第78章  砂漠に降る雪




 コロニー迎撃作戦は成功のうちに終わった。ネオジオン艦隊はそれほど大きな打撃を受けた訳ではないが、コロニー落しを阻止されたという現実は彼らの内に暗い影を落とす事になる。これ以降は更にコロニー落しなどの質量弾攻撃への警戒が強まるのは必死であり、もう一度敢行しても成功は覚束ないだろう。
 何より、この件で連邦とティターンズ、そしてエゥーゴが手を組んだことはネオジオン政府と軍部に衝撃を与えている。これまで可能性として考えられていた事ではあったが、それが現実となってしまったのだから。連邦のコンペイトウ駐留軍にすら苦戦しているネオジオンに3軍全てを相手取る事などできるはずが無いのだ。
 またこの作戦失敗により、立案者のエギーユ・デラーズ参謀総長の権威に傷が付くこととなり、発言権が低下した事を受けてキャスバル総帥の軍部への影響力が増大するという結果を招いたのだが、同時に補佐官であったハマーン・カーンの失敗を糾弾する声も上がり、勢力争いは尚微妙なこう着状態を続けていた。


 そしてこの作戦を成功させた連邦軍とティターンズ、そしてエゥーゴの艦隊は奇妙なことに、未だに解散せずに1つの場所に一緒に居たりする。コロンブスの群れが展開したミラーの回収をする中で工作艦が3軍全ての艦艇の修理を行い、病院船は所属に関係なく負傷者の手当てをしている。ティターンズやエゥーゴの将兵はこの連邦の分厚い後方支援に羨ましそうな顔をしているのは哀れというべきだろうか。
 そしてこの連邦艦隊を統率するカノンには、ティターンズからパプテマス・シロッコ大佐(連邦軍大尉)とエゥーゴのブライト・ノア大佐が数名の部下を伴ってやってきていた。秋子の招きに応じた形ではあったが、彼らはこの白く輝く巨艦に正直圧倒されていた。
 艦内を案内されたブライトは初めて入ったカノンの艦内の通路の広さなどから相当に居住性が高いことを察したが、全体的に無駄が多い設計のように思ってしまい、この事を案内の兵士に尋ねると、兵士は苦笑しながらそれに答えてくれた。

「この艦はファマス戦役の戦訓を元に、外洋系での作戦行動も想定されて設計されているのです。その為、居住性にも必要以上に配慮されているのですよ」
「なるほど、つまりこの艦は火星や木星にまで行く事も考慮されているのだな?」
「まあそういう事です」

 軍事機密というほどの事でもないので気軽に答えているが、余り喋らない方が良い内容だ。答えた兵士は同行していた士官に軽く叱責され、兵士は萎縮して口を閉ざしてしまう。それを見たブライトは謝罪し、この事は聞かないようにした。
 だが、その後ろを歩いているアムロは何だか懐かしそうであり、笑顔で周囲を見回している。その珍しい態度にどうかしたのかと聞くと、アムロはここはカノンと同じだと答えてブライトを困惑させてしまった。

「何を言っているんだ、ここはカノンなのだから当然だろう?」
「ああいや、そうじゃないんだ。俺は前にも先代カノンに乗っていたからな。ここの空気はあそこと同じなんだよ。穏やかで暖かいんだ」
「ふむ……」

 言われてみて、改めてブライトはこの艦内のアットホームな空気に気付いた。士官と兵の垣根が低いとかそういう物ではないのだが、軍艦特有の張り詰めた空気がここには感じられない。エゥーゴは仕官と兵の垣根が低く、どちらかというと階級より役職の方が重視される傾向にあるがアットホームと言えるほどではない。ましてここは連邦宇宙軍の旗艦であり、一際規律に厳しくなくてはいけないはずなのだが。
 この疑問に対して答えをくれたのは、その空気の発生原因である水瀬秋子宇宙軍総司令官兼宇宙艦隊司令長官であった。彼女は護衛の兵4名を伴うだけでティターンズのシロッコたちを連れてブライトの前に現れたのだ。

「ブライト・ノア大佐ですね、初めまして。それとお久しぶりです、アムロさん」
「はい、ファマス戦役以来ですね、秋子さん」
「おいアムロ、水瀬提督にそんな口の利き方は不味いだろう!?」

 気安く声をかけてくる秋子も秋子だが、それに気軽に返すアムロにも驚いたブライトは慌ててアムロを窘めたが、それを秋子が止めた。これは自分がそう呼んで欲しいと頼んだ事なので、アムロは自分の頼みを聞き入れただけだと。それを聞かされたブライトは半信半疑という顔であり、アムロはまあそう思うよなと言って苦笑している。



