第96章  激闘インドシナ戦線


 

 インドシナ半島に侵攻した連邦軍はハノイ周辺に展開していたティターンズの地上部隊を蹴散らしつつハノイを攻略し、トンキン湾の安全を確保する事に成功した。これによりフィリピンに待機していた後続部隊を安全にインドシナに揚陸する事が可能となり、マニラとダバオから輸送船団が出撃している。
 だがティターンズもハノイを守るつもりは無かったようで、上陸時こそ激しい抵抗を見せたものの橋頭堡の形成後は大規模な抵抗も無く、早々にタイとラオスに後退している。連邦軍はこれを追撃して旧タイ領に侵攻したのだが、タイに進入した先鋒部隊はそこでジャングルという地形に多いに悩まされる事になった。ティターンズはジャングルという地勢を利用してMSや戦車による待ち伏せ、携帯ミサイルを抱えた歩兵による肉薄攻撃を仕掛けるようになり、迂闊にMSを前に出せなくなったのだ。
 これは1年戦争で連邦軍が散々に使った手であり、当時この辺りで機械化部隊を率いて戦っていたコジマ大佐は自分たちとティターンズの立ち位置がそのまま1年戦争時のジオンと連邦の形になっていると会議の場で告げている。彼はこの作戦では1個旅団を率いてラオス北部に向かったのだが、豊富な経験からこの状況を予想しており、最初からMSを全面に押し立てて無理攻めする事はせず地道に前進を続けていた。
 コジマ大佐のやり方は1年戦争で実績のあるソナーによる索敵と車両や歩兵、MSを組み合わせた物で、敵の陣地を1つずつ潰して行くというものだ。進軍速度は上がらないが損害を抑えつつ前進する事ができる。ただこれでは作戦計画通りの進軍は出来ず、ハノイに前進してきた第5軍司令部から進軍速度を上げるように命令が来ている。
 その通信文を受け取ったコジマ大佐は暑そうに野戦服の胸元を空けて扇風機に当たりながら、どうしたものかと通信文を部下に渡した。

「ふぅ、上の無茶は何時もの事だな」
「ですが無視も出来ないでしょう、どうしますか?」
「……ふむ、南は一面の熱帯林だからな。シャン高原経由でゆっくりヤンゴンを目指すつもりだったんだが」

 MSだけでなら一気に前進も出来るだろうが、そんな事をしたら歩兵にMSを食われているタイに向かった部隊の二の舞だ。同時に複数のミサイルを撃ち込まれればMSであっても容易く撃破されてしまうからだ。

「仕方が無い、ジムにヘリをつけて前に出すとするか。本隊はゆっくり行けば良いさ」
「それで良いんですか?」
「構わん構わん、前に出す連中も無理させるなよ、余り前に出ると孤立するからな」

 やる気無さそうに指示を出すと、コジマ大佐は暑い暑いとぼやいてボードで頭を扇ぎだした。それを見た部下はやれやれと敬礼をして去って行き、通信隊の所に向かう。
 この時コジマ大佐はタイに向かっている本隊の進軍が止められると予想していたのだろう。かつて自分たちがここでジオンの侵攻を食い止めたように、ティターンズもまた連邦を食い止めるだろうと。勿論あの時とはやや事情が異なる。1年戦争の時は制空権争いでは連邦が優勢であったが、今は伯仲しているかやや連邦に不利となっている。戦場となっているインドシナ半島の上空では今もどこかで連邦機とティターンズ機が激しくぶつかっていて、時折連邦のZプラスやアッシマーとティターンズのシュツルムイェーガーがこれに加わっている。可変MSや可変MAは数が少ないので主力とはならないが、ここぞというときに投入されて絶大な威力を発揮しているのだ。ただ強力な機体であるだけに1機でも落とされるとそれが後に大きく響く事になるので、両軍とも喪失をかなり恐れていた。シュツルムイェーガーやZプラスといえどもダガーフィッシュの空対空ミサイルやビームガンに直撃されれば落ちるからだ。
 ただ上空で作戦機が激しく激突していても、それは地上戦には余り関係していなかった。MSの全長を超えるほどの巨木が生い茂るジャングルのせいで上空から地上部隊の姿が確認できないので、上空からの対地攻撃が困難になっている。
 時折発見されるティターンズのデポは集中的に爆撃され、使える物資が何も無いという状態になるまで爆弾を雨霰と見舞っていた。味方の近くにある場合は地上部隊が奪取しに行くこともある。

