第95章  インドの壁




 ネオジオンの大攻勢以降、宇宙には奇妙なまでに平穏な時が流れていた。単にネオジオン軍が戦力を使い果たして身動き出来なくなっただけであるのかもしれないが、それまで頻繁に行われていたコンペイトウへの定期攻撃すらなりを潜め、ア・バオア・クーに引き篭もっている。偵察機による幾度もの強行偵察によって撮影された写真や映像にも戦力増強が行われている様子は無く、サイド3のレジスタンスからも新たな攻勢を準備しているという知らせは入っていない。
 これらからネオジオンは先の大攻勢で余力を使い果たしたのではないかと連邦軍では判断していた。サイド3の人口は1年戦争後にコロニー再建計画で再生されたコロニーに移されており、20億を誇った人口も10億程度にまで減少した。有していたコロニーもティターンズに徴発されたり各サイドに移動させられたりして数を減らしている。サイド3の力は1年戦争の頃と較べると著しく低下しているので、ネオジオンの戦力を支えるのには足りないのではないかとも考えられている。
 ただ、代わりにネオジオンの潜宙艦や小型艦艇による輸送船襲撃が頻発するようになった。特に悲劇的だったのはジャブローからサイド5を目指していた輸送船団で、ネオジオンのウルフパックに飛び込んでしまった船団が周囲から一斉に放たれたミサイルの飽和攻撃を受け、20隻のコロンブスが8隻にまで減ってしまったのだ。護衛のフリゲートも3隻が直撃を受けて大破している。これは食料などの生活物資を運ぶ船団であったので宇宙軍に与えた衝撃は大きな物であった。サイド2、5の行政府も予定していた物資が届かなかった事で対応に苦慮する事となり、市民の不満を宥めながら苛立ちを宇宙軍にぶつけてきている。
 フォスターUに戻った秋子は潜宙艦や小型艦艇の対処の為に巡洋艦と駆逐艦で編成した狩り出し部隊を複数編成してこれらを叩く事を命じたのだが、デブリの中に逃げ込まれると追いきれない事が多く、苦労させられている。
 これらへの対処を任されていたシドレ准将は厄介な敵だと頭を抱えていた。敵を探し回る為に部隊を動かす為の物資の消費も馬鹿にならないし、それだけの消費と引き換えにするほどの戦果が得られているわけではない。まあこの手の任務はそういうものであるが、この負担は決して楽なものではない。

 しかし、当面はこの負担に宇宙軍は黙って耐えるしかなかった。根拠地を捜索して積極的に打って出る事はジャブローが許さないだろうから、このまま守りに徹するしかない。何しろ地球では今、南アジアを奪還する為の作戦が遂行中なのだから。





 宇宙世紀0087年6月15日、連邦軍の南太平洋軍が遂に動き出した。オーストラリア大陸のアデレードに集結していた連邦海軍第3、第5艦隊がインド洋を北上し、ベンガル湾を目指し進んで行く。そしてフィリピンのマニラからは5個師団を載せた揚陸船団も出撃し、トンキン湾沿岸のハイフォン上陸を目指して動き出している。この反攻作戦に備えて海南島は死守されており、ティターンズの度重なる攻撃にも耐えて今日まで基地機能を維持してきた。
 海南島の空軍基地からはこの日に備えて終結していた空軍機が飛び立ち、上陸予定地点周辺のティターンズ基地に対する攻撃を開始している。出撃した機体の大半は従来のダガーフィッシュとアヴェンジャー、デブロッグであったが、最新型のワイバーンや旧式化しているセイバーフィッシュやフライマンタの姿もあった。恐らくこの作戦の為に各地から機体を掻き集めたのだろう。
 これに対してティターンズも内陸部の飛行場からダガーフィッシュやセイバーフィッシュを飛ばして迎え撃ってきたが、出撃してきた数は連邦軍よりも少なく、空襲を阻止する事は出来なかった。沿岸部の上空には連邦とティターンズのマークを描いた同型の機体が飛び回り、撃墜された機体が空中で爆発四散し、あるいは黒煙と炎を曳きながら落ちて行く。
 この空戦は数の多い連邦側の有利に推移しており、アヴェンジャーが沿岸の防御施設に爆弾やミサイルを叩き込んだりデブロッグが基地施設に対して高高度からの絨毯爆撃を行ったり大型爆弾を投下している。特に10トンを越す大型爆弾の威力は大きく、直撃した辺りには何も残らないほどの破壊力を撒き散らしている。
 しかし、この優位はティターンズがシュツルムイェーガーを投入してきた事で崩れた。航続距離が短い為にいざという時に間に合わない事が多いのが欠点で、今回も迎撃には間に合わなかったイェーガーであったが、低空での戦力はやはり凄まじく、突入してきた5機が優れたダッシュ力を生かして戦闘機を振り切り、アヴェンジャーを叩き落してしまう。
 どうやら近くの飛行場に進出してきたらしいこのシュツルムイェーガーであったが、登場は少々遅すぎた。連邦軍の空襲第1波は既に攻撃をほぼ終えており、MAの出現を見てさっさと離脱していってしまったのだ。イェーガー隊は追撃しようとしたのだがダガーフィッシュとワイバーンに阻まれてしまい、これとの戦いに忙殺される事になる。



