29章  主力艦隊出撃


 

 アクシズ艦隊の月面到着の報が流れて1週間後、ルナツーを無数の光点が埋め尽くした。それはまるで3年前のファマス討伐艦隊の出撃の再現のようであり、見る者を圧倒する光景である。それは総数300隻に達する連邦主力艦隊が出撃態勢を整えた事を意味していた。第3、第4艦隊が月面封鎖に出していながら尚これだけの戦力を連邦はルナツーに残している。
 勿論この全てが出撃するわけではないが、それでも200隻以上が出撃する事になる。この出撃に際し、バーミンガム艦上にあるリビックは全軍に対して簡単な演説を行った。

「全将兵諸君、わしは宇宙艦隊司令長官のリビックじゃ。出撃を前に何事かと思う者も居るじゃろうが、まあ聞いて欲しい」

 いきなり砕けた調子で始まったリビックの演説に各艦の将兵は顔を見合わせ、そして放送に聞き入った。リビックの人望は秋子と共に宇宙軍を二分するほどに高く、その演説を無視するような者は少ないのだ。

「この内戦は復興中の世界に大きな傷を残そうとしておる。すでに誰もが理解しておるじゃろうが、航路の寸断によるコロニー市民の生活の圧迫は酷いものがある。我々はこの状況を打開する為に全力を持って月面を制圧、エゥーゴを根拠地ごと粉砕する。逃げ延びた残党がゲリラ化する恐れもあるが、根拠地を失えば組織的な活動も出来なくなり、奴らはゲリラに成り下がるじゃろう」

 そこでリビックは話を切り、1つの間を開けた。部下たちが怪訝そうな視線を向けてくる中でリビックは艦橋から周囲の艦艇を見回し、小さく頷いてまた口を開いた。

「じゃが、エゥーゴには尚多くの戦力が残っておる。しかもアクシズの艦隊までが合流した。この戦いは決して楽なものではないじゃろう。月面都市の市民達にもエゥーゴに協力するものが多数出ると予想されておる。当然多くの犠牲が出る。我々にとっても民間人を巻き込んだ辛い戦いとなるじゃろうが、この混乱が長引けば犠牲者の数は遙かに増える事になる。じゃから、我々は持てる力の全をもってエゥーゴを葬り去る。犠牲はこの一撃で終わらせるのじゃ」

 リビックの演説が終わるのと同時に、連邦艦艇の全てから歓声が沸きあがった。将兵の士気が高揚したのを実感したリビックは2時間後の出撃を指示し、やれやれと自分の椅子に腰を降ろす。

「ふう、慣れん事はするもんではないな」
「いえ、御立派でした」

 隣に進み出た総参謀長のクルムキン少将がリビックを労う。リビックは右手で目頭を軽く押さえた後、椅子ごと後ろに向き直った。そこには20人ほどが腰掛けられる長机となっており、今回の作戦に参加する提督たちが幕僚とともに座っている。

「さて、今回の月面攻略作戦じゃが、最後の確認をおこなうとするかの。参謀長、頼む」
「はい」

 クルムキンが機器を操作し、丁度リビックから見て正面、艦橋の背面に取り付けられているスクリーン上に月周辺の宙域図を映し出す。

「既に第3、第4艦隊が月の封鎖を行っていますが、ここに更に我々の第1、第2艦隊をフォン・ブラウン攻略に投入します。陸戦隊は強襲揚陸艦6隻を主力として3千名、ミドル・モビルスーツ60機を投入して市街を制圧する事になります。第5艦隊は周辺の都市を攻撃してこれを破壊して貰います。完全破壊の必要は無く、抵抗力を奪う程度の破壊で十分です。第3、第4艦隊は引き続き軌道上を封鎖し、逃亡を図るエゥーゴを叩いて下さい」

 クルムキンは宙域図を指示棒で示しながら説明を続けていく。その指示棒は今度はグラナダを叩いている。

「グラナダにもかなりの敵部隊が残っていると情報部の報告にもありますので、水瀬提督の緊急展開軍主力がここを叩く事になっています。また、緊急展開軍はこの作戦においてMA部隊を投入します」
「MAだと。まさか!?」

