第33章  滅亡へのカウントダウン


 

 ティターンズ艦隊を激突してすぐに斉藤が秋子に1つの作戦案を進言した。それを聞かされた秋子はその献策に少し悩んでしまった。

「斉藤さん、こちらのが数は少ないという事は分かっていますね?」
「はい、ですから正面からの消耗戦は避けるべきです。ここは後の先を取るべきかと」
「ですが……」

 秋子は悩んだ。この作は確かに成功すれば大きな効果がある。もし失敗すれば各個撃破の見本のような負け方になるだろう。だが、斉藤は秋子の不安に余裕の笑顔で答えた。

「大丈夫ですよ提督、勝算は十分にあります」
「何故、そう言いきれるのです?」
「簡単です。私はファマスでこういう無茶をして連邦と戦いました。それが有効だった事は、提督も良く御存知でしょう?」

斉藤の言葉に秋子は珍しく苦笑いを浮かべた。斉藤に限らずファマスの指揮官達は優れた能力を持っており、秋子たちは何時も苦戦を強いられていたのだから。自分の身を持って味わった強さを信じられないのかと問われれば、信じるしかないだろう。

「分かりました。私が敵を誘いましょう。斉藤さんは側面攻撃をお願いします」
「分かりました。川名中佐の隊も連れて行って構いませんかな?」
「それは構いませんが、こちらの数が不足しすぎますから、駆逐艦を置いていってもらいますよ」
「分かりました。こちらは巡洋艦と戦艦でやりましょう」

 斉藤は秋子と幾つかのやり取りをした後、みさきから指揮を引き継いだ雪見を連れて艦隊の後方に下がった。MS隊はほとんど枯渇していたが、残っていた機体を集めて1個中隊を編成し、更に虎の子の香里の部隊まで引き抜いて即席の部隊を完成させている。出来れば浩平たちを引き抜きたかったのだが、これを引き抜くとMS隊が完全に崩壊してしまうのでこれは我慢している。




 MS戦が混沌としている間に、秋子とジャマイカンの艦隊戦は正面衝突から変化を見せだした。小部隊である斉藤とみさきから指揮を引き継いだ雪見の艦隊が本隊から外れて側面に動き、本隊はティターンズの攻勢に押されるように少しずつ後退しだす。
 これに対してティターンズは一部が追撃ちをかけるように前に出た。この動きを見たジャマイカンは特に静止しなかったが、アレキサンドリア艦長のガディ中佐がジャマイカンに警告を発した。

「ジャマイカン中佐、連邦の動きは妙です、迂闊に動かない方が良い」
「何を言っている。奴らが押し込まれているだけだ」
「緊急展開軍はこの程度で崩れるような弱兵ではありません!」

 ガディには秋子の狙いがある程度読めていた。部隊の一部を切り離し、本隊が囮となってこちらをわざと引き込む。そこで突出した部分を先に切り離した部隊で側面攻撃を加えて切り離し、包囲して叩き潰すのだ。過去に幾度も行われて成果を上げている効果的な戦術だが、実施するには指揮官と部隊の双方にかなり能力の要求される。
 秋子は戦術家としてはさして有能とは言えないが、彼女の部下達は極めて有能であった。そして指揮下の部隊は最精鋭の集団だ。この戦術を実行するのに支障は出ないだろう。
 ガディは敵がいきなり引いた時は罠を警戒しろという事を理解していたからこの敵の動きは危険だと考えたのだが、実戦経験が少ないジャマイカンにはそれが理解できなかった。知識としては知っているのだが、経験が不足しすぎているのだ。だから彼にはガディの感じた危険を感じる事は出来なかった。
 加えて、ジャマイカンは緊急展開軍と戦うという事に強烈なプレッシャーを感じてもいた。名将水瀬秋子の名は連邦に敵対する者全てにとっての恐怖の対象であり、かつてのカノン隊時代から続く常勝の歴史はさまざまな尾鰭を伴って聞く者に決して勝てないというイメージを植え付けてしまう。

「心配し過ぎだ。このまま一気に押し潰してくれる」
「ですが」
「君の艦も前に出たまえ。これは命令だぞ」

 これ以上の議論をする気は無い。そう言外に込めてジャマイカンは命令し、通信を切ってしまった。ガディは白濁したスクリーンを見上げ、忌々しそうに顔を顰めて艦長席に腰を降ろした。

