ?」
「あれが副官の仕事だよ。任せておけば良い」

 茜の言葉に鷹揚に返しながら、シアンは紅茶を啜った。そしてカップをソーサーに戻し、忌々しげに一枚の書類に視線を落とす。

「ティターンズめ。まさか迎撃するなとはな」
「地上のティターンズは影響力が小さいですから。この辺りで存在感を出して得点を稼いでおきたいんでしょう」
「ジャミトフ閣下の印象を良くしたい、か。まあ気持ちは分からんでもないがな」
「北米では敗北したそうですからね。アーカット中将も焦ってるんでしょう」

 ハムリン・アーカット中将。ティターンズにおける地上の最高位に位置し、ジャミトフの右腕と呼ばれる高級軍人である。宇宙ではバスクが指揮を取っているが、バスクが単なる戦争屋であるのに対し、こちらは政治的に動く事も出来る軍人である。
 バスクとアーカットは仲が悪いのだが、ジャミトフに忠誠を誓っている点では同じであり、地上と宇宙で棲み分けている点も両者の対立を表面化させてはいない。
 ジャミトフが2人をあえて分けて配置し、地上をアーカット中将に任せ、自らは宇宙でバスクを制御しているのは両者の対立がティターンズを弱体化させないようにという配慮からきているのだ。
 ただ、両者ともエゥーゴやカラバとの戦いでは今1つ成果を上げていない。宇宙では一進一退の小競り合いを繰り返しているし、地上では決起したカラバや連邦部隊を追い詰めきれず、北米は未だにゲリラ戦が続いている。
 もっとも、地上はともかく、宇宙は秋子やリビックといった連邦軍高級軍人たちが全体の暴走を抑え込んでいるのが大きい。バスクがどれだけ声を枯らして叫んでも、秋子やリビックの影響が大きすぎてほとんどの連邦部隊は正規の手順を踏まない要請には応じようとはしないのだ。遡ればデラーズ紛争におけるシーマの裏切り発覚から続いた計算違いに始まり、30バンチ事件においては連邦に先手を打たれ、そして今に至る。
 連邦中道派はこの戦いを本格的な戦争まで拡大させる意思は無く、ティターンズとエゥーゴ、カラバの戦いに限定したがっていたのだ。だから秋子もリビックも両者が月とグリプスの間で戦っている分には手を出してはいない。その証拠として、エゥーゴがジャブローに来た時は秋子がこれを叩き潰している。
 エゥーゴはこの攻撃を秋子のエゥーゴに対する敵対意識の現われかと疑ったが、その後は特に動きを起こすことは無く、エゥーゴは秋子に対し、こちらから手を出さなければ動く事は無いと判断するに至っている。

 つまり、ティターンズは実績が欲しいのだ。影響力を拡大する為にも実績は必要であり、今の所決定的な得点をティターンズはあげていないのだ。
 もっとも、これといった戦果を上げていない点ではエゥーゴも同じであり、互いに今は小競り合いをするしかないという状況が続いている。
 今回のシアンへの出撃中止要請もその一環であり、こと対エゥーゴ、カラバ戦においてはティターンズに優先権があるという原則を盾に取られての要請とあって流石に無視を決め込むというわけにもいかなかったのだ。

「まあいいさ。お手並み拝見といこう。スードリと北川には海鳴に集まるよう連絡をしておいてくれ」
「はい」
「で、アウドムラは何処に向かってる?」
「どうやら香港のようです。無線傍受班が香港からのものと思われる通信を傍受しています」
「解読は出来てるの?」
「はい。読みますか?」
「頼む」

 シアンに頼まれて、茜は通信用紙に書いてある通信文の内容を読み上げた。それを一通り聞いたシアンは僅かに目を細め、カップをソーサーに戻した。

「アヤウラ・・・・・・ね。出来れば二度と聞きたくない名前だったな」
「同感ですね。舞は怒り狂ってるんじゃないですか?」
「だろうなあ。アムロやトルクに同情するよ」

 茜の予想にシアンは声を出して笑い、アウドムラの不幸をネタにしばし楽しんだ。しかしまさか、アクシズにいるあの男が地球にいるとは。

「さて、あいつが絡んでるとなると、何か起きそうだな。香港で補給物資を渡すというのも腑に落ちん。あいつは何でそこに居たんだ?」
「・・・・・・まさか、アウドムラの飛行経路を知っていた?」