 この後秋子は両軍の士官を会議室に案内し、そこでシロッコとガディ、そしてブライトに改めて礼を言った。コロニーを阻止できたのはあなた方の協力のおかげだと。これに対してガディは命令ですからと答え、シロッコはああいう戦い方は趣味では無いだけとと答え、ブライトは見過ごせる事ではなかったと答えている。3者3様の答えではあるが、性格が出ていると言えるだろう。
 この答えを秋子はニコニコと聞いており、初めて対面したガディとシロッコ、ブライトは正直戸惑っていた。変わった人物であるとは聞いていたが、これがあのリビック提督と並ぶ連邦宇宙軍の名将なのだろうかと疑問に思ってしまうほど、目の前の女性は軍人らしくなかった。

「今回の損傷は全て此方で修理させます。負傷者も治療を施した上で、巡洋艦で月とルナツーに搬送します。その旨を双方の上層部にお伝えください」
「それは有り難いのですが、何故ここまでしてくれるのです。我々は敵なのですよ?」
「コロニー落とし阻止に協力した頂いた礼、と思っていただければ良いですよ。別に貸し借りを考えている訳ではありませんから」

 ガディの問いに秋子は笑顔でこう答え、ガディを余計に困惑させてしまった。自分ならば迷う事無く傷ついた両軍を圧倒的な物量で持って殲滅していただろう。いや、それ以前に展開を完了しているソーラーシステムを使えば艦隊を使わずともティターンズとエゥーゴの艦隊を跡形もなく消滅させる事が可能だった筈だ。
 それをしないどころか、敵に平気で塩を送るような真似をする秋子のやり方はどうにも納得できない物だ。まあ連邦の余裕を見せ付けるという意味でならばこれは大成功を収めているのだろうが。
 しかし、秋子にはそんな考えは無い。彼女も軍人である以上は戦場で相手を散々に騙すし、姦計にも長けていると言える。だが同時に信頼関係というものを重視する人でもあり、決して自分から出した提案に嘘を混ぜたりはしない。敵に容赦はしないが嘘はつかない彼女にとって、今回の提案は本当に協力に感謝しての物なのだ。秋子にしてみればブリティッシュ作戦の借りを返せたという意味もある戦いだったので、十分な収穫を得たと考えている。
 暫く会議室でお茶を交えながら話をしていたシロッコは、空になったティーカップを置くとブライトの隣に座るアムロ・レイを見た。

「君が、1年戦争の英雄かね?」
「英雄、ね。そんな大層な物になった覚えは無いんだがな」
「私も君には興味があってね、1度会いたいと思っていた。確かに良い力を持っているようだが、君は自分で何かをしようとは考えた事は無いのかね?」
「……昔、似たような事を言った男が居たが、貴方もそういう人間か?」

 そう、あれはア・バオア・クーだったか。NTの独善的な世直しを口にした男とアムロは戦い、そして別れた。あの男は今はネオジオンの総帥という立場について自分の理想を実現させようとしているのだろうか。それとも現実と折り合いをつけて意見が変わったのだろうか。その辺りではもう一度会って話をしてみたいという考えはある。
 だが、まさか同じような話をまた聞く事になろうとは。しかも今度はティターンズの士官からだ。アムロもこの男がNTである事は感じていたのだが、ここまで来るとNTという存在にはなにかおかしな部分が付き易いのではないのかと少し考えざるを得ないかもしれない。

「秋子さんに、あゆに、栞に、シアンさんに、カツに、セイラさん。やっぱり変人の割合が異常に多いよな」

 やっぱりNTには変わり者が多いのだろうか。実は自分も周囲からそう認識されているとは想像も出来ずにアムロはそう呟いていた。というか、そもそもカノンの艦内には変人の割合が異常に高いのだが。
 そんな事を考えていると、いきなり扉が開き、1人の士官が駆け込んできた。慌てて敬礼をして持ってきたボードを秋子に手渡す。それに目を通した秋子は、それまでの笑顔を消して真面目な、軍人の顔に戻った。そこに居る人は温和な秋子さんではなく、水瀬提督になったのだ。

