第18章  侵攻開始

 

 連邦議会が決定したエゥーゴの討伐。この知らせは世界中に波紋を呼んだ。とりわけスペースノイドの反応はさまざまで、月面に住むルナリアンやサイド1の住人たちはこの決定を声を大にして非難しているのだが、他のサイド2、4、5、7の住民はむしろ歓迎していた。サイド3,6の住人は遠くの宇宙で行われている為か、無関心でさえある。
 この反応の差は、そのまま各サイドや月面の立ち位置を示していた。サイド1は30バンチ事件の当事者であり、月面はエゥーゴの拠点である。つまりティターンズへの憎悪があったり、エゥーゴの賛同者が多い地域なのだ。
 これとは逆にサイド2、4、5、7はこの内戦でむしろ迷惑を蒙っている、あるいは親ティターンズ系だ。サイド7などが親ティターンズなのだが、他の3サイドは航路が封鎖されたりして物資に難儀しており、一刻も早い内戦の終結を願っていたのだ。そしてサイド3とサイド6は無関係、あるいは永世中立という事もあって外世界の出来事のように捉えていたのだ。
 ただ、この決定はエゥーゴに大きな衝撃を与えていた。既に月の近くを緊急展開軍の艦艇が遊弋し、出撃の許可を得られないエゥーゴ部隊に大きなストレスを強いているのだが、これが示威行動ではなく、本格的な攻撃を行う許可を得たのである。これで緊急展開軍は遠慮をする必要が無くなったのだ。
 そして、ファマス戦役に従軍していた多くの将兵が予想したように、秋子は指揮下の部隊に対して早くも攻撃開始を指示していたのである。

 連邦の討伐決定から僅かに3日後、月に向かう連邦艦隊が複数あった。その全てが緊急展開軍に属する艦艇で、一部隊は6隻ほどの戦艦と巡洋艦で編成されている。典型的な哨戒部隊だった。ただ、その中に必ず1隻の情報収集艦が加えられているのが些か異質ではある。
 その部隊を纏めていたのは緊急展開軍の分艦隊司令官、エインウォース准将である。彼自身は本隊として空母を含む12隻の戦闘艦と6隻の補給艦を連れている。

「さて、どう出てくるかな、エゥーゴは?」
「今回の我が軍の目的は偵察ではありません。エゥーゴも今までのように穴に潜ってはいられないでしょう」
「まあ、出てこないならそれで良いんだがな。今日の仕事は敵艦隊の撃滅じゃあない」

 エインウォースは月の白い表面を見やり、楽しげに口元を歪めている。彼にとっては久しぶりの実戦であり、できればエゥーゴに出てきて欲しいと考えている。秋子の指揮下には珍しく、彼は戦いを好むタイプであった。

 そして、分派されている各部隊の中でも最も強力と考えられている部隊がグラナダを目指していた。ここはエゥーゴの最重要拠点であり、それだけにこれまで近づく事を避けていた場所だ。
 部隊の先頭に立つのは何とファマス戦役の終盤、ジ・エッジ会戦で連邦軍に夥しい犠牲を強要したノルマンディー級戦艦の1隻、アプディールである。この長らくオスロー軍港に係留されていた大型戦艦に乗っているのは元ファマス軍指揮官の1人であった川名みさき中佐である。この作戦の為に秋子から戦時階級で中佐の階級章を与えられたのだ。
 みさきは久しぶりに腰掛けるアプディール艦橋の艦長席に満足げに腰を沈め、隣に立つ深山雪見少佐に声をかけた。

「ううん、久しぶりの艦長仕事だね、雪ちゃん」
「・・・・・・あんた、MSに乗りたくないだけでしょ?」
「疲れるのはもう嫌だからね。テストパイロットくらいなら良いけど、本格的な実戦は出来ればしたくないよ」
「まあ良いけどさ。でも、今日の仕事も楽じゃないわよ」
「う〜〜ん、そうでもないと思うけどなあ」