 しかし、空軍の支援が不十分であること、歩兵や軽車両でもMSの足止めが出来る環境という悪条件が重なって連邦軍の進軍速度はかなり低下しており、まるで市街戦のように小さなエリアを奪い合う戦いが始まっている。MSは迂闊に前には出れず、ホバートラックの音響索敵と歩兵の偵察による支援を受けながら慎重に前に出ている。

 

 廃墟と化した街の1つ、恐らくは1年戦争の影響で人が去り、そのまま見捨てられた街であろうが、そこを部隊に連邦軍第5軍の第32師団が進出してきたのだ。ここにはティターンズの1個連隊が守備に付き、突入してきた連邦軍を市街戦に引き込んで頑強に抵抗していた。連邦軍としてはここを破ればコラート台地への道が開け、幹線道路を使ってバンコクやヤンゴンに抜ける事が出来る様になる。
 この街を制圧しようとした32師団は、廃墟となったビルの陰から襲い掛かってくる歩兵に苦しめられる事になった。携帯式ミサイルランチャーを担いで瓦礫の影から、割れた窓から、高架の下からランチャーを担いだ兵士がやって来たジムUやジムRMに狙いをつけ、一斉にミサイルを叩き込んで行く。1発では当たり所が良くなければ有効打にはならないが、複数同時に叩き込めば擱座させることも十分可能なのだ。これは対戦車戦において基本的な戦術で、随伴歩兵の援護が無い戦車は歩兵のいいカモにされてしまう。MSも同様で、足元をカバーしてくれる歩兵と上空を監視してくれるヘリの援護が無ければ対戦車兵器を駆使してくる地上部隊の待ち伏せの餌食となってしまう。
 1年戦争では連邦軍の地上部隊がこの方法でMS以外の戦力が足りないジオンのザクを食ったのだ。駆動系の露出部が多かったザクは意外に脆く、61式戦車が囮になってザクを引き込み、足元に迫った歩兵がミサイルを足駆動部に叩き込んで擱座させる戦術はかなりの戦果を上げている。これに懲りたジオン地上軍は現地改修で対人兵器を搭載するようになっていく事になる。
 この戦訓を持つ連邦軍は最初から対人兵器をMSに装備させていたが、彼らはジオン軍ほどには歩兵の脅威を認識してはいなかった。歩兵戦闘車は後続していたし、歩兵を展開させてもいたのだが、それでもまだ足りなかった。
 ジオンは地雷や歩兵の脅威に対抗する為に重装甲化に走り、ホバーによる高速化も図った。ドムが地上戦で大きな威力を発揮したのは重装甲とジャイアントバズの威力だけでなく、露出していた弱点が減った事と高速化によって近距離から狙うのが難しくなった事も大きかった。
 連邦軍はこの問題をガンダムmk−Uなどに見られるような稼動装甲の採用で対処していたが、連邦系のMSはどうしても防御面ではスカート型装甲を持つジオン系MSには及ばなかった。重量増加は避けられないが、下手な小細工で誤魔化すよりもやはり単純に装甲で覆ってしまう方が確実なのだろう。
 今も1機のジムUが右足の足首と膝に2発ずつのミサイルを叩き込まれ、右足駆動装置を破壊されて横転してしまっている。こうなったらパイロットはすぐに脱出して逃げ出さないと、やって来た歩兵にコクピットを開けられて射殺されるか、手榴弾を放り込まれてしまうからだ。もっとも拳銃くらいしか持っていないMSのパイロットではすぐに味方に合流できなければやはり射殺される運命なのだが。MSパイロットはヘリパイロットと並んで歩兵から目の敵にされている連中だから。

 撃破されたMSの数が10機を超えた時点で32師団はMS隊を引き上げさせ、こちらも歩兵を前に出して壮絶な市街戦を受けて立つ事にした。戦車と共に前進し、歩兵が潜んでいそうな場所に手当たり次第に主砲を叩き込みながら1歩1歩前進して行く。上空には攻撃ヘリが飛び回り、上から移動するティターンズの地上部隊を探して位置を味方に通報し、自分で高速弾を叩き込んだり対地ロケットを叩き込んでまわっている。
 正面から正攻法で力押しされれば数で劣るティターンズに勝ち目は無く、建物を1つずつ奪い合う戦いを繰り返しながら、数をすり減らされたティターンズは後退を余儀なくされていた。




