第38章  ハノイ防衛線



 マドラスから北上して来たティターンズは、寝返った連邦部隊を指揮下に加えながら東アジア、シナに侵攻しようとしていたのだが、そこで彼らは始めて頑強な防衛線にぶつかる事になる。ここには地球連邦軍、極東方面軍の中で唯一混乱から逃れていた海鳴基地の司令官、シアン・ビューフォート中佐がハノイに臨時の司令部を置き、防衛線を構築していたのである。
 本来なら一介の中佐では大隊、よくても連隊規模の指揮官が精々なのだが、この大混乱に対処する為に太平洋艦隊司令長官のデブリン大将はシアンに戦時階級として本作戦のみ大佐扱いをすることになったのだ。既に中央アジア、南アジア、極東の3つの方面軍司令部は壊滅しており、指揮下の師団の過半数はティターンズに寝返った状態では何処の部隊が敵か味方かもはっきりしない。
 この状況でデブリンは立場がはっきりしているシアンにティターンズを食い止めさせると共に、東アジアに逃げてきた連邦部隊の受け入れをさせる事にしたのだ。この仕事には当然それなりの階級も必要であり、戦時階級という手段を持ち出したのである。
 この件に付いてはコーウェンも事後承諾したので、シアンは臨時に全権を与えられた大佐となってハノイに赴いたのだ。撤退して来た部隊の受け入れに躍起になっている海鳴基地は副司令のラウンデル少佐が業務を代行することになっている。
 とりあえず副官の茜を伴ってハノイにやってきたシアンは、そこでなんとも言えない情け無さを味わう事になった。

「どういう事だ。未だに再編成が完了した部隊が無いというのは?」

 シアンはハノイの司令部に入るなり、現地の参謀に質問をぶつけていた。彼らの中には大佐の階級を持つ者も居るのだが、シアンは彼らの階級章など見てはいない。シアンが問題にしているのは、彼らが今まで何をしていたかなのである。
 シアンに問い詰められた参謀達は誰もが苦々しい表情を浮かべ、苦し紛れとしか思えない言い訳を口にしだした。

「それが、こちらも流入してくる避難民と後退して来た部隊の後送で手一杯だったのです。それに、前線部隊の統制も半ば失われている有様でして」
「これは半ば失われていると言うのではない。とっくに崩壊していると言うのだ!」

 司令官オフィスのデスクを拳で叩き、シアンは参謀達を睨み付けた。

「とにかく偵察機を飛ばして前線の情勢を報告させろ。それと後方に下げた部隊の再編成を急がせろ。ハノイ前面、旧ラオスに新たな防衛線を構築し、そこでティターンズを食い止める!」
「ですが、装備に差がありすぎます。敵が前に出してきているマラサイやバーザムには、我々の装備では歯が立ちません!」
「1年戦争の開戦期ほど差があるわけではない。そこを何とかするのがお前達の仕事だ!」

 泣き言を口にする参謀をシアンは視線で横薙ぎし、茜のほうを見た。

「通信隊に命じて前線の通信をとにかく傍受させ、分かる範囲で情報を纏める。茜は通信班に行って現在集っている情報を揃えてくれ」
「分かりました」

 シアンに言われて茜は司令官オフィスを後にし、それを見送ったシアンは再び役に立たない現地の参謀達を見回した。

「事態は一刻を争う。とにかく今必要なのは少しでも早く戦線を立て直し、ティターンズの行き足を止めることだ。現在海鳴基地で部隊の再編と装備の更新が進められている。とにかくこれ等の準備が整うまでなんとしても奴らを先に進ませてはならん!」

 シアンは明確な意思を持ってこの命令を発したが、それが何処まで目の前の部下達に浸透したかは大いに謎であった。
 こいつ等は役に立たない。そう実感したシアンは、これ以上この参謀達に頼る事を諦め、後方の広州を拠点として全軍の立て直しを図っているマクモリス少将に再編の終わっている部隊を回してくれるよう頼む事にした。言い方は悪いかもしれないが、ここにいる連中より後方で建て直しを行っている士官たちの方がよほど頼りになる筈だ。
 マクモリス少将はシアンの要請に快く応じてくれ、再建のなった2個MS中隊を含む2個機械化連隊を増援として回してくれる事になった。これはシアンの階級だと些か過剰な兵力なのだが、今はそんな事を言っていられる状況ではない。何より、シアンより上位の士官がこの場にはマクモリス少将しかいないのだ。
 これは既に極東方面軍の指揮系統が崩壊しているということを意味していた。幾らシアンが経験豊富で機動艦隊の幹部将校であったとはいえ、ここに集ってくる部隊の数は佐官が掌握できるような規模ではない。
 後方のマクモリス少将の階級でも掌握するのは不可能であっただろうが、状況が弱音を吐く事を許さなかった。ジャブローはマイベック准将が指揮している状況で、ヨーロッパはシナプス准将が纏めているのが現在の状況であり、コーウェンが新たな司令官を送ってくれるまではこの状況で頑張るしかないのだ。