 深刻そうな雪見とは対照的に、みさきは随分と余裕がありそうだった。その態度に雪見が眉を顰めるが、付き合いが長いだけに油断してるわけではないだろうと思っている。

「で、その自身の根拠は?」
「だって、今回はビームもミサイルも使い放題だよ。もう弾数数えながら撃ったり、部品壊れるのを気にしたりしなくて良いんだよ。弾薬庫とビームコンデンサーが空になるまで撃ちまくって良いんだよ。しかも艦は新品同然な状態なんだよ!」

 口にするだけでもう嬉しくて仕方が無い、という内心が溢れているみさきに、雪見も深々と頷いて同意してしまった。

「まあ、それは確かに言えるわね。ファマス戦役の後半だと、もうミサイル1発、ビーム1発まで数えてたからね。何処もかしこも間に合わせのパーツで直して、無理やり動かしてたし」
「そうだよね。いきなり主砲が撃てなくなったりしたし、当たったけど不発のミサイルとかもあったし」
「対空銃座も弾も替えの銃身も無くて、適当な廃材で作ったダミーの銃身を取り付けて偽装したりしたわね」
「懐かしいよね〜」

 2人して過去を振り返っている。その会話は一見とても穏やかだが、何故かだんだんと周囲に撒き散らされる不機嫌な空気の濃度が増している。余程辛い記憶なのだろう。何となく聞いていた艦橋クルー達でさえ同情してしまうくらいだ。
 アプディールの乗組員は、その4割近くがファマス戦役の頃からの乗組員で、今回みさきの求めに応じて集まってきたのである。この辺りはみさきの人望の高さを物語るエピソードと言えよう。

 そして、遂に艦隊はグラナダの防空圏内に突入した。ここから先は内戦勃発以降、一度として連邦艦艇が踏み込んだことの無い宙域である。相変わらずニコニコとしているみさきに替わり、雪見が矢継ぎ早に指示を出していく。

「周辺宙域を全方位索敵、デプリ1つでも疑いなさい。戦闘衛星と機雷に注意。全艦防御スクリーンを展開、対ビーム榴散弾、迎撃ミサイル全門装填して待機!」
「周辺に敵影は確認されず!」
「エネルギー反応ありません!」
「直援機、敵影を確認していません!」

 次々に報告が寄せられる。ここから先は完全な敵地であり、いつ奇襲されてもおかしくないという緊張が艦橋を包んでいる。そんな時、些かそれまでとは異なる報告が寄せられた。

「艦長、グラナダ市長より、無許可での領空侵犯に対する抗議文が来ていますが・・・・・・」

 通信士の報告を聞いたみさきはどうしたものかと雪見を見たが、雪見もこればかりは私に聞くなとばかりに首を横に振る。こういうのは指揮官の仕事なのだ。

「うーん、仕方ないなあ、とりあえず、後方のエインウォース准将に送っておいて」
「良いんですか?」
「どうせ私にはこれを読んでも何が出来るわけでもないし。まあ、コピーを取ってこっちに回してよ」
「はあ、分りました。コンソールの方に出しますので」

 通信士が機器を操作し、みさきの艦長シート脇にある補助モニターに送られてきた文章を回す。みさきはシェイド能力を開放した事を示す金色の瞳でその文に目を通したが、別にこれといって面白い事が書いてあるわけでもなかった。こういう状況ではごく当り前に使われる文句の電文である。
 それに目を通したみさきはつまらなそうにそれを閉じると、月面にあるグラナダの市街地を見据えた。その眼差しには僅かながらも失望の色がある。

「領空侵犯、か。今更言う事じゃないと思うけどね」
「どうするの、みさき?」
「攻撃中止命令は出てないよ。なら、私たちは所定の行動を取るだけ。予定通りグラナダ宇宙港を封鎖するよ」
「でも、良いの? 宇宙港だけに限定なんて都合の良い事は不可能よ」
「分かってるよ。でも、グラナダがエゥーゴの拠点なのは確かなんだし、向こうにも責任はあるよ」

 民間人の住む都市を巻き込む戦闘である以上、どれだけ奇麗事を並べても民間人の犠牲を無くす事は不可能だ。それはみさきのような経験豊富な指揮官であっても回避することは出来ない。いや、経験豊富だからこそ、それが絶対に不可能だと理解してしまっている。
 だからみさきは、この戦いを早く終わらせようと考えていた。犠牲を避けられないのなら、少しでも早く終わらせるしかない。