 ニューギニア基地にいる太平洋方面軍バルバリゴ中将は作戦の開始から一斉に作戦参加部隊が動き出す様を作戦図に記されているデータで確認していたが、その先鋒であった海南島からの航空作戦がティターンズの激しい抵抗を受けている事に難色を示していた。まさかこうも早くシュツルムイェーガーが出て来るとは思っていなかったのだ。

「シュツルムイェーガーか、あの機体は足が短く、ガルダ級に積んで運用するか重要拠点に貼り付けるかだと聞いていたのだがな。何故こんな所に居る?」
「シンガポールか、ヤンゴンに配備されていたのではないでしょうか。ハノイには配備されていなかった事が確認されていますし」

 作戦参謀が事前の偵察では姿が確認されていなかった事を強調するが、バルバリゴ中将は不安な物を感じざるを得ない。作戦計画が事前に漏れていて、作戦日に合わせて機体を移動させていたのではないのか。そういう不安が頭を過ぎっていたのだ。

「南下中の第8軍は今どの辺りに居る?」
「香港を出撃後、海岸沿いに全力でハノイに向かっております。途中で部隊を分離し、ハイフォンを攻略する予定です」
「ハイフォンを落とせれば揚陸船団の部隊を無事に港から上陸させられます。速やかに攻略できれば犠牲を抑えられるのですが」

 上陸作戦はどれだけ周到に準備していても失敗する恐れがある。特に上陸地点を特定されて迎撃準備を整えられていた場合には全滅する可能性さえあるのだ。それを思えばなるべくやらない方が良いのだが、要衝ハノイとハイフォンを攻略するのはこの作戦の最初の要諦であり、回避することは出来ない。ここを落とせばインドシナ半島のティターンズをインド方面から切り離す事も可能となり、敵の大部隊を一気に殲滅か降伏に追い込める。
 この作戦の為に動き出している各方面の部隊にとっても、ここは重要な拠点となる。ここの攻略をしくじれば作戦そのものが終るのだ。だからこそ大軍を一度にぶつけているのだが、もしティターンズがこの作戦を知っていたとしたら、万全の迎撃体制を整えて待ち構えているのではないか。

「……上手くいけばいいのだがな」

 政府の要求で仕方なく実施されたこのカタパルト作戦であったが、十分な準備期間も貰えずに実施しただけにどうしても不安が残る。事前の偵察が足りず、見逃した物が多くあるのではないか。敵の戦力を見誤っていないか、部隊の移動を見逃しているのではないか、不安の種は幾らでも湧いてきて尽きる事がなく、バルバリゴ中将は胃に鉛でも放り込まれたかのような重さを感じていた。





 連邦太平洋方面軍の動きはすぐにティターンズに察知されていた。この作戦を事前に察知していたティターンズは迎撃の準備を進めており、敵の目標がカルカッタの攻略とインドシナ半島に展開するティターンズの殲滅である事も知っていた。その後にインドに侵攻し、最終的にマドラスを攻略するつもりなのだ。
 キリマンジャロからマドラスに移動してきていたアーカット中将はこの敵の攻勢を粉砕すれば地上での劣勢を挽回できると考え、迎撃の準備を整えて待ち構える事にしたのである。

「予定通り、敵はハノイとハイフォンに攻撃を加えてきたか。こちらの掴んだ情報は正しかったようだな」
「そのようです。となれば、次は洋上艦隊によるカルカッタやダッカ、チッタゴン、ヤンゴンへの攻撃と旧ブーダン辺りへの降下ですかな」
「降下部隊の方は適当にあしらっておけ、どうせ陽動だろう。当面は全力を敵洋上艦隊へと振り向ける。インドシナの方は内陸に引き込んでから叩き潰すぞ」
「既に主力はミャンマーに展開を完了し、敵が侵攻してくるのを待っております。ハノイ駐屯の第95連隊も適当に応戦した後、後退してくる手筈です」
「空軍はどうか、予定通り迎撃を開始したか?」
「はい、全力で迎え撃っております。敵の主力は海南島の空軍のようで、Zプラスの姿は確認できていません。空母に回されたのでしょうか?」
「まあ、いずれ出てくる。今は敵空軍戦力をすり減らす事だ」

