22章  暗礁宙域の罠


 バークの船団が襲撃されたことで、とうとう秋子は本格的に暗礁宙域にある拠点、茨の園の攻略を決定した。これを叩かない限りサイド5周辺航路を狙った襲撃行為は恒常的に続く事は確実であり、サイド5を任されている秋子としてはこれを放置しておくわけにもいかない。
 やるとなったら徹底的にやるのが彼女の本分である。今回もその印象に違わず、秋子は持てる戦力から参加させられるだけの兵力を参加させている。任務部隊も斉藤隊を含む3部隊が召集に応じ、現在フォスターU要塞には攻略部隊として編成を完了した86隻の大艦隊が結集していた。これは増強されている現在の緊急展開軍の5割近くにも達する大軍である。
 みさきはまだ戻っていない為に参加できないでいるが、秋子の信頼する将帥の多くが結集したこの攻略部隊は、水瀬艦隊の最精鋭とも言える部隊なのだ。

 旗艦リオ・グランデの作戦室に集まった各部隊の指揮官達は、バークの立てた作戦をたたき台とした攻略作戦を秋子より直に聞かされていた。彼女が示す暗礁宙域の宙域図には2通りのルートが記されており、それぞれにA,Bと記号が振られている。

「今回の作戦は茨の園攻略が目的ですが、同時に月攻略戦を控えての予行演習の意味合いも兼ねています。私が本隊を率いてAルートを侵攻します。バーク准将、シドレ准将の分艦隊を先鋒に、エインウォース准将には後方をそれぞれ任せます。オスマイヤー少将は別働隊としてBルートより侵攻をお願いします。3つの任務部隊はオスマイヤー少将と共にBルートに回ってください」

 秋子の説明に一同が考え込む表情を作る。秋子にしては珍しい戦力を分散する作戦というのも不安要素だが、それ以上に慣れない暗礁宙域での戦闘というのが問題なのだ。こういうのはティターンズが専門で、自分達には向いてはいない。
 不安がる指揮官達を代表するようにオスマイヤーが秋子に質問をぶつけてきた。

「提督、これはつまり、索敵攻撃という事でしょうか?」
「そういう事になりますね。情報収集艦を全て投入する事になるでしょう」
「ですが、こんな作戦は一年戦争でもファマス戦役でも前例がありません。かなりの博打ですよ。危険が大きすぎます」

 オスマイヤーの言葉に多くの者が頷く。誰だって無茶な闘いはしたくは無い。だが、既に茨の園攻略という大前提が出されている以上、作戦発動が覆る事もないのだ。後はどうやって攻略するかである。
 反論するなら代案を出さなくてはならないのは常識で、オスマイヤーは秋子の隣まで来ると宙域図を指で示した。

「むしろこの手の作戦に慣れている任務部隊を偵察部隊として前衛に出し、主力はその後を付いていってはどうでしょう?」
「任務部隊をピケットに使うのですか?」
「主力が分散して各個撃破のチャンスを与えるよりは堅実だと思います」

 オスマイヤーの提案に秋子は改めて宙域図を見直した。実の所、秋子は茨の園発見の困難さを考えて部隊を二分する気でいたのだが、オスマイヤーは戦力の保持を優先したらしい。どちらが堅実かと言われれば難しいが、秋子はオスマイヤーの正しさを認めた。

「確かに、消耗は少ない方が良いですが」

 だが、暗礁宙域での索敵は困難を極める。任務部隊の戦力がこの手の仕事に向いているのは承知しているが、発見できるものだろうか。それ以前に任務部隊が各個撃破の対象となる可能性も大きい。
 秋子が考え込んでしまったので、自然と会議の流れも止まってしまった。仕方なく部下達が各々の意見を出し合ってこの作戦を協議しているが、誰も決定打というものは出せないでいる。せめてここにマイベックが居れば上手い策を出したかもしれないが、彼は今はジャブローに居るので助けにはなれない。人材というものには、余人をもって代えられないという人物が確かに居るのだ。
 結局秋子はオスマイヤーの策を入れ、3つの任務部隊を増強したピケット部隊を正面に扇型に展開することにした。主力は秋子が直接率いる事になる。


 上層部の思惑がどうあれ、前線の兵士は戦う事が仕事だ。祐一はホワイトボードを叩きながら、再編された自分の大隊のパイロット達にブリーフィングルームで作戦の趣旨を説明している。

