112章  キャスバルの苦悩


 

 宇宙世紀0089年11月1日、これまで水面下でひっそりと維持されてきた外交ルートを通じてキャスバルの元に信じ難い連邦からの提案がもたらされた。それは連邦が講和の条件交渉を始める意思を示した物で、連邦からネオジオンに対して条件を提示してきたのだ。
 ただ、その内容は中々に凄まじい物であったのだが。

「ようするにサイド3から出て行き、アクシズ内に引き篭もっていろという事だな」

 連邦から送られてきた条件を読んだキャスバルはそう呟いて渋い顔をしている。連邦政府はジオン共和国の残党であるダニガン中将たちにサイド3の解放とジオン共和国の再建を約束しており、またザビ家の完全否定という連邦政府の立場からもネオジオンの存在を容認する事は出来ない。
 その連邦がネオジオンの存在を限定的とはいえ認めるというのだから譲歩といえば譲歩なのだが、ネオジオンとしてはふざけるなと言いたい所だろう。ジオン公国の正当な後継者を自称するネオジオンとしてはジオン共和国は卑劣な裏切り者が建てた連邦の傀儡政権であり、彼らを妥当してサイド3に帰還するのは当然の事なのだから。
 デラーズであればこのような文書を見れば握り潰して暖炉にでも放り込むだろうが、キャスバルがそれをする訳にはいかない。出鱈目な条件ではあるがこれまでの交渉で始めて連邦が向こうから譲歩を見せてきたのだ。これは一定の前進であるのは間違いない。

「これはあれか、水瀬秋子が倒れた事と関係しているのかな。どう思うカイザス?」

 キャスバルの執務室で向かい合うように腰を下ろしている数名の高官の1人にそう問いかけ、問われたカイザスという高官は少し考えてからそれに返答した。

「恐らくはそうだと思われます。連邦宇宙軍は長く続いた戦乱で熟練の将帥の殆どを失い、先のサイド1からの撤退戦で老練なリビック提督も失っております。そんな中で水瀬秋子提督は連邦宇宙軍を支える大黒柱のような存在、その柱を失ったとあれば、連邦政府が弱腰を見せたのも已む無き事かと」
「では少なくとも停戦の意思は本物だと?」
「少なくとも、このルートで欺瞞情報を流す理由が連邦には無い筈です」

 カイザスはジオン公国の頃から政治に携わってきた男でネオジオン成立の影の功労者の1人だ。ジオン公国の敗戦後は月の地下へと潜り、そこでじっと時が来るのを待っていた。アヤウラが地球圏に帰還して来た際に協力を取り付けた要人の1人でもあり、アナハイムとの裏取引を取り持つなど幾つかの政治工作にも関わっている。
 ネオジオン成立後はキャスバルの補佐役として手腕を振るい、キャスバルから信頼されているブレーンとなっている。
 そのカイザスが連邦が講和の意思を明確に示してきたのは、この戦争を終らせる考えがあるということだろうと断言したのでキャスバルもなるほどと頷いたのだが、今度はホルスト・ハーネスが意見をした。老獪という言葉が似合いそうな初老の官僚軍人で、ネオジオン内で政治活動に勤しんでいた男だ。

「総帥、この提案自体は確かに一定の成果といえますが、それを喜ぶのはまだ早いかと思われます」
「と言うと?」
「我々が連邦との講和を模索していたように、ティターンズも連邦と交渉を行っていた筈。連邦はどちらかと手を結んでもう一方に全力を投じるつもりではありますまいかな?」
「つまり、連邦は我々とティターンズを天秤にかけているかもしれないということか」
「乱暴な言い方になりますが、条件の吊り上げを狙っているとも言えますな。より連邦にとって魅力的な条件を提示した側と手を打ち、2正面作戦に切りを付けて総力を持ってもう一方を叩き潰すというのが連邦の描いている未来図でしょう」

 特に宇宙軍は戦力を完全に二分されている状態なので、どちらかに全力を投入出来るようにしたいと考えるのは当然の戦略だろう。そして現在の戦況を考えると、連邦はティターンズと講和する算段が大きいとホルストはキャスバルに答える。

