第56章  闇に蠢く者




 コンペイトウを巡る連邦とネオジオンの激突は激しさを増すばかりだった。ネオジオンはア・バオア・クーから攻撃を繰り返してきており、連邦からは定期便と呼ばれるほど継続して続けている。これの消耗は馬鹿にならないもので、ネオジオンは最初の150機以上で行った大攻勢の後は攻撃の規模を小さくしている。毎回送り込まれてくる部隊は30機ほどで、コンペイトウの守備隊はこれを簡単に撃退する事が出来ている。この攻撃隊は毎回5機くらいを落とされて帰っているので、コンペイトウのクライフはよく攻撃が続くものだと感心している有様だった。
 ただ、この攻撃隊による被害は大したことは無いのだが、問題なのは輸送船団に対する攻撃であった。ア・バオア・クーからの攻撃が継続される限りコンペイトウには十分な哨戒部隊と迎撃部隊を貼り付けておく必要があるので、航路の護衛にコンペイトウの部隊を回す事が出来ない。
 ネオジオンはコンペイトウを封鎖する為に多数の潜宙艦と複数の艦隊を繰り出してきたのだ。勿論連邦も護衛を強化しているのだが、敵の指揮官はよほど優秀であるようで、輸送船団は良い様に叩かれていた。
 このネオジオンの攻撃に対して、秋子は派遣していたバークに更に援軍を送って対処させる事にした。これにより、サイド5からは今や虎の子とも言える部隊にまで成長した斉藤隊を中心とする20隻の艦隊が出撃している。こういう作戦にあっさりとこんな艦隊を繰り出してしまうのが連邦の凄さだろう。

 だが、チリアクスを相手取るのはバークでは骨が折れた。元々通商破壊戦というのは厄介なもので、攻撃する側には何時、何処で何を攻撃するかという権利があるのに、守る側には対象が沢山ある上にそれら全てを守らなくてはいけない。自然と一箇所の防御力は低くなり、全体では連邦が圧倒的大軍でありながら、その戦場ではネオジオンが有利となってしまう。
 ファマスもそうであったが、ネオジオンも攻撃をする為の軍隊なのだ。元々長期戦が出来るようには作られてはいない。ファマスはまだ耐えることが出来たが、ネオジオンは連邦と長期戦なれば衰弱死してしまう。チリアクスはこの問題を良く知っていたから、決して守りに回ろうとはしなかった。ひたすら動き回り、攻撃し続けたのだ。もし相手に主導権が移れば、チリアクスは迷う事無く逃げようと考えている。
 

 このチリアクスが恐れていた事態が一度だけ起きた。チリアクス率いる艦隊が、運の悪い事に斉藤が丁度コンペイトウに向うついでに護衛してきた船団を襲撃したのだ。これに対して斉藤は輸送船団に護衛を付けて逃がしつつ、自らノルマンディーを中心とする防御陣形を組み上げてチリアクスに対抗していた。
 チリアクスは自分たちと同じくらいの数の連邦艦隊が目の前で見事な陣形変更をしたのを見て、この部隊がかなりの技量を持つ精鋭であると察したが、まだ負けるとは考えていなかった。数が同じならMSの性能差で圧倒できるというのがチリアクスの考えだから。シュツーカK型はジムV相手なら良い勝負をするし、最近になってドライセンやガ・ゾウムもやっと回されてきたからだ。
 このチリアクス艦隊に対して、斉藤はジムV主体のMS隊で迎え撃った。ゼク・アインの姿は無く、ジムVの大軍にジム・FBやジムキャノンUが加わっている。また、その中に主力部隊に配備が進められている攻撃型MS、ストライカ−が3機混じっていた。秋子の好意で回されてきた期待の新型なのだ。
 このチリアクスと斉藤の激突は容易には決着がつきそうも無かった。チリアクスは適当に被害を与えて逃げ出すつもりだったのだが、斉藤はチリアクスが退こうとすると直ぐに急進してきて攻撃を強化するため、チリアクスもその都度全力で応戦する事を強いられている。
 斉藤が相手と知らないチリアクスは、連邦軍の予想外に強さに正直戸惑っていた。連邦軍は弱くは無いと分かっているつもりだったが、ここまで艦隊を手足の如く動かす指揮官が居たとは思わなかった。

