第80章  塗り変わる地図




 連邦軍の攻勢は留まるところを知らず、ティターンズは必死に抵抗を見せながらも各地で後退を重ねていた。東欧を席巻してウクライナに入った連邦軍はそこでモスクワを拠点とするティターンズ中央軍とまともに激突、上下1000キロにも渡る長大な戦線で激しい消耗戦を繰り広げた。
 そしてバルカン半島に侵攻した部隊はアレクサンドリアのアーカットの指揮を受けてアフリカとインドから増援を送り込まれて一時は押し返す事に成功したのが、アレクサンドリアが祐一の攻撃を受けた為に指揮系統に僅かばかりの空白が生じてしまい、バルカン半島を陥落され、イスタンブールを取られてしまった。ここから先にはアンカラがあり、ここを失えばティターンズはバグダッドまで退くしかなくなる。そうなればアフリカとよーラシアの連絡線の確保は一気に困難になるのだ。
 アーカットはどうにかアンカラを含むアナトリア高原を守ろうと増援を送り続けたが、連邦軍の無限とも思える物量作戦には辟易してしまっていた。どれだけ増援を送り込んでもすぐに敵の新手との戦いに使われてしまうのだから。既にアーカットは手持ちの予備を使い果たそうとしていた。

「連邦軍は何処にこれほどの戦力を隠し持っていたのだ?」

 空には途切れる事無くダガーフィッシュやティン・コッド、ジェット・コアブースター、フライマンタが送り込まれて制空権を確保し続け、それらの護衛の下でデプロッグが中高度から盤の目を刻むような絨毯爆撃を行い、アヴァンジャーが地上軍の要請を受けてMSや車両、トーチカなどに爆弾を投下し、砲弾を叩き込んでいく。
 地上では空軍機の支援を受けて61式戦車や81式戦車が土煙を上げて前進していき、ジムUやジムRMが出てきたMSの相手をしていく。戦域が広すぎてジムVやシュツーカ、ゼク・アインといったMSの姿は少なく、主力は第1世代終盤の機体が努めているようだ。ただこれはティターンズも同じであり、相変わらずハイザックが主力を努めている。強力な第2世代、第3世代MSは未だに全戦線に配備するほどの数は揃っていないのだ。まあジムUの生産台数は2万機に達するほどなので、数の上ではどうしても主力になってしまうのだが。ジムVへの改修も進められてはいるのだが、数が多すぎて進んでいるように感じられないでいる。
 最もこれは宇宙でも同じで、正規艦隊や要塞守備隊などの精鋭部隊には第2世代機が多く割り当てられているが、それ以外では未だにジムUやジム・FBが中心である。


 この雲霞の如く湧いてくる連邦軍の大部隊の攻勢に耐えかねたアーカットは思い切ってウクライナとアナトリア高原を放棄し、ロシアではキエフからスモレンスクの線、そしてトルコではトロス山脈から東に抜かれないように守りを固める事を決意した。このまま消耗戦を続ければオデッサに壊滅したマ・クベのジオン地上軍主力と同じ運命を辿ってしまう。
 だが、意外なことに連邦軍はティターンズが退いた辺りまでは追撃してきたが、そこから先へと前進しては来ず、部隊を展開させて守りの態勢に入ってしまった。それを見たティターンズの指揮官たちは最初こそ罠の可能性を疑った物の、すぐにそれが連邦軍の攻勢の中止だと理解する事が出来た。
 実のところ、これだけの大軍を一度に動かすというのは連邦軍でも並大抵の負担ではなく、ここに来るまでに用意していた物資を粗方使い切ってしまったのだ。武器弾薬や推進剤、医薬品に食料は全て消耗品であり、戦えば無くなっていく。2方向で何百万という大軍を動員すれば当然消耗する物資も半端ではなく、連邦軍も遂に息切れしてしまったのだ。
 ローマのコーウェンも補給担当官から物資切れを知らされた時はこれまでかと判断して前進を中止して守りに入るよう命令しており、自然と両軍は睨み合う形となってしまったのだ。
 


