第34章  リーフ強襲



 そこは、地球圏でもっとも安全な場所と言われていた。そこは、いかなる敵にも犯されぬ絶対の守りがあるはずだった。だが、今この地を守る筈の力は無く、不可侵の神話は崩れ去ろうとしている。そう、来栖川施設企業軍、リーフの手によって。

 古来より、奇襲を仕掛けるのは決して悪ではない。奇襲はされたほうが悪いのだ。それを悪と呼ぶのは、された側の言い訳でしかない。戦いは、騙されたほうが悪いのだ。



 サイド5に接近したリーフ艦隊。その中にあって一際目立つのが旗艦アクアプラスであったろう。リーフ独自の技術で建造された艦艇の中でも一際大きな艦であるアクアプラス級はラーカイラム級と並ぶ500メートル級の巨艦であり、リーフの象徴的な艦でもある。
 この艦に座上するのはリーフの司令官である藤田浩之。ジャミトフにさえ一目置かれているこの男は、艦橋から肉眼で確認できるようになったサイド5を見ていた。

「サイド5の様子は?」
「いえ、いまだに何も。ミノフスキー粒子はやや濃いですが、特に変化は見られません」
「それでも通常配置でこの数か。流石に楽には勝たせてもらえないようだが、ここまで近付いて動きがないという事は志保の作戦は成功したようだな」

 どうやら周辺を警戒している早期警戒レーダーは無力化されている。これなら十分な距離まで近付いて戦闘を開始する事が出来るだろう。既に艦内には整備と兵装配備を終えたMSが臨戦態勢でカタパルト上に配置されている。
 サイド5に侵攻してきたのは戦艦4隻、巡洋艦16隻、駆逐艦24隻の合計40隻で、後方には制圧用の陸戦隊を乗せた揚陸部隊が待機している。サイド5に残っている艦隊戦力に較べればまだまだ弱体だが、浩之は先手を取れた事をほぼ確信していた。
 そして、遂にリーフは奇襲成功の目安としていた想定ラインを超えた。それを確認した浩之はただでさえ悪い人相を皮肉に歪め、攻撃命令を出した。

「よし、戦争を始めるか」





 サイド5を守るのはサイド5駐留軍の仕事だ。とはいえ、サイド5駐留軍も緊急展開軍も司令官は秋子が兼任しており、その司令部は両軍の司令部を兼任している。とはいえ秋子は何時も緊急展開軍をまとめており、サイド5駐留軍の方は事実上七瀬が取り仕切っている。
 そして七瀬は今、ミノフスキー粒子の濃度が上がっているという報告に眉を顰めていた。

「どういう事?」
「分かりません。ただ、この為に早期警戒レーダーが役に立たなくなっています。哨戒機とも連絡が付かないものが幾つか出ていまして、警戒網に穴が開いている状態です」
「参ったわね。それじゃデプリや不審船の接近に気付けないじゃない」

 七瀬はやれやれと頭を掻き、どうしたものかと周辺を監視するモニターを見た。この広大な空間を監視するのにレーダー抜きでは無理がありすぎる。

「仕方ないわね。当面はMSと哨戒機を出して人手で監視しましょう。ミノフスキー粒子が薄くなったら作業員を出してレーダーの調子を調べさせて頂戴」
「分かりました」

 部下に指示を出した七瀬は「面倒ね」と呟き、やりかけの書類に視線を落とす。管理職は書類との戦いなのだ。
 だが、何時もの業務に戻ろうとした七瀬の耳にいきなり悲鳴のような報告が届いた。

「移動熱源、無数に発生!!」
「え?」

 その報告に、七瀬は咄嗟に反応できなかった。その僅かな隙に飛来したミサイルが次々に迎撃用の砲台や戦闘衛星を襲い、一部はフォスターUの軍港などに着弾していく。その光に顔を照らされながら七瀬はようやく我に返って指示を出し始めた。

「何処からの攻撃か急いで調べて。全防衛システムを起動してミサイルの迎撃を開始。MSと戦闘機を発進させて!」
「迎撃システムの半数が沈黙しています!」
「どういう事よ!?」
「恐らく、破壊工作と思われます」

 迎撃システムをあらかじめ破壊していたとすれば、完全にしてやられた事になる。恐らくミノフスキー粒子もこいつらの仕業だろう。その後も次々に飛び込んでくる被害報告に七瀬は顔を顰めていたが、その中でも一際の凶報が飛び込んできた。