「今回のミッションはゴミ捨て場に巣くってるゴキブリ退治だ。敵の戦力は不明だが、こちらの半数も居ないだろうというのが上層部の予想だ。前衛の3つの任務部隊が敵を捜索し、発見したら本隊がそこに急行して仕上げをするという事だ」
「ですが隊長、それですと前衛部隊を見捨てる事にはなりませんか?」

 部下の1人が祐一に質問をぶつけてくる。祐一はそれに対して肩を竦めて頷いた。

「そう、それがネックなんだ。俺達が付く頃には前衛部隊が壊滅してる危険がある」
「それじゃ、前衛部隊の連中は使い捨てですか!?」

 祐一の答えを聞いたパイロット連中は流石に黙っていられなくなったのか、自分の椅子から腰を浮かせてしまう者まででる。それらに対して祐一は落ち着くように声を上げて命じるが、内心では彼らに同調しているだけにどうにも力が足りないでいる。
 そんな祐一を救ったのは名雪であった。

「大丈夫だよ」

 その一言に、全員の視線が名雪に集まる。彼女は祐一の隣で資料を小脇に抱えて立っており、全員の視線を受けても平然としている。この辺りの不可思議な図太さに対して、大方の評価はぼんやりだから空気が読めないのではとか、たんに鈍いだけではというものだが、彼女を良く知る者たちは彼女が仲間内でももっとも真が通った、しっかり者である事を知っている。寝起きの悪さと異常なネコ好きさえ除けばだが。
 名雪は全員を見回すと、祐一に変わってホワイトボードの前に立った。

「一応、各任務部隊にはマエストラーレ級駆逐艦4隻にサラミスD型2隻、E型1隻が追加されるし、MSも追加配備される事になってるの。MSもジムVに統一されてるし、そう簡単に負けたりしないよ」
「だが、それでも数は十数隻だぞ。敵の大部隊にぶつかったらひとたまりもない!」

 名雪と同じ少尉の階級章を付けたパイロットが名雪に文句をつけるが、名雪のぽややんとした笑顔を前に何だか勢いを失ってしまう。暖簾に腕押しというか、怒ってもあの笑顔にはするりとかわされてしまうのだ。
 名雪はその少尉に視線を向けると、自身ありげに話を続けた。

「任務部隊の人たちはエゥーゴ相手に慣れてるし、不利なら逃げてもいいって言われてるから、無理に戦ったりしないと思うよ。お母さ・・・・・・じゃないね、水瀬提督もそこで死ねなんて言わないし」

 名雪に言われて、パイロット達は黙って考え出してしまった。それを見て祐一は憮然として名雪を見るが、こっちを見た名雪は憮然とした自分を見て不思議そうに首を傾げている。

「どうかした?」
「いや、何でもない、気にしないでくれ」

 面向かってこんな情けない事を口に出来る筈も無く、祐一は口を噤んだ。まさか俺より名雪の言うことの方がお前らには説得力があるのか! なんて不満を抱いていたなどと口が裂けても言えるはずが無い。まあ、口にした所で名雪は拗ねるか笑うかで済ませてしまうだろうが。
 そのまま暫くパイロット達が落ち着くのを待つ2人。パイロット達は1人、また1人と席に付き、やがて全員が静かに元の位置に戻った。それを見て祐一はもう一度名雪を見やり、説明を再開した。

「それでだ、俺達の担当宙域は艦隊の正面になる。まあ露払いだな。敵が出てきたら適宜迎撃する」
「もぐら叩きですね」

 部下が自分達の任務をそう揶揄し、ブリーフィングルームに笑いが巻き起こる。この笑いでブリーフィングが締めくくられ、解散の声と共にパイロット達がブリーフィングルームから出て行く。残ったのは祐一と名雪だけだ。
 名雪は資料を纏めて小脇に抱えなおすと、ブリーフィングルームに固定されている椅子に腰を降ろしている祐一に心配そうな声をかけた。

「祐一、疲れてるの?」
「ん? ああ、そうだな」
「少し働き過ぎなんだよ。今からでも少し休めば?」

 心配そうな名雪の言葉に、祐一は首を横に振った。それを見て名雪がますます心配そうになる。それを見た祐一はやっと表情に笑みを浮かべた。

「悪い、ちょっと辛気臭かったな」
「ううん、それは良いけど」

 名雪は祐一の前に来ると、その顔を覗き込んだ。

「祐一、何か心配でもあるの?」
「・・・・・・別に、何も無いさ」
「嘘だよ」

 名雪に言い切られ、祐一は顔を顰めた。だが、今の名雪は不機嫌そうにじっと祐一を睨みつけており、祐一の誤魔化しを許すまいとしている。その視線に耐えかねて、祐一は渋々名雪に胸の内を語りだした。