 緊急展開軍のMA部隊といえば1つしかない。美坂栞が率いるしおりん軽騎隊という気の抜ける名を与えられた、僅か7機で編成されながらその戦力は1個艦隊を凌ぐとまで言われる最強部隊である。それが出てくると聞いて第5艦隊を率いるデスタン少将が驚きの声を上げたのだが、それを咎める者は誰も居なかった。

「今回は5機が参加すると報告を受けています。これは緊急展開軍だけではなく、要請に応じて他部隊の援護にも派遣されます」
「つまり、我々もあの化け物の援護を受けられると?」
「はい。勿論、第1艦隊に配備されている2機のGレイヤーも持っていきます。これだけでも制宙権を押さえるには十分すぎる戦力となるでしょう。もっとも、敵に制宙権争いをする気があればの話ですが」

 クルムキンの遠回しとは言えない皮肉に、列席者の中から失笑が漏れた。自分達はエゥーゴの総力の数倍という戦力を持って月に侵攻するのであり、彼らがもし宇宙空間でこちらを迎撃しようとするなら、折角の戦力を無駄に失う事になるだろう。それはファマス戦役の火星軌道攻防戦と並ぶほどの殺戮となるに違いない。
 だからエゥーゴが出てくるとは誰も考えては居ない。それは明らかな下策であり、向こうに僅かでも勝つ気があるのなら艦艇の行動が制限されてしまう月面でMS戦を仕掛けてくる筈だからだ。いや、MSだけとはならないだろう。まず間違いなくエゥーゴは歩兵まで繰り出してくる筈だからだ。かつて、ファマスが火星で降下してきた連邦軍にMSと歩兵を組み合わせて迎撃してきたという前例があり、MSでの排除が難しい事から連邦側も陸戦隊を繰り出して史上初めての地球以外での大規模歩兵戦を行ったのだ。
 ファマス戦役に従軍していた者も多いエゥーゴがこの戦訓に学ばないという事は無いだろう。

「まずフォン・ブラウンとグラナダを攻略し、その戦果をもってエゥーゴに降伏を勧告します。抵抗を続ける諸都市もこの2大都市の陥落を見れば抵抗が無駄だと悟るでしょう」
「降伏勧告か。だが、応じるかな?」
「応じなければ他都市も同じ運命を辿るだけです。もっとも、彼らにはそれ以外の選択の余地もありますが」
「選択の余地?」
「はい。実は政府から公式に月面都市群に勧告が行われる事になっています。我々の攻撃開始以前にエゥーゴと手を切り、大人しく帰順するなら攻撃対象から外し、責任の追及も軽くするという条件で」

 クルムキンの報告は少し遅れた情報だった。既にこの時には全ての月面都市行政府に対して勧告は行われており、各都市に無視し得ない波紋を呼んでいたのである。特にエゥーゴは窮地に立たされた。グラナダやフォン・ブラウンといった根拠地はともかく、エアーズ市などの親連邦系都市はこの勧告に応じる可能性が高いと見られている。
 この勧告を知ったブレックスは直ちに各都市駐留のエゥーゴ部隊に対して戦闘配備を命じ、各都市を威嚇するように指示を出していた。これに対して各都市も防衛隊を出して抵抗の構えを見せているが、これが衝突するか否かは各都市の市長の決断にかかっている。
だが、もし衝突するような事になればエゥーゴにとって最大級の悪夢となるだろう。今度の戦いでは各都市の防衛隊や市民軍も戦力として数えていただけに、これが敵に回るどころか鎮圧に兵力を割かれるなどという事になれば笑い話にもならない。

 この各都市の混乱はそのまま現実を物語ってもいた。エゥーゴの主張がルナリアンの支持を集めていることは確かだが、秋子の緊急展開軍のみならず、リビックの主力艦隊までが出てくるという現状に恐怖を覚えた者は多いのだ。これを相手にエゥーゴが勝てると思うものは流石に誰1人としておらず、各都市ではエゥーゴと共に滅ぶか、屈辱を甘受しても連邦に帰順するかの2択を真剣に検討していたのである。
 この混乱だけでも連邦にとっては大きく有利に働いており、リビックたちは迎撃準備を十分に整えられないエゥーゴと戦うだけで済むかもしれないという期待を抱いている。準備不足ならば敵の抵抗は想像していたよりも格段に弱くなるはずで、攻略に必要とされる時間と犠牲を大幅に減らせるかもしれない。出来ればそうなればいいとリビックは考えているが、それが実現するかどうかはまだ分からなかった。



