第12章 因縁

 新たにフォックス・ティースを迎えたカノン隊は大規模な機種改変を行ったため、しばらくは機種転換訓練にいそしむこととなった。特に隊長クラスが軒並み乗り換えたため、こいつらの再訓練に手間取っていた。
 今日もシアンはカノンに並み居るエースたちの再訓練で忙しい。
「どうした、1発くらい当ててみろ!」
 シアンのジム改が軽やかに宇宙を駆けている。それを追うかのように3機のMSがもつれ合うように飛んでいた。祐一、北川、佐祐理のジムカスタムだ。
「なんなんだ、あの人は!?」
「あれ、本当にジム改なのかあ?」
「はえええ〜、でたらめに速いですねえ〜」
 3者3様の愚痴にシアンは苦笑しながらマシンガンを佐祐理に向け、トリガーを引き絞った。撃ち出されるペイント弾を避けようと慌ててスティックを倒したが加速のついた機体は慣性で一瞬の間まっすぐに進み、それが致命傷になった。ジムカスタムのボディに新たな赤色が塗られ、もはや真っ赤になっている。
「佐祐理、無駄口が多いぞ」
「は、はいいい〜」
 もはやぐうの音も出ない佐祐理であった。実のところ、本来なら3人同時ならシアンといえども危ないのだが、未だ機体を使いこなせていないので結構余裕がある。
 このような訓練を続けているのも、一刻も早くMS隊を仕上げんとするシアンの気構え故なのだが、正直言ってやらされるほうはたまったものではないだろう。
 今日も今日とてシアンに叩きのめされた人たちが食堂で遅めの昼食を取りながらぼやいている。
「まったく、こうも一方的にやられると、やっぱり自身無くすよなー」
 祐一が天ぷら蕎麦をすすりながら言うと、同感だと言いうように北川と香里、栞、あゆ、名雪、舞、佐祐理が頷いた。機種改変をしていないトルビアックとキョウは余裕の表情でそれぞれカツカレーとミートスパゲッティを食べている。
 2人を蚊帳の外において、祐一はなおも続けていた。
「とにかく、俺たちは何とかしてあの人を負かさなくちゃいけないんだ。でないと、いつまでたってもペンキ剥がしが終わらない!」
 祐一の切実な叫びにまたも全員が頷いた。実は、シアンは自分に1発も当てられなかった場合、罰ゲームとして機体についたペイントを自分で剥がさせていたのだ。これがなかなかの重労働で、終わる頃にはへとへとになっていることも珍しくない。
 皆が雁首揃えて頷き会っていると、新たな客が食堂に入ってきた。祐一がそれを見つけて声をかける。
「おーい、天野、真琴、こっちに来ないか?」
 呼びかけられて真琴が思い切りいやそうな顔で舌を出した。
「馬鹿じゃないの? 何であたしたちがあんた達なんかと一緒に食べなくちゃなんないのよ」
「なんだと!」
 祐一が真琴の態度に怒って立ち上がる。慌てて北川が後ろから羽交い絞めにしているが、そこにまた真琴が余計なことを言ってきた。
「はん、本当に馬鹿みたいね。あいつの部下らしいわ」
 そう言って手をひらひらさせている。それを見てさらに怒った祐一が北川を振り切ろうと足掻く。
「は、離せ北川―、俺にあいつを殴らせろー!」
「ま、まて、落ち着け相沢、こんな所で問題起こすんじゃない」
 北川が宥めるが、効果はないらしい。そのうちに北川の腕が緩みだしたので、前から名雪とあゆが押さえ込んだ。
「駄目だよ祐一、我慢して」
「そうだよ、祐一君」
「うがー、ここで下がったら男が廃るわー!」
 怒りのあまり暴走した祐一に2人の言葉は届かない。そして、また真琴が何か言おうとしたとき、よく通る声がその場にいる全員の耳を打った。
「およしなさい、真琴」
 決して大きな声ではないが、不思議とよく聞こえる声だった。そして、何故か気分を落ち着かせるような響きがある。その台詞を発した人物、天野に真琴が情けない声で抗議する。
「美汐〜、何で止めるのよ」
「今は食事中です。食事は落ち着いて食べるものです」
 見汐の落ち着いた、言い聞かせるような台詞に真琴がしぶしぶと椅子に座る。
「あう〜、分かったわよう」
「・・・分かればいいです」
 そして、天野は祐一たちの方を見た。
「相沢中尉、真琴が失礼なことを言いました。申し訳ありません」
 天野に謝られて、祐一は振り上げた拳を叩きつける相手を失った。ここで真琴を殴りつければ、自分は本当に馬鹿者になってしまうだろう。
「う、ま、まあ、仕方ないな」
 そう言って、祐一も素直に自分の席に戻った。あの真琴を押さえ込み、祐一の怒りを静めた天野は祐一が引き下がったのを見ると、食事を再開した。その正面では真琴が黙々と自分のチャーハンを食べている。
 そして、しばらくすると艦内に通信が流れた。
「北川中尉、北川中尉、シアン少佐がお呼びです。至急、格納庫までいらしてください」
 それを聞いて、北川が頭を抱えた。
「今度は俺か〜!」
 これは、シアンの個人特訓の呼び出しである。北川が選ばれたことにその場にいる全員が安堵のため息を漏らし、同時に北川を笑顔で送り出した。
「お前ら、そんなに人の不幸が嬉しいのか!?」
 北川の叫びに、トルビアックが渋く決めながら答えた。
「人の不幸は蜜の味」
「お前な〜、人事だと思いやがって!」
「だって人事だも〜ん♪」
 どこまでも楽しげなトルビアックに北川は殺意すら抱きながら格納庫に歩いていった。
 そんな北川の後姿を見送って、真琴が天野に小声で話し掛けた。
「ねえ美汐、チャンスよ」
「・・・・・・」
「私達も訓練出でましょうよ」
「・・・真琴」
 どこか、威圧感のある天野の声に真琴はビクッとして身を引いた。だが、別に天野は怒っていなかった。
「貴女は、北川中尉の相手をお願いしますね」
「え? あ、う、うん、任せておいて」
 とたんに安堵して請け負う真琴。答えを聞いて天野はトレイを持って立ち上がると、返却口に持っていった。


