第82章  鷹の獲物


 

 ネオジオンのコロニー落とし作戦を阻止した後、ティターンズは連邦軍の反撃が開始された地上に援軍を送り込みつつ、宇宙軍の再建を続けていた。この間はティターンズと連邦の間には目立った激突は無く、宇宙での戦闘はコンペイトウを巡る連邦とネオジオンの消耗戦が大半となっている。エゥーゴは小規模な部隊が動いている程度で此方にはもう戦意も戦闘力も残っていないようだ。
 そんな中でティターンズはじっと戦力を蓄え、その力を月に向けて解き放とうとしている。連邦との戦いでも大きく消耗はしていない強大な宇宙艦隊と新型MSを揃え、ますます強大になって長年の敵手であったエゥーゴを叩き潰そうというのだ。
 グリプス2はコロニーレーザーへの改造に着手されており、グリプス1とは切り離されて内部の大規模な改修が進められている。元々計画だけは存在していたのだが、連邦軍がソーラーシステムUを使用したのを見て対抗上必要と判断されたのだ。あれはかなり自由度が高い為、何処に展開されるか分からないという点で大きな脅威となる。何しろコントロール技術が進めば射程が更に伸びる上にその威力はコロニーサイズの建造物を瞬く間に消し去ってしまうほどなのだから。
 このグリプス2の状況を視察していたジャミトフは、背後に控えているバスクに1つの問い掛けをした。

「バスク、この戦争、勝てると思うか?」
「どういう意味でしょうか?」
「そのままの意味だよ。連邦の力は強大で、我々の力では抗し難い。そして水瀬やコーウェンは私の想像を超えて恐ろしい相手であった」
「お気の弱い事を、まだ我々は健在です。宇宙艦隊もこの通り、連邦に劣る物ではありませんぞ」
「……ザビ家の者どもも、最初はそう思っておったのだろうな」

 ジャミトフはサイド7宙域に集結しているティターンズ艦隊を見て、そう呟いた。目の前にはティターンズの主力艦隊、およそ100隻が集まっている。これがティターンズが月の攻略の為に用意した攻略艦隊であり、エゥーゴを圧倒するに足る兵力であると考えられている。
 だが、もし連邦軍が妨害に出てくればどうなるか。これと同規模の艦隊をティターンズはもう出せないが、連邦は出すことが出来る。もし迎撃に出てこられたら自分たちは戦わずに引き返すしかあるまい。連邦は相打ちになっても別の艦隊を用意できるが、ティターンズに2の矢は無いのだから。

「今にして、私にはジオンの気持ちが理解できる。無限の回復力を持つ敵と戦うというのは、これほどに辛いものだったのだな」
「閣下……」
「バスク、覚えておくのだ、この戦争に我々の完全な勝利は無いのだと。我々はどこかで連邦と妥協せねばならん。最初の一手で押し切れなかった時点で我々の完全勝利は無くなっていたのだよ」
「閣下は、連邦との講和を考えておいでですか?」
「うむ。私はこの戦争であの青い星から人間を一度排除し、自然環境の再生を図りたいと考えていた。この戦争に勝利すればそれが可能だったが、それももう望めまい」

 ダカールを飲み込もうとする砂漠、絶滅していく生物、コロニー落としがそれを更に加速した。あの人類の故郷は一度休ませなければ、本当に荒れ果てた死の星になってしまうかもしれない。それを恐れたジャミトフは、結果的にエゥーゴと同じ考えを持つに至った。人類全てを宇宙に上げ、地球を自然の回復力に委ねようと。
 勿論そこにはエゥーゴのようなNTへの覚醒を期待するなどという発想は無い。ジャミトフにとってNTなど唯のミュータントだからだ。だから彼は強化人間にもそれほど積極的ではなく、それらはバスクに任せていた。