「今我々と講和するよりも、ティターンズと講和した方が色々と楽になるでしょう。そう考えますと、相当な譲歩を見せねば我々が連邦の気を引く事は出来ないかと思われます。ただ……」
「国内がそれを受け入れるか、か」
「はい、特にデラーズ総長ら軍令部、艦隊司令部は間違いなく反対に回るでしょう。悪くすれば、いえほぼ確実に内戦です」
「ホルスト、口が過ぎるぞ!」

 他の高官が言い過ぎているホルストを注意して止めさせる。ホルストも少し熱くなっている自分に気付いたのか、恐縮して口を噤む。だがホルストの言った事も間違いではなく、連邦に膝を折っての講和という事態になれば間違いなく内戦が起きるという事くらい誰でも予想出来てしまう。
 デラーズの持つ軍部からの圧倒的な支持と、ザビ家の血を引くとの噂があるグレミー・トト。この2つのカードが揃っているという事を考えるとキャスバルとしては困ってしまう。一応ネオジオンの統合の象徴はミネバ・ザビなのだが、グレミーという存在が噂と共に公になるにつれてネオジオン内でも戸惑いが広がっている。あのデラーズが傅いているのだから、グレミーは本当にザビ家の嫡子なのではないのか、という噂がまことしやかに囁かれている。
 これがネオジオン分断の呼び水となる事は疑いようも無いのだが、デラーズはそれを覚悟しているのか止める様子も無い。むしろより対決姿勢を鮮明にしてきている。もし仮に内戦となった場合、キャスバルに確実に味方すると言えるのはダイクン派だがその戦力は全体の1割強という所だ。味方と言えるカーン派を加えても半数には届くまい。まして精鋭の古参兵たちやNTの大半は向こう側なのだ。シェイドは責任者の高槻博士がどちら側にも付こうとせずにフラフラしているので分からないが、あの狂人ならば自分の研究を好きにやらせてくれる方に味方するのだろう。
 そして完全に浮いた存在となっているファマス勢とエゥーゴ残党であるが、彼らはどちらにも付こうとせず静観を決め込んでいるようだ。ファマス勢はア・バオア・クーにあって連邦と対峙しており、内輪の揉め事になど関わっているような余裕は無い。そしてエゥーゴ残党はそもそも戦力と看做されていない。完全にバラバラにされて各地の穴埋めに使われてしまっている。ジョニー・ライデンのような旧公国軍系の人間はそれなりに配慮されているが、旧連邦軍系や民間から入った者などはかなり酷い目にあっている。ただカミーユなどのように特別なスキルを認められて厚遇されている例もある。

 このような状況を揶揄して、ネオジオンの下級兵士は「俺たちは総帥と総長の派閥で戦うついでに連邦と戦争をしている」などとぼやいている。連邦やティターンズは結束して総力戦をしているのにこちらは味方と戦うついでに敵と戦っているのだ。これで勝てるわけが無いと。
 現場の将校たちも兵士たちに同調しているのか、周囲の目が無い所では愚痴を咎める事も無くなっている。ア・バオア・クーやアクシズなどでは中央への不満がそれだけ溜まっているという事だ。実際、ファマス勢の中には先の戦争の知人を頼って連邦なりジオン共和国なりに落ち延びた方が良いのではないかと言い出す者も出ている始末だ。コンペイトウの連邦軍との戦いで戦死したとされている者の中に連邦に寝返った者が確実に居るだろう。



 連邦の提案という名の降伏勧告を前にキャスバルたちがどうするかと話し合っていると、執務机のインターホンが鳴ってキャスバルを呼び出した。秘書官のナナイ・ミゲル大尉の声だった。

「総帥、また共和国残党のテロが発生しました」
「ナナイ、今は忙しいのだ。それは軍と警察に対応させくれ」
「既に出動しています。ただ、被害の規模がこれまでとは比較になりません。コア3の軍需工廠区画で大規模な爆発が連鎖的に発生し、一帯は火の海です!」
「…………」
「加えて宇宙港でも爆発が発生、出航しようとしていた巡洋艦が煽られて内壁に激突し、擱坐してしまいました。こちらは現在工兵隊が切り離し作業を行っています」