「何も分かっていない参謀上がりが」

 ガディはジャマイカンを罵ったが、それで何が変わるわけでもない。ジャマイカンは自分の上官であり、その命令には従わなくてはならない。仕方なくガディは自分の部隊を前進させたが、常に敵が後方に下げた部隊の動きに注意させていた。奴らが必ず動くと睨んだのだ。
 そして、ガディの予想をなぞるかのように緊急展開軍主力は後退速度を速め、それに吊られて突出したティターンズの艦列は縦に伸びてしまう。そしてその側面から物凄い勢いで先の2艦隊が突入してきた。これを見たガディはアレキサンドリアと指揮下の巡洋艦3隻でこれを迎え撃った。

「奴らを通すな。ここを突破されれば、艦隊を分断されるぞ!」

 斉藤と雪見はガディ艦隊の砲撃に一瞬足を止められたが、すぐにガディに猛攻を加えてきた。MSを繰り出し、数の差にものを言わせて押し切ろうとする。

「このまま突破するわよ。アレキサンドリアに砲撃を集中、撃ち負けるんじゃないわよ!」

 アプディールの全ての砲がアレキサンドリアに砲火を集中させる。これに対してアレキサンドリアも撃ち返したが、この勝負は艦の格の差が大きく物を言った。同時期に建造されたとはいえ、大型戦艦であるノルマンディー級と巡洋艦でしかないアレキサンドリア級では攻防の差がありすぎたのだ。
 防御スクリーンの強度と砲力の勝負になってしまった事でガディは顔を焦りに引き攣らせた。ノルマンディー級と撃ち合うなど正気の沙汰ではない。

「砲撃を続行しつつ艦を右に流せ。奴の正面に居ると沈められるぞ!」

 ガディの焦った命令を受けてアレキサンドリアがアプディールの正面から退いていく。その開いた空間をアプディールが通過していく。その頃には斉藤のノルマンディーもサラミスを撃沈して押し通っている。ガディは頑張ったと言えるが、斉藤や雪見を抑えるには戦力が不足し過ぎていた。

 短いが苛烈な戦闘の後に突破されたガディは眼前を横切っていくアプディールを悔しそうに睨みつけていたが、それを追う事は出来なかった。アレキサンドリアも10を超す直撃弾で中破しており、もう戦闘を続行できる状態ではなかったのだ。
 ガディは仕方なく生き残ったサラミス1隻を伴って戦場を離脱しにかかったが、その胸中に渦巻いている怒りは敵である秋子たちよりも、自分の進言を退けてこの窮状を生み出したジャマイカンへと向けられていた。

「ジャマイカンめ、この緒戦で戦力を磨り減らされた責任、取ってもらうぞ!」

 既にガディはこの戦いは勝てないと見切ってしまった。この場の戦力では確かに勝っているだろうが、双方の人材に比較にならないほどの差があるのだ。ジャマイカンが指揮官では2倍の兵力があっても水瀬秋子には勝てない。それをようやくガディは理解できたのだ。

「せめて、バスク大佐が直接指揮をしていればな。水瀬秋子を討ち取る事も不可能ではなかったろうに」

 ガディはここに居るのが実戦経験豊富なバスクで無い事を呪った。バスクは今回の宇宙での作戦においてもっとも重要なルナツー攻略作戦の指揮をとっており、こちらにはこれなかったのだ。
 これは戦略的には仕方の無い事であった。宇宙におけるジャミトフの手駒でもっとも優れた人材であるバスクを最重要目標に向けるのは当然であり、拠点さえ押さえてしまえば幾ら大軍があろうと補給を断たれて動けなくなる。戦力に絶望的な差があるティターンズが連邦宇宙艦隊を無力化するにはこれしかないとジャミトフは考え、その戦略の為に連邦の介入を認め、エゥーゴと手を組み、連邦の最強戦力を月に集中させたのだ。
 今の所戦局は概ねジャミトフの予定通りに進んでおり、ルナツーを初めとする連邦拠点はティターンズの直接攻撃、あるいは同調した反乱軍によって次々に陥落している。この戦略に従うなら、幾ら名将水瀬秋子が相手とはいえ、こちらに最強戦力を向ける事は出来ない。
極論するなら、ジャマイカン艦隊はルナツーと並ぶ連邦宇宙軍の最重要拠点であるサイド5が陥落するまで秋子の足を止められれば、ここで全滅しても構わないのだ。だがジャマイカンはそれを完全に理解してはおらず、損害を厭わずにここで持久し続けようという意思は持っていなかった。





 グラナダでは祐一の援護の下で降下していたグレイファントム級強襲揚陸艦4隻に天野大隊のMSを乗せて上空に上げようとしていた。これにはあゆも同行している。とにかく艦隊を援護しなくてはいけないのだ。

