第20章 踏み出す勇気

 ファマスの追撃を援軍の力を借りて何とか振り切ったカノン隊だったが、その被害は甚大な物だった。カノン所属のMS隊は半数が失われ、北川と佐祐理は遂に帰ってこなかった。香里は塞ぎこみ、祐一と美汐は重傷を負っている。舞はまだ寝ており、トルビアックはそれに付き添っている。
 そして、シアンは艦長室で秋子とマイベックの詰問を受けていた。
「シアンさん、彼女は投降者だということでしたね」
「はい」
 そして、隣に立つ郁美に視線を向けた。
「天沢郁美少尉、でしたね」
「はい、そうです」
 郁美が頷く。
「貴女は、どうして投降したのかしら? ファマスの方が優勢だったのに」
「・・・・・・」
 郁美は答えない。ただ、顔を赤くして俯いている。それを見て、秋子はニコニコしてシアンを見た。
「シアンさん♪」
「は、はい」
「恋人だったんですか?」
「・・・い、いや、その、・・・」
 秋子の質問にシアンが慌てふためく。そのシアンの態度にマイベックは困った顔で秋子を見た。
「どうしますか。まさか、恋慕のせいで投降してきた。とは報告できんでしょう」
「そうですね。でも、大丈夫です」
 秋子がなにやら楽しそうに答える。
「上には、核攻撃を見てファマスから離反した。と言っておきますよ」
「・・・良いんですか、それで?」
「説得力はありますし。それに、私達が口裏をそろえればばれっこありません」
 悪戯っ子のように微笑む秋子を見て、マイベックは諦めの溜息を漏らした。そして、郁美を見る。
「ところで、君はこれからどうする? 何処か行きたい所はあるのか?」
「いえ、元もと、私は久瀬中将の直属でしたから。行く所なんかありません」
「そう、か。なら、うちに留まる気はないか?」
 マイベックの提案に、郁美は自分の耳を疑った。
「留まれって、私は数時間前まで敵だったんですよ」
「分かってる。だが、うちは今人材難でな。正直言って猫の手も借りたい」
 マイベックは大きく肩をすくめて見せた。そして、シアンの方を見る。
「まあ、そういうことで彼女は君に預ける」
「は、はあ、分かりました」
「頼むぞ。彼女が裏切らないように、しっかりと見張っていてくれ」
「参謀長・・・ありがとうございます」
 シアンはマイベックに頭を下げた。
「おいおい、私は礼を言われるようなことはしてないぞ。私が言ったのは、投降者の監視なんだからな」
「は! お任せください」
 シアンが姿勢を正して敬礼する。それを見て、秋子とマイベック、郁美が笑い出した。


 カノンの仕官用の個室。そこにあるトルビアックの部屋で、舞は寝ていた。シアンに言われて舞を運んだのだが、舞の部屋のキーを持っておらず、舞も持っていなかったので(私服に入っているのだろう)、仕方なく自分の部屋に連れてきて、ベッドに寝かせているのだ。
 トルビアックは自分でコーヒーを作って飲んでいた。ここに運んでからもう6時間、彼はその間ずっとコーヒーを作っては飲んでいた。目の前には舞の寝顔がある。トルビアックはこうして6時間も舞の寝顔を眺めているのだ。珍しいことに、やましい気持ちは無しに、純粋に可愛いと思っている。
 トルビアックが何処か幸せそうにコーヒーを飲んでいると(何十杯目だ)、舞が小さく身動ぎして薄目をあけた。それを見て、トルビアックが声をかける。
「舞、気がついたか」
「・・・良祐、お兄ちゃん?」
「・・・は?」
「わたし・・・お薬嫌い・・・」
 どうやら、寝ぼけているらしい。
「今日は、みんなと遊べるかな?」
「舞!」
「・・・トルク?」
 どうやら、ようやく頭がはっきりしてきたらしい。体をゆっくりと起こす。
「ここは、どこ?」
「俺の部屋だ。お前は隊長に負けて、今まで気絶してたんだよ」
「そう・・・」
