第8章 亡霊たち
 
 シアンは1人でグラナダの最下層部に来ていた。このあたりは治安も悪く、ほとんど無法地帯となっており、まともな人間なら普通は近寄らない場所である。しかし、シアンはしっかりとした足取りでどこかに向かっていた。そこかしらに座り込んでいる柄の悪い男達が胡散臭げにこちらを見ているがまるで気にしていない。実際、この手の連中にはここに来るまでに幾度も難癖つけられており、その都度友好的、非友好的な手段を取り合わせて返答していた。
 やがて、1軒の古ぼけたジャンク屋の前で足を止めた。そしてジャンク屋に足を踏み入れていく。そこは足の踏む場もないほどに正体不明のパーツが転がっていたが、シアンは器用にそれらを避けて奥にある事務所を目指していた。そして、事務所の扉をノックする。
「御免ください」
「・・・・・・」
 返事がない、留守かと思ってもう一度ノックしようとした時、後ろから肩を叩かれた。驚いて振り返ると、1人の初老の男が立っていた。
「よう、久しぶりだな」
「・・・あんまり驚かせないでくれ、アーセン。心臓に悪い」
「お前がそんな玉かい。まあ、何だ。こんな所で立ち話もないだろ。続きは中でしようや」
 そう言ってアーセンと呼ばれた男は事務所の鍵を開けて入っていく。シアンもそれに続いた。
 事務所の中は外と違って綺麗に整理されており、掃除も行き届いていた。
「何でこんなに綺麗に出来るのに、外はああなんだ?」
「あの方が、余計な客が来なくていい」
 シアンの疑問にアーセンは平然と答えた。
「しかし、いきなりどうしたんだ?お前はもう、俺には関わる気はないと思ってたんだけどな」
「・・・事情が変わったんだ。あれが必要になった。完成しているんだろ?」
 シアンの言葉にアーセンの表情が強張る。
「あれって、まさか、ザイファのことか?」
「それと、舞のセレスティアもだ」
 シアンの言葉にアーセンが目をむく。
「舞に合ったのか?」
「ああ、今では連邦軍で俺と一緒にパイロットをやってるよ」
 それを聞いて、アーセンが目に見えて安堵してみせる。だが、シアンは厳しい表情のまま続けた。
「だが、もしかしたら、あの2人と戦うことになるかも知れん」
「知れんって、お前」
「ああ、出来れば戦いたくはないさ。だがな、あの娘達を押さえ込むには、ザイファしかないんだ。2人が専用機を持っていることを教えてくれたのはあんただしな」
 シアンが辛そうにこぶしを握り締める。アーセンは天井を見上げて盛大な溜息をついた。
「俺があれを完成させたのは、こんな使い方をさせるためじゃなかったんだが・・・」
「すまない」
 シアンは素直に頭を下げた。だが、アーセンはシアンを見ずに天を仰いだままだ。ややあって、アーセンはシアンに向き直った。
「まあ、あれはお前の機体だ。好きにすればいいさ。だが、もう少し待ってくれ」
「どういうことだ?」
 アーセンの頼みにシアンが怪訝な顔になる。それを見てアーセンンは人の悪い笑みを浮かべた。
「まあ、それは見てのお楽しみって奴だ。あと1月くらいしたら来てくれ。多分出来てる」
「おい、一体何をしてるんだ?」
 シアンは本気で不安になった。しかし、アーセンは不敵に笑うだけで答えようとしない。こうなったら絶対に教えてくれないことを知っているシアンは溜息をついて追求を断念すると、もう1つの用件を切り出した。
「ところでアーセン、昔サイド4のコロニーで使われた細菌兵器の事を知ってるか?」
「ああ、LS232型、通称ジャッジメントだな。それがどうかしたのか?」
「あの抗体ワクチン、手に入るか?」
 シアンの要求にアーセンは頷いた。
「ああ、それなら持ってるが、あれに感染してまだ生きてる奴がいたとはな」
「運が良かったとしか言えん。だが、よく持ってたな。たしか、お前はBC兵器を毛嫌いしていたはずだろ?」
「あたりまえだ。あんな美的センスのかけらもない兵器、造っていて楽しいと思うのか?」
 アーセンはこぶしを握り締めて力説する。まあ、分かる人にしか分からない世界というのもあるからな。


 シアンがこんなことをしているのには理由がある。全ては、北川とトルビアックを病院に運んだ後にシアンが説明を求めたことから始まった。
「それで、美坂曹長は一体何をしたんだ?」
 一応上官ということでシアンが香里を問い詰める。同席しているのは舞だけだ、佐祐理と久瀬は席を外してもらっている。最初は渋っていた2人だったが、上官であるシアンに命令されては仕方なく、2人は手術室の方に歩いていった。
シアンの問いに香里は小さく答え始めた。
「ジオンの将校と取引をしたのよ」
「取引?」
「ええ、私がジオンのある研究所から奪ったデータ、彼はそれと引き換えにあるものを渡すといったわ」
「ある物?」
「昔、ジオンが使った細菌の抗体ワクチン、それがあれば、妹を助けられるのよ」
「・・・なるほどね、それで、美坂曹長がジオンの将校と取引しているのを知った情報局の連中がマークしていたって訳か」
 シアンが納得して頷く。香里は顔を伏せたまま話を続けた。
「そして、ワクチンのアンプルをもらって1度は妹に会いに行ったのだけど、結局今日は会えなくて、帰ろうとしたら途中で・・・」
「ふむ、しかし、情報局はどうやって取引のことを掴んだんだ?」
 シアンが疑問点に頭をひねると、舞がそれに答えた。
「たぶん、アヤウラの仕業」
「・・・アヤウラ、まさか、あのジオンの国家秘密警察のアヤウラ・イスタスかっ!」
「知ってるんですか、少佐!」
 驚いて香里が顔を上げる。それを見てシアンはバツが悪そうに顔をなでた。
「ああ、まあ、俺も昔はジオンにいたからな。もっとも、1年戦争の始まる前だが」
 そう言ってシアンは舞のほうを見る。舞は無表情のままこちらを見ていた。
「・・・4年ぶり、になるのかな」
「・・・うん、それくらいになると思う」
「何よ?2人は知り合いなの?」
 2人の雰囲気に香里が聞く。2人は同時に頷いた。