 視線を再びグリプス2に戻してじっと見ているジャミトフ。そんな彼の背中にバスクは控え気味に時間が来ていることを告げた。

「閣下、そろそろお時間です、グリプス1に参りませんと」
「……もうそんな時間か。分かった、やってくれ」
「は、ドゴス・ギアを出します」

 バスクが敬礼して部屋から出て行く。扉が閉じる音を背後に聞きながら、ジャミトフは視線を月へと向けた。

「ブレックス、長い戦いだったが、これでケリがつくな。だが今となっては貴様を倒す事に意味があるのかどうか」

 かつて、エゥーゴとティターンズは地球の次の時代を決める戦いを続けていた。この戦いでティターンズが勝利すれば、自分の目指す次の時代が来るはずだったのだ。恐らくはブレックスもそう思っていたに違いない。だが何処かで間違えた。ジャミトフはエゥーゴに対して圧倒的優位に立つために連邦軍を招きいれ、その力を利用してエゥーゴを叩き潰すつもりであったのだが秋子やコーウェンといった中道派に邪魔され、主導権を握れなかった。これが躓きの始まりだったのだ。
 主導権を取り戻せなかったティターンズはこのままではエゥーゴ打倒の功績を連邦軍に奪われてしまうと焦った。エゥーゴが連邦軍の手で倒されればスペースノイドにつけた鈴だった筈のティターンズの存在意義が疑われ、解散に追い込まれかねなかった。それを危惧したティターンズは倒すべき敵だった筈のエゥーゴと裏取引し、彼等を暫し生かすと共に連邦政府をクーデターで打倒し、一気に地球圏を掌握してしまおうとしたのだ。
 その為にエゥーゴを利用して連邦宇宙軍主力を地球周辺から遠ざけ、これの撃滅も試みたのだ。だが地球でも宇宙でもティターンズは連邦軍を攻めきれず、膠着状態になってしまった。後はかつてのジオンのように連邦軍の膨大な生産力に物を言わせた戦力再建に付いていく事が出来ず、ティターンズは劣勢に立たされている。
 この先に何が待っているのか。それを考えたジャミトフは、かつてはギレン・ザビもこんな気持ちで居たのだろうかと過去に思いを馳せていた。




 グリプス1、かつてはグリーンノア1と呼ばれていたコロニーにジャミトフを含むティターンズの主要幹部が集結していた。彼等はティターンズの本部となっているグリプス1司令部ビルの会議室に集まり、そこでジャミトフから月攻略作戦を聞かされていた。
 だが月攻略と言われた諸将は困惑を隠せなかった。全員の困惑を代表するようにキリマンジャロから上がってきたハムリン・アーカット中将が発言を求め、ジャミトフに今必要な作戦なのかと疑問をぶつけてきた。

「今のティターンズは連邦の攻勢を持ちこたえる為に守りに入っています。この状況で月を攻める必要があるのでしょうか。既にエゥーゴは形骸化し、何ほどの脅威でも無いと思うのですが?」
「同感だな、今はアフリカ北部とウクライナに加えられている連邦軍の攻勢を食い止め、押し戻すほうが先決だと私は思う」

 アーカットの発言にブライアン・エイノー中将が賛意を示す。この2人の発言にバスクが不快感を示したが、流石に歴戦の勇将と誉高く、格で勝るエイノーを怒鳴りつけたりは出来なかった。立場的にはバスクのほうが上位であったが、エイノーには逆らいがたい風格があったのだ。
 この2人が反対に回った事で会場は騒然となった。宇宙軍の実戦部隊のTOPと地球軍のTOPが揃ってジャミトフの意向に逆らうというのはこれまでに無かった事であるからだ。そしてジャミトフは2人の反対を受けても特に顔色を変えることも無く、じっと目を閉じて考え込んでいる。
 これが2人の意見を無視している訳ではなく、他の意見を待っている態度である事は周知の事だったのですぐにジャマイカン大佐が発言してきた。

「お言葉ですが、現場ではエゥーゴの脅威が無くなったとは考えておりません。彼等が投入してきているMSは強力であり、特に前線の主力MSとなってきているネロに我が軍の主力であるバーザムでは苦戦を強いられています」
「それだけではありません。エゥーゴは少数とはいえ高性能なガンダムタイプのMSも繰り出してきております。Z計画機の発展型のようで、我が軍のTMSでは対抗できません」

 ジャマイカンと同じく前線で活躍しているガディ・ギンゼー中佐もこれを援護した。バーザムやマラサイを主力とするティターンズMS隊はジムV主力の連邦軍とは互角以上に戦えるが、少数とはいえ高性能なネロを投入してくるエゥーゴには手を焼いているのだ。さらにZZガンダムやSガンダムといった超高級機、ZプラスといったZガンダムの量産型の登場で頼みのTMSやTMAも劣勢に立たされ始めている。
 この現実を知る前線部隊の指揮官たちは将軍や提督たちの意見に異論を唱えたが、今現在窮地に陥っている地球の戦線を見捨ててまで今現在平穏が保たれている宇宙に兵力を向ける必要があるのかと彼等は言い返した。