少しため息を吐き出しながらそう呟いた後に、舞はとっさに思い出したようにトルビアックに向かって叫んでいた。
「佐祐理は?佐祐理どうなったの!?」
自分に詰め寄る舞を見て、さっきまでの幸せな気分は吹き飛んだ。
俺は暗澹たる気分で、口を開いた。
「・・・それが、まだ・・・、連絡が入ってない・・・。」
ようやくのことでその台詞を口にして、トルビアックはそれっきり、沈黙してしまった。
なんとも重苦しい雰囲気が、その場を支配する。
舞が寝ている間、定期的に部屋の端末を覗いて見たが、俺の期待を裏切るように、二人を示す項目は非情にも"未帰還"の表示のまま。即ちそれは、二人の死を意味している。
トルビアックだけではない、誰もが認めたくなかった。あの、佐祐理と北川が戦死したなんて。二人は、必ず生きていると、誰もが信じたがっていた。だが、現実に2人は中隊ごと核の炎に飲まれてしまった。核反応の出す数億度の高熱に耐えられるような装甲を持つMSなど存在しない。
 ミノフスキー粒子、この核反応により発生する特殊な粒子の利用法が発見されたことが世界の悲劇の引き金の一つを引いたといえるだろう。この粒子の有名な効果は電波を反射吸収する性質だが、同時に核融合を制御する重要な役割を果たし、核融合炉の小型化を達成している。この性質のおかげでミノフスキー粒子が散布された宙域では核爆発で発生する放射線、電磁場の大半が吸収、拡散してしまうので、常時放射線や直射日光にさらされることを前提に設計されている宇宙用艦船やMSなら核のタイプにもよるが爆心地からだいたい100m〜500mも離れれば何の影響も受けない。つまり、直接破壊エリア以外には核ミサイルは何の効果も無いのだ。
 だが、今回はフォスターTに取り付いていた連邦軍の大半がこの光に飲まれてしまった。つまり、北川や佐祐理は核爆発の直接破壊エリアにいたということになる。生存の可能性はまったく無かった。
「・・・舞?」
「っくぅ・・・うううっ・・私っ、私っ、佐祐理を守ることが出来なかった・・・。助けることが出来なかった・・・」
こんなにも弱々しく、涙を滲ませながら顔を俯く舞を見るのは初めてだった。そんな、今にも泣き崩れそうになる舞の、その切ない姿を見ていると、俺は何も言わずに、そっと舞を抱きしめた。
「・・・トルク!?」
舞は一瞬、体を強張らせたが、すぐに緊張を解き体重を預けてくる。舞のその挙動を確認してから、俺は口を開いた。
「舞・・・どうすることも出来なかったのは、俺も同じだ。そう思うと、正直自分の非力さに悔しさと憤りを感じるよ。だけど、今、ここで俺たちが悲しみに暮れたって、二人が帰ってくるわけじゃない。」
そこで一旦言葉を切って、俺は力強く、そして確信に満ちた口調で、次の言葉を口にした。
「佐祐理さんや北川は生きてる。だろ?舞」
「・・・・・・・・・・・・・・・・」(こくり)
涙に濡れた顔を上げ、頷く。
「・・・トルク・・・ごめん・・・」
「ばか、謝る事じゃないよ・・・」
そう言って俺は、舞の頬を伝う涙を指で優しく拭ってやった。


 トルビアックが舞を慰めている頃、似たような光景は生き残った連邦艦隊の至るところで見られた。カノン隊でも祐一が塞ぎ込んでしまい、部屋に閉じ篭っている。香里も同様で放心状態となり、軍医に強制入院を命じられてしまった。
 そんな訳で、食堂では名雪と栞、あゆ、真琴、天野の5人が暗い顔を向け合っていた。
「・・・祐一君、大丈夫かな・・・」
「お姉ちゃん、早く立ち直ってくれるといいんですけど・・・」 
 あゆが祐一を、栞が香里を心配して呟く。いつもならここで真琴辺りが茶々を入れるのだが、さすがの真琴も今は何も言えずにいた。あまりにも重過ぎる空気が冗談の入り込む余地を与えないのだ。
 ただ、1人だけ気にしていないように見える男がいた。