「なあ、名雪。今の俺の部下なんだが、どれ位の奴らか知ってるか?」
「一応経歴は全部見たよ」
「なら知ってるだろ。まさか4割が新兵よりマシ、という程度だとは思わなかったよ」

 機動艦隊時代には部下の全員が教官級という信じ難いレベルにあった。その後も全体の3割は機動艦隊時代の部下で大体固められていたし、新兵の割合は全体の1割前後程度だった。それがいつの間にか半数近くが経験の浅いパイロットなのだから、祐一が憂鬱になるのも無理は無いかもしれない。

「編成されてから訓練はしてきたが、1月も無かったからな。ほとんど焼け石に水だ。これじゃあいつらは自分を守れないんだ」
「でも、祐一は良くやったと思うよ」
「俺もやれるだけの事はやったと思ってるんだが、結果が出ないと意味が無いからな」

 力なく答える祐一。やれる事をやっても、この短期間で身に付く事などたかが知れている。総指揮官となって以来、常に祐一を苦しめ続けてきた問題である。
 だが、今回も含めて部隊の技量が落ちているのは祐一の責任ではない。この問題は主力部隊のパイロットから精鋭が引き抜かれて任務部隊に回されてしまった為で、その欠員は新人で埋められたのだ。精鋭の穴を新人で埋めることは当然不可能で、祐一はこの新人を必死に鍛えたが戦力として数えられるほどには出来なかったのだ。
 人材収集に熱心な秋子は当然将兵の技量が戦局に与える影響をよく理解はしていたのだが、それでも部隊の将兵全てを精鋭で揃える事など出来はしない。秋子はシアンの海鳴訓練校など、比較的高い技量を持つ新兵を集めてはいたのだが、それでも全体の錬度は緩やかな下り坂を描いていたのである。
 祐一は落としていた肩を上げると、気を持ち直すように軽く頭を左右に振って、ようやく椅子から腰を上げた。

「悪い、聞いて貰って少し気が楽になった」
「いいよ、私は副官さんだからね」

 名雪はニッコリと笑みを作った後、少しだけ真剣な顔で祐一を見た。

「でも祐一、お願いだから1人で抱え込まないでね。北川君ほどじゃないけど、祐一も責任感が強いんだから」
「名雪に心配されるようじゃお仕舞いかな」

 やれやれという感じでぼやく祐一。それを聞いた名雪は拗ねたように頬を膨らませて怒り出した。

「酷い、それは酷いよ祐一」
「はっはっは、悪い悪い」
「流石に傷付いたよ。せっかく心配してあげたのに」

 ブスっとして顔を逸らす名雪。祐一はちょっとやりすぎたかなと反省し、どうしたものかと少し考えた。

「よし、今度の作戦が終わったら、お詫びに何か奢る」
「え、良いの? 祐一が奢るなんて珍しいよ」

 物凄く意外そうに言う名雪。祐一は心外そうに文句を口にする。

「おいおい、俺ってそんなに奢った事無かったか?」
「うん、お給料貰っても奢ってくれないよ」
「それはお前が言ってこないからだ」
「給料のたびに奢ってなんて恥ずかしくて言えないよ〜」

 困ったように眉を寄せる名雪。祐一は恋人の機嫌が直ったのを見て内心でほっと胸を撫で下ろし、名雪の背中をぽんと叩いた。名雪は吃驚して祐一を見る。

「さあ、俺達も行こうぜ。指揮官が出撃に遅れたら笑われちまう」
「うん、そうだね」

 祐一が先にブリーフィングルームを出て、名雪がその後を追っていく。何だかんだ言われている2人だが、何時ものんびりマイペースで上手くいく不思議な2人であった。

 

 