「やるな。実力派は正規艦隊の司令官についているかと思っていたが、まだこんな奴が居たわけか」
「ですが提督、このままではこちらが消耗し尽くしますぞ」
「分かっているが、なかなか退かせて貰えん」

 悔しいが敵艦隊の指揮官は自分よりも戦巧者だと、チリアクスは認めるしかなかった。ただ、数ではこちらが勝っているのでこのまま推移すればいずれ競り勝てるだろう。もっとも、そんな事があるはずも無い。今頃連邦の大部隊がこちらに向かっていることだろう。
 そして、チリアクスの予想は当たっていた。コンペイトウ周辺で遊撃に当たっていたバーク艦隊がこちらに急行しているという報せが哨戒機からもたらされたのだ。チリアクスはこれを聞き、遂に犠牲を覚悟で戦闘を切り上げる事を決定した。斉藤艦隊の眼前から急速後退を開始したネオジオン艦隊。斉藤はこれを見て追撃に入り、ネオジオン艦隊は斉藤を振り切るまでに大きな犠牲を支払わされる事になる。
 結局、この戦闘でチリアクスは駆逐艦2隻、巡洋艦1隻、MS13機の戦果と引き換えに、巡洋艦2隻、MS10機を失うという損害を出した。損得で見るなら同レベルだが、回復力がまるで違うのでこの戦いはネオジオン側の惨敗と言える。ネオジオンが連邦に勝ちたかったら常に自軍の10倍以上の損害を与え続けなくてはいけないのだ。まあ、ティターンズやエゥーゴに向いている戦力を差し引いたとしても2倍以上の損得比率が求められる。損害で見れば同等、は敗北と同義なのだ。
 チリアクスを事実上敗退させた斉藤は、輸送船団と合流してコンペイトウを目指した。途中でバーク艦隊とも合流し、重厚な布陣を持って彼等は悠々とコンペイトウに入港している。ネオジオンとの戦いが始まって以来、船団が無傷で入港できたのはこれが始めてであった。






 ネオジオンの首都ともなっているコア3。そこにはかつてジオン共和国首相官邸や議事堂が置かれていたのだが、現在はネオジオンの総帥府と、ミネバの仮宮殿が置かれている。他にもジオン共和国軍統帥本部はそのままネオジオン軍に接収され、参謀本部と名を変えている。ここにはデラーズ大将が入っていた。
 このネオジオンの中枢ともいえる都市は、実は陰謀渦巻くもっとも息苦しい都市でもある。あのアヤウラでさえ「薄汚い所だ。ミネバ様は別の場所に寝所を移されるべきだろう」と言っているくらいだ。
 このミネバの宮殿はアナベル・ガトー少佐率いる親衛隊によって厳重に守られており、これまで一度としてレジスタンスを近づけたことは無い。宮殿周辺には広大な人口の公園が広がっており、これが進入を恐ろしく困難にしている。
 そして、この宮殿はミネバ・ラオ・ザビの住居でありながら、守っている親衛隊の立場はキャスバルを中心とするダイクン派に近い。これはキャスバルがミネバの立場を尊重し、彼女を擁護する立場だからである。
 親衛隊隊長であるガトーはザビ派であるが、彼はその中でも少数派に属する旧ドズル派に属し、現在はドズルの忘れ形見であるミネバに忠誠を誓っている。ただ、それがかつての主君であったデラーズとの間に対立を呼んでいた。デラーズはザビ派の中心人物であり、隠れも無いギレン派だ。そして彼はミネバに忠誠を誓ってはいない。ミネバにもザビ家の一員として敬意を払ってはいるが、彼が主君と考えて後押ししているのはザビ家の血を引くと噂されていたグレミー・トトなのだ。彼の素性は公にはされてはいないが、ギレン・ザビの関係者ではないかと噂くらいは流れていた。だが、それは単なる噂の筈であったが、デラーズがバックに付いた事で噂では済ませられなくなった。デラーズが認めたという事は、グレミーにはギレンとの繋がりを示す何かがあったという事なのだ。
 このデラーズからの圧力に対抗する必要性もあって、ガトーはキャスバルに助力を求める事になる。キャスバルはこれに応じており、ネオジオンの背後では壮絶な暗闘が行われる事となったのだ。
 これに対してカーン派は中心人物であるハマーン・カーンがキャスバルと親しい関係という事もあり、中立的な位置に居る。ファマス派の将兵は元々政治的な暗闘には興味が無いので、最初から関わろうとはしていない。





