第101章  宇宙のバランス


 

 連邦軍が攻勢に出る兆しがある、その報はティターンズ宇宙軍全体に布告されていたが、連邦軍の動きはバスクが考えていたよりも遥かに早く、そして大胆であった。連邦軍の偵察機は戦域全てに満遍なく姿を現してはいたのだが、それまで後方だった筈のルナツーが初めて連邦軍の攻撃を受けた。
 これまでずっとティターンズ宇宙軍の後方基地として機能してきたルナツーは連邦軍の攻勢を前にしても何時もの通り後方基地としての役割を果たせばよいと考えていた。それは安全な後方であるという気の緩みを招いてしまい、連邦軍の攻撃を許す結果を招いてしまった。
 最初レーダーに機影が捉えられたとき、ルナツーはそれを敵機だとは認識していなかった。味方機だろうと考え、警報を出す前に何処の部隊か確認を取るという無駄な時間を費やしてしまった。
 この時間にルナツーに向かってくる部隊など無いという返事を受けたレーダーサイトは、ではこの機影は何だと聞き返して、そして顔色を変えた。何を馬鹿なことを言っているのだ、迫るのが味方機ではないというのなら、敵機しかありえないではないか。

「い、急いで警報を出せ、敵襲だ!」

 指揮官の指示を誰もが信じられないという顔で聞いている。ルナツーが敵襲を受けるなど考えてもいなかったのだ。それでも命令を受けた通信士は反射的に警報システムを起動させ、ルナツー管制区全域に警報を発する。そしてレーダーマンが任務にしがみ付く事で正気を保とうとするように敵機の接近を正確に告げ続け、遂に肉眼でその姿を捉える距離に近付いてきた。
 それはMSではなく、連邦軍が最近になって配備しだしたワイバーン戦闘攻撃機の大編隊であった。MSでは航続距離の関係で往復出来ないという制約があるが、ワイバーンならば余裕で前線からルナツーまで行って帰ってこれる。
 レーダーサイトはワイバーン部隊から分離してきた3機からのミサイル攻撃を受け、レーダーと通信施設を破壊されてしまった。小惑星を利用したレーダーサイトは頑丈で簡単には破壊できないので、こうして無力化するだけに留めた方が話が早いのだ。
 レーダーサイトを潰したワイバーン部隊は全くその存在を気に留めることも無く進撃を続け、ルナツーに向かっていった。それをレーダーサイトの要員たちは呆然とした顔で見送り、そして慌ててルナツーに通信を送ろうとした。通信設備が破壊されていた事に気付く余裕も無くしていたのだ。



 ルナツー基地司令官のゴドウィン中将はこの時は何時ものように事務仕事を整理していた。ルナツーほどの基地の司令官ともなればそれなりに多忙で、回ってくる書類や会議の数は半端な物ではない。だから彼は必死に作業をしていたのだが、そこにいきなりデスクの上の内線が呼び出しを告げてきて、ゴドウィン中将は不機嫌そうな顔で内線を受けた。

「私だ、一体何事かね?」
「た、大変です司令官、連邦軍の攻撃機の大編隊がルナツー管制区内に侵入してきました。N6レーダーサイトが敵襲を告げた後連絡を断ち、その後付近を哨戒していた第56MS小隊がこれと接触、戦闘に入ったと!」
「何だと!?」

 馬鹿な、このルナツーに敵が来るなど。前線の警戒ラインはどうしたのだ、哨戒網を掻い潜ってここまでやって来たというのか。
 いや、今はそんな事を考えている時ではない。とにかく迎撃準備をしなくては。

「すぐに司令部に行く、迎えの車を回してくれ。それと基地全体に迎撃準備を命じるんだ!」
「了解しました!」

 内線を切り、ゴドウィンは上着を取ると急いで部屋を出た。そこで基地内に警戒警報が響きだし、兵士たちのざわめきが聞こえてきた。誰もがルナツーが襲われるという事態に頭がついてこないのだろう。
 そしてすぐに待っていた車がやってきた。

