12章  親友たちの再会


 海鳴基地。極東に置かれた巨大な基地であるが、現在は豊富な施設を半ば錆付かせた予備基地でしかない。その基地に1機のデッシュ連絡機がやってきた。

「海鳴基地、か。シアン少佐に会うのも久しぶりですね」
「ああ、そうだな」

 連絡機の中で香里が北川に話しかけたが、北川は言葉少なく答えるだけで香里を見ようともしない。彼がこうなってもう随分たつ。優しさを失ったわけではない。ただ、笑わなくなったのだ。北川潤は、地球に降りてから笑わなくなってしまった。
 香里は今の北川の姿を直視するのも辛かった。今の彼は祐一や名雪の知る北川ではない。地球に降りて望まぬ戦いを繰り返すうちに心を凍らせたのだ。
 自分では北川を支える事が出来なかった。人の心に踏み込むことが出来ない自分では彼の辛さを引き受けることなど出来なかったのだ。だけど、ここにいる人たちならという一抹の希望を香里は抱いていた。ここにはあの2人が来ているから。
 海鳴基地の飛行場に降り立ったデッシュから降りてきた北川と香里、そして一弥を出迎えたのは祐一と名雪、栞であった。

「よう、久しぶりだな2人とも」
「香里、北川君、また会えて良かったよ」
「お姉ちゃん、北川さん、元気でしたか?」

 3人に出迎えられて、香里は微笑を浮かべた。

「久しぶりね。貴方たちこそ元気そうで良かったわ」
「はっはっは、俺たちがそう簡単にくたばるかよ」
「相沢君は殺しても死なないと確信してるわよ」

 はっきりと言い切られて、祐一は少し凹んでしまった。

「うう、そのきつい性格も健在みたいだな」
「今更性格の矯正なんて出来るわけ無いでしょう。そういえば聞いたわよ、宇宙じゃ派手にエゥーゴとやりあったって」
「秋子さんは自分から手を出すつもりは無いみたいだけどな。戦火が拡大しないように見張るつもりらしいぞ」
「へぇ、秋子さんらしいと言えばらしいけどね」
「でも、何かあったらすぐにでも艦隊を出すらしいけどな。即応可能な艦が常に30隻は準備してあって、命令を受けて一時間以内には出撃できる状態にしてあるんだ」
「・・・・・・私が言うのもなんだけど、鬼ね」

 30隻の艦隊が常時即応体制にある。これは緊急展開軍の保有戦闘艦艇の1/5に達する。そう聞くと少なく感じるかもしれないが、30隻といえば各コロニーの駐留艦隊を凌ぐ規模になる。エゥーゴもティターンズも30隻という艦隊を動かした事はほとんど無いのだ。つまり、戦争が月−グリプス間から外れようとすれば即座にこの艦隊が現れ、両者を押さえ込んでしまうのだ。
 こんな強者の力の誇示のような行動を、香里はいかにも秋子らしいと感じていた。秋子は勝てる戦いしか挑まない。戦うなら必ず勝つのが秋子なのだ。

 祐一は何時までたっても話に加わってこない北川に初めて違和感を感じていた。おかしい、北川はこんな無口な奴だったか。
 名雪も栞も違和感を感じているのか、戸惑った視線を交し合っている。

「おい、どうしたんだよ北川?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・」

 北川は答えない。ただ、つまらなそうに祐一の顔を見ている。その視線に、祐一は先ほどからの違和感を確信に変えた。違う、こいつは俺の知っている北川じゃない。

「お前、どうしたんだ?」
「別に、どうもしないさ。これからシアン少佐の所に行かなくちゃならん。悪いが話はここまでだ」

 そう言って、北川は3人を無視して基地の方に歩いていってしまった。それを祐一と名雪、栞は信じられないという表情で呆然と見送り、そして香里を見た。

「香里、どういうこと、北川君はどうしちゃったの!?」

 親友と思っていた男の変貌振りに動揺を隠せない名雪は、香里に事情を問い質した。幾らなんでもおかしすぎる。自分の知る北川という男は気配りの出来る、友情に厚い明るい男、仲間内でのムードメーカーだったはずだ。それがどうしてあんなに陰気な雰囲気を漂わせて、自分たちを避けるような素振りを見せるのだろう。
 香里は名雪の問い掛けに、一瞬の逡巡を見せた後に答えた。