 この状況にバルバゴリ中将は苛立ちを隠せなくなっていたが、彼にもどうする事も出来なかった。内陸部に入れば艦隊からの支援は受けられないし、航空攻撃も効果が不十分とあっては地上部隊の増援を送り込む事くらいしか出来る事が無い。既に増援はハノイに向かっている筈だが、問題はそれが届いたとしても状況を打開できるだろうか。ティターンズも増援を送り込んでくれば戦いは最悪の消耗戦に突入してしまうかもしれない。
 無理攻めすれば抜けるかもしれないが、そんな事をしたら太平洋軍と極東軍は膨大な犠牲を出してしまう。それではその後に続くマドラス侵攻作戦は出来なくなってしまうだろう。ここに至ってバルバゴリ中将はジャブローにどうするかの判断を委ねる事にした。

 下駄を預けられたジャブローとしては事態を政府に報告するほか無く、戦況が思っていたようには進んでいないことを知らされた大統領はコーウェンに不満をぶつけてきた。

「どういう事かなジョン、準備期間が不足しているとは聞かされていたが、これは少々不甲斐無さ過ぎるのではないか?」
「批判は甘んじてお受けいたしますが、これは戦場の環境による物も大きいのです。ジャブローもそうですが、熱帯雨林というのは侵攻するのに難しい土地ですから」
「それは最初から分かっていたことだろうに」

 大統領の糾弾にコーウェンはじっと耐えていたが、内心では膨大な文句を立て並べていた。何しろこの作戦は政府がゴリ押ししてきた物であり、自分たちが進めていた北米攻略作戦ならばこんな苦労をする事は無かったのだ。そもそも計画の準備期間も少なすぎたのだから、こうなるのも当然の結果と言える。本来ならこれほどの大作戦を実行に移す前に入念な調査をするものだし、その調査から必要な装備や物資の調達をするものなのだが、今回は北米侵攻作戦と極東軍の中央アジアへの攻勢用に用意されていた部隊と物資を回して間に合わせたのだから。
 北米や中央アジアで威力を発揮しただろう陸戦用のホバーユニットはジャングルではほとんど意味を成さず、むしろデッドウェイトとして現地で外されている。ここでは頑丈で、泥に足を取られない幅広の足の方が必要だったのだ。だがその脚部ユニットの用意は足りず、大半は普通の脚部でジャングルに踏み込み、湿地や沼に足を取られて動けなくなる機体が続出している。それらの機体は放棄され、後続の回収車両によって引き上げられるのを待つしかない。
 むしろ履帯によって機動する戦車や歩兵戦闘車の方が安全に動き回れ、機動力を生かして活躍している。MSはこれらの支援を受けながら戦っていた。61式や81式、APCが木々を薙ぎ倒しながらジャングルの中を駆け回り、ティターンズの部隊に対して索敵攻撃を仕掛けている。彼らが敵に遭遇したら近くのMS隊が呼び寄せられている。
 これらは全て現地部隊が即席で作り上げた戦い方であり、当初考えられていたMSの大部隊をもってジャングルを踏破し、ヤンゴンを落とすという計画は水泡に帰した事になる。そしてヤンゴンを落とせないならばインド北東部に降下した極東軍やベンガル湾を北上している艦隊も意味を無くしてしまう。彼らは地上部隊が速やかにカルカッタに向かってくるということを前提にしていたので、それが来ないとなれば各個撃破の好餌にしかならない。


 大統領の糾弾が一段落したところで話は実務的な事に移った。コロレフ国防長官が今後の想定をコーウェンに説明するように促したのだ。

「それで将軍、今後の戦いはどう動くと軍では考えているのかね?」
「軍としましてはやはりカルカッタまで一気に抜くのは無理ではないか、という方向で話が纏まっております。ここは無理をせず、前進基地としてヤンゴンを押さえる事に全力を注ぐべきではないかと」
「マドラスは諦めるというのかね?」
「地上軍がこの調子ではベンガル湾にと投入した第3、第5艦隊は完全に突出しています。これでは上陸部隊を揚げることは出来ませんし、アッサム方面に降下させた部隊も孤立していますから撤退させる必要があります。すぐにでも取り掛からなければ彼らは全滅しますよ」