「閣下、お迎えに上がりました」
「敬礼はいい、司令部に急いでくれ!」

 運転手の兵が降りて敬礼しようとするのを押し留めてゴドウィンは車に乗り込む。そして司令部へと急がせたが、彼が司令部に到着するよりも早く戦いは始まってしまった。




 連邦軍のルナツーへの奇襲攻撃、それはエニーが実施したルナツーに対する陽動作戦の一環であった。広大な宇宙ではどれだけ濃密な哨戒網を敷こうと必ず何処かに穴がある。その穴の1つを探り当てたエニーは空母部隊を送り込み、艦載機によるルナツー宇宙港の封鎖作戦を実施させた。これが先のワイバーン編隊で、72機の大編隊であった。
 ルナツーに突入したワイバーン隊は大した抵抗も受けずに宇宙港にミサイルを叩き込み、湾口施設の封鎖を成功させている。または湾外にいた巡洋艦や輸送艦にミサイルを叩き込んで帰還してくる者もいた。
 ルナツーへの攻撃はこの一撃にとどまり、防衛線の向こう側に踏み込んでいた2隻のフォレスタル級空母と護衛の巡洋艦4隻は帰還してきた艦載機を収容すると、さっさと連邦の勢力圏へと撤退してしまった。長く留まっているとティターンズの哨戒機に発見され、叩き潰されてしまうからだ。
 この電撃的な奇襲は大した戦果は無かったものの、ティターンズに警戒を強化させるという効果を挙げた。これはティターンズに余計な力を使わせ、その分だけサイド6への戦力強化を遅らせる効果が期待できる。
 ティターンズ方面を担当する艦隊の司令部がおかれている島1号型の球状コロニー、メディスティナーで作戦成功の知らせを受けたエニーはホッとした顔で頷き、危険な任務に赴いた挺身部隊に速やかに帰還するように命じた。

「これで、敵の目がこっちを向いてくれるといいのだがな」

 陽動の効果がどの程度出るか分からないので敵の動きが気になるが、そればかりは暫く待つしかない。エニーはこの事を頭の片隅に追いやると、視線を司令部の正面を埋め尽くす巨大な戦術スクリーンへと向けた。そこにはこのティターンズ方面全域が表示され、味方の動きと確認されている敵部隊全ての動きが表示されている。そのスクリーン上ではこちら側で今回の作戦のために編成した5つの任務部隊がティターンズの戦線を押していて、これにティターンズ部隊が敏感に反応して部隊を動かしている様子が映し出されている。

「敵の動きが余り活発じゃないわね、敵の動きは全て掴めているの?」
「いえ、ルナツー方面は警戒が強化されましたから、暫くは手が出せそうにありませんので」
「そうか、まあしょうがないわね。このまま前面衝突にならないように、かつ敵の注意を引き付けるように動き続けるってのも、中々しんどいか」

 秋子に任された仕事は毎度の事ながら楽ではないなとぼやきながら、エニーは今後の進め方について参謀と話し合う為に会議室に場所を移す事にした。サイド5で編成中の攻略部隊が動き出すまでの間、こうしてティターンズと小競り合いを続けなくてはいけないのだから。




 ルナツーでエニーが行動を起こした頃、サイド6方面でも連邦は行動を起こした。アイリッシュ級のカルデラを旗艦として、サラミスやマゼランで編成された12隻の艦隊がサイド6の警戒ラインを押してきたのだ。旧式艦が中心の編成とはいえ12隻も揃えばちょっとした脅威であり、サイド6は直ちに迎撃部隊を出撃させている。
 この押してきた部隊は再編成されたエゥーゴ部隊、ロンド・ベル隊である。その扱いは完全に消耗の大きい使い捨て部隊であったが、ついこの間まで敵同士であったことを考えれば止むを得ないだろう。ネオジオンに国を奪われて亡命してきたジオン共和国軍とは事情がかなり異なるのだ。
 旗艦だけはエゥーゴ時代の物を与えられたヤング准将であったが、指揮下には1年戦争型の旧式艦しかないという状況は頭を抱えたくなる物だった。マゼラン級はファマス戦役ですら旧式化が著しいと言われていた艦で、しかも連邦軍使用の艦は対艦用の砲戦型である。サラミス級も最新の母艦型に改修されてはいるが、搭載機は常用3機に過ぎない。今回の作戦では無理をして常用4機を詰め込んでいる有様だ。まあ強引に積めば6機以上詰め込む事も可能であるが、当然整備能力はガタ落ちになる。長期の作戦には向かない運用法だと言えるだろう。
 ヤング准将は自分の直属に戦艦1隻と巡洋艦6隻を置き、ブライトには戦艦1隻と巡洋艦4隻を任せて2つの部隊を編成していた。通信で第2部隊のブライトと今後の予定を打ち合わせていたヤングは、最後に彼に釘を刺しておいた。