「ヨーロッパに集結していた連邦軍が東欧に侵攻を開始した、ですか。流石はコーウェン将軍ですね、動きが速い」

 それを聞いたガディの顔色が変わり、シロッコが面白そうな顔をする。それは地上で連邦軍の反撃が始まった事を意味するからだ。連邦とは巨大なダイナモであり、動き出すのは遅いが一度動き出したら誰も止める事は出来ない。かつてジオンもそれに挑み、そして押し潰されたのだから。そしてファマスも。
 コーウェンが動いたという事は、連邦は地上で反撃に転じられるだけの戦力を揃えたという事だろう。これを退けられればティターンズにまた打って出る機会はある。だが、それが可能だろうか。かつてジオンもファマスも一度反撃に出た連邦軍を止める事は出来なかったというのに。
 今、ティターンズはその力を試されようとしている。果たして彼らは連邦に取って代われる存在なのかどうか、それをこの戦いで示さなくてはいけない。もし負けるようならば、地上で余力を得た連邦軍の圧力は宇宙でも強まる事になるのだから。


 だが、ガディとブライトが部下を連れて慌しく部屋を出て行った後もなぜかシロッコはその場に残り、出されたお茶を口にしながら静かにしていた。それを見た秋子が貴方は艦に戻らないのかと聞くと、シロッコはそれほど急がなくても良いと答えた。

「私はティターンズの士官では無いのでね。私はティターンズに協力した木星師団の士官でしかない」
「その割には、ティターンズから大佐という階級を貰っているようですが?」
「階級などに大した意味はない。私が求めているのは階級に従う人間ではない、私の理想についてこれる人間だよ」
「……それは、余り穏健ではない意見ですね」

 穏やかな微笑を絶やさぬ秋子だったが、微かに部屋の空気の質が変わる。シロッコの言っている事は軍人という範疇を超え、政治的な意味を持つ内容になっている。彼の言っている事はジャミトフのティターンズにも通じる軍閥化そのものなのだ。シロッコはティターンズの中に自分の閥を作ろうとしているのだろうか。
 しかし、シロッコは動じなかった。カップを置き、意外そうな顔で秋子を見ている。

「なにを驚かれているのかは知らないが、私の言った事はそれほどおかしい事かな。貴女も自分に従う者たちで周りを固めているではないか。水瀬秋子の軍閥化を不安に思う政治家は少なくは無い」
「それは否定しません。ですが、私は連邦の為に戦っています。私自身が世界の未来図を描こうとは思っていません」
「その結果、連邦は貴女を排斥するかもしれない。そうなれば貴女も身を守るしかないのではないか。まさか運命を受け入れて失脚する訳ではあるまい?」

 これほどの英雄がそんな道を選択する筈が無い、シロッコはそう思っていたのだが、秋子はシロッコの問いに対して何故か小さく頷いて見せ、それを見たシロッコの顔が初めて驚愕に歪んだ。これほどの英雄が、NTが連邦の無能な政治家や官僚の道具のままで一生を終えるつもりだと言うのだろうか。道具として使われ、疑われるままに軍を黙って去るつもりだというのか。そんな馬鹿げた話しがあるはずが無い。
 シロッコには秋子の考えが理解できなかった。若さと才能に相応しい野心を持つこの男にとって、我欲というものを感じさせない秋子という存在は理解しがたい存在だったのだ。強い欲望を持つ者は欲望を持たない者を理解できない、という言葉があるが、秋子とシロッコの関係はまさにそれだった。秋子はただ今の世界を守りたいだけであり、家族と自分を守れればそれで良いと考えている。そんな凡庸な幸せを求める秋子は、世界の変革を望むシロッコには理解できない存在だろう。



 カノンから急いで自分の乗艦へと戻っていく指揮官たち。事態が動いた以上、どういう結果となろうとも自分たちへの仕事はまたやってくる。だが、その中でシロッコだけは全く別の事を考えていた。彼は地上の戦況など気にする事もなく、秋子の事を考えていたのだ。

「サラ、お前はどう思う、水瀬秋子を?」
「……分かりません、あのような方とお会いしたのは初めてでした。まるで全てを受け止めてくれるような、そんな包容力を感じさせてくれる」
「私もだよ。私もNTを幾人も知っているが、あのような有り方をするNTは初めて見た。あれは私のようにこの世界の現状を憂いているが、私のように世界の変革を望んではいないようだな」
「では、彼女はパプテマス様の求める指導者には不適切だと?」
「恐らくな。あれは凄い女だが、私とは相容れまい。いずれ敵として立ちはだかってくるはずだ。その時は頼むぞ、サラ」

 サラはそれに真面目に答えて背筋をただし、シロッコはそれに鷹揚にうなづいて見せる。だが、その内心では冷ややかな汗が流れていた。シロッコは秋子の持つ強大な力を感じ取っていたのだが、あのカノンの中にはそれと同等か、それ以上の巨大な力が幾つもあることを感じ取っていたのである。
 自分の望む未来に対して、恐らく秋子は敵に回るだろう。彼女はカリスマとは違う、だが人を惹き付ける物を持っている。そうなれば彼女の基にいる者たちも自分の敵となるに違いない。これから先の困難さを思って、シロッコは厳しい表情を隠せなかったのだ。