「オスローの港出口で爆発が発生、出航中だったモランが出口で爆発に煽られて擱座しました!」
「何ですって。それじゃあ艦隊は!?」
「巡洋艦2隻が出ただけです。大半は港の中に閉じ込められました!」

 次々に飛び込んでくる凶報に七瀬は唇を噛み、悔しさに体を震わせた。最強を自負していたサイド5の防衛線がこうも簡単に食い破られたのだから。だが、何時までもそうしているわけにはいかなかった。防衛線で阻止できないのなら、使える戦力で総力戦をやるしかない。

「サイド5全域に避難命令を。全ての住民をシェルターに収容して頂戴。これより総力戦に入ります!」
「大尉は!?」
「私はMSで出るわ。ゼク・ツヴァイを用意して。以後はフォスターUの指示に従って!」
「了解しました!」

 部下の敬礼に頷くと七瀬は司令室を後にした。こうなった以上、全力で戦うしかない。




 だが、サイド5駐留軍司令部が混乱していたように、フォスターUも混乱していたのである。突然飛来したミサイルが次々に軍港を直撃して駐留艦隊を封じ込めてしまい、戦力の多くを封じ込められてしまったのだ。
 要塞を秋子に任されているランベルツ少将はこの攻撃に対して七瀬と同じく咄嗟の対応は出来なかったが、立ち直った後は次々に手を打ち出した。

「外にいる艦隊に迎撃を指示。MS隊は直ちに発進して応戦させろ。ドックのゲートは爆破して構わんから艦隊を出撃させるんだ!」

 ランベルツの指示を受けて港の外に出ていた艦がミサイルに向けて迎撃の砲火を放ちだした。外に出ていた警戒配置のMS部隊も散開して周囲の警戒に当たる。被害を受けなかった反対側の港からは艦艇が次々に出航して迎撃配置に付こうとするが、こちらは完璧に出遅れていた。これらの艦艇が迎撃配置に付くよりも早く、接近して来た艦隊は攻撃位置に付いていたのだ。
 この艦隊は全ての砲とランチャーを開いてフォスターUに火力を集中し、要塞の砲台や警戒配置の巡洋艦や駆逐艦を沈めていく。艦隊も反撃をしているのだが完全に先手を取られたという不利は拭えず、連携をとれずに不利な戦いを強いられている。
 フォスターUの司令部からじっとこの攻撃を見ていた北川は、敵が極めて計画的にここを襲撃した事をはっきりと悟っていた。こちらの目を欺く手際が余りにも良すぎるのだ。全ての警戒網を誤魔化し、哨戒機からの報告も全て封じ、駐留艦隊さえ封じ込めている。
 だが、この状況で北川はその口元に不敵な笑みを浮かべていた。

「……だからって、何もせずに暴れまわらせたら相沢に会わせる顔が無いよな」

 そう呟くと、北川は司令官であるランベルツ少将を振り返った。

「司令官代理、これより迎撃の指揮を取りたく思います。許可を頂けますか?」

 大尉でしかない北川は防衛戦の指揮を取るというのだ。これは明らかな越権行為であり、身の程知らずも甚だしい要求である。ランベルツの後方に居た参謀達が怒鳴りつけようと前に出ようとしたが、それをランベルツの腕が制した。

「北川大尉、やってくれるかね。私は実戦指揮には向かないのでね」
「任せて下さい。そう簡単にここを渡したりはしません」

 ランベルツに指揮権を委任された北川はメインスクリーンに向き直ると、矢継ぎ早に指示を飛ばしだした。

「残っている戦闘衛星を全て正面に集めろ。少しでも時間が稼げれば良い!」
「潰された港のゲートを爆破して艦隊を出すんだ。全力を出せればこっちの勝ちは揺るがない!」
「MS隊はこちらの指示があるまでは迎撃に専念させろ。要塞砲はミサイルの迎撃に全力を振り向けるんだ!」
「サイド5の司令部と連絡を取れ。共同で敵に当たるぞ!」

 ランベルツの見守る中でテキパキと指示を出していく北川の姿は、実戦慣れした歴戦の指揮官の趣があった。MSには乗れずともその指揮能力は健在で、秋子が北川をこの司令部に残したのもこういう時に使うためだ。ランベルツだけはこの事を秋子から直接聞かされていた事もあり、北川に求められずとも指揮を任せる気でいたのだ。