 

 リビックたちの出撃と呼吸を合わせて秋子も緊急展開軍主力を出撃させようとしていた。サイド5を出撃しようとしているのは総数115隻に達する。緊急展開軍が保有する5隻のラザルス級空母全てが投入されており、巨大な方陣を形成している。
 秋子は何時ものようにランベルツ少将にフォスターUを任せており、負傷している北川を補佐につけてある。もしエゥーゴが別働隊をもってサイド5を襲っても何とかなるだけの戦力も残してあるので心置きなく襲撃することが出来る。
 旗艦であるクラップ級巡洋艦タナトスに座上する秋子は、これからの戦いを考えて少し気が重かった。理想論を語るような軍人ではないのだが、奇麗事が好きな人間ではある。非戦闘員を殺したくはないし、都市を戦火に巻き込みたくも無い。元々は協力するべき戦友と砲火を交えるのも嫌だし、部下を失うのも辛いのだ。これらの問題を常に内面に抱えてしまう秋子は指揮官に向いていない人材なのかもしれない。
 
「この作戦で、終わってくれれば良いのですけど」

 不安そうに呟く秋子。その俯いている鼻面にいきなりドリンクのチューブが差し出されて慌てて頭を上げた。

「な、何です?」
「どうされました提督、浮かない顔をして?」
「ああ、ジンナさんでしたか」

 参謀長が気付かないうちに隣に来ていたのだ。何とか表面上は落ち着きを取り戻して差し出されたドリンクを受け取り、口に含む。

「何か、この作戦に不安でも?」
「……ちょっと、気になる情報が寄せられまして」

 秋子は胸ポケットから折り畳まれた1枚の書類を取り出し、ジンナに見せた。それに目を通したジンナは眉を顰めてそれを読み進めていく。

「これは、情報部のバイエルライン少佐からの報告ですね。公式ではなく、私的なもののようですが」
「そうです。問題はその内容ですが」
「ティターンズが戦力を集結させ、何らかの作戦を実行しようとしている、ですか。まだ実戦テストが終わったばかりのバーザムを多数配備しており、マラサイの改良型まで揃えている」
「事実なら問題です。私達はそんな報告は受けていません」

 新型MSの配備の隠匿、戦力を終結させていた事も問題視される事だ。ことに連邦に対エゥーゴ戦を任せて以降のティターンズは積極的な作戦行動をすっかり控えるようになっており、戦力を温存している。現在も一応月封鎖作戦に20隻ほどの艦艇を出している。今回の作戦には面子もあってか、秋子の支援に封鎖部隊もあわせて50隻を動員しているのだが。
 ただ、ティターンズ宇宙軍の総艦艇数は秋子たちの知る限りでは現在60隻ほどであり、ティターンズは総力を繰り出しているといえる。だが、バイエルラインからの情報ではティターンズは80隻以上もの艦艇を有しているというのだ。もしそれが本当なら何処からそれだけの戦力が湧いて出たのか、資金の流入ルートは、人員は何処からかき集めたのかなど、疑問は尽きない。

「バイエルラインさんの情報が確かなら、ティターンズは何をするつもりなのでしょうね?」
「少佐の報告が間違っているという可能性もありますが、気になる情報ではあります。ティターンズには監視をつけておきますか?」
「いえ、そこまでは必要ないでしょう。証拠がある訳でもないですし、ティターンズを疑うのはこの戦いが終わってからゆっくりとやります。それに、ここでエゥーゴを叩けばティターンズが妄動する隙もなくなりますから」
「提督がそうお考えなら、私が気にする問題ではありませんが」

 秋子の返答を聞いてジンナは引き下がったが、内心では些か不満であった。秋子の遣り方は何時もどこか手緩さを感じてしまう。秋子の影響力ならばもっと能動的に動いて戦局を有利に持っていくことも可能だろうに、自分の持つ力をあえて無視して1方面の司令官に甘んじている。その点はリビックも同様で、実戦部隊の最高指揮官という立場から一歩も外に出ようとはしない。
 この2人の煮え切らなさがジンナには歯痒かった。やれるだけの力がありながら、必要な時にそれを行使せずにこうして手遅れになってからそれを行使している。もしエゥーゴが決起した時に2人が動いていれば、月面都市の被害は無かったかもしれないのに。