「ブライト、随分と無茶な任務だが、腐るなよ」
「別に気にしてはおりません、貧乏くじはもう慣れましたから」
「流石、1年戦争でホワイトベースを指揮した男の言葉には説得力があるな」

 1年戦争においてホワイトベース隊はニュータイプ部隊として両軍に広く知られており、星1号作戦においては囮部隊として出撃し、ジオンの精鋭部隊を多数引き付けては連破してソロモンの戦力に無視出来ないほど深刻な被害を与えた。特にコンスコン艦隊を殲滅されたのは重大で、歴戦の指揮官と多くの艦艇、そしてベテランパイロット多数を失ってしまった。
 だがこれはホワイトベースにとっては嬉しい事ではなく、ついこの間まで融通の利かない士官候補生だったブライトは大尉に昇進した頃には立派な艦長になっていたが、その性格はかなり老成した物となっていた。
 だが本人はそのことを些か気にしているようで、ヤングの言葉にブライト自身はふてくされたような顔をしてもう慣れましたよと答えている。

 ロンド・ベル隊はサイド6の領空手前で2つに分かれ、それぞれの標的に向けて艦載機を送り出している。本隊からはクライン大尉の指揮で20機のジムVが出撃し、第2部隊からはアムロ大尉の指揮で12機のジムVが出撃し、それぞれに目標としたレーダーサイトの攻略に向かった。基本的にレーダーサイトはルナツーの物のように運んできた小惑星を改造して作るもので、一種の哨戒基地を指している。狙われたレーダーサイトには数機の哨戒機やMSを配備し、小型艦船が横付けできる埠頭も備えている。
 襲撃を受けたレーダーサイトは対空砲と配備されていたハイザックで迎撃をしたのだが、多勢に無勢はどうしようもなく簡単に破壊されてしまっている。急報を受けて駆けつけた部隊が到着した頃には既に連邦軍の姿は無く、攻撃を受けて機能を喪失したレーダーサイトの無残な姿を確認し、生存者を救出するだけに留まっている。




 この2度にわたる襲撃は事前の準備攻撃なのは間違いなかったが、どちらが狙いなのかでティターンズの判断は割れた。ルナツーを狙っているのだと言う者、サイド6を狙っていると言う者、そしてどちらも陽動であり、増援を送り出してグリプスの戦力が薄くなった所を襲うつもりなのだと主張する者も出ている。
 連邦軍の狙いがはっきりと特定できるだけの情報が得られていない事がこの混乱を呼んでいるのだが、足りない以上はどうしようもない。バスクも準備を進めていた迎撃部隊を何処に送るかで判断がつかず、どうした物かと悩んでいるところにまた襲撃を告げる知らせが飛び込んできた。

「バスク中将、大変です、グリプスとルナツーを結んでいた輸送船団が敵襲を受けました!」
「馬鹿な、そこは我々の内庭だぞ。どうして敵が入ってこられる!?」
「完全に不意を突かれたとしか……」
「ええい、どいつもこいつも何をやっておるのだ。弛んでおる!」

 まさかルナツーのこちら側にまで敵の侵入を許すとは、何処まで怠けていたのだ。バスクの怒りは敵よりも味方の無能へと向けられていたが、バスクは敵の狙いと同時に損害の大きさにも目を向けなくてはいけなくなってしまった。内庭を航行する輸送船団にも相応の護衛を貼り付けるとなると、戦力の手配が更に難しくなってしまう。

「それで、襲撃した敵はどうなった?」
「一撃を加えた後、姿を晦ませております。既に撤退したか、次の獲物を求めて何処かに潜んでいるのかは分かりません」
「何を言っておる、すぐに索敵を送って発見させろ、絶対に生かして返すな!」

