第98章  コーウェンの決断



 東南アジアでの戦いが一息つき、連邦軍はヤンゴンを拠点とする防衛線を敷いて地上ではカルカッタに布陣したティターンズと向き合い、海上ではセイロンに集結したティターンズ艦隊と向き合っている。ティターンズが艦隊を根拠地であるマドラスではなくセイロンに置いたのは、連邦空軍がマドラスに対してアンダマン諸島から空襲を加えてくるようになり、マドラスが危険になったからだ。
 連邦軍はアンダマン諸島に長距離爆撃機のデプロックをダガーフィッシュの護衛を付けて送り込み、高高度からの絨毯爆撃で基地機能を奪いにかかった。これに対してティターンズは高高度性能に優れるギャプランを持って対抗していたが、稼働率に難を抱えているギャプランでは連続の出撃に耐えられず、故障する機体が続出している。そのため空襲による被害はゆっくりと増える傾向にあった。
 連邦軍はせっかく欧州戦で多くの師団を後方に下げて回復を図っていたのだが、今回の戦いでまた幾つかの師団を後方に下げて再建しなくてはいけなくなり、地上軍本部のスタッフは頭を抱える事になる。だがやらない訳にもいかず、とりあえずジャブローに留めていた練成中の予備師団を送り込んで交代させるようにしている。また現地で再編成して1個師団を無理に作り上げる事もして現在の戦線を維持する事に努めている。
 幸いにして補給路には問題が無く、失われた装備や物資はすぐに送り込まれているので特に問題は起きていなかった。


 作戦の終了に伴い、後方に下げられた部隊は再建の為に連邦軍の聖域となっている南米やオーストラリア、日本列島にまで後退する事となった。それと入れ替わるようにオーストラリアに残っていた後詰の師団が東南アジアに送り込まれ、ティターンズ残党の掃討と防衛線の維持に当たっている。ビューフォート旅団も多少の損害を受けたものの人的被害は少なく、無傷に近い状態で海鳴基地に撤退していた。まあ主戦場から完全に外れたところに居たおかげなのだが、参加した部隊からは何をしに行ったのやらと呆れた声が囁かれている。
 だが人的損害が少ないとは言っても機材の損害は中々のもので、帰還したMSの多くは大掛かりな修理を必要としていた。特に単機で突っ込んだ祐一のG−9は結構あちこちが壊れており、ジャブローから部品を取り寄せなくてはいけない事態に陥っている。実験機だから当然のように部品の予備が乏しいのだ。
 だが工廠側の苦労とは関わり無く、戦闘データを送られたジャブローの開発部18局は狂喜乱舞していたとか。このデータを下に更なるオプションの開発に勤しんでいるという悪い話も聞こえてきて、祐一を深刻に悩ませていたりする。

「強化パーツって何だ、何を持ってくる気だ?」
「祐一、そんなに怯えなくても、G−9は元々オプションの追加でいろんな任務に対応するマルチロール機なんだから」
「いや、あいつらからは危険な匂いがするんだ。あいつらは間違いなく雪見さんたちの同類だぞ!」
「祐一いぃぃ、それ雪見さんに聞かれたらただじゃすまないよ」

 深山雪見、元ジオンの士官でファマス戦役でも活躍し、今は連邦で参謀として活躍している女性だが、同時に優れた技術者でもある。ジオン時代はファマスに関わった技術者であり、MSにも強い。ファマス戦役では脅威的な性能のカスタムMSを製作し、連邦ではジムV開発にも関わっている。
 そんな彼女は普段は真面目で常識的な士官なのだが、技術者の性なのか、機体の調整や改造を担当する時に時折目に不穏な光を宿らせるのだ。

「まあ、G−9を渡された時からモルモットにされる事は覚悟してたけど、出来れば楽な仕事の時にして欲しいな」
「まあ大丈夫じゃないかな、シアンさんもそういう無茶はさせないと思うし」
「そういや、そのシアンさんは何処行ったんだ?」
「司令部だよ、マイベックさんと何か話してるんじゃないかな」
「また上層部に振り回されなきゃ良いんだがな」