「ああ、俺は昔、ジオンのとある研究施設にいてな。そこでさまざまな実験に付き合ったよ」
 シアンが誤魔化すように言うが、舞が真剣な表情でそれをさえぎった。
「大丈夫、香里もあそこにいたから」
「あそこって・・・それじゃ少佐も!?」
「・・・まさか・・・そうなのか」
 長い沈黙が降りた。そして、シアンがか細い声で呟いた。
「・・・FARGO・・・研究所か」
 それを聞いて香里はびくっと体を震わせたが、すぐに口を開いた。
「私は、4年前にあのアヤウラにさらわれたわ。何でも、成長した人間をシェイドに強化する計画のための、実験体だったそうよ。でも、強化の途中で戦争が始まって、私の強化は途中で中止されたわ。まあ、膨大な予算を使う割に成果の上がらないシェイド計画に予算を回せなくなったんでしょうね」
 香里の自嘲気味な声にシアンが眉を潜めたが、何も言わなかった。
「それで、私は実戦に投入されたわ。あの1週間戦争にね」
 1週間戦争とは、1年戦争の開戦から約1週間の間に起こった戦いのことで、その余りの惨状から特にそう呼ばれている。この1週間の間に3つのサイドが壊滅し、30億近い人命が失われたのだ。そして、締めくくりはブリティッシュ作戦と呼ばれる暴挙、コロニー落としであった。連邦軍はコロニー落としを食い止めることが出来ず、コロニーは地球に落ちてしまう。この一撃はジャブローこそ外したものの、地球の自然環境に深刻な打撃を与えてしまった。
 この惨劇を指して、1週間戦争と呼ぶのだ。
「あの作戦でサイド4が全滅したと知った時、私はジオンにいることが耐えられなくなったわ。だから、5月くらいに隙を見て逃げたのよ。シェイド・ザクと、研究所にあった資料を奪ってね。あとは、昔に付き合いがあった名雪の母親の秋子さんを頼って地球に逃げ込んだわ。HLVを手に入れるのはシェイド・ザクなら簡単だったから」
「なるほど、それで、美坂曹長を保護した水瀬司令は、君を連邦軍に受け入れた。ということか」
 そう呟いてシアンは頭を3度、横に振った。
「なるほどね。しかし、何でサイド4が全滅したのを知って怒ったんだ。誰か、大切な人でもいたのか?」
「・・・家族が、いたのよ。サイド4にね」
「・・・そうか、すまないことを聞いたな」
 シアンは多きく頭を下げた。だが、香里は頭を小さく横に振った。
「いいのよ、もう昔のことだし、それに、両親は死んじゃったけど、栞が生きててくれたから」
「栞、妹か?」
「ええ、そう。私が秋子さんの所に転がり込んだ時、栞は連邦軍の戦闘機パイロットをやっていたわ。さすがに私が来た時には2人とも驚いてたけどね。まさか、栞が生きてるとは私も思わなかったけど」
 少し嬉しそうに話す。だが、すぐにまた暗く沈んだ。
「でも、栞は大丈夫じゃなかったのよ」
「どういうことだ?」
「栞はジオンの攻撃を受けたコロニーからかろうじて脱出できたんだけど、その時にコロニーに使われた細菌兵器にやられていたのよ。ただ、栞はしばらく症状が出なくて、それで秋子さんを手伝ってたんだけど、10月くらいに突然発病したの。連邦には正体不明の細菌だから治療法もなくて、今は病気の進行を遅らせるのが精一杯という状況。そんな時、前回グラナダにカノンが立ち寄った時、あいつが接触してきたのよ」
「・・・その時、アヤウラが持ちかけたのがデータと引き換えにウィルスのワクチンを渡す、ということか」
 シアンの問いに香里はこくんと頷いた。それを見たシアンはどうしたものかと舞に顔を向けた。
「舞、お前はどうしたい。ここで美坂曹長を殺すか?」
「・・・イジワル」
 シアンに言われて舞は膨れっ面になって怒った。実際、舞も戸惑っていたのだ。最初の時なら勢いで斬ってしまえただろうが、落ち着いてしまった上にあんな話を聞かされては剣を向けることなど出来ない。さらに、シアンがそれを見越して香里にこんな話をさせたことにも気付いていた。
 舞にイジワルといわれてシアンは苦笑した。
「まあ、そう怒るな。しかし、正直言って厄介だぞ、これは」
「・・・情報局のこと?」
 シアンの言葉に舞が聞く。シアンはそれを否定した。
「いや、情報局の連中はもう気にする必要はないさ」
「どうして、情報局がそう簡単にあきらめるはずがない」
「ああ、普通にやってたんじゃな」
 そう言って、分からないという表情でいる2人にシアンは片目をつぶって見せた。


 シアンたちが病院でこそこそしている頃、カノンに招かれざる客が来ていた。秋子がそれを笑顔で出迎えている。
「第8独立艦隊司令の、水瀬准将です」
 だが、秋子が自分を水瀬准将と紹介したことで、同席していたマイベックは秋子の機嫌が凄く悪いことを察した。普通なら、秋子は自分のことを水瀬秋子と紹介するのだから。
 だが、目の前の5人はそんな事に気付くこともなく、秋子の前に座る男が用件を切り出してきた。
「連邦情報局からの要請です。美坂香里曹長を引き渡してもらいたい」
「・・・美坂曹長が、何かしましたか」
「軍が知る必要はない!」
 後ろに立つ大柄の男が怒鳴ったが、それを先ほどの男が制した。
「口を慎め!水瀬司令に失礼だろう」
「・・・は、申し訳ありません」
 大柄の男が一礼して引き下がる。
「いや、失礼した。こいつは腕は立つのですがどうも気が短くて」
「いえ、気にしてませんよ。それで、どのような御用件で美坂曹長を引き渡せと?」
 男の謝罪に秋子は笑顔で返した。だが、マイベックは背筋に冷たい物が流れるのを感じていた。自分の上官がこの手の暴力的な恫喝を毛嫌いしているのを知っているのだ。そして、怒った秋子がいかに恐ろしいかも。
 実際、男は内心で舌打ちしていた。部下があのようなことを言ったのは恫喝が目的で、秋子に対して精神的に優位に立とうとしたのだ。だが、秋子は全く動じていない。男は当初秋子に抱いていたイメージの修正を強いられた。