 テロ、というレベルではない大損害だ。これまでにもリニアトレインの線路が爆破されたり、警戒中の車両が襲われたり倉庫が吹き飛ばされたりした事はあったが、それらは全て限定的な被害に留まっていた。嫌がらせ程度のものであり、対応は警察に任せて置けばよかったのだ。
 しかし今度の被害は嫌がらせなどというレベルではない。敵軍の攻撃を受けたといっても過言ではない大規模破壊だ。これほどの攻撃をレジスタンスが自力でやって見せたというのだろうか。
 キャスバルは余りの被害の大きさ呆然としてしまったが、ナナイの自分を呼ぶ声に我に返るとすぐにコア3駐留部隊を動かして事態の対処と実行犯の捜索を行うように命じた。そして部下たちの方を見ると、肩を落としてしまった。

「これからどうするかを話し合っている時に、このような事が起きるとはな」
「レジスタンスがやったとは思えません、連邦軍の破壊工作ではないでしょうか?」
「いや、我々はレジスタンスを甘く見すぎていたのではないか。内部に連中の同調者が紛れ込み、謀を進めていたのかもしれん」
「そんな事は後だ、今我々が話さねばならんのはこれからどうするかだろう!?」

 突然の事に執務室の中は大騒ぎになり、誰もが勝手な事を言いあっている。その喧騒の中でキャスバルは頭を抱えたい気持ちをじっと押さえ込んでいた。何でどいつもこいつも人の足を引っ張るのか、もしここに誰も居なければそう怒鳴っていた事だろう。





 ネオジオン内の最大の反連邦組織である共和国解放戦線と自称するレジスタンスは、連邦の支援を受けながら確実に勢力を拡大していた。その規模はキャスバルたちの予想を超える大きなものへと成長してしまっていた。
 元々ジオン共和国の生き残りのスタッフが優秀だった事もあるが、兵站を取りしきる椎名華穂と作戦を立てているユライア・ヒープが特に厄介だった。連邦から受け取った物資や資金、人員を効率よく華穂が分配し、それをユライアが効果的に使って色々な作戦を遂行している。とはいってもレジスタンスが単独でやる事の出来る作戦はこれまでのように嫌がらせが中心でネオジオンの軍事行動に制約をかけるほどの成果を上げる事はこれまで出来なかった。
 確かに指導部は有能だったし、現場で働いている工作員や戦闘員にも共和国軍の軍属がかなり混じってはいるのだが、その主力はやはりネオジオンの統治に反発した一般市民なのだ。彼らに銃を渡しても正規兵ほどの活躍は望めず、ひたすら不意打ちを繰り返すだけの通り魔的な戦いを繰り返すしかない。しかもこのやり方は無関係な一般市民を巻き込む事も多く、止むを得ないとは分かっているのだがやはり良い気はしない。元々レジスタンスの活動とは無関係な人間を巻き込むものではあったが、正気の人間にはそれは辛い現実である。
 ただ、彼らの活動も連邦からの支援によってだんだんと活発化していて、参加しているメンバーにも経験豊かな者が増えてきていた。この状況を鑑みてヒープは1つの作戦を進めていた。それが軍需工廠や宇宙港の同時爆破工作だった。元々かなりの数の工作員を工廠施設や民間業者として紛れ込ませていたので、工作を仕掛けるに当たっての最大の障害である内側からの協力者の確保は問題なかったので華穂もこれを了承していた。

「作戦は了解しました。爆薬類の手配も可能です」
「では頼む、俺は現場の方の取り纏めをしなくちゃいかんからな」
「ですが、良くこのような無謀な作戦を思い付きますね。一歩間違えばこちらの被害も黙視出来ないものになる」

 華穂はそのリスクは覚悟の上かと問い、ヒープが何も言わないのをみて困ったものだと頭を軽く左右に振った。

「ヒープ大佐、この前も13番倉庫区画の支部が治安部隊の突入を受けて壊滅したばかりなのよ。少しは慎重になった方が良いわ」
「そ、それは否定できないんだが、こっちにも事情って奴があるんだ。何しろ成果を上げないと人が集まらない」
「素人を10人集めるよりも、連邦から訓練を積んだ兵士を何人か回してもらった方が余程役に立つわね」
「いやいや椎名さん、何もかも連邦に頼るのは良くない。出来る事は自分たちでやらないと将来困る事になる」
「それは分かるんだけどね」