「大尉・・・・・・いえ、北川君はね、延々と続くゲリラ狩りで心を摩り減らしちゃったのよ。彼は、優しい人だから」

 香里の答えに、祐一は右手で頭を掻きながら苛立たしげに頷いた。

「あいつ、もたなかったわけだ。たく、だから死んだ奴を背負うなって言ったのに」
「でも、それが北川君の良い所だよ」

 名雪がなにやら幾度も頷きながら祐一の言葉に言い返す。名雪に言われて祐一は表情を顰めたが、口にしては何も言わなかった。祐一にもそれくらいは分かっていたからだ。
 そして、栞はようやく最後の1人に視線を向けた。

「あの、お姉ちゃん、この人は?」
「ああ、その子が一弥君」
「え。じゃあこの人が倉田さんの弟さんですか。攫われてたっていう」

 栞が驚いて一弥を見る。一弥はといえば、こちらは明らかに戸惑っていた。

「え、ええと、一応そういう事みたいです」
「そういう事って、どういう事です?」

 首を傾げる栞に、一弥は困った顔で渋々答えた。

「僕は、昔の記憶が無いんです。どうも過去を消去されてしまったみたいで。倉田少佐が自分の姉だというのは頭では理解しているんですけど、実感が湧かなくて、姉とは思えないんです」
「まるほど。それはあるかもしれませんね」

 姉を持つ栞には、言葉だけでは姉という実感が持てないという一弥の気持ちが分かった。言葉だけでは成立しない、共有した時間という繋がりが無ければその人を肉親だと感じるのは難しいだろう。
 一弥は栞から視線を外すと、香里を見た。

「香里さん、北川大尉が行ってしまいますよ」
「そうね。私たちも行きましょうか」

 3人にまた後でと言い残して2人は歩いて行ってしまった。残された3人は顔を見合わせ、同時にどうしたものかと考え込んでしまった。北川が昔通りなら今頃一弥はもっと前向きになっていた筈だ。

「なんだか、色々と問題が多いみたいだね」
「ああ、まさか北川があんなに暗くなってるとは思わなかった。何とかできないもんかな?」
「ううん、私は後でもう一度話してみようと思うけど、栞ちゃんはどう思う?」

 名雪の問いに、栞は見た目重々しく、自分の考えを口にした。

「あの様子だと、2人の関係は全く進展していないみたいですね」
「え? ああ、北川君と香里の事?」
「そうです。てっきりもう2人はゴールイン間近かと思っていたんですが、どうやら欠片も進展していないみたいです」
「あの様子じゃしょうがないと思うが」

 祐一のフォローに、栞は口元に小悪魔の笑みを浮かべた。それを見た祐一が無意識に半歩後ずさる。

「な、何だ栞?」
「ふっふっふ、これはチャンスですよ。お姉ちゃんは折角の2年間を溝に捨てたも同じです。私がお姉ちゃんに遠慮をする理由はもう銀河系の彼方までを虫眼鏡で探しても見つかりません!」
「・・・・・・あ、あの栞さん?」

 何やら拳を握り締めて力説する栞に、祐一は2年前の栞の姿を思い出した。どうやら栞は2年前に北川を諦めたのではないらしい。これまでは姉に負けたのだからと自分を抑えていただけだったようだ。その制約が外れた今、再び北川への想いが表に出てきたという事なのだろう。
 しかし、これは北川と香里の辛さに付け込む卑怯な手口ではないのだろうか。いや、恋愛に卑怯も何も無い。勝利こそ全てだというのは祐一にも分かっているのだが、素直に頷く事も出来ないのだ。
 だが、栞が暴走してすぐに、2人の傍から永久凍土を駆け抜ける凍てつく風を思わせる冷たい声がかけられた。