 かつてのオデッサ作戦でもそうだが、幾ら地の利があっても空を押さえられたら地上軍は脆い。オデッサのジオン軍も地上戦ではどうにか戦えていたが、空からの徹底した空爆に戦力をすり減らされたようなものだ。ドップは良く頑張っていたが、数倍する連邦戦闘機に飲み込まれてしまったのだ。
 今回でも連邦は基地空軍と海軍の空母艦載機でこちらの航空戦力の圧倒する計画のようで、海南島のほかにも複数の空軍基地に多数の作戦機が集められている。更に大型空母2隻に軽空母2隻も参加しており多数の艦載機とMAを投入してくるだろう。
 これに対してはティターンズも少しずつギャプランやシュツルムイェーガーをマドラスに集める事で対抗しており、代わりにアッシマーをキリマンジャロに戻して防空に当たらせている。もしこの情報が外れだったり、アフリカでの大攻勢の為の儀情報だったりすればキリマンジャロを守る防衛線を抜かれかねない戦力配置であったが、これは賭けだとティターンズは割り切り、そしてその賭けに彼らは勝った。今ハイフォン周辺の空中戦ではこの日の為に集められていたシュツルムイェーガーが多数飛び回り、連邦の作戦機を叩き落している。今頃連邦軍の指揮官は慌てふためいている事だろう。
 そしてやはり情報どおり、戦線後方に降下部隊が現れたという報告が届いた。ただその規模はこちらの想像を大きく上回る物で、連邦軍のガルダ級輸送機3機が弾道コースでこちらに向かってきている知らせが届いた、これが降下部隊なのだろう。ガルダ級3隻となるとかなりの大部隊という事であり、これは自分たちの予想を大きく上回っている。陽動だと考えていたのだが、実はこちらが主攻だったりするのだろうか。

「北に回した戦力が少し薄かったかもしれんな」
「確かに、後続があれば不味い事になるかもしれません」

 小規模な陽動部隊ではなく、本格的な打撃部隊が降下してきたとすれば予定が狂う事になる。全力でインドシナ半島で上陸してきた連邦軍を迎え撃つ予定であったが、少し戦力を呼び戻して対応した方が良いかもしれない。

「インドシナに配置した戦力を回すか、インドから部隊を割くかだな」
「それならインドから割きましょう、インドシナ方面が主戦場になるのは確実、あそこを薄くするわけにはいきません」
「よし、回す戦力は君に任せる。構わないかな」
「ダッカから守備隊の一部と、あと丁度良い連中が居ます、宇宙から降りてきた部隊に任せましょう」
「ああ、モンシア大尉の隊か。そうだな、それで良かろう」

 宇宙から降りてきたMS隊は本来ならば宇宙に戻すべきなのだが、その余裕がなくて未だに地上に留まり、キリマンジャロからインドに回されてきている。扱いに困っていた所でもあり、丁度良いと言えば丁度良い。
 だが、アーカットはすぐにこの選択を悔いる事になる。彼らは降りてくる敵が大部隊であることまでは推察できていたが、それが連邦でも最精鋭の部隊である事までは予想できなかった。それを知る事が出来た時には、彼らは態勢を整えていたのだ。