 役人の華穂からするとヒープ大佐の主張は無理をしすぎに思えるのだが、軍人のヒープにしてみれば敵とは言わないが味方とも言いたくない連邦に頼り切りになるのは嫌だという事情もあった。また確かに余り頼りすぎると政治的に更に面倒な事態になる事も予想される。
 双方の考えに違いはあったが、基本的に華穂はヒープの要請になるべく答えるという方向で動いていたので、ヒープがやると言ったらやるのがレジスタンスの方針となっていた。ヒープが引く時は華穂が台所事情を理由にした時くらいだろうか。このワンマン体制ゆえに苦い失敗もあり、幾つかの支部が摘発されて壊滅の憂き目にもあっている。その都度慌てて本部を移動させているのだが、逃げる先が用意できるというだけでもレジスタンスが広範な層の支持を受けていたという事の表れだろう。
 サイド3の住民全体からの広範な支持を得てレジスタンスは各地で活動を行っていたが、遂にその手がネオジオンの軍事施設へと向けられる事となった。複数のチェックを掻い潜る為にこれまで潜り込ませた工作員と民間の協力者が大いに役に立ち、持ち込まれる筈が無い爆薬が施設内へと運び込まれてしまう。一度中に入られてしまえば施設内の警戒はさほどでもなく、また内部の人間ゆえに疑いを持たれる事も無く施設内を動き回り、工廠施設と宇宙港は破壊されてしまったのだった。




 ただ、これはネオジオンの警戒態勢がお粗末だったというよりも、置かれている状況ゆえに防ぐ事など出来ない問題だったといえる。アクシズの数万人の人的資源だけでサイド3の生産力を生かすことは不可能で、サイド3の住民と生産施設を積極的に活用する必要がどうしてもあった。だがそれはレジスタンスの浸透を許すという結果を招き、今回のような事件に繋がってしまった。前から意図的なサボタージュによる生産の遅延などは問題視されていたが、取締りを強化しようにも実態の把握が困難で効果は上がっていなかった。厳しく取り締まれば逆に作業員たちの反感を買ってストライキを起されたりする。
 ダイクンの嫡子というキャスバルの威光はそれなりの効果があったが、それでもサイド3の全住民を1つに纏め上げられるものではない。これはネオジオンの基盤の脆弱さの問題なのでどうする事も出来なかったのだ。アヤウラもこの問題に挑んだ事があるのだが、恐怖で押さえつける以外に打つ手無しと匙を投げている。外側から入ってくる外敵を防ぐなら可能だろうが、内側から蝕んでくる虫は潰しても潰しても次が湧いてくるのでキリが無いからだ。

 この種の問題はティターンズも抱えていたが、こちらは恐怖によって押さえつけるという強硬手段を用いていたのでサボタージュなど問題は深刻ではなかった。ただし力で押さえつけている為に反感も大きく、生産の効率は良いとは言えなかったが。グリプス2はコロニーレーザー砲に改造されているがグリプス1は依然として軍需コロニーとして使われており、ここの作業員として相当数のサイド6の住民が動員されている。また同様にグリプス2の改造にもサイド6の住民がかなりの数動員されており、ティターンズも連邦から奪った人的資源に頼っている構造が伺える。
 ただティターンズはネオジオンと違って集めた人材を全て収容施設で完全に管理しているので、破壊活動のような反逆行為を許した事は無い。現地の施設と人材をそのまま流用するしかなかったネオジオンと、あらかじめ準備をしてから事を起こす事が出来たティターンズの差だろう。
 ネオジオンも力で民衆を押さえつけようと思えば出来たのだが、政治はキャスバルの領分であり、キャスバルはその手の弾圧を嫌う潔癖さを持っていた為にその種の行為は出来なかった。かつてのギレン・ザビであれば反抗する者を弾圧するのに何も躊躇う事は無かったであろうが、この辺りの潔癖さというか、ある種の理想主義がキャスバル・ダイクンの政治家としての限界かもしれなかった。