 シアンの疑問に茜はとんでもない回答にたどり着いてしまった。シアンは忌々しそうに目尻を寄せている。

「恐らくそうだろう。アウドムラの飛行経路をアヤウラが知ってたとすると、あいつはまさかエゥーゴなりカラバなりと協力しているというのか?」
「でも、どうしてアヤウラがエゥーゴと?」
「思想の一致、利害の一致という事かも知れんな。とにかく、あいつが善意で誰かを助けたりするはずが無い。ティターンズが動いたのも、こうなると裏を勘ぐる必要がありそうだな」
「同感ですね」

 茜も頷いた。あのアヤウラが絡んでくるとなると、シアンも茜も他人事ではすまない。何と言っても、あの男は2人にとって恨み骨髄に達している相手なのだ。たとえ何も企んで無くても、私怨という理由で2人には充分である。

「・・・・・・茜、すまないが、お前の親友の力を借りたいんだが」
「詩子ですか。それは、仕事でしたらすぐにも来るでしょうけど」
「あいつは今、何処にいるんだ?」

 柚木詩子。ファマス戦役時代には秋子に雇われて機動艦隊の情報将校を臨時でやっていた雇われ仕官である。だが、戦役後は新しい何かを求めて行方を眩ましてしまっている。まあ殺しても死にそうに無い女であるので、シアンも気にしてはいなかったのだが、いざその手が必要になると行方が分からないのは困るのだ。
 だが、茜だけは常に詩子の居場所を知っているらしく、時折届けられる手紙を手に嬉しそうにしているのを見かけていた。もっとも、茜は舞ほどではないが無表情で、喜怒哀楽が表に出ない。その表情の変化を見分けられるのは付き合いの長いシアンくらいであったりする。
 だが、茜はシアンの求めにいきなり外線電話を繋ぎ出した。一体何処に電話をするつもりなのやら。
 そして待つ事十数秒、小声で何かを話していた茜がシアンに受話器を差し出した。

「詩子です」
「・・・・・・あいつは地球に居るのか?」

 まさか地球にいるとは思っていなかったらしく、シアンは些か面食らいながら受話器を受け取った。

「もしもし、柚木か?」
『ヤッホ〜〜〜、久しぶりだねえ、シアンさん』

 あいも変らぬ能天気な声に、シアンは小さな声で笑った。どうやら元気らしい。

「早速だが、仕事を頼みたい、受けてくれるか?」
『やだなあ、私とシアンさんの仲じゃない〜。断るわけ無いでしょう』
「・・・・・・まあいい、仕事は香港でのカラバの動きの調査だ」
『またいきなり厄介な仕事だねえ。何かあったの?』
「アヤウラが香港でカラバに接触する。お前にはその動きを掴んで欲しい」
『ああ、あいつね。あいつなら少し前から中国辺りで動き回ってるわよ』

 いきなりの詩子の爆弾発言に、シアンはその場でずっこけそうになった。

「ちょ、ちょっと待て、お前、知ってたのか!?」
『甘いねえ。私はこれが仕事よ〜ん』
「何処まで知ってるんだ、お前は!?」
『これ以上は企業秘密だよ。教えて欲しかったらそれなりの報酬がないとな〜』
「くっ、相変わらずガメツイ奴め」

 足元を見られてシアンは唸り声を上げたが、それくらいで怯んでくれる女でもない。仕方なくシアンは報酬を約束した。

「分かった。何が望みだ?」
『話が早くて助かるわ。私が欲しいのは今の連邦の動きとティターンズの動きよ』
「情報交換というわけか。だが、流石に味方を売るのは・・・・・・」
『シアンさんにそんな事要求はしないわよ。情報ってのは信用商売だからね。それに、シアンさんや秋子さんには色々と借りもあるし』
「だったらタダで受けてくれてもいいだろう」
『一応商売だからね。タダ働きはしないことにしてるのよ』

 何気に商魂逞しい女である。でもまあ、これで信用度は抜群であり、自分たちを裏切る事は無い情報屋なので文句も言えない。しばし考え込んだシアンは、溜息1つつくと仕方なさそうに頷いた。

「分かった。情報はお前がこっちに来たときにでも渡そう。今お前が握ってる情報と、アヤウラ周辺の動きの調査は頼めるんだろうな?」
『OK、任せといてよ。データはそっちの端末に暗号で送ればいい?』
「・・・・・・お前はうちの暗号コードを知ってるのか?」