 作戦室で大まかに防衛計画を立てていたシアンは、こういう時こそ久瀬が欲しいと愚痴をこぼしていた。

「くそっ、久瀬と鹿沼を相沢に譲ったのは失敗だったな」
「愚痴ってないで、計画を急いで立ててください。私は友里さんと由衣さんを連れて出撃しますから」
「ああ、すまんが頼む」

 この不利な状況に義妹を送り込まねばならないシアンは心底すまなそうな顔で茜に詫びたが、茜は気にした風でもなく頭を横に振り、逆に自分が気にしている事を聞いてきた。

「ところで兄さん。郁未さんと未悠ちゃんは大丈夫なのですか?」
「ああ、義姉さんと桃子さんに任せてきた。大丈夫だろ」
「そうですか、美沙斗さんと桃子さんに」

 あの2人はしっかりしているから、確かに大丈夫だろう。郁未は以外とぽっきり折れ易いので少し心配なのだが、そういう事なら安心しても良いのかもしれない。茜は納得して頷くと、出撃する為に外に出て行った。




 

 この時、シアンはインド方面から北上してくるティターンズの機械化部隊に対し、戦車部隊を防衛線に配置し、MS部隊は機動力を生かした遊撃戦力として戦線の後方に置いていた。数では残念ながら対抗できないのだが、東南アジアのジャングルという戦場が連邦軍にそこそこ有利な条件を作り上げており、ティターンズ部隊は予想外の苦戦を強いられる羽目になっていた。
 濃いジャングルは容易く視界を奪い、高温多湿の環境は赤外線センサーさえ狂わせてしまう。このような戦場では咄嗟遭遇戦の確立が劇的に上昇してしまい、連邦軍の戦車や旧式MSでも待ち伏せ攻撃で性能の不利を補う事が可能となってしまうのだ。実際、1年戦争でもこの戦法で多くのザクが61式戦車に仕留められてしまった。
 幾らマラサイやバーザム、ガンダムマークUが重装甲とはいえども、流石に100メートル以内からの150mm砲弾の直撃は洒落にならない。更にMSが幾ら地上車両に較べて踏破能力に優れるとはいえ、ジャングルの中ではその移動速度は遅々として上がらない。樹木を薙ぎ倒しながら進む事になるわけだが、それは非常に効率が悪かった。その為に自然と通り易い進撃路を選ぶようになるのだが、1年戦争でこの辺りで戦
ったことのある現地部隊は彼らが通るだろう進撃路に地雷を仕掛けており、通りかかったMSがこれに引っ掛かって擱座するという被害が相次いだ。
 結局、MSもまた兵器であり、その特徴は宇宙などの開けた戦場で、距離を詰めた時にこそ真価を発揮する近接攻撃兵器である。ミノフスキー粒子が散布されていなければMSはただのでかい的であり、ミサイルで容易く撃破されてしまうという現実があるように、兵器とは性能を発揮できる戦場というものが必ずあるのだ。何処でも全力で戦える万能兵器など存在はしない。
 そういう意味では、このジャングルはMSには砂漠とはまた違った意味で最悪の戦場であった。砂漠は視界が開けている為に敵を視認し易かったが、ここでは敵を発見することそのものが困難なのだ。
 この地上路に対するトラップの多さに業を煮やした幾つかのティターンズ部隊は道無き道を強行突破する道を選んだが、それはかえってジャングル内で立ち往生する結果を招いた。大量の樹木の中で動けなくなったMSはたちまち連邦の偵察機に発見されてしまい、旧式のフライマンタや新鋭のアヴェンジャー攻撃機の空襲を受ける事になる。

 これ等の指揮を取っていたのはシアンである。彼は全ての努力を敵の足を止める事に注ぎ込んでおり、部下達にもそれを徹底させていたのだ。救いといえばハノイから北には広大な高地や山脈が広がっており、地上部隊はここを抜けてくるのは一苦労だということだろうか。ティターンズはインド北部に広がる広大なチベット高原を突破するという無茶はせず、インドシナ半島を東進してアンナン山脈を越えて中継都市のビンに入り、ここから北上してハノイに迫っている。
 シアンは旧ラオス、アンナン山脈を早期に押さえて防衛線としたかったのだが、これは友軍部隊の展開が間に合わず断念するしかなかった。そこでジャングルを利用しての防衛戦闘を決意したのだが、結果はどうにか吉と出ていた。
 更にシアンは後方に火消し役として急場に駆けつけられるMS部隊を幾つか編成してあったが、その中の切り札とも言える海鳴基地守備隊から引き抜いてきた部隊は圧倒的に強力であった。
 この部隊は茜を隊長として、部下に名倉友里と名倉由衣の2人を配置した小隊だ。全機がジムVで構成されており、ジムライフルで武装している。この部隊は既に3度戦線に投入されており、8機のMSを撃破するという戦果を上げている。
 そしてこの茜の小隊は、近くで必死にティターンズ部隊の追撃から逃げてきた連邦部隊の救出任務を受けて現地へと向っていたのだが、茜はこの仕事に些か引っ掛かる物を感じていたりする。