 ベンガル湾に進入した連邦艦隊は、まずヤンゴンに巡航ミサイルを叩き込んだ。ミノフスキー粒子の撒布によって従来の誘導システムはほとんど無力化されたので地形レーダーや衛星からの誘導といった正確な命中を約束するシステムは使えないが、正確な誘導を諦めれば今でも有用な兵器だ。そもそも黎明期のミサイルにはそんな正確な誘導システムはなかったが、それでも兵器としては有用な物だったのだ。要するに敵の基地のある辺りに落ちてくれて、きちんと爆発してくれれば兵器としては役に立つということだ。
 16隻の駆逐艦から一斉に巡航ミサイルが放たれ、白煙を曳きながらヤンゴン目指して突き進んで行く。500km彼方の洋上から放たれたミサイルはすぐにレーダーに捉えられ、ヤンゴンから放たれた迎撃ミサイルに迎え撃たれて洋上に幾つもの爆発の光を生み出し、それを抜けてきたミサイルをスクランブルしてきたダガーフィッシュが撃ち落していく。巡航ミサイルは遅いので戦闘機からの撃墜は容易いので、次々に落とされていく。だが上がった機数が少なく、戦闘機の迎撃も突破して巡航ミサイルはヤンゴンに迫った。
 死後の迎撃は基地の防空についているMSや車両と、撒布されたミノフスキー粒子だ。これでミサイルの誘導システムは無力化されるはずであるし、対空砲火で何発かを撃墜してくれる事が期待出来る。
 できれば全て基地外に落ちて欲しい、そう願う基地司令であったが、彼の願いも空しく対空砲火を抜けたミサイルはまず基地の倉庫区画に着弾し、大爆発を起こして倉庫数棟を粉砕する。続いて湾後部にも着弾し、ここにあったクレーンの1つを倒壊させ、車両数台を吹き飛ばして埠頭に大きなダメージを与えた。
 これに続いて4発が着弾し、基地施設に致命的ではないものの、大きな被害が出てしまった。特に滑走路に着弾したのが大きく、1つが完全に使用不能になっている。

「くそっ、やってくれたな。敵艦隊に偵察機を出す事は可能か?」
「位置は大体分かりますから可能と言えば可能ですが、攻撃隊を出すのですか、そちらは海軍の担当の筈ですが?」
「分かっている。ただ偵察機を出して正確な位置を掴んでおこうと思っただけだ」

 そう、敵艦隊の相手はあくまで海軍の仕事、ヤンゴン基地の役割はインドシナに展開する部隊への後方拠点として機能する事だ。前線に絶えず物資を供給し、消耗した部隊を迎え入れて回復させる事が役目であり、配置されている兵力は予備であり防衛用なのだ。自分から積極的に打って出る為ではない。
 だが、連邦軍は彼らが想像していた以上に積極的であった。更にもう一度30を越す巡航ミサイルが別方向から飛来し、ヤンゴンの被害が拡大する。そしてそれに続いて今度は艦載機による空襲が続いてきた。
 来襲したのはダガーフィッシュとアヴェンジャーで、30機ほどの編隊であった。直ちにヤンゴンからも迎撃機が飛びたって空中戦が始まり、アヴェンジャーが迎撃機を掻い潜って対地ミサイルを叩き込んでゆく。その目標は飛行場の滑走路と、そこに駐機されている輸送機であった。彼らの狙いはヤンゴンの補給基地としての機能を断つ事にあったらしい。特に垂直離着陸できるミデア輸送機は集中的に狙われ、12機が地上で残骸に変わっている。他には爆撃機が数機、格納庫も炎上している。
 攻撃を終えた艦載機の群れは潮が引くように撤退していった。やる事をやり終えれば留まる理由はないのだろう。敵が退いたのを見てすぐに復旧作業が始められ、滑走路上の瓦礫などが退けられていく。急がないと飛び立った迎撃機が燃料切れになってしまいかねない。手間取るようなら別の飛行場に退避させようかと思ったが、幸いにも滑走路上の被害はさほどではなく、どうにかなりそうだという知らせに基地司令は安堵した。だが、その安堵を打ち砕くかのように洋上警戒に付いていた哨戒艇から敵の第2次攻撃隊発見の知らせが届いてしまう。
 今度の敵の編成は1波とほぼ同じで、やはり30機ほどの攻撃隊であった。上空に残っていた迎撃機は乏しい燃料と弾薬でこれに立ち向かったのだが、一度戦闘を終えてミサイルを使い果たした戦闘機では完全武装状態の敵機を相手取るのは無謀に過ぎ、放たれた短距離ミサイルに大半が蹴散らされてしまう。
 この攻撃隊も輸送機や倉庫に攻撃を加え、まだ生きていた機体が砕け散り、倉庫が直撃弾を受けて吹き飛んでいく。やはりこの攻撃隊も輸送手段や蓄積された物資を集中的に狙って攻撃していき、そしてさっさと引き上げていってしまった。
 合計4波に渡る攻撃を受け続けたヤンゴン基地は大きな被害を受け、基地司令は燃え上がる倉庫や残骸だらけになった飛行場の様子に呆然としてしまっていた。つい1時間前までは大規模な中継基地であったヤンゴンが、こうもあっさりと機能喪失してしまったのだからまあ無理もあるまい。
 だが、まだ輸送機を全滅されただけで車両は残っている。トラックを使えば補給を継続する事は可能であった。補給を絶やすわけにはいかないヤンゴン基地としてはインドから輸送機を回してくれるよう手配すると共に、あるだけのトラックで物資を送る以外に手は無かった。
 このヤンゴンの大損害はマドラスのアーカットを暫し絶句させ、彼にヤンゴンの守りを薄くしすぎたと後悔させている。主戦場であるインドシナに戦力を集中させた為に後方基地の守りがどうしても薄くなったことの弊害が出たのだ。連邦艦隊の動きは掴んでいたが、これを叩く為の部隊はもう少しベンガル湾の置くにはいった海域、チッタゴンやカルカッタを攻撃できる距離に入った辺りに配置している。ヤンゴンの事を失念していたとの謗りは免れないだろう。
 だが過ぎた事は変えられない、アーカットはインドに展開しているミデアの一部をヤンゴンに向かわせ、補給路を維持させるしかなかった。インド側の輸送能力が低下するがこの際止むを得ない。今はインドシナで敵を食い止める事が何よりも優先されるのだ。





