第94章  海と山と温泉のロンド


 

 連邦宇宙軍にとって聖域であった筈のサイド5がネオジオンの襲撃を許した、この知らせは連邦軍にネオジオンの脅威を改めて思い知らせる事となったが、それとは別に宇宙軍の人材不足も浮き彫りとなった。宇宙軍は秋子に頼りすぎていた為に、彼女が居なくなってしまうと思考停止状態に陥ってしまうのだ。秋子が居ればネオジオンはサイド5に近づくどころか、コンペイトウの防衛ラインを破れなかった可能性が高い。あそこまで混乱する前に増援が投入されており、早期に敵を叩きのめしていただろうから。
 この増援、ようするに第6艦隊を出す時期が遅すぎたというのが秋子の出した評価であった。第6艦隊を出したのは悪くは無かったが、コンペイトウの窮地を救うには完全に手遅れであった。
 ただ、クライフも応援を呼ぶのが遅すぎた。普段なら秋子が判断してくれるのだが、今回は彼が判断するべきであった。ただ彼もランベルツやジンナたちに負担をかけまいと配慮した面がある。事務屋に軍事的な判断を任せても上手くいかないと考えたのだろう。

「私が不在の間を任せられる副司令長官が必要、という事でしょうか?」

 戦訓調査会議の場で秋子は困った顔で右手を頬に当ててそう呟いた。見た目では本当に困っているのかどうか分かりかねるが、とにかく彼女は困っていた。今の連邦宇宙軍には自分の代わりを務められるだけの人材は残念ながら居ない。エニーやクライフを今の位置から動かす事も出来ない。ランベルツとジンナの2人ならば可能かと考えていたのだが、結果的には失敗に終った。
 こうなると地上軍からそれなりの人材を回して貰うのが一番手っ取り早いかもしれない。幸いにして地上軍にはまだ中将クラスの人材が残っているので、その中から2人くらい回して貰えれば現在の役職と階級の不均衡が多少は是正できる。まあ1年戦争から続く将官、士官不足はどうにもならないのだが。
 だが、出して貰うのは難しいだろうと秋子も思っていた。地上軍は宇宙軍とは比較にならないほどに将兵の数が多く、指揮するにも相応の階級が求められる。そもそも方面軍や軍団を預かるのが中将や先任少将という今の状況がおかしいのだが、愚痴っても人材は沸いてこない。思い切って中将を大将に昇格させる案もあったが実現してはいなかった。予備役から大量に現役復帰を募ったものの、ティターンズに流れた者も多く問題を解消するほどの効果は無かった。

「コーウェン将軍、どうしたものでしょうねえ?」
「残念だが水瀬、地上軍からは人材は回せないぞ。ただでさえこれからマドラス攻略戦で人手が欲しい時期だ」

 連邦軍総司令官の会議室で円卓に秋子と向かい合うように腰掛けていたコーウェンはそう釘を刺してきた。ジャブローでも人材の不足には頭を痛めているので、宇宙軍の苦境は理解できるが助ける事は出来ないのだ。現在の連邦軍の基本方針は地上が主で宇宙は従であり、先ず地上で決着をつけた後、宇宙で反攻作戦を開始するという事になっている。この戦略に沿うならば宇宙には現有戦力で頑張って貰いたいのだ。
 だが、先に宇宙軍が敗北してしまっては戦略の根底が崩れてしまう。だから梃入れの必要は感じており、この作戦終了後にマイベックとシアンを秋子に返す事に同意していたのである。本当はコーウェンはこの2人は来るべきキリマンジャロ攻略戦において使いたかったのだが、以前から約束していた人事をこれ以上延長したりしたら秋子に何を言われるか分からないので渋々約束を受け入れたのだ。

「しかし、ネオジオンには何らかの報復が必要だろうな。ここで舐められれば後々面倒な事になりかねん」
「報復と言いますと、サイド3に艦隊攻撃を仕掛けろという事でしょうか?」
「それも1つの手だが、余り無理をさせたくはないな。ここは情報部が進めている作戦を支援する方向で行こうと考えている」

 そう言ってコーウェンはバイエルライン少佐に作戦の説明を求めた。指名されたバイエルラインは立ち上がると、配布した資料を基にサイド3において進行中の作戦を連邦軍のTOP達に説明していく。