「今地上では連邦の大攻勢が始まっている。これを押し戻さねば、ティターンズは地上から叩き出されるのだぞ!」
「その為にグーファーは地上に優先配備されているではないですか。宇宙軍はマラサイをバーザムに更新することも出来ないのですよ」
「地上ではジムUやハイザックまで前線に投入している。グーファーの性能でどうにか数の差を埋めている状況なのだ」

 ジャマイカンたちは地上軍がグーファーの大半を持って行っている事が不満であり、その怒りは宇宙軍全体に広まっている。だが地上ではグーファーとTMAのシュツルムイェーガーが火消し役となって戦場を駆け回っているからどうにか持ち堪えているという現実もあった。そうでなければ連邦軍の圧倒的な航空優勢に支えられた物量任せの陸軍の攻勢にティターンズは対抗する事は出来なかっただろう。最も、シュツルムイェーガーの優位は連邦軍の新型TMS、Zプラスの数が増えるに従って崩れてきていたが。
 この不利な状況を覆す為にティターンズが進めているのがサイコガンダム計画で、キリマンジャロで進められている量産試作型がロールアウトすれば大きな力となる事が期待されている。これの準兄弟機とも言うべきガンダムmk−Xは結局連邦軍で量産され、ティターンズでは少数配備に留まったのだが、これで得られたデータはキリマンジャロに送られており、更に小型化する事に成功している。配備されればエゥーゴのZZ級の火力を持つ25m級量産型MSとして連邦軍の脅威となるだろう。ただ、大型で重いので運動性は最悪であり、地上での運用はあきらめて宇宙専用機とした方が良いのではないか、という意見も出ている。
 しかし、これはまだ試作機がキリマンジャロの試験場を走り回っている程度の機体だ。当面の戦線を維持するにはやはりグーファーの存在が欠かせない。可変機は確かに便利であるが数を揃えるのが大変であるし、パイロットの育成にも時間がかかる。そして何より整備性が悪すぎて数が揃うとそれだけで大変な負担となる。これらの問題から実際に戦場で頑張るのは第2世代MSという事になり、その頂点に立つグーファーはティターンズにとって最も頼れるMSなのだ。


 だが、グーファーは地上に優先配備されていて宇宙には少数しか回ってこない。これでエゥーゴを叩けるのだろうか。頼みのサイコガンダムmk−Uは連邦軍の地球への効果作戦のおりにあのしおりん軽騎隊との戦いでGレイヤーに撃破されてしまったし、もし連邦軍が阻止行動に出てこれば此方が撃破されかねない。
 それに月面攻略に部隊を出した後に連邦軍がグリプスやルナツーの攻略に乗り出したらどうやって対処するのかなど、問題は山積している。現在の平穏は戦力的な膠着状態が生み出している物で、このドミノがどこかで崩れれば連鎖的に各地で戦闘が生起するかもしれないのだ。
 これらの数々の問題を前に、ジャミトフは懐から一枚の封筒を取り出して机の上に置いた。

「閣下、これは?」
「うむ、アナハイムのメラニーからの親書だ」
「メラニー・ヒュー・カーバインですか?」
「奴はエゥーゴがもう使えぬことを見越して、私に和解を打診してきおった。エゥーゴを切り捨ててアナハイムを守るつもりなのだな。まあ、先の連邦軍の月面攻略作戦に際しても我等と取引しておるし、相変わらず食えぬ男よな」

 メラニーはジャミトフの士官学校の同期生であったが、任官拒否して野に下ったという経緯がある。その後に経営者として成功を遂げており、その男が間接的に自分の敵になったという事実はジャミトフに因縁のようなものを感じさせている。
 アナハイムがエゥーゴの後援者であることは周知の事実であり、それ以外にも多くの企業がエゥーゴに出資している。だが彼等は思想的にエゥーゴに傾いていた事は確かであったろうが、彼等と心中するつもりまでは無かったようでこうして生き残りの道を探し出している。
 だが、彼等の未来は決して明るくは無い。地球では有名なルオ商会などが連邦への関係改善に乗り出したらしいが、連邦政府もコーウェン将軍もまともに取り合っていない。彼等にしてみればエゥーゴ関係者はこの戦争の発端を作った犯罪者であり、今更関係改善など冗談ではない、という事なのだ。
 そしてジャミトフは驚きを隠そうともしない部下たちに苦笑を浮かべながら裏の事情らしきものを口にした。