 今回の作戦が政府のごり押しで進められたものであった事は祐一も聞かされている。そんな出鱈目な理由で大勢の兵士が死んでいったのかと思うとやりきれないものを感じるが、実際に指揮をしていたシアンたちの無念は自分たちを遥かに上回るだろう。

「ところで祐一、これから何か用事あるかな?」
「ん、いや無いぞ。報告書も出したし、事後処理は基地の事務がやってくれるそうだから俺も休暇に入れる」
「じゃあさ、一緒に翠屋に行こうよ。高町桃子さんのお店なんだって。もう香里たちは誘ってあるんだ」
「ふうん、まあ良いんじゃないの」

 翠屋のシュークリームはまさに絶品であった。聞くところによれば桃子さんはかつて超一流ホテルでデザートのシェフをしていたそうで、お菓子の腕前に関してはあの秋子すら凌ぐだろう。

「でも、誰が金出すんだ?」
「それは勿論、唯一の佐官様の奢りに決まってるよ」
「待て待て、確かに俺の給料はお前らより多いがそれほど大きな差は……」
「ふっふっふ、その辺は天野さんにばっちり聞いてあるんだお〜」
「く、あのれ天野何時の間に」
「天野さんはそういうことには凄く詳しいからね〜」

 彼女が何処からそんな情報を得ているのかは謎であるが、知っているという点に関しては祐一は全く疑いを持っていなかった。あのおばさんくさい天野なら井戸端会議なりで経理の士官辺りから情報を得ているのでは、と祐一は思っていたから。

「でも、私たち何時になったら宇宙に戻れるのかな。確かこの作戦が終わったらって話だったよね?」
「上で何を話し合ってるかだよなあ。マイベックさんもシアンさんもまだ手放したくなさそうだったけど」
「うう、私はそろそろ宇宙に戻りたいよ」
「そうか、とうとう体で感じるほどに体重が増えたのか。ま、あれだけパクパク食ってればなあ」
「祐一ィィィ!!」

 とんでもなく失礼な事を言い出した恋人に名雪は怒りの声を上げたが、次の瞬間には祐一はダッシュでその場から逃げ出していた。名雪の反応は織り込み済みだったようだ。だが、彼は甘かった。初動こそ祐一の方が速かったが、相手は体力馬鹿の名雪だ。短時間の逃亡劇の末、捕縛された祐一はズルズルと喫茶翠屋へと連行されていってしまった。


「結局、ボクらはまだ帰れないのかな?」
「どうなんでしょうねえ……うう、この上に乗ったクリームの上品な甘さがたまりません!」

 パフェを食べている栞がなにやら感動しながら一口一口味わい、あゆがうんうんと頷きながら同じくパフェを口に運んでいる。名雪はイチゴタルトと紅茶で、香里はケーキとコーヒーを口に運んでいる。北川はコーヒーを口に運びながら、テーブルに突っ伏してシクシクと鬱陶しい声で鳴いている祐一を見ていた。

「相沢、もういい加減立ち直れよ?」
「なら北川、たまにはお前が出してくれぇ〜」
「いや、この人数に出したら俺のギャラもどんどん消えちまうから」
「少佐って言っても大尉とそんなに違わないのに、何で何時も俺ばっかり〜」
「役職手当はたんまりもらってるんだろ?」
「幹部って意外に出費多いんだぞ〜、楽じゃないんだぞ〜」
「煩いわよ相沢君、部下に気前良く奢るのは良い上司の条件よ」
「こういうのは奢るんじゃなくて搾取って言うんだよお!」

 年がら年中寒い懐具合に祐一は悲鳴を上げていたが、それでも幸せそうにタルトを頬張る名雪を見てしまうとまあ良いかという気になってしまうのは愛ゆえだろうか。少なくとも名雪を見て諦めと幸せの混ざったような溜息を漏らす祐一の姿は、香里にご馳走様と呟かせるくらいには幸せに見えたようだ。
 結局この日、祐一たちには新たな命令が来る事は無く、彼らは暫くここに留め置かれる事になる。それは先の侵攻作戦失敗の影響がどれほど大きかったのかを物語る時間であった。