 戦いが終わった後、コーウェンは戦線の整理を命じると共に、奪還した欧州からバルカン、ウクライナといった地域の治安の回復を命じ、防衛に必要の無い部隊は後退させて再編成させる事にした。
 だが受けた損害と消耗した物資の量はコーウェンをして鼻白ませるほどに膨大な物であった。戦いには勝利したものの、死傷した将兵は10万を軽く超えている。生存者を後送して病院に入れなくてはいけないが、それだけでも気が遠くなるような話である。後送する為の輸送機の手配だけでも一仕事だ。
 更に戦場に残されている膨大な残骸の回収と、使えそうな兵器の修理など、やらなくてはいけないことは多い。次の攻勢に出れるのは果たして何ヵ月後だろうか。

「だが、とりあえずは勝ったのだ。今はこれで満足するべきだろうな」

 これからの暗い未来を振り払って、コーウェンはこの勝利を祝う事にした。とにかく戦いには勝利したのだから、また次の戦いに繋げる事が出来る。負けたティターンズよりは遥かにマシな状況だと言えるだろう。

「私はジャブローに戻る事にする。今後の事はヨーロッパ方面軍に任せるとしよう。それとシナプス准将をアフリカに送れ、ベンガジから北アフリカ全体を押さえさせるのだ。相沢少佐には引き続きアレクサンドリア攻略を命じる」
「閣下、相沢少佐ではなく、別の物に命じた方が宜しいのでは?」
「いや、彼には責任を持ってアレクサンドリアを落としてもらう。細かい事はシナプス准将に任せればよかろう」

 参謀長たちは失敗している祐一の能力に疑問を持っていたのだが、コーウェンは祐一にもう一度やらせるつもりらしい。その答えに参謀たちは疑問を抱いているようだったが、すぐにその事を忘れて自分の仕事に戻っていった。コーウェンを支える彼らの仕事は地上軍全域に及んでおり、たかが少佐1人の事に何時までも構ってはいられなかったのだ。





 ベンガジに集結して再編成を行っていた祐一は、地上軍総司令部から送られてきた命令を受けて多少安堵していた。北アフリカ攻略の指揮はシナプスが取る事になったからだ。これでようやく司令官という肩書きから解放されると安堵していた祐一であったが、名雪がそれはどうかなと指摘してきた。

「この命令書だと、祐一のアレクサンドリア攻略任務は継続みたいだよ。今度は完全に地上からだね」
「まあ、その辺はシナプス准将任せだろ」
「そうかなあ、コーウェン将軍は祐一に最後までやらせるつもりだと思うけど?」

 名雪は祐一よりはコーウェンを知っている。秋子の娘という事で幾度か会ったことがあるが、コーウェンは秋子ほど甘くは無いし、任務を途中で放棄させたりもしまい。シナプスを送り込んできたのは北アフリカの攻略という目的の他に、祐一の尻を叩くという意味合いもあるのでは無いかと考えていたのだ。
 もしこれが秋子の思惑も絡んでいる人事だとすれば、恐らく次の作戦では祐一はこれまでのような戦い方を許されないのではないのか。名雪はそんな事を考えていた。

「ところで祐一、大隊の方はどうするの?」

 祐一の大隊はMSの半数以上を喪失し、パイロットも12人の戦死者を出している。MSの補充は可能かもしれないが、パイロットの補充となると簡単では無い。他の大隊から数人ずつ引き抜いて穴を埋めるしかあるまいが、技量の摺り合わせに時間がかかりそうだ。
 更に配備されるMSがストライカー以外の機体となることも確実だ。ストライカーはサイド5のゴータ・インダストリーの工場でしか生産していないので、地上に回ってくる可能性は殆ど無い。そもそもストライカーは地上で使う事はあまり考慮されていない機体なのだ。
 地上で生産されている機体で最も高性能なのは陸戦型ゼク・アインだが、これはまだジャブロー配備の数すら揃っていないので、恐らく回されるのはジムVG型だろうと名雪は考えた。ジムUやジムRMでは自分たちについてくる事は困難だから、これ以外に選択肢は無い。
 ただ、祐一はジムVと聞いて少しだけ顔を顰めていた。

「ジムVかあ、悪くは無いんだけどなあ」
「祐一、ゼク・アインと比べちゃ駄目だよお。これからはあれが連邦の主力なんだから」

 ジムVは第2世代MSとしては破格に安い。何しろジムUと改修キットがあれば前線の整備場でもアップグレードできるほどお手軽で、しかも安価に第2世代MSにしてしまえるのだ。地上と宇宙では全てのジムUをジムVにしようと改修キットの生産に力を入れているが、全てが改修できるのはまだまだ随分先の話である。