「天野、俺達が地上から援護してやる。お前は艦隊を頼む!」
「私達より、相沢さんたちの方が大変ですよ。地上に残した数であの可変機部隊に対抗できるのですか!?」
「なあに、舞や名雪もいる、何とかなるさ!」

 心配は無用だと言い、天野もそれ以上は何も言わず、敬礼して通信モニターから消えた。それを合図に4隻のグレイファントム級が浮揚し、月の重力圏を離脱しようと上っていく。それを撃ち落そうとガブスレイやギャプランが群がってきたが、それに対して艦砲と機銃が弾幕を張り、ハッチから顔を出したMSがビームライフルやマシンガンを手に撃ちまくる。
 そして地上からも艦に群がる可変機に向けて対空砲火を打上げだした。特にグラナダ守備隊のガンキャノン・ディテクターの威力と命中率は特筆するべきもので、対空戦闘という分野ではこの手の中距離MSが極めて有効である事を実証して見せた。
 地上のMSを厄介と感じたのか、2機のギャプランがまた地上攻撃を開始したのだが、それは名雪の射撃能力を考えれば無謀だった。地上を掃射していくギャプランの1機を照準の中に納めた名雪の指がトリガーにかかる。

「捕まえたよ!」

 微妙な修正を加えてビームスマートガンが咆哮し、僅かな間を開けて更に2度ビームを放つ。狙われたギャプランは一度目の射撃を上に跳ねる事で回避したのだが、そこに狙いをすませたように飛んできた2発のビームが直撃した。

「なにぃ!?」

 回避したと思った途端に直撃を受けたギャプランのパイロットは、自分が誘われた事を悟る間もなく光に飲まれてしまう。もう1機は祐一の指示で火力を集中され、蜂の巣のようにされて撃ち落されてしまった。
 グレイファントム部隊は多少の損傷はしたものの、無事に月の重力圏を抜けて本隊の援護へと向った。これを阻止できなかったティターンズの可変機部隊も数を撃ち減らされてしまい、生き残りは悔しそうにグラナダ上空から逃げていった。





 真横から斉藤と雪見の突撃を受けたティターンズ艦隊は僅かな抵抗の後に前後に分断された。分断された事を知ったジャマイカンは急いでMS部隊に戻るように命令を出したが、それは現場を知らぬ者の無茶苦茶な命令でしかなかった。幾ら優勢に戦いを進めていたとはいえ、いきなり戻れと言われても戻れるものではない。
 ティターンズMS隊をまとめていたラルフ少佐はジャマイカンの命令に焦りを浮かべたが、とにかくMS隊の一部を戻そうとした。ラルフは有能な軍人だったが、命令には極めて忠実な軍人でもあったのだ。
 この混乱がティターンズの命運を決した。動きが乱れたティターンズMS隊のおかげで久瀬は混乱していた部隊の指揮系統を立て直しにかかり、集団として機能していなかった部隊を手元に集めてしまう。

「よし、これで反撃できる。まずはこの場から押し返すんだ!」
「おい久瀬、俺達はどうすりゃ良いんだ!?」

 浩平が悲鳴のような通信を寄越してきたが、久瀬にはそれに取り合っている余裕は無かった。浩平たちは今とてつもなく強力なメッサーラと交戦しており、公平と澪、葉子の3人がかりでも押さえ込むのが精一杯という有様だ。
 あの3人が全力を出しても倒せない敵など、自分が知る限りでも片手で数えるほどしかいない。あのメッサーラのパイロットはその片手で数えるような化け物なのだろうか。

「折原君、シアン司令レベルの敵に、誰を応援に回せば良いんだい?」
「……お前は来れないよな。栞はまだ補給中、みさおは香里と一緒に突撃してる、か」
「そういう事だ。すまないが、頑張ってくれ」

 それで通信を切った久瀬は意識をMS部隊の指揮に集中した。何とかして目の前の敵を突き崩し、孤立した敵の艦隊を潰さなくてはならないのだ。こちらも決して楽な仕事ではない。

 だが、浩平たちも辛いどころではなかった。浩平たちが相手をしているシロッコのメッサーラは速いだけではなく、正確な射撃で浩平たちを振り回していたのだ。浩平たちはマークUやジムVでこれを必死に迎撃していたが、性能を完全に引き出されたメッサーラはこれらの機体では手に余る相手である。
 葉子は肩アーマー上部のミサイルをメッサーラの進路上に向けて全団撃ち放った。放射状に放たれたこの死の網を、メッサーラは巨体からは考えられない俊敏な動きですり抜けていく。