「何だお前たち、まだこんな所にいたのか?」
 シアンだ。彼は誰もが打ちひしがれている中でただ1人、いつもと変わらないように見える。
「休むのもパイロットの仕事だぞ。もう敵の襲撃も無いだろうから、早く部屋に戻れ」
 あくまでも上官としての言葉。シアンの言い方に5人は強い反発を覚えた。
 天野が険しい視線を向けてくる。
「少佐、貴方はなんとも思わないんですか? この戦いで、どれだけの仲間を失ったと思うんです」
 天野の糾弾を、シアンは平然と受け止めていた。
「戦争なんだ、だれかが死ぬのはあたりまえだ」
「っ! 貴方って人は!!」
 天野が逆上して立ち上がる。だが、それよりも速く動いた者がいた。

―――――――――――――――――パアン!――――――――――――――――――

 誰もが動きを止めていた。天野が飛び出すよりも早く動いた名雪がシアンの頬を張ったのだ。シアンを引っ叩いた名雪は目に涙を浮かべてシアンに感情を叩きつけ始めた。
「少佐にとってはただの部下かもしれないけど、私たちにとっては大切な仲間なんです! 今までいっしょにやってきた仲間が死んじゃったのを悲しんじゃいけないって言うんですか!?」
 名雪の激しい感情をシアンは黙って受け止めていた。
「少佐は北川君と佐祐理さんをどう思ってたんです!? ただの部下ですか!? それとも、便利な道具だったんですか!?」
「・・・・・・」
「答えてよ――!!」
 途中から完全に涙声になり、シアンの軍服の胸元を掴んだまま泣き出してしまった。それを皮切りに栞が、あゆが、真琴が泣き出した。唯一、天野だけがなにやら拍子抜けしたのか疲れた表情をしている。
 だが、シアンの返事は冷たいものだった。
「戦えば誰かが死ぬ、その順番が北川と佐祐理に回ってきただけだ」
 シアンの答えに名雪が、栞が、真琴がシアンを見た。その目には悲しみよりも怒りがあった。
「・・・あんた、本気で腐りきってるわ!!」
 真琴が腰の銃に手をかけて立ち上がる。
「そんな事言う人は、大ッ嫌いです!!」
 栞が叫ぶような声でシアンを非難する。
「・・この、人でなし―!!」
 名雪の手が再度閃き、シアンの頬を引っ叩く。再び鋭い音が食堂に響き渡った。


 3人が立ち去り、シアンは名雪たちの座っていた椅子に腰掛けて叩かれた頬をさすった。
「名雪の奴、思い切りやってくれたな」
 おもわず苦笑を浮かべてしまう。そんなシアンの前にコーヒーカップが置かれた。天野が入れてくれたらしい。
「・・・・・・」
 シアンがどうしたものかとコーヒーの黒い水面を見つめていると、向かい合うように座った天野が同じポットから注いだコーヒーを一口飲み、口を開いた。
「心配しなくても、毒なんて入れてませんよ」
「・・・そうか、なら、いい」
「・・・本当に疑ってたんですか?」
 慎重にコーヒーを啜るシアンに天野が非難の声をぶつける。コーヒーを飲んで落ち着いたのかシアンが天野に話し掛けた。
「それで、俺の寝首を掻こうと日々頑張っている天野中尉が、どういう風の吹き回しだ?」
 シアンに聞かれて天野はコーヒーカップを受け皿に戻した。
「憎まれ役を買って出るのいいですが、後が大変ですよ」
「・・・なんだ、分かってたのか」
 ぼりぼりと頭を掻く。
「あいつらは初めて仲間を失った。まあ、真琴は違うんだがな。誰かが現実を教えてやらなくちゃならん。・・・・隊長の辛い所だ」
「なるほど、それで、私としてはここからが本題なんです」
 天野は少し視線を強くした。
「ウィロックを殺した貴方を、私は許すつもりにはなれませんでした」
「・・・・・・」
「ですが・・・・もう忘れることにします」
 少しさっぱりとした表情で天野が宣言する。それを聞いてシアンは驚いた。