 ジンナのように考えるものは秋子の部下にも少なからず存在していたが、秋子は自分の職分から外れた行動をとる事はなかった。かつて久瀬は同じように連邦軍人としての限界と、連邦政府の迂遠さと鈍重さに失望して反乱を起し、連邦のありようを変えようとしたが、それを阻んだのも秋子とリビックだ。2人は軍人が政治を力で変革しようとする事を良しとせず、久瀬中将の理想を阻んだのだ。これが正しい事だったのかは分からないが、今も2人は当時と同じようにエゥーゴの前に立ちはだかっている。
 実は連邦宇宙軍にはエゥーゴに賛同するもの、あるいは好意的に見る者も多い。それだけ高圧的なティターンズへの反感や、連邦政府の宇宙への関心の薄さへの批判が強いのだが、これを秋子とリビックの人望が抑えてしまっている。2人が連邦に残ったから自分も連邦に残る、と決めた将兵は物凄い数になるのだ。結局、連邦宇宙軍がシビリアン・コントロール化にかろうじて繋ぎ止められているのはこの2人の存在がそういった不満を押さえ込んでいるからなのだ。
 秋子とジンナの相性が悪いのもこの辺りに理由がある。軍人が武力で政治を壟断する事を手段として選択しかねない者と、何があろうとそれを選択しない者の違いが対立を呼んでいるのだ。もっとも、それは行動に直結してしまうほどに深刻なものではなく、ジンナもこの部下に常に過大な要求をしてくる上官にだんだんと慣れて来た為か、昔ほど反目する事も無くなっている。思想面と人格面で妥協する事が出来れば秋子は極めて有能な指揮官であり、軍人として彼女の下で戦えるのは寧ろ本望に感じるようになる。そう、マイベックやシアンがそうであったように、ジンナもだんだん秋子を中心とする独特の空気に染まってきたのだ。

 これが当人にとって幸いかは、また別の問題であるが。


 

 出撃に際して、祐一たちは居残り部隊となる北川たちとフォスターUの宇宙港で見送りを受けていた。これが最後になる可能性はゼロではなく、そうなってから後悔しても遅いのだ。

「相沢、俺が居ないからって天野に余り迷惑かけるなよ」
「馬鹿やろう。お前なんかいなくたって俺は全然困らねえよ。怪我人は大人しく養生しながら俺たちの活躍を見てるんだな」
「活躍ねえ。月の重力に捕まって落っこちる様が浮かぶんだが」
「俺はそんな間抜けじゃない!」

 別れの挨拶まで皮肉の応酬を交わす2人は、最後に右腕をぶつけ合わせて別れの挨拶とした。2人の間にさよならは無い。そんな言葉を交わさなくとも必ず生きて帰ってくるという自負があるからだ。それは一年戦争からひたすら死地を潜り抜けてきたベテランだからこその自信だが、祐一も北川も連邦で最も経験豊富なパイロットであり、士官なのだから当然だ。2人に較べれば舞やあゆほどのエースでさえ経験不足となる。
 その隣では名雪とあゆ、香里が七瀬や瑞佳と別れの挨拶を交わし、少し離れた所で浩平が一弥にコブラツイストを仕掛けて一弥に断末魔の絶叫を上げさせている。そこに怒ったみさおが駆け込んで浩平に飛び蹴りをかましたりするのも既に見慣れた光景だ。
 そう、見慣れた光景だ。喧騒から離れ、一足早く乗艦に乗り込んでいた美汐は側舷の窓から友人達を見下ろしながら、遠いサイド6にいる筈の友人を思い出している。

「真琴は、元気でしょうか。あの娘は面倒くさがって中々連絡をくれないから困ります」

 真琴のいるサイド6は平和なコロニーだ。戦乱の中心である月からも遠いし、ルナツーの近くだから周辺宙域の治安も安定している。危険というなら自分の方が遙かに危険なずなのだが、何故か美汐は真琴の身を案じてしまう。この辺りが祐一におばさん臭いとかから変われる所以で、自分も何となく自覚があるので最近では反論し難くなっている。
 だが、天野の悪い予想は誰もが想像しない形で現実のものとなってしまうのだった。
 