 内憂外患というべき現状にキャスバルは頭を痛めていたが、とりあえず内憂の事は脇においておいて外患の事を話し合いだした。

「それで、現状の脅威であるソロモンの奪還だが、これは可能なのかダンジダン少将?」

 ダンジダン・ポジドン少将、生粋のザビ派の将軍であり、ドズルの傘下で勇名を馳せた名将だ。1年戦争後は指揮下の部隊を伴って潜伏しており、アクシズの帰還を見てこれに合流している。旧公国軍上がりの生粋のジオニストという点ではデラーズと良く似ているが、デラーズとは異なり政治的な動きには興味を示さず、ネオジオンの旗印として擁立されているミネバ・ザビに絶対の忠誠を誓っている。ネオジオンにあっては珍しい生粋の武人肌の男だった。
 キャスバルに対してもミネバから全権を委ねられている総帥だから従っているという立場であるが、それだけのキャスバルがミネバを放逐しようとしない限りは敵に回る事は無い人物でもあった。今のキャスバルにとっては貴重な信頼出来る職業軍人の1人となっている。
 ダンジダンは連邦との講和に関する話題には一切口を挟もうとはせずこれまで目を閉じ、じっと沈黙を守っていたのだが、話題が軍事に移ったとみるとようやく目を開けてキャスバルの目を見てきた。その猛禽を思わせる鋭い眼光には歴戦の将帥としての凄みが見て取れ、周囲の文官や参謀たちが気圧されている。

「ア・バオア・クーはチリアクスが良く支えております。連邦も水瀬が倒れ、指揮系統の建て直しに今しばらくの時間がかかりましょうから、敵がすぐに動くとしても1ヶ月はかかりましょうか」
「すぐに動く事は無い、と思うか?」
「連邦の主敵はあくまでもティターンズであり、我々はその後に片付ければよいと連邦軍は考えているでしょう。私が連邦でもそうします。何故ならばネオジオンはティターンズに比べて遥かに弱い相手だからです」
「…………」
「最も強大な敵を最初に全力を持って叩き潰すのは戦の常道。連邦の戦略は当然の物と言えるでしょうな」

 ダンジダンの指摘にキャスバルは露骨に不快そうな顔をし、文官や参謀たちもある者は怒りに顔を紅潮させ、あるものはそれを通り越して青くなっている。自分たちを連邦は相手にしていない、ダンジダンはそう言っており、それは自分たちが舐められているという事を意味している。幾らなんでもこれほどの侮辱を受けて我慢出来るような者は中々居ないだろう。
 だが、ダンジダンを面向かって罵倒できる者もまた中々居ない。軍部ではデラーズやチリアクスといった歴戦の将帥だけだろう。キャスバルは立場的には彼の上に居るのだが、やはりダンジダンに対してはデラーズに対するのと同様の遠慮が見て取れてしまう。まだ30歳の若いキャスバルに彼らを完全に部下として扱うのはまだ無理なのだろう。最もデラーズはともかくダンジダンは内心は分からないが表面的には完璧にキャスバルの部下として振舞ってくれているので、デラーズのような問題は起きていなかった。
 ダンジダン少将は居並ぶ者たちの顔色の変化を楽しむように暫く視線を走らせていたが、それにも飽きたのか話を続けた。

「仮に連邦がア・バオア・クーを重視し、これの攻略を目論むのであれば、現地の戦力だけでこれを食い止める事は不可能ですな」
「しょ、少将、戦う前からそのような……」
「不可能な物は不可能だと言う他あるまいが。ア・バオア・クーに駐留するのは我が軍の精鋭だが、その数は連邦の1個艦隊分にも遠く及ばん。2倍の敵ならば食い止めても見せようが、3倍4倍で来られれば歯が立つ筈も無い」

 連邦が本気でこちらに来るという事は、数個艦隊が一度に差し向けられる事を意味する。ア・バオア・クーに配備されている艦艇は戦闘艦艇と支援艦艇を合わせて60隻程度になっているが、連邦がコンペイトウと呼ぶ前線基地ソロモンにはこの2倍以上の艦が配備されて守りに付いている。
 これだけでも脅威であるが、もし連邦が本気を出せばサイド6に対してやって見せたように平然と数百隻の大艦隊を、戦闘艦艇だけでも200隻を越える大軍を差し向けてくるだろう。そんな化け物のような大軍が相手となれば多少の質の差など何の意味も無い。キャスバル期待のNT部隊や強化人間部隊を全て投入しても勝利は見込めないのだ。
 連邦に勝つと言うのは容易いが、実際にそれをやるのは容易ではない。これまで寡兵でソロモンの連邦軍と対等に戦っているのはチリアクスたちが健闘しているからで、MSの性能差が物を言っている訳ではない。