 しぶしぶと格納庫にきた北川は、シアンが石橋整備長となにやら自分のジム改をいじっているのを見た。どうやらシアンが自分用に機体をチューニングしようとして、石橋ともめているらしい。
 興味が湧いた北川は、2人に見つからないようにこっそりと近づいていった。そして、物陰から2人を伺っていると、話し声が聞こえてきた。
「だから言ってるだろう、こんなことしたら、人間が扱える機体じゃなくなるって」
「俺はこれでいいんです」
「シアン、お前の腕は知ってるが、こいつはちと無茶しすぎだぞ」
「大丈夫、細かい改造は今まですこしづつ続けてきてましたから。その上で、これがベストだと判断したんです」
「しかしなあ」
「まあ、続きは北川中尉との模擬戦を見てからにしましょうよ。その結果如何では、整備長も納得してくれるでしょう?」
「・・・まあ、そうだな」
 しぶしぶと石橋が頷いている。そして、石橋が去っていったのを確認して、深呼吸をしたあと勢いよく物陰から飛び出した。
「シアンさん、来ましたよー」
「おお、やっと出てきたか」
 笑顔で返してくるシアンに、北川はこめかみに一筋の汗をかいた。
「・・・ばれてました?」
「ああ、最初っからな」
 にこやかに答えてくれるシアンを見て、北川はこれから起こる地獄を予想し、泣きたくなった。
 北川のジムカスタムと並ぶようにカタパルトデッキに立ったシアンは、先に出るといってカタパルトに乗った。ほどなくしてジム改が打ち出され、すぐに北川もカタパルトに乗って外に飛び出していく。
 宇宙の闇を切り裂く2機のMSは、でたらめとも言える強さを持って激しい機動を繰り返していた。その動きから、2人がエース級であることが伺える。しばらくそんな動きを繰り返していると、暗礁の多い宙域で2人はとまった。
「北川、ここでやるぞ。今回は俺が攻めるから、お前は先に動いて隠れていいぞ。奇襲も可とする」
 言われて北川は慌てて移動し、岩礁の陰に隠れた。そして、しばらくして信号弾が上がった。開始の合図だ。北川は少しでも熱源反応を減らそうと動力を絞り込む。ぎりぎりまで調整されたジムカスタムは熱源センサーでも見つけにくいほどにうまく隠れてしまっていた。
「さてと、後はシアンさんの目をどれだけ誤魔化せるかだよな。うまくいけば圧勝できるけど、ばれたら終わりだぜ」
 心臓の鼓動がいやに大きく聞こえる。今の北川機はほとんど動くことが出来ない。パッシブセンサーのみが頼りだ。
 どれだけ立ったろうか、必死に周囲に視線を走らせていた北川の目に、2機のMSが飛び込んできた。
「あん、あれはジムカスタムとジムキャノンUじゃないか?」
 北川の予想通り、やってきたのはジムカスタムとジムキャノンUだ。ジムキャノンUを使ってるのは沢渡中尉しかいないから、隣のジムカスタムは多分天野中尉のだろう。何をしに来たのかといぶかしんでいると、2人は北川に気づかなかったらしく、そのまま通り過ぎていった。
 2人の反応が消えたのを確認して、北川は後をつけるべきかどうか悩んだが、迂闊に動いて堕とされるのも嫌なので、取り敢えずこの場から動かないことにした。
 北川に見られたのも知らず、2人はシアンのジム改の後ろに回りこんでいた。2人の部隊を合わせたチーム名、フォックス・ティースはこの猟犬のような動きにある。彼らは暗礁宙域などでの奇襲作戦を最も得意としているのだ。いわば、ゲリラ戦の専門家ともいえる。今回も巧みに岩礁や漂う金属の破片を利用してシアンの目を掠めている。
 そして、充分な距離まで近づいた時点で、真琴がビームキャノンのトリガーを引き絞った。両肩に装備されているビームキャノンからビームが撃ち出され、シアンのジム改に迫る。だが、この射撃はシアンにあっさり避けられてしまった。
「この距離で避けられた、嘘でしょ!?」
 絶対の自信を持って放った一撃だけに、真琴は驚きの声を上げた。隣では天野が舌打ちしてシアンに挑みかかった。
 攻撃を受けた時点で、シアンには相手の正体がある程度分かっていた。そして、襲い掛かってきた相手はシアンの予想通りだった。
「天野に、真琴か」
 確認するように呟くと、シアンは向かってくる天野にペイントライフルを向けた。もちろん、こんなものでMSを撃墜することは出来ない。天野もそれを承知しており、回避運動すらとらずに向かってくる。
 やっぱり、はったりじゃ駄目か。頭の中で苦笑すると、シアンは迷わず背中からビームサーベルを抜き放った。だが、ジムカスタムはライフルを構えており、中距離で戦うのは圧倒的に不利だった。
「もらいました!」
 必中を確信して天野がジムライフルを撃つ。だが、天野が必中を確信した距離でさえ、シアンはたやすくそれを回避していた。そして、一気に間合いを詰めてくる。シアンに近づかれた天野は焦りの色を浮かべて大きく後退した。天野はシアンの実力をよく知っており、普通に戦ったら絶対に負けることを承知していた。
 天野が押され気味なのを見て、真琴が支援砲撃を加え始めた。
「せめて、動きだけでも止めてやるわ!」
 ジムキャノンUのビームキャノンが立て続けにビームを撃ち出し、その都度シアンは回避行動を余儀なくされた。真琴の射撃の腕前はなかなかのもので、シアンでも無視できるものではなかった。
 3人が戦っているのは北川のもすぐに分かった。幾つもの光が生まれ、衝撃波が機体を揺さぶる。戦いの流れ弾が周囲の暗礁や残骸に命中しているのだろう。自分の予測の甘さに思わず舌打ちした北川は、急いでシアンの援護に向かっていった。
 3人の戦いは熾烈なものとなっていた。なにしろ、3人ともエース級なので、その辺の連中が遣り合ってるのとは迫力が違う。ただ、普通に戦えばシアン1人で2人を堕とす事は十分に可能なのだが、今回はライフルがペイントライフルなので、シアンには中、近距離での武器がない。頭部バルカンとビームサーベルは至近距離に入らないと使えないから、結局逃げ回ることのなってしまう。
 一方、天野と真琴の方は完全武装なのだが、何しろシアンが相手なので攻撃のことごとくが無駄弾となっている。かといってシアン相手に白兵戦を戦える者など、舞やトルビアック、祐一ぐらいのものだ。
 両者は互いに決定打を持たないまま空しく戦いつづけており、やがて決定的な問題が発生した。
「あうー! もうビームエネルギーがないよー!」
 そう、今まで撃ちまくっていた真琴のジムキャノンUのビームエネルギーが尽きてしまったのだ。この時代のビーム兵器はジェネレーターにエネルギーをプールしているので、使い切ったら母艦でチャージするまで使えないのだ。中には専用のビームジェネレーターを持ち、再充電が出来る機体もあるが、ジムキャノンUにはそんな装備はない。
 弾切れを起こしたジムキャノンUに、シアンが容赦なくペイントライフルを撃ち込む。メインモニターとサブモニターをペイント弾で染め上げられて、真琴は視界を失ってしまった。
「あうー! 見えないよー!」
「真琴、動き回るのは危険です。貴女はそこで止まっていてください」
「あう〜、美汐、御免」
 こんな所で脱落してしまったことを謝る真琴。そんな真琴に美汐は他の者には見せない笑顔を見せた。
「大丈夫ですよ。真琴は安心して待っててください。すぐに終わらせてきますから」
「うん・・・」
 真琴を安心させるためにそんな事を言ったが、正直言って天野に勝てる自信は無かった。2人掛かりでも掠らせることさえ出来なかったのだ。1機で勝てるはずが無い。だが、天野に引き下がる気は無かった。
「あの人の敵、ここで討たせてもらいます」