 とにかく北川の指揮でどうにか落ち着きを取り戻した連邦軍は使える戦力を結集して反撃を開始した。MSはジムUとジムVが主力となるが、フォスターUには北川大隊のうち、香里が持っていかなかった2個中隊が残っていたのでゼク・アインも多少は使える。
 そうこうするうちにサイド5側と回線が繋がり、何とか七瀬を捕まえる事が出来た。

「七瀬さん、俺はここから離れられない。MSの方は任せても良いか?」
「この数を1人でやれっていうの?」
「他に人がいないんだ」

 そう言われては七瀬も文句をいう事は出来ず、渋々と頷いてしまう。だが、これほどの大軍を指揮するのは七瀬にも初めての事であり、正直言って頭を抱えたかった。サイド5駐留軍は実戦用のMSは2個中隊しか持っておらず、あとは2線級のジム改がやはり2個中隊あるだけだ。駐留軍の相手は海賊やデプリがメインなので、強力なMSは必要なく、寧ろボールなどの作業機や哨戒用の航宙機が必要とされているので、正規軍と真っ向から戦う事は余り想定されていないのだ。艦艇も戦闘艦艇は巡洋艦4隻、駆逐艦8隻でしかない。後は全て小型艦ばかりだ。
 これに対して緊急展開軍の拠点であるフォスターUには主力部隊が居ないとはいえ、まだ40隻を超える戦闘艦艇と60機を超える第1線MSが残されている。2線級MSも加えれば200機を越える大兵力だ。これに戦闘機などの補助戦力も加えればそれはとんでもない大軍となる。
 敵と戦う事を前提に編成されている実戦部隊と、単なる治安部隊とではここまでの差がある。だからティターンズも攻略の為の戦力を都合できず、リーフに任せるという屈辱的な選択をしている。




 そして、そのリーフから見てもフォスターUの動きは素早いものに映っていた。完璧な奇襲をかけたのに、それでも平然と反撃に出てきたのだから。
 浩之はフォスターUの反対側から10を超す戦闘艦が出てきたのを見て舌打ちしながらも、艦隊に前進を指示した。

「全艦全速、今のうちに距離を詰めて艦隊戦に持ち込むぞ。敵艦の大半は港から出てこれない。MS隊も発進させろ!」

 前進を開始したリーフ艦隊。これに対して連邦軍の艦隊も戦隊レベルで纏まって迎撃を開始したが、数で負けているということがここで大きく響いた。サイド5から巡洋艦2隻、フォスターUから強襲揚陸艦1隻、巡洋艦4隻、駆逐艦14隻の合計21隻が集っている。指揮をとっているのは強襲揚陸艦アルビオンの艦長であるデヴィソン大佐だ。この艦長は火星で沈没したカノンの艦長だった人物で、新たに建造されている2代目カノンの初代艦長に内定してもいる。
 この秋子の信頼も厚い艦長は久々の実戦をいきなりこんな不利な戦況で向かえる事になるという現実に皮肉なものを感じずにはいられなかった。

「やれやれ、水瀬提督の下にいると苦労ばかりさせられるようだ」

 機動艦隊時代にもデヴィソンはカノンの指揮をとって各地を駆け回った。その作戦には無茶なものも多く、幾度死神を間近に感じた事か。
 何となく次々に浮かんでは消えていく辛い過去を振り払い、デヴィソンは向ってくる艦隊を見据えた。

「敵艦隊の所属は確認できたか?」
「いえ、連邦軍の旧式艦が主体のようですが、中には全くデータにない艦も存在します」
「新造艦、か。エゥーゴのものである可能性は……月面に全力を集めている奴らにそんな余力があるわけがないか。だが、ではこいつらは何処から現れたのだ?」

 幾ら考えてもデヴィソンには見当が付かない。この時点では情報が混乱しており、サイド5にはティターンズのクーデターの報は届いていなかったのだ。分かるのは目の前の勢力は旧式が多いとはいえ40隻の戦闘艦を維持できるだけの力を持っていること、そして自分達を翻弄できるだけの実力と狡猾さを持っているということだ。
 そして遂に敵艦隊からMSが出てきた。その数は150を超えている。このMSがデヴイソンに回答を与えてくれた。

「MSの識別は出来るか?」
「ハイザックとネモ、リックディアスは確認出来ます。Zタイプまで居ます。それと……」
「それと、何だ。バーザムでも居たのか?」
「いえ、照合は出来たのですが、これは来栖川が発表したばかりの迎撃用MS、スティンガーですよ。民間企業向けに開発したとかいう触れ込みの機体です。ですが、まだ販売はされていない筈なんですが」
「……ロールアウトしたばかりの新型を多数揃えたヤクザ、という可能性は無いよな?」
「そんなのがいたらたまったものじゃないですよ」