「・・・2年越しの恨みを、よく忘れられたな」
「遺言は守らなくてはいけませんから」
「遺言?」
 シアンが聞き返す。天野は小さく頷いた。
「はい、戦闘中に北川さんが私たちの関係を心配してました。私たちが和解するのを見るのが今の自分の目標だと言って」
「・・・そうか、北川がな・・・」
 少しうつろな目でシアンが北川の名を呟く。天野は残っていたコーヒーを飲み干すと、静かに立ち上がった。
「それでは、私は真琴に言い聞かせてきます。もう貴方を狙わないようにと」
「ああ、すまない」
 シアンの礼を背中に聞いて天野は立ち去ろうとして、ふと足を止めた。
「少佐、一つお聞きしたいんですが」
「んっ、何だ?」
「少佐は、北川さんや倉田さんが戦死しても平気ですか?」
 天野の質問を聞いたシアンは持っていたティーカップをテーブルに叩きつけた。鋭い音を発してカップが砕け散る。
「・・・部下の死を受け入れることはできるようになったが、慣れる事はできんよ。何回経験してもな・・・」
 天野はシアンに軽く頭を下げるとその場を後にした。シアンは砕け散ったカップに視線を落としたままただ肩を震わせていた。


 連邦軍を追い払ったファマス軍は戦場の勝者の義務である救助活動に奔走していた。フォスターTのいたるところに両軍の破壊された艦艇やMSが漂っており、その中には生存者がいる可能性があるのだ。こういう状況でもMSは威力を発揮する。MSの最大の長所はこういった汎用性にこそあるのだ。
 宇宙で救助作業が行われている頃、フォスターTの中では高機動型ギャンに乗り換えたクラインが瑞佳と一個中隊ほどのMSを率いて要塞内の捜索をしていた。どこかに連邦の部隊が潜んでいるかもしれないのだ。
「いないね、クラインさん」
「気を抜くなよ、まだ担当区域の全部を探したわけじゃないし、歩兵がいる可能性もある」
「うん、そうだね」
 瑞佳がエトワールの手を器用に動かして漂う残骸をどかしていく。そうやって要塞の中心部近くまで来たとき、エトワールの熱源センサーが前方に熱源を捕らえた。
「クラインさん、何かいるよ!」
「なんだ、敵か?」
「熱源センサーだから、そこまで分かんないもん」
「・・・そうか、とりあえず、俺が近付いてみる」
「気をつけてね」
 瑞佳が心配そうに送り出す。クラインはビームランスを出すと慎重に近付いていった。すると、突然目の前にMSが踊り出てきた。
「しまった!!」
 あわてて後ろに下がろうとしたが、すぐに間に合わないことを悟って目を閉じた。だが、いつまでたっても覚悟した衝撃はなく、クラインはゆっくりと目を開けた。すると、そこには両手を上に上げた状態のジムカスタムがいて、コクピットが開いてパイロットが外に出ていた。
 そのパイロットがワイアー射出機を自分に向けて撃ってくる。どうやら接触回線で話すつもりらしい。
「俺は北川潤中尉だ。南極条約に従い、降伏したいが、受け入れてくれるか?」
「・・・北川・・・?」
 クラインはその名前に聞き覚えがあり、しばらく考え込んだ。すると、後ろから瑞佳が出てきた。
「北川君、北川君でしょ!」
「へ・・・その声、ひょっとしてオンタリオで遊んだ・・・たしか、長森さんだっけ?」
「うん、そうだよ。久し振りだねー」
 瑞佳のほのぼのとした会話にクラインが水を指す。
「長森、和むのは後にしてくれ。ああ、北川中尉、話は了解した。それで、降伏するのは君だけか?」
「いや、俺のほかにも10数人いる。何人かが重傷なんだ。手当てしてやってくれ」
 北川の頼みを聞いてクラインは仮設されている司令部に通信を入れた。
「クライン大尉だ、重傷者が数名こっちにいる。EL57ブロックに救護班をまわしてくれ」
「了解した、すぐに向かわせる」
 通信を切るとクラインは北川に向き直った。