 ティターンズの敗走と連邦軍の欧州奪還。これは連邦軍の戦力が立て直されてきている事を示している。この戦いを見たティターンズとエゥーゴ、そしてネオジオンはそれぞれの思惑も絡ませながら今後の事に頭を悩ませていた。
 グリプスではジャミトフが軍首脳を集め、この戦いの影響を確認する意味も込めて会議を開いていた。そこにはバスクやエイノーといったティターンズの中心的な指揮官のほかに、来栖川から藤田浩之と来栖川綾香が参加している。

「この欧州を巡る一連の戦いは連邦軍の戦力がほぼ回復している事を示しておる。このままでは遠からず地上軍は消耗戦の果てに敗北する事になるだろう」

 地球の世界地図を右手で叩きながらジャミトフが状況を口にする。それは連邦軍の力を良く知るジャミトフらしい言葉では有ったが、それにバスクが異論を挟んだ。

「それはどうでしょうか。確かに連邦軍は態勢を立て直して反撃に出てきたようですが、装備や戦法は1年戦争の頃からあまり代わり映えしていないようです。大軍を正面からぶつけ、消耗を無視した力技で押し切るという芸の無い戦法です。装備も旧式であり、いずれ向こうが先に消耗しつくす可能性もありましょう」
「そうなれば万々歳だが、コーウェンもそれくらいは見越しているようだぞバスク。アーカット中将からの報告では北アフリカにホバーで動くゼク・アインが確認されたそうだ」
「ゼク・アインの陸戦型が出てきていると?」
「そう考えて間違いなかろう。あれは元々信頼性を重視した汎用主力MSだからな。陸戦型への改修も容易かろうて」

 元々ゼク・アインはペズンの教導団が連邦の次期主力MSとなる事を目指して開発していた、シンプルな設計から来る信頼性の高さと、大火力重装甲が売りの汎用性が高いMSだ。本来ならば採用後にティターンズに回されていた筈であったが、色々あって連邦軍が採用してしまった。その結果ティターンズはニューギニアで開発していたガンダムmk−Uの発展量産型であるバーザムを採用する事になったのだが、バーザムはゼク・アインに対しては劣勢を強いられていた。バーザムの性能がゼク・アインにはっきりと劣る訳ではないのだが、扱い難いバーザムより扱い易いゼク・アインのほうが能力を出しやすく、結果的に性能を出し切れないバーザムはゼク・アインより劣勢だったのだ。
 ゼク・アインを手中に出来なかったツケは大きかったと言えるが、それはもう過ぎたことだ。今はより強力なグーファーの配備も進み、これに対して互角以上に戦う事が可能となっている。

「グーファーの量産は何処まで進んでいるのだ?」
「マラサイの更新を行うというのは無理です。何しろグーファーは高性能な分生産に手間がかかりまして、その分コストも高騰しております」
「グリプス工廠でも生産数は増やせんのか?」
「前線部隊の消耗を補充する為に既存機の生産も行っておりますから。特に前線で主力となっているハイザックやマラサイの部品供給を絶やす訳にはいきません」

 グーファーやバーザムを主力に置き換えたいティターンズなのだが、現実問題としてマラサイやハイザックが多数を占めており、これらへの部品供給の関係からそれらの生産ラインを閉じることも出来ないのだ。そしてグリプスという巨大な工廠といえども、無限のラインを作れる訳ではない。そして資材も有限なのだ。折角の高性能なグーファーも現在の戦局では全力生産するわけにもいかなかった。
 
 そして悪い事に、先の地球軌道を巡る戦いで宇宙艦隊の受けた損害も馬鹿にならず、これの再建にも長い時間が必要となる。特に主力となるアレキサンドリア級重巡洋艦、ドゴス・ギア級戦艦の建造を急がなくてはいけない。既に連邦軍は次世代型艦艇であるラーカイラム級機動戦艦とクラップ級巡洋艦、マエストラーレ級駆逐艦の大量生産に入っており、艦艇という面では負けているのだ。
 これに関してはジャミトフはルナツーのドックを造船に振り向けられないのかと聞いたのだが、返ってきた答えは芳しい物ではなかった。