「なんて出鱈目な!」

 葉子はミサイルを容易く躱したメッサーラに驚愕して声を荒げた。こんなふざけた動きが出来るとすれば緊急展開軍を見渡してもあゆか瑞佳くらいだ。七瀬はこういう細かい動きは苦手だし、他のパイロットでは不可能だろう。

「肝心のあゆさんは月面、瑞佳さんはサイド5にいる。なら、誰がこんな敵の相手が出来ると……」

 自分の眼前で浩平と澪のマークUが背を合わせながらビームライフルを撃っているが、それは全て空しく宙を抉っている。更にメッサーラに遅れてやってきた5機のマラサイ部隊もいて対処しきれなくなっている。
 だがシロッコはこの3人の健闘を素直に賞賛していた。自分とここまで戦える者など滅多にはいないからだ。

「やるな、流石は名高い水瀬秋子の部下たちだ。だがこれ以上時間をとられるわけにもいかないのでな。ジャマイカンが負けるのは構わないが、私が負けるのは気に食わないのでね」

 シロッコは勝負をつける気になると、再び機体に全速を出させた。こうなるともう浩平たちには捕捉する事が出来ない。

「また走りやがった。澪、捕まえれるか!?」
『出来たら苦労しないの!』

 怒鳴り声とモニターに表示された文字という独特なコミュニケーションをとりながら2人は周囲に視線を走らせるが、メッサーラをロックオンする事は出来ないでいる。そしてシロッコが旋回して戻ってきた時、突然乱入者が現れた。
 メッサーラのコクピットに響き渡るロックオンの警告音に驚いたシロッコはあわてて機体を翻し、そのロックを外した。

「なんだ、新手か?」

 急いで周囲を捜索すると、1機のジムVが現れていた。最初はジムVかと侮りかけたシロッコだが、すぐにその印象を改める事になる。そのジムVからとてつもないプレッシャーを感じたのだ。

「何だ、誰が乗っている?」

 考えても答えは出ない。ただ、そのジムVがビームライフルをこちらに向けてきた時、全身が総毛立つほどの恐怖を感じてしまったシロッコは急いで機体を蛇行させた。だがどれだけ回避運動を取ろうとも直撃を受けるという確信が消えない。何故かは分からないが、奴が撃ったら当てられる、そう感じてしまうのだ。
 そしてジムVが放った一撃は、シロッコの感じていた通り機体を掠めていった。直撃ではなかったものの、機体の一部を持っていかれたのは確かだ。

「当てただと、あんなMSでこの私に!?」

 シロッコは自分を形作っている自信が崩壊していくのを感じていた。ジムVはメッサーラと比較できるような機体ではないのに、ただあの機体を前にしているだけでこうも息苦しくなってしまう。理由は分かっている。あのジムVのパイロットの桁違いの強さに萎縮してしまっているのだ。

 そして、シロッコの感じている恐怖は正しかった。彼はいたくプライドを傷付けられていたが、その優れたNT特有の感受性のおかげでシロッコはこの最強最悪の相手を前に真っ向勝負を避ける事が出来たのだ。
 そう、あの漆黒の悪夢、川名みさきを前に回避運動に入る余裕が貰えたのだから。

「やるね。私の予測を超えてみせた」

 みさきはファマス戦役までは自分の能力を良く知らず、自分の持つ未来予測能力を予知と勘違いしていた。だが、実際には補助脳と膨大な戦闘データを用いる予想なのだ。ただし、それはほんの僅かな未来でしかないが、限りなく正確な予想であり、敵対するものには悪夢以外の何者でもない程の強力な武器となる。
 みさきはパイロットとしての基礎能力ではシェイドとは思えないほどに弱い。確かに反応速度だけは桁外れているが、後は身体強度も体力もシェイドとしては信じられない程に劣るのだ。そんな彼女がどうして最強の座にいられるのか。その秘密がこの戦闘データを元にした計算からくる未来予測である。みさきは相手が動くより早く相手の行動に合わせて動いているのだ。
 戦っている相手にしてみれば常に自分の動きを読まれているようなものであり、やり難い事この上ない。自分がどれだけ早く動こうとも、結果としてみさきは自分より先に動いているのだ。そしてその攻撃は正確に自分の未来予想位置に叩き込まれる。
 そのみさきの攻撃を回避するというのは、それだけで物凄い実力の証明なのだ。名雪の狙撃を回避する以上に全力を出したみさきに無駄撃ちをさせるのは難しい。だからこそファマス戦役ではシアンが祐一に指揮を任せて相手をしていたのだ。終盤ではこの役をあゆが持っていってしまったが、そのあゆでさえ本気のみさきには分が悪い。
 そういう意味では今のみさきを相手にまだ健在でいられるシロッコの実力は驚異的なのだが、そんな事情を知る由も無いシロッコは自尊心をいたく傷付けられ、猛っていた。