 また、パイロットの質では連邦の方が優位になっているのは間違いが無い。ネオジオンは一部の古参兵や強化人間を除けば十分な訓練を積んだパイロットが多いとは言えないからだ。何しろ何処の派閥も子飼いの古参兵を手放そうとはしないので、最前線に配属されるのは教育を終えた新兵ばかりなので消耗が激しい。ア・バオア・クーのチリアクスはファマス戦役を戦い抜いた部下たちから教官を選抜して送られてくる新兵を鍛えさせていたのだが、それでも数で押してくる連邦軍との戦いを生き残るのは容易ではなかった。
 連邦もパイロットの数が十分とは言えないのだが、教育システムが軌道に乗った事もあって消耗に補充が追いつくようになり、若干余裕が生まれてきている。ベテランが足りないのは相変わらずであるが、新米パイロットは増えていたので交代要員を確保する余裕が生まれ、生存率が向上していたのだ。生き残れた新兵は経験を次に生かすことが出来る。多少でも実戦を経験すれば次ではパニックを起さずに戦えるし、周りも見えるようになるし声も聞こえる。それは更にパイロットの生存率向上に繋がっていく。
 この差がネオジオンを蝕み、質の低下を招いている。だからこそネオジオンは強化人間や、まだ表立っての物ではないがシェイドの研究と量産を行い、一発逆転の決戦思想に走る事を選択させられている。これでもまだ地球圏に帰還したばかりの頃はそれなりに正攻法で連邦に勝とうと考えて可変機などではなく堅実なザクVやドライセン、ガ・ゾウムを開発して頑張っていたのだが、苦戦が続くにつれてNT専用機などの特殊なMSばかりを作るようになり、更に苦戦を強いられるようになった。


 ただ、ア・バオア・クーのチリアクスたちはキュベレイやゲーマルクといったNT専用機には余り頼らず、もっぱら在来機による正攻法で戦い続けている。キャスバル率いるペズン攻略部隊でもNT部隊の打撃力頼みだったのを考えるとかなり変わっていると言えたが、だからこそまだア・バオア・クーは持ち堪えているとも言えた。チリアクスたちはNT専用機の瞬間的な打撃力の凄さは認めていたが、これを頼りにした作戦は立てようとはしなかった。NT専用機は持続力に欠けるので一度暴れたらそれで終わりとなる事が多く、しかもパイロットの消耗が大きいので連続して投入するのも難しい。更に失ったら補充は殆ど絶望的という酷さなので、勿体無くて前に出せないという事情もある。

 現在もア・バオア・クーで守りに付いてくれているチリアクスたちであるが、遠くに居るおかげで中央の政争とは無縁の立場で居る事には素直に感謝していた。時々サイド3の新首都コア3に報告の為に召還される事はあるが、どの派閥からも嫌われている事をこれ幸いと腐臭のする中央から離れ、敵との戦いにだけ集中していられた。
 チリアクスに言わせれば中央でキャスバルやハマーン、デラーズたちと顔を付き合せて実りの無い議論を繰り返すくらいならソロモンに居るクライフ・オーエンス中将と用兵を競っていた方がマシだそうで、これを聞かされたア・バオア・クーの司令部要員たちは爆笑していたらしい。
 ア・バオア・クーの人間からすると本国の連中は碌な補給も寄越さないくせに命令だけは寄越してくる使えない奴らなので、キャスバルからデラーズに至るまで等しく人気が無かった。むしろ顔を見せる度に物資を持ってきてくれるアヤウラの方が人気があるくらいだ。
ア・バオア・クーの将兵としては物資と兵器を十分に寄越せばソロモンを突破してみせると豪語したい所なのだが、現実は厳しい。連邦が整備していたア・バオア・クーの施設は立派な物で、帰還してくれば例え大破していてもすぐに戦列復帰させてくれる艦船用ドックや各種弾薬や兵器、消耗部品を生産する事が出来る工廠に大型の動力炉まで供えている。1年戦争後に連邦軍が整備し直した施設の数々はまさに宝の山であったが、それを生かしきるほどの物量を彼らは持っていなかった。宇宙港の空きを寂しそうに眺める艦艇乗組員たちの視線はここでは見慣れた光景であった。