 つくづく恐ろしい女だ。こいつを敵に回したらそれだけで一軍に匹敵する脅威になるのではないだろうか。だが、詩子はシアンの問いに流石に否定を返した。

『幾ら私でも流石にそこまでは無理だよ。使う暗号はちょっと特殊でね。茜なら解読できるから、茜に任せて。それじゃ、またね』

 それだけ言い残して詩子は電話を切った。シアンは煙に巻かれた様に困った表情を浮かべ、受話器を茜に返す。そして自分の端末を調べると、確かに何かのデータが届いていた。

「相変わらず仕事が速いな。茜、こいつを解読してくれ」
「詩子からのデータですか。でしかた、解除コードを使えば一発ですよ」

 茜がシアンに変わってなにやら操作しだした。そして少しすると、モニターに読み難い文章と数字の羅列とが表示された。

「ふむ、詩子ご自慢の情報とやらは、どれほどの価値があるのかな?」

 シアンはそれに目を通したが、読み進める内に表情が引き攣っていくのを自覚しだした。

「こいつは、アヤウラの奴、まさか半年前には地球に来ていたというのか。アジア地区で活動を続け、地球連邦の中からカラバに寝返るよう工作を進めていたのか」
「流石はアヤウラというところですか。でも、詩子も流石ですね。よくこれだけ調べたものです」
「あいつが危険に首を突っ込むのは趣味みたいなものだからな。しかし、これが事実なら、かなり不味い事になるぞ」

 シアンはモニターから目を離すと、窓から空を見た。

「秋子さん、こいつは、事態は貴女の予想の斜め上を行ってたようです。不味い事になりましたよ」

 

 

 

 予想されていた海鳴基地からの迎撃も無く、アウドムラは無事に香港にたどり着いていた。その巨体を港の埠頭で見ていた男は、禁煙パイポを咥えた口元を歪めると、風に舞わないように頭に被っていたカンカン帽を押さえた。着ているよれよれのトレンチコートが風に舞い、丸いサングラスに隠された目は窺い知ることは出来ないが、全体の印象が余りにも怪しいので大して問題にはなっていなかったりする。

「来たか、アウドムラ。さてさて、これは新しい舞台の幕開けか、それともただの通過点か?」

 着水の水柱を見やりながら、男は自分らしくない言葉に苦笑した。

「違うな、俺が幕開けにしてしまうのだったな」

 埠頭にぶつかって吹き上がる波飛沫を浴びながら、その男、アヤウラ・イスタスは不敵に笑った。かつて、久瀬中将に接触してファマス戦役を引き起こした男は、再び陰謀を張り巡らせて舞台に帰ってきたのだ。はたして彼がどういう道を進むのか、それは誰にも分からない。ただ、この男が通った後には常に流血がある。それだけは確かであった。

香港はカラバに協力的な都市であり、カラバのシンパもかなり多い。香港の海に着水したアウドムラは、早速ルオ紹介と連絡を取りつつ、通信を送ってきたアヤウラ・イスタスとの接触を待ち侘びていた。こちらから連絡する手段は無いので向こうから来るのを待つしかないのだが、これが中々に心臓に悪い。何しろ横付けされたランチの傍では舞が殺気を放ちながら立っているのだから。
傍にいるハヤトとアムロとトルクが寿命が縮むのでは、という思いを味わっている所に、やっとそれらしい人物がやってきた。ただ、その風体はどう見ても軍人には見えず、余りにも怪しすぎた。
 男はハヤトの傍まで来ると、カンカン帽をとって挨拶してきた。

「カラバのハヤト・コバヤシだね?」
「そうだが、貴方は?」
「連絡しておいただろう。私がアヤウラ・イスタスだ」

 そう言って、アヤウラは大きく後ろに跳んだ。その直後にアヤウラがいた場所に一振りの剣が振り下ろされ、コンクリートの足場を破壊してしまう。それは、誰の目にも留まらぬ速さで動いた舞であった。