「……気に入りませんね」
「え、何がですか、茜さん?」

 茜の独り言を聞きつけた由衣が茜に声をかけてきた。茜は少し迷ったが、由衣の質問に答える事にした。

「由衣さんは、シーマ海兵隊という部隊を御存知ですか?」
「いえ、聞いた事ありませんけど」
「デラーズ紛争で、デラーズフリートを裏切ってティターンズと内通し、連邦に帰順した元ジオン部隊ですよさまざまな特殊任務を遂行した錬度の高い部隊ですが、かなりキナ臭い噂もある部隊です。聞いた話では、サイド2に毒ガス攻撃を行ったのもこの部隊だとか」
「毒ガス攻撃って、じゃあ……」

 サイド2でジオンはGGガスを使ってコロニー住民を皆殺しにし、そのコロニーを地球に落としたというのは有名な話だ。その後の作戦においてジオンはGGガスを多用して多くのコロニーを皆殺しにして回ったのも、このサイド2での使用によって箍が外れたからかもしれない。
 自分達はそんな部隊を助けに行こうとしているのかと思うと由衣は複雑な気持ちにさせられてしまったが、見捨てる訳にもいかなかった。何しろこれはシアンからの命令なのだから。




 この時、シーマ大尉率いる独立戦隊は避難民を保護した状態でハノイを目指していたのだが、あと少しというところでティターンズ部隊に捕捉されてしまい、大苦戦を強いられていた。彼らの機体はジム改で編成されており、90mmマシンガンで武装していた。これは連邦軍の標準的な部隊ではあったが、それはティターンズから見れば弱体な戦力でしかないという事である。
 だが、シーマ隊は他の連邦部隊に較べるとかなり技量が高かった。クリスタル・スノー並とまではいかないが、エリート部隊と言ってもいいほどの技量だったのである。幸いにして砂漠とは違い、遮蔽物の多いアジア戦線は接近戦に持ち込み易く、アフリカ戦線に較べれば彼らはまだ善戦することが出来た。
 追撃していたティターンズ部隊はシーマ隊の奇襲攻撃を受けて防御力の低い車両を次々に破壊されてしまい、幾度か追撃を停止する事態に追い込まれている。
 だが、これ等の努力はシーマ隊が逃げる為の時間は稼ぐ事は出来たが、完全に逃げ切るには足りなかった。追撃してきたマラサイが遂にシーマ隊の隊列と護衛していた難民を満載したトラックの列を捕らえた時、マラサイのパイロットは歓喜の声を上げて銃口をそちらに向けた。

「やっと見つけたぞ。こそこそ逃げ回りやがって!」

 ビームライフルが荷電粒子の束を撃ち出し、車列の傍を掠める。それに驚いたトラックが慌ててブレーキをかけて止まり、後続車両の動きが乱れだす。それを見て護衛に付いていたジム改4機がマラサイに90mmマシンガンを向けてきたが、マラサイのパイロットはそれを小馬鹿にした目で見ていた。

「馬鹿が、そんなチャチな銃でこのマラサイが落とせるか!」

 通信機の回線を開いたままそう怒鳴り、マラサイのパイロットは無造作に機体を前に出そうとしたのだが、その時通信機からいきなり声が聞こえてきた。

「へえ、本当にそうなのかい?」
「何!?」

 至近からの通信としか思えない明瞭な音声にマラサイのパイロットが驚いて周囲に視線を走らせようとしたが、彼が見たのは頭部のすぐ傍に突きつけられた90mmマシンガンだった。それに悲鳴を上げる間もなく90mm弾が続けて頭部に叩き込まれ、そのマラサイは頭部を失ってよろめくように数歩後ろに下がる。マラサイの頭部を破壊したジム改は迷う事無くビームサーベルを抜くと、そのマラサイのコクピットに突き立てて動きを止めてしまった。

「ふう、どうにか上手くいったねえ」

 マラサイをあっという間に仕留めたシーマ・ガラハウ連邦軍大尉は安堵の吐息を漏らした。避難民と護衛部隊を囮にして追撃してきた敵MSを待ち伏せで撃破するという作戦を立てたシーマであったが、それが上手くいったことでホッとしたのだ。敵の接近そのものは移動指揮車の対地ソナーで掴んでいたので、来る事だけは分かっていたのだが、敵が隠れている自分に気付くかどうかは賭けだった。
 ヘルメットを脱いで額に浮かんだ汗を拭っていると、通信機から副官のデトローフ・コッセル少尉が声をかけてきた。