「まあ、メラニーもいきなり私にこんな物を寄越した訳ではあるまい。恐らく最初は連邦政府なり水瀬なりと接触したのだろうが、失敗したのだろうよ」
「連邦はアナハイムを許すつもりは無いと?」
「無いだろうな、私が連邦の立場ならこのまま叩き潰すことを選ぶ。アナハイムの技術力は確かに魅力的だが、将来の禍根となる事が予想できる以上あのままにはしておけんだろう。一度解体してしまうのが妥当というものだ」

 シロッコの問いにジャミトフは真面目な顔で答え、それを聞かされたシロッコは何やら考え込んでしまう。そしてバスクがどうするつもりなのかをジャミトフに聞いた。

「それで閣下、アナハイムの提案、どうなさるおつもりですか?」
「私はブレックスを仕留められるならアナハイムは存続させても良いと考えている。奴等の技術力はこの戦争遂行には役に立つだろうからな。だが、お咎め無しというほど甘くも無いつもりだ」
「つまり、アナハイムの解体を行うのですな?」
「奴等は力を持ちすぎておる。そういう意味では私も連邦と同じだよ、不安要素を残しておくつもりは無い」

 アナハイムは潰しておく方がいい、という点ではジャミトフは連邦と共通した考えを持っている。ただ違うのは、ジャミトフは戦争が終わるまでは生かしておこうと考えているという点だ。ただでさえ連邦軍と戦いが大変なのに、余計な敵を増やす必要は無いのだから。

「さて、アナハイムが此方に下るとなれば、相手にするのはブレックスに従う連中だけとなる。これならば今グリプスに集まっている部隊だけでも十分にエゥーゴを攻略できると思うのだが、どうかな?」
「それでしたら、確かに」

 こういわれてはジャマイカンもガディも反対はしなかった。敵に回るのはエゥーゴの極一部、ブレックスに従う一派だけだというなら勝つのはそう難しくは無い。数で圧倒すれば良いのだ。
 ただ、やはり連邦の動きだけはどうしても気にかかる。サイド5を中心とする連邦軍はだんだんと巨大化しながら各方面に大軍を展開させるようになってきており、ルナツーとサイド6方面に1個艦隊ずつが常に展開しているようになっている。これではサイド5に奇襲をかけるこも不可能なので、ルナツーの部隊で牽制するくらいしか出来ないだろう。
 ただ、フォスターUにある数個艦隊の動きだけは拘束できないので、ティターンズの気苦労は絶えない。


 結局、この会議では地上に対する戦力配分の増加と月に対する攻勢に出る事が決定され、ルナツーとサイド6は暫くの間警戒を強化する事になった。この会議の終了後、シロッコは会議中ずっと無言で存在を忘れかけられていた来栖川芹香とリーフのアクアプラス級グエンディーナでジュピトリスに戻ろうとしていた。

「いや、すいませんな来栖川殿、シャトルでよかったのですが」
「…………」
「気になさらないで下さい、とお嬢様は仰っております」
「ですが、今日の会議では来栖川の目的に適う方向に事態が動きましたな。おめでとうと言わせていただきますぞ」
「…………」
「別に喜んでいる訳ではないのですが、と仰っております」

 その芹香の言葉、と言って良いのかどうかかなり疑問が残るが、芹香の言葉にシロッコはどういうことかと首を傾げた。来栖川は巨大化したアナハイムの打倒がティターンズに協力した目的の1つではなかったか。その事を疑問に思って聞き返すと、芹香はアナハイムを倒せても世界が戦乱状態に置かれていては意味が無いと答えた。市場を奪った簒奪者を滅ぼせたとしても、その市場を取り戻せなければ何の意味も無いのが企業というものだから。
 そういう意味では来栖川の狙いもこの戦いが全面戦争に至ってしまった時点で崩壊していると言って良い。ジャミトフにとってはこの戦争は地球圏の覇権を握って地球を救う為の手段であったが、来栖川にとっては失った市場を取り戻す事にあったのだから。
 そして芹香はシロッコに木星師団からの技術提供に対して礼を言い、スティンガーに続く次の商品が完成しそうだと告げると、シロッコは満足そうに笑みをこぼして頷いた。