 この前例の無い暗礁宙域に対する大規模索敵攻撃という無茶は、たちまちエゥーゴの知る所となった。茨の園の部隊は常にサイド5を監視しており、フォスターUに動きがあるという事は少し前から気付いていたのだ。そして、その大軍が自分達を狙っている事もエゥーゴ情報部からの情報で判明している。その戦力は自分達の2倍にも達し、秋子自らが統率しているという。
 茨の園の部隊は現在はヘンケンの指揮の元、40隻ほどを保有していたが、そのうちの半数が仮装巡洋艦や特設空母であり、とてもではないが正規軍に真っ向から立ち向かえる戦力ではない。
秋子が攻めてくると知ったエゥーゴの指揮官達は恐慌状態に陥りかけた。それほどまでに秋子の名は恐れられていたのだ。
 そんな中でヘンケンは情報部の送って来た情報に目を通し、そこに書かれている敵将の名を呟いている。

「水瀬秋子、ロバート・ディル・オスマイヤー、斉藤直樹、か。ファマス戦役に名を残す名将たちだな」

 ヘンケンの言葉に、場が水を打ったように静まり返った。いや、沈痛な沈黙と言っても良いだろう。最高の指揮官に率いられた歴戦の名将たち、指揮下の将兵には経験豊富な者も多く、数も隔絶している。使っている兵器の整備状態も自分達とは異なり、万全の状態のはずだ。
 暫くの沈黙の後、誰かがポツリと漏らした。

「逃げるか?」

 その一言に、再び場が小さくざわめきだす。エゥーゴは前線基地の無理な確保を命じてはいないので、逃げても罪には問われない。だが、軍人としてのプライドもあるのだ。敵を見て、戦わないのは卑怯だと考えてしまう。
 初期からのエゥーゴ士官であるヘンケンは逃げる事には抵抗は無かったのだが、やはりこのまま退くというのは気に入らなかった。彼個人の問題なのだが、地球軌道で惨敗した事の借りを返したかったのだ。

「逃げるのは、一戦交えてからにしたいもんだな」
「ヘンケン、お前は戦う気か?」

 撤退に賛成していた艦長が驚いた顔でヘンケンを見ている。ヘンケンは顎鬚を撫でながら自分の考えを出した。

「茨の園周辺は俺たちの庭のようなものだ。ここに敵を引きずりこめるなら、外で戦うよりはマシな勝負になると思うんだがな」
「あの数にか?」
「暗礁宙域じゃ大軍は使い難い。むしろ少数で動く俺たちの戦場なんだよ、ここはな」

 自信ありげに断言するヘンケン。その裏には確かな勝算があったのである。だが、他の艦長達は一様に不安そうであった。
 ヘンケンは、どうやって秋子と戦うつもりなのだろうか。

 

 

 出撃した連邦部隊は斉藤隊など、3つの任務部隊を前衛して配置していた。斉藤は主力から借り受けた新鋭駆逐艦4隻と情報収集艦のE型サラミス、対潜型のD型サラミスを2隻を伴い、敵の待ち伏せを警戒しながら進んでいたが、暗礁宙域の中というのは余り良い気がするものではない。

「全く、嫌な所だな。何でこんな所で溝さらいなんぞしなくちゃいかんのだ?」
「仕方ないですよ。水瀬提督の命令です」

 不満そうな上官を宥める副長。リシュリューからの付き合いになるこの副長は斉藤の扱い方を良く心得ており、斉藤にとっては無くてはならない補佐役だ。
 だが、斉藤の言う事も分からないではない。周囲には破壊されたサイド5のコロニーの無数の残骸が漂い、見ているだけで嫌になってくる。中には戦没した戦艦やMSの姿もある。
 この残骸の何処かに敵が潜んでるかと思うと、正直楽しくは無い。全ては哨戒に出しているMSや戦闘機の活躍次第なのだが、奇襲を受ける危険が余りにも大きすぎるのだ。

「久瀬大尉は、どうしてる?」
「MS隊と共に待機しています」

 副長の答えに、斉藤は「そうか」とだけ答え、それっきり黙ってしまった。
 久瀬はこの作戦の少し前にようやく宇宙に上がり、斉藤隊に合流している。今回の作戦では新任のMS隊隊長としてヘープナーと交代しているのだが、時間が無さ過ぎて訓練もまともにしていないのだ。
 今回の作戦に久瀬は葉子を連れて参加し、指揮下にはジムV部隊を預けられている。斉藤大隊に限らず、任務部隊は装備面では優遇されている。
 着任した久瀬をかつての機動艦隊でMS隊中隊長を務めていたヘープナーなどは歓迎していたが、まだ若いパイロット達はファマス側に付いていたこの上官を歓迎はしなかった。いや、斉藤も最初は部下達に不信の目を向けられたのだが、彼はすでに幾つかの実績を上げることで将兵の信頼を勝ち得ているのだが、久瀬はまだその実績を上げる機会に恵まれていないのだ。