「シーマ様、上手くいきましたな」
「ああ。でも、これで終りじゃないだろうさ。直ぐにここから移動するよ」
「既にやらせてます。シーマ様も早く合流してください」

 コッセルに急かされたシーマは急いで部下たちの後を追い、これと合流して友軍勢力地域を目指したのだが、ティターンズの追撃から逃れる事は出来なかった。移動指揮車のソナーが追撃してくるMS部隊を捕らえてしまったのだ。その数4機。
 4機という数がシーマたちを絶望させてしまった。こちらは僅かに5機のジム改でしかない。それに対し、向こうは4機のマラサイかバーザムだ。いや、もしかしたら連邦軍のジムUかもしれないが、どちらでも自分達にとって厄介な相手には違いない。
 移動指揮車の中で壁を殴りつけ、苛立ちを露いしたシーマであったが、部下達の前で指揮官が取り乱すのは少し困った事になるので、直ぐにシーマはいつもの不敵な表情に戻った。
 上官が落ち着いたのを確認してコッセルがこれからの事を問い質した。

「シーマ様、これから、どうしますか?」
「どうもこうもねえ。さすがに分が悪いよ」
「じゃあどうします? 民間人を置いていけば逃げ切れると思いますが」
「それも1つの手だけどね」

 怒り交じりに考え込むシーマ。それを見てコッセルは沈黙し、部下達は顔を見合わせる。こんなに悩んでいるシーマを見たのは珍しい。
 だが、何時までも考え込んでいるわけにもいかない。シーマはふっと何か空虚な笑みを閃かせた後、コッセルに命令を下した。

「コッセル、あんたはこのままトラックを守ってハノイに向かいな。そろそろ連邦の部隊と遭遇できる筈さ」
「それはそうでしょうが、ティターンズの部隊はどうしますか?」

 コッセルが最大の懸案事項を問い質す。この問題を解決しない限り、自分たちは逃げ切れないのだ。だが、この問題に対してシーマは驚くべき回答をしてきた。

「私が残って足止めをする。お前達はその間に脱出しな」
「シ、シーマ様、それでは!?」

驚くコッセルの肩を、シーマは持っていた扇子でポンと叩いた。

「こんな落ちぶれた指揮官に、これまで良く付いて来てくれたよ。でも、もう付き合う必要はない。このまま友軍と合流しな」
「ですが、連邦内でも我々は厄介者です。シーマ様がいなくなったら、俺たちはどうすれば?」
「聞いた話じゃ、ハノイに司令部を作ってるシアン・ビューフォート中佐は今時珍しいくらいに甘ちゃんだそうだ。民間人を守りきってハノイに行きゃ、受け入れてくれるだろうさ」
「ですが!」

 なおも反対しようとしたコッセルだったが、シーマの顔が酷く疲れているのを見て、勢いを無くしてしまった。

「もう、疲れちまったのさ。1週間戦争でコロニーにガスを使ったあの日からずっと駒として使われ続けて、軍人じゃなく犯罪者扱いされて」
「シーマ様……」
「最後くらい、軍人らしくさせておくれよ」

 そう言って、シーマは移動指揮車から出て行こうとした。部下達は誰も彼女を呼び止める事が出来ず、一歩下がって道を空けていく。そしてシーマが車から出て行こうと扉を開けたとき、コッセルが背後から声をかけた。

「シーマ大尉」
「…………」

 その声に軽い驚きを見せて振り返ったシーマに向けて、コッセルは1年戦争の最中でさえまともにしたことは無かった敬礼を施していた。

「御武運を、大尉」

 コッセルの敬礼を見て他の者達も一斉に敬礼を施す。それはシーマが海兵隊に配属されて以来、初めて部下達が見せたまっとうな軍人らしい仕種であり、シーマは苦笑を浮かべて敬礼を返すと、そのまま移動指揮車を後にした。
 この後、シーマはジム改に乗って出撃していき、コッセルたちは遊軍がいるはずの場所めがけて移動を開始した。これが彼女たちの永遠の別れとなる。







 茜たちが到着した時、既に戦闘は終わっていた。そこに残されていたのは4機のジム改と多数のトラックの残骸と、そして大勢の死者と負傷者達。少し離れた場所には大破して放棄された2機のマラサイの姿もある。どうやら彼らは優勢なティターンズ部隊に立ち向かい、そして敗北したらしい。