「・・・・・・栞ちゃん、何を馬鹿な事を言ってるのかな?」
「「っ!!?」」

 祐一と栞は硬直した。あの名雪が、こんな冷たい声を出すとは。普段のぽややんとした雰囲気は微塵も感じさせず、その場にいるだけで周囲を凍りつかせる絶対的な威圧感を発している。もう間違いない。名雪は怒っているのだ。
 普段の名雪は秋子以上にぼんやりした優しくて穏やかな女性だ。拗ねる事はあっても怒る事は滅多に無い。だが、名雪を過去に幾度か怒らせたことがある祐一は、名雪が怒った時の恐ろしさを良く知っていた。名雪を怒らせるというのは、秋子を怒らせる程ではないが、極めて致命的なことなのである。
怒れる秋子は経験豊富な諜報部の人間さえ呼吸困難に陥らせる程の圧倒的な威圧感を発し、その口から発せられる言葉は言霊の如き強制力を発揮する。名雪はまだその域には達していないが、それでもこの暑い海鳴を冬のシベリアに変える位のレベルには達している。遠からず彼女が秋子の域に到達するのは確実だろう。
2人が本気で怒る事は滅多に無い。だが、2人には決して譲れない一線が存在する。それは、家族と友人たちが関係した場合である。名雪をダシに使われれば秋子は激怒するのと同じように、親友の北川と香里の窮地に、それもあんな状態の2人の溝に付け込もうとする栞の行為は名雪の譲れない一線を越えたのだ。
 名雪の視線に晒された栞は恐怖に表情を青褪めさせ、ガタガタと小刻みに身体を震わせる。名雪はそれ以上なにも言わず、じっと栞の返答を待っている。その返答如何によっては、栞がどうなるかは保障できなかった。

「あ、あ、あ、あの・・・ご、ごめんなさい、です」

 栞が切れ切れに、それでも必死に言葉を紡いで謝った。その瞬間、マイナス30度に達していたその場の空気が何時もの暖かい海鳴のそれに戻る。その鋭い眼差しは何時ものぽんやりしたものに戻り、強烈な威圧感は胡散霧消した。

「栞ちゃん、勝負は正々堂々と正面から挑もうね〜」

 そう言って、名雪は基地の方へと歩いていく。祐一と栞は安堵感で腰が抜けたような状態に陥り、その場にドサリと腰を下ろしてしまった。

「や、やばかった。名雪の奴、本気で怒ってたぞ」
「ゆ、ゆ、祐一さん、何なんですか、さっきの名雪さんは?」
「あれが怒った時の名雪だ。名雪は本当に怒るとああなる」
「で、でもでも、切れたお姉ちゃんより当社比で500%増しで怖かったですよ!?」
「だから名雪は怒らせちゃいけないんだよ」

 過去に幾度かああなった状態の名雪を見たことがある祐一は、その都度寿命が縮むかのような恐怖を味わっているのだ。栞も良い教訓になっただろう。
 とりあえず、これで栞の暴走は阻止されたのである。流石の栞もあれを経験しては名雪を怒らせようという気がおきるはずも無い。

 

 

 基地に入った北川と香里、一弥は、そこで佐祐理と友里に出会った。北川と香里を見た佐祐理が表情を綻ばせ、一弥を見た友里がおやっと眉を顰める。

「あ、北川さんと香里さん。今付いたんですか?」
「はい、お久しぶりです、倉田さん」
「堅いですよ香里さん。佐祐理の事は佐祐理で良いと言ってるじゃないですか」
「・・・・・・そうでしたね、佐祐理さん」

 香里は微笑を浮かべて佐祐理に挨拶し、佐祐理は嬉しそうに微笑んだ後、不思議そうに北川を見た。

「あの、北川さん、どうかしましたか?」
「・・・・・・いえ、何でもありません。久しぶりですね、倉田少佐」
「はえ、倉田少佐?」

 佐祐理は首を捻った。おかしい、自分の友人たちには階級でお互いを呼び合う習慣は無いはずだ。なのに何故北川は自分を倉田少佐などと呼ぶのだろう。

「あの、どうかしたんですか、北川さん?」
「別に、何でもありません。俺はこれからシアン中佐に報告がありますので、失礼します」

 立ち去ろうとする北川に、佐祐理は動揺を隠せない。彼は本当に自分の知る北川なのだろうか。その姿は、自分の知っている北川とはあまりにもかけ離れている。
 だが、北川はふと足を止めると、こちらを振り返らずに一弥に話しかけた。

「倉田少尉、君は自由にして良いぞ」
「え?」

 友里と話していた一弥は、上官の言葉に戸惑った。何故いきなりそんな事を言うのだろうか。そして佐祐理が視界に飛び込んできた時、その理由を察した。そして一弥は上官の気遣いに馬鹿馬鹿しさを感じたのだ。