 何を悠長な事を言っているのかとバスクは激怒したが、部下たちの反応は彼を満足させる物ではなかった。
 バスクは部下を下がらせると、参謀長のハーディン少将を呼び出して今すぐに動かせる部隊はあるかと尋ねた。その問いにハーディン少将はしばし部下とやり取りをした後、大規模でなければ出せる部隊があると答えた。

「10隻前後でよければすぐに動かす事は可能です。それ以上となりますと木星師団に頼まねばなりません」
「シロッコに頭を下げろと言うのか?」
「何分、閣下の命令で集結させました艦隊は順次ドック入りさせて整備を行っている最中でして。整備が完了して出撃可能な船となりますとそれくらいしか」
「グリプス防衛部隊の艦艇は出せんのか?」
「出せない事はありませんが、大半は教練部隊か旧式装備の2線級部隊ですから、出しても悪戯に損害を増やすだけかと。数少ない通常配備の部隊を動かせばグリプスが裸になってしまいます」
「……流石に、教練部隊を出すわけにはいかん」

 教官を失えば人材の育成が困難になり、今後の作戦が成り立たなくなってしまう。教官が前線に出る事態というのはもう敗戦が目前に迫っているとか、損害を気にしているような状況ではないほどに切羽詰っている時に用いられる最後の手段なのだ。敵の跳梁は確かに厄介であるが、まだそこまでする段階ではない。

「分かった、私からシロッコに話を通そう。貴官には索敵の方を任せる」
「はっ、分かりました中将。ですが、余り木星師団に借りを作るのもどうかと思います。それに敵の狙いがこちらの兵力の誘い出しという可能性もありますが?」
「仕方があるまい。だが、確かにシロッコに今以上に大きな顔をされるのも面白くは無い。その辺りの事はジャミトフ閣下と話をしてみよう」

 木星師団の扱いはジャミトフとシロッコとの取り決めで立場的にはジャミトフに服従しているが、実態は同盟軍だ。だからバスクからすれば忌々しい存在であるのだが、貴重な戦力でもあるので排除する事も出来ない。もし奴らが連邦に鞍替えするような事があれば戦力バランスが崩壊し、連邦軍の攻勢に対処できなくなってしまうからだ。
 だが木星師団の発言力が増すのも面白くは無い。だからバスクとしては適当に奴らを消耗させて戦力を削ぎ落としたいという考えを持っていた。

 しかし、地球のジャミトフとこの事を相談したバスクは、期待したような返事を得る事は出来なかった。ジャミトフはシロッコをぶつける事には同意したのだが、ティターンズ部隊も同行させるように言ってきたのだ。

「ですが閣下、ティターンズ指揮下の艦隊は現在連邦の大攻勢に対応する為に準備をしているところです。これを無駄に消耗するのは得策とは思えませんが?」
「何も大軍を出せというのではない、何隻か付けてやれと言っているのだ。シロッコを自由にするなという事だよ」
「シロッコを自由に、ですか。奴が勝手に何かすると?」
「奴は木星の意思を受けている。そして奴自身も内に強い野心を持っている。我々の眼の届かない所で好きにさせるのは危険過ぎるという事だ」
「なるほど、閣下もシロッコを信用はしていないのですな」

 ジャミトフもシロッコを利用はするが信用はしていないという事か。ついこの前もネオジオンのコロニー落としに対して独自に阻止行動に出て連邦と共同戦線を張るという独断専行をしている。その際に連邦の招きに応じて水瀬秋子と接触するなど、笑って見過ごせる範囲を超える行動をしている。
 ティターンズとしては当然警戒するべきであり、見張りとして信頼できる人間を監視に付けて置かなくてはならないだろう。

「とりあえずガディ中佐を送り込んでみます。彼なら任務に忠実ですし、シロッコに感化される事も無いでしょう」
「ガディ中佐か、ジャマイカン中佐ではないのか?」
「彼は現在予想される連邦軍の攻勢に対する迎撃プランの立案に当たらせております、そんな余裕は無いでしょう」
「仕方が無い、か。分かった、貴官に任せよう。近いうちに私もグリプスに戻るから頼んだぞバスク」
「は、お任せください閣下。ただ、出来ますならば地上から増援が欲しい所ではあります」
「……分かった、こちらで調整してみよう。幸い連邦の攻勢は止まっているから多少は回す事も出来るだろう。アーカットは良い顔をせんだろうがな」