 その頃、シロッコが感じていた強大な力の源はというと、食堂で恐ろしいまでの健啖振りを発揮して周囲を恐怖のどん底に叩き込んでいた。

「やっぱり戦闘をした後は緊張感でお腹がすくんだよね」
「普通、逆でしょ?」

 川名みさき大佐は戦闘終了後、お腹が空いたといってカノンの食堂へとやってきて、まるでカノンの備蓄食料を食いつくさんとするかのような勢いで食事を始めたのだ。みさきを知る者たちは苦笑いし、初めて見る者はこれはこの世の事かと我が目を疑っている。どう見てもみさきの均整の取れた肢体より入っていく量の方が遥か匂いのだから。物理法則に反してると言って現実から逃げる物まで出る始末だ。
 そして食堂のコックは、此方も意地になって料理を作り続けている。これは作る者と食べる者との戦いでもあったのだ。


 なお、ファマス戦役後に接収された資料の中には、ファマスがエターナル隊への食料の補給に苦しんだ事が記録として残されているという。





 コーウェンは自ら司令部を最前線に近いローマに置き、100万を超す地上軍の総指揮を取っていた。連邦軍総司令官自らが前線に出てきたという報せに地上軍の士気は上がり、モスクワとアンカラを中心に立て直しを図っていたティターンズは各地で苦しい戦いを強いられている。まあベルリンがまだ使えないという事情もあるのだが。
 ただ、装備に勝るティターンズの抵抗も激しく、犠牲の多さでは連邦の方が尚勝っていたが、連邦はその膨大な予備兵力と圧倒的なまでの輸送力、後方支援能能力によってその差を補っていた。大量のミデア輸送機による輸送力は前線に膨大な物資と補充兵を送り届け、損傷機や負傷兵を後送していく。複数のガルダ級輸送機は大量のMSを前線に運ぶのだ。
 これに対してティターンズは必死に戦っていたが、MS戦の敗北以前に戦略レベルで敗北しようとしていた。個々の戦場では勝利できるのだが、大量の消耗に耐えられずに弾薬が欠乏し、故障機を放棄して後退するという事を繰り返している。連邦ほどには輸送能力が高くないので大規模な消耗戦の末に先に戦闘力を喪失してしまうのだ。


 連邦軍はワルシャワ、ミンクスを経由してモスクワを目指す主力部隊とは別にミンスクから分離してキエフを狙う部隊、ブカレスト、イスタンブールを抜けてアンカラを目指す部隊の3軍を同時に動かしている。海軍は地中海からボスフォラス・ダーダネルス海峡を抜けて黒海に入ろうとしている。これが黒海に展開できればキエフとアンカラは間違いなく落とされるだけに、ティターンズもダーダネルス海峡とエーゲ海でこれを阻止しようと躍起になっているのだが、連邦海軍は空母から多数の戦闘機とアッシマーを飛び立たせ、さらに水中用MSのアクアジムを投入していた。これはジムUベースの物で1年戦争時代の機体より高性能であるが、相変わらずジオン系には及ばない性能である。ただ、一部は浅海用として海鳴基地で少数生産されているアッガイを装備していた。海鳴基地は過去にキャリフォルニアベースで接収されたMSMシリーズの生産ラインを基地の工廠内で再建してMSMシリーズを作ろうとしているのである。
 エーゲ海では多数の基地から飛び立った戦闘機や可変MAと連邦の海軍機が激突し、地上から発射された対艦ミサイルが迎撃ミサイルと激しい勝負をしている。この殴り合いに勝った側が制海権を押さえるのだ。


 ローマのコーウェンは各地から寄せられる情報を聞きながら時々指示を出し、今のところは前線の指揮官たちに任せている。戦況は決して楽な物ではなく、ジャブローから運んできた物資は恐ろしい勢いで減っていく。補給を担当している広報担当官たちは前線から送られてくる補給の要請に懸命に答え、輸送機を遣り繰りしながら必死に計画を立てていく。だが物資の消耗速度は半端な物ではなく、当初の計画を大幅に上回っていた。
 これを知らされたコーウェンは渋い顔をしたが、現段階での作戦中止は考えていなかった。物資の消耗は激しいがまだ想定限界を超えている訳ではなく、此方より先に敵が崩れるだろうと考えていたのだ。それに最強の駒がそろそろアフリカに到達する頃でもある。