 上司のジョークにオペレーターは苦笑したが、デヴィソンは笑ってはいられなかった。エゥーゴの使用している機体をアナハイムから輸入し、まだ商品にもされていない新型を多数揃え、運用できるだけの組織力と装備入手ルートを有する組織など、余程都合よく考えなければ1つしかないではないか。

「来栖川施設企業軍、リーフか」
「リーフ? あの来栖川の組織している警備部隊ですか?」
「警備部隊と言われてるが、実体は立派な軍だよ。確かにあいつらなら目の前の艦隊を準備できる」

 しかし、正体を推測できても何故? という疑問は残る。どうしてリーフがサイド5を攻撃する? 仮に勝ててここを占拠したとしても、待っているのは本気になった連邦軍による報復攻撃だ。今は月に行っている秋子もこんな事をされて黙っているような人ではない。
 だが、デヴィソンが思考の淵に沈んでいたのはごく僅かな時間でしかなかった。オペレーターの緊迫した声が彼を現実に引き戻したのだ。

「MS隊が接触します!」
「……そうか、始まるな」

 戦術モニターを見れば七瀬の率いる80機ほどのMSがリーフ艦隊から出てきた100機ほどのMS部隊と衝突しようとしている。この七瀬部隊が突破されれば残るのはジム改とジムUが大半の部隊しか残っていない。

「ジムVとスティンガーか。分が悪いかな」
「艦長、敵艦隊が来ます!」
「良し、こちらもやるぞ。何とか主力艦隊が港から出てくるまで持たせろ!」

 視線の先から次々に飛来するビームの光に顔を照らされながら、デヴィソンは視線をフォスターUのドックがあるゲートに向けた。そこには艤装中の新造戦艦カノンがある。あれが使えればもう少し楽が出来るのだろうが。

「まあ、使えない物を願っても仕方ないか」

 無い物ねだりをしても意味はない。今は手持ちの戦力を駆使して戦うしかないのだ。そう思考を切り替えると、デヴィソンは目の前の戦いに集中する事にした。





 しかし、デヴィソンと同じ事を考えている男があと1人いた。フォスターU司令部から戦況の推移を見守っていた北川だ。艦隊戦は数の差で撃ち負けており、MS戦もどうやら劣勢を強いられており、表情には余裕が無い。

「ちっ、敵の新型はジムVより強いのか。ゼク・アイン隊は数が足りない。となると……ジムUとジム改も回すか」

 ジムUは連邦軍で未だに主力として使われているが、すでに前線では旧式化が著しい。だからこそのジムVであり、高級機のゼク・アインとバーザムなのだが、未だにジムVのラインさえ整備されているとは言い難い。最もジムV開発計画を推進していたサイド5とジャブローには生産施設が整備されているが、ルナツーを含む多くの生産拠点ではまだ生産が立ち上がったばかりなのだ。ゼク・アインはサイド5とペズンだけ。バーザムもニューギニアとグリプスくらいだ。
 数を揃える事にかまけて戦力の更新が遅れたツケが回ってきたと言えるかもしれない。パイロットも北川大隊の居残り部隊を除けば一流と呼べる者は少ない。訓練の足りない兵も多い。まあ居残り部隊だから仕方が無いのだが。