 この陰謀渦巻くネオジオンの中で、1人連邦との講和の可能性にかける男が居た。そう、アヤウラ・イズタス准将だ。彼はギレン派でありながらミネバに忠誠を誓い、キャスバルを支持するという良く分からない立場に自分を置いている。ただ、ネオジオンの中にあっては彼がキャスバルの最大の味方であるのは確かである。
 このアヤウラは、周囲の認識は隠れも無いジオニストであり、連邦の打倒に狂気とさえ思える執念を燃やす人物となっている。だが、それはファマス戦役中盤辺りまでで、後半になると現実を認識しだし、無理は避けるようになっていた。そして地球での数年にわたる工作活動において、彼はネオジオンが連邦に勝つ可能性など万に一つもありはしないと確信するに至り、連邦の打倒という信条を放棄してネオジオンという組織の保全を最優先課題とする事にしていた。
 
 彼はこの目的を達成する為には秋子を交渉のテーブルにつかせ、ネオジオン体制の保障を取り付ける必要があると判断していた。だからこそ祐一を通じて秋子に会談を申し込んだのだ。そして彼はこの計画を進める事で必ず現れる障害、デラーズらの教条的ジオン軍人たちをどう扱うかに付いても考え始めている。そう、必要とあれば彼等の粛清さえも視野に入れているのだ。アヤウラ直属の特殊部隊『龍』はそういう任務もこなす事が出来る。


 このアヤウラの申し出に対して、秋子はワンクッション置くことで真意を確かめようと考え、情報部にアヤウラとの接触を求めた。これを受けてバイエルラインが宇宙に上がる事になるのだが、彼はこの件にかなり慎重になっており、護衛を同行させる事にしていた。

「というわけで、私の護衛に付いて来い、シアン」
「……直通回線で何事かと思えば、何をいきなり無茶苦茶言っとるのだお前は?」

 バイエルラインが頼んだ護衛はシアンだった。ジャブローから海鳴基地にまで引かれている海底ケーブルを用いた直接回線で会話しているので、盗聴の可能性はゼロなのが嬉しいのだが、使える人間は限られている。
 電話を受けたシアンはこのバイエルラインの申し出を一蹴した。幾らなんでも前線を支えている基地の司令官が任地を離れるわけにはいかない。

「悪いが俺は離れられん。他を当たってくれ」
「では、お前の部下から凄腕を何人か貸してくれ。確かシェイドが何人か居ただろう」
「そんな事を言われても、茜を出すわけにはいかんし、氷上は危険だし……」

 シェイドは確かに高い戦闘能力を持っているが、何かを守るのに向いた力ではない。自分や茜なら出来るだろうが、流石に行くことは出来ない。となると知人関係という事になるが、そこでシアンは適任が居る事を思い出した。

「そうだ、護衛なら義姉さんが居たな」
「義姉さん? お前に親族が居たのか?」
「ああ、その辺りは気にするな。でもまあ、腕は絶対の保障をしてやるぞ。サシの勝負なら俺より強いし」
「人間か、その女は?」
「人間だぞ。御神って言えば、お前なら分かるだろ?」

 御神、その名を聞いた時、バイエルラインの背中を冷たい汗がつたり落ちた。それは裏の世界では決して敵に回してはいけない名前の1つで、死神と同義にさえ扱われる。バイエルラインは幸運にもそれと関わる機会はこれまで無かったのだが。

「御神とは、あの御神か?」
「他にいるかよ。刀使いの御神だ」
「生きていたのか。10年以上前に全滅したと聞いていたが」
「生き残りだよ。今は数少ない後進に技術を伝授している。俺も偶に護衛なんかの仕事を頼んでるから、うってつけだろう。これ以上の選択肢があるなら言ってくれ」
「……いや、文句は無い」

 文句は無いどころか、これ以上の護衛など望んでも得られるものではないだろう。完成された御神の剣士1人は完全武装の歩兵1個小隊以上の戦闘力を持つとさえ言われ、実際たった1人の剣士に壊滅させられた組織が幾つもある。そんな化物のような剣士が護衛に付いてくれるというのならば、情報部のエージェントより遙かに頼りになる。