「この私をあんなMSで追い詰めるというのか、このパプテマス・シロッコを!」

 シロッコはメッサーラを反転させてメガ粒子砲を連射してきた。冷静ならば決してしない攻撃だが、今のシロッコにそれを求めるのは酷だろう。そしてみさきはその全てに宙を抉らせながら、ビームライフルを3度撃った。そのうちの1発がメッサーラを捕らえて左側の推進機を損傷させる。
 これでシロッコはまた後退したが、みさきはそれを追う事は無かった。そんな余裕も無くなってきたのだ。

「ま、拙いよ、もう限界が近い……」

 これが無ければみさきはその力を思う存分に振るえるのだろうが、みさきの全力はタイムリミットがある。その脆弱な体は過酷な機体操作から来るGに悲鳴を上げ、未来を演算し続ける補助脳はオーバーワークに悲鳴を上げている。これが限界を超えるとみさきは暫くの間MSに乗る事は出来ないほどにボロボロになってしまう。
 言ってしまえば、シロッコはこのまま逃げ回り、みさきが戦闘不能になるのを待てば良い。みさきがいかにふざけた強さであろうと、ジムVの性能限界は超えられないのだ。ジムVはメッサーラに遙かに劣る機体であり、これはみさきの力をもってしても埋めきれないものがある。
 だが、シロッコはみさきの弱点を知らない。それが彼を敗北へと導いてしまった。シロッコは怒りに任せて機体を反転させて再攻撃に出ようとしたのだが、みさきの前で大きな弧を描くのはただの自殺でしかない。みさきと幾度か交戦した事があるシアンやあゆならばそれを知っているのだが、不幸にしてシロッコはこれが始めての交戦である。
 メッサーラが回って行き足が落ちると読んだみさきは、その予想軌道に両肩のミサイルを全弾撃ち込んだ。ジムVは中距離火力に優れている機体で、みさきが未だにジムVを使うのもこの特性を気に入っているからである。
 シロッコは自分が旋回に入った途端いきなりミサイルが飛来した事に驚愕してしまった。完全に動きを読まれていたとでもいうのだろうか。ありったけのフレアとミサイル迎撃弾でこのミサイルを迎え撃ったが、1発に捕まってしまった。着弾の衝撃がシロッコを振り回し、警告表示が左推進器の損傷を伝えてくる。素早く警告を見て取ったシロッコは、自分がもう戦えないほどのダメージを受けた事を悟った。

「ただのジムVで私を追い詰めるようなパイロットが居るというのか。一体何者なのだ!?」

 パイロットとしてのシロッコはこの敗北を受け入れ難いものとしていたが、技術者とシロッコは戦闘続行は不可能だと理解している。そしてシロッコは冷静な判断が出来ない男ではなかった。
 ここでの敗北を認めたシロッコは一目散にみさきの前から逃げ出した。みさきにもそれを追撃する余力はなく、ここで時代を代表する最強のパイロット同士の戦いは区切りとなった。
 シロッコの撤退を見て浩平と澪、葉子は残っているマラサイ部隊に対して反撃に出た。あのとんでもないメッサーラさえ居なければ5機程度のマラサイなど3人の敵ではない。あっという間に4機を撃墜し、残る1機を追い返した3人は急いでみさきの元へ戻った。3人はみさきの弱点を知っており、あれだけの戦闘をすればみさきの体がどうなるかは聞かなくても分かる。
 ジムVの肩を掴んだ浩平が接触回線で声をかけた。

「みさきさん、大丈夫か!?」
「何とかね。流石にタイラントであゆちゃんたちと戦った時みたいな事にはなってないよ。暫く休めば直ると思う」
「そ、そうか、なら良いんだ」

 あの時とは違い、まだ死にそうではないようだと知って浩平は安堵した。となれば後はティターンズを押し返すのみと浩平は意気込んだが、艦隊先の方は浩平たちから見れば信じられないほどの苦戦を強いられていた。
 分断に成功した事で連邦側が圧倒的に有利になったのは確かなのだが、分断された先鋒部隊は秋子の想像を超えて強かったのだ。圧倒的に不利な状況で尚頑強に抵抗し続ける先鋒部隊に秋子は表情に焦燥を滲ませる。