 自分に言い聞かせるように呟くと、天野は再びシアンに向かっていった。
 1機で向かってくる天野を見て、シアンは複雑な思いにとらわれた。天野が自分を狙っている理由は分かっている。そして、だからこそ天野は自分を許さないだろうということも分かっていた。
「来るのか、天野。殺さずに無力化できればいいんだが」 
 天野は強い。それはシアンにもよく分かっていた。今までの戦いを見ても、いくら2人掛かりとはいえ、自分を曲がりなりにも追い詰めている。ただ、シアンしてみれば、決して苦戦するような相手でもない。2人のコンビプレーが厄介なだけだ。それでも、1人1人もそこそこには強く、おかげで傷つけずに無力化しようと思っても、そう簡単にはいかないのである。
 ジムライフルを構えて突っ込んでくる天野機を見据えて、シアンは近くにあった何かの残骸を掴んで投げつけた。投げつけられた天野はこのような攻撃をまったく予想していなかったらしく、慌てて回避した。この動作で一瞬シアンを見失ってしまい、視線を向けたときにはもういなくなっていた。
「ど、どこに行きました!」
 慌てて全方位に注意を配る。だが、シアン機の姿はどこにも無かった。
「逃げた? いえ、そんなはずはありません」
 ここで逃げられては困るのだ。千載一遇のこのチャンスを逃したら、次は無いかもしれない。いや、それ以前にシアンが自分達を訴えて、そのまま軍法会議に直行という可能性もある。シアンを倒した後でならそれもいいかもしれないが、このままではまったくの無駄死にになる。それだけは避けたかった。
 天野はまったく気づいていないが、このときシアンは天野からそんなに離れていない残骸の陰に隠れていた。そして、天野の隙をついて一気に距離を詰めようとしているのだ。チャンスをうかがいながらじっとしていると、遂に天野の注意がこちらから逸れた。そのチャンスを見逃さず、残骸の陰から飛び出して全速で天野機に接近する。
 天野機のコクピットではセンサーがシアン機の接近を告げる警告を出していた。慌ててそちらに注意を向けると、ビームサーベルを構えたジム改がもうすぐそこまで迫っていた。
『殺られる!』
 パイロットとしての感がそれを瞬時に教えてくれた。斬られる瞬間、思わず目をつぶってしまう。そして、何かが爆発する衝撃に機体が激しく揺さぶられ、体にシートベルトが食い込んで息が詰まった。
 全てが終わったとき、天野は自分がまだ生きていることを知った。そして、機体をチェックしてみると、右腕のマニュピレーターがいかれた以外、これといった損傷も無い。どうやら、シアンはジムライフルを切り捨てたらしい。さっきの爆発は弾薬の誘爆だろう。
 放心してシアンのジム改を見ていると、シアンから通信が入った。
「訓練にしてはずいぶんと乱暴だな。天野中尉」
「・・・何を言っているのです?」
 天野は、シアンの言っていることが理解できなかった。どこの世界に実弾で模擬戦をやる部隊がるというのだ。だが、シアンは本気らしかった。
「訓練だったんだろう?」
「・・・・・・」
 天野は答えなかった。シアンは自分達を見逃してくれるといっているのだ。だが、それを受け入れていいものかどうか、天野は判断に迷っていた。自分だけなら突っぱねるだろうが、真琴がいるのだ。
 しばらく悩んでいると、突然真琴の悲鳴が飛び込んできた。
「あうー、美汐助けて―!」
「真琴!? どうしたんです、真琴!」
 突然の事態に冷静さを失う天野。真琴の悲鳴はシアンと天野にもう1人の人物を思い出させた。
「北川に捕まったー!」
「「あ!」」
 今まで忘れられていた男、北川はようやく戦場に到着し、視界を失って漂流している真琴のジムキャノンUを捕獲したのだ。捕まえられた真琴は暴れようとしたが、北川の「その辺の岩塊にぶつけてやろうか?」という脅しに屈して、今は大人しくなっていた。
 2人が駆けつけてくると、真琴は北川に捕まっていた。
「真琴、無事ですか!?」
「あう〜、美汐〜」
 天野が助けにきてくれて情けない声を出す真琴。北川はシアンが無事なのを見て安堵の息を吐いた。
「ふー、無事でしたか、シアンさん」
「ああ、俺は大丈夫だ。それよりも、どうしたんだ?」
 シアンの疑問は最もだった。まさか、北川が隠れていたら、2人がシアンの方に向かっていったのを見たとは思わないだろう。
「2人がシアンさんの方に行くのが見えたもんで」
 北川の説明に、天野は自分の迂闊さを呪った。そして、観念したのか大きく項垂れた。
「私の負けです。全責任は私が負いますから、真琴は許してやって下さい」
 天野はシアンに頼み込んだ。こうなった以上、真琴をどうするのもシアン次第なのだ。だが、当の真琴は天野の言葉に大きなショックを受けていた。
「あうー、なに言ってるのよ美汐。私だけ助かれって言うの!」
「黙りなさい真琴、こうするしかないんですよ」
 真琴を一言で黙らせると、天野は再びシアンに視線を向けた。
「どうでしょうか、少佐?」
 天野の懇願を受けてシアンは考え込み、北川を見た。
「北川、お前はどう思う?」
「俺は別にどっちでもいいんすけどねえ。まあ、強いて言うならかわいい女の子の泣き顔は見たくない。というところですか」
 と言って両肩をすくめて見せる。それを見て、シアンはにやりと笑った。そして、天野の方を見て、判断を継げた。
「天野中尉!」
「・・・はい」
 シアンの語気の強さに、覚悟を決める天野。だが、そこで突然シアンの口調はやわらかいものに変わった。
「演習において間違えて実弾を使用し、あまつさえジムライフルを失った責任は見逃せんな。後で始末書50枚出すように」
 シアンの言葉を聞いて、天野は目をぱちくりとさせた。口がぽかんと開いている。そんな天野を無視して、シアンは真琴にも処分を告げた。
「付き合った真琴も同罪だ。始末書30枚出せよ」
「えー! 何で真琴がそんな事しなくちゃなんないのよう!?」
 予想通りに文句を言ってくる真琴。シアンは鼻で真琴を笑い飛ばすと、言葉を続けた。
「嫌なら、カノン艦内の便所掃除全部やってもらうというのも在るが、どうする?」
「喜んで30枚書かせていただきます」
 即座に返してくる真琴。カノンの広さを知っていれば、当然のことだろう。モニターの中で恨めしそうにこちらを睨む真琴を一目見て、再び天野に視線を戻した。
「それで、どうかな天野中尉?」
「・・・分かりました」
 天野は項垂れたまま答えた。
「少佐のご温情に、感謝します」
 屈辱に唇を噛み締めながら、天野はシアンの提案にのった。
 シアンと天野が離れると、真琴が天野に近寄った。
「美汐、大丈夫?」
 真琴の心配そうな声も、今はただ苛立ちを募らせるだけの効果しかなかった。天野は、真琴に返事もせず、踵を返すと戻っていってしまった。慌てて真琴がその後を追いかける。
 2人の姿を見送って、北川がシアンに話し掛けた。
「今更言うのもなんですが、よかったんですか、逃がしちゃって?」
「どうして?」
「だって、このままだと、また狙ってきますよ」
 北川の言うこのももっともなのだが、シアンは小さく笑うだけでそれには答えなかった。変わりに、自分の愛機の稼動データの入ったディスクを見る。
「あいつらのおかげでいいデータが作れた。こいつを見せれば、石橋整備長も納得するだろう」
「まさか、データが取れたから2人に感謝してるなんて言うんじゃ?」
 北川の本気で呆れている声に、シアンは真顔で頷いた。
「ああ、そうだぞ」
 シアンの返事を聞いて、北川は一気に疲れてしまった。
『もう、今日はシャワー浴びて寝たい』
 北川、本心からの心の声である。