「そうですか、ジ・Oのデータが役に立ちましたか」
「…………」
「お約束した新型機もロールアウトしました、と仰っております。必要でしたらすぐにジュピトリスにお送りいたしますが」
「それは助かる。やはり自分で乗る機体は自分で調整を行いたいのでね」
「ですがシロッコ殿、貴方は何処であのような物を。サイコミュはまだしも、遠隔操作通信システムなど、連邦軍やティターンズでさえまだ試作品レベルの筈ですぞ。あのような技術を有しているのは、ネオジオンしかない筈では?」
「そこまでお分かりでしたら、無用な詮索だと思いますが、長瀬殿?」
「……失礼しました」

 シロッコがネオジオンと通じているとしても、それは別に来栖川には関係の無い事。確かな事はシロッコを通じて来栖川はサイコミュ兵器の資料を得る事が出来、そこから来栖川独自のサイコミュ兵器の開発がスタートしたということだけだ。
 やがてグエンディーナはジュピトリスの近くで停止し、シロッコはジュピトリスに移乗するべくランチのある格納庫に芹香たちと一緒に移動した。そこでシロッコは芹香に見送りの礼を言ってランチに乗り込もうとしたが、そこで芹香がシロッコに謎めいた問い掛けをしてきた。

「シロッコ様、貴方の求める未来は、人々の理想なのでしょうか?」

 この問いにシロッコは足を止めて考え込むような顔をしたが、内心の葛藤を誤魔化すように小さく笑うと、首を左右に振った。

「さあ、どうでしょうな。ですが私はそれが正しい道と信じてはいます。世界は女が導くべきだと」
「そうですか」
「私は貴女にも興味があるのですよ。貴女は良い力を持っておられる、私の考える世界には貴女のような方が必要かもしれないと考えているのですよ」

 シロッコは魅力的な笑みを浮かべると過剰なほどの恭しい仕草で一礼し、ランチに乗り込んでいった。それを見たセバスチャンが芹香を連れてエアロックに移動し、窓から出て行くランチを見送る。

「シロッコ殿はお嬢様のお力に気付かれておられたようですな」
「あの方は私や琴音さんと同じ力を持っています。ですが、それが良い方向に向くかどうかは……」
「お嬢様でも分かりませぬか?」

 セバスチャンの問いに芹香は首を左右に振った。NTとして高い能力を持つ彼女だったが、シロッコの考えを完全に読めているわけではない。というか、シロッコは強烈な野心を持っているので、共感してしまうと芹香の負担が大きすぎたのだ。
 芹香の見立てではシロッコは決して悪人ではない。野心が強く唯我独尊の気がある危険な男であるが、乱世の奸雄とでもいうのか、強烈なカリスマと優れ才幹を併せ持ち合わせ、世界を自分の望む形に作り変えようと望んでいる。ある意味ギレン・ザビに近いと言えるかもしれない。
 彼は危険だ、芹香はそう思っている。そういう意味では彼が技術提供の代わりに建造を求めてきた新型MSを提供するのは拙いのかもしれない。だが、企業倫理もあるので受注した商品を引き渡さないというのも問題であり、シロッコへの引渡しは滞りなく行われる事になる。
 それはシロッコが設計した4番目の機体、PMX−04タイタニアと言った。





 ティターンズが月面への侵攻を企図している。その事はすぐにエゥーゴにも察知された。何しろグリプスに大軍を終結させたので目立ったのだ。だがその戦力規模は連邦を攻めるには中途半端であり、サイド3に向かうほどの補給部隊を伴っているわけでもない。では何処を狙うのかと言えば、候補は1つしかなかった。
 この動きに気付いたブレックスはフォン・ブラウンでエゥーゴ全部隊に警戒配置を命じたが、この命令に対して従う部隊と従わない部隊が出てきた。ブレックスに従う部隊は所定の配置に移動していたのだが、アナハイムに忠誠を誓う部隊は所属する都市の防衛配置についてティターンズを迎え撃とうとはしていない。
 そして奇妙な動きを見せているのがグラナダだ。ここにはネオジオンの部隊がエゥーゴと一緒にいる筈なのだが、どうにも前からここの様子はおかしかった。すでにネオジオンに取り込まれていたのかもしれない。
 部隊を配置を終えたブレックスはロンド・ベル隊のブライト大佐と主力を束ねているヘンケン大佐を呼び出してこの状況を説明し、注意するように促していた。