 ただ、本国にも事情があった。キャスバルもデラーズもア・バオア・クーに居る連中を捨て駒のように扱ってはいたが、あそこが連邦との戦いの最前線であり、戦力が不足して連邦に抜かれるような事があればサイド3が戦場になってしまうのでチリアクスからの補給や増援の要請を無視する事も出来ない。幾らなんでも補給や増援無しで連邦との消耗戦を戦い抜ける訳がない。
 だからア・バオア・クーの将兵は文句を言っていたが、これでもネオジオン軍の中では補給は最優先で回されている方だった。本国が送ってこないのではなく、出したくても本国にも必要な物資や兵器が十分に残っていないのだ。それだけに問題は深刻であるといえる。特にこの間はペズン攻略で本国に残っていた余力を吐き出してしまったので兵站は火の車となっているのだから。





 これらの問題を抱えるキャスバルが早期の終戦を考えるのは当然の流れだったろうが、問題は連邦政府にネオジオンとの戦いを打ち切る気があるかどうかであった。このとき連邦政府は確かに戦線の縮小を望んでいたのだが、大統領を含めて政府の主要スタッフはティターンズとの停戦を考えていた。
 ティターンズとネオジオン、どちらが手強いかと言えばやはりティターンズであり、一度ティターンズとの戦いを終らせてまずネオジオンを叩こうと考えた者が多かったのだ。そうすれば早期に地球圏に安定を取り戻す事も可能となり、崩壊寸前の連邦の再建を始める事も出来る。クリステラ議員もこちら側の考え方で、政府の意見は大体ティターンズとの停戦で統一されようとしていた。
 ただ、倉田議員などの一部有力者たちと軍の指導部はネオジオンと停戦してティターンズの殲滅を主張している。これはティターンズの方がネオジオンよりも手強く、全力で叩くのならまずティターンズであるとする主張で、最も厄介な相手を先に潰そうという軍事的な観点からの主張であり、ネオジオンは放っておいても早期に内紛で自壊を始めるだろうからそれを待って始末すれば良い、と考えている。
 政府が割れている中で、軍部がティターンズの討伐で一致団結しているのはティターンズが身内の裏切り者だからだ。秋子をはじめ現在の連邦軍の前線を支えている将帥たちはいずれもティターンズに背中から撃たれて敗走させられるという屈辱を味合わされており、ネオジオンよりもティターンズを憎んでいる者が多いのだ。
 ティターンズを潰せと言う声は軍の指導部ばかりか前線の将兵からも上がっている。これは2正面作戦と言いつつもネオジオンの相手をしているのは実際には宇宙軍のごく一部であり、世界中で激しく戦っているのは連邦とティターンズだけだからだろう。特に宇宙艦隊司令長官代理となっているエニー・レイナルド中将は反ティターンズ派の急先鋒として名高く、秋子からティターンズ方面を任されて1年もの間、同方面の戦線を支え続けてきた勇将だ。秋子ほどではないが将兵の人望も厚く、もし彼女がティターンズとの妥協を力ずくで止めようとすれば厄介な事になると見られている。
 ようするに、長く続いた戦乱が文民統制という原則を崩壊させ始めていたのだ。既にファマス、ッティターンズ、エゥーゴと連邦軍は短期間で3度も裏切り者を出した連邦政府が軍部を信用し切れないのも当然だ。政府の要人に友人が多い秋子はまだしも、タカ派なコーウェンや政治的に動いて軍の権限拡大を図るゴップなどははっきりと疑いを持たれていた。