「ルナツーのドックは1年戦争で使われた物で、近代化改修を受けておりませんからアレキサンドリア級の建造には少々時間がかかります。それに、ルナツーのドックは損傷艦の修理に全力を挙げておりまして」

 バスクがそれは無理だという感じで首を横に振る。ルナツーはティターンズ最大の宇宙港であり、最大数のドックを持っている。その全てが損傷艦艇で埋まってしまっているのだ。
 これは連邦軍も同様なのだが、連邦軍はサイド5の軍事コロニーのオスロー工廠とフォスターU工廠にある全てのドックに加えて、一部をコンペイトウとペズンに回して修理を建造を行っている。特にサイド5は元々拠点として戦前から整備が進められていたのでここの能力はかなり高かった。
 だが、それらの全てよりも恐ろしいのがジャブロー工廠だ。ここではラーカイラム級戦艦やクラップ級巡洋艦の建造が急ピッチで進められており、地下の港では完成した艦艇に艤装が施されて打ち上げ準備に入っている。用意でき次第20隻程度を纏めて打ち上げるのだが、これがティターンズにはこの上ない脅威となっていた。何しろ毎月20隻以上の新品の戦艦や巡洋艦が打ち上げられて連邦宇宙軍に加わってくるのだ。これでは幾ら沈めてもキリが無い。
 ティターンズはこのジャブローの攻略を考えた事があったのだが、既にジャブロー上空の制宙権は連邦軍に握られており、ペンタに変わる新しい低軌道ステーションの建設も始まっている。これはサイド5でブロック毎に建造され、現地に運ばれて組み立てられているのだ。既に一部は機能しているようで、地球軌道艦隊の母港として機能し始めている。



 どちらにせよ、宇宙では暫く大きな作戦は出来ないという事を再確認したジャミトフは、エイノーに動かせる艦隊の再編成を急がせると共に、バスクに地上への補給を増やすよう命じた。

「アーカットもこのままでは手駒が足りぬだろう。生産されたMSの一部をキリマンジャロとマドラスに下ろす手筈を整えておけ」
「地上にグリプスのMSを降ろすのですか。ですが、それでは宇宙軍の再建が遅れますぞ?」
「今は地上が窮地なのだ。連邦軍は我々以外にネオジオンとエゥーゴにも睨みを効かせねばならぬ以上、こちらに全力を向けることは出来んのだ。ならば暫く大きな戦いは起こるまい」
「水瀬提督が無理をする可能性もあるのでは?」
「水瀬は無理はせんよ、あれは勝算のある時にしか勝負を仕掛けてこん女だ。いや、そういう状況を……」

 そこまで口にして、ジャミトフはそれ以上言うのを止めてしまった。秋子の本質は戦略家だ。現場で指揮を取るよりも少し後方から戦局全体の指導をしてこそ真価を発揮する。そういう意味では今の彼女はその本領を発揮していると言えるだろう。
 そして秋子は勝算のある時しか勝負をしてこないが、それまでじっと待っている訳ではない。勝てる状況を自ら作り出してから勝負を仕掛けてくるのだ。だからもし秋子が先手を打って出てきたとすれば、それは秋子にとって勝てると思えるような状況が生まれたという事を意味している。

 だが、そんな事をここで口にする気にはなれなかった。そういう事は自分が考えていれば良いことで、バスクたちには自分の仕事をしてもらうしかないのだから。
 そしてジャミトフは少し考えを纏める為、話を別の方向に振ることにした。この会議にオブザーバーという形で出席している浩之と綾香に話を振って来栖川の意見を求めたのである。

「藤田、来栖川は今後はどう動くつもりかね?」
「……俺はリーフの司令官に過ぎませんから、そういう事はこっちの綾香に聞いてください」

 どうにも無理に敬語を使っている、という感じで答えた浩之にバスクらが顔色を変えたが、ジャミトフはそれを視線で制した。彼がこういう男なのはジャミトフも良く知っているので、いちいち反応していてはキリが無いと知っているのだ。
 そして浩之に話を振られた綾香はというと、少し考えて来栖川の方針を口にしだした。

「来栖川としましては、現在の世界情勢そのものが不満です。戦争が長引くという事は経済活動が停滞するという事で、それは企業である来栖川にとって好ましい事ではありません」