 有力な2つの艦隊と、秋子から預かった虎の子のMS隊をこんな所で無為に失うわけにはいかない。ヤンゴンを落としたところで守りを固め、準備を整えてから改めてカルカッタなりマドラスなりの攻略を目指せば良いではないか。それが連邦軍最高司令部の判断であった。元々無茶な作戦だったのだ。
 しかし、それでは大統領とスタッフが収まらない。この作戦にはユーラシアの奪還の他にも政府の権威回復という狙いもあったのに、中途半端で終ってしまっては意味が無いではないか。
 だが完全に失敗すれば今度こそ完全に連邦政府の権威は失墜してしまう。たとえこの戦争に勝利できたとしても連邦を構成する自治州や各サイド、月面都市の独立の動きを押さえ込むことは出来なくなってしまうだろう。そうなれば連邦体制は崩壊する事になるのだ。

「直接マドラスを攻略する事は出来ないのかね?」
「攻撃する事は可能でしょうが、攻略となりますと先にまずセイロン島の攻略が不可欠です。そうでなければ上陸させても孤立して返り討ちにあってしまいますので」
「ヤンゴンで一息入れるしかない、という事ですかな」

 悔しそうな大統領と萎縮しているコーウェンの話に割って入るようにクリステラ国務長官が口を挟む。今1つ頼りない大統領を補佐し、実質的に政府を動かしている苦労人である彼はこれまで一言も発せずに事の成行きを見守っていたのだが、遂に沈黙を破って口を挟んできた。

「余り無理をさせても仕方がありますまい。侵攻計画そのものを放棄するわけではないのですし、スケジュールの修正くらいは受け容れても良いのではありませんかな大統領?」
「いや、しかし……」

 目標達成に拘る大統領であったが、無理をして敗北を喫する方が問題になると言われてはこれ以上無理を言うのも難しくなってしまう。ただでさえティターンズのクーデターで権威が失墜した上に連邦市民からは無能な大統領と呼ばれているのに、これ以上失態が重なるのは耐えられない。次の選挙で再選するのは無理にしても多少は評価を上げて職を去りたいと思っているのだ。まあ、それはかなり困難な夢であったのだが。クリステラ長官に主導権を取られている時点で既に終わっている。

 結局大統領は軍部の要求を入れてヤンゴンを攻略し、インドシナ半島を平定する事で一区切り付けるという線で手を打った。これにホッとしたコーウェンはようやく胃にずっしりと感じていた重みが取れるのを感じ、表情から硬さが抜けた。その露骨な変化を見た大統領スタッフの幾人かが小さく噴出すような笑い声を漏らして慌てて噛み殺そうとしている。
 この変更に安堵したのはコーウェンだけではなく、作戦を指揮しているバルバゴリ中将から現場の指揮官たちまでに共通する物であった。誰もがカルカッタは遠すぎると感じていたので、遥か手前のヤンゴンを全力で落とせと変更されたことで肩の荷が下りたのだ。
 だが、全員が安堵したわけではない。中にはこの命令変更に激怒した者もいる。ベンガル湾を北上していた第3、第5艦隊はティターンズの潜水部隊と交戦中であり、強力な水中用可変MSのハイドラクスの襲撃に翻弄されていたのだ。
 連邦側もアクアジムVやメタスマリナーを投入してこれに対抗していたのだが、迎撃を掻い潜って魚雷を撃ち込み、バイスクロウで船底に穴を開けてくるハイドラクスの攻撃には手を焼いていた。水中なのでソナーによる探査が可能なのだが、多数の水中用MSやMAが戦っている為に音が判別出来ない有様では意味が無かった。
 空母を守る駆逐艦は対潜魚雷ではなく対潜爆雷を用いて迎撃機を突破したハイドラクスに対処していた。昔のヘッジホッグのように面を制圧するように大量に投射された爆雷は水中で自由に動き回るMSであっても回避するのは困難で、四方から遅い来る爆圧を受けて1機、また1機と砕かれ、圧壊したハイドラクスが海底へと沈んでいく。
 