 そして、この斉藤隊を含む3つの任務部隊は、既にこの時エゥーゴの部隊を見逃していたのである。潜宙艦や駆逐艦、突撃艇やMS部隊がこの宙域に潜んでいたのだが、任務部隊は残骸に隠れたこれらの敵を発見できなかったのだ。
 ヘンケンの指示でこの前衛部隊を見送ったエゥーゴ部隊だったが、内心では何時見つかるかと気が気ではなかった。もし見つかれば防御力の無い潜宙艦などひとたまりも無く全滅させられてしうまうからだ。
 前衛部隊が十分に離れたのを見て、彼らははようやく恐る恐る動き出した。

「よし、さっさと仕事をして隠れるぞ。次に来るのはもっとヤバイ奴らなんだからな!」
「でも、他の部隊が見つかったら俺達も全滅では?」
「そんな事は見つかってから考えろ!」

 ある潜宙艦の艦長は不安がる部下を怒鳴りつける事で何とか自分を保っている有様だった。潜宙艦や駆逐艦、マインレイヤー型のMSが走り回って機雷を敷設し、暗礁宙域を地獄のトラップへと変えていく。隠されていた無人砲台などが起動し、近付いてくる敵をじっと待ち受ける。そして敷設を終えた艦やMSはまた隠れ場所へと戻っていった。後はじっと敵主力が通りかかるのを待てば良い。
 ヘンケンの狙いは暗礁宙域という特殊な状況を最大限に利用した奇襲であった。正面からぶつかれば何も出来ずに殲滅されてしまうような兵力差を補うには地の利を最大限に生かすしかない。残念ながら自分達は兵力、人材、兵器の質の全てで迫り来る連邦部隊に対抗し切れない事は情報で分かっている。水瀬艦隊の中でも緊急展開軍はMSの新型機種への更新が順調に進んでおり、現用主力機のジムUはジムVへとバージョンアップが図られているという。
 こんな連中と開けた宙域で交戦すれば勝負になる筈もない。だがここは暗礁宙域で、奇策を使う余地が残されている。ヘンケンはそこに勝機を見出したのだ。戦力が劣るなら別の物で補えば良いのだ。

 


 そして秋子達は、任務部隊からの連絡が無いので敵はいないものと判断して前進を続けていた。勿論自身で索敵を行いながらの前進である。しかし、それでも暗礁宙域で機雷などの小型兵器を見つけるのは至難であり、未だに秋子達はエゥーゴの罠に気付いてはいなかった。
 旗艦リオ・グランデの艦橋で秋子は逐次寄せられる報告を聞きながら、いい加減エゥーゴの動きがおかしい事に気づきだしていた。

「妙ですね、エゥーゴが仕掛けてきません」

 この疑問を秋子は参謀達に投げかけた。参謀たちはそれぞれに意見を出してくるが、どれも楽観的なものばかりで秋子の疑念を払拭させてはくれないでいる。秋子のこれまでの実戦で培われた勘が、この静かな現状に警鐘を鳴らし続けている。
 念のため直衛機を増やそうかと考えた時、いきなり状況が急変した。艦隊の左端を航行していた駆逐艦の1隻が爆発の光を発したのだ。

「駆逐艦ロー、被雷!」
「被雷、ローの被害は!?」
「機関停止、艦は大破したようです!」
「では仕方ありません。ローは放棄、乗員を脱出させなさい!」

 即座に決断して指示を出すと、秋子は参謀達を振り返った。

「どうやら、エゥーゴは真っ向からやりあうつもりは無いようですね」
「そうでしょうか、これはたんにこちらの戦力を削るのが目的で、主力はこの先で待ち構えているかもしれません」