「エゥーゴ全体の動きがおかしい?」
「ああ、どうにもキナ臭い。戦場で鍛えた勘とでも言うのかな、嫌な予感がしてならんのだ」
「アナハイムが俺たちを裏切る、そんな事がありますかね?」
「私も信じたくは無いがな。ただメラニー会長とティターンズが何らかの接触をしていたのは確かなようだ。認めたくは無いが、最悪の事態を想定して行動しよう」

 3人は自分たちがもはや孤立しているということを自覚していたが、それでもいざこうしてそれが突きつけられればやはり信じられない気持ちにさせられた。ティターンズの横暴を口止める為に結成された筈のエゥーゴが、守るべきスペースノイドに見限られたばかりか、裏切られる事になるとは。
 ヘンケンは何ともやり切れないという顔で頭を振り、ブライトはまたかと右手で顔をさえている。ブライトはある意味諦めの局地な気もするが、すぐに2人は気を取り直すとこれからどうするのかとブレックスに聞いた。

「どうすると言われてもな、もうどうしようも有るまい。今動いている部隊だけでティターンズの侵攻軍を食い止められると思うか?」
「まあ、歯が立たんでしょうな。最後の一花を咲かせるくらいは出来そうですがね」
「……自分で決めさせますか。残るか、出て行くかを。エゥーゴという看板に未練の有る奴も少ないでしょうし」
「そうだな、寂しい限りだが、エゥーゴはもう役目を終えたのかもしれん。残る者はフォン・ブラウンに集めさせてくれ。月に残りたいならエアーズなりにバスで出て行かせればいい。連邦に下りたいという奴等は、ブライト君に任せるとしよう」
「私にですか?」

 自分に脱出組みを束ねろと言われてブライトは面食らった顔をしていたが、ブレックスは真面目な顔で頷いていた。

「任せるよ、ロンド・ベルが行くと言えば付いてくる奴も多いだろうしな」
「ネオジオンに行きたいという奴はどうします?」
「グラナダに脱出させればいい、拾ってもらえるだろう」

 ヘンケンの問いにブレックスは投げやりに答え、それにヘンケンはやれやれと肩を竦める。ようするに生き残る道は自分で決めろというわけだ。無責任と謗られそうであるが、アナハイムという後ろ盾を無くし、月面都市からも追い出されそうな自分たちではもうそれしかないだろう。
 せめて使える装備はもっていかせて取引材料とすれば良い。MSなり戦艦なりを持参すればネオジオンも連邦も嫌とは言うまい。それに秋子なら助けを求めれば無碍に断るとも思えない。
 方針が決まった事で3人は何だか疲れた顔をした。これまでやってきた事はなんだったのか、そういう無力感が3人を包んでいたのだ。
 そして暫くして、ブライトが躊躇いがちに口を開いた。

「ところで准将、貴方はどうなさるのです?」

 この問いに対して、ブレックスは少しだけ晴れ晴れとした顔になった。

「決まっている、最後までここで戦って時間を稼ぐさ」
「共に連邦に落ち延びるという道もありますが?」
「いや、私ももう疲れた。1年戦争からはや10年近く、そろそろ家族に会いたいのでね。最後くらいは我侭を通させてくれないか?」

 自分はエゥーゴと共に滅びる、そう言うブレックスに、ブライトとヘンケンは何も言わず、無言の敬礼を残して通信を切った。それがブレックスの選んだ道だというのならば、仕方があるまい。




 どうするかは自分で決めろ、それを上司から相談されたエゥーゴの高級仕官たちは最初困惑し、そしてすぐにどうするかという話し合いが彼方此方でおきた。今更連邦に下るのか、ジオンなんかに行けるか、そんな悩みを抱えている者が多いのだ。そんな中でトルクは舞やクラインとこれからどうするかを話していた。

「舞、俺たちはどうする。秋子さんに頭下げて入れてもらうか?」
「……ジオンに行く気にはなれないから、私にはそれしかない」
「まあ俺も折原たちのツテがあるから、そっちに同行させてもらうけどよ。でも良いのか、トルクはジャンク屋に戻るって手もあるし、川澄もそれに付いていけば良いのに」
「私は、ティターンズを倒すまでは止められないから」