「サイド3には現在、ネオジオンの支配に反感を持つ者たちによるレジスタンス活動が活発です。その中心となっているのは共和国政府の政治家や軍人で、リーダーは共和国時代に内務省大臣を務めていたギブン氏で、共和国軍の装備を用いて抵抗を続けています。我々は彼らと接触し、その活動を支援しようとしています」
「接触は既に終わっているのですか?」
「はい、ジオン共和国軍から人を借り受けまして、パイプ役を務めてもらったおかげです。彼らはネオジオン内部の情報を提供し、見返りとしてこちらは装備や医薬品、食料を提供する取り決めが出来ております」
「医薬品や食料はともかく、装備とはどのレベルまでを想定しているのかね?」

 参列している司令官や総司令部の参謀達の表情に険しさが混じる。ジオン共和国は敵というわけではないが、彼らにとっては余り面白い相手とも言えない。ある程度の支援は当然としても軽火器に留めるべきではないかと彼らは考えていたのだ。
 この上層部の疑念はバイエルラインにとっては織り込み済みの反応であったので、特に慌てる事も無く彼は話を続けていた。

「彼らはMSレベルの装備までを要求してきましたが、これはこちらで拒否しております。幾らなんでもレジスタンスが運用するには難しいですし、容易に持ち込める物でもありませんので」
「当然だな。それで、どの程度までを供与する事にしたのかね?」
「とりあえず歩兵用の軽火器に携帯型ミサイルランチャ−、爆薬といった辺りです。とりあえず少量を送り、どの程度の仕事が出来るかを試しております」
「これで成果を見せるようなら供与を継続するわけか。だが、どうやって送っておるのかね?」
「宇宙軍から潜宙艦を借り受けてサイド3宙域まで運び、そこからサイド3から来た船に引き渡すという方法です。大量には運べませんが、確実な方法です」

 ネオジオンの哨戒網に引っ掛かる危険は冒せない以上、こんな地道な手しかないのだ。この方法で人材を送る事も出来るので、既に向こうの組織に連絡員も送っている。
 この作戦が軌道に乗ればネオジオン軍は内側の脅威の大きさに対応しきれなくなり、上手くすれば内部から崩壊するかもしれない。そこまでいかずとも、ネオジオンに揺さぶりをかける事は十分に可能だろう。たとえ失敗しても自分たちの懐が痛むわけではない


 この作戦の状況を聞いた秋子は防衛線の立て直しと同時に情報部への協力を約束する事になるが、それは同時にネオジオンへの攻勢作戦を当面見合わせる事を意味してもいた。それは秋子にはやや不満の残る決定であったが、地上軍との連携を考えれば止むを得ない妥協でもある。何しろ今暫くは宇宙軍は守りに徹すると決められてしまったのだから。





 ジャブローや宇宙で動きがあった頃、祐一たちの居る海鳴基地では暢気な空気が流れていた。本当ならばマドラス侵攻作戦が発動されてその準備で大急がしの筈なのだが、何故かジャブローからの作戦発動の命令はこず、海鳴基地では集まった部隊と膨大な物資が留め置かれていたのだ。
 祐一たちも同様で、輸送船でここまで運ばれたは良いが、その後に何の命令を出される事も無く、暢気に長期休暇気分を楽しんでいたのだ。何しろここは海鳴、観光地としても有名な風光明媚な場所なので退屈凌ぎの場所には事欠かないのだ。

「お姉ちゃん、あと2点でこっちの勝ちですよ!」
「油断しないで栞、名雪がマジになる前に勝負を決めるのよ!」

 砂浜に描かれたコートでビーチバレーをしているのは相沢大隊の幹部パイロットの女性達であった。その肢体を水着に包んだ彼女らは名雪、あゆチームと美坂姉妹チームに分かれて戦っていたのだが、香里と栞があゆを集中的に狙う作戦で勝ちに出たので名雪たちは大苦戦を強いられている。
 悔しそうな名雪と謝り続けのあゆたちの姿はまるで苛められているようであったが、勝っている筈の香里の顔にはまだ油断は無い。彼女は知っているのだ、あのポケポケした名雪が本気を出した時にはどれほど凄まじい運動能力を見せるのかを。シェイドとしての力を使わなければ自分でも相手にならないほどに名雪の運動能力は高い。

 そしてそんな彼女達を砂浜に刺したパラソルの下から眺めているのは祐一と北川であった。

「いやあ、眼福眼福。流石に名雪と香里は凄いなあ」
「これで川澄さんや倉田さんとかも居たら最高だったんだけどな」
「おいおい無理言うなよ。つうかあの2人が居たら俺は色々と厳しい」
「……お前、浮気したら水瀬に半殺しにされるぞ」
「ふ、心配は無用だ北川君、俺は名雪一筋だから他の女に目移りしたりはしないのだ」