 シアンから送ってもらった護衛と部下をつれて月面の連邦よりの都市、エアーズ市に足を降ろしたバイエルラインは、部下をエアーズ市内の捜索させるために散らし、自らは少数の部下と護衛を伴ってホテル、トルンコスに宿を取る。ここでアヤウラの手の者と会うことになっていたのだ。だが、それ約束より少し早くバイエルラインは動き出した。彼にはこの会談より先に会っておかなくてはいけない相手がいたのである。
 ホテルのすぐ近くにあるカフェテラス。そこにおかれているテーブの1つに目的の人物が居てのんびりカフェオレなど飲んでいるのを見つけ、バイエルラインは彼女と向かい合うように腰を降ろした。

「柚木、どうやってお前はこの情報を知ったんだ?」
「情報なんて何処からでも流れてくるもんだよ。アヤウラが連邦に接触を図っているって話は、こっちじゃ結構有名になってるからさ」
「それで、俺が動いたのを見て探りを入れてきたと?」
「まあね。私は裏の取れた情報しか流さないのが売りだから、この件が本当かどうか、確認したかったの」

 バイエルラインの相手とは詩子だった。地球に居た筈なのだが、いつの間にか宇宙に出てきていたらしい。この女の動向だけは連邦情報部も掴む事が出来ず、かなり恐れられている。
 バイエルライン自身も宇宙に上がろうと準備を始めたところで向こうから連絡を受け、彼女が月に居る事を知ったのだ。

「で、私が喉から手が出るほど欲しがる情報とはなんだ?」
「これは結構重要情報だよ。払えるの?」
「連邦情報部を罵る文句は数多とあるが、その中にケチという言葉はあったかな?」
「……私は聞いた事無いなあ」

 バイエルラインの反撃に詩子は潔く負けを認め、ついっとバイエルラインの前に自分がカフェテラスで今飲んでいるカフェオレのレシートを滑らせた。

「それが今回の報酬かな」
「……どういう事だ。一体何を知ったと言うんだ?」

 詩子がこういう行動を見せるとき、それは決まって彼女の知り合いに身の危険が迫っているときだ。彼女は金に煩い事で有名だが、同時に信義と友情に厚いことでも知られている。彼女は決して嘘は言わない。そして仲間を売ることは断じてない。そして彼女は、仲間に危険が迫っている事を知った時には必ず警告をしてくるのだ。

「少佐、貴方、狙われてるよ」
「私がか?」
「それもかなり厄介なのにね。正直、私も関わりたくは無い相手」
「お前が、関わりたくない?」

 バイエルラインは驚いた。詩子といえば火薬庫の傍で花火を上げているような女の筈だ。危険な仕事を文句言いながらも嬉々とこなし、依頼人に文句の1つも言わせないほど完璧に仕事をやり遂げる。アウトローながらも情報を扱う人間としては最高の1人と自他共に認める女だ。その詩子が、関わりたくないと言うとは。

「G8が裏に居るのか?」
「違うよ。G8は連邦の支配層だけど、G8には何も出来ないし、する気もない。あいつ等はただの寄生虫だから」
「では何が私を狙っていると言うのだ?」

 些か苛立ってきたバイエルラインが少し凄みを見せて詩子に問う。詩子はカップを置き、一呼吸置いてその名を告げた。

「ファイブ・シスターズ。その最後の生き残りの、世界最大の巨大財閥、来栖川」
「……馬鹿な、何故来栖川が?」

 詩子の出した名に流石のバイエルラインも驚愕を隠せなかった。ファイブ・シスターズ。それは1年戦争前に地球圏の経済を事実上支配していた財閥の事で、現在では地球圏最大の巨大企業体となっている。来栖川に較べればアナハイムなどただの成金でしかなく、その権威、資産は格がまるで違う。
 現在の来栖川はティターンズの後援者として知られており、その圧倒的な財力でティターンズを支え、代わりに高度な軍事技術と市場を提供して貰っている。