 かつてブエノスアイレスと呼ばれていた大都市の跡、宇宙移民時代と1年戦争によって荒廃し、人口も激減して小都市にまで没落したこの街に、連邦軍総司令官ジョン・コーウェン大将が少数の護衛と共に訪れていた。
 市民たちはいきなりやってきたVTOL機にも驚いたが、そこから降りてきた大将の姿を見て更にびっくりしている。どう考えてもこの街はこのようなえらい人が来る様な場所ではないのだから。護衛の兵士たちが閑散とした街に似つかわしくなく、なんとも浮いてしまっている。
 コーウェンはこの街に住む人物に会いに来たのだ。そう、かつて連邦宇宙軍曹司令官を務め、連邦軍内部に隠然たる権勢を誇っていたゴップ大将を尋ねてきたのだ。
 玄関に姿を見せたかつての部下を出迎えたゴップは、相変わらずの実直そうな顔つきの黒人に昔よりもやや柔和な、裏を感じさせない笑顔を見せて歓迎の意を表していた。

「やあジョン、久しぶりだな。今日は一体どうしたんだね?」
「お久しぶりですゴップ提督。実は相談がありまして、中に入ってもよろしいでしょうか?」
「ああ、構わんとも。だが客が来るのは久しぶりでね、歓待したくてもビールくらいしか出せんよ?」
「いえ、それで十分です」

 コーウェンは同行してきた副官と護衛を玄関で待たせ、1人で家の中へと入っていった。ゴップ提督の家は上流階級らしい趣ではあったが、それ以上のものを感じさせる風でもなく、中の家具などは質素なものであった。
 応接間に通されたコーウェンはソファーに腰を下ろし、ゴップが持ってきた黒ビールの瓶を受け取るとそのまま口に運び、一口飲んでテーブルに置いた。

「提督、実は折り入って相談がありまして」
「軍を追い出された老いぼれに、今更何の話があるというのかな。元々私を追い出したのは君たちだろう?」
「提督、今の状況がどういうものかお分かりでしょうに?」

 コーウェンの決断コーウェンは困った顔でゴップに問いかける。その問いにゴップはコップに移したビールを一息に飲み干し、くっくっくとくぐもった声で笑い出した。

「ジャミトフによほど梃子摺っていると見えるな、ジョン?」
「否定できませんな、その通りです。悔しいがティターンズは手強い、そしてネオジオンもおります」
「それで、途方にくれて私を頼ってきたわけか。情けない話だとは思わんかね?」

 現役が退役した軍人に泣きつくなど、今の連邦軍に人が居ないと言っているようなものだ。だが実際に人が居ないのだからどうにもならない。予備役だろうがなんだろうが使うしかないのだ。その為には形振りなど構っていられないほどに連邦軍は疲弊してしまっている。前線にはまだそれなりの人材が残っているが、後方を支える人材がまるで足りないのだから。
 ゴップは嘲笑うように肩を竦めて見せたが、コーウェンは怒らなかった。そしてゴップはもう一杯ビールを飲むと、少しだけ真面目な顔をした。

「だが、今更私に何をしろと言うのかね。言っておくが私は指揮官としては無能だよ?」
「いえ、提督にお願いしたいのは前線指揮ではなく、政府との折衝役です。そう、統合幕僚会議議長ですよ」
「……それはまた、大きく出たな」

 統合幕僚会議議長といえば平時における連邦軍人の頂点とも言うべき役職だ。戦時では軍令系から総司令官が置かれてしまうのでそうとも言えないが、制服組が目指す到達点の1つなのは間違いない。ゴップももちろん目指していたが、その椅子に座る前に軍から放逐されてしまったのだ。
 その夢を叶えるチャンスが巡って来たと言えばそうなのだが、そう簡単には喜べない事情もある。何しろそれを言ってきたのはファマス戦役で自分たちを放逐したコーウェンなのだから。何を今更、という気持ちは拭えないものがある。

「一体何故私にこの話を持ってきたのかね。他にも人は居るだろう?」
「実は、提督を推薦したものがおりましてな」
「ほう、誰かね?」
「リビック提督の下で参謀長をしていたクルムキン少将ですよ。水瀬も賛成してくれています。政府への根回しも進んでおります」
「君にしては手回しの良い事だな」