 シアン達がルナツーで訓練を行っている頃、ルナツーから出港していく1隻の小型船があった。宇宙港の管制室はこの予定に無い小型船の出港に驚き、慌てて通信をつないだ。
「そこの小型船、出港要請は出したのか!?」
 通信を受けた男、南は管制官の質問に困惑した表情を浮かべた。
「あれ、おっかしいなあ。出したはずですけどねえ。もう一度調べてくれませんか?」
「・・・分かった、ちょっと待ってろ」
 南に言われて、管制官はコンピュータを操作し、出港予定の船を表示させた。すると、自分の記憶に無い出港要請があった。
『おかしいな、朝に見たときには無かったはずなんだが』
 管制官が首を捻っていると、南がせっついて来た。
「管制〜、出ても言いのかい?」
「あ、ああ、すまなかったな。行ってくれ」
 南に言われて、管制官は小型船の出港許可を出した。許可をもらって南の乗る小型船がゆっくりとルナツーを離れていく。そして、ルナツーから十分な距離を取ったところで通常航路を外れ、直接月に向かい始めた。
「ふ〜、どうやらうまく脱出できたみたいだな」
 南が後ろを振り返って言う。そこにはコンピューターに向かう女性がおり、なにやらデータと格闘していた。
「どうだ沙織、解析できそうか?」
「まだ分かんないなあ、もうちょっと待って」
「まあ、焦らなくてもいいさ。向こうにつくまで、時間はたっぷりあるからな」
 南が気楽に言う。彼らが解析しているデータは、連邦軍のファマス討伐作戦、コロネット作戦の計画書だった。高度に暗号化されているのでなかなか解析できないでいるが、これがファマスの手に渡れば、ファマス軍は圧倒的に有利に戦いを進めることが出来る。
 ファマス側についた指揮官、斎藤中佐の送り込んでおいた諜報員が、今重大な情報を奪取してファマスに届けようとしているのだ。斎藤が連邦士官だったからこそできる芸当だった。
しばらくコンピューターと格闘していた佐織は、ようやく大雑把な解析に成功していた。
「南君、大体分かったよ」
「何?」
 南がコクピットを離れて沙織の脇に来る。モニターにはさまざまな単語が並んでおり、素人には何のことだかさっぱり分からないだろうが、ベテランの諜報員である2人にはこの一見無意味な単語の羅列に隠されたものを見出していた。
「こいつは凄いな。ワイアット大将じきじきのお出ましだ」
「それに、かなりの数の艦艇が動いてるね」
 佐織がデータを見ながら驚く。具体的な戦力は分からないが、戦艦の名前が何隻も載っており、これだけでも大艦隊が動くことが分かる。
 そんな中で特に2人の目を引いたのが、カノンの存在だった。
「カノン、やっぱり来るのかよ、こいつが」
「でも、カノンと一緒に行動するのって、空母ばっかりじゃない? ほら、インディファルガブルとか、ヴィクトリアスとか」
「ああ、軽空母のカウンペンス級の名前もあるな。どうも、連邦の空母のほとんどが集まってるんじゃないのか?」
 住井の読みは当たっていた。機動艦隊には連邦軍が保有する宇宙空母の大半が集められている。ファマスには空母はほとんど無いので、もし航宙機同士の戦いが起こるとしたらかなりの不利を強いられることになるだろう。もっとも、時代はすでにMSに移っており、航宙機の数が多いからといって決定的な差になるとは考えにくいが。
 この後、2人は月でファマスの偽装船に乗り換え、フォスターTに向かうことになる。そして、この情報を入手した斎藤は、連邦軍を撃退するための作戦を立案することになるが、それはまた後の話である。