「来栖川はティターンズ側だが、私の動きをいちいち気にするような連中ではないと思うが?」
「来栖川はこの戦争がまだ続いて欲しいと思ってるみたい。だから戦争を終わらせようとする動きを潰しにかかってる」
「戦争が続いて欲しい? 何故だ、この戦争が続けば、市場は疲弊して経済的な損失が計り知れないものとなるぞ」
「それがねえ、どうも変なのよ。私も色々と調べてみたんだけど、どうも来栖川はジオン公国とファマスにも関わってたみたいなの。来栖川が何考えてるかはまだ分からないけど、経済的な利益がどうこうじゃないと思うわ」
「来栖川が、全く別の目的で動いている可能性か」

 来栖川は宇宙世紀の遙か昔から続く大財閥だ。その長い歴史に支えられた彼等にしてみれば、自分達には理解し難い理由で動く事もあるのかもしれない。

「それと、これはまだ裏が取れてないんだけど、来栖川はシェイドと繋がりがあるみたいなの」
「シェイドと?」
「そう、ジオンで行われていたシェイド研究、私はこの技術が何処からジオンに流れてきたのかずっと追ってたんだけど、ようやく尻尾くらいには辿り着けた、と思ってる」

 そう、詩子は茜という親友を得て以来、ずっとシェイドを追ってきた。それも個人の力だけで。そして彼女は遂にシェイドという正体不明、出所不明の兵器を生み出した諸悪の根源に辿り着ける所まで来たと言うのだ。
 それを知ったバイエルラインは驚いたが、同時に頷いてもいた。そんな事が出来るとしたらこの女しかいないだろうという気もしたのだ。


 話を聞いてバイエルラインは詩子の忠告を心に留めておくと言い、その場を後にしようとしたのだが、そこに何処から現れたのか、護衛に付いてきた高町美由希がやってきた。

「あ、あの、少佐さん」
「さんは要らないな、少佐で良い。それで、どうしたのかな、美由希さん?」

 バイエルラインは最初、シアンから送られてきた護衛を見て激怒した。現れたのは20代半ばにしか見えない女性と、子供が3人だったからだ。これは御神美沙斗、高町恭也、高町美由希、リスティ・槙原であり、シアンが1個中隊持って来られても大丈夫と太鼓判を押した護衛なのだ。まあ、一見すると全員凄腕には見えないので、バイエルラインが怒るのも無理は無かったのだが。もっとも、後に美沙斗が美由希の母親だと知った時には驚愕していたりするが。
 もっとも、彼の怒りはその実力を見てたちまち胡散霧消することになる。御神の剣士が3人に戦闘用HGSを相手にバイエルラインの部下では話にもならない。
 こうして彼は安心してエアーズ市に来たのだが、その彼女が何か緊張した趣でやってきたという事は、何かあったのだろうか。

「私たち、囲まれてます。今母さんと恭ちゃんが囲みを崩しに行きましたけど、私たちも早くここを離れた方が良いです」
「……先手を打たれたか」
「う〜ん、てことは、詩子ちゃんもピンチなのかな?」

 緊張を見せるバイエルラインとは異なり、詩子は気にもしていないようだった。緊張の欠片も感じられない。それを見てバイエルラインが流石に顔を顰めた。

「柚木、お前は怖がるとかそういう事は無いのか?」
「無いってことはないんだけどね。でもまあ、来栖川に命を狙われた事も10回やそこらじゃないし」

 それを聞いた2人はジト目で詩子を見ていた。こいつは一体どういう日常を歩んでいるのだ。
 そして、いきなり美由希がバイエルラインの腕を掴み、強引に自分の方へと引き寄せた。そして自分はバイエルラインの前に出て、何も無い空間へと小太刀を走らせる。それが何を意味するのか理解する間も無く小太刀の軌道上に人が出現し、右腕で美由希の小太刀を受け止めた。

「わあっ、いきなり何するのさ!?」
「……あれ、リスティさん?」
「あれ、じゃ無いだろ。周辺の捜索を終えて戻ってきたらいきなりこれかい。シールド張るのが遅れたら真っ二つだったじゃないか」

 見ればリスティの右腕にうっすらと赤い線が走り、血が滲んでいる。どうやら美由希の斬撃はリスティのシールドを僅かとはいえ破っていたらしい。
 リスティに睨まれて美由希は肩を落とし、すまなそうに頭を下げていた。

「すいません、いきなり気配がしたもので、つい体が動いちゃって」
「まさかテレポートの直後に襲われるとは私も思わなかったよ。でも、流石は美由希だね。気配だけで相手を攻撃できるなんて、凄いよ」
「あやや、そんな事無いです。恭ちゃんや母さんはもっと凄いですよ」
「恭也はともかく、美沙斗は別格だよ。サシでシアンに勝てる人なんて、私は他に知らないな」