 そう、ゴップを推薦したのはクルムキンだ。そして今、連邦軍はゴップを必要としていたのだ。連邦を蝕む深刻な人材難という問題に対処するために、コーウェンはかつて獅子身中の虫と呼んだジャブローのモグラたちの復帰を決意したのだ。




 この作戦で政府と軍部の間にはっきりとした亀裂が入った事は否定できない。コーウェンは連邦軍最高司令官としてこの状況の打開策を考えていたが、はっきり言ってそれは困難であった。彼は愚直な職業軍人であって政治家と交渉が出来る官僚型軍人ではない。こういう事態には対処できないのだ。いや、ファマス戦役のフォスター1攻略戦における大敗後の粛清人事によって連邦軍全体が政治色を廃する方向に特化した為、官僚型や調整型の人間はかなり少なくなっていたのだ。その残り少ない人材の多くもまたジャミトフと共にティターンズに流れてしまい、今では本当にお堅い軍人ばかりになっている。宇宙軍が秋子だけで頑張っているのも人材不足ゆえだ。
 連邦軍には政府との間に立って調整する人物が必要とされている、その事を痛感したコーウェンではあったが、まさか秋子を宇宙軍から外してジャブローに置くわけにもいかない。彼女に代わって宇宙軍を任せられる人材のアテも無いのだ。あったらとっくにジャブローに引き抜いている。

「……という訳なんだが、何か良い案は無いかねクルムキン少将?」
「連邦軍内には居ないでしょうなあ」

 ブランデーの封を切り、グラスに注ぎながらクルムキンはコーウェンに答えた。クルムキンは故リビック提督の下で参謀長を勤めていた人物であるが、彼の戦死後はジャブローに降りて兵站部門を再建していたのだが、その後は少将に昇進してコーウェンの下で参謀長をしていたのだ。
 彼はコーウェンに比べればバランスの取れた人物で政治家や官僚との折衝もこなせるが、参謀長としての業務もあるのであまりそういう事をやっている暇もない。だから本来なら政府との間に立つ統合幕僚議長などが存在するのだが、今は居ないのでコーウェンが全てをこなさなくてはならない。
 しかしそれが無理である事が認識され、そういう人物を何処からか引っ張ってこなくてはいけなくなった。だからコーウェンはクルムキンに相談したのだが、彼はブランデーを軽く傾けてとんでもない事を言い出した。

「そろそろ、お帰り頂く時期ではありませんか司令官?」
「お帰り頂くとは?」
「分かっておいででしょうに。かつて追い出されたジャブローのモグラと言われた方々ですよ。ゴップ提督なら上手くやってくれると思いますよ?」
「一度追い出した御仁に頭を下げて戻ってもらうのかね?」
「それしかありますまい。1人で何でも出来たレビル将軍と同等の仕事が出来ないから困っているのでしょう?」

 クルムキンの指摘にコーウェンは渋々頷く。1年戦争で連邦を指導したレビル将軍は超人じみた人物で、1人で政治と軍事の両方に優れた才幹を示した。もし生存していれば戦後は政治家に転身していただろう。
 そんなレビル将軍と同じ事をしろと言われても無理な話だ。だから仕事を分担するべきなのだが、それが出来る人材は今在野の人となっている。ゴップ提督らのジャブローのモグラたち、旧主流派の軍人たちは今では大半が退役しているが、その所在は分かっているので復帰してもらう事は可能なのだが、問題はゴップたちが受け入れるかだ。何しろ追い出した張本人が戻ってくれと頼みに行くのだから。

「私1人で決めるわけにもいくまい、水瀬と相談してみよう」
「それが良いかと思います。私としては早く司令官には軍務に専念していただかないと困りますし」
「ああ、分かっている。東南アジア戦の損害の事もなんとかせんといかんからな。しかし、面倒な話だ」

 人材不足と言ってしまえばそれまでだが、あのときの大量粛清は今になって重く響いている。クルムキンの言うように、かつて追い出してしまった主流派士官の現役復帰が必要になっているのかもしれなかった。