 胸を張ってそう言い切る祐一に北川はああそうですかいと、付き合ってられないとばかりに適当な答えを返してそっぽを向いたのだが、その先で彼は見慣れた人物を発見してしまった。

「あれ、おい相沢、あのパーカー着た女って郁未じゃねえ?」
「おいおい、シアンさんの副官やらされてるあいつがこんな所に居る訳無いだろ」
「あら、相沢君に北川君じゃない、やっほー」
「って、マジに郁未かよ!?」

 何でシアンの副官がこんな所に居るんだと祐一と北川は思ったが、やって来た郁未の姿に口をあんぐりとあけて固まってしまった。郁未は物凄い美人でスタイルも良く、出産経験有りとは思えないスタイルを未だに維持している。それが水着の上からパーカーを羽織っただけの姿でやってきたのだから、男としては見惚れるのも無理はないだろう。
 だが2人に生唾飲み込ませるほどの衝撃をもたらした郁未はキョトンとした顔をしていて、どうかしたのかと聞いてきた。

「あの、どしたの2人とも、そんなマヌケな顔して?」
「あ、い、いや、そのなあ、ははははははは」
「そ、そうそう、なんでもないよな相沢」

 まさか郁未の肢体に見惚れてましたなどとは口が裂けても言えず、2人は乾いた笑いで誤魔化そうとした。だがその反応がかえって郁未に動揺を見抜かれる結果を招き、獲物を前にした猫科の動物のような笑みを一瞬浮かべた郁未は殊更に挑発するかのように身体を動かして見せた。

「なあに2人とも、まさか人妻に欲情しちゃったわけ?」
「そ、そんな訳無いだろ、俺には名雪という恋人がだな!」
「相沢、という事は俺は彼女居ないからOKなのか!?」
「いやいや北川、お前の場合でも多分香里と栞に睨まれる事になるだろう。特に栞はヤバイぞ」
「なるほど、ヤクか」
「ああ、ヤクだ」
「何言ってんだかあんた達は」

 友人たちのアホ全開な反応にからかう気も失せた郁未は肩を竦めて呆れて見せ、北川の隣に腰を降ろした。

「今日は休みを取ったのよ。ジャブローの方から何も言ってこないんで、うちの人もマイベック司令も次の方針が決められないみたいでさ」
「でも暇って訳じゃないだろ?」
「たまにくらい良いじゃない。それに、皆を温泉に誘いに来たのよ」
「温泉って、ここは温泉もあるのか?」
「ええ、海鳴温泉っていうのがね。私はよく茜さんとか桃子さんと行ってるけど、うちの人が作戦前に皆も誘って行くかって」

 相変わらず緩い人だなあと2人は思ったが、それも悪くはないかと考えて顔を見合わせて頷きあっていた。どうせ出撃命令が来るまでは休暇なのだから、今のうちにあちこち回って見るのも良いだろう。

「でも、この基地って本当に良い所だよな」
「ええ、最初来た時は辺鄙な所だって思ったけど、住んでみると凄くいい所よ。助けてくれる親戚も居るし、このままここに永住しようって思ってる。もしうちの人の任地が変わったら悪いけど単身赴任ね」
「それで帰ってきてみたら奥さんは別の男の所に走っていて、旦那は悲嘆にくれるんだな」

 郁未が地元自慢を始めた所に祐一が茶々を入れてきた。しかしそれは郁未の機嫌を著しく損ねる危険なおふざけであったりする。郁未は何かがブチッと切れる音を聞いた後、にっこりと笑って祐一に言い返してやった。

「あらあ、そんな余計な心配は無用ね。人の心配より自分のことを心配したらどうなの?」
「何、どういうことだ?」
「名雪だって何時相沢君より良い男に走るか分からないわよ〜、女ってのは移り気なんだからね」
「そ、そんな事はないぞ、名雪が俺に愛想付かす展開なんて予定表には載ってない!」
「ふうん、私に視線釘付けだったのは何処の誰だったかしら。あの顔を名雪が見たらなんて言ったかしらねえ?」
「え、私がどうかしたの?」
「はう、名雪さんっ!?」

 何時の間にやらビーチバレーを終えて名雪たちが戻ってきていたようだ。自分の名前を聞いたらしい名雪が何の話をしていたのか興味津々という顔をしている。だがいきなり話のネタになってた名雪が出てきた事で祐一は心臓が飛び出るかと思うほどに吃驚していた。今の話を聞かれていたのではと思ったのだ。
 だが幸いな事に名雪は祐一の反応に首を傾げるだけで、あの話は聞こえていなかったらしいことが伺える。祐一はホッと安堵の吐息を漏らし、そしてとても情けない顔で名雪を抱き寄せた。