 シアンの戦闘能力は凄まじい。何しろ本気を出せは生身でHGSのフィリスでさえ勝てない相手である。そのシアンが真っ向から挑んで敗北し、病院送りにされた相手が御神美沙斗だ。シアンはクリステラ・ソング・スクールのコンサートでティオレ・クリステラを狙った美沙斗に立ち向かい、見事に惨敗している。この戦いには久瀬と恭也も参加していたのだが見事に各個撃破されてしまい、最終的にはティオレの部屋で美由希が交戦し、極限状態の中で奥義の極みに達する事で何とか倒す事が出来た。
 この戦いで美由希はその潜在能力を示した。美由希は御神の奥義の極み、『閃』に達する事が出来るのだと、実戦の中で示したのだ。もっとも、この戦いで使ったのが最初で最後であり、今の彼女は神速さえまだ使いこなせてはいないのだが。
 ちなみにシアンも幼少時の訓練により御神の剣を使うことはできるのだが、その技量は美由希にさえ遠く及ばず、使えるのも基本的な技のみで奥義は1つも使えなかったりする。今では時々美沙斗に稽古をつけてもらっているのは、それは悔しいからだろうか。

「でも、ちょっと不味い状況だよ。バイエルライン少佐はよっぽどもてるみたいだ」
「どういう事だ?」
「この辺を囲んでる雑魚は美沙斗と恭也が片付けてるから直ぐに終わると思ってたんだけど、美沙斗が今梃子摺ってる」
「母さんが梃子摺ってる!?」
「ああ、まさか、スライサーが居るとは思わなかった」

 スライサー、それは裏の世界で暗殺を請け負う凄腕の剣士の事で、どうやらバイエルラインを始末する為に来栖川が雇ったようだ。それと美沙斗が交戦して手を焼いていると言う。あの美沙斗が梃子摺るのだから、スライサーの実力は噂に誇張無しの凄まじさという事になのだろう。

「ににかく、急いでここから逃げるよ。向こうもあまり表立っては動かないだろうから、ホテルに入れば大丈夫だろう」
「でもリスティさん、狙撃はどうします?」
「私がシールドを展開してるから大丈夫。ミサイルでも撃ち込まれなければ防げるよ」

 リスティの保障に、美由希はHGS能力者の力の凄さを知った。実はシアンでも出来るのだが、幸いにして美由希は本気で戦うシアンの姿を見たことは無い。
 3人は街中を駆けてホテルへと急いだ。途中でリスティの張ったシールドに何かが当たったようで、自分たちの周囲が淡い光に包まれる時がある。それを見るたび、リスティは忌々しそうな顔をしていた。

「ちっ、結構な数のスナイパーじゃないか」
「リスティさん、大丈夫ですか?」
「大丈夫? 私にそれを聞くのは、美由希じゃ10年速いと思うけどな」

 角砂糖のようなものを口に放り込んで、リスティは少し凄みのある笑みを口元に浮かべた。リスティは見た目こそ20前の、ちょっと気の強そうなお姉さんであるが、実は幼少の頃から高度な戦闘訓練を積んだ、プロの戦闘能力者である。能力の凄さと戦闘訓練を考えれば茜や舞とも互角以上に戦えるかもしれない。
 
「それより美由希、君は周辺を警戒してくれ。銃弾くらいなら私のシールドが止めるけど、君たちみたいな戦闘能力者が傍から奇襲してきたら破られかねない」
「はい、分かりました」