「ゴップ提督の復帰、ですか?」

 コーウェンから相談を持ち込まれた秋子はその内容に目を丸くしてしまった。あの旧主流派と折り合いが悪く、何かにつけ対立していたコーウェンがまさかこんな事を言い出すとは。ジャブローはそこまで困窮していたのだろうか。

「それだけではない、宇宙軍総司令官にコリニー提督にも復帰してもらおうかと考えている」
「コリニー提督ですか。確かに出来る方ですが、今更戻ってくるでしょうか?」
「その辺は話をしてみないとなんとも言えんのだが、やってみる価値はあると思っている。あの御仁らが復帰してくれればだいぶ仕事が楽になるしな。君も総司令部と兼務でなくなればだいぶ楽になるだろう?」
「それはそうです、宇宙艦隊司令長官だけでも大変なんですから」

 本来なら宇宙艦隊司令長官や総司令官といった職務は軍人の頂点というべき役職で、この職に就いた後は退役するのが常だ。それを兼務させられた秋子の忙しさは尋常なものではない。宇宙艦隊が積極的な動きを見せないのは秋子が忙しすぎて積極的な作戦を進める暇が無いというのもある。
 そういう意味では仕事を減らしてくれる総司令官の復帰は歓迎するべきなのだが、果たして今の連邦軍の中で彼らが上手くやっていけるだろうか。旧主流派が復帰すればまた昔のような連邦軍に戻ってしまわないか。そういう懸念が拭えなかった。何しろ彼らは恐ろしいほどのやり手で、老練な手練手管を駆使して再び勢力の拡大を図ってくるだろうから。

 だが他に手が無いのも事実だ。流石の秋子にも無い袖は振る事が出来ない以上、彼女にもコーウェンの提案を蹴る事は出来なかったのだ。何しろ高級士官の不足のせいで軍がその力を発揮でないという本末転倒な状況を打開する必要がある。平時ならばいずれ立て直せただろうが、今は有事だ。そんな暇は無い。

「将軍、貴方が総司令官です。貴方なの決定なら私は従うまでです。宇宙軍は私が押さえますから」
「出来るか、かなりの反発が予想されるが?」
「反発を押さえ込むのが私の仕事です、ご心配なく」
「……分かった、私は内部の調整に入るがそちらも頼んだぞ」

 ジーン・コリニー大将はファマス戦役の頃の宇宙軍総司令官で、宇宙軍に大きな影響力を持っている人物であった。そして彼は腹心とも言うべきジャミトフ・ハイマン准将のティターンズ設立にも手を貸していたのだが、その後権勢を増したティターンズの力を背景としたジャミトフによって派閥を奪われ、軍から追放されてしまったのだ。
 些か謀略に走る傾向のある人物ではあったが、宇宙軍総司令官として必要な能力は備えている。1年戦争においては宇宙艦隊の再建に尽力した功労者なのだ。またジャミトフに恨みを持っているという点も大きく、協力してくれる可能性は高かった。



 連邦軍総司令部や宇宙艦隊司令部に根回しをした上で、コーウェンはジャブローのモグラたちの現役復帰を求めていた。それは連邦軍をかつてのような鈍い恐竜的組織に戻してしまう危険を孕む決断ではあったが、ファマス戦役とティターンズの設立によって実戦部隊の力が強くなりすぎてしまった今の連邦軍に不足している部分を取り戻す決断でもあった。