 あの30バンチ事件の当事者である舞にとってはティターンズは到底許す事が出来ない相手であり、必ず打倒すると誓っている。だが、あの秋子が一度連邦に弓引いた者を寛大な心で許してくれるかと考えると、実は全然自信が無かったりする。秋子は連邦に仇なす者は徹底的に叩き潰そうとするからだ。ファマスの時は久瀬の主張に頷ける部分もあった為か、ファマスの敗残兵には秋子は寛大であったのだが、果たして同様の寛容を今度も秋子が示してくれるかどうか。
 まあ、殺される事は無いだろうが、相応のペナルティは覚悟しなくてはならないだろう。

「……秋子さん、余り怒らなければいいけど」
「まあ、謎ジャム1瓶も食べれば許して貰えるんじゃないの。三日三晩はうなされそうだけど」
「……祐一も言ってたけど謎ジャムって何?」
「俺も気になるな、何だそれ?」
「そっか、そういや舞は食った事無いんだな。まあ食べれば分かるさ、食べればな」

 何だか絶望を浮かべて不気味な笑いを浮かべているトルクに、舞とクラインは薄ら寒い物を感じて顔を見合わせていた。



 まあ舞とトルクはかつての仲間なので此方は問題が無い。クラインも仲間が向こうに居るのでそのツテで行く事が出来るだろう。連邦出身者の多くは舞やトルクのように連邦軍への帰還を望んでいる傾向があり、ジオンからの離脱組にもネオジオンではなく連邦に流れる者が出てきている。あの連邦に勝てるとは思えない者と、今のネオジオンはジオンではないと考える者が連邦に流れたのだ。
 勿論ネオジオンに流れる者もおり、そういった者は指定された巡洋艦に集まってグラナダを目指す事になる。人手不足のネオジオンならば喜んで迎えてもらえるだろう。
 また少数ではあるが月面都市に残りたいという者も出た。月面都市で結婚して家庭を持った者たちなどが中心で、軍から抜けて普通の仕事を探したいという者達だ。そういった連中はエアーズなどの連邦側の都市に逃げることになった。

 これらの一連の指示が速やかに伝達され、実行に移されたのはブレックスよりの部隊だけだったということもあるが、数が少なかったからである。今やブレックス派の艦艇は23隻程度であり、そのうち3隻のサラミスがネオジオンに合流する将兵を乗せてグラナダへと向かう事になり、そして連邦へと脱出する部隊はネェル・アーガマを中心に15隻が集まっていた。ブレックスはネェル・アーガマ級3番艦のルーファスを旗艦として5隻を纏めている。これがティターンズに立ち向かうエゥーゴ最後の艦隊だ。
 ここに集まっている艦隊はティターンズに精一杯の抵抗をした後、それぞれに身を処理する事になる。その中にはグラナダに行く予定の部隊を乗せている艦もあって、その中にジョニー・ライデン少佐やカミーユ・ビダン中尉の姿もあった。ライデンがカミーユを誘ったところ、カミーユが快諾してしまったのだ。

「カミーユ、今更なんだが、どうしても付いてくるのか。月に残るか連邦に行くかした方が良いと思うぜ。サイド7には幼馴染が残ってるって言ってただろうが。もしかしたらサイド5に逃げてる可能性もあるんだぜ」
「良いんですよ。今更連邦に付くのも何だか気に入りませんし、俺はジオンに特にしがらみは無いんで」
「お前も物好きだな、わざわざやばい方に付くなんてな」
「やばいのは月に残る方ですよ。それに、まだ負けると決まったわけじゃありません」

 カミーユは単に連邦が単に嫌いなだけではないのか、そうライデンは思ったが、これ以上彼の意思を変えようとはしなかった。自分たちに残された選択肢は余りにも少なく、カミーユはその中の1つを選んだに過ぎないのだから。ただ、カミーユはその中で最善の選択肢を自ら放棄したに過ぎない。
 もっとも、分が悪い方に付くと分かっていながらそれを選んだ自分も相当な馬鹿だと思ってはいたが。

「俺には負け犬が似合っている、のかな?」
「少佐?」
「いや、なんでもない」

 自嘲気味に呟いたライデンのぼやきにカミーユが何か言ったかと聞き返したが、ライデンはわざとらしくそれを誤魔化して視線をそらせた。もう後戻りは出来ないのだ。ならばこのまま駆け抜けるしかないではないか。



 