 そして、遂にグラナダ周辺に変化が現れた。

「グラナダ周辺に高エネルギー反応感知。砲台と思われます!」
「ふうん、これ以上は近づけないつもりかな。じゃあ、こっちも始めようかな。全砲門を月面へ。攻撃目標は敵の砲台群、宇宙港、通信タワー、発電所だよ」

 みさきの許可が下りたことで5隻の艦艇は砲とミサイルランチャーの安全装置を解除した。艦艇だと余り使う機会のない対地ミサイルが装填され、主砲にエネルギーが送られていく。
 だが、それが放たれるよりも早く月面からの砲火が艦隊を襲った。

「月面からの対空砲火です!」
「無駄な事を」

 雪見がグラナダの反撃を嘲笑った。この距離ではグラナダの砲台では射程外もいいところだ。仮に直撃しても防御スクリーンを撃ち抜く事はできない。地表からの砲火は艦に当たる前に防御スクリーンに軌道を曲げられ、空しく後方へと逸れていってしまう。

「火点をしっかり記録しておきなさい。今日の仕事は掃除なんだからね」
「了解です」
「撃ってくる砲台に向けてミサイルを発射!」

 地上の火点を潰すべくミサイルが放たれる。それを迎撃する弾幕がグラナダの上空に張られているが、阻止されたミサイルはほとんど無かった。一年戦争の頃にジオン軍によって構築された防御砲台群は、かつてそのジオン軍で戦ったみさきたちの手で次々に破壊され、その残骸を空しく晒す事になったのだ。
 だが、これで連邦軍の覚悟を悟ったのか、グラナダから次々にMSが飛び出し、宇宙港のゲートが開きだした。

「宇宙港のゲートが開きます。戦闘艦のエネルギー反応を確認!」
「MS隊が出てきました。5、6機の編隊で来ます。総数は不明!」

 後から後から送られてくる報告にみさきは面倒くさそうに対応していたが、宇宙港のゲートが開いたという報告は無視できなかった。僅かに表情を変え、拡大されているスクリーンを見やる。すると、確かに宇宙港から1隻のアイリッシュ級戦艦が出撃してきていた。

「ビンゴ、だね」
「記録は録ったわね。グラナダが
自都市の宇宙港にエゥーゴ艦艇を入港させていた証拠よ。これで潰す大義名分が入ったわ」
「まあ、もぐら叩きだしねえ。出てこなかったら宇宙港塞いで発電所破壊して帰る気だったし」

 だが、それでももし出てこなかったらどうしよう、という不安がみさきにはあった。エゥーゴがグラナダ市民の犠牲に見てみぬ振りをして戦力の温存を図れば、この作戦の後味は最悪の物になる所だった。
 だが、やはりエゥーゴはグラナダ側の要請を無視する事は出来なかったのだろう。こちらの狙いをエゥーゴ指導部は読んでいたかもしれないが、グラナダの市長にしてみれば現在攻撃を受けているのに何故エゥーゴは迎撃しないのだ、ということになる。それでも尚出撃を拒んだりすれば、エゥーゴはグラナダ市民の反感を買うばかりか、市長の協力さえ得られなくなるだろう。それだけは避けなくてはならないのだ。
 だが、いずれにしてもアイリッシュ級戦艦が出てきたというのは穏やかではない。加えてMSの数も多いようだ。
 暫し考えたみさきは、これ以上の無理をする必要はないと判断した。宇宙港からは次々にエゥーゴ艦艇が出撃してきており、その数は既にこちらを超えている。このまま艦隊戦に持ち込まれたら不利は避けられないだろう。

「折角来たんだし、やることやってから帰るよ。目標を通信タワーと発電所に集中。全艦ミサイル一斉発射!」

 みさきの指示を受けて5隻の戦闘艦からミサイルが放たれ、グラナダ市街にある通信タワーと郊外にある核融合発電所を襲う。守備隊がこれを阻止しようとしたが、それでも何発かが通信タワーと発電所を直撃し、これに大きな損害を与えた。