 太平洋方面軍が行動を開始した頃、再建中の極東方面軍からはマイベック准将率いる第54旅団が海鳴を出撃しようとしていた。これはガルダとスードリ、アウドムラの3機のガルダ級によって一気に要衝カルカッタの北にあるアッサムにまで運ばれ、空挺降下後にガンジス川沿いに南下、ダッカを攻略後にカルカッタを目指す事になる。直接カルカッタを目指さないのは、流石にその途中でティターンズの攻撃によってガルダ級輸送機を失う恐れがあったからだ。
 とはいえ、実際にはマイベックは海鳴基地を離れる事は出来ず、第54旅団はシアンの指揮で侵攻する事になる。まあ第54旅団は海鳴で寄せ集めの部隊で急遽編成された急造部隊であり、戦力も1個連隊強という程度なのでシアンで十分という判断がされたのだろうが。
 この出撃に際して、マイベックはシアンに1つの警告を出していた。

「シアン、もしこの作戦が失敗したら、北東のチャウカン峠を目指せ」
「准将、始まる前から逃げる相談ですか?」
「もしもの時の為だ。戦いはまだ続く、お前らに死んで貰っちゃ後が困るんだよ」
「……やっぱり、ヤバイんですかこの作戦。ジャブローから来た連中が準備不足で強行してるって言ってましたが」

 ジャブローから来た士官達はやはり田舎に居る自分たちよりも情報に通じている。彼らがこの作戦はヤバイと口にしているのをシアンは幾度か耳にしており、本当に大丈夫なのかなあと不安に放っていたのだ。まあ海鳴基地には十分な物資があるから自分たちの担当任務に関しては不安は無かったのだが、他の部隊が撃破されれば孤立して終わりだ。そうなる事を彼は心配していた。
 そしてマイベックも同様の不安を抱えていたのだろう。彼はこの作戦の準備と平行して撤退作戦の準備もしてくれていたのだ。

「予定ポイントはお前の機体のコンピューターに入れてあるから、到達したら信号を送れ、空中待機している3機のガルダが収容しに降りてくる手筈になっている。ただし悪いが地上には降りられないから、飛び乗って貰う事になるぞ。損傷して飛べない機体は捨てて構わない」
「ご配慮感謝しますよ。ですが、まずは作戦を成功させる事を考えましょうよ。これが成功すれば戦争の決着は見えてくるんですから」

 マイベック准将は心配のし過ぎだとシアンは笑って返し、準備があるからと言って彼の元を辞した。そしてシアンは基地のゲート辺りで妻の郁未と、親戚である高町桃子と御神美沙斗の元へと向かった。そこでは郁未が何度も2人に頭を下げていて、それに桃子と美沙斗が苦笑している。その3人の間には娘の未悠がキョトンとした顔をして立っている。

「本当にご迷惑をおかけしてしまって」
「いえいえ、構いませんよ。それより、怪我もせずに無事に帰ってください。子供が泣くのを見るのはもう御免ですから」
「それはもう、絶対に帰ってきます。こう見えても私、結構悪運は強いんです」

 そういう問題ではないだろうが、郁未は自信満々で言い切って見せて桃子を困らせ、美沙斗が小さく笑っている。郁未とシアンはこれから出征しなくてはいけないので、娘の未悠を高町家に預ける事にしたのだ。一応そういう施設も海鳴基地にはあるのだが、そこに入れるよりは懇意にしている高町家に預かって貰った方が安心できる。
 そこにシアンもやってきて同じように桃子に頭を下げ、そして美沙斗に一緒に来てくれないかと誘いをかけた。