 企業は戦争で儲ける、というのは大昔の理論だ。兵器の価格が余りにも高騰している現代では軍需産業というのは儲からない。場合によっては国に対する義務感で赤字覚悟で続けている、などという事さえあるくらいだ。
 これだけ長引けばそれなりの需要も出てくるので儲ける事も可能ではあるが、戦争によって蒙る軍需以外でのデメリットが巨大すぎて全く意味を無くしてしまう。来栖川のような巨大財閥は世界中であらゆる分野で商売をしているので、戦争が起きると流通がストップして経済活動が出来なくなり、大損害を蒙ってしまう。
 来栖川が望んでいたのはティターンズの手による新たな世界支配システムの構築であり、その中でかつてのファイブ・シスターズの頃の栄華を取り戻す事だ。1年戦争は既存の経済インフラを破壊しつくしてしまい、その時代を支配してきた巨大財閥の多くの滅亡させてしまった。ファイブ・シスターズに名を連ねていた他の4つの財閥もあの大破壊で滅びてしまい、現在では来栖川しか残っていない。その来栖川も弱体化しており、新興勢力であるアナハイム風情に脅かされていたのだ。
 その情勢を変える手段を来栖川はティターンズに求めたのだが、連邦軍の粘り強さは来栖川の予想を超えていた。コーウェンや秋子といった連邦の名将たちは良く戦い、連邦軍を立て直してしまった。おかげで戦いは長期化し、来栖川は望むような未来を得られないでいる。

「来栖川はティターンズの勝利を望んでいますが、世界のこれ以上の混乱は好ましくは無いと考えている、という事は覚えておいていただきたいものです」
「……中々、手厳しいことを言われるな、綾香嬢」
 
 ティターンズの不甲斐なさを遠回しに糾弾してくる綾香に、ジャミトフは苦笑いを浮かべていた。そしてジャミトフは綾香に対して、1つの作戦案を提示してきた。

「実は、ティターンズには新たな作戦計画があるのだ。これが成功すれば、混沌とした世界も少しはすっきりとするだろう」
「新たな作戦、今のティターンズの戦力で実行可能なプランなのですか?」
「まだ準備には少し時間がかかると思うがね。第2次月面攻略作戦だよ」
「月面攻略、何処を叩くのです?」
「フォン・ブラウン、エゥーゴの本拠地だよ」

 フォン・ブラウン市を叩けばエゥーゴは潰せる、とジャミトフは語った。元々エゥーゴは反ティターンズで結集した連邦内部の不穏分子の集まりだが、それが連邦とティターンズが敵同士になった事で根幹が揺らぎだしたこと、そしてアナハイムらのスポンサーの腹黒さにエゥーゴ内部からの反感が強まっている事が判明している。それを考えれば、フォン・ブラウンを叩いてアナハイムを中枢を潰せば、エゥーゴは内部から自壊して消滅するだろうとジャミトフは言うのだ。

「恐らく、エゥーゴの残党は連邦とネオジオンに分裂してそれぞれに合流するだろう。両勢力の戦力が増えるだろうが、勢力図がすっきりする分やり易くなるだろうて」
「確かに、エゥーゴを潰せるのならば意味はありますね」

 綾香もエゥーゴとアナハイムを潰すことが出来るかもしれないという事で、この話には乗り気になっていた。だがそこに浩之がそっと小声で釘を指してきた。

「おい綾香、いまここで何か約束したりするんじゃねえぞ。俺たちに決定権は無いんだからな」
「煩いわね、言われなくても分かってるわよ。ただこの話はうちにとっても悪い話じゃないだけ」

 浩之の横槍に綾香は口を尖らせて切り返し、そしてジャミトフに対しては前向きに検討していると答えるに留めた。だが、綾香の頭の中ではアナハイムに致命傷を与えるチャンスを物に出来そうなこの作戦はやる価値があるものだと感じられていた。




 ジャミトフは少し疲れたといって一度会議を解散させ、時間を指定してまた集まるようにと指示を出した。そして多くの者が退席した会議室で目頭を右手で揉みほぐし、目の疲れを取る。