 ティターンズの動きとエゥーゴの動き、そしてネオジオンの奇妙な動きを連邦軍はすぐにキャッチしたが、この動きに対して秋子が取ったのはエアーズ市などの連邦側の月面都市に対する戦力の増派だけで、他には何もしようとはせずに従来の防衛線維持の姿勢を続けていた。
 エゥーゴが瓦解するのはもう時間の問題、という事は既に情報部からの報告でもたらされていたし、秋子たちの判断も同様の結論に達している。この件に関してどうするかを秋子はコーウェンと相談しており、こちら側の都市の防衛にだけは責任を持つがそれ以外に関しては放置という方針をあらかじめ確認してあったのだ。
 こういう事態には何時も動いてきた秋子が珍しく動かないのを不思議に思ったジンナ参謀長がこのまま放置していて良いのかと聞いたのだが、返ってきた秋子の答えは冷淡なものであった。

「必要ありません、エゥーゴとティターンズの抗争に連邦が口を挟む必要が何処にありますか?」
「ですが……」
「総司令部と話し合った結果で、大統領の了解も得ています。今回の双方の衝突は私たちには関係有りません。彼等が此方の勢力圏に入ろうとしたら、その時は容赦なく叩いてください」

 どうにも秋子らしくない、ジンナはそう思ったが、これ以上は何も言わずに秋子の執務室を後にした。そして廊下を歩いて自分の仕事に戻ろうとしたところで彼は斉藤とオスマイヤーの待ち伏せを受けてしまった。

「参謀長、艦隊の準備は整えましたが、どうでした?」
「今回は出さないそうだ。月は見捨てる」
「そんな、一気に敵の主力を始末する好機なんですよ」
「上層部と政府の決定だそうだ、仕方が無いさ。それに水瀬提督も今回はやる気が無さそうだし」

 部下たちはやる気で準備を整えていたのだが、秋子が動かないのではしょうがない。斉藤もオスマイヤーも残念そうな顔で仕方無さそうに戻っていくが、それを見送ったジンナもまた戸惑っていた。今の戦力なら動かない理由は無いはずなのだが、何故秋子は動かないのだろうか。一気に月周辺の制宙権を奪取する好機だというのに。

 ジンナも知らないことで阿多が、これは秋子本人が連邦に反逆した人間に対して無理に助けようという気持ちに欠けていたこともあったが、それ以上に連邦政府の意向が働いていた。連邦政府としては何とか行政機能の再建が進んだ事もあり、連邦軍に対する指導力を示そうとしていたのだ。
 連邦軍のTOPであるコーウェンはタカ派で知られる人物であるが、連邦政府の命令に逆らうような人物ではなかったおかげで政府の命令は尊重され、宇宙軍にも暫く積極的な動きはするなという命令が出されていた。これを受けて秋子も当面は攻勢作戦を見合わせることにし、余りやる気が無かったエゥーゴとティターンズの戦いへの介入も止めたのである。
 これがどういう結果をもたらすのか、それはまだ誰にも分からなかったが、連邦軍の動きが寄り分かりにくくなった事は確かであった。




後書き

ジム改 エゥーゴ滅亡決定。
栞   何もしないうちに瓦解してどうするんですか!
ジム改 アナハイムの裏切りは前から分かってた事だからねえ。人心の離反も起きてたし。
栞   しかし、ブレックス准将は残るんですね。
ジム改 彼にはもうやる気が無いからね。
栞   でも、一度は宇宙を4分した勢力なのに、消えるのは一瞬でしたね。
ジム改 一番存在意義が薄れて求心力無くしてた組織だからしょうがないさ。
栞   でも驚きなのは秋子さんが動かない事です、いつもならちょっかい出すのに。
ジム改 今回の戦いは珍しく連邦には何の関係も無い戦いだから、秋子もやる気が無いの。
栞   やっぱり秋子さんの判断基準が良く分からないです。
ジム改 秋子さんは連邦の味方であって正義の味方じゃないんだよ。
栞   で、次回はガタガタのエゥーゴをティターンズが虐殺しそうですが、ブライトさんたちは無事に逃げてこれるんですか?
ジム改 まあ同数ならロンド・ベルが居るエゥーゴの方が強いぞ。
栞   この話で同数で来てくれるなんて誰が思うんです?
ジム改 それもそうだな。それでは次回、「エゥーゴの倒れる時」で会いましょう。
栞   私は次回も出番無しですか?
ジム改 地球に居るからねえ。