「すぐに救護班が来る。とりあえず、こっちは武装解除を始めようか」
「分かった、ついてきてくれ」
 北川のジムカスタムを先頭に13機のMSが続いていく。しばらくいくと通路いっぱいに連邦のMSが転がっているのが目に入った。そのうちに何機かは飛んできた壁の破片でも浴びたのか大きく損傷している。どうやら損傷機のパイロットが負傷しているらしい。
 パイロットはMSを降りて負傷者に応急処置を施していたが、クラインたちのMSを見て蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。
 それを見てクラインが少し顔をしかめたが、とりあえず通信機を外部スピーカーに繋いだ。
「我々はファマス軍だ。君たちの降伏は受け入れた。もうすぐ救護班が来るから、それまで負傷者を診ているといい」
 クラインの放送を聞いてパイロットたちが物影から出てくる。何でか知らないが女性が多いのがクラインの気に触った。実の所、倉田中隊は女性パイロットで編成されているのだ。
 救護班はクラインたちが到着した5分後に現れ、負傷者を医療ベッドに乗せて運んでいった。他の元気なパイロットたちは救護班に同行していた憲兵に身柄を拘束された。
 拘束されたパイロットたちの中から北川が進み出た。
「俺が部隊の隊長だ。取調べには俺が応じよう」
「貴様が?」
 憲兵が疑わしそうに北川を見る。まあ、まだ20にもならない若者が隊長と言われても素直には信じられないだろう。仕方なく北川は階級章を見せた。それを見て憲兵が頷く。
「部下たちは俺からの指示で動いていただけだ。俺以上の情報を持っているものはいない」
「・・・いいだろう」
 憲兵は意外とあっさりと北川の提案を飲んだ。それを聞いて北川が1人だけ別の所に連れて行かれる。それを見て他のパイロットたちが騒ぎ始めた。
「北川隊長!」
「北川さん!」
「ええい、大人しくしろ、貴様ら!」
 憲兵が騒ぎ出したパイロットたちを無理やり黙らせようとするが、北川の怒鳴り声がその場の全員の動きを止めた。
「うるさい、静かにしろ!!」
 誰もがギョッとして北川を見る。北川は佐祐理に話し掛けた。その声は力強く、人を動かす力を感じさせた。
「佐祐理さん、悪いが、俺が帰るまで部下たちを頼みます」
「で、でも、北川さん」
「俺が最先任士官だ。だから命令権は俺にある。違うかな?」
「・・・はい、そうです」
 佐祐理ががっくりとうな垂れる。北川は内心ですまないと謝りながら、表面的には平然と憲兵についていった。
 北川たちが連れて行かれた後、クラインは憲兵中尉を捕まえて頼み込んだ。
「あまり、手荒なことはしないでおいてくれるか?」
「は? 何故でありますか?」
「・・・どうにもな、後味が悪い。こんな勝利の後は特にな・・・」
 つらそうに顔をしかめるクライン。憲兵中尉は頷いた。
「そうですな、分かりました、なるべくご意向に沿うよう努力しますよ」
「すまない」
「いえ、でも、あのパイロットの態度次第ですよ。まったく口を割らなければ、こちらもそれなりの態度をとらざるを得ませんし」
「ああ、分かってるよ」
 憲兵中尉の肩を叩くと、クラインは自分のMSに戻っていった。


 戦闘終了後、七瀬はエターナルに乗り込んできたアヤウラ率いる親衛隊に拘束された。罪状は利敵行為。七瀬を逮捕したアヤウラは格納庫で駆けつけて来たみさきと雪見に捕まった。
「アヤウラ中佐、これはどういうことです!?」
 雪見がアヤウラに食って掛かる。だが、雪見の手はアヤウラに届く前に屈強な部下たちによって阻まれていた。
「貴様、中佐に何をするか!」
「退きなさい、私は後ろの男に用があるのよ!」
 雪見の放つ気勢にアヤウラの部下たちが一瞬気圧される。だが、すぐに気を取り直して雪見をさえぎった。