 だが、やはりハイドラクスにとって最大の敵は迎撃に出て来たアクアジムVでもメタスマリナーでも無ければ、洋上を駆け回る駆逐艦でも無かった。それは空母から飛び立ち、上空から透明度の高い海中を動き回るハイドラクスを探し回っているドン・エスカルゴだったのだ。目視と音紋、磁気といった自前の索敵に加えて洋上艦とのデータリンクで目標を探すドン・エスカルゴはまさに死神で、空気中の音は水中には伝わらないのでハイドラクスにはこれを見つける手段さえない。いきなり頭上から多数の対潜ロケットを叩き込まれ、何が起きたのかを理解する間もなく撃破されてしまうハイドラクスはかなりの数に昇っていた。

 このハイドラクスの4波に渡る襲撃を跳ね除けてきた2つの艦隊は、主力の空母こそまだ健在であるものの多くのエスコート艦を撃沈され、あるいは損傷して後退させた為に出撃時は20隻前後を数えていた艦隊が今ではどちらも10隻を超える程度にまで減ってしまっている。もはや作戦続行が出来る状態ではなかった。
 両艦隊の指揮を取っているクラーク少将はニューギニアからの連絡を受けた事で迷わず艦隊を反転させた。ガンジス河河口を目指していた揚陸船団も同様に反転し、ヤンゴンの西側にあるネグレイス岬を目指す。この辺りに部隊を揚げる計画も立案段階ではあり、揚陸に適した海岸の選定くらいはしていたのだ。
 旗艦である巡洋艦セントルイスに座乗していたクラーク少将は艦隊を反転させてベンガル湾を離れ、とりあえずアンダマン諸島を目指す航路を取る。アンダマン諸島に展開する空軍の傘の下には入れればとりあえず安心だろう。基地配備のドン・エスカルゴの援護もあればハイドラクスの襲撃も恐れる必要は無くなるだろう。

「くそ、ジャブローがもっと早く決断してくれれば無駄に船を失う事は無かったのに」
「ですが、水中からの攻撃だけで済んで幸運でした。あの状態でもし航空攻撃まで受けていれば、空母もやられていたかもしれません」

 インド側からの航空攻撃が無かったのが不可解といえば不可解であった。恐らく作戦機の大半をインドシナ戦線に集中しているのだろうと思われるが、そのおかげで艦隊はこうして危険な海域から脱出できた。もし空母が叩かれていたらヤンゴンへの上陸作戦など論外だったろう。

「作戦参謀、当初の作戦案を元に上陸作戦の手直しを急いでくれ。それと偵察機の用意だ。上陸予定地点の写真を撮影させろ」

 巡航ミサイルは使い切ったので補給が必要だが、まだ艦載機用の爆弾やミサイルは残っているし艦砲の砲弾はたっぷりとある。これを使って橋頭堡周辺の征圧くらいは出来るだろう。





 連邦軍の作戦変更の被害を一番蒙ったのはシアンたち降下部隊だっただろう。あくまでも助攻部隊であり無理な戦いをするような戦力を持ってきているわけではない。暫くは頑張れるだろうが、味方と合流出来なければいずれ補給物資を使い果たして戦えなくなってしまう。幾ら高性能機とエースパイロットを多数擁していても弾が無くなれば何も出来ない。
 海鳴基地経由で送られてきた作戦の変更の通達を受け取ったシアンは渋い顔をし、そしてふうっと溜息を漏らして先鋒を務めている祐一に戻るように命令を出した。

「相沢、今どの辺りにいる?」
「何処って、今ガンジス川沿いに南下しながらダッカの防衛線を攻略中ですよ。ハイザックが多くて手を焼いてます」
「そうか。ああ相沢、頑張ってるところ悪いんだが、今すぐ撤退する事になったんで追撃されないように上手く、しかも迅速に引き返してくれ。間違ってもお客さんを連れてこないようにな」
「その人の苦労を踏み躙るかのように残酷で、しかもえらく困難な命令を一遍の迷いも無く言える貴方の根性は曲がり過ぎだコン畜生、と言いたいのはぐっと堪えて、何でです?」
「……作戦が変わったそうだ、主力はこっちじゃなくヤンゴン攻略に向かった。洋上艦隊も引き返したそうだ」
「マジですかそれ?」

 冗談ではない、こっちは援軍をアテにして攻略を進めていたのに、援軍が来ないのでは何の為にここまで出てきたのか。かといって今すぐ撤退しろと言われてもそう簡単にはいかない。今敵と激しくやりあっている最中であり、撤退しろと簡単に言われても出来るものではない。
 だがこのままではここで孤立して殲滅されるだけなので、祐一は仕方なくシアンの命令に従って撤退を開始する事にした。