「舞、何をしてる!?」

 アムロが驚愕した声を上げるが、舞は聞いている様子も無い。剣を戻し、アヤウラを睨みつける。

「・・・・・・よく躱せた」
「来ると予想できてたからな。私を見て君が平静でいられるとは思っていないよ、川澄舞」
「そう。でも、二度目は無い」

 剣を構え直す舞。だがアヤウラは鷹揚に両手を広げ、今度は防ぐ素振りも見せなかった。
そんなアヤウラの態度に舞が僅かに目を細める。

「覚悟したの?」
「まさか。君と戦う意思は無いという意味さ」
「私が貴方と話し合うと思う?」
「私情を優先させるのかね。親友にさえ銃を向けた君が?」

 アヤウラの問い掛けに、舞は初めて動揺を見せた。体が一瞬震え、剣の切っ先が僅かに下がる。それを見てアヤウラはあの人の嫌悪を誘う笑みを浮かべた。

「それでいい。お互いに仕事の関係だ。今は味方と認識して欲しいものだ」
「・・・・・・もし妙な事をすれば、斬る!」

 言葉に殺気を載せて放ち、舞は剣を消した。それであっけにとられていた周囲もようやく動けるようになり、誰もがようやく慌てふためいている。そんな中でアヤウラは背中を流れる冷たい汗をようやく実感していた。もし舞が私情のままに自分を攻撃していたら、抵抗する手段など存在しなかったのだ。
 今、この近くには十を越す護衛が配置されているが、相手がS級シェイドでは何の役にも立つまい。アヤウラは自分の命をチップにしてこの場を何とか切り抜けたのである。

 舞が引き下がった事でハヤトがアヤウラの前に出てきた。そっと右手を差し出してくる。

「はじめまして」
「・・・・・・こちらこそ、ハヤト・コバヤシ」

 アヤウラはその右手を握り返すと。体ごと背後を振り返った。

「とりあえず、物資の引渡しを始めましょうか。時間をかけていると、色々面倒な連中がやってくる」
「同感ですね」

 幾らカラバの勢力が強いとはいえ、一応ここも連邦領だ。もし連邦軍やティターンズがやってくれば厄介な事になってしまう。ハヤトは部下を呼ぶと早速物資の検査と搬入をさせ始めた。

 その作業を見ながら、アヤウラは視線を中国の方に向けた。

「さて、主賓は到着した。悪役は舞台に間に合ったのかな。折角整えてやった舞台だ、ちゃんとシナリオ通りに動いて欲しいものだが」

 

 


 アヤウラの視線の示す先には、ティターンズの部隊が展開していた。シアンを差し止めて出撃してきた部隊で、その戦力はかなりのものである。ハイザックとマラサイ、マークUで編成されている部隊が集まり、攻撃態勢をとっているのだ。
 攻撃隊の指揮官はマークUのコクピットで何時までたってもやってこない荷物に苛立ちを感じていた。

「まだ来ないのか、ムラサメ研究所の試作品というのは?」

 この作戦ではムラサメ研究所から援軍が来る事になっているのだが、それが未だに届かない。そもそもそれがどういう物なのかさえ伝えられていないのだから彼にはどうにも出来ない。NT研究所の連中と共同作戦というのも気に食わない。

「・・・・・・使い物になるのか? 強化人間はまだ未完成だと聞いていたが」

 だが、戦力としてはそれなりに期待できるものだという情報もあるにはある。NT研究所は予算とデータ欲しさに実戦に部隊を投入したがっているというが、これもその一環なのだろう。

「何にせよ、足手まといにだけはなって欲しくないな」

 それが偽らざる心境だった。変な試作機を持ってこられた挙句、ろくな戦力にもならずに壊されたらたまったものではない。それで責任問題にでもなったら目も当てられなくなる。