「名雪〜、お前は俺を捨てたりしないよな〜?」
「え、え、いきなり何の話?」

 自分置いてきぼりで話を進める祐一に名雪は顔に?マークを浮かべている。だがその後ろで事の成り行きを見守っていた栞は目をキラリと輝かせて話の裏を察していた。その視線がチラリと水着姿の郁未へと向けられ、そして祐一と北川を見る。

「ふ、祐一さんも北川さんも普通の男性という事ですね」
「し、栞、頼むからそれ以上は!?」
「ああ、なんか暑いですねえ、こういう時は冷たいものが欲しいと思いませんかお姉ちゃん?」

 祐一の縋るような悲鳴に、栞は何ともわざとらしい声で姉に問いかけた。聞かれた香里は一瞬呆れた顔をしたが、すぐに視線を空へと向け、わざとらしく目の上に手を翳して見せた。

「そうね、確かに暑いわね」
「く、おのれ香里……分かった分かった、買ってくりゃ良いんだろ」
「いやあ悪いですねえ祐一さん。あ、私はバニラで」

 口止め料を支払わされる事になった祐一は仕方なく周囲を見回して適当なアイスの屋台を探し、1つ見つけてそちらに歩いていった。

「すんません、アイスを……7つ」
「らっしゃい、アイス7つっすね!」

 青い髪の女性が威勢の良い声で返事をし、カップにアイスを載せていく。その隣では似たような顔をした赤い髪の女性がお金を数えていて、後ろでは金髪の女性がダンボール箱を動かしていたりする。

「もう、アレイは何処で油売ってんのかしら。荷物片付かないじゃない」
「それはお前がサボってるからだ」
「あら、私は真面目に働いてるでしょ〜?」
「お前らうっさいぞ!」

 アイスを載せていたカップを振り回して赤毛の女性が振り返って怒鳴りつけるが、2人は白けた顔で深々と溜息をつくのみであった。

「はあ、他の連中は何処行ったのよ?」
「ルミラ様とアレイは旅館でバイト、タマは行方不明だが居ても居なくても変わらん」
「まあそうよねえ。はあ、何でこんな生活してんのかしら?」
「言うなメイフィア、空しくなる」
「だからうっさいつってんだろ!」

 目の前で漫才のような口喧嘩を繰り広げる3人に、祐一はジトッとした顔で呆れ交じりの声を出してしまっていた。

「あの、アイスまだ?」




 海での一時を終えた祐一たちは、そこから郁未の案内で基地の車を使い、温泉宿に向かう事になった。しかし基地所属の車両を勝手に使って良いのかとあゆが問うと、郁未は気にしなくていいよと軽い調子で返してきた。

「大丈夫大丈夫、今日は借りるよって事務の方には言ってあるから」
「それで良いのかこの基地は?」
「良いのよ、司令官が秋子さんで、間に1人挟んでうちの人でしょ。おかげで緩い基地になっちゃってね」
「……マイベックさんが居ても引き締まらないのか」

 マイベックは機動艦隊時代には結構規律に煩く、天野と一緒に綱紀粛正を唱えていた人物なのだが、そのマイベックが居てもこの基地の空気は変えられなかったのか。まあそのおかげで苦しい時期にも挫けずに頑張ってこれたのだろうが。平和な時代には左遷されてきた者たちの落ち着き先、掃き溜めと扱われるようなどうでもいい基地であっただけに、はみだし者なりの連帯感もあるのだろうが。
 そんな基地の気風と基地司令の性格の為だろう、海鳴基地は地元と良好な関係を保っている、連邦軍としては珍しい基地でもあった。でも装備品を一言言っただけで借り出しOKというのは良いのだろうか、と祐一でさえ悩んでしまうのだが。

 郁未が案内してくれたのは少し山の方に入った処にある鶴来屋という温泉旅館であった。郁未の話では元は別の旅館であったが、1年戦争の戦災の影響で元の持ち主が放棄して逃げ出してしまい、取り壊そうかと話し合われていた旅館であった物を、シアンの紹介で戦前に他所で旅館を経営していた人たちに譲られた物件であるそうだ。その際に名前も変えられ、現在では街の人たちの憩いの場として安定した経営をしているらしい。
 海鳴基地の兵士達も時折利用している温泉だそうで、郁未自身も幾度も利用している中々良い温泉という事であった。