「大尉、そのような気遣いは無用です」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 北川はそれ以上何を口にせず、シアンの執務室へと向かって歩き出す。一弥もその後を追い、香里はすまなそうに佐祐理に頭を下げて2人の後を追った。そして佐祐理は、一弥の言葉に衝撃を受けていた。姉と認められていない事くらいは自覚している。だが、それでも佐祐理自身は一弥を弟と思っている。なのにあのような態度を取られては落ち込んでしまうのも無理は無い。
 友里はかける言葉が見つからず、ただ落ち込む佐祐理を見ている事しか出来なかった。

 

 

 そして、シアンの執務室で3人はシアンに部隊を北京から100キロの所にまで持ってきている事を報告した。シアンは思っていたより速かった北川の移動速度に満足しつつ、話を切り出した。

「北川、状況は分かってるか?」
「大体の所は」
「そうか。なら話は早い。俺たちは北京でカラバとエゥーゴの部隊を殲滅し、敵を行動不能に追い込む。連中に連邦の横っ面を張った代償がいかに高くついたかを思い知らせるんだ」
「・・・・・・了解しました。それで、我々はどうすれば?」
「まあ待て、まだ本命が到着していない」

 シアンの言葉に北川と香里はどういうことかと顔を見合わせた。既にスードリと自分たちが来ている。シアンは更に戦力を集めているとでもいうのだろうか。
 そして、その答えはすぐにもたらされた。シアンのデスクに置かれている内線が着信を伝え、普段は仕事をしていないレーダー室からのものである事を確認したシアンは眉を顰めてそれを繋いだ。

「どうした?」
「し、司令、大変です。海鳴に向けて巨大な非行物体が接近してきています!」
「・・・・・・巨大な移動物体、ミデアじゃないのか?」
「違います、これは、戦艦級です!」

 戦艦級の反応が大気圏内で観測される。そんな事が起きるはずが無い。もしあるとすればガルダ級超大型輸送機だが既にスードリは着水している。では一体、何が近付いているというのだろうか。

「識別は出来るか?」
「今やっています。結果がもう少しで・・・・・・出ました」
「それで、正体は何だ?」
「それが、ジャブロー所属の予備役艦、ノルマンディー級戦艦のノルマンディーです」
「ノルマンディーだと?」

 シアンは驚いた。ノルマンディー級戦艦はファマス戦役終結に伴い、残存していた3隻が連邦に鹵獲されている。2隻はアクシズに向かった事が確認されており、ただ1隻、バウマン少将のダンケルクだけがジ・エッジ会戦で戦没している。この生存率だけでもノルマンディー級がいかに強力な戦艦かが分かるだろう。
 戦後に鹵獲された3隻は1隻がフォスターUに、1隻はルナツーに、そして最後の1隻がジャブローに持っていかれ、技術資料として研究されたのである。今は全てが予備役に退いているはずだが、どうやら現役に復帰したらしい。だが、まさかあれが増援なのだろうか。

「マイベック准将、また凄いものを送ってきたな。確かに予備役の戦艦なら動かすのは難しくは無かっただろうが」

 これは明らかに反則技だ。ノルマンディ−級はファマスの使っていた主力戦艦という理由で予備役に追いやられただけで、性能的には今なお第一級のものを持っている。いや、20機以上のMS搭載能力を持ち、砲撃戦では現時点でも連邦最強の砲力を持つバーミンガム級戦艦とさえ互角に撃ち合える化け物である。その戦闘力はティターンズが誇りとするドゴス・ギア級さえ上回っているだろう。
 そんな物を現役復帰させて送ってきたのだ。マイベックがこれで負けたら言い訳は聞かんと言うのも頷ける。

 そして、ノルマンディーの艦長と面会したシアンは今度こそ驚いてしまったのである。

「貴方は、斉藤少佐!?」
「お久しぶりですな、シアン中佐」

 ミデア輸送機部隊に回されていた筈の斉藤少佐がノルマンディーの艦長をしていたのだ。シアンでなくとも驚くだろう。

「何故、貴方がノルマンディーに?」
「マイベック准将より命令を受けまして。ノルマンディー艦長としてシアン中佐の指揮下に入れ、と」
「・・・・・・あの人は」
「それから、シアン中佐が要請されていましたMSも輸送してきています。機体は格納庫でご覧ください」

 斉藤の言葉に、シアンはもうマイベックに何も文句が言えなくなってしまった。あの人は、こちらの要求以上の仕事をしてくれたらしい。だが、言い換えるならこれはもう負けられないと言うことでもある。これだけの戦力を揃えて無様に敗北したとあってはもうマイベックに合わせる顔は無いだろう。
 しかし、まさか斉藤まで送ってくるとは。