「そうですな、お教えしてもよろしいでしょう。美坂曹長には機密漏洩の疑いがもたれているのです」
「機密漏洩、ですか」
「そうです、そして、我々はその証拠を掴んでもいるのです」
 男が自信を満面に浮かべて言う。秋子は顔から笑顔を消して男を見た。
「その証拠とは?」
「これです」
 そう言って男は部下から一つの書類入れを受け取った。その中から数枚の写真を取り出す。そこにはどこかのベンチに座っている香里と見知らぬ男が映っていた。秋子はその写真をじっと見つめた。
「確かに美坂曹長ですね。それで、こちらの方は?」
「我われの調査では、旧ジオン軍の国家秘密警察に所属していた男です。名はアヤウラ・イスタス中佐。ジオン国防軍に在籍し、ギレン・ザビに直接指示を受けてさまざまな任務を任されたそうです」
「優秀な方だったんですね」
「はい、それほどの男が自分で直接動いているとなれば、美坂曹長のもつ情報がそれだけの価値を持っているということになります。それがどのような物なのか、それを聞くために、美坂曹長を引き渡して欲しい、と言いにきたのです」
「お断りします」
 秋子は真剣な顔ではっきりと言い切った。それを聞いて目の前の男は沈黙し、後ろに立つ部下達は殺気だった。
 そこで一息入れて、男は少し口元をゆがめた。
「美坂曹長は、ジオンからの亡命者だそうですね」
「・・・それが、どうかしましたか?」
「なに、大した事ではありません。ただ、亡命者にそこまで肩入れする准将の真意をお聞かせ願いたいと思いまして」
「・・・娘の親友だから、では理由になりませんか?」
 秋子の表情に微妙な変化が現れ始めた。また笑顔を取り戻し始めたのだ。それを見てマイベックはここから逃げ出したくなった。マイベックが恐怖に凍り付いているのにも気付かず、男は話を続ける。
「本当にそれだけですかな?」
「他に何があると言うんです」
「別に深い意味はありませんよ。ただ、あまりそのような人物を重用なさると、准将の将来の為にもよろしくないと思いまして」
 男の目には秋子をあざ笑う色があった。今まで何度もこういう手段で相手を恫喝し、自分に従わせてきたらしいことがありありと伺える。自分に従わなければ貴方の将来はない。権力者の威を借る狐と言ってしまえばそれまでだが、保身しか頭にない連邦軍のエリート高級士官達には確かに効果的だっただろう。だが、彼は知らなかった。水瀬秋子と言う女性がどのような人物であるのかを。秋子が一介の准将という階級だったことも、男の判断を狂わせたかもしれない。そして、彼は言ってしまったのだ。もっとも言ってはいけない言葉を。
「ジオンに恨みを持つ者は少なくありません。彼らのやってきたことを考えれば当然かもしれませんが、旧ジオン国民を狙った無差別的な襲撃が後を立たないのです。そして、その襲撃事件は彼らの周囲の者にまで及んでいるのです」
 男の話に秋子は笑顔のまま何も言わなかった。
「准将のお嬢さん、水瀬名雪さんでしたか。彼女は美坂曹長の親友だとおっしゃっていましたね。彼女も気をつけたほうがよろしいと思います。いつ襲撃されるか分かりませんからな」
 名雪を持ち出しての恫喝。それは、男にとっては常套手段だったかもしれない。だが、それが秋子の逆鱗に触れる行為だということを彼は知らなかった。
 男が話し終わったとたん、部屋の空気が変わった。空調が壊れたのかと思い周囲を見回そうとし、体が動かないのを悟った。両手が小刻みに震えている。それが恐怖によるものだと気付くのに彼はしばらくかかった。そして、そこまできてようやく彼は気付いた。部屋の空気が変わったのは空調のせいではなく、目の前の女性の雰囲気が変わったためだということに。
 顔は笑顔だが、目が笑っていない。それを見た男は秋子の視線に自分が射すくめられていることを知った。汗が幾筋も額から頬を伝って落ちていく。目の前の人物が本当に今まで話していた女性と同一人物なのか、自信がなくなるほどの急激な変化だ。
 男を恐怖に震える視線のまま、秋子はシベリアの凍てつく風を感じさせるような冷たい声で口を開いた。
「もう一度、言っておきます。美坂曹長の引渡しには応じられません」
「・・・・・・」
 男は言い返そうとしたが、喉がからからに渇いており、しかも恐怖に打ち震える状態では声が出るはずもなく、ただ口をパクパク動かすだけだった。
「更に言うなら、貴方達に役目はそのアヤウラという男を捕らえる事のはず。美坂曹長の件は軍のほうで正式に調査後、処理いたしますので、お引取りを」
「・・・し・・し・・しかし・・・」
「まだ何か言われるおつもりなら、こちらの文書をお渡ししましょう」
 そう言って秋子は胸のポケットから折りたたまれた紙を差し出す。どうやらFAXらしい。男は何とかその紙を手にとり、それを読んだ。すると、見る見る顔から血の気が引いていくのがわかった。紙を握る手が震えている。
 ややあって、男は不満だが仕方なし、といった表情で部下を連れて引き上げていった。
 客が部屋から出て行ったところでようやくマイベックは開放され、大きく息を吐いた。
「はー、はー、全く、気疲れしますな」
「あら、マイベックさん、そんなに緊張しました」
 マイベックの呟きを聞いて秋子が聞き返す。その表情はいつもの笑顔に戻っていた。
「いや、その・・・しかし、何ですな。先ほどの書類は一体なんだったんのですか?」
「ああ、あれですか。あれは命令書ですよ」
「命令書?」
「ええ、連邦大統領からの」
 秋子の口調があっさりした物だったので、マイベックもなるほどと頷いてしまい、そこでようやく理解して驚愕した。
「だ、大統領って、司令!」
「うふふ、昔、いろいろとありまして。ちょっと頼み事を聞いてもらっただけですよ」
 秋子は悪戯好きな子供のように言う。だが、マイベックは愕然としたまま秋子を見つづけた。その脳裏には、自分の上官は一体何者なんだという疑問が渦巻きつづけている。
 秋子さん、貴方は一体何者なんですか?