 地上軍も決して余裕がある訳ではない。連邦軍は難攻不落の要塞基地ジャブローの奥で物資や兵器の生産、新型機兵器の開発を物凄い勢いで進めているのは確実で、情報で入っているだけでも次世代汎用機としてファマス系MSの流れを汲むジャギュア−の開発が進められていて、他にもゼク・アインの陸戦使用型やZプラスの全域対応型の開発も進められているという。Zプラスは既に試験隊が宇宙に配備され、宇宙軍と交戦したという報告も来ているので、ティターンズに深刻な焦りをもたらしていた。
 また、ガンダムタイプの新型の姿も確認されている。どうやらあの相沢少佐の手に渡ったようで、ダカールやインド北部に姿を現して猛威を振るった事が確認されている。概観からはこれといった特徴は見受けられないシンプルな機体だが、その為に何を狙って作られたのか判断し辛い機体でもある。ティターンズ技術部の判断ではMSの総合性能の向上を狙った実験機ではないかと見ている程度だ。
 これらの新型が投入されたらグーファーの優位も絶対的なものではなくなるかもしれない、という焦りが地上軍にはあった。現在の地上のバランスはゼク・アインすら寄せ付けないグーファー頼みであると言っても過言ではないからだ。

 通信を切ったバスクは、グリプスで進められている新型量産機の状況に関する報告書を取り出した。人類の生活圏が宇宙に拡大しても、相変わらず紙による書類は消えずに残っているのだ。これはデータは何らかの障害で消える事があるという問題に対処する意味もあるが、それ以上にセキュリティ上の要求である。結局、紙媒体による情報の受け渡しこそが機密を守る上で最高のセキュリティだという事だ。

「アナハイムの施設から接収した次世代MS、ジェガンか。これが完成すればグーファーの高コストに頭を悩ます事もなくなるのだがな」

 グーファーはとにかく高い、高コストと言われるエゥーゴのネロよりも更に高価なので量産も大変なのだ。これでもだいぶ量産が進んでコストが下がっているのだが、それでも洒落にならないほどに高い。
 だが連邦相手にはバーザムですら苦戦を強いられてしまう。ゼク・アイン相手にバーザムでは少し分が悪いようで、これに互角以上に戦えて、かつコスト的に安価な機体の配備が切望されているのが今のティターンズの実情だった。加えて操縦が難しく新兵には向かないバーザムの欠点の克服も望まれている。
 これらの要求を全て満たせそうなのがジェガンであった。性能的にはゼク・アインに対してやや不利かもしれないがコスト的に安価で、操縦性も良好で使い易い。完成すればマラサイ以来の主力機として使う事が可能になるだろう。
 出来ればそれまで大きな戦いはしたくないというのがバスクの本音であったが、連邦は待ってくれないらしい。あるいはジェガンの開発状況を把握されていてその前に動いたのかもしれないが、だとすれば厄介な話だ。

「今はそんな事を考えている場合ではないか、ガディ中佐を呼ばねばな」

 先ほどジャミトフと取り決めた事を進めなくてはいけない、そう頭を切り替えたバスクは、ガディ中佐を呼び出す事にした。これ以上連邦軍の跳梁を許すわけにはいかないのだから。





 バスクに出撃を命じられたシロッコは難しい顔をしてしまった。出撃そのものは受けたのだが、どうにも腑に落ちないという顔をしているのだ。

「どうかなさいましたか、パプテマス様?」

 後ろに控えていたサラが如何したのかと問う。その問いにシロッコはサラを振り返り、連邦の動きを如何見るかと聞いてきた。

「サラ、お前は如何思うね、敵のこの動きを?」
「輸送路の寸断を狙った攻撃に思われますが、誘っている可能性もあるかと」
「誘っているとは?」
「わざと目立つ事をしてこちらの兵力を引きずり出し、各個撃破するつもりなのではないかと。相応の戦力があれば不可能ではない筈ですし、消耗戦に引きずり込めば回復力に勝る連邦が有利になっていくのが道理です」
「その通りだな、バスクやジャミトフがその可能性に気付いていないとは考え辛いのだが、さてさて何を考えているのかな?」