 その男たちの背後からアヤウラが声をかける。
「七瀬曹長は利敵行為の容疑で逮捕する。事情徴収の後、軍法会議に出ることになるだろう」
「な、何ですって!?」
 雪見が驚愕する。みさきは何も言わないでいた。
「七瀬曹長は私の部下を攻撃し、敵将である水瀬秋子の逃亡を手助けした。これは立派な利敵行為ではないのかな?」
「・・・くっ!」
 悔しそうに唇を噛み締める雪見を楽しげに見やり、アヤウラは乗ってきたシャトルに向かおうとしたが、そこで今まで黙っていたみさきが口を開いた。
「アヤウラ中佐」
「・・・何かな?」
 今までの余裕を消して、警戒の色もあらわにみさきに答える。
「七瀬曹長の軍法会議には私も参加させてもらいます。もし、それ以前に七瀬曹長が死んだなどということがあれば・・・」
「・・・死んだら、ということがあれば、どうだというのだ?」
 アヤウラが聞き返すと同時に、2人の間を隔てていた4人の屈強な親衛隊員がどのような力でか分からないが吹き飛ばされ、無重力なのでそのまま壁に叩きつけられた。
 アヤウラは内心の恐怖を必死に押さえつけていた。目の前にいるみさきは先ほどまでのみさきとは違った。瞳を金色に輝かせ、頭髪は揺ら揺らと漂っている。今のみさきは、地球圏でもっとも危険な魔物となっていた。
「もし死んだりすれば、貴方が謀殺したのだと判断するよ!!」
 言葉そのものに物質化したような殺気が含まれていた。それを叩きつけられたアヤウラは心臓を鷲づかみされたかのような恐怖を受け、全身総毛立ち、呼吸困難すら起こしていた。この死そのものを具現化したかのような殺気こそ、第1世代のシェイドの持つ力の一つだった。ただ、何故シェイドがこのような鬼気、とでも言うようなものを持つのか、それはアヤウラにも分からなかった。もし知っている者がいるとすれば、それはシェイド研究の最初の責任者だったアーセン博士か、さもなければ助手だった巳間良助、もしくはその協力者であり、最初のシェイドであるシアンだけだろう。残念ながら高槻はアーセンにまったく信用されていなかったのでその辺りの事情は知らない。
 格納庫の空気そのものが凝固したかのような錯覚を覚える中、ただ1人動いている者がいた。
「そこまでにしておいてくれるかな、みさきさん」
 みさきとアヤウラの間に城島司が割り込んだ。司を見てみさきの瞳が驚愕に見開かれる。
「司・・・君、君は連邦軍との戦いで戦死したはずじゃあ?」
「ええ、危ういところでしたよ。茜の裏切りがなければ、あんな事にはならなかったというのに・・・」
 司が唇をかみ締める。思い出すのも忌々しい、と言いたそうだ。だが、みさきは司の言っていることが理解できず、自然と聞き返していた。
「何を言ってるの? 茜ちゃんがいつ司君と一緒に出撃したっていうの?」
 みさきの質問は司の意表をついたらしい。怪訝そうな表情になる。
「いつって、俺はソロモン戦の前哨戦で茜と出撃して、連邦軍の包囲に取り残されて・・・」
「そんな訳ないよ。君は地球で私の指揮下に居たんだよ。それで、オレンジの恐怖と戦って負けたんだよ!」
「・・・俺が、地球に?」
 司が考え込む。
「・・・そうだ、俺は地球で・・・、いや、俺は突撃宇宙軍でずっと戦ってて・・・。なんだ、どうして地球の風景を覚えている・・・」
 混乱してしまったのか、司は額を抑えて数歩よろめくように後ずさる。それを後ろからアヤウラが抱きとめ、そのままみさきの目からそらすようにして部下に預けた。
「これで失礼する。七瀬曹長は確実に軍法会議に出す。それでいいだろう!」
 叩きつけるように言い捨ててアヤウラは内火艇に逃げ込んだ。そして、大急ぎで発信準備を始めたので、みさきたちは慌てて格納庫から出て行った。