「ガルダとスードリの位置は?」
「間もなくアレクサンドリアに到着します。後続の揚陸艦隊もタラントを出て南下しております」
「そうか、いよいよだな」

 アレクサンドリアが落ちればユーラシアとアフリカの連絡が立たれ、ティターンズは分断される。この賭けをコーウェンは祐一たちに託したのだ。その為に祐一を本作戦限りではあるが戦時階級で大佐に昇進させ、大部隊を預けている。
 年齢を考えると少佐でも若すぎると思われる祐一であるが、実は今の連邦軍では珍しくはあるが居ないわけではない。1年戦争で活躍したブライト・ノアなども祐一より少し上というくらいでいまや大佐なのだ。1年戦争、ファマス戦役と続いた大消耗が人材を枯渇させ、若手士官に昇進の道を開いたという事情もあるが、能力を無視してとにかく上に上げたという言い方も出来る。1年戦争では中尉の巡洋艦艦長が居たくらいなのだから。今でも大尉で戦隊司令官という人間もいるくらいだ。

 階級と地位がつりあわないという現象は昔から問題視されているが、今はどうにも出来ない問題だ。だからこうして使える人間はその場限りでも階級を上げてやって使わなくてはいけないのだ。何時か臨時が取れる日も来るだろう。




 ただ、コーウェンの誤算はティターンズの地上軍総司令官であるハムリン・アーカット中将がアレクサンドリアに入っていたことだろう。彼はジャミトフが認める軍人であり、軍官僚としても指揮官としても優れた力量を持っている。彼はここから東欧からウクライナ、そしてバルカン半島を巡る戦いの指揮をとり、ティターンズの統制を回復させようとしていたのだが、ここに敵の大軍が迫っていると知って対処に苦慮していた。

「ガルダ級2機に輸送船団か。ガルダ級が2機あれば2個MS大隊は運べるな」
「ですが、ここは北アフリカの最大拠点です。たかが2個MS大隊で落とせると思っているのでしょうか?」
「コーウェン将軍を侮るな、やれる部隊を持っているのだ、連邦は」
「まさか、フランスに降下したという、あの部隊ですか?」
「そうだ、あの相沢少佐率いるクリスタル・スノーだ。やれるのだ、彼は2個大隊で!」

 正確には相沢大隊と北川大隊はクリスタル・スノーとは言えない。厳密にはその名で呼ばれる資格があるのは天野大隊だけなのだが、未だに相沢、北川、天野、倉田の4個MS大隊を指してクリスタル・スノー隊と呼ぶ習慣があるのだ。実際、祐一たちでも2倍の敵に勝つことが可能なので戦闘力の凄まじさは健在ではある。まあ天野大隊は3倍の敵と戦えるのだが。


 今のアレクサンドリアには予備部隊を入れれば5個師団が展開している。そのうち2つはMS師団であり、前線に送られて連邦軍と戦う事になっている。全部あわせればMSは300機以上にもなるのだから、ここに70機程度で殴り込もうとしている敵は無謀を通り越して馬鹿と言うべきであるが、もし70機で海岸線に橋頭堡を形成され、維持されたとしたら。後続の輸送船団が到着するまでの僅かな時間を持たせられれば、敵は大軍を揚陸してくる事になるのだ。
 この70機をすぐに殲滅できるか、というアーカットの問いに参謀たちはフランスでの彼らの戦闘データを調査し、そして不可能ではないが困難であるという答えを出した。予想される降下部隊はゼク・アインを装備し、これに優勢を確保できるMSはグーファーしかないが、数はまだ多くは無い。マラサイやバーザムだけでは一流が使うゼク・アインの大群を短時間で殲滅するのは難しいと言わざる得ないと。
 これを受けてアーカットは急いで迎撃プランの作成に入った。現在前線で戦っている部隊も心配だが、自分たちが叩かれては全体が混乱してしまう。そうなる前に対策を採らなくてはいけないのだ。

「全軍を展開させるのにどれだけかかる?」
「装甲戦力だけなら今すぐ出して2時間もあれば。ですがアレクサンドリア周辺は守り難い地形です」
「いや、アレクサンドリアでは戦わん。戦うのはもう少し南だ」

 アーカットは地図の一点を指差した。そこはナイル川の近くにある小さな湖と湿地がある一帯で、周囲は岩山と砂丘に囲まれている。こんな戦い難い場所を戦場にするつもりなのだろうかと部下たちは思ったが、アーカットには勝算があるようだった。