「企業秘密です」


 秋子が情報局をあしらった頃には北川とトルビアックの手術も終わっていた。幸いに2人の傷は見た目よりも軽く、内臓などにもダメージはないらしい。数日で退院できるという。もっとも、北川はしばらくは安静だが。
 2人が一般病室に移されたのを医者から聞かされた佐祐理と久瀬は病室に行ってみた。さすがに2人はまだ起きてなかったが、それでも穏やかな寝息を立てているのを見て安心した。
「どうやら、2人とも大丈夫みたいですね〜」
「ええ、それにしても、2人とも一体誰にやられたのか?」
 佐祐理が嬉しそうに微笑む隣で、久瀬がやや深刻そうに考え込んでいた。だが、すぐに頭を振ってその考えを追い出した。
「今考えても無駄だな。これは僕の仕事じゃなく、警察の仕事だろう」
 そう呟くと久瀬は佐祐理に笑顔を向けた。
「それじゃ、僕は3人を呼んでくるよ。倉田さんはここで2人に付き添っていてくれないか」
「あ、そうですね。お願いします」
 佐祐理は久瀬に軽く頭を下げた。これが彼女の癖なことを知っている久瀬は苦笑しながら頷いて部屋を出て行った。3人は人気のない屋上近くの談話室にいる。ここからだと少し遠いので、久瀬は少しだけ足を速めた。余り速く歩くと看護婦に怒られてしまうからだ。
 やがて、3人のいる部屋の傍まできた。
「3人とも、話は終わったのかな?」
 そう呟いてドアの前に立とうとした所で、中から話が聞こえてきた。
「美坂曹長、アヤウラからもらった薬というのを見せてみろ」
「これですけど」
 3人の会話に出てきた人物の名に久瀬は足を止めた。
『アヤウラ、まさか、アヤウラ・イスタス中佐のことか。それに、薬って』
 気になった久瀬はなおも話しに聞き入った。
「・・・やっぱりな、あの腐れ外道にしては素直すぎると思ったが・・・」
「あの、それがどうかしたんですか」
「・・・美坂曹長、落ち着いて聞いてくれ。これは、ワクチンじゃない」
「・・・え?」
「こいつは、自殺用青酸カリだ。アンプルこそ普通の薬用タイプだが、中身が違う。サイド4で使われた細菌兵器、LS232型、通称ジャッジメントのワクチンは青い色をしている」
「そ、そんな、それじゃ、この薬じゃ栞は・・・」
「ああ、治るどころか止めになってしまう」
 何かがおちて割れる音。多分話していたワクチンのアンプルだろう。そして、女性の悲鳴が響き渡った。
「いやああああ!そんな、それじゃ、私は何のためにあいつにデータを渡したのよぉ!!」
 女性の悔恨の叫び。恐らく美坂曹長という女性のものだろう。それに続いて泣き声が聞こえてくる。そして、今度は舞の声が聞こえてきた。
「ゆ、ゆ、許さない、絶対に!」
 舞が本気で怒っている。舞が感情をあらわにして怒鳴るのは珍しい。というか見たことがない。その舞が激しい怒りに身を任せているのだ。だが、2人に落ち着いた声がかけられた。
「まあ、美坂曹長、そう嘆くなって。ワクチンの方は俺の方で何とかできるかもしれん」
「ひぐ、ひぐ・・・え?」
「だから、薬の方は俺が調達できるかもしれない、と言ってるんだ」
「・・・ほ、本当、ですか」
「こんな時に嘘は言わんよ。いつになるかは分からんが、持ってそうな奴が知り合いにいる。そいつに聞いてみるさ」
「お、お、お願いします」
「ああ、任せておけ。だから、今日のことはもう気にするな。舞もいいな」
「・・・少佐がそういうなら」
 あの舞が素直に従っている。そのことに久瀬は驚いていた。士官学校時代、言う事を聞かない問題児ということで散々教官に怒られていた舞が、あの少佐の言う事に素直に従っている。だが、いつまでも驚いてはいられない。久瀬は呼吸を整えると部屋の扉をノックした。
「すいません、3人とも、ちょっといいですか」
「・・・誰だ?」
「久瀬です」
 久瀬が名乗ると扉が開いてシアンが顔を出した。
「大尉か、どうかしたのか?」
「はい、2人の手術が終わりました。現在、303号室に移されています」
「そうか、それじゃ、行くとしようか」
 そう言って中からシアンが出てくる。後ろから2人がしょんぼりした顔でついてきた。その様子に久瀬は微笑しながら話してやった。
「ああ、2人とも見た目より傷は浅かったそうだよ。先生の話だと、長くても2週間くらいで退院できるって」
 久瀬の話を聞いて2人の表情に明るさが戻った。2人とも慌てて駆け出していく。そんな2人に少し驚いていた久瀬だったが、肩を叩かれて我に返った。
「すまんな大尉、気を使わせてしまって」
 どうやら、シアンにはばれていたらしい。
「かまいませんよ。暗いよりは明るい方がいいですから」
「そうか、ところで、何処らへんから聞いていたんだ」
「え!」
 驚いてシアンを見る。シアンは別に怒ってはおらず、ただいたずらっ子を見るような眼で久瀬を見ている。
「まあ、盗み聞きは関心できんが、しょうがないな」
「少佐は騙せませんね」
 そう言って久瀬は素直に何処から聞いていたのかを話した。それを聞いたシアンは少し何かを考えていたようだが、すぐに笑顔に戻った。
「まあいいさ。聞かれてしまったものはしょうがない。ところで大尉、一つ聞きたいんだが、もし俺がジオンの残党だったら、どうする?」
「・・・それは、どういう意味でしょうか?」
「たとえ話だ、そう怒るな。しかし、なんだな。失礼だが、大尉は俺が聞いていた人物像とはかなり違うようだな」
「と、言いますと?」
 シアンの言葉に久瀬の足が止まる。シアンは少し考えた後に続けた。