「不味いですね。ここで梃子摺ると斉藤さんたちが危なくなります」

 幾ら強力とはいえ、所詮は8隻の艦艇に2個中隊のMSしか持たない別働隊では長くは持たない。だが正面の艦隊は少数とはいえ頑強で、MS部隊はティターンズのMS隊に押され気味だ。
 後一押し、何か決定的な戦力がなければこの敵を突破できない。だがもう手持ちの戦力は無い。全てを出し切ってしまった。頼みのしおりん軽騎隊は未だに補給が終わらないので使えない。
 秋子は自分が前線指揮官として決して名将と呼ばれる程ではない事は自覚していたが、その事実を今ほど憎んだ事はなかった。自分に斉藤のような優れた能力があればこの状況を自力で打開できるのだろうに。

 このどうしようもない状況で秋子の求めた奇跡は、月からグレイファントム級という形を持ってやってきた。月を離脱した4隻のグレイファントムは全力で本隊の近くまで駆けつけ、第3種装備に換装した天野大隊を発進させた。これがMS同士のバランスを突き崩す稲妻の矢となったのだ。

 苦戦している味方MS部隊を見て天野が部下に命じたのは立った一言である。だが、それは部下達に誤解のしようのないほどに明確で簡潔なものであった。

「叩き潰しなさい」

 その一言を機に天野指揮下の残存42機は一斉にMS戦の中に突入し、これまでのバランスを完全に破壊して見せた。ティターンズMS隊は散開し、まるで網を閉じるかのような軌道を描きながら自分達に向ってくるゼク・アインの大軍に呆然としている。これほどまで完璧な編隊機動を見た事が無かったのだ。
 ティターンズ部隊を押し包むようにして突入してきた天野大隊は一斉にマシンガンを放ち、驚いているティターンズMS部隊をあっという間に撃ち減らしてしまう。過去にファマスのMS部隊がクリスタル・スノー相手にこの戦法で幾度も酷い目に合わされている。まさにクリスタル・スノーの後継者たる天野大隊ならではの攻撃方法だ。
 この驟雨のような十字砲火を生き延びたMSに対しては各分隊単位で1機を相手に確実に数を減らす戦法をとる。昔は3機1個小隊で1機を叩いていたが、天野は4機1個小隊、2機1個分隊という編成を取り入れて戦術単位を増やす試みをしている。

 ティターンズはここに来て初めてクリスタル・スノーとまともに激突した。香里の部隊は精鋭ではあったがクリスタル・スノーと呼べるレベルではない。これまで噂ほどではない緊急展開軍主力の実力に拍子抜けしていたティターンズのパイロット達は、ここに来てようやく本当の主力部隊と遭遇し、そしてその強さを身を持って思い知らされる事になったのだ。

 この天野大隊と共にやってきたMSの中にあゆのmk−Xもある。彼女は単機で行動し、目に付く敵機を次々にインコムで撃ち落していく。グラナダでは空間の狭さが災いしてmk−Xの性能を生かすことが出来ず、性能で遙かに劣る舞の百式改に遅れをとったあゆだったが、こうして開けた戦場ではインコムの特異なオールレンジ攻撃によって無類の強さを発揮できる。ティターンズもmk−Wを持っている筈なのだが、何故かここには持ってきていないらしい。
ティターンズはエゥーゴと同じく高性能な兵器で連邦の数に対抗しようとしていたのだが、その為に開発した可変機のせいで逆に必要な数が揃えられなかったという問題が出てきている。MS戦では天野大隊が戻ってくるまでは優勢であったのだが、精鋭で編成された主力部隊を欠いた状態の相手を圧倒できなかったという時点でこの戦いの敗北は見えていたのだ。
しかし、それでもティターンズパイロット達は諦めなかった。彼らにも地球圏の最精鋭部隊という自負があったのだ。その中で隊長機を見つけた4機のマラサイやバーザムが手柄を狙って飛び出してきたが、1機のマラサイは僚機が引き受けてくれた。天野は近付かれる前に残りのマラサイ1機をマシンガンで破壊し、1機のバーザムをビームサーベルを突き刺して破壊した。だが、これでビームサーベルを失った天野にもう1機のバーザムが襲い掛かってくる。

「まだ来ますか!」

 メインのビームサーベルをさっきのバーザムに突き刺して手放してしまったので咄嗟に次のビームサーベルを出す事が出来ない。それでも2本目のビームサーベルを抜こうするが、それより早くビームサーベルが天野を襲い、左肩のシールドを切り落とした。その衝撃に体を揺さぶられた天野はコントロールを失い、バーザムは続く一撃で勝負を決めようとしたが、自分が相手をしていたマラサイを撃破した僚機がマシンガンでこれを追い払ってくれた。