 アレクサンドリアに迫るガルダとスードリの機内には相沢大隊とロヤル大隊の2個MS大隊が収容され、アレクサンドリアに向かっていた。これらのうちジムVはいずれも陸戦型への改修を受けたG型となっており、フランスでの戦いよりさらに強力な機体となっている。さらに相沢大隊の機体の大半はより強力なストライカーだ。
 祐一はブリーフィングによってこの都市が防衛には向かない平坦な場所にあり、敵の反撃を受ければ地形に頼った防御は困難だという事を伝えている。フランスでは丘陵を利用した防御陣地を構築して対抗したが、アレクサンドリアではそれは難しい。

「それで俺たちのとるべき手段だが、名雪」
「うん、私たちの部隊は全機がホバー移動が可能になってるから、アレキサンドリアに直接降りるんじゃなくて、市街に降下して敵を外に引きずり出して野戦に持ち込むんだよ。市街戦は余りしたくないしね」

 名雪の最後の一言にパイロットたちは笑い出した。それは市街戦は動きづらくて嫌だというパイロット真理からの発言だと彼らは思っていたのだが、名雪は民間人を確実に巻き込んでしまう市街戦が嫌だったからという個人的な理由で付け加えていた物だ。
 これが北川であれば効率が良いと判断すれば躊躇無く市街戦でも何でも選択してしまうのだが、この辺で名雪はどうにも甘すぎる面があり、祐一の副官としては若干不満が残る点である。
 そして名雪の後に繋げるようにして祐一が右手で軽く地図を叩き、部下たちに重要事項を改めて念押しした。

「分かってると思うが、今回の最大の目的は上陸用の橋頭堡の確保だ。出来ればアレクサンドリア港を無傷で押さえたいんだが、とにかく上陸船団を無傷で迎え入れたい。アレクサンドリアは敵の要衝だから守備隊も多いと思うが、暫く持ち堪えてもらうぞ」
「隊長、持ち堪えると言っても、どれくらいです?」
「船団との位置関係からすると2時間くらいの筈だ。弾薬の補給は無いから弾を節約しろよ」

 それでブリーフィングは終わりだった。パイロットたちはそれぞれに機体の最終チェックをする為に散っていき、室内には椅子に腰掛けたままの祐一と資料を片付けている名雪が残されている。

「なあ名雪、悪いけどさあ、もう一度アレクサンドリア周辺のレクチャーをしてくれないか?」
「え? うん、良いけど、どうしたの祐一?」
「いや、なんか落ち着かなくて。地上でこれだけの作戦の先鋒の指揮を任されるのは初めてだからさ」
「今日は北川君も居ないしね」
「俺はあいつほど、上手く部隊を動かせないからなあ。出来れば誰かに替わって欲しいよ」

 珍しく泣き言を言う祐一に名雪は苦笑して畳んだ地図を広げ、もう一度説明を始めた。祐一も地図から地形を想像できる指揮官であるが、こういう事は名雪のほうが上手いのだ。実は名雪は祐一の部下の中でもかなり頭の回転が早く、よく気が回る人物でもある。頭が良いというなら香里や佐祐理が最高なのだが、現場で役立つ判断力や機転などは名雪が勝っている。リーダーとしての適性もあり、本当は副官よりも部隊を率いて戦う方が力を発揮できる筈だ。
 だが、祐一は名雪を副官から外そうとはしない。それが祐一の個人的な感情から来ていることは誰もが知っていたが、それを咎めようとする者は幸か不幸か、彼の周りには居なかった。まあ誰も名雪の変わりに祐一の副官なんてやりたくなかっただけかもしれないが。



 説明を終えた後で名雪は地図を前に、1人で少しだけ考え込んでいた。確かに砂漠という戦場では機動性重視の祐一の戦術判断は間違っていない。だが地図では平坦に思える地形でも、実際には複雑な起伏に富んでいるものだ。それに砂漠といってもアレクサンドリア周辺はナイルデルタが広がっており、湿地や緑地なども多い。それに道路網も発達しているので祐一の想定するような戦いになるだろうかと名雪は考えていたのだ。

「う〜ん、大丈夫だとは思うんだけど、祐一が調子に乗って戦果拡大に走らなければ良いんだけど、う〜ん……」

 祐一はすぐ調子に乗って失敗するという悪癖がある。これまでにもそうやって幾度も失敗しており、今回もそんな悪癖が出なければ良いのだが。祐一を止めてくれる北川や佐祐理は今ここに居ないので、自分だけで祐一を押し留められるかどうか、名雪は少し不安だった。特に今回は新型を使っているので尚更危険なのだが。