「特に料理が絶品でさ、私も旦那も納得の味よ。流石にデザートは翠屋に負けるけどね」
「う〜ん、それは楽しみですねえ」
「うぐぅ〜〜〜」

 栞とあゆが顔をにやけさせて口元を拭い、香里が呆れた顔で2人を見ている。名雪は既に夢の中で、起こすのが大変そうであった。

 そしてやっぱり起きなかった名雪を背中におぶさって中に入って行くと、15歳くらいの女の子が出迎えてくれた。

「あ、いらっしゃいませ〜」
「こんにちは初音ちゃん、また温泉入りに来たわよ」
「郁未さん、いらっしゃ〜い。それでえっと、後ろのお客さんたちは?」
「ああ、私の友達。現役時代に一緒に戦ってた戦友だよ。こう見えてもみんな一応偉いんだよ」
「ちょっと待て郁未、何で一応なんだ。俺はこれでも少佐だぞ」

 しかも宇宙軍第1艦隊MS隊司令でもある、実質的な秋子を支える幹部将校の1人なのだ。 だからとっても偉いのだが、まあ確かに外見からでは祐一が偉いとは思えないだろう。何せ日頃の行動と言動がかなりお馬鹿なのだから。
 ワイワイと騒ぎ出した郁未の同行者達に初音は困った顔で引き攣った笑いを浮かべていたが、ある意味こういう連中に慣れている彼女は付いていけなくなるようなことは無かった。久瀬や天野や茜と同じく、彼女も苦労の多い人間であるらしい。

「それで郁未さん、今日はどうしますか?」
「ああ、そうね。相沢君達も居るし、部屋2つ空いてるかな?」
「大丈夫ですよ、このご時世じゃ旅行客も居ませんし」

 そして初音は手を叩いて仲居さんを呼び、郁未らを部屋へと案内させた。やってきたのは赤い髪の女の子で、アルバイトの学生にも見える。女の子は祐一たちの荷物を全て抱え込むと、ひょいっと持ち上げて部屋へと先導しだした。その外見からは想像も付かないような怪力に祐一たちはポカンと口を開けて驚いている。

「す、凄い力持ちなんだな」
「力持ちってレベルか、あれ?」

 祐一と北川が呆けたように呟いて頭をフルフルと左右に振っていた。


 部屋に通された祐一たちはそこで男と女に別れ、早速温泉に入る事にした。ここの温泉は山に囲まれた眺めの良い温泉で、1年戦争前はあちこちから客が集まってくる温泉街がったらしい。だが今ではすっかり寂れてしまい、柏木が流れてくる頃には1軒も残ってはいなかった。海鳴は1年戦争の折に極東最後の拠点であった為、住民の疎開が行われて南米に移った市民も多かったのだ。まあ途中でジオンに掴まって船が沈められる可能性もあったので、どちらがマシな選択だったのかは分からないが。
 とりあえず海鳴温泉の再興1号店となったこの旅館は地元の人を相手に赤字が出ない程度には繁盛していた。まあ海鳴市の支援も受けているのだが。

 早速着替えて温泉へとやってきた祐一と北川は、近くの川と繋がっている温泉に最初驚き、そしてすぐに面白がって入浴した。

「これが温泉か、入るのは初めてだけど、なんか気持ちいいな」
「ああ、戦争の疲れが抜けてくみたいだぜ。もっと早く来てりゃ良かったな」
「前に来た時はまだ無かったらしいからしょうがないさ」

 湯につけた手拭を頭に乗せた祐一は極楽極楽と呟いて肩まで湯に漬かった。

「相沢、手拭を湯につけるのはマナー違反だぞ?」
「……変な事知ってる奴だな」

 しかしこの後、長湯してしまった2人はすっかりのぼせてしまい、女性陣に温泉の基本が分かっていないと笑われる事になるのだった。




 その日の夕方頃には娘を連れてシアンも鶴来屋を訪れ、祐一たちと夕食を共にする事になった。流石に宴会料理を頼む事は無く、一般にも開放されている食堂での食事であったが、ここの料理長の料理の腕はかなりの物で祐一や名雪を満足させるものが出てきていた。

「うん、美味しい」
「秋子さんの手料理のせいで外で食べる気にならないけど、これならOKだな」
「あんた達は舌が肥えすぎてんのよ……」

 名雪と祐一の評価に香里が半眼で呆れた声をかけてくる。少なくとも他の4人はこの料理を絶賛しているのだ。
 そして料理を口に運んでいた栞が、ふと何かに気付いたように顔を上げてシアンを見る。

「そういえばシアンさん、お仕事の方はいいんですか?」
「ああ、作戦の立案も必要な物資の集積も済んでるからな。後は上がGOサインを出すまで待ってるだけさ。細かい事は茜に任せておけば良いしな」
「余り押し付けてると茜さんが怒りますよ?」