「キリマンジャロが陥落すれば、地上のティターンズは終わる。そうなる前に戦線を押しもどさなければならんが、それだけの戦力を何処から捻出するか」

 コーウェンが足を止めたのは補給が続かなかっただけに違いない。幾ら連邦といえども無限の補給能力を持っているわけはなく、何処かで息切れする。アーカットがそこまで読み切って兵を下げたのかは分からないが、アーカットの考えた防衛ラインは連邦の攻勢限界点ギリギリに敷かれた絶妙な物だったのだ。
 だが、連邦はジャブローからすぐにまた膨大な物資を運んでくる筈だ。弱体な海軍しか持たないティターンズには制海権を押さえる事が出来ず、これを阻止する手立ては無い。今頃ジャブローから出港した輸送船団がタラント辺りを目指して大西洋を東に向かっているかもしれないのだ。
 これを何とかする最善の手は、ティターンズが何処かで連邦軍に圧倒的な勝利を収めることだ。そこで敵の負担を増大させ、物資をそちらに振り向けさせれば良い。そうすれば戦力の建て直しは後れ、アーカットに時間が与えられる。

 ただ、ティターンズがそう考えている時には敵も動いている物だ。今頃欧州とは別のところ、極東で連邦軍が動き出しているかもしれない。極東にはあの秋子の両腕、マイベック・ウェスト准将とシアン・ビューフォート中佐が居るのだから。





 この連邦の勝利に困っていたのはティターンズだけではない。ネオジオンも同様に悩まされていた。地上で連邦軍が勝ったという事は、宇宙に対して目を向ける余力が出てきかねず、そうなったら連邦軍は圧倒的な軍勢を投入して自分たちを押し潰しに出てきかねない。
 キャスバルはこのティターンズの敗走がどれほどの影響を及ぼすかについて軍部に報告を出させ、そして絶句してしまった。欧州全土からその周辺にまで勢力を拡大した連邦軍はアフリカとアジアにティターンズを分断し、各個撃破によってティターンズを掃討しに出てくるのは間違いなく、それによって負担が減れば地上軍に向けられているジャブローの膨大な生産力が宇宙へと向けられる事になり、それは連邦宇宙軍を飛躍的に強化する事になるだろう、と言ってきたのだ。
 この報告を寄越したのはネオジオン軍の情報部で、デラーズの息のかかっていない部署であるから報告はそれなりに信頼できる物だったが、それがかえってキャスバルを落ち込ませていた。

「どう思うハマーン、この報告書を?」
「どうもこうも無い、分かりきった事を羅列しただけの物だろう?」

 キャスバルの補佐官に復帰したハマーンは報告書に目を通してつまらなそうに答えている。こんな内容は報告書で貰わなくても、ちょっと現実を理解できる程度の頭があれば予測できる事だ。
 残念ながらネオジオンは連邦軍はおろか、ティターンズとさえまともにやりあう力を持ってはいない。現在ネオジオンが存在していられるのは連邦とティターンズが共にネオジオンを脅威と感じていないからであり、その気になられたら一息で揉み潰されてしまうだろう。
 そもそもネオジオン内部は対立が激しすぎる。連邦はコーウェンの指導の下に概ね纏まっているし、ティターンズも内部対立こそあるものの、ジャミトフには多くの者が忠誠を誓っている。だから両者は激しく激突していられるのだ。
 だがネオジオンの基盤はかなり脆い。キャスバルは絶対的な指導者ではなく、単に最大派閥の長という程度でしかない。その指導力はコーウェンにも及ばないほどだ。ミネバを擁しているという点で政治的にはかなり優位に立ってはいるが、それでもデラーズたちの蠢動を押さえ込む事は出来ないでいる。
 加えてMSの問題があった。連邦宇宙軍の装備が前線に限ってはほぼ第2世代機への移行を完了してしまい、MSの性能的な優位が崩されてしまっているのだ。頼みのザクVはどんな連邦量産機が相手でも打ち勝つ事が可能だが、これとて数で来られたらどうにもならない。これ以下のドライセンやガ・ゾウム、ズサ、ゴブリンではゼク・アインやストライカーには手を焼かされている。そしてこれ以前のガザ系列機やシュツーカではジムVの相手が手一杯という有様なのだ。