 だが、事態は指揮官の想像の遙か上を行く事になる。なんと、ムラサメ研究所から送られてきた強化人間は、彼らに何の予告も無く攻撃を開始したからである。

 最初にそれに気付いたのはアウドムラのレーダー手であった。海上から接近してくる大型物体をレーダーが捉えたのだ。

「なんだ、これは?」
「どうした?」
「何か、でかいものがこっちに来る。艦艇にしてはちと反応が妙なんだがな」
「でかい物?」

 同僚は訳が分からず首を捻るが、とりあえず上に報告する事にした。

「キャプテンに回そう。念のため迎撃準備だ」
「そうだな、万が一って事もある」

 艦橋から報告を受けたハヤトは訝しげ海上を見て、確かに何かがこっちに向かっているのを肉眼で確認した。

「あれか。確かに大きいな。だが、あれは何だ?」

 ハヤトはアムロの意見を聞こうと彼の方を見たが、アムロは頭を押さえて辛そうに顔を顰めていた。

「おい、どうしたんだ、アムロ?」
「・・・・・・なんなんだ、この感じは。酷く不快で、周囲に悪意を撒き散らしているような」
「何だアムロ、どういうことだ?」

 アムロはハヤトの問い掛けに顔を顰めながら海上を見やり、接近してくる何かを見た。

「あれだな。多分、あれがこの不快感の原因だ。NTにも思えるんだが、何かが違う」
「NTに似てるが、違う?」

 NTではないハヤトにはそれが何なのか察する事は出来なかったが、実戦で鍛えた勘が状況の悪さを伝えている。ハヤトは周囲に物資の搬入の中止と、迎撃準備を命じた。

「急げ、戦闘になるぞ!」

 ハヤトの指示に慌ててアウドムラに戻っていくクルーたち。ハヤトはアヤウラの前に来ると、小さく頭を下げた。

「すいません、折角の物資、無駄になりそうです」
「なに、気にする事は無い。別に珍しいことでもない」
「この礼は、いずれ必ず」

 ハヤトはそう言ってランチの方に駆けて行った。それを見送ったアヤウラはニコニコと笑っている。自分の用意した物資が無駄になったというのに、まるで気にしていないようだ。いや、実際気にしていないのだろう。

「この程度の物資くらい安いものだ。おかげで連邦のNT研究の成果をこの目で見られるわけだし、この街をティターンズの攻撃に晒す事も出来る。そして君たちに恩を売ることも出来た。むしろこちらが礼を言いたいくらいだよ、ハヤト・コバヤシ」

 くっくっくと笑いながら、アヤウラはアウドムラの巨体を見やった。舞台は完全に整った。さあ、後は俳優が踊るだけだ。ここで俳優がこけるような事はしないでくれよ。

 そう、全てはアヤウラが仕組んでいたのだ。香港にアウドムラを導いたのも、アウドムラがやってくる事をティターンズに流したのも、シアンたちがアウドムラ迎撃準備を進めている事を流したのも、全ては彼が裏で糸を引いていたのだ。そして舞台をわざわざ香港に指定したのも、それなりの意味がある。この街をティターンズの手で燃やしてやれば、この辺り一帯のティターンズへの反感は沸点に達するのは確実で、それは自分の活動にきわめて有利に働く。上手くすれば付近の連邦部隊をカラバに取り込めるかもしれない。
 どのように転んでも損をしない状況を作り上げたアヤウラは含み笑いをしながら水平線に見える巨大兵器を見ている。あれが連邦の開発したNT専用機なのだ。
 不気味に含み笑いを続けるアヤウラの所に、1人の女性がやってきた。

「閣下、そろそろ非難しましょう。まもなく戦闘が始まります」
「そうだな。カーナ」

 アヤウラは部下の言葉に頷き、踵を返すと埠頭を後にした。もう自分の仕事は高見の見物だけだ。後は俳優たちの活躍に期待すればいい。

 こうして、1人の男によって作られた戦いが始まる。まるで意味の無い戦いが。あの男が通った後には、常に流血が付き纏うのだ。



後書き
ジム改 久しぶりに登場、本作の名物悪役アヤウラ・イスタス
栞   そういえば、まだ生きてましたねえ、この人
ジム改 悪人は死なないのだよ
栞   確かに、貴方も死にませんからね
ジム改 ギャグ体質だからねえ
栞   自分で言いますか。しかしまあ、見事にアヤウラさんの掌で踊ってますねえ
ジム改 アヤウラだってそれなりに有能な男だからねえ
栞   で、私たちはどうなるんですか?
ジム改 とりあえず海鳴でシアンたちと合流
栞   ・・・・・・ウキィィィイイ!!
ジム改 ど、どうしたいきなり!?
栞   私より強い人が一気に増えるじゃないですか!
ジム改 自覚はあったんだな
栞   このままじゃ私がピンチです
ジム改 心配せんでも君の出番はちゃんとあるよ
栞   本当ですかあ?
ジム改 本当だって。北川と香里も来るわけだし
栞   ・・・・・・2人と会うのも随分久しぶりですね
ジム改 でもまあ、その前に香港戦があるけどね
栞   そうでした。でも、まだフォウさんは完成してませんよねえ?
ジム改 うむ、まだだ。だから出てくるのは別人だ
栞   誰なんです?
ジム改 ティターンズは葉っぱ系が当てられている、がヒントかな
栞   ・・・・・・まさかとは思いますが
ジム改 うむ、分かる人はすぐ分かるだろう
栞   アムロさん、ご愁傷さまです。後で頭痛薬でも差し入れてあげましょうか