「実はな、君のことは結構噂になっていたんだよ。久瀬中将の息子が来るってね。ところが、その息子は中将とは違い、傲慢で権力をもった人間の典型的な嫌な奴という噂が合ったんだ」
「それは、なんとも・・・」
 さすがにこれには久瀬も答えようがなく、困った顔で苦笑いをするしかなかった。シアンも含み笑いをしている。
「まあ、噂なんて当てにならんもんだからな」
 そう言ってシアンは再び歩き始めた。少し遅れて久瀬が続く。2人は病室までの間、自分達の経歴などを聞かせあいながら笑っていた。
 2人が病室に入ると、すでに香里と舞が来ていた。香里は2人を心配そうに眺めやっており、舞はしょんぼりして俯いている。佐祐理はというと困った顔で2人を交互に見ていた。
「何やってんだ、倉田中尉?」
「あ、シアン少佐、久瀬さん、遅いですよ〜」
 佐祐理が困り果てた顔で近寄ってくる。どうやらとことんまで暗くなっている2人に声をかけられず、1人で困り果てていたらしい。
 シアンは溜息をつくと2人に言った。
「2人とも、今日はもう遅い。後は看護婦さんに任せて、俺達はそろそろカノンに帰るぞ」
 2人はシアンに言われてもしばらく動こうとしなかったが、やがてこくんと頷いてとぼとぼと出て行った。佐祐理が慌てて後を追いかけていく。シアンも久瀬に目配せすると病室を後にした。
 病院を出ると周囲はすっかり暗くなっていた。グラナダにも夜の時間がきたのだ。5人は何も言わずに宇宙港まで歩き、そこで久瀬が口を開いた。
「それでは、僕はこれで失礼します」
「何だ、大尉は別のドックなのか?」
「はい、僕の艦隊は隣のドックに停泊しています。しかし、2日後にはサイド6のジブラルタルに向かう予定です」
「そうか、頑張れよ」
「分かってます。父が見ている以上、無様なことは出来ません」
 久瀬はそう言って一礼し、4人とは別の入り口に消えていった。シアンはそれを見送ると3人を連れてカノンに向かって歩き出した。
 カノンでは秋子が笑顔で迎えてくれたが、シアンは3人が自室に下がったのを見て秋子に頭を下げた。
「水瀬司令、申し訳ありませんでした」
 シアンに頭を下げられて秋子は小さく笑った。
「まあ、仕方ありませんよ。香里さんが狙われていると知れば、シアンさんが祐一さんであっても同じ行動をとったでしょうし」
「ですが、北川中尉にアルハンブル中尉の2名を重症にしてしまいました」
「それは私にではなく、2人に謝ることですよ。それに、追撃を3人があそこまでかわせたのは、シアンさんが追っ手を倒していたからでしょう?」
 そう言って秋子はにっこりと微笑んだ。シアンがあっけにとられ、次いで苦笑する。
「ばれていましたか、しかし、どうして私がそんな事が出来たと思ったんです」
「私は香里さんを保護した時、彼女の持っていたデータと、シェイド・ザクを受け取っていましたから」
「・・・それでは、司令はシェイドのことを・・・」
「はい、ある程度は知っています。少佐のことも、そして3人のことも書いてありましたから。もっとも、まさかその内の2人が私の艦隊に来るとは、さすがにお思いませんでしたけど」
 微笑みつづける秋子を見てシアンは改めて秋子の凄さを知った。香里が秋子を選んだのは正しかったと今更ながらに思えてくる。シアンも秋子についてはある程度調べており、政府要人とも個人的なパイプがあるというのを知っていたからこそ、情報局に何とかして圧力をかけ、香里の手配を解かすように頼んだのだ。しかし、さすがのシアンも秋子がまさか連邦大統領に頼んでいたとまでは考えておらず、政府高官あたりに手を回してくれたんだろうと思っていたのだが。
 シアンが秋子の部屋を出て自室に戻ってみると、舞が部屋の前にいた。
「・・・こんな時間に何の用事かな?」
「・・・話があるの」
 シアンは何も言わずに舞を部屋に招き入れた。残念ながら部屋の中はまだ片付いてはおらず、舞には適当に座るように言うしかなかった。
 舞が床に座ったのを見て自分も床に座る。
「それで、何の用かな?」
「・・・分かってるくせに」
 舞が拗ねたような声で言う。それを聞いてシアンは困ってしまった。
「そおだな、俺が研究所を脱走してもう4年だからな」
「うん、私も、3年前に脱走した」
 シアンと舞がお互いに頷きあう。2人には共有する過去があり、それは言葉で言い表せる物ではなかった。ただ、2人ともお互いを見詰め合っている。
 ややあって、舞が突然泣き始めた。シアンは何も言わず、舞が何か言うのを待っている。
「どうして、どうして、私達を捨てていったの?」
「・・・いや、弁解は良くないな。そうだ、俺は捨てていったんだ」
 シアンは苦しそうに言った。顔には苦悩が見て取れる。舞は涙を流しながら聞いていた。
「俺は、あそこで研究に協力していた。最初は俺もジオンの為という妄想を信じていた。だが、あるとき俺は知ってしまったんだ。シェイド計画に続く、次の計画を」
「・・・・・・」
「ジオンが負けたところを見ると、それは失敗したのか、実行されなかったのかは分からないが。あれは悪魔の計画だった」
 シアンの話が進むにつれて、舞が泣き止んできた。
「その計画は、ラスト・バタリオン計画という名だった。シェイドを量産して、ギレン・ザビ直属の、最強の部隊を造るというものだった。多分、美坂曹長もその計画の一環だったんだろう。量産型試作機と言う奴だ。美坂曹長の話を信じるなら、予算の都合がつかなくて計画は中断されたんだろうな」
 シアンはそこで一度、話を切った。舞は黙って話を聞き入っている。シアンは話を再開した。
「それを知った俺はこの研究の中止を訴えた。だが、返事は武装した兵士達だった。俺は総帥に反抗する危険人物と判断されたんだよ」