「分かりました。でも俺たちだけじゃ厳しいんで援護を頼めますか?」
「分かった、座標を送ってくれ。こっちから長距離砲撃を加える」
「了解、今送りますよ。弾が飛んできたら俺たちは退きますから」

 祐一からの座標データが届くと、それを地形データと照合して目標を割り出してオグス少佐のMS隊に配備されているガンタンクU部隊が砲撃を開始する。20km以上の距離を駆けてティターンズの居る辺りに降り注ぎ始めた。
 だがまだ着弾がばらついていて、ティターンズの陣地の辺りに着弾する弾は少ない。祐一は部下に後退するように命じた後で弾着の修正を求め、幾度かそれを繰り返すうちに段々と敵の陣地に弾が集まるようになっていく。

「よし、急いで撤収するぞ。北川は殿に付け。栞の隊は前に。俺の隊は損傷機のパイロットを回収する。急げ!」
「少佐、まだ使える機体もありますが?」
「足が遅い機体は足手纏いだ、構わないから全部破壊しろ。残して敵に持っていかれるのも癪だしな」
「了解です」

 北川の隊が暫くティターンズに反撃を続け、栞が退路を確保する為に展開していく中で祐一たちは損傷した機体のパイロットを回収して回り、生き残りを拾い上げるとコクピットに入れて栞の後に続いた。MSはまた支給されるがベテランのパイロットはそうはいかない。ゼク・アイン1機よりベテランパイロットの方が価値が高いのだ。
 擱座した機体に弾を撃ち込み、主要部分を破壊し終えた祐一たちは潮が退くように撤退を始めた。栞たちが調べた退路を祐一たちが駆け抜け、それに続いて北川が撤退を開始する。北川が退いた時には祐一たちが牽制射撃を加え、追撃をかけてくるハイザックやマラサイの足を止める。栞が退路の安全を確かめ、祐一と北川が相互支援をしながら撤退を繰り返しながら彼らはティターンズとの距離を開き、十分に開いたと判断した所で一目散に逃げ出した。後背に回り込もうとしていた部隊も僅かに居て栞たちと交戦したが、数が少なくていずれも撃破されている。運の悪い奴はあゆにぶつかって碌な抵抗も出来ずに撃破されていたりする。




 ダッカ正面の防衛線に向けて移動するティターンズ部隊の中には、マドラスにやって来ていたモンシア率いるMS隊が含まれている。生き残りを再編成して15機のMS隊に再編成された彼らはベースジャバーに乗ってダッカに向かっていたところで、連邦軍が撤退しているという知らせを受け取った。
 ゼク・アインが多数含まれているという事で宇宙からの因縁にケリをつけてやると勇んでやってきたのに、到着前に相手が逃げ出したと聞かされてはやる気の持って行き場が無いではないか。

「なんだぁ、連邦軍は逃げ出しただとお!?」
「どういう事ですモンシア大尉?」
「俺が知るかよ。とりあえず急ぐぞ、逃げる所を捕まえてやる!」
「無理しない方が良いと思いますけどね」

 猪突猛進型のモンシアに対するアデルの突っ込みは相変わらずのようであった。まあバランスが取れたコンビと言えるだろう。むしろ問題なのは祐一への復讐に燃えているジェリド・メサだったろう。彼はカクリコンを殺された恨みをそのまま祐一に向けていたのだ。
 だがその様は狂気さえ感じさせる物であり、同僚のエマとマゥアーはその危うさを危惧していた。

「どうするのマゥアー、今のジェリド中尉はどうかしてるわ」
「私達でサポートするしかないでしょうね、1人で突っ込ませたら確実に死ぬ」
「でも、今のジェリド中尉の様子じゃ助けたくても……」
「ならエマは下がっていて、ジェリドの補佐は私がするから」
「マゥアー……」
「これは私の我侭よエマ、貴女まで付き合うことはないわ」

 無茶だとエマは止めたかったが、 マゥアーの意思は固そうで何を言っても聞きそうにも無い。そしてエマも自分の性格上見捨てられない事もまた理解していたので、無茶を承知で付き合うしかないと諦めてしまった。自分たち3人がかりなら相沢祐一だけが相手なら勝てるかもしれないが、彼が1人で居る訳が無い。あの有名なサイレンのメンバーが1人か2人は居る筈なのだ。そんな連中を相手に勝てるわけが無い。