 一般人には理解できない戦いを見せるリスティと美由希。それを聞いていたバイエルラインは、これが戦闘能力者かと感心してしまっていた。一般人にはまず縁の無い相手であるが、裏社会では戦闘能力者とはそれなりに知られている。勿論その数は少なく、雇うのは容易ではない。高町家のような化物が堂々とお日様の下で日常を営んでいるというほうが珍しいのだ。
 かつて美沙斗が夜烏と名のって仕事をしていた頃には、かなりの要人が彼女の手にかかっている。彼女の性格からか殺しの依頼を受けた事は少なく、護衛にも死者はあまり出ていないのだが、それでもコマンド経験者などで編成された完全武装の護衛部隊が一晩のうちに壊滅し、守っていた要人が病院送りにされてきた。バイエルライン自身も情報部士官として連邦の政府要人の護衛をして美沙斗と交戦した事が一度だけあるが、30人投入したにも関わらず護衛対象もろとも全員病院送りにされてしまった。
 そんな経験を持つ彼にしてみれば、この左右にいる2人の女性は化物としか思えなかったが、実際には戦闘能力者と言えども自分の得意とする戦い方に持ち込めなければ大したことは無い。リスティは中・長距離型で、距離を詰められたら美由希が相手でも無事ではすまない。逆に美由希は遠くからの攻撃には無力だ。遮蔽物が無い開けた場所では銃には対抗しようもない。
 戦闘能力者は万能ではなく、全てが局地戦に特化している。しかも失うと補充は不可能に近い。そのため、暗殺や諜報、護衛、破壊工作といった任務には最適だが、それ以外の仕事はさせられない。しかも大抵個性が強く、独自の価値観を持っているので使い難いことこの上ないのだ。




 この後、美由希とリスティはバイエルラインを護衛して無事にホテルに戻ってくることが出来た。途中で敵と思われる3人組と交戦になりかけたが、それはリスティの長距離攻撃を受けて無力化されてしまった。
 この想像以上に少なかった襲撃には3人とも意外さを隠せずに居た。リスティが確認した限りでは数十人はいた筈なのだが、直接襲ってきたのは僅かに3人。幾らなんでも少なすぎる。それとも来栖川は本気でこちらを始末する気は無く、ただ脅しの為だけに動いたと言うのだろうか。
 暫くしてようやく恭也と美沙斗も戻ってくる。2人とも無傷とは言えず、体の各所に多くの軽傷を負っていて、バイエルラインは部下に傷の手当てをさせていた。

「美沙斗さん、貴女はスライサーと交戦したそうだな。始末できたのか?」
「ああ、なかなか手強かったよ。でも、取り逃した。私が殺す気になって仕留めそこなったのは久しぶりだったね」
「貴女ほどの使い手が取り逃したのか」

 化物じみて強い美沙斗でも始末できない相手が居るという事に驚くバイエルライン。まあ、どんなに強いといっても仕事の成功率が100%という事はありえず、美沙斗が取り逃したといっても不思議ではないのだが。


 そして、ようやくアヤウラの派遣してきたエージェントと接触する事が出来たバイエルラインであったが、彼等もやはり妨害を受けていたらしい。何故そんな事になったのか、どっから情報が漏れたのかを両者は話し合うことになったのだが、この問題に答えはでなかった。今回の会談は直接アヤウラから祐一を経由して口頭で秋子に伝えられ、秋子から直接バイエルラインに話が来ている。その間で関わった人物は局限されており、情報が漏れる余地は無かった筈なのだ。それなのにどうしてこの会談は発覚したのだろうか。
 今回の会談では今後の連絡の取り方の取り決めや情報漏れに対する警戒の必要性、敵の存在の確認などが行われたに留まる。







 しかし、今回の襲撃が秋子とアヤウラに与えた衝撃は大きかった。詩子からバイエルラインにもたらされた敵勢力の干渉と、シェイドの謎の糸口。それが来栖川だと言うのだ。この事を直接バイエルラインより聞かされた秋子は、どうしたものかと考え込んでしまっている。

「まさか、来栖川が妨害してくるとは」
「どうなさいますか。戦争を理由に来栖川を完膚なきまで叩き潰す事も可能ですが」
「それも確かに手ですが、来栖川を潰すのも簡単ではありません。来栖川が潰れたら地球圏の経済は致命傷を受けかねないですから」
「確かにそうではありますが……」

 来栖川が悪さをしているとしても、それを正すのは容易ではない。祐一あたりだったら怒りに任せて「ぶっ潰せ!」とか言い出すだろうが、事はそう簡単ではない。来栖川は世界最大の財閥であり、傘下の企業は膨大な数になる。その経済規模は地球圏全体の何%かにもなる。そんな企業が突然潰れたりすれば、一体どれほどの失業者が発生し、影響が広がるか分からない。下手をすれば来栖川と連邦が共倒れになりかねないのだ。