「通信タワー全壊!」
「発電所の被害は分りませんが、送電は止まったようです。送電ラインの熱反応が低下かしています!」
「そうか、上手く行ったんだ」

 みさきはかつて自分達が守ってきた場所に大きな損害を与えた事になんとも言えない空しさが胸中を過ぎるのを感じた。だが、それも一瞬の事、すぐに新しい指示を出す。

「よし、全艦月上空より撤退、本隊と合流するよ!」
「でもみさき、簡単には帰してくれそうにも無いわよ?」
「MSだけなら何とかなるよ。艦隊はまだ月の重力を振り切れないみたいだし」

 まだ月の地表近くで重力圏を抜けようと頑張っているエゥーゴ艦を見ながらみさきは急いでグラナダ上空から撤退しようと考えていた。どうせ今回の目的はエゥーゴがグラナダを使っているという証拠を得ることで、グラナダの重要施設を破壊する事はついででしかなかったのだから。
 しかし、艦隊が月から離れるよりも早く、エゥーゴのMS隊が艦隊に襲い掛かってきた。

「敵MA接近!」
「迎撃機に迎撃させなさい。艦隊はこのまま撤退。行きがけの駄賃代わりにグラナダ宇宙港に向けてミサイルを発射!」

 雪見の指示で艦尾発射管からミサイルが次々に飛び出していく。何発かが直撃すればグラナダの宇宙港は暫く使えなくなるという計算があるが、実際にはただの嫌がらせだ。当たれば儲け物くらいにしか思ってはいない。
 そして追撃してきたMA部隊と迎撃に出たMS部隊が最初の接触をしたのだが、このMA部隊の半数がMSに変形して立ち向かってくるという報告に雪見は眉を顰めた。

「MAが変形した。可変機ということ?」
「敵機の機種判明、メタスです」
「メタス、あの対艦攻撃機ね。対MS戦には向かないって聞いてたけど」

 まさかメタスだけで追撃してきたのだろうか。だとすればエゥーゴも無茶をする。貴重な対艦攻撃用のMAを強引に運用するとは。

「多分、ネモやリックディアスじゃ追いつけないと思ったんだよ。足の速さと長さが可変機の取柄だし、使い方は正しいんじゃないかな」
「でも、メタスだけの単独攻撃ってのは無茶じゃない?」
「そうかもしれないけど、その辺りは私たちには良く分からないよ。可変MSの運用経験なんて無いんだし」

 連邦軍、とりわけ秋子指揮下の部隊は可変機を保有していない。可変機はその長大な航続距離を生かした長距離侵攻などに用いられるのだが、少ない戦力で広大な宙域を守るのには最適な機体ではある。だが、既にティターンズやルナツーなどからの運用データから可変機が整備・維持に物凄い手間と金のかかる難物であり、コストの割には稼働率が悪すぎるという結果が出ているのだ。
 秋子は元々、連邦宇宙軍は何処にでも艦隊を迅速に展開させる事が可能であり、わざわざ可変機を開発せずともMS搭載艦と第2世代MSのセットで十分対応できるという持論を持っている。なまじ可変機などを持つと少数で無理な作戦を強行するようになり、かえって損害が増すというのだ。
 その持論に従って緊急展開軍の装備は整えられており、今回のみさきの艦隊もノルマンディー級1、リアンダー級巡洋艦4、ビッグアイ級情報収集艦サイレスで編成され、搭載MSはジムVとジムU、ジムキャノンU、ハイザックとポピュラーな機体で固められている。
 警戒に付いていたMS隊は既にメタスの迎撃に出払っており、今の艦隊は待機中だったMSが守っている。みさきはメタスを迎撃機に任せると、急いで艦隊を撤退させてしまった。しかし、それでも3機のメタスがMA形態で迎撃を突破して艦隊に突入してきた。艦隊の対空銃座がそれに照準をつけるが、3機のメタスは熟練の動きで対空砲火を掻い潜って肉薄してきた。

「何をやってるの、対空砲火、もっとしっかり狙いなさい!」
「無理だよ。あの3機、戦い慣れてる」

 怒鳴る雪見にボソリとみさきが反論する。彼女の持つ未来予知とさえ呼べる計算が教えているのだ。あの3機の攻撃は防ぎきれないと。
 みさきの予想を裏づけする様にメタスは直援機の迎撃も突破し、巡洋艦やノルマンディーに攻撃を加えてきた。それに対して狙われた艦が回避運動に入るが、間に合わずに巡洋艦1隻とノルマンディーが対艦ミサイルの直撃を受けてしまった。衝撃が艦を激しく揺らし、警報音が響き渡る。