 相変わらずのシアンの部下の使い方に全員が白い目を向けたが、シアンは全く動揺せずにそれを受け流して見せる。この辺の面の皮の厚さはさすが元秋子の部下と言うべきか。そしてシアンは誤魔化す為か、話題を宇宙での事に切り替えた。

「宇宙じゃサイド5まで攻撃を受けたらしいな」
「被害は大した事無いって聞いてますけど?」
「まあ、被害はな。だが宇宙軍のプライドはズタズタにされただろうな。それとこれはみさきからの情報なんだが、どうもネオジオンはNTとシェイドの大量投入を始めたらしい。まあNTって言っても、みさきの話じゃどうも強化人間の類みたいだがな」
「強化人間にシェイドですか、それじゃ突破されたのも仕方ないのかもしれませんね」

 NTやシェイドは敵に回すと洒落にならないというのは、ファマス戦役で思い知らされている。シェイドとしては弱い部類に入るはずの香里やみさお、一弥たちでもエース級の強さなのだから。

「でもシアンさん、シェイドって一体何なの。お母さんに聞いても何も教えてくれなかったし」
「ああ、それは俺も気になってる事だな。そろそろ教えてくれても良いでしょ?」

 名雪と祐一がある意味当然の疑問をぶつけてきて、栞やあゆも確かにと頷いている。北川はチラッと香里の様子を伺ったが、彼女も興味ありげな顔をしているのでシェイドがなんなのかはよく知らないらしい。
 そしてシアンはどうしたものかと頭を掻いた後、自分もアーセン博士に聞いた話しか知らないんだがと前置きをして教えてくれた。

「アーセンの話じゃ、シェイドってのは発掘された大昔の人間みたいな何かの遺伝子データを上書きして、生物的にそれに近付けて強制的な進化をさせた、とか言ってたな。いや技術的なことは聞くなよ、俺にもチンプンカンプンだったからな」
「でも大昔の人間みたいな何かとか、強制的な進化って、物騒な話ですね?」
「何でも随分昔に発掘された羽の生えてる人間のような姿の骨格からその生物の復元を試みたらしい。まあ相当に非人道的な方法で実験を繰り返して、その翼の生えた人間の再生に成功したらしいな。名前は神奈とかつけられてたらしいが」
「えええ、神奈っ!?」
「ど、どうしたあゆ、いきなり大声上げて?」

 いきなり驚愕の声を上げたあゆに皆が吃驚している。離れた所では仲居さんがお盆を落としてしまって「ああ、何やってんだルミラさん!?」とかいう叱責の声が飛んでいる。

「ボク、神奈さんって羽生えた人に会った事あるよ。一度ロストしかけた時に、色々訳分からない事言ってた」
「ロストしかけたって、あの病院での時か。でもあの時のあゆは気絶してたぞ?」
「うぐぅぅ、多分夢の中とかそういうのだと思う」

 突っ込まれると言い返しにくいのか、あゆが自信無さげに小さな声で言い返してくる。だがあゆの口にした容姿、自分が死ぬ事になった理由などはシアンが聞いていた神奈という実験体のそれと良く似ていた。翼を持つ長い黒髪の少女で、最終的には科学者達の手で殺害され、標本にされてしまったという。

「んで、シェイドって言うのはこの神奈って奴の遺伝子を調整した上で人間に投与する事で誕生する、って話だ。どういう理屈かは知らんがその遺伝子に遺伝子情報を書き換えられるんだと」
「書き換えるって言うか、なんだか食べられてるみたいですね?」
「おお、相沢は上手い事を言ったな。まさにその通りなんだそうだ」

 まるで悪性のウィルスか何かのようだ。この遺伝子を投与された者は何らかの変調を起こし、最終的にはロストと呼ばれる症状を引き起こして周囲を巻き込みながら自らを破壊してしまう。
 この変調に耐えられ、安定した者がシェイドと呼ばれる訳だが、ファマス戦役の司を見ても分かるように安定した後もロストする危険を孕んでいる。安定しているように見えるシアンや郁未、香里もいつああなるか分からないのだ。恐らくシェイドの力を持つ者の中で、ロストの危険を持たないのは生まれながらにその力を持つ未悠だけだろう。
 ただ、実験的な意味合いが強いシアンたち第1世代や試作品の香里たち第2世代に較べると、第3世代に属する郁未たちはかなり安定しているとアーセンが太鼓判を押しており、彼女達はさほど気にする必要はないのかもしれないが。