「巡洋艦の量産はM級が全力生産に入っているから不足分を補えそうだが、問題はMSだな、ザクVは高くつきすぎる」
「ドーガはどうしたのだ、開発は進んでいる筈だろう?」
「ザクVのデータを加えて性能向上を図っているところだ。それまではゴブリンの生産数を増やして数の不足を儀なう他に手は無いだろう」
「ゴブリンか。あれも悪くは無いが、あまり良いとも言えんな。ジムV相手ならば十分だろうが……」

 ハマーンは先のコロニー落しの指揮で連邦軍の手強さを間近で確かめ、味方のMSに対する信頼が過信であった事を確認している。ドライセンやガ・ゾウムは連邦軍のゼク・アインやストライカーに押されていたし、ジムV相手でも圧倒できた訳ではない。
 いや、何よりもハマーンを驚かせたのは連邦軍の戦い慣れた動きだ。連邦軍のMSも艦隊も実に機敏に動いており、性能で勝る筈の自分たちのMS隊に対して互角に戦って見せた。性能の差を彼らは戦術で補っていたのだ。それはネオジオンのパイロットたちの能力が総じて連邦軍に劣っている事を示している。それはハマーンにとって屈辱であったが、否定できない事実でもあった。

「ネオジオンには優れたパイロットが少ない。特に問題なのが戦場で部隊を纏める指揮官の不足だな」
「その辺りはどうにかするしかあるまい。旧ジオン共和国からの移籍組みはどうなっている?」
「残念だが、あれは無理だ。ネオジオンの将兵がジオン共和国上がりの士官に従うのを拒否しているからな」
「ジオン共和国は裏切り者、という扱いだったからな」

 ジオン共和国の士官に対するネオジオン士官の優越意識は目に余るものがあったが、それが指揮系統にまで影響を及ぼしているのだ。ジオン共和国にはジオン公国時代に活躍した優秀な人間が多数在籍していたのだが、そういった人材を生かす事が出来ず、多くが嫌気が差して野に下ったり、レジスタンスに身を投じているのが現状だ。
 中には早々にネオジオンに見切りをつけてサイド3を脱出し、連邦軍に参加した者も居る。連邦軍にはジオン共和国の亡命艦隊があり、これに参加しているのだ。水瀬秋子はジオン共和国にそれなりの配慮をしてくれているようで、彼らの待遇は良いとは言えないが、決して差別を受けるというものでは無いらしい。またサイド3内に多数潜伏しているレジスタンスへの支援も行っていると考えられていた。そのパイプ役を果たしているのがネオジオン内の旧共和国の軍人たちだと言われている。

「どうするのだ総帥、このままでは作戦行動に重大な支障をきたすぞ」
「分かっているが、今は何も出来んだろう。デラーズ総長の影響力は排除できんからな」
「デラーズか、優秀な軍人だが、それだけに厄介だな」

 エギーユ・デラーズ参謀総長、彼はかつてデラーズフリートを率いて地球にコロニー落しを敢行したデラーズ戦役の首謀者であり、1年戦争ではギレン・ザビの親衛隊として活躍した人物だ。
 だが、それだけにネオジオン内での人気も凄まじく、デラーズを支持する将兵の数はキャスバルと言えども無視は出来ない。勿論自分に従うダイクン派とハマーンに従うカーン派を合わせればデラーズの纏めるザビ派を上回る数になるのだが、それでもやはり無視は出来ない。現在のネオジオンがどうにか纏まっていられるのは、ドズル・ザビの忘れ形見であるミネバ・ラオ・ザビに対する将兵の派閥を越えた忠誠なのだ。
 ただ、ネオジオン内にはもう1つの奇妙な噂が流れていた。それはデラーズが従っているとしか思えない態度を見せる青年士官、グレミー・トトに関する噂である。グレミーはザビ家の血を引いている、ギレンの妾腹の子であるというものだ。勿論事実は不明であるし、キャスバルもハマーンも真相までは知らない。だがあのデラーズが立てていることから、その噂は概ね真実であると思われている。
 そして、その事がネオジオン内に新たな不協和音を呼び起こしていた。もしグレミーがザビ家の血筋ならば、ミネバではなくグレミーを推す声が高まるのは必然であり、それは新たな脅威を生み出すのは間違いないからだ。