「……酷い有様ですね」

 茜は友軍に連絡を入れて輸送部隊を回してくれるように頼み、自らジムVを降りて地上の状況を確かめて回った。負傷者の数は多いようだが、生き残っていた兵士が応急処置を施しているようでとりあえず一命は取り留める者が多そうだ。
 民間人の様子を確かめると、茜は近くに居る兵士に声をかけた。

「ここの指揮官は何処です?」
「……コッセル副長は戦死しました。シーマ隊長は敵部隊を足止めするために単身後方に残って、その後連絡はありません」
「つまり、この場にはもう士官はいないと?」
「はい、現在バーグマン軍曹が全体を纏めています」

 士官がいないのではまともに部隊を動かす事も出来ない。茜はこの部隊をここから移動させるのは諦め、その単身残ったという上官がいるだろう戦場の方に目をやった。

「まだ、生きているかどうかわかりませんがね」

 見捨てるのも性に合わないと呟いた茜は、救急セットを手に慣れない手つきで負傷者の手当てをしている友里と由衣に声をかけた。

「友里さん、由衣さん、このままもう少し奥まで行きますよ」
「え、何でですか、茜さん?」

 由衣が救急セットを持って立ち上がりながら聞いてくる。それに対して茜はここで聞いた情報を伝え、まだ頑張っているかもしれない隊長を助けに行くのだと言った。もう生きてるかどうかさえ定かではない、敵地にたった1人だけ残ったようなパイロットを助けに行くというのだから正気の沙汰ではないが、茜は本気のようだった。

「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。この先はもうティターンズが来てるんですよ。そこに私たち3機だけで行くって言うんですか!?」
「他に動ける部隊はありません。私たちだけで行くしかないんです」
「でも、もし敵の大部隊に包囲されたら……」

 由衣が気が進まなそうに抗議してくる。敵地にたった3機で進むなど御免蒙るというのが本音なのだろ。茜もそれは同じなのだが、味方を逃がす為に1人で足止めを引き受けるような馬鹿を見捨てるのも気が引けている。
 由衣の反対を受けて困ってしまった茜だったが、思わぬところから援護が入った。

「由衣、余り里村少尉を困らせないの」
「お姉ちゃん、お姉ちゃんはここから先に行くって言うんですか!?」
「命令ならしょうがないじゃない。ファマスじゃ何時もこんなもんだったわよ」

 抗議する由衣に対して、友里はなんでもない事のように答えた。ファマス戦役時代は何十隻という大軍に数えるような戦力で挑んだ事もあるのだ。それに較べれば、これはまだマシな任務だと言える。
 姉の説得を受けた由衣はまだ不満そうではあったが、渋々茜の言葉に頷いた。元々由衣は軍人ではなく、現地で徴兵された哀れな元パートの清掃要員だったのだが、気がつけば海鳴基地の警備任務という仕事からこんな激戦区に送られてしまっていた。これはもうシアンの詐欺のようなものだが、そこまでしなくてはいけないほど戦力的に追い詰められているという事でもある。
 ジムVに戻った3人は生き残りの兵士が教えてくれた場所に向って移動を開始したが、間に合うかどうかは微妙な所だろう。敵中にジムU1機で何処まで持ち堪えられるかと問われれば、茜でも苦笑して首を横に振るだろうから。




 茜たちが救援に向っている頃、シーマのジムUはまだ健在であった。引き際を弁え、巧みに移動する彼女のジムUは敵機を落とす事こそ出来ないでいたものの、その戦闘力の大半を奪う事には成功していた。シーマはこの時代において優れた指揮官の資質とパイロットの技量を兼ね備えた最高の人材の1人に数えられるほどの女傑であったが、流石にジム改1機でティターンズの追撃部隊を相手に後退戦を行うのは自殺行為にも等しかった。シーマは必死に逃げ回りながらここまで逃げてきていたが、既に90mmマシンガンとビームサーベルを失い、敵のハイザックから奪ったザクマシンガン改とヒートホーク改で武装している有様だ。ザクマシンガン改はジム改には少し使い難い火器である。
 そして何より、激しい疲労がシーマを蝕んでいた。ここまで敵から逃げ回った事による疲労がシーマの体に重く圧し掛かり、全力を発揮できなくさせているのだ。

「たく、しつこい男は嫌われるよ」

 叩いても叩いても現れるティターンズ追撃部隊にシーマはいつもの余裕を完全に無くし、弱気な愚痴を漏らしている。ここに来るまでに彼女は3機のハイザックと1機のまらさいを仕留めるという驚異的な戦果を上げていたが、ティターンズの方はまだ6機を残している。
 この残り部隊はシーマの技量に恐れをなしたのか、無理に力攻めをせずに遠巻きに包囲するに留めている。そのおかげでシーマはまだ持ち堪えていられたが、もし全力で出てこられたらひとたまりも無いだろう。