 ファマス本隊から離れたアヤウラは、戦争によって破壊されたサイド5の暗礁宙域に身を潜めていた。そして、ここから月面を目指すつもりなのだ。
 アヤウラ自身は潜宙艦に乗っており、目標となっている戦艦エアーの停泊しているドックに突入するつもりでいる。だが、最後の段階で大きな問題が発生していた。それは、部下がアヤウラのもたらした情報だった。
「連邦軍が、すでに終結を完了しているだと?」
「はい、ルナツーには300隻を超える艦艇が集まり、出撃準備を始めています」
 300隻と言う数を聞いて、さすがのアヤウラも蒼白になる。戦闘用の艦艇はそのうちの1/3程なのだが、それでもフォスターTにいる戦力の倍以上だ。アヤウラは意見を求めようとして周囲を見渡し、思わずがっくりと俯いてしまった。そこに居たのは真希やガルタンと言った武闘派を除けば、高槻と氷上しかいなかったのだ。高槻は確かに天才科学者だが、軍事に関しては素人でしかない。氷上は確かに有能だが、こいつに話し掛けるのは気が進まない。
 しばらく悩んだ後、彼は自分の人材の層の薄さを嘆きつつ、氷上に意見を求めた。
「氷上、貴様ならどう考える。エアー奪取を諦めて、フォスターTに変えるべきだと思うか?」
 アヤウラの質問を受けて、氷上はいつもの朗らかな笑顔で答えた。
「僕はどっちでもいいんだけどね。ただ、連邦がそれだけの戦力を集中させたんなら、月の防衛力も落ちてると思うよ」
 氷上の答えはもっともなものだが、はたして本当にそうかという疑問も湧いてくる。アヤウラは、氷上のことを信用してはいないのだ。ただ、現在の段階で裏切ることは無いと考えているが。
 しばらく考えて、アヤウラは取り敢えず、と言う感じで真希とガルタンにも意見を求めたのだが、帰ってきたのは「氷上の言う通りじゃないの?」というものだった。
 結局、アヤウラは氷上の意見を入れて、月面都市エアーズ市に向かうことにした。ここでエアーを奪取し、大急ぎで逃げ出す。芸がないと言えば芸が無いが、有効だからこそ多用され、多用されるからこそ陳腐にもなる。という言葉があるくらいで、この計画も成功率は高いかもしれなかった。なんと言っても、アヤウラは自分の配下の実戦での能力には疑いを持っていなかったから。
 部下とのすり合わせが終わったところで、アヤウラは自室に引き下がった。そして、自分の机に立てかけてある写真立て向かって、何かを話していた。
「リーン、ソロモン戦からもう2年も経つ。ようやくここまで来たよ。もうすぐだ、もうすぐお前を私から奪った地球に巣くう愚民どもに思い知らせる事が出来る」
 写真立てにはアヤウラとやさしげに微笑む女性、そしてその女性の脇には1人の女の子がいた。その女性を、アヤウラは普段からは信じられないような穏やかな顔で見ている。ただ、その瞳にはどこか狂気の色が合った。
 そして、アヤウラは女性の横に移る少女に視線を移す。
「ゼンカ、お前ももう14か、大きくなったんだろうな。アクシズに預けてきたままだが、今ごろどうしてるか」
 そう、この写真立てに写っているのはアヤウラの家族なのだ。このうち、妻であるリーン・イスタスはソロモン戦で撃沈された病院船と運命を共にしている。娘のゼンカ・イスタスはアクシズに残り、シャアの元で養育されている。このアヤウラに家族がいるというのにも驚きだが、何より恐ろしいのは、アヤウラの妻だったリーン・イスタスは、アヤウラとはまったく正反対の人格者だったと言うことだ。当然周囲の人気も高く、アヤウラが彼女と結婚するという話が伝わったときには、人質説や脅迫説、果ては洗脳説までもがまことしやかに囁かれ、しかもそのどれもが信憑性を感じさせるとあって、一時アヤウラは身の危険を感じて自分に護衛をつけたほどだ。事実、アヤウラの暗殺計画は幾つもあったらしい。結局、この事件はリーン・フォルスト嬢(当時)の説明会によってようやく収拾したのだが、今度は親衛隊のようなエリート部隊や、後方にあるはずの部隊から大量の前線志願者が出るという、異常事態が発生し、さらには自殺する者まで出る始末である。この頃になると、アヤウラの元に妙な手紙や荷物が送られてくるようになった。
 この後、2人の間にはゼンカが生まれた。幸いにして、娘はその多くの美点を母親から受け継いだらしく、父親を感じさせるところは何処にも無かった。このことは周囲を大いに喜ばせ、ゼンカの幸運を立場と階級にとらわれず、皆が祝福したものだ。だが、アヤウラはこの少女にもっぱら軍事教育を施し、10歳になる頃には士官学校を出た新米士官を上回る知識と、優れた戦闘技術を持っていた。アヤウラは娘を戦闘マシーンにしようとしたのだ。ただ、リーンはアヤウラとは違い、娘を普通の子供と同じように育てたいと思っていたので、アヤウラに知られないようにいろんな事を娘に教えていた。おかげでゼンカは感情表現が下手だが、父親の目指した戦闘マシーンにまで身を落とさずに済んでいた。ただ、父親の前では戦闘マシーンらしく振舞っていたので、アヤウラは娘が自分の思い通りに育ったと思っている。それでも、小さい頃からの英才教育と厳しい躾のために、いつしか自分の本心を見せないように立ち振る舞うようになっており、周囲からは人形のようだと言われている。
 アヤウラの目指すものはジオン公国の最終勝利、それ以外には無い。その為には、少しでも優秀な人材を必要とする。アヤウラは自分に欠けている人材、腹心をゼンカに求めていた。誰も信用することの出来ない、猜疑心の塊のようなアヤウラは、付き合いの長いクルーガ―ですら完全には信じていない。真希やガルタンなど論外だ。だからこそ、彼はゼンカを鍛え上げたのだ。生まれた時から自分に従うよう教育と言う名の洗脳を施した部下とするために。ここまでしないと信じられる部下が得られないということがどれほど悲しいことなのか、アヤウラ自身にも分かっていなかった。そして、そんなアヤウラの歪んだ心を理解する男が1人いることにも、アヤウラは気づいていなかった。