 連邦艦隊の総力出撃をエゥーゴは監視に出していた強行偵察艦ですぐに察知した。元々戦力差は絶望的であり、準備さえ整えば出撃を躊躇う理由は連邦には無いのだから、寧ろ今まで出てこなかったのが意外だったとさえ言える。
 フォン・ブラウンにあってアナハイムの会長、メラニー・ヒュー・カーバインと向かい合うようにソファーに腰掛けているブレックスは沈痛な顔でメラニーに事態を報告し、メラニーもまた避けられぬ戦いに表情を曇らせた。

「遂に来るのか」
「はい、エゥーゴは既に全艦隊を環月方面司令部に集結を完了さえていますが、リビック長官の主力艦隊に何処まで抗しえるか」
「新鋭MSを揃えた精鋭部隊が時間稼ぎにしかならない、か。酷い話だな」

 メラニーの声は重い。ZU、メタス改、リックディアスU、ガンキャノン・ディテクター、ネモV、ネモF型、さまざまな新型を開発しながらも、圧倒的な数を前には空しいだけでしかないのだから。
 ブレックスもメラニーの漏らした呟きに頷いた後、躊躇いがちに質問をした。

「メラニー会長、1つお聞きしたい事があるのですが?」
「何かな?」
「前に伺ったティターンズの内通の話なのですが、本当でしょうか?」
「分からんよ。信じるしかない。それにだ、仮にティターンズが我々を騙していたとしても、今更状況が変わるわけでもあるまい」
「それは、そうなのですが」

 メラニーの言葉にブレックスも頷いてしまう。状況は考えられる限り最悪で、今更敵が増えた所で結果が変わるわけでもない。

「我々に選択の余地は無いのだ。ティターンズを信じて全力を連邦軍にぶつけるしかな」
「他の都市は見殺し、ですか」
「仕方あるまい。全軍を集めたからこそフォン・ブラウン正面で敵を迎え撃てるのだ。悪いがグラナダには独力で持ち堪えてもらうしかない。ティターンズが上手く事を運んでくれればグラナダも救われるだろうがな」

 エゥーゴは既に各都市の駐留部隊を除く全戦力をフォン・ブラウン上空に移動させた環月方面司令部に集めていた。この要塞と艦隊をもってリビックを迎え撃とうというのだが、その代償として他の都市には僅かな数のMS部隊と歩兵部隊が駐留しているに過ぎない。事実上の切り捨てである。いや、本当はこれらも引き上げて合流させたかったのだが、この部隊は諸都市への押さえとして残さざるを得なかったのだ。エゥーゴ指導部は諸都市の市長を信じていなかったのだ。

 だが、ブレックスにはこのメラニーの決定が情けなくもあった。確かにエゥーゴ単独で連邦を撃破することは不可能だが、だからといって不倶戴天の敵であるはずのティターンズと手を組んで連邦を撃退するなど、これまで守ってきた誇りを溝に棄てるような行為でしかない。少なくともエゥーゴに参加した将兵は誇りをそれまでの生活に優先させた為にここに居るのだ。だが、メラニーは誇りよりも生存を、利益を優先している。どちらが現実的と言われれば誰もがメラニーと答えるだろう。そして正しいのもメラニーなのだ。
 