 七瀬は指揮官としてはそれなりに有能な人物ではあるが、流石に訓練不足の兵士を率いて性能に勝る敵を多数相手取るのは無理がありすぎる。しかも敵には現用主力であるネモシリーズやリックディアスシリーズ。そしてZタイプの新型、ZUまでが居るのだ。ここまで差があるといっそ清清しいほどだ。
 もっとも、これらのアナハイムMSの中でも最新のZUやリックディアスU、ネモF型などは輸出される筈が無い機体である。アナハイム自体が存亡の危機に晒されているこの時期に、最新鋭機を売買する事はありえないからだ。だが現実に目の前にはその新鋭機がある。これはつまり、アナハイムかエゥーゴの中にリーフと繋がっている人間が居る事を示していた。
 だが、この場にいるMSで最強なのは間違いなく七瀬の使っているゼク・ツヴァイだ。両手に構えた2つのマシンガンは戦場に居る如何なるMSも容易くスクラップに変えてしまう事が可能で、更に幾つかの装備も持っている。
 この七瀬に挑んだMSは大半がすぐにスクラップへと変わっていく。機体の性能差ではない、実力が違うのだと言い切れるだけの何かが七瀬にはある。先のファマス戦役でもオールドタイプでただ1人、超一流のNTパイロットやS級シェイドを相手に互角の勝負ができたというとんでもないパイロットなのだ。
 その七瀬に挑む事がどれだけ無謀かをリーフのパイロット達は知らなかった。リーフのパイロット達は訓練度は高かったのだが、悲しい事に実戦経験はほとんど持っていない。彼らが相手にしていたのは僅かな海賊程度のもので、連邦や旧ジオンから招いた教官役のパイロットを除けばこれが初陣という者が少なくないのだ。
 だから居残り部隊の新米たちとは十分に渡り合えたとしても、秋子の指揮下でも最強の1人に数えられる七瀬の相手にはなれなかった。七瀬に群がった敵機は多かったのだが、これを迎え撃った七瀬は次々にこれを返り討ちにしてファマス戦役で連邦パイロットにつけられた「血塗られた戦乙女」の2つ名をリーフパイロット達にも刻み付けている。
 丁度6機目を片付けたところで七瀬は一度全体の状況を把握しにかかった。

「各中隊、損害を報告しなさい!」
「こちら第2中隊、損失3機!」
「こちら第5、半数が殺られました!」
「第3中隊、全機健在です!」

 だが、七瀬の求めに応じて返事を寄越した中隊長は思っていたよりもずっと少なかった。何人かは戦死しているようで先任小隊長が報告を寄越してきた隊もあったが、報告が無い隊も多かったのだ。
 事ここに至って七瀬も味方部隊が圧倒されかけている事を理解する事になる。どうやら敵に優勢なのは自分を含めて極僅かであるらしい。

「……最終防衛線まで後退。そこで後衛と合流してもう一戦するわよ」
「ですが、後衛の連中では無駄死にするだけでは?」
「他に手が無いわ。質で負けてるなら数でいくしかない」

 部下の質疑に七瀬は悔しそうに答え、急いで部下を退がらせた。勿論自分は最後衛にあって敵の追撃を撃退し続けている。 そうこうしているうちに態勢を立て直した北川の部下達が七瀬の援護に入ったので、殿部隊の戦闘力は飛躍的に向上した。だが、肝心の後退させたMS部隊の再編成がさっぱり進んではいない。技量が低い上に経験も足りないので混乱から立ち直れない者が多かったのだ。
 北川が再編成を指導しても従う側が対応できないのでは意味が無い。流石の北川もこの状況には頭を痛めざるを得なかった。

「参った、これじゃどうにもならん」

 北川も匙を投げたくなるほどの役たたずっぷりだ。仕方なく北川は残してある3つの切り札の状態をオペレーターに確認した。

「フォスターUに残っているGレイヤー2機はまだ出せないのか?」
「兵装コンテナの換装にもう少しかかるという事です」
「カノンの準備は?」
「動力炉は起動しました。現在最終チェック中です。ですが、兵装は全てテストが完了していませんよ?」
「構わんさ。主砲を1度打てればそれでいい。それとゴータ・インダストリーの方はどうなってる。長森さんはまだ出れないのか?」
「こちらはもう出れます」
「そうか。噂のエクスカリバー系の量産機、まさかお披露目がこんな戦いになるとは思わなかったな」

 目の前の戦況の急激な悪化振りに額に汗を見せつつも北川は軽口を叩いてみせる。どんな時でも余裕を失ってはならない。諦めてはならない。これは秋子の元で戦い抜いた機動艦隊出身の将兵なら誰もが持っているポリシーだ。北川は地球に降りてこれを無くしていたかに思われたが、古巣に戻って取り戻してしまったらしい。
 だが、戦況の悪化は北川にもどうにも出来なかった。敵を食い止めるべく残っていた七瀬たちも孤立し始めた。北川は七瀬を助けるべくジムUを主力とする部隊を送り込んだのだが、敵部隊に阻まれてたどり着けないで居る。数は互いに40機ほどなのだが、技量と機体性能で負けていた。

 七瀬の周囲では少しずつ友軍機の数が減っていた。北川大隊のパイロット達は高い技量を持っているが、圧倒的な物量差の前にはそれは何の役にも立たない。周囲が敵だらけになりながらも、それでも七瀬は生き残りを率いて後退戦を続けていた。その生き残りの中には一弥のシムVの姿もある。