人物紹介
リーン・イスタス 29歳 女性 軍医少佐
 ソロモン戦に参加した軍医で、アヤウラの妻。ソロモン戦に於いて秋子の指揮する第37戦隊と脱出しようとしたジオン艦隊が交戦し、その際病院船代わりに使われていたパプワが撃沈され、リーンも戦死している。
アヤウラとはおおよそ別世界の人間で、ある意味完璧な人。その美しい容姿と誠実でやさしい人柄は周囲に多くのファンを生み、アヤウラとの婚姻が持ち上がったときには、アヤウラが彼女の親を人質に取ってるだの、弱みを握って脅されてるだの、果ては洗脳ではないかという噂までもが、それなりの真実味をもって流れたほどだ。結局、騒ぎはリーン自らが説明することで解決を見たが、それまでの数ヶ月間はあのアヤウラをして神経をやられるほどの緊張を強いられる精神的重圧を受けていた。何しろ、道を歩けば尾行がつき、軍施設では所構わず殺気にさらされ、暗殺されかけたことも数知れない。事実、軍艦の配給食に毒が盛られていたことすらあったのだ。
 何故彼女がアヤウラと結婚したのかは今となっては永遠の謎だが、彼女はアヤウラが心を許していたただ1人の人間であったことは間違いない。なお、29歳という年齢は戦死のときのものである。