 アレクサンドリア上空に2機のガルダ級が侵入してきた。これを見たティターンズが早速ギャプランやダガーフィッシュを出して迎撃を始めたのだが、ガルダ級も護衛のダガーフィッシュとZプラスA1を出してこれに対抗している。この時ガルダ級は意図的に3000メートル程度の低空を飛んでおり、ギャプラン隊はその高高度性能を生かすことが出来ず大苦戦を強いられている。元々高高度迎撃機であり、高度の優位を使った一撃離脱が主戦法の機体なので、低空だと空戦性能に勝る他の機体に対して対抗できない。元々パワーだけで飛ぶ機体なので、運動性など無いに等しいからだ。
 低空での運用を前提に開発されたギャプランのバリエーションにシュツルムイェーガーがあるのだが、こちらは大半が主戦場である東欧やバルカンに回されていてここには1機も居なかった。
 Zプラスの援護を受けながら、祐一たちは一斉に降下を開始した。降下作戦は時間との勝負であり、どれだけ短時間でどれだけ多くの部隊を送り込めるかが勝負になる。ガルダから一斉にストライカーが降下を始め、スードリからはジムV隊が降下していく。ジムVは全てが陸戦型のG型に改修された型で、サンド迷彩を施されているこの部隊は連邦地上軍ではかなり珍しい編成だと言えるだろう。
 降下した祐一はすぐに部隊を散開させ、周辺を確保してアレクサンドリアから出てくる部隊を待ち伏せた。祐一たちは数において劣勢であり、出来れば待ち伏せで数を減らしたかったのだ。

「スティールとバンディは俺の左右に展開、ジムV隊は沿岸部に展開、橋頭堡を押さえるんだ。名雪は狙い易いところに行ってろ!」
「祐一、お願いだから自重してね。北川君たちが来るまではこの戦力で頑張るしかないんだから」

 名雪は祐一に念を押して護衛2機と共に適当な高地に移動していく。名雪は戦場では最高のスナイパーとして動かなくてはならないので、祐一のサポートをしづらいのだ。一度この問題で祐一の副官を別の人にしたことがあったのだが、その後任は一週間で音を上げて名雪に戻ってしまった。祐一という変人と付き合うのは中々に大変なのだ。



 部隊を散開させて少し待っていると、アレクサンドリア方向から大規模な地上部隊が接近して来た。MSを中心に戦車や自走砲を揃えた立派な機甲部隊であり、MSだけしか居ない祐一たちには少々厄介な相手だ。
 だが、問題なのはMSの質だった。出てきたのは大半がハイザックやマラサイであり、ストライカーに抗しえるバーザムやグーファーの姿が殆ど無いのだ。地上をホバーで動ける高速のストライク・マラサイが一番の強敵だろうか。この様な連中が出てきたことに祐一は戸惑い、名雪に他に敵は居ないかと聞いた。

「名雪、そっちから別働隊は見えないか?」
「う〜ん、見渡す限りのナイルデルタで、岩山とか砂山は一杯あるけど、MSとか戦車とかは他には見当たらないよ」
「ここには予備部隊しかいなかったって事か? 何だか拍子抜けだな」

 てっきりグーファーの大群のお出迎えを受けると思っていたのに、これでは折角の新型で暴れられないではないかと愚痴る祐一を、名雪はまあまあと制した。

「まあ良いじゃない祐一、楽できるんだから」
「そりゃまあそうだな」

 名雪にフォローされた祐一はなるほどと呟いて部下に射程に入り次第撃てと命じた。ハイザックの装備するザクマシンガン改は問題にならず、僅かにマラサイのビームライフルが怖いくらいだが、これもストライカーには決定打とはなり難い火器だ。まして61式戦車を主力とする機甲部隊など今時前に出してくる方がおかしい。連邦はMSにも対抗可能な新型の81式戦車を装備しているが、このような新型をティターンズは装備していない。
 ある程度距離が詰まったところでジムV隊がミサイルを発射した。これに対抗するようにティターンズ部隊のロケットシステムも一斉にロケットを発射してきたのだが、これは双方に大した被害を与えられなかった。電波誘導が出来ないこの時代ではミサイルは中距離以上のミサイルは余り期待できないのだ。
 そしてまずストライカーのビームライフルが光り、迫るハイザックやマラサイを容赦なく撃破しだした。ストライカーのライフルは従来型の改修版でそこそこ使いやすいが、威力にはやや難がある。新型のビームライフルの開発は難航しているのか未だに出てこない。
 祐一たちの銃撃を受けたティターンズは少しは頑張ったものの、あっさりと後退を始めた。戦う気があるのかと言いたくなるほどにあっさりと後退を始めたティターンズに祐一は追撃を仕掛け、戦果を拡大しようとする。幸いにもティターンズはアレクサンドリアに戻ろうとはせずに砂漠の方向に退こうとしており、祐一は少しだけ安堵していた。