「どうです義姉さん、貴女に来てもらえると色々と助かるんですが」
「悪いけど、私は軍人じゃないよ。今は警察の協力者さ。だから護衛とかなら引き受けるけど、船上に出向く気は無いんだ」
「ふう、こっちとしては義姉さんの反則じみた隠密行動能力は是非欲しいんですけどね」

 御神の人間は暗殺や斥候としても極めて高い能力を見せる。彼女は単独で下手なコマンドのチームよりも戦力になってくれるので、居てくれると何かと使いどころがあるのだ。少なくともシアンでは彼女には勝てない。能力を発動しなければ歯が立たないし、発動しようとしてもその隙を突かれてぶちのめされてしまう。クリステラのコンサートの際に迎え撃とうとしたのだが、一瞬で一撃貰って昏倒させられたという苦い過去もあるのだ。
 だがまあ無理に誘う事も出来ず、シアンは膝を折って屈むと娘の頭に手を置いてくしゃくしゃと髪をかき回した。

「未悠、悪いがまたお仕事でここを離れなくちゃいけないんだ。今度は母さんもな。だから、桃子叔母さんの家で待っててくれるか?」
「おとーさんとおかーさん、どこか行っちゃうの?」
「ああ、でも心配するな。そんなに長くはかからないから、すぐにお土産一杯持って帰ってくる。多分母さんの方が先になるだろうけどな。未悠が20回くらい起きた頃にはきっと戻ってる」

 それは絶対とは言えない事であったが、少なくともシアンは作戦が終ったら郁未を絶対に海鳴に戻すつもりであった。幸いにして名雪が手元に来たので、宇宙に出るまでは彼女を代わりにして郁未は家庭に戻すつもりでいたのだから。マイベックが何と言おうとこれだけは譲るつもりは無い。
 だがやはり子供は置いていかれるのを嫌がるもので、2人は泣きじゃくる娘を宥めるのに戦闘以上の労力を費やす事となった。特にシアンはかなり親馬鹿なので泣き出した娘相手にかなり慌てふためいていて、妻に叱責される有様であった。




 そういって海鳴を出て来たシアンであったが、段々と不安は大きくなっていた。マイベックの感じていた不安が乗り移ったかのようにシアンもまた徐々に不安に支配されてきていた。
 そんなシアンを放っておいて、祐一は海鳴で合流した他の2個大隊の指揮官達と分担を話し合っていた。

「それじゃ、俺の大隊が正面、オグス少佐の隊がその後ろから続き、ジューコフ中佐が補給部隊と一緒に後詰として続く、という事で?」
「それで構わないだろう、相沢少佐の隊は新鋭機が揃っているし、パイロットもベテラン揃いで先鋒を任せられる」

 ジューコフ中佐が小さく頷いている。彼はジオン公国の地上攻撃軍の将校でオデッサ戦にも参加していたのだが、オデッサ戦の敗北で捕虜となり、その後は職を求めて連邦軍に再就職してきたクチだ。指揮能力に優れていたので今回の作戦では混成機械化大隊を任されている。

「それじゃあ降下後はうちの隊が進行方向に展開して、オグス少佐の隊が降下ポイント周辺を確保、って感じでいきますか。あとはジューコフ中佐の隊が投下物資を纏め終えたら進軍を開始しですか」
「それで良いでしょうな、敵への対応は現地に付いてからでいいでしょうし」
「私もそれで構わないと思うが、どうでしょうかビューフォート中佐?」
「あ、何?」

 じっと考え込んでいたシアンは突然呼ばれて吃驚した顔をしている。その態度に3人は呆れた視線を向けてきたが、シアンは気にした風も無く決まった内容を話すように祐一を促す。それで仕方が無く祐一が説明をし、それを聞いていたシアンはふむふむと頷いた後、1つ修正を祐一に求めた。