「・・・それで、研究所から逃げ出した」
「そう、舞達に何も話さなかったのは、巻き込みたくなかったからなんだが、結局、皆を苦しめるだけだったな。すまない」
 そう言ってシアンは頭を下げた。だが、舞は何も言わずにじっとシアンを見ていた。いつまでたっても何の反応もないのを不審に思ったシアンが顔を上げると、今にも泣きそうな舞が抱きついてきた。そのまま子供のように泣き出す。
「お兄ちゃん、お兄ちゃんっ!」
 舞が昔の呼び方でシアンを呼びつづけている。シアンは何も言えず、ただ舞を抱きしめてやることしか出来なかった。
 どれ位そうしていたのだろうか、いつの間にか舞は眠ってしまっている。シアンは舞を抱き上げると自分のベッドに寝かしてやった。静かな寝息を立てる舞の寝顔を見ていると、シアンは昔に戻ったかのような錯覚にとらわれた。
「あの頃も、こんな風に疲れて眠り込んだ3人をベッドにまで運んでやってたっけな」
 あの頃に比べると舞はすっかり成長している。だが、あどけない寝顔だけは変わっていないと感じ、シアンは懐かしさに頬が緩んだ。
「お休み、舞ちゃん」
 シアンも昔のように舞に語りかけると、自分もソファーに横になった。


 翌日、シアンが目を覚ますと舞がベッドに上半身を起したままぼうっとしていた。それを見て小さく笑うと、シアンは舞に声をかけた。
「おはよう、舞ちゃん」
「おはよう、お兄ちゃん・・・」
 舞はまだ寝ぼけているのか、昔と同じ返し方をしてくる。だが、だんだん頭がはっきりしてきたのか、顔が赤くなってきた。シーツを握り締めて胸元にやり、壁の方にずり下がる。
「・・なんでシアン少佐がここにいるの?」
 そう言われてシアンは少し悩んだ。そして、舞の記憶が混乱していると言うことに気付いた。
「何を言ってるんだ。昨日、俺の部屋にきたのはそっちだろうに」
「・・・昨日?」
 シアンに言われて舞が少し考え込む。やがて、思い出してきたのか赤い顔が更に赤くなってきた。それを見てシアンに悪戯心が芽生えてくる。
「しかし、久しぶりに舞ちゃんの寝顔を見たな」
「・・・!!」
「可愛かったぞ。昔を思い出したよ」
「・・・・・・」
 舞は何も言い返せなくなって俯いてしまった。顔は湯気が出そうなほどに赤くなっている。それを見てシアンは今度こそ笑い出した。
「はははははは、相変わらず可愛いな、舞ちゃんは」
「・・・お兄ちゃんのイジワル」
 舞が赤い顔のまま不貞腐れて顔を横に向ける。だが、その舞も遂には笑顔になった。2人は笑顔を向け合ってようやく挨拶を交わした。4年の歳月を埋めるように。
「ただいま、舞ちゃん」
「お帰りなさい、お兄ちゃん」
 4年前まで、寂しがり屋で人見知りをする舞がなついていた数少ない男性の1人、シアン・ビューフォートとの、これが再会だった。


 カノンがグラナダに入って10日、ようやく応急修理も完了し、本格的な修理の為にサイド6の軍事コロニー、ジブラルタルに向かうことになった。すでに北川とトルビアックも目を覚まし、今日から病院からカノンの医務室に移ることになっている。その輸送の為にシアンは車を運転して病院に来ていた。何故か車にはシアンだけでなく、舞に佐祐理、祐一、名雪、あゆまでもが乗っていたが。
 病室まできた6人は病室の扉を開けた。すると、なにやら部屋から異様な気配が漂ってきた。見れば部屋にはベッドに横になる北川とトルビアック、そして北川の脇で椅子に腰掛けている香里、そして、あと1人、おろおろしている少女がいた。その少女は部屋にシアン達が入ってきたのを見て慌てて駆け寄ってきた。
「シアンさん、何とかしてください〜」
「おいおい、栞ちゃん、またなのかい?」
 シアンの呆れたような声に栞はこくりと頷いた。栞が困っている原因は北川と香里にあった。あの日に北川が香里を庇って倒れて以来、香里は毎日つきっきりで北川の看病をしていたのだが(トルビアックの方は看護婦がしていた)、どうやらあの一件以来香里は北川に惚れてしまったらしい。もっとも、北川が香里の気持ちに気づいているかというと、かなり怪しいのだが。それでも美人が看護してくれるのは悪い気はしないらしく、いつの間にか部屋には甘い空気が漂うようになっていた。
 栞は香里の話を聞いた翌日、シアンがアーセンから貰ってきたワクチンによって(投与する時には病院側と一悶着あったが)すぐに病気が快方に向かい、3日前には退院していた。秋子は栞の全快祝いをしようと言っていたが、栞が「トルビアックさんと北川さんがカノンに帰ってきてからにしましょう」と言ったので、今日にまでずれ込んでいる。なお、栞はまだ軍を辞めてはおらず、予備役に編入されていただけだったので、秋子が手続きを取ってカノンのMSパイロットとして現役復帰を果している。
「うちはいつも人手不足ですから」
 というのが秋子の主張らしい。香里は反対していたようだが、身よりもない栞を1人で放り出すわけにも行かず、結局はしぶしぶ同意していた。まあ、相手が秋子では結果は見えていたのだが。
 そして、もはや何の心配もなくなった香里は栞を連れて一緒に病院に行くようになり、栞も姉と一緒にいられるのは嬉しかったのだが、この向かい側のベッドから発せられる殺気に物凄い居心地の悪さを覚えていたのだ。ついでに言うと、姉の嬉しそうな顔を見るのは妹として嬉しかったが、女としては相手のいない自分の前で甘い空間を作られるのは腹立たしいらしい。
 そんな訳で、シアン達が入ってきた時の栞は開放感に顔を輝かせていた。