 とぼけてみせたが、シロッコにはバスクの狙いが分かっていた。恐らくバスクは木星師団を連邦にぶつけて戦力を消耗させ、ティターンズ主力を温存するつもりなのだろう。自分がバスクに好かれているとは思っていなかったが、こうも露骨に悪意を向けられては流石に面白くは無かった。
 だが、バスクの狙いが如何あれシロッコはこれを受けた。その裏には連邦軍に勝てるという自信があったからだが、同時にティターンズ内に自分の名声をより広めるという狙いもあった。木星はこの戦争で地球圏に存在を誇示できれば良いという程度の考えで自分を送り込んだのだろうが、それに乗ってやるつもりは無い。せっかく掴んだこの機会を最大限に利用してやるつもりだったのだ。そしてその為には力が必要なのは当然の事である。

「さてサラ、君には偵察隊を任せよう。敵を上手く見つけてこれるかな?」
「お任せください、ポリノーク・サマーンの性能ならば何の問題もありません」
「期待しているぞサラ。さて、吉報を待つ間に私は部隊の用意をするとしようか」

 敬礼を残してサラが出て行く。それを見送ったシロッコは、オペレーターが別の艦隊が近付いてくる事を報告を聞いてそちらを見た。

「艦隊とは?」
「アレキサンドリアとサラミス3隻です。ガディ艦長の部隊のようですね」
「ガディ艦長、あの堅物か。なるほどお目付け役には最適というわけだ」

 バスクも自分の好き勝手させるつもりは無いという訳だ。だがこの程度の事は予想していた。味方として考えればガディは優秀な艦長であり、歴戦の指揮官だ。頼れる味方が来たと思えば悪い気はしない。
 
「ところで、頼んでいたMS隊の到着はまだなのか?」
「まだです大佐、どうやら訓練に出ていたようでして」
「ふむ、急な要請だったからな。遅れるようなら置いていくしかないか」

 出来れば到着して欲しいところだが、この任務にはスピードも重要だ。出遅れるくらいなら不十分な戦力でも出撃した方が良い。シロッコはいざとなればこのまま出撃する腹を固めていた。




 シロッコが待っていたMS隊は、ヤザン大尉のMS中隊であった。彼はその腕を買われて後方でMS隊の訓練を任されていたのだが、前線での任務を強く望んだ彼は教導隊に加わる事は頑として拒み通し、グリプス防衛隊所属という形に落ち着いている。今彼が鍛えているのも防衛隊所属のMS隊で、彼らはここで鍛えられた後他の部署に転属するのだ。
 シロッコが望んだのはこのヤザン隊であった。ヤザン隊はハンムラビで編成されたMS中隊で、その威力はかなり大きい。
 シロッコが呼んでいると聞かされた彼は、小躍りしてそれを引き受けた。久々に戦えると喜んだ彼は訓練を切り上げて基地に帰還し、新兵たちを集めて軽く訓示をして解散させた。

「よし、ラムサス、ダンケル、すぐにロンバルディアに行くぞ」
「了解です隊長」
「久しぶりの実戦ですね」
「ああ、血が騒ぐぜ。こんな後方で新兵相手の毎日じゃ退屈で仕方がなかったからな」

 根っからの戦闘狂であるヤザンは戦えるのが嬉しくてたまらないらしい。そしてラムサスとダンケルも久々の戦闘に血が騒ぐのを感じていたが、さあ行こうかという時にいきなりヤザンが離れていく新兵の首根っこを捕まえて説教を始めてしまった。

「ケン、何度も言ってるだろうが、お前は考えずに前に出すぎるって。その癖を直さんと戦場じゃ長生きできんぞぉ!」
「す、すいませんヤザン大尉!」
「俺の真似をするのはもう少し先にしておけよ。勇敢な奴は長生きするが、馬鹿は早死にするのが戦場だ、この違いは分かるな?」
「も、勿論であります!」
「ははは、ならいい。どれだけ分かったかは次の訓練で見させてもらう。それじゃしっかり勉強しとけ!」

 豪快に笑ってヤザンは捕まえた新兵の背中を押してキャットウォークの方に放ってやる。放られたケンという新兵は姿勢を崩してくるくると回りながらキャットウォークの仲間の方へと飛んでいき、仲間たちの来るなという叫びの中へと突っ込んでいってしまった。
 何だかんだ言いながらも、部下の面倒見が良い彼には教官という仕事は意外に向いているのかもしれない。