「まあそれで構わんが、偵察を出して周辺の捜索もしておいてくれ。手配は相沢に任せるから」
「わかりました、それじゃ北川にやらせますかね」

 面倒な仕事は北川に任せるというのは祐一の中のデフォルト設定になっているのだろうか。




 降下中の輸送機部隊は途中でティターンズの高高度迎撃機による迎撃を受けた。それはティンコッドの編隊と、4機のギャプランによるもので、連邦側は多数のZプラスでこれを迎え撃ち、一方的に蹴散らしている。
 しかし、このギャプランの存在がシアンの不安を煽るものとなった。何故こんな所に虎の子のギャプランが居たのだ、あれは重要拠点を守る迎撃機で、航続距離が短いので基地周辺しか守れない。アッサムの北西部を選んだのもギャプランの迎撃を受けないで済むだろうという予想があったからなのに、何故こんな所に出てきたのか。ギャプランを配備して守らなくてはいけないような拠点は近辺には無い筈なのに。
 降下予定ポイントに到達した3機のガルダから一斉にMSが降下装備を背負って降下を開始し、それに続いて車両や物資、装備を搭載したドダイ改が発進してくる。地上にパラシュートでばら撒かれたMSは着地してすぐに小隊単位に集結し、予定されている集結ポイントを目指して移動して行く。ティターンズがこちらに気付いていないのか、気付いていても阻止する為の戦力が無いのか、どちらにせよ迎撃が無かったのはありがたかった。
 集結ポイントに集結した祐一たちはそこで予定していた形に展開を始め、ジューコフ隊が物資を集めて確認をしている。祐一たちは前進展開を完了し、北川の中隊が分散して偵察に出かけていく。北川が抜けた分の不足はシアンの直属部隊から2個MS小隊を出して補っている。
 
「おお、ここがインドか。次は北米に行ってみたいな名雪」
「祐一、観光に来たんじゃないんだよ〜?」
「でも凄いぞ。後ろに見えるのがヒマラヤ山脈かな?」
「そうだけど、山脈って言えるのはもっと西だよ。後ろはチベット高原」
「なるほどな、それで名雪、この辺りで美味い物は何だ?」
「え、ええと、そんなの急に言われても……」
「名雪、そこで詰まっているようじゃ俺の相方は勤まらないと何度言えば!」
「私、ボケ担当じゃないもん」

 恋人の理不尽な文句に名雪は困った声を漏らし、通信で香里にこの辺りの名物は何かと尋ねだした。それに気付いた祐一が慌てて止めさせ、そんなことで無線を使うなと窘める。
 しかし、その時いきなりG−9の対人センサーが接近してくる複数の人間を捉えた。4,5人程度の群れが複数で迫ってきている。それはどう見ても近辺の農家の人の動きではなく、何かを狙う兵士の班の動きであった。恐らく対MSミサイルを担いだ連中なのだろう。

「おい、全機気をつけろ、足元にお客さんが近づいてるぞ!」
「分かってますよ少佐、センサーが捕らえてますって!」
「よし、余り弾を無駄にするなよ。俺は本部とジューコフ中佐に連絡する」

 肉薄してきている敵歩兵の事は部下に任せて、祐一は本部に居るシアンとジューコフに敵の地上部隊が迫っている事を連絡した。その事を知らされたシアンはジューコフと顔を向け合い、まさかそこまで無茶な事をするのかと首を傾げている。

「おい相沢、車両の姿は無いのか?」
「今の所は。流石に戦車や装甲車が出てきてれば北川たちが気付いたでしょう?」
「そりゃそうだが、歩兵だけで来るか普通。それにどうやって出てきたんだ?」

 MSは確かに歩兵による肉薄への対処は苦手としてるが、物には限度という物がある。確かにこの辺りも熱帯雨林地帯であるが、今太平洋方面軍が攻撃している東南アジアほど鬱蒼と茂っている訳ではない。身を隠す場所が限られている地形では自殺攻撃も同然の筈なのだが。
 それにこいつ等は何処から沸いてきたのだ。近くにティターンズの小規模な駐屯地でもあったのだろうか。もしそうなら降下予定地点に関する情報収集さえ不完全だった事になるのだが。

「まあ状況は分かった、こっちから部隊を出して掃討を図るから、それまではMSで対処を……」

 そこまで言った時、いきなり大きな爆発音が轟いた。近くで立て続けにそれが続き、通信機の傍に居たシアンは慌てて機材の陰に身を伏せる。

「な、何だ、何処からの攻撃だ!?」
「ロケットのようです中佐、飛翔音が聞こえました!」
「ちっ、なんて事だ。すぐに発射地点を探して潰させろ、このままじゃ良い的だ。ジューコフ中佐、すぐに部隊を纏めて移動する!」
「了解です、確かにこれでは暢気に準備はしていられませんからな」

 やはり未発見の部隊が近くに居たのだ。シアンは情報部のマヌケを口汚く何度か罵り、郁未を呼んで被害を調べるように命じる。そして自分は急いでここから移動するように部下を叱咤していたのだが、また祐一から通信が送られてきた。今度のは確認ではなく、悲鳴である。

「シ、シアンさん、援軍はまだですか!?」
「どうした相沢、新人じゃないんだ、落ち着いて何があったのか話せ!」
「歩兵に続いて車両とMS多数を確認、正確な数は不明ですがこっちより多そうです。何でこんな所にこんなに居るんすか!?」
「知るか、帰ったらバイエルラインを締め上げて聞いてやるさ!」