「攻めて来ないって事は、増援を待ってるんだろうね。たかがジム改1機に大げさなことを」

 それ程自分が怖いかと思うと、シーマは少しだけおかしくなり、口元を歪めた。そこまで過大評価されるのもこそばゆいものだ。
 その時、レーダーが後方から回りこんでくる2機の機影を捉え、警報を発した。それを確認したシーマは別段慌てるでもなく、なにやら諦めたような表情になった。

「こいつは、あたしも年貢の納め時かねえ」

 これまでやってきた事を考えれば、こんなふうに死ぬのは望外の幸運かもしれない。刑場に送られて銃殺か、どこかで野垂れ死にが自分の未来だろうと漠然と考えていただけに、敵と徹底的に戦った挙句に武運尽きて戦死などという最後だとは考えた事も無かった。
 しかし、シーマに伸びてきた死神の手は、あと一歩というところで彼女を取り逃す事になる。背後に迫っていた2機のMS、コンピューターはマラサイと割り出しているそれが、いきなり1つ消えたのだ。それから少ししてもう片方も消えた。何かと思っていると、自分の正面に展開していたティターンズ部隊が後退し始めた。

「な、なんだい?」

 シーマの疑問に答えてくれたのは通信ではなく、後方から頭上を通過していったミサイル群だった。後方から発射されたらしいそれはティターンズMS部隊の辺りに着弾し、1発がマラサイの左腕を破壊した。
 そしてシーマの後方から3機のジムVが現れ、シーマのジム改を守るようにそのまま正面に展開して銃撃を加えだした。ティターンズのMSもこれに対して反撃を行っていたが、この3機のジムVはよほどの手練れなのか、数に勝るティターンズを1機ずつ確実に減らしていった。もっとも、反撃を受けたジムVたちも無傷ではなく、何発かの直撃弾を受けている。
 2機を失った所で不利を悟ったらしいティターンズは一斉に後退を開始し、ジムVがそれを追撃しなかったのでこれで戦闘は終りだった。ジムVは敵が完全にこの場から引いたのを確認してからシーマのジム改の元に集ってくる。

「シーマ・ガラハウ大尉ですね?」
「あんた達は?」
「シアン中佐の命令を受け、救援に来ました」
「まだ生きてるとは思わなかったんですけどね」

 茜の答えに続いて友里が皮肉を口にする。もっとも、それを聞いてシーマは怒ったりはしなかったが。敵中に単身残った者など、まず生きていないと誰でも考えるだろうから。



 幸いシーマのジム改は戦闘力こそ半ば失っていたが、移動には差し支えなかった為に茜たちと一緒に後退する事が出来た。しかし、その途中で後退させた部下が別の部隊に襲われて壊滅したと聞かされたシーマは初めて動揺を見せ、慌ててその現場に急行する事になる。
 茜たちが到着した頃には戦車隊に護衛された救援部隊も到着して作業に入っており、生存者の手当てと後送が始まっていた。その中にはシーマの部下達も含まれていたが、生存者は数えるほどでしかなく、事実上シーマ隊は消滅したと言える。
 ジム改を降りたシーマはこの惨状を眺めやり、悔しそうに右拳を左手に打ちつけた。それを見て茜がその腕を押さえ、首を小さく横に振る。

「大尉は出来る限りの事をしました」
「……分かっちゃいるんだよ。こんなのは珍しい事じゃないってことはね」

 シーマは破壊された移動指揮車に近寄ると、その装甲板に手で触れた。どうやらジムライフルか90mmマシンガンで撃たれたようで、装甲は紙のように引き裂かれてしまっている。MS用の火器など食らえば一撃でスクラップだったろう。中に生存者がいる可能性など考える気にもならない。
 暫くそこにいると、自分の部下達が集ってきた。といっても、動けるのは数人しかいないようだが。

「シーマ様、ご無事でしたか」
「バーグマンかい。他の奴らはどうした?」
「……負傷者12名、動けるのは我々6人だけです」
「後は、全滅か」

 こうして数字で言われると堪えるものがある。海兵隊結成以来ずっとやって来た部下達であったが、まさかこんな形で終わるとは思わなかった。部下達が全滅して、自分が残る事になるとは。

「……シーマ海兵隊も、これで終りだね」
「シーマ様、それは」
「終りさ。MSも人員も無くした私達に、何の価値があるってんだい?」

 シーマに問われたバーグマンはそれに答える事が出来ず、口を噤んでしまった。元々デラーズフリートを裏切ってティターンズと内通したシーマ海兵隊だ。ティターンズは約束を守ってシーマ海兵隊を連邦の独立部隊としてくれたが、その内実はお寒い物で、旧式機で編成された地方の警備部隊でしかなかった。それでもこれまでのように逃げ回る必要も無くなり、安定した生活を送れるようになったシーマの部下達は平和に慣れていき、1人、また1人と軍を去って堅気の仕事に移っていったのである。
 このまま後方に行けばまたMSを与えられるかもしれないが、パイロットが自分とシーマの2人だけではMS部隊を編成する事は出来ない。恐らくどこかの部隊に組み込まれ、最前線に送られるのが関の山だろう。少なくともシーマが新たな部隊を与えられる事はあるまい。
 暫くそこで沈んでいると、茜が駆け寄ってきてシーマに声をかけてきた。