 ジェリドの接近を知る術も無く、祐一たちはティターンズとの戦いを切り上げようとしていた。追撃してくるハイザックの数も少なくなり、思い切って退けば追撃は無いと判断できる所まで来た。

「よし、一気に下がるぞ北川、長居は無用だ!」
「分かった相沢、こっちも下がる!」

 こんな所にこれ以上用は無いとばかりに一気に後退する祐一と北川の部隊。案の定敵の追撃は無く、逃げて行く自分たちを見送っている。どうやら無理をする気は無いようだ。あるいはあの防衛線を離れるなと命令でもされているか。いずれにせよこちらにとってはありがたいことで、生き残っている16機のMSはホバーの砂塵を上げながらシアンたちとの合流を目指して帰路を急いだ。


アッサム地方中部で合流したビューフォート旅団は状況を改めてシアンから伝えられ、これ以上の交戦を諦めて回収予定ポイントに向かうと言われた。このことを伝えられた祐一、オグス、ジューコフの3人の指揮官たちは苛立ちを表情に出しはしたが、意外そうな顔はしなかった。出撃時に既に撤退の方法の検討をシアンたちがしていた事からも分かるが、この作戦が無茶な物である事は明らかだったから。
 無茶な作戦だったから、それが現実的なレベルに落とされただけ。それだけの事だ。後は自分たちがマイベックの約束した回収予定ポイントに辿り付けば良い。問題はティターンズの追撃を振り切れるかどうかだ。

「移動速度が最優先だ、余分な物資や装備は遺棄して身軽になるとしよう。勿体無いが仕方が無い。後退の指揮はジューコフ中佐にお願いする。オグス少佐はこちらの護衛についてもらおうか」
「それではビューフォート中佐はどうなさるのです?」
「私は少数を連れて敵を食い止める、すぐに追撃が来るだろうからな。相沢、使える奴を1個中隊分集めて状態の良い機体に乗せて待機させておけ。人選は任せる」
「随分少ないですね?」

 時間稼ぎだけとはいえ、少し少なすぎないかと祐一は思ったが、それ以上は何も言わず敬礼を残して再編の為に指揮車を後にして行った。そしてジューコフとオグスもそれぞれの隊に戻り、シアンも司令部要員にここを引き払うように伝え、郁未を呼んだ。

「郁未、本部要員の事は任せるぞ。ジューコフ中佐を補佐して撤退してくれ」
「……ずるい人、私情を挟むのは良くないんじゃない?」
「俺は家族の為なら公私混同しても平気な男だって、知ってるだろ」
「おかげで久瀬中尉が凄く困ってたけどね」

 田舎基地のボンクラ司令官としての精一杯に振舞っていたシアンは平気で定時帰宅したり有給とったりしていたので、多くの仕事が副官の久瀬に集中してしまい、彼は過労と心労でぶっ倒れる寸前であったというのは海鳴基地では有名な話だ。久瀬がなまじ生真面目であった事も悪い方に働いたのだろう。今はその地位は茜に受け継がれているが、彼女は久瀬よりも器用に立ち回れるタイプだったのでシアンに上手く仕事をさせている。
 万が一を考えて郁未を逃がすのはシアンの我侭だ。だが郁未はそれ以上反対もせず、夫の言うことを素直に受け容れていた。その裏には自分の亭主はこの程度のピンチで帰ってこないような柔な男ではないという信頼があった。




 ジューコフが急いで撤収準備を終えて回収予定ポイントに向かいだした後、シアンは自分と12機の部下と共に敵を待ち受ける事にした。その面子はまあ予想通り祐一に北川や名雪、香里に栞にあゆとおなじみの面子に加えて、シーマ大尉や茜などの海鳴のパイロットも加わっている。揃った面子のそうそうたる顔ぶれにシアンは苦笑いを隠せなかった。全く、良くこんな連中がこんな所に回された物だ。