「皮肉な話だな。我々が後ろから援助してエゥーゴを成立させて、ティターンズと対立させて連邦の疲弊を狙っていたというのに、結果的にそれが連邦内部の膿を出して団結を強化する事になるとは」
「構想自体は間違っていたとは思わんな。連邦を分裂させて疲弊させる、というプランは一応成功していた。ただ、連邦の力が此方の予想を遥かに上回っていたのは誤算だったが」

 ティターンズとエゥーゴが抜けて弱体化した後の連邦軍でも、尚3勢力を同時に相手取れてしまうほどの力を連邦軍は持っていたのだ。何しろ1年戦争、ファマス戦役と戦乱が続いていた地球圏では未だに軍事力による治安確保が重要視されていて、ファマス戦役の頃の軍備を維持していたのである。それは多少裏切り者が出たくらいでは埋め合わせがつかないほどの圧倒的な物量で、反逆した勢力も含めて連邦軍を攻め切れなかった。
 そして戦線は膠着し、今では長い消耗戦に入ってしまっている。この間にも連邦軍はその巨大な生産力で大軍を整備しているのだ。
 そして悪い事に、エゥーゴは既に崩壊寸前になっているとアヤウラが報告を寄越しており、遠からず月は連邦に占領されるだろうという予想まで送ってきた。

「エゥーゴが崩壊する、か」
「私はアヤウラにエゥーゴ内部の人材に声をかけてこちら側に引き込めと命令してあるが、果たしてどれだけが此方に流れてくるか。連邦にもかなりの数が行くだろう」
「あのジョニー・ライデンなども居るのだろう。彼らは是非とも欲しい」

 ハマーンはエゥーゴに居る旧ジオン系の軍人がこちらに戻ってくれる事を期待していたが、キャスバルは少々複雑であった。絶対に無いと思うのだが、もしあの男が此方に来たらどうしようかと悩んでいたのである。

「アムロ、お前は今何をしているのだ?」

 1年戦争、そしてファマス戦役と戦ってきたライバルの顔を思い出し、あの男が今何を考えて、何をしてるのだろうかと考えてしまった。1年戦争で敵対したあの最強のNTは。
 アムロのことを思い出したキャスバルは、いつか決着をつけたいものだと思いながらすこしの間過去に思いを馳せていた。あの頃は気楽だったと思いながら。




 地球圏の勢力図は確実に変わろうとしている。エゥーゴが瓦解した時、それはこれまでの微妙なバランスが崩壊する時だろう。そして戦線が1つ減った連邦軍は、ティターンズとネオジオンのどちらかに必ず反攻に出てくるだろう。それはもう遠い先の話ではないと思えた。




後書き

ジム改 エゥーゴの命運、いよいよ極まる。
栞   まあ連邦とティターンズが激突した瞬間から存在意義を無くしてますしねえ。
ジム改 ブライトたちも連邦の方が良いだろうしねえ。
栞   ところで、次回は地上戦ですか?
ジム改 祐一が主役だからな、メインの舞台は祐一が居るところだ。
栞   となると補給が積み上がってまたアレクサンドリアですか。
ジム改 次はちゃんとした地上軍で攻めるから、そこそこの大軍が揃うぞ。
栞   でも祐一さんに使いこなせますかねえ?
ジム改 その為の北川と佐祐理だ。次回はお前とあゆにも頑張ってもらうぞ。
栞   え、私も指揮官ですか!?
ジム改 おう、部隊1つを任す事になる。出世もあるぞ。
栞   おお、万年少尉かと思ってました。
ジム改 お前ら、功績と経験の割りに出世して無いからな。名雪も中尉だし。
栞   仕方がありません、この時代は中尉でも戦闘隊長を務められる時代ですから。
ジム改 ジェリド中尉、エマ中尉、か。
栞   クワトロ大尉とかヤザン大尉、シロッコ大尉なんて例もありますよ。
ジム改 階級低いよな。
栞   1年戦争で枯渇したんですよ、きっと。
ジム改 まあそうなんだろうねえ、士官はすぐに消耗するし。それでは次回、戦力を補強されて再びアレクサンドリアに挑戦する祐一。対するティターンズはここを防衛しようと野戦を挑んでくるが、それは祐一たちに有利な勝負を挑む事になる。だが、その戦場であゆたちは恐るべき敵とぶつかる事になる。次回「強化人間」で会いましょう。
栞   とうとう出てきましたか、ティターンズの切り札が。