 格納庫から出て行く内火艇を見送りながら、みさきは心の底から湧き出してくる不安を抑えきれなくなっていた。
『あの司君の混乱の仕方、もしかして、司君は強化されてるんじゃ・・・』
 1年戦争末期、ジオン軍はニュータイプ能力を持たない者、もしくはニュータイプ能力が弱い者を強化して強力なニュータイプに仕上げようとする研究が進められていた。その研究は後に強化人間という形で完成するのだが、終戦の時点ではまだ海のものとも山のものともつかない状態だった。むしろその方面の研究は連邦軍の方がこの時点では進んでいて、強化人間第一号であるプロト・ゼロを完成させている。
 みさきはその辺りの事を知っていたので、強化の過程で記憶の混乱や酷い頭痛に悩まされるようになることも知っていたのだ。
 改めてみさきはアヤウラへの不信を強め、さらなる警戒心を抱くようになるのだった。


 あの惨劇の翌日、名雪は香里の部屋を訪れていた。
「香里〜、元気出してよ〜」
 部屋の前で名雪が扉に向かって語りかけている。北川が戦死して以来、香里は部屋から出てこようとしない。いや、香里だけではない。祐一も部屋から出てこなくなり、栞は笑顔をなくした。天野は相変わらず無表情だが、真琴が心配そうにしているところから見るとかなり落ち込んでいるらしい。そんな訳でカノン艦内でみんなを励ますのはもっぱら名雪とあゆの仕事になっていた。舞は何か吹っ切ろうとでもするかのように訓練場で鍛錬をしている。唯一トルビアックだけが食堂で朝食を採っている。昨日、舞の部屋で何があったのかは永遠の謎だ。
 そして、シアンはというとノーマルスーツを着込んでMSデッキに立っていた。手には花束を持っている。
「・・・・・・」
 何を言うでもなく、ただじっと戦場だった方角を見つめ、その花束を投じる。花束はゆらゆらと漂いながらゆっくりと戦場だった方角に流れていった。いや、カノンは時速数万キロという早さで移動しているから実際にはあっという間に消えているのだが、シアンにはゆっくりと映ったのだ。
 そして、シアンは戦場に向けて1人で最敬礼の姿勢をとった。その姿勢でいつまでも立ち尽くしている。戦場で散っていった者達への彼なりの手向けだった。
 しばらくして、最敬礼の姿勢を解いた彼は、宇宙に向けて語りかけた。
「お前たちの敵は必ずとってやる。アヤウラをお前たちの元に送ってやるから、今はこれで我慢してくれ」


 それだけ言うと、彼はカノンに戻っていった。心の中に復讐の炎を燃やして。
 どうしても出てこない香里を心配した名雪は、秋子に頼んでマスターキーを借りてきた。隣にはあゆとマイベックがいる。
「それじゃ、開けるよ」
 名雪の確認にあゆとマイベックが頷く。名雪はマスターキーを電子ロックのカードスロットに差し込んだ。小さな電子音がしてロックが解除され、香里の部屋の扉が開いた。部屋は電気を消してあるためか暗く、香里がどこにいるのか良く分からなかった。
 名雪は手探りで部屋の明かりのスイッチを見つけ、明かりをつけた。明かりに照らされた部屋の状態は尋常なものではなかった。まるで台風でも通り過ぎたかのようにあらゆるものが散らかり、酷い状態となっている。そんな部屋の中で、香里はベッドの上で膝を抱えた姿勢でじっとしていた。
「香里・・・」
 親友の名雪がかろうじて声をかける。後ろのいるあゆとマイベックは香里の姿に声も出ないでいる。
 返事がないのでもう一度呼びかけようとしたとき、不意に香里の目が光ったように感じた。
「・・・出て行きなさいよ」
「香里」
「いいから・・・私のことは放っといて!」
 香里の強い拒絶を受けて名雪は思わずのけぞった。それほどの激しい拒絶だったのだ。こんな香里を見るのは初めてだった。
 名雪がどうしていいか分からなくなって途方にくれていると、後ろから別人の声が割り込んできた。