 そしてシェイドの異常な能力の出所は未だに謎で、身体的な変化は起きていないのに異常な対G能力を何処から得られているのかなど、分かっていない事は多い。ただシェイドとなった者は脳の働きが普通の人間と比較すると異常なほどに活性化していて、これを指してアーセンは普通の人間より進化していると表現している。そしてこれがシェイドの持つ異常な力に関係しているとも。
 この変化はシアンやみさきといった第1世代が最も高く、郁未、香里という流れで低くなっている。つまり脳の働きの差がそのまま能力の差として出ている事になる。未悠は少し違うらしいが、これはまだ研究中ということらしい。
 シェイドの研究は地球連邦ではほとんど行われておらず、秋子の支援でアーセンが細々と続けている程度に過ぎない。シアンや郁未などは娘の事もあるので積極的に協力しているが、茜などは拒否している。この辺りは個人の感情の問題なので仕方の無いところだろう。

「とまあ、これが俺の知ってるシェイドの全てだ」
「それってつまり、何にも分かっていないって事なんでは?」
「仕方無いだろ、俺や郁未だって未悠の事が無ければ手を貸したりしなかったし、他の奴に無理に手を貸せとも言えないんだから」

 呆れたような栞の言葉にシアンが怯みを見せ、郁未がクスクス笑い出している。未悠は彼女の隣で子供用の椅子に座って料理を美味しそうに食べていて、これだけ見るとシアンたちが言うような規格外の力を持っているようには見えないのだが、この夫婦が言うのならばそうなのだろう。
 しかし、なんともファンタジーな話が出てきたものだ。いや、NTなどという超能力者モドキやサイキッカーと呼ばれる本物の超能力者が確認されるようなご時世なのだから翼の生えた人間が居ても不思議ではないのかもしれないが、これでは妖怪やらモンスターやらの類も居たのだろうかと思ってしまう。

「う〜ん、ひょっとして昔は鬼とか悪魔とか妖怪も本当にいたのかもしれないよねえ〜」
「あんたね、今も居たらどうすんのよ?」

 何だか会いたいな〜とか言ってる名雪に香里がジト目で突っ込みを入れた。あゆは本当に化け物が居るのかと思い込んだらしく頭を抱えて震えてるし、栞は何だか想像の世界に入ってしまって北川の呼びかけにも反応する様子が無い。
 だが、彼女達は気付いていなかった。シアンたちの話が聞こえてしまっている旅館の人たちが先ほどからビクビクと反応している事に。というかこの街には人間以外の住人が沢山住んでいるのだが幸いな事に彼らはその事実を知らなかった。まあシアンや郁未は高町家との付き合いで少し知っているのだが。




 食事を終えた後で女性達はまた温泉に行ってしまい、残った祐一と北川はシアンと一緒に食堂でお酒を飲む事にした。名雪たちが居ると飲ませてもらえないので、こういう時は羽目を外したいのだ。

「しっかしシアンさん、何時になったらこっちに戻ってくるんすか?」
「何だ相沢、いきなりだな?」
「宇宙じゃ指揮官不足で泣いてんですよ。シアンさんに戻って貰って俺は前線に回りますから、本当に頼みますよ」

 酒が回ったのか、祐一の言う事に泣き言のような物が増えてきている。北川は先ほどから一言も話さずに黙々と飲み続けていると思ったら、何時の間にか寝ているし。何で俺は酔っ払いの愚痴につき合わされているんだろうとトホホ顔でコップに次の酒を注ごうと思ったら、何故か酒瓶が誰かに取り上げられてしまった。

「お注ぎしましょうか、ビューフォート中佐?」
「あれ、千鶴さん、どうして女将さんがこんな所に?」
「いえ、伺いたい事もありましたから」
「ああ、妹さんの事ですか」

 シアンは千鶴が注いでくれた酒を軽く傾けると、現在分かっている情報を千鶴に話しだした。これは柏木家がここに居つく切っ掛けともなったトラブルで、妹が誘拐されたと言って各地を転々とし、遂にムラサメ研究所に向かおうとしてシアンと接触する事になったのだ。それ以来シアンは情報部の知人に協力させて妹さんの足取りを追わせていたのだ。

「妹さん、楓さんがキリマンジャロに居るのはほぼ確実です。ただキリマンジャロは警戒厳重で、救出部隊を送るという訳にもいかないそうです」
「そうですか。あの、軍が動けないのでしたら私達が直接出向いても良いんですけど」
「貴方達の強さは知っていますが、流石にティターンズの最重要拠点に数人で仕掛けるのは無理ですよ。それにそこまで輸送機が辿り着けません。貴方達だけ何百キロも地図だけで現地に向かうのは無理でしょう?」
「う……そうですね」