 斉藤少佐。ファマス戦役時代は大佐で、リシュリュー隊を率いて連邦を散々に苦しめた、ファマス最強部隊の1つを率いた指揮官である。その戦術家としての力量は非常に高く、常に劣勢を強いられながらも常に連邦と互角以上の戦いを繰り広げてきた。秋子やリビックでさえ彼の手腕にしてやられた事があるのだ。
 特にフォスターU攻略戦の終盤、斉藤率いる部隊は圧倒的多数の連邦部隊の前に殿として立ち塞がり、多くの友軍を撤退させる事に成功している。それだけで彼は賞賛される資格があっただろう。
 だが、ファマス戦役以降、彼は裏方でずっと輸送任務をこなしていた。本人も前線に出る意思を持たず、これまでその手腕を無為に腐らせてきたのだ。その斉藤がこうして再び前線に出てくるとは思ってもいなかった。

「・・・・・・心より歓迎しますよ、斉藤少佐。ファマス戦役最高の戦術家の誉れを持つ貴方を迎えられるとは思っていなかった」
「よしてください。自分は所詮、敗軍の将です」

 謙遜する斉藤。だが、彼の実力を疑う者などいるはずが無い。そして、彼の参加はノルマンディーの参加よりも大きかった。強力な兵器を揃える事は可能だが、一軍を率いられる名将はどれだけ望んでも得られるとは限らない。斉藤のように優れた将は一軍に勝る価値を持つのだ。
 そして、斉藤が運んできたMSはジャブローで生産されたばかりのRGM−85GジムV3機と、シュツーカとジム・RMが5機ずつだったのである。これは旧式化が著しい海鳴基地の装備を著しく近代化させることが可能であった。
 シアンは支給された3機のジムVを久瀬と茜、葉子に回す事にした。自分はジムUでとりあえず満足しているというのが理由だが、実際は前線で戦うつもりが無いからである。

 


 こうして、シアンは遂に戦う準備を整えた。いよいよ舞やトルク、アムロと戦う時が来たのだ。アウドムラの戦力を叩くには些か過剰な気もするが、これが機動艦隊出身の軍人のやり方である。
 秋子曰く「戦う時は敵より圧倒的多数の戦力で押し潰す。そうすれば何も考えなくてもまず勝てます」という事である。


 だが、シアンには目下、敵よりも先に何とかしなくてはいけない問題があった。そう、北川の事だ。

「あいつがああなったのは、まあ、分かるんだがな。背負うなとは言わないが、あいつは背負ったものを最後まで背負い続けられるほど、強くは無い」

 シアンはこのままでは北川が壊れると考えていた。だが、自分がなにを言っても、いや、無二の親友である祐一の言葉でさえ今の北川には届くまい。北川の心は、磨耗しきっているのだから。
 どうしたものかと執務室で手を組んで頭を乗せていると、ノックの音が響き渡った。シアンは顔を上げ、扉を見る。

「入れ」
「失礼します」

 入ってきたのは久瀬であった。両手一杯に書類を抱えている。

「中佐、この書類を処理してください」
「また沢山あるな」
「文句は後で聞きます。もうすぐ出撃ですし、色々手続きがあるんです。軍隊ってのはそう簡単には動けないんですから」
「言われなくても分かってる」

 やれやれと万年筆を取り、差し出された書類に目を通していく。その作業を続けながら、シアンは久瀬に問いかけた。

「ところで中尉、パーティーの用意は出来てるか?」
「それは滞りなく進んでいます。予定通り午後6時には開始できるでしょう」
「そうか、なら良い」

 シアンは書類にサインして久瀬に渡す。本当に、書類仕事というのは片付く事が無い無限地獄のような苦行だと、シアンは思っていた。

「あ、そうそう。久瀬中尉、こいつを相沢に渡しておいてくれ」
「これは?」

 渡された地図と書類を見る久瀬。

「宿題だよ。次のペキン攻撃の作戦案を出させる。水瀬提督にあいつの教育を頼まれててな。時間が無いから実地で鍛える」
「なるほど、そういう事ですか」
「ちなみに、下らない作戦だったら「地獄のフルコースご招待」だと言っておいてくれ」