 
 連邦軍の嫌がらせにティターンズは過敏に反応している。少し離れたところから覚めた目でその様を眺めていた綾香は、このまま放置しておいて良いのかと同席者たちに問いかけた。

「全く、笑っちゃうような大騒ぎよ。たかが3回連邦軍の奇襲を許しただけで蜂の巣を突ついたみたいに大騒ぎ」
「しょうがないさ、ルナツーやグリプスへの攻撃は初めてだからな。しかも地上じゃティターンズは追い込まれてきてる、焦りもするだろうよ」

 藤田浩之は綾香の文句に気にするなという調子で答えた。彼はリーフ実戦部隊を預かる司令官でもあるが、リーフ自体に余りお呼びがかからないので後方で暇そうにしている毎日だ。来栖川が開発した汎用MSスティンガーもリーフには配備が進んだのだが、ティターンズへの本格的な導入はなされず、来栖川にとっては残念な結果になってしまった。性能的にもバーザムほどではないがマラサイに勝り、コストパフォーマンスの良いMSだったのだが。ティターンズはこの手の特徴が無いMSは気に入らなかったようだ。
 現在はティターンズの要請でエゥーゴから入手したジェガンのデータから実機の試作を始めているが、同時に小派生型の研究も進めさせている。完成すればすぐに陸戦型も要求してくるのが見えているので、今から進めさせているのだ。

「どうも、ティターンズと組んだのは間違いだったみたいね。会社の再建を期して負ける側についたなんて洒落にもならないわ」
「まあまだ負けたわけじゃないさ。俺のリーフは無傷だし、ティターンズ宇宙軍も健在だ。やりようはあるって」
「ちょっと浩之、何暢気な事言ってるわけ。リーフとティターンズが総力を挙げたって連邦宇宙軍に及ばないって事忘れてんじゃないの?」
「忘れてる訳無いだろ、そうカッカすんなって。ソレトモあの日か?」

 余計な事を言った直後、浩之の体は右側からの強烈な衝撃を受けて吹っ飛ばされ、床を転がって行ってしまった。

「浩之、女性に向かってそういうデリカシーの無い事言うと怪我するわよ?」
「け、蹴る前に言えよな……」

 スラリとした足を見事に振り抜いた姿勢で綾香がニッコリと魅力的な笑顔で浩之を窘め、浩之の方はダメージで起き上がれないのか床の上でプルプルしながら文句を返してきた。そして蹴って気が済んだのか、椅子に腰掛けて姉を見る。

「そこんとこ、姉さんはどう思ってるか聞かせてくれる。ティターンズと組むを決めたのは姉さんよ?」
「…………」
「姉さん、姉さんが決めた事ならあたしは従うわ。でもね、何でそう決めたのかくらいは話してよ。何も知らずに死ぬのは御免だから」
「綾香様、冗談でもそのような事を仰るのは!?」
「長瀬は黙ってて!」
「……コホン、綾香様、私を呼ぶ時はセバスチャンとお呼び下さいといつも言っているではありませんか」
「それ姉さんが付けたニックネームでしょ!」

 自分の剣幕にもまるで動じないこの老執事に綾香はさらに苛立って声を荒げたが、それで気圧されるようなセバスチャンではない。そして綾香がさらに何か言い募ろうとした時、それまで沈黙していた芹香が口を開いた。

「綾香、私が今の地球をどう思ってるか、知ってるわね?」
「それはね、西暦の頃と幾度かの戦争による環境破壊でボロボロになってる地球の自然を回復させたいって思ってるのは知ってるわ。その為に会社内に専門の部署まで設立したんだしね。でもそれが何なの?」
「……ジャミトフ閣下のお考えは、大筋で私のそれと一致するの。連邦の主だった方々の中で、あの方だけが私の考えを支持してくれました。だから私はジャミトフ閣下にお力添えをすることに決めたの」
「ジャミトフが、地球環境の再生を目指してるっての。権力の奪取と支配が目標じゃなかったわけ?」
「地球圏の支配はその為の手段でしかない。ジャミトフ閣下は環境再生に必要な人員を除いて地球から全ての人間を宇宙に追い出すつもりなのよ。この方法は地球を再建するのに最善の道だと私は思ったの」
「だから、ティターンズと手を組んだ、か」
「勿論、来栖川の為でもあるのよ。1年戦争後の新たな経済界の再編成の流れを覆すには、流れに乗っているティターンズと組む必要があった」