「大尉、生存者のトラックへの積み込みが終わりました。我々も直ぐにここを離れます」
「ああ、分かってるよ」
「それと、大尉はハノイに到着後、シアン中佐の司令部に出頭するようにと命令が来ています。何か用事があるようですよ」
「……用事ねえ」

 今更自分に何の用があるのかと思ったが、もうそれも気にならなかた。自分の戦争は今日終わったのだから。




 茜たちがシーマを助け出す頃には、シアンは防衛線を形ばかりは完成させていた。秋子同様徹底した物量主義者であるシアンは追撃してくるティターンズを山岳部で航空部隊による空襲で対応した。幸い連邦軍の航空基地は背後に幾らでもあり、そこに航空隊を集めて休み無い空襲を行ったのである。
 ティターンズ部隊はこれに対して迎撃できる戦闘機の投入数で負けていた為、制空権を奪われてかなり大きなダメージを受けることになる。おかげで進撃の足が鈍り、シアンはどうにか防御を固める時間を稼ぎ出せたのだ。
 もっとも、連邦軍は同数ではティターンズに勝てない。装備に差がありすぎて歯が立たないからだ。この東南アジア戦線ではマラサイやバーザムに対抗できる新鋭機、ジムVを装備している部隊はほんの一握りであり、その数少ない部隊が茜の小隊である。シアン自身もMSを持ってきてはいるが、所詮はジムUのマイナーチャンジでしかない。もっとも、シェイドパイロットが乗る事を前提としたマイナーチャンジなので、基本性能はかなり高くなっている。
 幸い航空戦力では勝っているので航空攻撃を続ければあるいはティターンズの東アジア侵入を防ぎ切れたのかもしれないが、残念な事に連続して作戦を行った為に各空軍基地の備蓄の弾薬があっという間に底をついてしまった。元々空軍というのはこんな大作戦を延々と続けられるような軍ではない。戦術面で見る限り、空軍はあくまで地上軍の支援が仕事であって主役ではないのだ。
 弾薬、特に爆弾の欠乏を知らされたシアンは後方の海鳴基地に補給を送るように指示を出した。海鳴基地は1年戦争で拡張に次ぐ拡張工事を受けたおかげで、現在でも極東戦線最大の兵站基地としての機能を持っている。そのため倉庫には使う予定が無い無駄な物資が山積みされており、穴だらけの警備体制でこれまで保管されていたのだ。
 シアンはその死蔵されている物資をこっちに回せとラウンデルに指示を出し、ラウンデルはそれに答えて急いで輸送部隊の編成に取り掛かったが、輸送機を集めるのに時間がかかるという事で、それが到着するのはどんなに早くても一週間後である。それまでは地上戦力だけで耐え凌がなくてはならない。いざとなればシアン自身も前線に出る事になるだろう。







 だが、この時一番不幸だったのは連邦軍ではなく、連邦とティターンズの激突に巻き込まれたエゥーゴとジオン残党軍だったろう。これまで東アジアと東南アジアにかけて展開していた彼らは、自分達とは全く関係ないところで突然始まった大戦争に右往左往した挙句、双方の部隊に蹂躙されたりたまたま進路上にいたからという理由で蹴散らされたり、戦闘に巻き込まれて壊滅させられたりしていた。
 ここで地上のジオン残党軍を再編成していたアヤウラは、この降って沸いたような災厄を前に完全に頭を抱えてしまっている。とにかく潜水艦部隊にアフリカの友軍の救出を命じはしたが、それを受け入れる為の港さえ確保は覚束ない有様だ。
 アヤウラはとにかく部隊の掌握に努めて中国地方への撤退を進めていたが、チベット高原やユンコイ高原を通ろうとした部隊は次々にティターンズ空軍や連邦空軍の餌食となってしまっている。
 アヤウラ自身もバイエルラインとの取引でアフリカや中東から移動してきた友軍部隊の受け入れのためにバングラデシュまで進出していたのが災いし、ティターンズ部隊から逃げ回る羽目になっている。
 だが、アヤウラの手持ち部隊の貧弱さは連邦軍の遙か上を行く。アヤウラがアナハイムから購入した一部の新型機を除けば、彼らの装備は現地の残党が保有しているボロボロの1年戦争型MSしかないのだから。当然各種消耗物資や車両などにも事欠いている。