 それを聞いた久瀬は顔色を変えた。シアンの特訓の中でも最大のシゴキ、地獄のフルコース。それはまさに地獄。佐祐理でさえこれだけは真似しなかった程に極悪な特訓である。
 祐一がこの地獄を避けられるか否かは、彼の頭脳に全てがかかっている。はたして祐一はシアンを満足させられる作戦を立てられるのだろうか。

 

 

 グリプス。ティターンズ最大の拠点であり、ティターンズの誇りとも言える巨大な軍需工廠である。その生産力はキャリフォルニアベースの5倍に達するとまで言われ、ティターンズの戦力を支える所である。
 現在も多数のMSや戦艦の生産が行われ、更にはRX−272ガンダムマークVと呼ばれる試作機の開発も行われている。

 この巨大基地で、ジャミトフは来栖川芹香と対面していた。

「私は、近々招集される連邦緊急議会において、ティターンズの権限拡大法案を提出するつもりだ」
「受け入れられる、と思いますか?」

 芹香の問いにジャミトフは口元をゆがめた。

「このようなもの、通る筈が無いだろう。クリステラや倉田が認めるわけが無い」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 無言で続きを促す芹香。ジャミトフに忠誠を誓うティターンズの将兵が見たら激高しかねないが、これが芹香の普通なのだと知るジャミトフは気分を害する事も無い。何よりも、彼女はティターンズの後援者である来栖川グループの総帥なのだ。それを無碍に扱う事は出来ない。

「権限拡大法案はあくまで餌に過ぎない。奴らがこれを見過ごすことは出来ないのを承知で出し、奴らが反対した所でもう1つの要求を突きつけるつもりだ」
「・・・・・・それは?」
「連邦軍の出動を要請する」

 ジャミトフの答えに、芹香は傍目には分からぬほど僅かに表情を動かした。連邦軍の出動を要請する。それはティターンズだけではエゥーゴに勝てないと認めるようなものだ。誇り高いティターンズが自ら敗北を言い出すなど、信じられる事ではない。
 だが、ジャミトフの表情は敗者のそれではなかった。

「私とて、今の状況に満足しているわけではない。そろそろ礼の計画を実行に移すころだと思うのだ」
「・・・・・・エクソダス計画、ですね」

 芹香の聞き取り難い声に、ジャミトフは頷く事さえしなかった。ただ、その目に宿る強い光が何より雄弁に答えを言っている。芹香は目を閉じ、何か考え込むようにわずかに顔を下げる。
 ジャミトフは窓から外に広がる宇宙を見やった。丁度そこにはドゴス・ギア級戦艦1隻と新鋭艦であるマエストラーレ級駆逐艦4隻がサイド7宙域からは慣れていく姿が見えた。恐らくは竣工したばかりのドゴス・ギア級5番艦「バンドーラ」がテスト航海に出るのだろう。
 戦力は確実に整っている。時代はたえず動いているのだ。

「時代が要求しているのだ。だからやらなくてはならんのだ」

 ジャミトフの独白に、芹香は目を閉じたまま頷く事もせず、じっと静止していた。ただ、その纏っている空気がジャミトフの言葉を肯定している。
 そして、ようやく目を開けた芹香は、彼女にしては珍しくはっきりと聞き取れる声で宣言した。

「来栖川の全力を挙げて、貴方を支援しましょう」

 芹香の言葉に、ジャミトフは鷹揚に頷いた。
 ティターンズとエゥーゴが凌ぎを削るこの時代にあって、遂にジャミトフが状況の打破を目論んで動き出す。連邦の介入を誘うジャミトフは何を考えているのだろうか。もし連邦が本気で介入すれば、エゥーゴなど風前の灯でしかないという事は、ジャミトフにも分かっているだろうに。

 

 