 ジンナ参謀長が秋子に反論する。秋子はジンナの反論に頷きはしたものの、それに対しては何も答えなかった。秋子とジンナは元々余り上手くいっていた訳ではないのだが、ここ最近になってそれが顕著になってきている。秋子が彼を余り信頼していないというのも問題だったのだが、ジンナ自身が元々ファマス戦役で影響力を喪失した旧主流派に属していたのだ。
 ファマス戦役におけるゴップ大将らの旧主流派は、フォスターT開戦でワイアット大将率いる主力艦隊がファマスに敗れた際に責任を問われて辞職しており、連邦上層部に蔓延っていた当時の主流派は魔女狩りで狩り出される魔女の如く放逐されたのである。ジンナはこの人事の生き残りで、軍中央に残っていられた数少ない将官だった。
 彼は参謀長としての能力は確かに持っており、これまで秋子の補佐役としてそれなりの働きをしていたのだが、水瀬艦隊の中ではどうしても浮いた存在であったのは確かである。そんな人物であるので当然秋子とも相性が悪く、その亀裂はだんだんと大きくなってきていたのだ。


 秋子は一度艦隊を止めさせ、周辺の索敵と前衛部隊への連絡を取らせようとしたのだが、それまで繋がっていた通信がいきなり途絶した事、艦隊の周囲に幾つもの機雷があることなどが確認されるにつれ、敵が近くにいるという確信を強めた。

「機雷の排除を急ぎなさい。これでは回避運動も出来ません。前衛部隊には連絡艇を出して戻るように指示を出しなさい!」

 指示を出して各艦からMSが発進し、発見した機雷を始末し始めた。だが、中には触雷して爆発四散してしまうジムUやハイザックの姿もある。
 周囲に機雷処理の爆発の光が咲き乱れる中で、祐一はゼク・アイン隊を纏めながらも、漏れる愚痴を抑えられなかった。

「全く、こんなゴミだらけの中から敵を見つけようなんてのが間違いなんだよな」
「隊長、余りそういう事は言わないほうが」
「ああ、分かってるって」

 部下の忠告に少し苛立たしげに返した。
 実際の所、祐一の愚痴は監視任務に付いている多くのパイロット達に共通する苛立ちでもある。時折漂う機雷を見つけては気晴らしに破壊していくが、一向に敵に姿は発見できない。この残骸の山の何処かに敵が潜んでいるかと思うと、それだけで負担となってしまうのだ。
 そして、実際に連邦部隊を狙うエゥーゴ部隊はいたのである。彼らは停止した連邦艦隊めがけて隠れ場所から一斉に攻撃を開始したのだ。隠れていた潜宙艦や駆逐艦がミサイルを発射し、突撃艇やMSが突入していく。
 迫り来るミサイルに気付いた直衛機が慌ててそれを撃墜しようとし、艦艇が対空砲火の弾幕を張り巡らす。それらに捕らえられたミサイルが次々に爆発の光に変わり、艦隊に届く前に空しく散っていく。それを突破したミサイルに最後の守りである対ミサイル粒子弾が放たれ、艦への着弾を防ごうとする。
 ミサイルを回避しようと回避運動に入った巡洋艦が機雷に触れ、爆発の光に船体を引き裂かれるなんて光景もある。勿論一発で沈んだりはしないが、その艦が戦力から外れるのは確実だ。

 そして、ミサイルに続いてMSや突撃艇が混乱する艦隊に突入してきた。それを迎え撃とうと祐一の大隊が前に出ようとしたが、それより先に北川の隊が展開を始めた。

「相沢、お前はまだ出るな!」
「北川!?」
「お前は最後まで艦隊の傍にいて俺達に指示を出せ。それが仕事だろうが!」

 北川のゼク・アイン隊が敵部隊とエンゲージする。北川大隊はゼク・ツヴァイ1機とゼク・アイン35機で編成されている。祐一と北川はこの作戦に合わせて少ない時間で新しい編成を考案しており、今回の作戦に何とか間に合わせていた。機動艦隊時代は4個中隊で1個大隊を編成し、うち1つを支援機で編成した火力中隊としていたが、ファマス戦役後は3個中隊編成に改められ、1個中隊12機には通常3個、支援1個の4個小隊が配置されるという編成に変わっている。
 この編成を2人は更に変更し、1個中隊には第3種兵装の機体3機の通常小隊が2つ、第2種装備のゼク・アイン1機を加えた支援小隊2つという編成に変えている。これが3つ集まって1個大隊となるのだ。
 これが有効に機能するかどうかはこれからの実戦で判明するわけだが、それ以上に北川はエゥーゴ相手に自分の隊が何処までやれるか不安であった。
 北川は向かってくる敵部隊が2、3機の少数編成でバラバラに向かってくるのを確認し、指示を出した。