 1年戦争の前後で経済界は大きく変化した。地球人口の半数以上が死に、地球もコロニーも徹底的に破壊された地球圏ではそれまでの企業が生き残る道は無かったのだ。だから戦後に影響力を拡大したのは地球で生き残っていた一部の企業と、月に拠点を置いていた企業だった。アナハイムなどがその代表で、1年戦争で活躍した両軍の軍需産業などを買収して規模を拡大し、影響力を持つようになった。これに対して戦前の巨大財閥であった来栖川は生産拠点も市場も失い、急速に衰退の道を歩んでいた。ティターンズと組んで新たな顧客を獲得出来なければ来栖川は滅びていただろう。
 アナハイムやゴータ・インダストリーといった新たな権力と結びついた新興勢力に対抗するには、パートナーを欲していたティターンズと組むしかなかったのだ。そしてジャミトフからみても豊富な人脈と人材、そして権威を持つ来栖川と組む事は大きなメリットがあった。こうして来栖川はジャミトフを経由して新たな市場の開拓が可能となり、さらに連邦軍の装備調達の一部を回してもらう事で企業として生き残れたのだ。

「だから、私はジャミトフ閣下を信じた、これじゃいけない綾香?」
「……ジョン・コーウェンや水瀬秋子と組む道もあったんじゃないの?」

 連邦軍の中で影響力を持ち、穏健派の中心であった2人には話を持ちかけなかったのかと綾香は問い、その問いに芹香は首を横に振った。

「コーウェン将軍は政治力が無かった。そして水瀬提督は地球環境の再建に余り熱心じゃなかった。そして水瀬提督はゴートと組んでたから」
「エゥーゴはアナハイムと組んでた、か。悔しいけど選択肢が無かったのか」

 追い詰められた来栖川にはティターンズしか相方が残っていなかった、そしてそのティターンズのTOPは来栖川のTOPと理想という部分で共感し合えるものを持っていたことが、今の関係を生み出してしまった。それは来栖川にとって悲しむべき事だったのかもしれない。選択肢など最初から無かったという事なのだから。
 綾香は諦めたように首を左右に振り、そして冷めたコーヒーを口に運んだ。言いたい事は幾らでもあるが、姐は自分の求めに応じて答えをくれたのだ。ならば自分は自分の仕事をするのみ。状況を改善する為に最善を尽くすことが今の自分の仕事だと割り切ったのだ。

「それじゃ、リーフはリーフで作戦計画を練るとしますか。浩之、何時までも寝てないであんたも仕事しなさいよ!」
「だ、誰のせいだと思ってんだお前は……」

 良い蹴りを食らって転がっていた浩之はいまだ回復しておらず、床に蹲ったままであった。司令官がこんな扱いで良いのだろうか。




後書き

ジム改 ティターンズはかなり困ってます。
栞   戦力のやりくりに苦労してますね。
ジム改 バスクが自由に出来るのはティターンズだけだからねえ。
栞   派閥争い、なんてレベルじゃないですねえ。
ジム改 数が多いのに問題起きてない連邦はこういう面では有利なのだ。
栞   官僚主義の強みですね。前例が無い事態には脆いですけど。
ジム改 そういう事態に対処する為にTOPに優秀なのが居るのだ。
栞   でも、シロッコさんが出てきたら誰が戦うんです?
ジム改 案ずるな、宇宙でもそろそろ新型がお見えしても良い頃だし。
栞   ……新型、やっとですか。長い事聞かなかった言葉です。
ジム改 ずっとジムとゼクで戦ってたからねえ。
栞   mk−Xやツヴァイは少数作って終わりでした、あれは酷いです!
ジム改 お前だけは良い機体乗ってただろ?
栞   地上じゃ使えないじゃないですか。それでは次回、迎撃に出たシロッコの前に再び現れる最強の女性たち。そしてヤザンが少し危険な戦いを始めてしまう。次回「窮屈な二重奏」で会いましょう。