 ティターンズが戦力を整えている間、連邦とエゥーゴが手をこまねいていたわけではない。両者とも戦力の拡充に全力を挙げていたのである。エゥーゴはアーガマ級やアイリッシュ級といった新造戦艦を次々に完成させ、新型MSを急ピッチで開発していく。Zガンダムから得られた稼動データを下に既にアナハイムは幾つかの可変MSを開発し、その中からMSZ−008「ZU」を量産型宇宙用可変MSとして採用しており、リックディアス、ネモといった主力機も改修によるテコ入れを受けることでシュツルム・ディアス、キャノン・ディアス、ネモVなどへ移行していた。もっとも、これらの機体が本格的に量産されるのはまだ先の話なのだが。
 エゥーゴが最も期待をかけているのはMSF−007ガンダムマークVと、MSA―007ネロである。皮肉にも対立する2つの陣営が同じ名称の機体、ガンダムマークVを開発していたのだ。ガンダムマークVは百式改に変わる高級量産機として、ネロはネモに変わる主力量産機として期待されているのだが、開発段階で既にそのコストの高さが問題になっている。更に、ネロは主力機として運用するにはやや高性能すぎるという問題が出ていた。性能が高いのは良い事だと思われがちだが、余りに高性能な機体は逆に一般の兵士には扱い難い機体となってしまうのだ。
 だが、数ではティターンズに対抗できないエゥーゴは、少しでも高性能を追及するしかないという事情もあってこの問題には目を瞑っている。
 この一般兵には過剰性能という問題は、ティターンズが開発中のRMS−154バーザムにも発生している問題で、少数精鋭主義を取る勢力というのはそうなる傾向があるらしい。

 これに対し、連邦はいよいよジムVとゼク・アインの生産ラインを稼動させ出している。ジムVはジャブローにあるG型のラインと、サイド5のオスローにあるR型の開発ラインが稼動しだし、ジムUに変わる新型主力機として生産されている。そして、フォスターUにあるゼク・アインの生産ラインも少数ではあるが量産型を送り出し始めていた。生産ラインが整備されればすぐにでも大量の機体が揃う事になるだろう。連邦は立ち上がりは遅いが、一度動き出せば誰も止める事は出来ない巨大なダイナモなのだ。
 そして、艦艇も80年度第2次軍備増強計画に基づいて設計された新型戦艦、ラー・カイラム級戦艦の一番艦や新型巡洋艦のクラップ級巡洋艦の一番艦がフォスターUのドックで艤装を進められていたのである。
 そして、オスローの傍にある大型の建艦ドックでは、火星で沈んだカノンの名を受け継ぐ新造戦艦の建造が進められていた。完成の暁には秋子の乗艦となり、緊急展開軍の総旗艦となることが決定されている艦である。その戦闘力はかつてのカノンさえ上回る、地球圏最強の戦艦となる予定である。

 次代に流されるようにそれぞれの勢力は新たな力を蓄えていく。その先に待つものは何なのだろうか。そして、不気味に沈黙を保つアクシズの動向は未だに分からない。
 今、世界を動かしているのは誰なのだろうか。



後書き
ジム改 ふっふっふ、ようやく全軍が揃ったぞ
栞   ノルマンディーって、あの万能戦艦ですか?
ジム改 そう、ファマス戦役で使われたあれ
栞   また贅沢な戦艦を出してきましたね。しかも斉藤艦長付きで
ジム改 斉藤は本作でも最高の艦長の1人だからな
栞   この人って、本当に凄いんですか?
ジム改 凄いというか、作品への影響では舞やトルクより大きい
栞   はぁ、何でです?
ジム改 舞やトルクが百式改を使っていても、2人でネモ1個中隊ぐらいの戦力だ
栞   それだけあれば充分凄いです。1人でネモ6機分ですよ
ジム改 だが、言い換えるとそれだけなのだ
栞   それだけじゃ不足ですか?
ジム改 斉藤なら数隻の艦隊を率いて敵に甚大な損害を与えられる
栞   でも、それは艦隊が強いせいじゃないんですか?
ジム改 影響を及ぼせる範囲の問題だよ
栞   範囲?
ジム改 北川や久瀬、佐祐理は2人より弱いよな?
栞   そりゃまあそうですよ
ジム改 だが、3人が率いる部隊は桁外れた強さを発揮するぞ
栞   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ジム改 つまり、一流の指揮官は部隊全体を強く出来るのだ
栞   だから斉藤さんは2人より凄いと
ジム改 そういうこと
栞   ちなみに、一番凄いMS隊指揮官は誰なんです?
ジム改 久瀬(断言)
栞   言い切りましたね
ジム改 残念だが久瀬は別格。北川と佐祐理も凄いけど、久瀬には及ばない
栞   伊達に戦場の魔術師とは呼ばれてませんか
ジム改 本作中、少数で多数を相手取って五分に戦って見せた数少ない指揮官だからな
栞   では次回、癒しの風は歌と微笑が運びます
ジム改 そして、連邦議会がついに開かれる。今、歴史が動こうとしているのだ