 連邦軍が現実に対応するためにかつて切り捨てた部分を取り入れようとしていた頃、ネオジオンでも勢力争いが深刻化していた。ある意味3勢力の中で一番内部対立の激しいネオジオンでは日常的に足の引っ張り合いが起きているのだが、それが作戦や装備の調達はおろか、国内の統治方針にまで影響を及ぼすようになっていた。軍事支配と言った方が良いネオジオンにおいて軍部の発言力は大きく、総帥のキャスバルと軍のTOPであるデラーズの影響力は互角に近い。ミネバの存在と総帥の地位という建前がどうにかキャスバルの優位を確保しているが、それさえも日増しに危うくなっている有様だ。
 このネオジオンを代表数する2人が、サイド3の統治方針に関して激突したのだ。これまでサイド3市民の感情の悪化を恐れて内治に関しては可能な限り寛容であろうとしたキャスバルであったが、それが手緩すぎるとデラーズが異を唱えたのだ。
 現在サイド3の中には旧共和国残党が多数潜伏しており、彼らの摘発は急務となっている。だがキャスバルが寛容な政策を取っているために反抗分子の摘発は進まず、国内の各所で彼らに手によるものと思われる妨害工作が活発に行われているのだ。
 デラーズの立場からすれば邪魔な共和国残党をさっさと殲滅したいというのは当然なのだが、それが国内の不協和音を更に増大させてしまった。総帥部はデラーズの発言を職分を超えるものだとして反感を抱き、軍部は目の前の問題から目を逸らすなと反論する。
 そしてこの騒動は、前線に深刻で笑えない影響をもたらしていた。本国の対立構造がそのまま前線部隊への命令への齟齬や補給の滞りとなって現れ、果ては対立する部隊間の妨害まで起きている。前線でネオジオン軍を束ねているチリアクスやハスラーといった提督たちは頭を痛めていた。何で本国のゴタゴタで自分たちが苦しまなくてはならないのだ。

 ア・バオア・クーの司令部で現状に頭を抱えるチリアクスは、ここ最近の戦闘の推移と基地内の備蓄物資の減り方にも頭を悩ませていた。ア・バオア・クーはソロモンと向かい合うネオジオンの最前線なのだが、ここにはダイクン派やカーン派、旧ファマスなどの軍部では肩身の狭い連中が集められている。装備や補給では最前線とは言い難いもう1つの壁であるアクシズの方が分厚い補給が行われているのだから、これが本国の政治的なえこひいきである事は確実だ。
 特に主力機に位置づけられているザクVの配備数はさっぱり増えていない。消耗に対する補充分さえ届いていないのだから。

「失ったMSの機体もそうだが、パイロットの不足はどうにもならんか」

 ここ最近の消耗率のグラフを見てチリアクスはフウッと溜息を漏らした。そこには時が経つにつれて味方の消耗率がじわじわと増している事が残酷に表示されており、連邦軍と自分たちの戦いがどう推移しているかを如実に物語っている。
 連邦軍の装備する機体が変わったわけではないが、ジムVやゼク・アインも改良を受けて性能が向上している上に数が増えているのが大きい。ジムUがだんだんと前線から姿を消し、変わりにジムVが増えてきたのだ。
 これがネオジオンに大きな負担となっている。ジムVは恐ろしい相手ではないが、数の上では依然として主力の一翼を担うガザDでは梃子摺るし、ドライセンでも圧倒出来るというほどの優位があるわけではない。一度に2機、3機相手にする事になればドライセンやザクVでも分が悪くなる。
 数で押し潰しに来る、後方の参謀本部などは連邦など数だけだと馬鹿にするが、前線では多少の性能差など数の前には大した意味を持たない。チリアクスとしては多少性能に劣ろうが安定していて生産性も高いゴブリンやガ・ゾウムを全力生産して欲しいというのが本音なのだ。
 そして何よりも深刻なのが、パイロットの不足だ。ジオン共和国軍の前線パイロットの大半は連邦に亡命し、サイド3に残っていたパイロットたちもネオジオンに参加せず、野に下った者が多い。そしてその中から地下組織に流れた者も多いはずなのだ。そういった地下組織が連邦と繋がっていて情報や物資のやり取りをしている事も周知の事だ。
 前線にはパイロットが不足している。本来なら前線に出る事の無い予備パイロットの数も足りない。このまま行けば訓練生やMSを動かせるだけの整備兵まで前線で機体に乗せる日もいつかやってきてしまう。あの1年戦争終盤の戦いのように。
 これがファマス戦役だと意外にパイロットの損耗は少なく、機体が壊れても帰還さえ出来ればパイロットは無事だったというケースが多かった。これは当時の主力火器が実弾系だったので頑丈に作られていたファマス系MSの装甲や機体構造の生存性の高さが物を言ったおかげだろう。それはファマス系の血を受け継いでいるゴブリンやゼク・アインにも見られている。
 だが、このファマス系の血はネオジオンでは絶えてしまった。ネオジオンは攻撃力が最優先されて、遂にゲーマルクのような移動砲台にまで行き着いてしまったのだ。それもNTや強化人間といった一部の特殊な人間にしか扱えない化け物に。
 1機で多数の敵を殲滅できるMSがネオジオンの求めているMSの姿であるが、そんな機体は大規模な会戦くらいでしか使いようが無い。それ以外の大半の戦闘は大して改良もされない従来の機体で頑張るしかないのだ。