「後から後からしつこいのよ!」

 2丁のマシンガンの集中砲火で動きの鈍かったスティンガーを粉々にしてしまう。既に撃墜スコアは10を超えただろうが、そんなものに興味は無い。じぶんが幾ら敵機を撃退しても、全体が劣勢では意味が無い。
 そんな七瀬の脇を固めてくれる頼もしい味方が一弥だ。現在この場に居るパイロットでは一弥だけが本気の七瀬に付いて来る事が出来る。だが、一弥のジムVではこの数相手の戦闘に耐えるのは無理だろう。ゼク・ツヴァイのような化け物ではないのだ。

「七瀬さん、もう機体が限界です。弾もありません!」
「くっ、せめて北川君だったらね……」
「隊長と一緒にしないで下さい。あの人の射撃技量は人間業じゃないです」
「確かにね。地味なんだけど、敵には絶対に回したくないわ」

 北川は無駄弾をまるで出さない。接近戦での射撃技量はエース揃いだったかつての機動艦隊でも最高のものを持っていたのだ。だがその北川は今はフォスターUの司令室で指揮をとっており、MSで出てきてくれる事は期待できない。ならばここで頑張るしかない。

「そうよね、私達で頑張らないとね」
「頑張ると言っても、限界はありますよ」
「まあもう少し踏ん張りなさい。北川君が私達を見捨てるわけ無いんだから」

 七瀬の確信に満ちた言葉に、一弥も渋々頷いた。一弥も北川が部下を見捨てるような男ではないと確信していたのだ。
 そして、ここからリーフにとって本当の悪夢が始まる。





「化け物か、あいつは!?」

 アクアプラスの艦橋で戦術モニターを見ていた浩之は悲鳴のような声を上げた。戦術モニターでは少数の連邦機に多数の味方機が挑んでは次々に撃破されている現実が残酷に映し出されている。自分達には実戦の経験が足りないのは分かっている。ここにはファマス戦役に参加していたパイロット達も半数ほどしか連れてきてはいないのだから仕方が無い。だが、それでもこれだけの大軍を揃えたのだ。なのに今、目の前でその大軍を相手にたった1機で獅子奮迅の戦いぶりを見せる化け物が居た。
 両腕と補助アームで構えたマシンガン2門が唸りを上げて大口径弾をばら撒き、近付く敵機の四肢を、頭を、胴体を削って次々に擱座させていく。
 雄たけびを上げ、目に付く敵機に片端から弾をぶち込み、近付いた敵機にはミサイルで迎撃し、更に近付かれれば補助アームに持たせたビームサーベルで切裂いてしまう。
 この七瀬の強さは単機でありながら敵機の大軍の足を止めるほどの迫力があった。リーフのパイロット達は恐れを抱いて近付くのを躊躇うようになっている。

 これは浩之にとって極め付きの悪夢だった。緊急展開軍には機動艦隊、いや、カノン隊からそのまま移籍した化け物としか呼べないパイロットが幾人か居るのは知っていた。実際、ファマス戦役ではその化け物同士の戦闘が幾度か発生し、他の誰もが立ち入る事を許されない絶対不可侵の領域を戦場に生み出していた。浩之自身もその様を直接見た事があり、S級シェイドや最強NT同士の桁違いの強さに息を呑んだものだ。
 その化け物に名を連ねる者、七瀬留美大尉がここに残っていた事を浩之は当然知っていたが、それでも数で押し切れると考えていたのだ。それがまさかここまで強かったとは。

 そしてその悪夢に更なる拍車をかける事態が発生する。北川が殿部隊救出の為にぶつけた旧式MS部隊は未だにリーフMS隊を突破できずにいたのだが、ここにいきなり乱入してきた見知らぬMSがリーフMSを瞬時に3機も撃破し、壁に小さな穴をこじ開けてしまったのだ。
 その見知らぬMSはジムのラインが伺える、極めてシンプルにまとめられたフォルムを持った機体だ。背中にあるウィングバインダーが目を引くが、特に際立った特長は見られない。右腕にはハードポイント固定型のビームランチャーを持ち、左腕にはジムVと同タイプのシールドを装備している。
 一体何者かと周囲の連邦パイロット達が様子を伺っていると、通信機から聞き慣れない声が聞こえてきた。