 このエゥーゴ上層部の決定など知りもしない前線の兵士達は、まさに最後の決戦を覚悟して準備を整えている。フォン・ブラウンと環月方面司令部に集結した艦隊は次々に母港を立ち、迎撃作戦に従った配置へと向かっていく。これに反応して封鎖をしていた連邦第3、第4艦隊も動き出し、小規模だが激しい艦隊戦が各所で繰り広げられている。その中にはアクシズから来た応援艦隊も含まれており、連邦軍は可変機の長大な航続力を生かしたアウトレンジ戦法に戸惑う事になる。
 そして各都市では迎撃の準備が始められている。といっても準備を進めているのはエゥーゴに好意的な都市だけで、親連邦系の都市はエゥーゴとの対決姿勢を強めてさえ居る。どっちつかずの都市もあり、これらの都市はエゥーゴの少ない戦力を無駄に引き付ける結果となっている。
 そして連邦の攻撃目標であるグラナダでは、市民軍や防衛隊、そして僅かなエゥーゴ守備隊が必死に防衛戦の準備を進めている。この都市のエゥーゴ部隊の指揮をとっているのはあの舞であった。連邦との戦いで養成の難しい高級将校が次々に戦死し、大尉でしかない舞がエゥーゴ部隊を纏めるような事態になっているのだ。何しろ今のエゥーゴは士官が払底し、巡洋艦の艦長なら中尉の階級で指揮をとる事さえある。中にはマゼラン級戦艦の艦長が大尉などという笑えない事実までがある。
 こんなふざけた状況下で舞は数少ない経験豊富な士官であり、彼女以外に部隊を纏められる人間も居なかったのである。トルクもアムロもフォン・ブラウンの迎撃任務に回ってしまっているから。
 だが、迎撃部隊の指揮官という立場は一見すると大抜擢に見えるが、実体は戦力を回せない事を誤魔化す為に著名なエースを1人回したというだけに過ぎない事を、舞もグラナダ守備隊の将兵もよく理解していた。それでも舞をグラナダ守備隊は歓迎し、舞もそれによく答えて出来る限りの防衛体制を整えていた。

 今も舞はグラナダ周辺に急遽取り付けられた艦艇用の対空レーザー機銃の設置状態の視察を終えて宇宙港に戻ってきている。ここの建艦ドックに艦艇用の予備部品として備蓄されていた多数のレーザー機銃や主砲が全て持ち出され、グラナダ周辺に偽装を施されて設置されたのだ。更に志願兵主体で編成されている歩兵部隊に対MSミサイルのランチャーを与え、市街地に降下してきた敵MSへの迎撃チームを編成した。他にも作業用のミドルMSやプチMSにエゥーゴが開発していたハイパービーム砲を取り付けて移動砲台とするなど、形振り構わない迎撃準備が整えられたのだ。それはひょっとしたらフォン・ブラウンよりも強化された迎撃体制だったかもしれない。
 そして、緊急展開軍がこちらに向かったのを知らされた舞は各部署の指揮官達と打ち合わせを行い、全ての手順を再確認させてから各部署に送り込んだ。もはや待つ事しか出来ない。舞はグラナダのドックから天井を見上げ、その無表情に始めて不安げな色を過ぎらせた。

「空爆の被害が、どの程度で収まるだろうか」

 秋子の事前攻撃は徹底している。フォスターU攻略戦ではわざわざ隕石とレールガンシップまで用意していたほどだ。あの秋子がこの都市を攻撃するとなれば、アヴェンジャー攻撃機が対地攻撃弾の雨を降らせてくる筈だ。艦隊も弾道ミサイルを降らせてくるだろう。その猛烈な空襲を耐え切った後、どれだけの戦力が残るか分からないのだ。
 そんな事を考えながら歩いていた舞の前でハイパービーム砲用のEパックを台車に積んで運んでいた少年が躓いて転び、Eパックをぶちまけてしまった。
 その少年は慌ててEパックを台車に戻そうとしたが、それは月面の重力を考慮しても子供が持ち上げるには少々酷な代物だった。だがそれでも少年は顔を赤くして持ち上げようとしている。それを見ていた舞は、無造作に近付くと少年からEパックを取り上げてしまった。

「あっ」

 少年は舞を見上げ、呆然としている。エゥーゴ部隊の指揮官が自分のヘマを見ていたのだから、それも当然だろうが。
 舞は少年の怯えなど気に止めた様子も無く、Eパックを軽々と持ち上げて台車へと戻してやり、視線を少年へと向けた。視線を向けられた少年はビクリと体を震わせて硬直している。

「……無理なら替わってもらった方が良い」
「いえ、無理なんて事はありません!」
「貴方は、幾つ?」
「18歳です!」
「……私には15位に見える」

 舞の追及の視線から逃れる事は出来ない。少年は突き刺すようなその視線にすぐに音を上げ、真実を口にした。

「はい、14歳です」
「志願兵の最低年齢は16歳。それは知ってる?」
「はい、知ってます」
「そう、ならすぐにシェルターに行って。ここは子供が居て良い所じゃない」