 シアンはラブラブな空間の方はとりあえず無視して、殺気を放ちまくっている方に視線を向けた。
「おい、トルク、いいかげんにしておけ。まったく、いつからそんな奴になったんだ?」
 呆れ顔のシアンにトルビアックは悲痛な声で訴えた。
「隊長だってここに1日寝てれば分かりますよ」
「まあ、そうかもしれんが・・・」
 そう言ってシアンは見ないようにしていた方に目を向けた。北川と香里が昔話に花を咲かせている。確かに1日中目の前でこんな会話をされればむかついてくるかも知れない。
 シアンが悩んでいると、トルビアックは更に言葉を続けた。
「だいたい、どうして北川だけが幸せになるんだ? 俺だって体を張って守ったのに」
 まあ、確かに。でもインパクトから言えば、やっぱり北川君の方が強かったからねえ。あの時も香里に抱かれてたのは北川だったし。
「不公平だ―!!」
 トルビアックが世の無常を嘆いていると、舞が神妙な顔で近寄ってきた。
「・・・ごめんなさい」
 どうやら、さっきのトルビアックの話を聞いてまだ気にしていると誤解したらしい。トルビアックが慌てふためく。
「い、いや、別にあのことはもう気にしてないって」
「・・・でも、トルクを斬ったのは事実だし・・・」
「いや、だからね、もう十分に謝ってもらったから。だから顔を上げてくれって」
 トルビアックは必死だった。実はトルビアックが目を覚ました時、舞はトルビアックに謝りにきたのだが、その時は土下座をしたまま3時間も動かなかったのだ。しかも、その様子を遅れてやってきたシアン達に見られて思いっきりひんしゅくを買っている。あの再現だけは避けたかった。実際に、シアンの視線が鋭くなってきている。実は、舞があの日以来シアンのことをお兄ちゃんと呼ぶようになってしまい、周囲が言っても舞は一切譲らず、頼みの佐祐理は喜んでるありさまだ。困り果てたシアンは秋子に説得を頼みに行ったのだが、これは逆効果だった。秋子はシアンの話を聞くと舞いに向かって一言、
「了承」
 といった。これを聞いた他の抗議にきた乗組員達は一様に崩れ落ち、そしてしぶしぶと戻っていった。ただ1人状況がわかっていないシアンは祐一を捕まえて説明を求めた。祐一は悟りきったように答えた。
「秋子さんに相談したら、1秒で了承されるのは分かりきってたんだよなあ。やっぱり、別の手を考えるべきだった」
「おい、もうあきらめるのか?」
「駄目なんですよ、秋子さんが了承って言ったからには、もう誰も反対できないんです」
「どうして?」
「反対すれば、あのジャムを食わされるから」
 そう言って祐一はとぼとぼと歩いていった。シアンは呆然とそれを見送るしかなかった。さすがのシアンもあのジャムを相手に反対意見を述べる気にはなれなかったのだ。こうして、舞のお兄ちゃん発言は秋子の了承の下、周囲に容認されることになり、シアンも仕方なく受け入れることになった。しかし、開き直ったシアンは悩むのをやめ、今ではすっかり兄兼保護者と化していた。
 舞もようやく下げていた顔を上げると、佐祐理の隣に戻っていった。それを確認したシアンはトルビアックと北川に要件を告げた。
「2人は今日で退院だ。これからカノンに帰るぞ。まあ、治療の続きはカノンの医務室でやってくれ」
 そういうとシアンは看護婦の持ってきた車椅子にシアンがトルクを乗せた。見れば北川は香里と名雪に乗せてもらっている。それを見てトルビアックはなにやらぶつぶつ呟いていたが、シアンは取り合わずに椅子を押して車に向かった。
 2人の重症者の帰還を待っていた秋子は、シアン達が無事に2人を医務室に収容したことを確認してカノンを出港させた。先の作戦の生き残りである6隻がそれに続く。このあとカノン隊はサイド6のジブラルタルで修理と改装を受け、ルナツーに戻る予定だ。
 だが、この時1隻の艦艇がカノン隊を追跡していることには誰も気付かなかった。無理もない、その艦艇はレーダーにも引っかからず、光学索敵でも認識できなかったのだから。
 この艦船はジオンで開発された奇襲・索敵を主任務とする特殊な艦艇で、潜宙艦と呼ばれている艦種である。ミノフスキー粒子下でレーダーが無力化されている状態でさらにステルス性を考えられた船体と、あらゆるセンサーをダウンさせ、光学的にも見えなくする黒色ガスの組み合わせで自艦の存在を完璧に秘匿する。1年戦争では連邦の補給線寸断や後方攪乱、索敵と幅広く使われ、連邦軍を苦しめ抜いた艦である。連邦軍は潜宙艦に対抗するためにサラミス級を改装した対潜艦のサラミスD型を就役させている程だ。
 その潜宙艦が遠くからカノンを追跡しているのだ。そして、この艦を指揮している人物がアヤウラだった。
「水瀬秋子准将か。俺の罠を見事に潰してくれたようだな」
 その表情には僅かだが怒りがあった。この道のプロとして、せっかくの罠をああもあっさりと潰されてしまったことが面白くないのだ。だが、何かを思いついたのか、アヤウラは不敵に笑い出した。
「水瀬秋子、か。我々にとって将来もっとも邪魔になるかも知れんな。今のうちに手を打っておくとしよう」
 アヤウラはそう呟いて含み笑いをし始めた。そのとき、背後に誰かが立った。
「今度は僕の出番はあるのかな?」
 少年のような声だ。だが、それを聞いたアヤウラは笑いを消した。
「どうかな、あの艦に厄介な奴が乗ってるのは確かだが、お前をそう簡単に使うわけにもいかんからな」
「僕が切り札だからかい?」
 男はくすくすと笑った。だが、アヤウラは後ろを振り向かずに答えた。
「お前は危険すぎるから、だ」
 言われた男はくすくす笑いをますます強くした。