「アヤウラ准将、また何時もの様に汚い手口でこちらに補給を分捕る事は出来ないか?」
「閣下、そういう手段は非常の手段ですからそうしょっちゅうは使えません。私のコネも無限ではありませんので」

 汚い手口というところには反論しないアヤウラに参列している指揮官たちが呆れた目を向けているが誰ももう嫌悪や苛立ちを向けてはいなかった。この男がさまざまな手段で調達してくれる物資がア・バオア・クーにとって非常にありがたいもので、誰もがこの胡散臭い男に一目置いているのだ。

「ですがまあ、何とかしないと確かに不味いでしょうな。人員の補充はともかく、物資の方は掛け合ってみましょう。一度本国の方にも戻っておきたいですし」
「……すまんな」

 それが危ない橋を渡る行為である事は確認するまでも無い。だからチリアクスはそんな無茶をさせることに後ろめたさを覚え、他の者たちも済まなそうに顔を背けている。だがアヤウラとしては前線勤務よりもこういった裏仕事の方が実力を発揮しやすいので気にされるほどでもないと思っている。


 だからアヤウラは個人的には別に欲しがってもいないア・バオア・クー将兵の期待を背負って本国に戻ったのだが、彼が帰ってきた本当の理由は別にあった。物資の調達だけなら部下に任せても良かったのだが、今回は彼本人で無いと出来ない仕事があったのだ。
 ネオジオン情報局、その下部組織の1つにアヤウラの手足となって動いてくれる特殊部隊『龍』がある。この下にも幾つかの下部組織が広がっていて、アヤウラの元にさまざまな情報をもたらしてくれている。彼方此方にガン細胞のように広がっているので、民間から政府、軍内部まで色々なネタを仕入れることが出来る。
 特殊部隊といってもその大半は荒事などしない潜入諜報員であり、今はアヤウラの立場上ますます前線に出る機会も無くなり、実戦部隊の規模は見る影も無く縮小されている。
 アヤウラが本国に戻った最大の理由は、この龍からの情報を得る為であった。通信などもっての外、誰かに報告を持ってこさせるのも危険が伴うという事で、本人が直接受け取りに来るしかなかったのだ。下部組織が集めた情報は龍が分析し、纏め上げたものを既に用意している。アヤウラはそれを部下から直接報告を受けなくてはならない。
 アヤウラは何時も連絡を取り合っている喫茶店へと足を運び、そこでコーヒーを飲みながら部下が来るまでの僅かな休息を楽しんでいた。そして部下がやってくると、まるで同僚に話しかけるように気安く呼びかけた。

「よおジョン、久しぶりだな」
「お久しぶりです班長、前の仕事以来ですね」

 お互いに私服で、傍から見ればどこかの仕事仲間くらいにしか思われないだろう。だがジョンと呼ばれた男は軍人で中佐の階級を持つ、アヤウラの部下の中でもかなり重要な位置にいる男だ。そしてこの店そのものもアヤウラの息がかかっている。こういう拠点を幾つも持っているから1年戦争後でも彼は地球圏で動き回れたのだ。
 そしてアヤウラはジョンと呼んだ男の肩を叩くと、マスターに奥の部屋借りるよと声をかけて奥へと進んでいく。そこは勿論他所には聞かれたくない話をするところだ。店内には副官のように使われているカーナがやはり私服姿でティーカップを傾けている。彼女も今日は護衛として同行していたのだ。