「第2中隊、敵を迎撃しろ。第1と第3はここで待機!」
「でも、相手のが数が多いわよ?」
「敵に先手を打たれた。もう少し様子を見たい」

 先手を取られた不利に顔を顰めながら北川は香里に答えた。北川の小隊は香里を加えた最強の編成だが、逆に言うと切り札なので投入時期を考える必要があるのだ。
 第2中隊が敵のネモやリックディアスと交戦圏に入り、マシンガンとビームライフルが激しく交差する。ネモは軽MSとしての利点である運動性を生かして激しく動き回り、リックディアスは重MSらしい突進力で突き進み、クレイバズーカを叩きつけてくる。だが、エゥーゴが初めて本格的に交戦する事となったゼク・アインはネモはおろか、リックディアスをも上回る高性能機だったのである。
 その無骨なシルエットからは想像も出来ない軽快な運動性と高い機動性、重装甲、大火力を併せ持つゼク・アインは突出した面は無いものの、高いレベルでバランスの取れた癖の無い高性能を持っているのだ。エゥーゴMSは自分より軽快で高速、重装甲で火力に勝るMSを敵に回すという、かつての連邦が味わった悲哀をそっくり返される嵌めになった。
 ゼク・アインの主力火器である大口径マシンガンの直撃を受けたネモが数発の直撃で機体を砕かれ、光へと変えられる。突破しようとするリックディアスがビームスマートガンに狙撃されて錐もみ状態になり、更なる直撃弾に破壊されてしまう。
 MS隊を避けて突入しようとした突撃艇も逃げられはしなかった。第2中隊が拘束されていても、北川はそちらに回す兵力が十分にあったからである。
 祐一が心配した技量の低さはどうやら機体性能と、機動艦隊時代から一貫して行われている集団戦法の援護がカバーしてくれているらしく、今の所目立った損害は出ていないようだ。
 少し後方から第2中隊の勇戦を見ていた北川は、他に敵が来ないのを確認して些か拍子抜けしてしまった。

「なんだ、これだけか? てっきり五月雨式にMSが飽和攻撃をかけてくるのかと思ってたんだが」
「多分、エゥーゴにもそれ程の余裕は無いんじゃないかしら。元々数で負けてるわけは無いんだし」
「そりゃそうなんだが、幾らなんでも抵抗が弱すぎるぞ。ひょっとして囮か?」

 敵の数はMSと戦闘艇を合わせても30機にも満たなかった。この程度の敵に1個MS大隊をぶつけたのは戦力の無駄遣いだったかもしれない。艦艇も出てこないし、流石に北川もおかしいと感じたのだ。
 少し考えた北川は、一度戻ったほうが良いと判断した。

「仕方ない、全機、総力で目の前の敵を殲滅しろ。その後艦隊に戻るぞ」
「本隊は大丈夫かしら?」
「相沢と天野がいる。よっぽど大丈夫だとは思うが」

 本隊には4つのMS大隊が残っている。そのうち相沢大隊はゼク・アインで天野大隊はジムVで統一されているから、余程の事がない限り負けることは無い筈だ。だが、残る2つは未だにジムUやハイザック主力である。その辺りに些か不安があった。

 

 

 北川の不安は的中していた。正面に出た北川が陽動部隊におびき出されている間に、ヘンケン率いる主力と待ち伏せ部隊が本隊に襲い掛かってきたのだ。その中にはエゥーゴの主力であるアイリッシュ級戦艦やアーガマ級機動巡洋艦、グラース級巡洋艦の姿までがある。出てくるMSは相変わらずのネモやリックディアス、メタスが主力だが、百式改の姿もちらほらある。また、ネモの改良型であるネモV、メタスをベースとした火力支援機、ガンキャノン・ディテクターも数える程だが混じっていた。

 艦隊は秋子の直接指揮の下に何とか統制を回復しかけていたのだが、この襲撃で再び混乱をきたしてしまった。タイミングを計ったかのように襲い掛かってきたエゥーゴ部隊を秋子はリオ・グランデの艦橋で賞賛さえしている。

「やってくれますね。折角立て直したのに、またバラバラですよ」
「提督、そんな暢気な事を言っている場合ではありません!」

 ジンナ参謀長が声を荒げてのほほんとしている秋子を非難したが、別に秋子は暢気にしているわけではなかった。いや、むしろ怒っていたのだ。なにやら自分に非難の視線を向けてくる参謀達を秋子は何時もの笑みを消した顔で振り返り、視線で参謀達の顔を一薙ぎする。それだけで参謀達は一斉に顔を青褪めさせ、黙り込んでしまった。それを受けても動じない参謀が半数にも満たない事に秋子は失望を禁じえない。