「隊長、大丈夫ですか!?」

 部下に心配そうな声をかけられて天野は急いで機体をチェックし、左腕の肩駆動系が壊れている事を確かめて渋い顔になった。

「左肩駆動系が駄目ですね。他は問題ないようです」
「では、近くの艦に戻りますか?」
「いえ、通信系統は無事ですから指揮は続行できます。前に出なければ大丈夫でしょう」
「分かりました」

 天野の決定に部下は頷き、小隊の他の2機を呼び寄せて護衛に徹する事にした。これで天野はMS戦には参加しなかったものの最後まで前線で指揮を取り続け、ティターンズMS隊を突き崩すことに成功する。

この天野大隊の一撃が戦局を決定付けてしまった。MS部隊の敗北はそのまま艦隊戦の敗北へと繋がってしまう。艦砲を集中されても崩れなかったティターンズの先鋒部隊はMS部隊に集られて次々に被弾損傷し、防御スクリーンが弱くなった途端に艦砲を曲げられなくなって直撃弾の閃光に包まれていく。
斉藤と雪見の隊を突破して孤立した部隊を助け出そうとしていたジャマイカンだったが、MS隊が負けたのを見てこの考えを捨ててしまった。いや、秋子の影に怯えたというべきか。

「ええい、MS隊が崩れたのではこちらも危なくなるではないか」
「中佐?」
「艦長、艦を後退させろ。水瀬提督の本隊が来る前にここから撤退するぞ」

 ジャマイカンの突然の決定に部下達が一斉にジャマイカンを振り返った。

「そんな、先鋒隊は見殺しですか!?」
「このままでは我々も全滅させられる!」
「ですが、もう少しで目の前の敵は突破できます!」

 突然味方を切り捨てて撤退すると言い出したジャマイカンに艦橋クルー達が次々に反対意見を出してきたが、秋子の影に飲まれているジャマイカンには部下の言葉など届かなかった。
 後退を開始したティターンズ本隊の動きを見て、その圧力に必死に耐えていた斉藤は驚きの声を上げた。

「何故だ、どうして奴らは退いていく?」

 斉藤にしてみれば余力がある状態で友軍を捨てて逃げ出すという発想がないので、このティターンズの動きが理解できなかった。後一押しでこちらは戦線を維持できなくなっていただろうに、何故ティターンズは後退したのだ。

「何かの罠か?」

 MSも艦隊の後に付いて下がっていくのを見ると、一度仕切りなおすつもりか、それとも援軍と合流するつもりかとも思うが、この有利な状況を捨てる理由にはならない。まさか敵の指揮官が必要以上に臆病で、秋子の影に怯えてしまったなどとは思わなかった。





 ジャマイカンの撤退を見て残っていたティターンズ部隊は戦意を喪失して降伏してきた。完全な包囲下で救援の当ても無く戦っても全滅以外の道は無い。それが分かっていて尚抵抗を続けるほど愚かでも狂信的でもなかったという事なのだろう。
 降伏した敵兵の処理をオスマイヤーに任せた秋子は参謀たちに命じて周辺の情報を集めさせ、自らは艦隊の建て直しを始めた。この際に月に残っている戦力の引き上げも行っている。秋子も月攻略を続行する必要を認めなかったのだ。
 壊滅状態になったグラナダの天蓋部に再びグレイファントムが降下し、残っているMS部隊を収容していく。それをエゥーゴの残存部隊が遠巻きに見ているが、攻撃してくる様子は無かった。指揮官である舞が手を出す事を禁止していたし、既に戦う気も喪失していたのだ。上層部の背信行為が伝わった事が大きく響いている。
 この撤退作業を監督していた祐一は、大体の撤収が完了したのを見て舞の百式改を見た。

「舞、俺達はこれで撤収する。手を出さないでくれて助かった」
「……気にしないで」

 祐一の言葉に舞は首を横に振った。元々舞は祐一たちを倒すべき敵とは見ていない。寧ろ敵側に居る同士と見ている。そんな祐一たちを、ティターンズと手を組んだような今の自分たちが撃つ事は出来なかった。
 だが、祐一はそんな自分に手を差し伸べてくれた。

「舞、良かったら、俺達と一緒に来ないか?」
「祐一……」
「事情は大体分かってる。ティターンズが連邦と敵同士になった今なら、もう俺達が戦う理由は無いだろ?」

 祐一の誘いは余りにも魅力的なもので、舞は明らかに動揺した。確かに連邦とティターンズが敵対した今なら、自分がエゥーゴに居る必要はない。連邦に戻り、みんなと一緒にティターンズを打倒すれば良いのだ。
 だが、そんな舞を部下の声が現実に引き戻した。