「直撃、左舷上甲板です。第3兵員室全壊!」
「火災は?」
「火災は発生していないようです。現在負傷者を救出中!」

 大した被害も無いと分かり、雪見はほっと胸をなでおろしている。これが、みさきたちの受けた唯一の被害であった。

このような戦闘が月の各所で発生しており、宇宙港や発電所、通信施設が集中的に叩かれている。

 残されたアイリッシュ級戦艦カルデラの艦橋に立つヤング准将は、いっそ見事と言えるほどに一目散に逃げていく連邦艦隊を見て、忌々しげに賞賛を口にした。

「ちっ、引き際を心得てる動きだな。俺たちと同類か」
「提督、どうしますか?」
「どうせ追いつけん。それより、被害の詳細を纏めさせろ。艦隊はこのままグラナダ上空に待機して、敵の第2派に備える」

 恐らく、2度目はあるまいと感じながらも、ヤングは正面の宙域を見据える。これから先に待っているであろう絶望的な戦いを彼は既に予感していた。

 これが、連邦の討伐命令を受けて秋子が行った、最初の攻撃であった。

 

 

 

 連邦軍の月面に対する攻撃は月面都市群に大きな損害を与えていた。各地の有力発電所が損害を受けた為に各都市の酸素プラントの電力供給が大問題となり、都市機能を制限してでも酸素プラントに電力を回す必要が出てしまったのだ。
 他にも宇宙港や通信施設、フォン・ブラウンではアナハイムの工場までもが攻撃を受けており、民間人の死傷者も膨大な数に上っている。月面都市は今回の攻撃を民間人を狙った卑劣な行為だと緊急展開軍の作戦行動を激しく非難していたが、統合作戦本部がサイド5から届いたデータを公開すると、その非難の声も小さくなるしかなかった。
 グラナダやフォン・ブラウンをはじめ、緊急展開軍が襲撃した都市からは全てエゥーゴのMSや艦艇が迎撃に出ており、宇宙港から出撃してくる戦艦やアナハイムの工場の破壊跡に望遠映像で確認された組み上げ中のネモなど、月面都市や企業体がエゥーゴの協力していた事実を示された事で、月面都市群は選択を迫られる事になった。このままエゥーゴと共に連邦と戦うか、エゥーゴを見捨てて恭順するかである。

 そんな宇宙での事件が載せられた新聞を折りたたみ、シアンはやれやれと司令官オフィスで溜息をついている。この時代で新聞なんかあるかと言う人も居るだろうが、紙媒体による情報誌や本は決して無くならないのだ。この辺りは人の生活主観の問題でもあり、電子媒体では得られない何かを人に与えていく。

「宇宙ではとうとうドンパチが始まったらしい。秋子さんは本気でエゥーゴを潰すつもりだろうな」
「そうですか。それじゃあ、相沢さんたちを早く宇宙に送らないといけませんね」

 司令官オフィスで司令官に代わって書類を片付けていた茜がシアンを見る。彼女は今ではシアンの新しい副官となっており、久瀬の業務全てを引き継いでいた。

「でも、いいんですか。久瀬大尉に葉子さんまで出してしまって?」
「基地の防御はとりあえず大丈夫だろう。今人材が必要なのは地球じゃなくて宇宙だ」
「それはそうですけど、余り地球を手薄にするのも不安です」

 茜の言葉にシアンは意外そうな顔になった。あの茜が不安などという言葉を口にするとは。

「どうした。また随分と気弱じゃないか?」
「気弱にもなります。詩子から連絡がありました」
「詩子から?」

 シアンのデスクに茜がプリントの束を置く。それに目を通すシアンの表情は僅かに引き攣っていた。

「なるほどね。ティターンズの動きがおかしい、か」

 詩子からの連絡とはこうであった。戦力が落ち込んでいるというティターンズであるが、その実体は戦力を出し渋っているだけであるという事。グリプス、コンペイトウ、キリマンジャロ、マドラスなどにティターンズが相当数の戦力を集結させていること。来栖川が施設企業軍リーフを強化していること。連邦軍内部の親ティターンズ系部隊や高級将校の動きが活発化していることなどを伝えている。