「何してるんだよ、留美ちゃんたちが危ないよ!」
「る、留美ちゃん?」

 パイロット達はそれが七瀬をさす名称だとは理解できたが、彼女をそう呼ぶ人間を始めて見たのは多くの者が初めてであった。そんな中で幾人かがこのパイロットの声に聞き覚えがあった。

「あなたは、ひょっとして長森瑞佳少尉ですか? ゴータ・インダストリーに出向しているとかいう?」
「そうだよ。それより、早く助けに行くんだよ!」

 瑞佳は焦った声で答えると、立ちはだかったMSを更に2機落として防衛線を突破していった。自分達があれだけ頑張っても抜けられなかった壁をあっさりと突破していったその強さに彼らは目を丸くして驚いてしまう。彼らはファマス戦役後に入隊した新兵なので、秋子が集めている古参メンバーの凄さを知らなかったのだ。
 実は七瀬の桁外れた実力をサイド5駐留軍の将兵はほとんど理解していなかった。新兵を訓練するのにそこまでの実力は必要なかったのだ。
 この瑞佳機は途中の迎撃をあっさりと振り切り、七瀬の元に駆けつけてしまう。七瀬は後方から敵機に撃ちこまれた強力なビームを見て僅かに眉を動かした。それは七瀬の知る限りこの場に現れる筈の無い機体、ゴータ・インダストリーが開発したエクスカリバーの量産型、ストライカーのビームキャノンの光だったからだ。
「留美ちゃん、まだ大丈夫?」
「瑞佳? どうして来たの?」
「こんな状況じゃ放っておけないよ。もう弾も無いんでしょ?」
「ま、まあね。来てくれて助かったわ」

 幾らゼク・ツヴァイが大量のドラムマガジンを抱えていても限界はある。これだけ派手に撃ちまくれば弾切れを起して当然なのだ。
 とにかく瑞佳が突破できた事で封鎖線に穴が開いた事は確かで、そこからジムUやジムVが穴をこじ開けて七瀬たちが後退する場所を作り出してくれた。浩之は七瀬を仕留める機会を逸したが、七瀬が後退した事で防衛線を越えられ、戦闘がフォスターUとコロニーに及ぶようになってしまった。全体を見れば連邦側はより一層追い込まれただけで、戦局は確実に悪化している。





 浩之は消耗したMS隊を一度後退させ、後方部隊から補充を回させて戦力の再編を図った。あわせて艦隊を前に出し、フォスターUへの圧力を強めていく。デヴィソンの率いる艦隊は良く頑張ってはいたが、数で2倍の差をつけられていてはどうにもならなかった。元々デヴィソンは一介の艦長であり、艦隊指揮の経験が無かった事も不利となっている。
 北川は要塞砲とミサイルで必死に援護させたが、逆にこちらの被害が増している有様だ。そうこうするうちに再編の終わったリーフMS部隊が再出撃し、再び連邦MS隊と激しい戦闘を繰り広げている。だが、今度はリーフが戦闘宙域を拡大した為、戦火はフォスターUだけではなくコロニーにまで及んでいる。
 七瀬はこれを見てサイド5のコロニー群を守る為に守備隊をまとめてそっちに行ってしまったので、フォスターUの防衛力は低下していた。エース級が瑞佳1人になってしまった為にMS戦でも圧倒され出している。
 北川は手元にこれ以上の戦力が無い為、状況を打開する策が立てられなかった。MS隊は劣勢、艦隊戦も数の差で押されている。要塞の砲台はまだ健在だが、これもMS隊が敗北して取り付かれればいずれ無力化されてしまう。事ここに至って北川は1つの決断を強いられていた。怪我を押して前線指揮をとるか、このまま司令室から指揮をとるかだ。
 ここから離れて良いかどうか、決断できずに居る北川。だが、彼の耳に遂に決定的な報告が飛び込んできた。

「6バンチコロニー外壁に直撃弾です。外壁に穴が開きました!」
「何だと、コロニーの状況は!?」
「戦闘が激しく、穴を修復する余裕がありません。退避シェルターB21からB25までが全滅です。空気の流出も止まりません!」

その報告を聞き終えた北川は、彼らしい決断を下した。理想主義に走りすぎているが、ここでは「軍隊は市民を守る為にある」という言葉が罷り通るのだ。そして北川もそんな奇麗事が好きな軍人だった。