「隊長……」

 それはあの30バンチ事件の時に一緒に連邦を抜けた部下だった。その声で舞はようやく自分の立場を思い出した。30バンチの時は1個中隊のMSをまとめる中隊長でしかなかったが、今の自分はグラナダを守る実戦部隊の総指揮官なのだ。
 舞は暫しの逡巡の後、祐一の誘いに答えた。

「ありがとう祐一」
「まい、それじゃあ一緒に?」
「ううん、それは出来ない」

 今度は拒絶の意味を込めて首を横に振る。それを見た祐一はどうしてと問い、舞は部下達を振り返った。

「ここには、私を信じて最後まで戦ってくれた大勢の部下が居るから」
「…………」
「祐一なら分かってくれると思う。祐一は部下や仲間が大切でしょう。私も同じだから」

 舞のその答えに、祐一はそれ以上誘うのを諦めた。舞の気持ちは祐一にもよく理解できたからだ。もし祐一が舞と同じ立場なら、やはり部下を捨てる事は出来ないだろう。これは部下に責任を持つ身になったからこそ感じる重圧であり、指揮官になった者の多くが「パイロットの頃は気楽だった」と愚痴るようになる所以である。
 祐一はmk−Xを艦に載せた後、コクピットから降りて開放されている艦首ハッチからもう一度舞を見た。舞もコクピットから出てきて祐一を見送っている。お互いに手を振る事はない。次に会うときは敵か、それとも味方なのかは分からないが、必ずまた会えるはずだから。
 月の表面を離れた所で祐一は艦内に戻ったが、何故かエアロックを開けた先には名雪が居た。

「ご苦労様、だよ」
「流石に今日は疲れたな。色々ありすぎた」
「さっき連絡があって、一度サイド5に帰るって言ってたよ。すぐに動くかどうかは分かんないけど、一日位は休みが貰えるんじゃないかな」
「そう願いたいな。連戦とか言われたら体が持たない」

 降下作戦からグラナダ侵攻、そして市街戦と一貫して指揮を取り続けた祐一は心身ともにすっかり疲れきっている。どれだけ超人的な活躍をしようが人間は人間であり、休まなければいずれ動けなくなってしまう。
 これは艦隊の全将兵と全ての兵器にも同様に当て嵌める事ができる。秋子が決めた通り、一度サイド5に戻らなければどうにもならないのだ。


 しかし、この時秋子でさえ想像もしていなかった事態がサイド5で起きていた。各地にこれだけの戦力を展開したならもうティターンズに余力は無い筈なのに、何故かサイド5はティターンズの艦隊の猛攻を受けていた。
 そう、ティターンズとの約束に従って出撃した来栖川施設企業軍、連邦軍のミスで想定戦力に加えられていなかったリーフが動いたのだ。




後書き

ジム改 連邦は得る物も無く月面から撤退したのでした。
栞   滅茶苦茶ですね。これでサイド5も陥落したらどうなるんです?
ジム改 連邦軍は総勢400隻を超える大軍を健在な状態で維持したまま敗北する。
栞   何でですか?
ジム改 これだけの大軍を維持するには、それだけで膨大な物資が必要だからだ。
栞   全力でルナツーを取り返せば良いんじゃないですか?
ジム改 今すぐは無理。エゥーゴとの戦いで弾薬とエネルギーをかなり使ってるから。
栞   弾と食い物が無ければ戦えないのは何時の時代も同じですか。
ジム改 そうなんだが、世の中にはそれが理解できない人が多い。
栞   漫画じゃ独立愚連隊が溢れてますからねえ。
ジム改 あれは何時も疑問だ、こいつらは何処から物資と人員を得ているのだろうと。
栞   きっと親切な足長叔父さんが無料でプレゼントしてくれるんですよ。
ジム改 それはそれで怖いが、とにかく軍隊にとって後方拠点とは重要なものだ。これはゲリラにとっても同様で、ベトナム戦争を調べれば彼らがどれほど苦労と根回しをして戦っていたかが分かる。
栞   ティターンズは真っ向から戦っても勝てないから空き巣泥棒をしたんですね。
ジム改 まあ平たく言えばそうだ。おかげでエゥーゴは救われたわけだが。
栞   救われたと言えるんでしょうか?
ジム改 少なくとも滅ぼされては無い。
栞   それだけですね。
ジム改 うむ、それだけだ。