「ティターンズが戦力を集結させている、か。月面への侵攻が近い事を考えれば別におかしくは無いんだがな」
「ええ、戦力集結のことは別に通常の情報源でも入手できる物です。詩子もどうしてそんな情報を送ってきたのか」

 詩子は自他共に認める変人で、自らを危険に晒すことに快感を感じているような女だ。そんな女だから茜やシアンの無茶なお願いを嬉々として聞き入れ、連邦諜報部でさえ入手していないような重要情報をもたらしてくれる。その分金はかかるのだが、それに見合うだけの成果も挙げているのだ。しかも詩子は友人に対してはかなり律儀な女で、こちらにとって致命的な情報を商売の種にはしていないようだ。
 ただ、そんな女であるだけに、こんな情報を送ってきた事の真意が掴めない。あの詩子が送って寄越したのだからそれなりの意味があるのだろうが、別段珍しい情報でもないように思えるのだ。今の連邦軍の状況を考えればどれも不思議でもなんでもない情報なのである。

「まあ、俺たちが分からない意味があるのかもな。とりあえず情報部のバイエルラインにでも送っておいてくれ。あいつなら何か見つけるかもしれん」
「また少佐が怒鳴り込んできますよ。俺はお前の日雇い諜報員じゃないって」
「情報を扱うのがあいつの仕事。あいつがそれでサービス残業しようと俺の知った事じゃないさ」

 クックックと似合わない笑い方で笑いながら、シアンはプリントの束をデスクに放った。そんな義兄の態度に茜は深々と溜息をつく。本当に義兄さんは人が悪い、と幾度目かになるバイエルラインへの同情を交えながら呟き、デスクに放られたプリントを手に取る。

「ところで、あの3人はどうしたのです?」
「ああ、佐祐理に任せてある。多分まだ生きてると思うけどな」
「あれはもう訓練ではないと思いますよ。殺す気なんですか?」
「大丈夫だって。相沢も北川も一回はやってるし」

 義兄の無責任すぎる返答に、茜はまた深々と溜息をついた。


 さて、シアンが佐祐理に任せたのは何かというと、地獄巡りフルコースであったりする。流石の佐祐理でさえこれだけは見習わなかったという地獄の特訓メニューは、文字通り対象者を過労死させかねない出鱈目な超スペシャルハードコースであり、これをクリアできれば新兵君でもクリスタル・スノー内で1人前と認められるという曰くつきの特訓である。
 佐祐理の前では祐一と北川、何故か浩平までがひたすら走りこんでいる。その身体には何でか錘が巻かれ、佐祐理の手には時計が握られている。
 ちなみに、浩平を走らせてるのは久瀬であったりする。

「3人とも、後5分で10週しないとまた数が増えますよ〜〜〜!」

 佐祐理の忠告を受けてへばっていた3人が急いでペースをあげる。どうやら規定時間以内に走り切らないと回数が無制限に増えていくようだ。ちなみに何故かトラックには累々と訓練生達の屍が転がっており、動く様子も無い。
 そんな訓練生達を体力的に優れている名雪が1人1人引き摺ってきては仮設されている医療テントに運び込み、軍医もやってる葉子に預けていく。

「葉子さん、また急患だよ〜」
「先ほどから過労しか運び込まれてないんですが」

 つまらなそうに運び込まれてきた生徒を見やり、その額をピシャリと叩く。すると、叩かれた生徒は葉子に文句を言ってきた。

「酷いですよ先生、こっちは死にそうな目に会ってるのに」
「自分達の体力の無さを棚に上げて何を言ってますか。相沢少佐たちはまだ走ってますよ」「あれはもう人間じゃないです」
「・・・・・・じゃあ、もう走り終えてる私は何なのかな?」