「何でこんな事になったんだあ!?」
「落ち着いてください准将、それはもう4回目です」

 地球に降りて以来アヤウラを補佐しているカーナがツッコミを入れながら書類を提示してくる。それに視線を走らせたアヤウラはたちまち顔色を青褪めさせて書類を引っ掴み、ガタガタと震えだした。

「武器、弾薬はあと2会戦分、食料はもう後が無く、略奪しようにも略奪する物が無いだとお!?」
「仕方がありません。住民の多くは連邦軍の撤退にあわせて逃げてしまいました。機転の聞く者はティターンズの保護を求めているようです。おかげで近隣の村に人はいません。当然食料もありません。この辺りを通った連邦部隊が残り物を根こそぎもっていってしまったようです」
「おのれ、守銭奴どもめえ……」
「…………」

 地獄から聞こえる呪詛のような恨めしげな声を漏らすアヤウラ。だが、それを聞いたカーナはあんたがそれを言うかと思ったが、あえて口にはしなかった。それをツッコムとアヤウラだけでなく、自分も惨めな気持ちになってしまうから。
 いずれにせよ、アヤウラは弾が無い、武器が無い、食い物も無い、ついでに車両の燃料も無い、でも敵だけは周りに沢山居るという洒落にならない状況に追い込まれ、流石に万策尽きてしまっていた。

「くそっ、今日まで地球に潜伏し、各地を移動しながら略奪を繰り返して必死に頑張ってきたというのに、ここで命運が尽きたのか」
「……閣下、イナゴじゃないんですから」
「いちいちツッコミを入れなくてもいい!」
「すいません」

 ペコリと頭を下げるカーナにアヤウラは腹立ちを覚えたが、今はそれをぶつけている状況ではない。何とかして集めた人員を宇宙に上げ、アクシズに合流させなくてはならないのだ。それがこれでは果せないどころか、自分達が生き残る事さえ出来ないだろう。
 そうなれば、残る手段はティターンズと連邦のどちらかに命乞いでもするしかないわけだが、それが成功する可能性は物凄く低いだろう。向こうにしてみればついでに殲滅しても一向に構わない相手なのだから。
 なお、アヤウラの頭には既にエゥーゴとカラバの部隊は計算に入っていない。既にアヤウラは彼らを見限っていたのだ。手を組んでも戦力にならないのだから当然なのだが。

「……カーナ、ティターンズと連邦、頭を下げて話を聞いてくれそうなのはどっちだと思う?」
「ポーカーでロイヤルストレートフラッシュを狙うような無茶ですが、まだ連邦軍の方が可能性があるのではないでしょうか」
「……そう、だろうな」

 だが、連邦軍となると交渉相手はあのシアンということになる。シアンは当然自分を憎んでいるだろうし、下手をすれば最悪の選択になりかねない。だが、自分に個人的な恨みがあるという事は、1つの選択をアヤウラに与えてもいる。

「ふむ、俺の首1つで、全軍を宇宙に上げる、か」

 その呟きは誰にも聞かれることは無かったが、アヤウラはそんな無茶苦茶な選択を確かに考えていた。自分を交渉材料として、集めた人員をアクシズに戻すという選択を。それは相手がシアンだからこそ意味を持つ交渉となるが、それだけに成功する確率は他の選択肢よりは高いかもしれない。
 そして少しの思案の後、アヤウラはカーナに指示を出した。ハノイのシアン・ビューフォートに連絡を取れ、と。



後書き

ジム改 シーマ海兵隊が全滅しました。
栞   シアンさんまで最前線ですか。
ジム改 地上に居る数少ない上級士官で経験豊富な指揮官だからな。
栞   久瀬さんや葉子さんがいたら随分楽だったでしょうねえ。
ジム改 久瀬がいたらシアンは自分でMSに乗ってるよ。
栞   茜さんは指揮できないんですか?
ジム改 一介の少尉に何をしろと?
栞   階級が低くても指揮することは不可能ではないです!
ジム改 一応階級制度は絶対の物なんだが。シアンはコーウェンたちお墨付きで指揮してるんだし。
栞   えうう、権力の走狗です。
ジム改 そうでないと指揮系統が滅茶苦茶になるでしょ。
栞   でも、参謀が司令官より威張ってるという事例もありますよ。
ジム改 その参謀達は中央から派遣されてる連中だから、バックに総司令部という権威があるのだ。
栞   虎の威を借る狐ですか。
ジム改 世の中そんなもんだよ。
栞   では次回、シアンさんは何を血迷っているのでしょうねえ?
ジム改 シアンとアヤウラの邂逅は事態を奇妙な方向へと動かしてしまう。
栞   「弱者の共闘」にご期待ください。