「よし、ティターンズを街から叩きだせ。このまま追い払うぞ!」

 祐一はG−9を先頭に立ててティターンズの師団を追い立てた。このまま追い払う事が出来れば連邦軍は容易く北アフリカ最大の港を手に入れることが可能となり、連邦軍は北アフリカに大軍を展開させる事が可能となる。上手くすればバルカン方面の敵の息の根を止められるかもという読みもあって、祐一は部隊を更に前進させた。
 だが、その動きは名雪には危険に映った。おかしい、幾ら旧式機主体とはいえ、ティターンズがここまで脆い物だろうか。それにアレクサンドリアという要衝を守るのがあの程度の数というのも腑に落ちない。ここはダカールと並んでアフリカのティターンズの重要拠点のはずなのに。
 単に全力を味方の援護に振り向けた為に数が不足しているだけかもしれない。自分が思っているほどティターンズはここを重視していなかっただけかもしれない。だが、名雪は秋子から多くの事を教えてもらっており、戦場では自分に有利な楽観をしがちだが、戦場とはそれほど事が上手く進む場所ではない。そして自分が考えているような事は大抵敵も考えている、と。

「ううん、やっぱりおかしいよ。ティターンズは私たちを砂漠に引き摺り込もうとしてるの?」

 名雪は上空に居る空軍機からデータを送ってもらい、周辺の地形をもう一度確認した。このあたりは広大なデルタ地帯が広がり、砂漠と緑地がナイル川周辺に幾つもある。ここは機甲師団を動かせるような場所ではないのだが、祐一たちが向かっているのはそのデルタの中央、ナイル川に囲まれた一帯である。
 そして名雪は、敵の意図をようやく読み取った。何も証拠は無いが、もし敵に十分な数のMSがあるならば、敵はMSを水中や砂の下に隠して、MSや車両にとって移動が難しいデルタ地帯に誘い込んで包囲することが出来る。そうなれば自分たちは大損害を受けるだろう。

「祐一、止まって、これは罠だよ!」

 名雪は慌てて祐一を呼びとめようとしたが、もはや祐一はかなり前進していて名雪の声は届きそうも無かった。そして祐一たちが前進を続けていると、戦場にいきなり変化がおきた。それまで唯の砂丘だったところがいきなり崩れ、マラサイやバーザム、グーファーが姿を現したのだ。そして水中からもマラサイやバーザムが姿を現し、祐一たちを包囲してしまったのである。名雪の読みは最悪の形で的中してしまたのだ。
 これがアーカットの作戦であった。敵が此方の全力と思える程度の数の部隊を持って一戦し、わざと負けて祐一に勝てると思わせて目的地まで引きずり込むというものだ。これを成功させる為にアーカットは自ら囮師団の指揮をとり、祐一を欺いて見せたのである。
 敵の罠に嵌った祐一は慌てて部隊を後退させようとしたが、湿地や湖沼が多い地域に誘い込まれた為に機動力を発揮しにくく、折角のホバー能力も完全には発揮できなかった。完全なホバー艇とは異なり、MSのホバー能力は熱核ロケットによる力技なので長時間の連続使用には耐えられないのだ。
 迂闊に前に出た祐一は、ティターンズの包囲下で絶望的な戦いを強いられる事になる。それは祐一にとって、苦い経験となる戦いであった。



後書き

ジム改 祐一、愚かにも敵を追って自滅の回。
栞   あのお、私は何処に?
ジム改 祐一と一緒に包囲下。
栞   いやあああ、沼に嵌って溺死だけは嫌ですううう!
ジム改 大丈夫だ、良い奴ほど早く死ぬから。
栞   なるほど、じゃあ真っ先に死ぬのはあゆさんで……どういう意味ですジム改さん?
ジム改 悪いな、俺は言ったことを3秒で忘れる特技があるんだ。
栞   貴方のおつむは祐一さんや浩平さん並の揮発脳ですか?
ジム改 実に便利だぞ。
栞   仕方ありません、治療のために適当に投薬を。
ジム改 お前の薬なんか打ったら死ぬわ!
栞   結構効きますよ?
ジム改 効きすぎるんだよ。
栞   やれやれ、困った物です。それでは次回、窮地に陥った祐一さんたち。名雪さんはジムV隊と共に祐一さんと助けようとしますが、ティターンズの包囲を崩せずに立ち往生してしまう。そんな時、包囲するティターンズを切り裂いて突破する2機の無敵に強いmk−Xの雄姿が。次回「逆襲のナイチチーズ」でお会いしましょう!
ジム改 …………何処からつっこめば良いんだ?