 テントを出るときにボソリと悲しそうな声で呟く名雪。それを聞いた生徒がハッとしてテントの出口を見るが、既にそこに名雪の姿は無かった。

「あ、悪いこと言っちゃいましたか?」
「さあ、どうでしょう。口元が笑ってましたし、多分からかってるだけでしょう」

 ビタミン注射を取り出しながら葉子が答える。彼女の目はなかなかに確かだ。ただ、訓錬生が安心した直後にさりげなく意地悪な事も口にする。

「でも、貴方が水瀬さんを苛めたという噂が立てば、相沢少佐が黙っていないでしょうね。あの人の水瀬少尉への入れ込みぶりは結構有名ですから」
「な、何をされるんですか!?」
「さあ、私が聞いた過去の犯行記録によると、食事にジャムのような毒物を仕込むとか、靴にわさびを塗るとか、ヘルメットのバイザーに落書きをするとか」
「・・・・・・・・・ハイスクールの虐めですか?」

 訓練生は呆れた声を出したが、葉子はクスリと笑うだけでそれには答えはしなかった。この基地の司令官もそんなお馬鹿の1人である事を彼女は良く知っていたのだ。流石に口外すると色々と問題があるので、真実を語る相手は選んでいるのだが。

 シアンの課す地獄巡りフルコース、それは、ひたすら基礎体力を引き上げる訓練メニューを鬼のような量でこなさせるだけである。別に奇をてらった所は何処にも無い。ただひたすら走り込み、腕立て腹筋背筋と、まるでリトルスクールのクラブのような事をさせるだけである。ただ、その量が尋常ではないのだ。しかも全て時間制限付き。最初は訓練生達も全員参加していたのだが、いつの間にか数人を残すのみとなっている。まだ脱落していない3人は大したパイロットなのである。
 トラックを走り終えた3人はその場に倒れ込み、全身を使って必死に酸素を取り込んでいる。既に体面もへったくれも無いのだろう。
 疲れ果てた祐一に名雪がスポーツドリンクの入った容器を渡してきた。

「はい祐一、大丈夫?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 それにすぐに答える事も無く手にしたドリンクを飲む祐一。それを空にしたところでようやく一息つけたのか、祐一は大きく息を吐いて名雪に答えた。

「だ、大丈夫に見えるのか?」
「多分大丈夫じゃないとは思うよ」
「ならどうしてそんな事を聞く?」
「大丈夫そうだったら、更に量を増やすってシアンさんが言ってたから」

 鬼のような言葉に祐一はは滝のような涙を流した。だが、これが地獄巡りフルコースである。余裕など認めない、欠片でも余力が残っているならそれも使い果たさせる、後に残るのは力尽きた屍のみ。それがこの特訓である。もうほとんど虐めだ。ちなみに体力的に優れる名雪はクリアーできるのだが、あゆや栞、香里たちではクリアーする事は出来なかったりする。
 祐一が泣いている頃には北川と浩平にもドリンクが行き渡っており、暫し3人は休息を楽しんでいた。

 そこに、ニコニコと珍しく機嫌が良さそうな久瀬がやってきた。

「やあ、頑張っているようだね」
「久瀬、てめえ、俺に何の恨みがある!?」

 浩平がドリンクを大事そうに抱えながら文句を言った。立ち上がらないのは疲れるからだろう。指差された久瀬は口元を吊り上げて嫌味な笑いを浮かべると、その理由を語りだした。

「ふっ、折原君がこの基地に来て以来、君関係の騒動で僕がどれほど心労を溜めたか分るかい?」
「復讐心で俺をこんな目に合わせたのか!」
「ついでに言うなら、君を巻き込んだのは僕と里村少尉と葉子と長森さんの4人で決定した物だったりする」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「まあ、日頃の行いを振り返るべきだろうね。長森さんがまるで不肖息子を持ったお母さんの如く謝ってたよ」
「別に、ここ最近はそんな無茶な事はしてないと思うんだがなあ」

 しきりに首を捻る浩平に、久瀬はピクピクとこめかみを痙攣させた。どうやら2人の間には物事の認識に大きなズレがあるらしい。なんでか名雪は久瀬の右肩にポンと手を置き、フルフルと首を横に振っていたりする。

「久瀬中尉、気にしない方が良いよ」
「君も苦労している口かい、水瀬君?」
「はい、これでもファマス戦役の頃から祐一の面倒を見てましたから」
「そうか、大変だったんだね」