 連邦の政治家が軍人に向ける疑惑の不安の眼差し、それに気付いた人間がどれだけ居ただろうか。1年戦争以降の連邦は軍部の影響が強くなりすぎ、バランスが崩壊して彼方此方に歪みが出ていた。この現状を憂いた久瀬中将は火星のジオン残党軍と結託し、ファマスを結成して連邦を牽制しうる勢力を作ろうとしたのだが、結局連邦の底力の前に屈してしまった。ただファマスに対する初期の大敗とその後の苦戦は軍部の権威を落とし、ゴップたちの失脚へと繋がったので全くの無駄だったとは言えないだろう。
 ただ、ファマス戦役やデラーズ紛争などでジオン残党の脅威が再認識される事になり、対ジオン残党用の特殊部隊としてティターンズが結成されてしまった。連邦政府はこの特殊部隊に大きな権限を与えて残党の掃討を目論んだのだが、結果的にティターンズは飼い主の手を噛み、クーデターを起してしまう。さらに過激というレベルを超えた取締りを行うティターンズに反感を抱いた者たちがエゥーゴを結成してこれまた連邦から離反し、激しい内戦を繰り広げる事になった。政府は首都のダカールから脱出してジャブローに逃げ込むという屈辱を味合わされた。
 恐らく、ジャミトフは政治家や官僚たちの軍人に向ける劣等感と苛立ちに気付いていたのだろう。その弱腰ぶりを嘆いてジャミトフは連邦を見限った。そしてブレックスも政治家の弱腰を非難して自分がティターンズを打倒すると挙兵している。そして昔にはレビル将軍もやはり連邦政府の惰弱振りを糾弾しており、タカ派の軍人はどいつもこいつも政府に根強い不満を持っていた事が分かる。 
 こんな連中が蔓延っていれば、政府も軍の忠誠心に不信感を持つのも当然だろう。そして使える軍人でありながらハト派で政府方針に忠実な秋子を頼りにするのも当然の成り行きで、それだけに秋子が倒れた事が政府にとってどれほどの衝撃であったのかは他者には想像できない物であったろう。突然弱気になって停戦の方向に動き出したのも秋子が倒れた事で1年戦争が終った後のような軍部の暴走が再現してしまう可能性に怯えたのだ。秋子が敵を打倒して英雄となっても連邦に牙を向く事は多分無いと思われていたから、それが連邦にとってはベストの終らせ方だと政府は考えていたのだが、彼女が倒れて他の誰かがその座に着けば、また軍閥政治状態になりかねない。
 
 既に戦争の流れは軍事的な理由ではなく政治的な理由を孕んで新たな方向を向き始めた。連邦の中でもまだ意見が纏まっていない停戦であるが、ネオジオンのキャスバルはこの細い糸を掴む為に頭を悩ませる事になった。このまま戦い続けてもいずれ負ける、という事はネオジオン政府内で統一した見解であったから。
 ただ、デラーズ率いる軍部は政府の思惑と歩調を合わせるとは思えず、何処かで何らかの衝突が起きる事は確実だろう。その被害をどれだけ小さく抑えられるか、それがネオジオンの行く末を決める分岐点となるだろう。




後書き

ジム改 ネオジオンの事情は中々に深刻です。
栞   何処の帝国軍ですかこの人たち?
ジム改 元々のジオン公国軍でさえギレン、ドズル、キリシアの3派に割れて戦ってたくらいだし。
栞   それにしたって限度ってものがありますよ。
ジム改 まあここまで酷くなったのは、後付でドイツ的と日本的な駄目さが加わったせいでもある。
栞   ティべとかジークフリードとかですか。
ジム改 何時の間にかジオン=日本頭のドイツ風という形が出来てしまったんだよね。
栞   で、それとこの状況とどんな関係が?
ジム改 うむ、元々ZZだけならここまで複雑じゃなかったんだが、色々入ったせいでえらい状況になってしまったという事だ。
栞   原作ではハマーンと、それに付いていけなくなったザビ派が喧嘩したんですよね。
ジム改 まあその後に色々と増えて、とうとう劇場版で存在を抹殺されてしまうのだった。
栞   不憫です、あれはあれで面白いのに。
ジム改 アクシズがアステロイドベルトに帰ったから、ニューディサイズのクーデターもなかったりしてな。
栞   色々と黒歴史の彼方に消えてしまいそうですね。
ジム改 それでは次回、療養中の秋子に代わって司令長官代理となったエニーは方針を転換し、ティターンズに対して攻勢に出る事にする。ルナツー方面に対して連邦は多数の部隊を送り込み、ティターンズと激しい消耗戦を始めるのだった。次回「L3宙域への挑戦」で会いましょう。