ゼンカ・イスタス 14歳 女性 なし
 アヤウラの娘、と聞くだけで多くのものは避けて通るが、実際には母親似のかなりの美少女である。幼い頃から父の道具として育てられてきたが、母親の愛情に触れていたため、先頭マシーンにはなっていない。ただ、幼い頃からの躾のために、自分の感情を表に出さない人形のような人間になっている。アヤウラはそんな娘に満足しているが、ゼンカ自身はそんな自分に憤りを感じてもいる。おおよそありとあらゆることを学んでおり、軍事教育から上流階級顔負けの優雅さとマナー、果ては学者顔負けの知識、家庭を守る主婦としての技術までを身に付けている天才的な女の子。恐らく、父であるアヤウラをすでに超えている。現在はアクシズでシャアに預けられている。

機体解説
RGM−79N ジムカスタム
兵装 ジムライフル 又は90mmマシンガン
   頭部60mmバルカン×2
   ビームサーベル
   シールド
<説明>
 連邦軍が開発した新型のジムで、トータルバランスで性能の向上が行われている。おかげで、従来のジムタイプをはるかに上回る高性能を達成しているが、その分コストも高く、量産された数は少ない。ただ、生産された機体は優先的にエースパイロットに支給されたため、その戦果は性能以上のものがある。