「来栖川を潰すくらいならアナハイムを潰す方がまだ楽ですよ。1年戦争の戦後処理でジオンの主要企業を解体した後、サイド3と月で失業者が溢れ返ったのはついこの間の事です。コロニー再建計画が失業者を受け入れたから良かったものの、それが無かったらどうなっていたか」

 連邦政府は1年戦争終戦後、何もしていなかった訳ではない。連邦政府を非難している人間は連邦は何もしていない、連邦は腐りきっていると声高に避難し続けているが、何もしていなければ世界はここまで再建されてはいなかった。住民の大半が殺され、コロニーの殆どを破壊された各サイドを復旧し、社会インフラをこんな短期間で立て直した連邦政府は無能とは程遠い集団である。賄賂などの事件は毎月のように報道され、汚職政治家や汚職官僚が逮捕される事も珍しくないが、それは政治家や官僚の腐敗を示すものであって、彼等が無能だという意味ではない。
 しかし、何も手を打たないという訳にはいかない。こんな事件が起きた以上、今後も妨害は続くと見なくてはならないだろう。秋子は必要とあればジャブローとの間にある直通回線のレーザー回線を使う事を許可し、情報の秘匿を徹底する事にした。また、会談の場に関してはバイエルラインの希望を可能な限り実現すると約束している。




 この接触によって、秋子とアヤウラによる連邦とネオジオンの講和の可能性が生じたことになる。それを秋子は政府に伝えるとともに、何処から情報が漏れたのかを調べる事にした。それをジンナに命じる。
 しかし、これで一息つけるというわけではなかった。ネオジオンの中はバラバラで、キャスバルが講和の動きを見せていても軍部はやる気満々で連邦との戦争を続けている。相変わらずコンペイトウにはネオジオンの攻撃が続けられており、連日被害報告がもたらされている。流石のクライフもこう攻撃を続けられるとたまったものではないらしく、秋子の元には更なる援軍とは別にア・バオア・クーを攻撃する為の部隊の編成を求めてきていた。
 これに対して秋子は難色を示していた。ティターンズは今の所大規模な攻勢に出てくる様子は無いが、確実に戦力を立て直している。現在の連邦にとって主敵はあくまでティターンズであり、ネオジオンなどはついでの敵でしかない。もし連邦が本気でネオジオンを潰す気になれば、ネオジオンは一週間とかからずに地図から消滅する事になるだろう。
 ティターンズの動きに対応する為に大軍を整備し、常に稼動状態に保って各地に展開させ、将兵を訓練して技量を保ち、補給線を確保しておかなくてはならない。この補給線を守る為の戦力も必要で、物資を運ぶ船もいる。そして各部隊を即応体制に保つ為に宇宙ステーションや衛生基地を整備、運営しなくてはいけない。正直に言えば、ネオジオン如きに構っている余裕は無いのである。


 そして、宇宙世紀0086年8月12日、秋子の悩みを他所に地球上の連邦部隊がティターンズとの大規模な激突を起こした。極東に進撃してきたティターンズ部隊を粉砕し、アジアを連邦の手に取り戻そうとする反攻作戦が開始された。




後書き

ジム改 今回はいつもとは違う戦いでした。
栞   ぜ、ぜ、絶対に私じゃ勝てないですよお。
ジム改 まあ、戦闘能力者にサシで勝てる奴は滅多にいないからな。
栞   でも、良いですよねえ。私も何か凄い技が欲しいです。
ジム改 君には凄い技があるじゃないか。
栞   何ですか?
ジム改 似顔絵で人を呪う。
栞   ちょっと待ちなさい!
ジム改 一応本当に出来るんだぞ。栞に似顔絵を書かれた奴は数日間は苦しむ事になる。
栞   それって、秋子さんにも効くんですか?
ジム改 効く事は効くが、やる勇気はあるのか?
栞   や、やりませんよ。後が怖いですし。
ジム改 一日中ジャムを食べさせられたりして。
栞   それはたぶん死ねます。
ジム改 では次回、マイベック准将の指揮の下、支那に展開するティターンズに遂に反撃が開始される。シアンが、佐祐理が、シーマが、キョウが戦場へと戻っていく。海鳴に集った大軍が遂に反撃の狼煙を上げる時が来たのだ。しかし、この反撃はティターンズに読まれていた。次回「上海の激突」でお会いしましょう。