「この面子なら細かい指示は要らないだろうな、俺たちの仕事は本隊が拾いに来た回収部隊に拾われるまで時間を稼ぐ事だ。可能な限り敵に嫌がらせをしてやるぞ」
「でも、敵の規模が分かりませんよ?」
「主戦場はヤンゴンに向かう主力部隊と戦ってるインドシナ半島の方だから、こっちにはそんなに沢山の部隊は居ない、と期待しとこう。相沢たちもダッカまでそんなに沢山の敵には遭遇しなかったんだろ?」
「ええまあ、居る奴の大半はハイザックとマラサイでしたからそんなに苦労は無かったですけど。数も思ったより少なかったですし」

 敵の数は不自然なまでに少なかった。大半がインドシナ戦線に送られたという事なのだろうが、それでも戦力配置が薄すぎる気はする。ティターンズはこちらが思っていた以上に弱体化していたのか、それともこちらに敵が来るとは予想していなかったのだろうか。
 そして、遂に敵が来た。祐一のG−9のレーダーが接近する機影を捉えたのだ。

「お客さんだ、機数14か5機、機種までは分からん。速度からして戦闘機じゃないな」
「となると、SFSに乗ったMSだろうな。グーファーで無けりゃ良いが」
「ふん、グーファーなんか恐れるに足らず!」
「相沢少佐、あんたはガンダムだから良いけどさ、あたしらはジムV何だって事忘れないでおくれよ?」

 祐一が1人で張り切ってるのを見て、シーマ大尉が呆れた声で抗議する。祐一の機体は最新鋭の超高級実験機で、ちょっと整備に難がある事を除けば現行の連邦MSの中で最強の機体だ。他にグーファー以上の機体に乗ってるのはガンダムmk−Xに乗るあゆと栞だけで、海鳴組のシアンと茜もジムVなのだ。これではグーファーどころかバーザムにも梃子摺ってしまう。
 そして姿を現したのは、バーザムで編成された15機の部隊であった。これまで見たバーザムとは少し違い、全体的にすっきりした印象を受ける機体になっている。胸から腰周りのボリュームが減ったという辺りが特徴だろうか。地上用に上半身の重量を減らしてバランスを調整した陸戦使用機なのかもしれない。
 そんな事を祐一がぼんやりと考えていると、いきなり後方から上空の敵機に向けて銃撃が加えられた。この距離で撃てるという事は名雪のスナイパーライフルだろう。だがそれが当たる前に敵機は散開してしまい、初弾は空に消えていく。
 そして散開したグーファー隊は、思い思いの方向から一斉に襲い掛かってきた。その動きはこれまで相手にしてきたような普通の部隊の動きではなく、十分な訓練を積んだ精鋭のそれで、恐らくは正規のティターンズ部隊である事を祐一達に教えてくれている。まだ少数精鋭だった頃のティターンズは本当に強かったのだ。
 思いがけない強敵の出現に祐一はごくりと喉を鳴らし、ライフルのトリガーに指をかけた。



後書き

ジム改 連邦軍は意外に脆かった。
栞   あっさりと諦めましたね。
ジム改 元々準備不足な上に現場側に余りやる気が無かったしな。
栞   マドラスどころかカルカッタにも届かないなんて情けない。
ジム改 一応行けるだけの物資はハイフォンに揚陸してたんだぞ。
栞   ……準備不足なのにですか?
ジム改 連邦視点では準備不足、ネオジオンなら泣いて喜ぶくらいかな。
栞   どれだけチートなんですか連邦は?
ジム改 1年戦争を考えるとWW2のアメリカ以上かと。
栞   ジオンも良くそんなの相手に1年も戦えましたよね。
ジム改 月間空母どころか日刊巡洋艦だからな、沈めても沈めてもキリが無い。
栞   ジオンは遂にルウム戦役の損害を回復できなかったのに。
ジム改 真っ先に港町を襲ったのも荷揚げ港が欲しかったからなのだ。物資と船は沢山あったからな。
栞   私なら絶対に敵にしたくないですね。
ジム改 それでは次回、怒るジェリドが祐一に迫る。連邦軍主力はシャン高原とコラート大地でティターンズと戦いを続けていたが、投入できる物量差に物を言わせてヤンゴンへの道を切り開いて行く。そして後背の海岸にも海兵師団が上陸を果たした時、ヤンゴン基地の命運は決した。次回97章「ヤンゴン陥落」で会いましょう。
栞   ヤンゴンはともかく、私達は脱出できるんでしょうね?
ジム改 案ずるな、置いていかれても歩いて帰れるぞ。