 奥に進んだアヤウラは扉を閉じると、表情を一変させて情報を求めた。

「それで、状況はどうだティモレンコ少佐?」
「は、やはりデラーズ総長の周辺に近づくのは不可能です。流石は元親衛隊長といったところでしょうか」
「防ぎ方は心得ている、か。やはり参謀本部には手を出せんな。では、その裏も?」
「残念ながら、グレミー・トトに関する情報には接触できておりません。全くどういうレベルの機密なのか。ですが、1つだけ収穫がありました」

 そう言ってティモレンコ少佐は一枚の書類を差し出した。それに目を通したアヤウラの表情が驚きに変わる。

「クローニングと、人口NTの量産だと?」
「プル計画と呼ばれているものだそうですがご存知でしたか?」
「噂程度ではな。シェイド計画とも関連している胡散臭いプロジェクトだったな。だが、それと今回の件と何の繋がりがある?」
「それはまだ分かりません。グレミー・トトを洗おうとする過程の中で偶然出てきた物でしたので」
「理由は分からないが、何か関係があるらしいという事か。確かに気になる話ではあるな」

 何故ザビ家の血筋と噂される男と、シェイドにも関わる胡散臭いクローニング計画が関係してくるのか。確かに興味深い話ではある。だがそれは今後の話だ、今は続きを聞かなくてはいけない。

「それは分かった。それで、もう1つの方はどうなっている?」
「共和国残党とは接触に成功しています。まだ接触をした程度ですが、感触としては悪くないかと。やはり連中はデラーズ総長に相当な恨みを持っているようですね」
「デラーズ戦役の後でサイド3への締め付けは大幅に増したからな。連中の怒りも分からんではない、か」

 デラーズ戦役におけるコロニー落としはサイド3に対する連邦の態度を更に硬化させ、制裁措置まで受けたのだ。連邦への怒りはあるだろうが、とんでもない事をしてくれたデラーズにも怒りは当然向いている。それが共和国残党の行動原理の1つにもなっているのだ。

「まあ、接触できたのは幸いだ。このまま交渉を続けてくれ。状況によっては貴様の判断で多少の支援をしても構わん」
「良いんですか、デラーズ総長に嗅ぎ付けられたら厄介ですが?」
「心配するな、どうせ向こうもこっちを潰そうと画策している。遅いか早いかだ」
「ですが閣下、本当によろしいのですか。成功しても失敗しても、ネオジオンはただでは済みませんぞ?」
「水瀬秋子が話を聞いてくれている今のうちに内部を固めて連邦と講和に持ち込まないといかんからな、悪いがデラーズ閣下には消えてもらう」

 最も、向こうは向こうで連邦と戦うために国内を纏め上げるべく、キャスバルやハマーンの排除を考えているだろう。それを防ぎつつデラーズ派の排除を試みるのは容易ではないが、やらなくてはいけなかった。そう、彼はネオジオンにとってもはやデラーズは排除されるべき存在であると判断してしまっていたのだ。そしてそれは、ネオジオンが2つに割れて争う事になると予期しているという事でもあった。




後書き

ジム改 遂にゴップ大将登場、ゲームじゃアレな人だけどな。
栞   ネオジオン、分かってはいましたけど内戦フラグ立ちまくりですね。
ジム改 あそこは帰ってくる前から内紛状態だったからねえ。
栞   アヤウラは暗殺する気満々ですし。
ジム改 まあ向こうも殺る気だけどな。
栞   でも、誰もミネバ様には手を出さないんですね。
ジム改 そこだけは不可侵領域なのよ、手を出したら大儀どころじゃなくなるからねえ。
栞   何があってもミネバ様だけは別格、ネオジオンも困った組織ですよね。
ジム改 権威ってのはそういうもんだ。
栞   それでは次回、私たちは宇宙に戻る事も出来ず、海鳴基地で訓練をしたり他の部隊を鍛えたりといった日々を送ります。一方宇宙ではジャブロー司令部の変化によって負担の減った秋子さんがサイド1の奪還を目論み、作戦の準備を始めました。次回「去りし日々に」で会いましょう。