 なんだか苦労を分かち合う者同士の共感が芽生えているが、実は祐一も名雪を叩き起こしたりと結構世話していたので、一概に祐一だけが悪いとは言えなかった。


「そういえば知っているかい、北川大尉達も宇宙に上がるそうだよ」
「はえ、そうなんですか?」

 久瀬の切り出した話に佐祐理が驚く。何故か彼女は当り前のように久瀬の隣に座ってたりするのだが、今のところ誰も文句は言っていない。言おうとした祐一は自分の隣から叩きつけられた殺気に何も言えなくなってしまったのだ。

「どうも水瀬提督が掛け合ったらしいね。宇宙で本格的な戦闘になるから、戦闘指揮官を集めてるらしい。僕もそう遠くないうちに宇宙らしい」
「久瀬さんもですか。海鳴基地も寂しくなりますね」
「なあに、里村少尉なんかは残るそうだし、基地司令もそのままだから大丈夫だよ」

 余り気にして無いらしい久瀬。だが、それを聞いた北川は顎に手をやり、秋子の戦力の集め方に些か無茶だと感じていたりする。

「俺に久瀬中尉までか。また軍閥化がとか言われかねないのに。秋子さん、ほとんど一撃で決めるつもりかな?」
「いや、そうでもないらしい。既に緊急展開軍は月に一撃加えたそうだよ」
「へえ、結果は?」
「グラナダを含む6都市に攻撃を加えて、通信施設や発電所、宇宙港に損害を与えたらしい。かなりの数の住民が巻き込まれたっていう話だ」

 久瀬の話に祐一と北川、名雪の顔色が変わり、顔を見合わせた。

「あの秋子さんが、民間人を巻き込んだ?」
「都市部を巻き込んだ戦略攻撃か。悪くは無いけど、秋子さんにしては強引だよな」
「お母さん、何考えてるんだろう」

 民間人を常に第一に考える秋子がそんな強引な攻撃を行うとは、3人には信じられなかった。逆に秋子をよく知らない久瀬などはそれを客観的に見ていたりする。

「それは多分、短期決戦狙いだろうね。多少の犠牲を覚悟してでも内戦を終わらせる気なんだろう」
「そうでしょうね。秋子さんは甘い考えで事態を悪化させるより、トータルで犠牲を減らす道を選んだ、という事だと思います」

 久瀬と佐祐理の考えは3人にも頷けるものだった。いや、北川には馴染み深い手段だとも言える。北川はそういう考えでこれまで頑張ってきたのだから。祐一と名雪がこれを理解するのは難しいのだろうが、秋子のような立場だとこういう割切りをしなくてはならないのだ。
 そして、祐一にもその決断をする日が迫っていたのだった。



後書き
栞   いよいよエゥーゴ最後の時迫る!
ジム改 そうだねえ
栞   果たして、エゥーゴの運命や以下に!?
ジム改 うむ、それは秘密だ
栞   ちっ、読者さんにネタバレを提供する私の仕事を知っての言葉ですか?
ジム改 何時からそんな仕事に付いたのだ?
栞   それは秘密です
ジム改 ・・・・・・・・・・・・・・・・・
栞   それで、私は宇宙に帰ったらまたGP−03ですか?
ジム改 使う時があったら使うだろうねえ。ただ、あれには問題があるが
栞   なんです?
ジム改 制圧火力が大きすぎて、味方が居る所では使えないの
栞   確かに
ジム改 流れ弾も多そうだから、壊しちゃいけない物の傍でも戦えないし
栞   じゃあやっぱりマークUですね
ジム改 でも、何も無い所で「しおりん軽騎隊」が駆け抜けると、後には何も残らないほどの強さだしなあ
栞   パワーバランス無茶苦茶です!
ジム改 だから余り使いたくないの
栞   ああ、でも、あれ使うとスコアが一気に増えるんですよね
ジム改 そんなにスコアが少ないのが気になるのか?
栞   なりますよ。私、初期の頃から出てるのにスコア少ないんですよ
ジム改 美汐や真琴も似たようなものだと思うが
栞   出番の多さが違います
ジム改 いや、お前さんは後書きを外せば大して変わらないと思う・・・・・・