「ランベルツ少将」
「何かね、大尉?」
「……大言壮語して今更と思われるでしょうが、自分も前線に出る許可を頂きたいのです」
「…………」

 北川の求めに対して、ランベルツは目を細めた。

「大尉、君は自分の体の事を理解しているのかね?」
「はい。傷は塞がりましたが、医者からはまだMSに乗るのは禁止されています」
「それでも乗ると言うのかね?」

 ランベルツは出来れば北川を思い止まらせたかった。北川の才幹は貴重なもので、それをここで失えば秋子に申し訳が立たない。だが、北川は意思を変えたりはしなかった。

「ここを陥落させたりしたら、相沢に散々文句を言われた挙句に取り返してもらう借りを付くる事になります。それは流石に我慢できません。それに……」
「それに?」
「奴らはコロニーに手を出しました。これを許す気にはなれません」

 それは余りにも分かり易くい理由だった。指揮官としては間違っているかもしれない。戦争にこんな感情を挟んでいては指揮にも支障が出てしまうのは分かりきっているのに、ランベルツは何故か大きく頷いていた。

「そうか、確かにそれは悔しいな。それにここを落とされたら私も水瀬提督に何を言われるか分からん」
「では?」
「うむ、許可しよう。全体の指揮はこちらで引き継ぐ。君はMS隊をまとめて何とか敵を通さないでくれ」
「任せて下さい。少しは状況を楽にしてみせます!」

 ランベルツの了解を得た北川は敬礼を残して司令室から駆け出て行った。それを見送ったランベルツは楽しげな笑みを浮かべ、両腕を組んで正面のスクリーンを見る。

「カノン隊最高のMS戦指揮官の双璧、倉田佐祐理と北川潤。彼も相沢少佐と同じく、要塞の司令室や戦艦の艦橋よりもMSのコクピットが似合う男なのかな」

 この緊急展開軍には、未だにそういうロマンチズムの世界に生きる奴が沢山居る。秋子を筆頭としてそういう馬鹿な奴が本当に多いのだ。類は友を呼ぶとでも言うのか、秋子が意図的にそういう人材を集めたのかは分からないが、緊急展開軍にはそういう人材で中枢を構成されている。
 そして、ランベルツはそういう馬鹿が嫌いではなかった。彼もまた秋子が望んで呼び寄せた人材なのだ。


機体解説

GTS−005 ストライカー
兵装 ビームキャノン
   マシンキャノン×2
   頭部60mmバルカン×2
   ビームサーベル×2
   シールド
<解説>
 ゴータ・インダストリーが開発した攻撃用量産型MSで、ジムVやゼク・アインとは異なった設計思想で作られている。エクスカリバー系だけに攻撃力が極めて高く、有線ビームサーベルこそ無くなっているが高い格闘能力も有する。その攻防の性能は申し分ないレベルに達しており、正式量産化の手続きも始められている。正式化の暁にはRGMナンバーを与えられるだろう。
 欠点としてはエクスカリバー同様に操作性が悪い事、装甲材にガンダリウム・γ合金を採用した為に高級機種となってしまった事で、今後の課題として生産性の向上などが求められている。


RHM−03 スティンガー
兵装 ビームライフル
   ビームサーベル×2
   頭部60mmバルカン×2
<解説>
 リーフが警備用として開発したMSだが、その性能は警備用というには明らかに過剰で、実戦を想定して開発されている事が分かる。その特徴はまさに平凡である事で、連邦のジム系に匹敵するほどに凡庸な機体となっている。ただ、その分生産性、整備性は申し分なく、新兵でも使いこなせるほどに扱い易いMSとなっている。
この時代の多くのMSが技術者の独り善がりな高性能機である事を考えると、スティンガーはパイロットの事を考えて作られた数少ないMSだと言えるだろう。



後書き

栞   ボコボコですね。
ジム改 主力部隊が居ないからね。
栞   2線級部隊って弱いんですねえ。
ジム改 所詮は暴動鎮圧やデプリの処理、航路の警備がお仕事だからねえ。
栞   でも、こんな事で正規軍に攻められたら守り切れるんですか?
ジム改 守り切れる訳無い。そういうのは正規軍の仕事。
栞   じゃあ駐留軍はどうすれば良いんですか?
ジム改 形ばかりの抵抗をして助けを求める。
栞   情けないです。
ジム改 無理言うなよ。駐留軍なんて警備隊に毛が生えたようなものなんだから。
栞   ところで、リーフって何人かファマス編で出てませんでしたっけ?
ジム改 出てたけど、今回はまだ出てきてないぞ。
栞   出てくるんですか?
ジム改 多分次回には。