RGC−83 ジムキャノンU
兵装 ビームキャノン×2
   ジムライフル
   頭部60mmバルカン×2
   ビームサーベル
   シールド
<説明>
 ガンキャノン量産型のデータをフィードバックした機体で、両肩のキャノン砲がビームキャノンに換装された他、チョバムアーマーを最初から装備している。名前こそジムキャノンだが、系列としてはガンキャノンに近い機体で、その高性能は素晴らしいの一言に尽きる。本来はジムカスタムを支援する目的で開発されたのだが、結果として双方とも生産数が少なく、チームを組めるほどには行き渡らなかった。

後書き

ジム改 ううむ、天野達とシアンの対決でした。

真琴  何で私が北川なんかに捕まるのよーっ!

ジム改 仕方あるまい、メインカメラ潰されて、おまけに北川はエース級だ。負けるのも無理は無い。

真琴  でも納得いかなーい、そもそもシアンって強すぎよー、何よあの化物はっ?

ジム改 まあ、確かにね。シアンに勝てるパイロットなんてほんとに数えるくらいだから。カノン隊でさしでシアンと戦えるのは3人かな。

真琴  ・・・・・・・・・いるの、あいつに勝てる奴が?

ジム改 勝てるわけじゃない、戦える奴が、だ。

真琴  ・・・・・・結局負けるのね?

ジム改 まあね。