「喚いている暇があったら、部隊の通信回線を回復させるなり、敵戦力の集計をするなりしたらどうです。ここはすでフォスターUでもジャブローでもなく、戦場なんですよ。しかも現在私達は包囲され、身動きも出来ない状況におかれているんです!」

 秋子の叱責を受けて、即座に動き出したのは機動艦隊時代から参謀として活躍していた副参謀長のボスウェル大佐、新参の後方主任参謀のオスマン中佐であった。2人は急いで艦橋内のオペレーターたちの間を駆け回り、混乱する報告を纏め始めたのだ。
 この時点で動きの遅かった参謀達を、秋子は頼むに足りずと判断した。能力的に不足があるわけではないが、実戦の場で対応が遅いのは艦隊司令部には不向きだ。秋子は正面に向き直ると、オペレーターに味方部隊の状況の報告を求めた。少しの間を空けてボスウェル大佐がメモを手に戻ってくる。

「オスマイヤー艦隊、バーク艦隊は統制を回復しつつあります。シドレ艦隊とエインウォース艦隊はまだ混乱している模様。MS隊は敵部隊を迎撃、乱戦になっているようです」
「天野大隊はどうです。祐一さんは?」
「天野大隊は健在なようで、右側からの攻勢を食い止めています。相沢大隊は乱戦に巻き込まれたようですが、相沢少佐本人は指揮系統を立て直しつつあります。ですが、全体で見ればまだ混乱の渦中のようですが」
「仕方ありません。直属部隊は空母部隊を守りつつ防御隊形をとらせなさい。各艦隊は司令官の判断で行動、MS隊は祐一さんに任せます」

 態勢を立て直せないままにエゥーゴに包囲されてしまった連邦艦隊。3つの任務部隊とも切り離され、数的に決定的に優位とは言えない状況に追い込まれてしまった。数の優位を過信した秋子の失態であったが、ヘンケンのとった策も効果的なものだったのだ。
 緊急展開軍の結成から2年余り、初めて経験する暗礁宙域での戦闘に、ファマス戦役を生き抜いたベテラン達が翻弄されている。たとえ数と装備で負けていても、戦い方によっては不利を補うことも可能だという事を、ヘンケンは自分の奇策で証明して見せたのだ。
 だが、問題は何処まで耐えられるか、である。敵将はいずれも実戦で実力を証明した名将で、弱体化しているとはいえ連邦最精鋭の声も高い水瀬艦隊の主力、緊急展開軍なのだ。もし態勢を立て直して反撃に出られたら、戦力差のままに不利を覆して反撃に出てくるのは疑いない。
 どの辺りを引き際と見るか、その見際目が難しかった。



後書き
ジム改 秋子さん、ヘンケンの罠に嵌って現在苦戦中
栞   秋子さんがこんなに苦戦してるのは、フォスターTでの後退戦以来ですね
ジム改 大軍の指揮官としては優秀なんだが、こういう小技を駆使する作戦は得意ではないのが秋子さんだから
栞   ヘンケン艦長って、凄い人なんですか?
ジム改 凄いと言うか、この手の作戦には強い人。今回は戦場が味方したな
栞   じゃあもし開けた場所で戦っていたら?
ジム改 そりゃ、秋子さんの圧勝。何しようがヘンケンに勝ち目は無い
栞   数の暴力は最強、ですか
ジム改 今回は数が生かせない戦場に秋子さんが攻める側だったからな
栞   攻めずに待てば良かったのでは?
ジム改 それが出来ないのが正規軍の辛い所。退治しないと文句が来るの
栞   正規軍というか、公務員ですね
ジム改 似たようなものだよ。どっちもお役所だし
栞   事務手続きが遅いですからね。そういえば、なんだかうちの偉い人たちが仲悪そうでしたけど?
ジム改 悪いと言うか、機動艦隊時代が一枚岩だっただけ
栞   マイベックさんもシアンさんもいませんからね
ジム改 機動艦隊時代はあの2人が要だったからな。今は祐一がMS隊を纏めてるが
栞   偉い人は大変ですね
ジム改 君がもし、嫌な部下を持ったらどうするね?
栞   祐一さんにごり押しして他の人と代えてもらいます
ジム改 それが言えるのはお前のような立場までだ!