 そう言って舞は少年の前から立ち去ろうとしたが、少年に腕を掴まれて仕方なく足を止めて少年を見た。

「お願いします。僕にもチャンスを下さい!」
「何故? 貴方は自殺したいの?」
「戦いたいんです。街を守りたいんです!」

 少年は若者特有の熱い眼差しで舞を見ている。志願兵にはこういう目をした者が大勢居るが、それは危うさを孕んでいる。情熱に突き動かされた者は時として実力以上の力を発揮することもあるが、それは危うい強さなのだ。こういう目をした者は大抵長生きできない。

「貴方、名前は?」
「ケン・フォスターです」
「そう、じゃあケン、私の言う事は守れる?」
「勿論です!」
「じゃあ1つだけ言っておく。MSの攻撃を避けるためになるべく屋根がある所を移動する事。それを守ってれば、そうそうMSに見つかったりはしない」
「分かりました!」

 何処まで分かっているのやらと不安になる舞だったが、何を言っても同じ反応をしそうなので止める事にした。それに、自分の言ったアドバイスを守ったとしても生き残れる確立が多少上がる程度で、極めて危険な状況にいることに変わりは無いのだ。
 少年の前から歩き去った舞は、自分の愛機である百式改の前に立った。ここに来る前、上官のヘンケン中佐がせめてもの手向けか、ZUを回してくれると言ったがそれも断って舞はこれに乗っている。断わった理由はたいしたものではない。ただ乗り慣れた機体の方が良いと考えただけだ。
 エゥーゴに来てこの機体で開戦を迎えてもう半年以上になるが、いまだに舞はこれに乗り続けている。既に機体性能で連邦の最新鋭機に対して決定的な優位は保てなくなってきているのだが、それを補って余りある反応の速さが舞を未だにこの機体にしがみ付かせている。確かに欠点も多い機体ではあるが、相性という点で百式改は性能で勝る高級機を押し退けてしまうほど舞に合ったのである。まあ、要するに過剰なまでの反応速度が欲しかっただけなのだが。
 コクピットシートに座り、操作スティックに手をかける。もうすぐ祐一たちがやってくる。それはもう確定事項であり、今更覆す事も出来ない。いや、既に自分は祐一たちと幾度も放火を交えており、今更仲間面する資格も無いのだ。
 しかし、それでも舞は時折昔を思い出してしまう。あのいつも騒がしかったカノンの日々を。

「お兄ちゃん、みんな……」

 分かっている。全てを無くしてしまったのは自分のせいだ。あの忌まわしい30バンチ事件でエゥーゴ入りを決めた時から、何時かこういう日が来るとは分かっていたのだ。秋子がエゥーゴに味方する事はありえないと舞は知っていたから、上層部が秋子の参入を期待していたのを見ても馬鹿馬鹿しいとしか思わなかった。結果として上層部は見通しの甘さのツケを支払わされている訳だが、それに部下や自分が巻き込まれるのは正直面白くない。
 それに、舞は多くのエゥーゴメンバーのように連邦を見限ってはいない。連邦にだって良い人は居るし、現状を何とか変えていこうと頑張っている人も居る。佐祐理の父親、倉田幸三はかつて議会にハイスクールにブルマ着用を義務づける法案を本気で提出しようとするなど人として色々問題を抱えた人物であるが、彼が連邦議会内における良識派であり、戦後の再建を強力に推し進めてきた人物である事を疑う者は余り居ない。娘さんなどは彼が良識派と聞く度に激しい拒絶反応を示したりするが、まあ大した問題ではないだろう。
 ここまで追い込まれた今でも舞は連邦を憎む事は出来ないでいる。大勢の部下と同僚を殺されはしたが、連邦はあくまで守る立場であり、祐一たちがティターンズのようにスペースノイドの弾圧を目的に戦っている筈は無いからだ。
 だが、ティターンズのやり口に我慢できなくてエゥーゴに入り、ティターンズと戦う筈だったのに何故か今戦っているのは連邦軍だ。しかも向かってくるのは連邦軍内におけるスペースノイドの最大擁護者たるリビックと秋子。皮肉と言えば皮肉な話である。
 今ではエゥーゴはコロニー市民から敵視とは言わないまでも、明らかに邪魔者扱いされている。守りたかった筈のスペースノイドに否定された自分達は、負けるべくして負けるのだろうか。