「素直だね、中佐は。君のそういうところ、僕はとても好きだよ」
「・・・・・・」
 やがて、背後の気配がくすくす笑いと共に消えていった。それを確認してようやくアヤウラは一息ついた。全身に汗をかいている。
「くそっ、化け物が。しかし、シェイドに対抗できるのは奴だけだからな」
 薄暗い司令室の中で、アヤウラはそう吐き捨てた。


 サイド6の18バンチに入った茜と住井はビルの1室に事務所を構えた探偵と会っていた。
「おひさー。でも、茜から尋ねてくるなんて珍しいねー」
「そうですね、ここに来るのも半年ぶりです」
 そう言って茜は懐かしそうに部屋を見回した。茜は友人であり、凄腕の探偵である柚木詩子の事務所に来ているのだ。詩子は今でこそ探偵をしているが、戦争中はジオンの特殊任務部隊にいたという経歴を持っており、いかなる危険な仕事も引き受けてくれる。そんな詩子を茜は幾度となく頼っており、詩子もそれに答えていた。
 詩子はコーヒーを持ってくると茜にソファーを勧めた。ありがたく座らせてもらう茜。茜が座ったのを見て詩子が切り出した。
「それで、今度はどんな用事なの? またやばい仕事?」
「ええ、それも、かなりやばいです」
 茜があっさりと言う。それを聞いて詩子が露骨に嫌そうな顔をした。
「え〜、茜が持ってくる仕事って、いつもやばいんだもんな〜」
「でも、そのほうが楽しいんでしょう、詩子は」
「まあね」
 茜に言われて詩子はにやりとした。まあ、危険が好きという奴はこの業界には多い。別段、詩子が変わってるとも言えまい。
「それで、仕事なんですが、ある人物の動向と、その周辺の動きを探って欲しいんです」
「ある人物って?」
「連邦軍第2艦隊司令官の久瀬提督です」
 茜の口から出た名前に詩子は顔色を変えた。
「ちょっと、茜。そいつはやばいなんてもんじゃないよ。久瀬提督って言えば、私達の間じゃいろいろ噂になってんだから」
「噂、ですか?」
「ええ、あの人、どうやら何かするつもりみたいよ。連邦の物資をかなり横領してるし、しかもその行き先は全くの闇の中ときてる。久瀬の懐にねじ込まれてるって訳でもなさそうだし」
「ですから、詩子にお願いに来たのです」
 茜が詩子をじっと見つめる。詩子はそんな茜を見て苦笑した。
「分かった、やるわよ。どうせ、今月仕事が無くて苦しかったからね」
「いつもすいません」
 ぺこりと頭を下げる。詩子は顔の前で手を振って謝罪が無用であることを告げる。茜が頭を上げたのを見て不意に詩子が真面目な顔になった。
「所で茜、頼まれていた件なんだけど」
「・・・連邦に流れたデータの所在が掴めたのですか?」
「うん、どうやら、2人の人物が握ってるわね」
「2人?」
「ええ、1人はさっき言ってた久瀬提督。もう1人は第8独立艦隊の司令官、ほら、あの有名なカノンとか言う空母の艦長で、水瀬秋子って人よ」
 詩子の話を聞いて茜は表情を曇らせた。
「そう・・・ですか」
「ん、どうしたの茜。見つかったのに嬉しくないの?」
「いえ、そんなことはありません。ただ、皮肉だと思ったものですから」
「皮肉?」
「いえ、気にしないでください。それより、さっきの件、お願いしますね」
「ええ、任せといて。私は請け負った仕事はするわよ」
 詩子が自身を浮かべた笑顔で茜に答える。その笑顔に茜はいつも助けられてるような気がしていた。


人物紹介

柚木詩子 18歳 女性 私立探偵
 茜の友人で私立探偵。かつてはジオン特殊任務部隊にいたが、敗戦に伴って仕事を変えた。基本的に物事のプラス面しか見ない性格で、茜の持ち込んでくるかなり無茶な仕事もにこやかに引き受ける好人物である。


機体解説

潜宙艦
全長 212メートル
兵装 メガ粒子砲X2
   連装機銃X5
   大型ミサイルランチャーX6
   機雷敷設装置X2
搭載機数 3機
<説明>
 ジオン軍の誇る特殊艦で、隠密行動を得意とする。その主な任務は偵察、通商破壊戦で、大抵単独で行動している。稀に敵地への奇襲などにも用いられる。主な戦法としてはそのステルス性を生かして暗礁などにまぎれ、敵が通りかかったら奇襲をかけて相手を撃破する。もし、相手が生き残ってしまったら黒色ガスというあらゆるセンサーをダウンさせる有色ガスを出し、電波、光学による一切の索敵手段を奪った状態で逃走する。その際、機雷を散布することもある。基本的に待ち伏せ兵器で、敵と正面きって戦う艦ではない。
 1年戦争のほぼ全期間にわたって活躍したが、終戦の頃になると連邦軍が投入してきた対潜艦によって徐々に追い詰められていくことになる。


後書き
ジム改 やっと香里と栞の問題が終わったぞ!
栞     じゃあ私、死ななくてすんだんですね?
ジム改 うん、病死は無くなったよ
栞   ・・・戦死の可能性はあるんですね?
ジム改 だって、栞ちゃんはパイロットとしては中途半端に強い人だから
栞    酷いです! ようやく目立てる時が来たっていうのに!
ジム改 君はキャラが弱いからねえ。下手をするとあゆよりも影が薄い
栞    そんな事言う人、大嫌いですぅぅぅぅぅぅぅ〜!!(走り去っていく栞)
ジム改 ああ、また行っちゃったよ。数少ない出番なのに。まあいいか、それでは、次はリゾートコロニーでの
     バカンスです。ONEとKANONのメンバーが初めて顔合わせをする予定なので、期待していてください。あ 
     と、感想を送ってくれると嬉しいです。次を書く原動力になりますし、こうして欲しいということを書いてくれる
     と先の予定が立てやすくなりますから