 柏木家の人たちが個人戦闘能力においては比類無い物を持っている事はシアンも知っているが、それでも戦闘配置中の正規軍が守る拠点に挑むのは無謀だ。今は槍と弓の時代ではないのだから。

「まあ、こっちはうちの情報部に任せておいてください。たまには利用しないと割に合わないですからね」
「割りに、合わないですか?」
「何時も向こうが私に難題吹っ掛けてくる側でしてね、たまにはこっちが言ってやらないと収まりが付かないんですよ。まあ散々文句言われましたが、きっちり仕事はしてくれてますよ」

 その相手がバイエルライン少佐であることは言うまでも無い。彼はシアンの頼みというか脅迫を受けて渋々キリマンジャロに潜り込ませているスパイに任務を追加していたのだ。まあ元々強化人間関係施設の調査も優先対象ではあったので、サイコガンダムのパイロットの調査は関係の無い仕事でも無かったが。
 そのバイエルラインがシアンに頼まれた少女の所在を見つけてくれたのだが、やはりと言うかキリマンジャロに居たのだ。ムラサメ研究所で取り逃したりしなければ簡単にケリが付いたのだが、面倒な事になったものだ。

「キリマンジャロか、また義姉さんに頼むかなあ……」

 人間離れした知人友人には事欠かないので、いよいよとなったらそちらを頼る手もある。バイエルラインに頼んで潜入工作を手伝って貰い、連邦軍の攻勢に合わせて襲撃、奪還するのだ。ぶっちゃけ自分より強い人も結構居るので、その辺の特殊部隊を出すよりも成功率は高いだろう。
 アーセンのファンタジーとしか思えない話を信じられたのも、海鳴基地の司令官になってその辺の人間と少し違う連中を知ったからだ。世間に発覚しないように人の世界に紛れて暮らしている彼らは、実は普通にあちこちに居るものらしい。まあ人外と言っても限度はあるようでライフル弾を弾き返したり爆発に巻き込まれても平気という事は無いらしいが。



 そんな話をしていると、温泉から上がったらしい女性たちがわいわいと騒ぎながら食堂へと戻ってきた。郁未は自分が千鶴の酌を受けているのを見て何だか不機嫌そうなオーラを発していて、名雪と香里は酔いつぶれている祐一と北川に溜息を漏らしていた。

「祐一ってば、強くも無いくせに飲むんだよねえ」
「北川君も同じよ。昔なんて色々抱え込んでいつも1人で飲んでたし」
「シアンさんも止めてあげてよ〜」
「いや、こっちはちょっと大事な話してたもんでな。相沢が何時潰れたのかも気付かなかったわ」

 本当に気付いてなかったので、祐一が酒瓶倒して泥酔している姿を見て引き攣った笑いを浮かべるシアンであった。
 この後、シアンは呼び出しを受けて基地に戻ると言って鶴来屋を後にし、名雪たちは男2人を部屋に叩き込んだ後、深夜までお喋りを楽しんでいた。そう、次は何時こういう機会が持てるか分からないから。
 そして、基地に戻ったシアンはそこでマイベックから遂に来るべき物が来たことを知らされる。遂にジャブローからマドラス侵攻作戦、作戦名カタパルトの発動が伝えられたのだ。




後書き

ジム改 シェイドが何なのか、少しだけ公表。
栞   宇宙人に攫われて人体改造されたようなもんですね。
ジム改 まあ昔から普通に人間じゃない人たちは出てたんだけどね。
栞   私から見れば水瀬母娘も十分に人間じゃないように思えるんですが。
ジム改 そういう化け物の事は知ってる人は知っているが、世間一般は知らないのだ。
栞   秋子さんは知ってそうですね。
ジム改 まあシェイドってのは大昔に居た人間以上の何かの遺伝子を上書きした物だと。
栞   良く分かってもない拾い物を使わないで下さい!
ジム改 一応研究は進んで、今じゃ大分安定してるぞ。シアンたちの頃は酷かった。
栞   でも、何でアーセン博士は逃げ出したんです?
ジム改 その辺はまたそのうちにね。
栞   それでは次回、連邦軍の矛先は遂にマドラスへと向けられます。ですが既に連邦の動きを掴んでいたティターンズは迎撃準備を整えて待ち構えていました。守りを固めたティターンズに対して挑んだ連邦軍の運命は。次回「インドの壁」で会いましょうね。