「でも、おかげでティターンズは何も出来なくなった。後は秋子さんたちに任せても良いのかもしれない」

 役目を終えたエゥーゴは消え去り、押さえ込まれたティターンズも単なる治安部隊に成り下がり、正常な状態を取り戻す。それによって平和がやって来るなら、それで良いのかもしれない。



 

 だが、舞の願いとエゥーゴの思惑はここに来て決定的なズレを生じている事をまだ舞は知らない。いや、エゥーゴ実戦部隊の誰もティターンズとエゥーゴの間で交わされた密約を知らないのだ。単純に迫り来る連邦軍を迎え撃とうと全力で迎撃準備を進めているのに、実は既に敵の内通者と事前の打ち合わせを済ませているなどと誰が考えるだろう。
 
 グリプスではジャミトフの指揮の元、集結している艦隊が出撃準備を整えている。そこに集まっている戦力は100隻近くに達するほどの大軍で、いったいどこにこれだけの戦力があったのだと目を疑うような光景だ。
バイエルラインや詩子はティターンズの固有戦力はほぼ暴いていてそれを秋子に報告したのだが、秋子はそれを特に脅威とは認識していなかった。この報告書ではティターンズの戦力は80隻ほどで、例え何かしてもグリプスに残っているのは30隻程度でしかないと考えていたからだ。この程度ならルナツーの残存戦力だけでどのようにも処分できるから特に警戒の必要を感じていなかったのである。
だが、ここには100隻もの艦が集まっている。この戦力が何処から湧いて出たのかと言えば、答えは実に単純なものであった。ティターンズを成立時期から支援している来栖川は独自の防衛戦力として企業軍を編成しているのだ。これはそう珍しいものではなく、ある程度の規模の企業なら警備隊程度の部隊は持っているものだ。
 しかし、来栖川の施設企業軍リーフは警備隊などというものではない。数十隻の艦艇と多数のMSを配備し、連邦正規艦隊を相手にしても勝てるとさえ言われる脅威の部隊である。かつて地球の経済を支配した巨大企業群ファイブ・シスターズの最後の生き残りであり、アナハイムのような成り上がりとは一線を画する伝統と格式を持つ地球圏屈指の来栖川が、再び地球圏の経済を支配するために選んだのがティターンズと協力する事だった。企業軍をここまで強化したのもこの日の為である。
 ティターンズと来栖川の繋がりは有名なのに情報部がリーフの存在を見落としていたのは、敵が余りにも広範囲に広がりすぎた事が上げられるだろう。エゥーゴの摘発だけでも大変なのに、更にアクシズの地球圏帰還が重なってしまい、人員がそちらに割かれてティターンズへの監視が緩んだのだ。有能の誉れも高い連邦情報部といえど、人員が足りなくなれば力を発揮する事は出来ない。
だが、それでもバイエルラインは良くやっていたと言える。自分の部署だけの力でティターンズの不審な動きを掴み、秋子に警告を発するところまで持ち込んだのだから。だが、全ては遅すぎたのだ。秋子はティターンズへの警戒心を抱いてはいたが、目の前の問題に対処する為にバイエルラインの報告を後に回してしまった。
後世から見ればティターンズの暴挙を食い止めるチャンスは幾度もあったと言われるのだろうが、今この時を生きている人々は常に出来る事をやっている。そして、今回は秋子達よりもジャミトフの努力が上回っていたという事なのだ。



 86年4月23日、連邦の月面攻略作戦に基づいて大艦隊が月へと出撃する。後に言われる第1次月軌道会戦の始まりである。



後書き
ジム改 遂に始まった月面攻略作戦。
栞   舞さん、1人なんですね。
ジム改 エゥーゴで舞の顔見知りといえばトルクとアムロくらいだからねえ。
栞   しかも都市を対象にした攻略作戦ですか。
ジム改 戦争だからね。
栞   でも、なんか連邦って罠に向かって突き進んでません。これじゃただの馬鹿です。
ジム改 仕方が無いのだ。秋子さんもリビック長官も気付いてないんだから。
栞   頭良いはずなのにい!
ジム改 頭よかろうがNTだろうがシェイドだろうが神様じゃないのだよ。
栞   こうなれば私がデンドロで何もかも蹴散らしてやります!
ジム改 ……出来ないと断言しきれないのが嫌だな。