 泣き言を言う祐一を怒鳴りつけて黙らせたシアンの元に、今度は北川や香里から通信が入ってきた。小隊単位で偵察に出ていた彼らもまた敵と接触し、戦闘になったと知らせてきて、状況から考えて自分たちは敵に包囲されているらしいことが判明した。

「こいつは、完全に敵の罠に嵌ったかな?」
「降下ポイントに向けてこれだけの数が群がって来ているとなりますと、敵はこの辺りに部隊を伏せて待ち構えていたという事になりますな。これは、作戦計画が敵に漏れていたという事ですかな?」
「そうなるんでしょうね、さてどうしたものか……」

 ジューコフ中佐と一緒に地図を凝視するシアン。そこには手書きで確認された敵部隊が書き加えられており、自分たちがほぼ敵の包囲下に落ちている事が分かる。しかも周囲の地形から自分たちに取れる選択肢は2つしかない。そう、北東に逃げるか、南西に攻め込むかである。
 作戦が完全に失敗したならマイベックの作戦に従えばいいが、まだ作戦は続いている。この事態も予定より早く敵とぶつかっただけに過ぎない。最悪の事態である降下中を敵に狙われるという展開よりはまだマシだろう。
 そんな事を話し合っていると、郁未が部隊の状況を把握して戻ってきた。簡単にメモを殴り書きしたボードを夫に差し出し、それに目を通したシアンは大きな被害が出ていないことを確かめてホッと胸を撫で下ろした。

「ふう、破壊された車両は無しか、不幸中の幸いだな」
「それではすぐに南下しますかな。ぐずぐずしてはいられません」
「私は前に出て露払いを努めますから、ジューコフ中佐は後に続いてください。郁未、MSは出せるな?」
「ジムVは準備出来てますけど、グーファーが出てきたら厳しい事になりますが?」
「なあに、その辺は腕で押さえ込むさ。これでも連邦トップエースの1人だぞ」
「はいはい、最近は余り乗ってないんだから自身過剰にならないの」

 奥さんにパシンとボードで頭を叩かれたシアンは不満そうに口を尖らせているが、世の旦那の例に漏れず彼も嫁には逆らえない男であった。口調が夫婦のそれになってる事も咎めずにすいませんと謝っている。その様を見ているジューコフ以下の既婚組がなにやら理解の眼差し向けたり苦笑を浮かべていた。
 状況からティターンズはこちらの計画を掴んでいると考えて良いだろう。恐らくジャブローの政府要人か軍上層部に内通者が居るのだろうが、それを借り出すのは情報部の仕事だ。自分の仕事はダッカを目指す事である。

「とりあえず、近くの都市ラングプルを攻略してダッカに向かう道路に出るとしようか。出来ればカルカッタで友軍と合流したいもんだな」

 そうなってくれれば良い、シアンはそう居るかどうかも分からない神に祈った。出来ればマイベックが想定しているような最悪の事態は勘弁して欲しい。こんな逃げ場も無い僻地で的中で孤立など、冗談ではないのだ。


後書き

ジム改 カタパルト作戦発動。
栞   なんというか、始まる前から負けっぽいんですけど?
ジム改 準備不足のまま無理に作戦を発動したからねえ。
栞   まあ私達は無敵ですからカルカッタまで行けるでしょうけど。
ジム改 過去に幾度も負けてたように思うんですが?
栞   そんな昔の事は覚えていません。
ジム改 まあ、連邦軍も戦力は整えているから力技で押し切れそうだけどね。
栞   この辺の物量作戦は連邦の得意技ですねえ。何で何時も大軍なんです?
ジム改 そりゃ簡単、連邦だけが大軍を運用出来るシステムを持ってるから。
栞   人工的にはネオジオンもティターンズも負けてないんですけどねえ。
ジム改 そいつらは連邦と同等の兵力を動かそうとしても自滅しちゃうんだよ。
栞   何故に、人材は優秀なのに?
ジム改 この辺は長い伝統に裏付けられた連邦の底力って奴でね。
栞   それでは次回、連邦軍はインドシナ半島に上陸してラオスからミャンマーに抜けようとしますが、シャン高原を舞台に連邦とティターンズの地上部隊が激しくぶつかります。そして私達はダッカを目指してティターンズを蹴散らしながら進軍しますが、そこに懲りないジェリド中尉たちが。次回「激闘インドシナ戦線」で会いましょう。