「また、そうやってお姉ちゃんは現実から逃げるんですか?」
「「「!!」」」
 名雪が、あゆが、マイベックが驚いて振り向く。そこには感情を感じさせない表情で立つ栞がいた。栞は驚いている3人には一瞥もくれずに香里の前にまで歩いていった。
「お姉ちゃん、お姉ちゃんはあの時私と約束したはずです。もう、何があっても逃げたりしないって。あれは嘘だったんですか?」
 栞の冷徹とすら取れる声に、香里は初めて栞を見た。その表情は先ほど名雪を怒鳴りつけたものとは打って変わり、今にも泣き出しそうなほどに情けなく、脆い物となっていた。
「・・・栞・・・」
「私、北川さんが好きでした」
「「「「!!!」」」」
 栞の爆弾発言に香里だけでなく、後ろで聞いていた3人も驚いた。
「でも、お姉ちゃんが北川さんに惹かれてるって知ってたから、だから私は初恋を諦めたんです。でも、こんなお姉ちゃんなら諦めるんじゃなかったです」
「・・・・・・」
「こんな事なら、私がお姉ちゃんから北川さんを奪うんでした。今のお姉ちゃんには、北川さんを想う資格もありません!」
 栞の叩きつけるような罵声。それは今まで我慢してきた感情の反動であったのかもしれない。栞に怒鳴られて香里が少し怯える。
「もうお姉ちゃんには期待しません。ここでいつまでも帰ってこない人を待っていればいいんです」
 そういって栞は部屋を出て行こうとする。香里は栞の背中に呼びかけた。
「・・・栞は、どうするつもりなの?」
 呼びかけられた栞は振り向きもせずに答えた。
「秋子さんのところです。私は必ず北川さんの敵を討ちます。そう誓いましたから」
 香里に答えた栞は部屋を後にした。残された4人は呆然とそれを見送っている。しばらくして、不意に香里が立ち上がった。
「・・・香里?」
 名雪が腫れ物に触れるような声を出す。香里は名雪に向けて小さく笑って見せた。
「シャワーを浴びてくるわ。こんな顔じゃ、人前には出れないでしょ?」
 名雪に答えた香里は、シャワー室に消えていった。
 祐一の部屋の前では天野と真琴がやはりマスターキーを機械に挿してロックを開けていた。だが、2人に襲い掛かったのは強烈なアルコールの匂いだった。思わず袖で鼻を抑えてしまうほどの臭気の中で、2人は憔悴しきった祐一を見つけた。その周囲には20を超える酒瓶が転がっている。
 祐一はアルコールのもやがかかった目で2人を見た。
「ちっ、アルコールの毒がとうとう脳まで回ったらしい、不景気な面が見えるぜ」
 そう言って手にもっているウィスキーのビンを口に運ぶ。だが、傍から見てもその手は震えており、アルコール中毒患者に近い状態であることは間違いない。
「相沢さん、もうやめてください!」
 天野が祐一を止めようと訴える。だが、祐一はアルコールのもやの向こうから鋭い眼光を飛ばしてきた。
「うるさい! 小娘は黙ってろ!」
 祐一の怒鳴り声に天野と真琴は思わず一歩引いてしまった。それほどに強い声だったのだ。2人が下がったのを見て再度酒を飲もうとしたが、祐一はその酒瓶を支えることができず、手からずり落としてしまった。床に転がった酒瓶を見やると、ベッドの上に放り出されている新しい酒瓶に手を伸ばした。そしてその封を切ろうとしたところで天野に酒瓶を押さえられた。
 押さえた天野にもこれからどういう行動に出ればいいのか分からなかった。ただ、これ以上飲ませてはいけない。そう思っての咄嗟の行動だったのだ。
 祐一も自分の手と酒瓶を押さえた天野をぼんやりと見やる。だが、その口が罵声を吐き出す前に、より強烈な声が祐一を打った。
「相沢中尉、何をしている!」
 その声に部屋にいる3人は入り口のほうを見た。そこにはシアンが立っていた。
「相沢中尉、酒を飲むのは構わん。親友の死を悲しむなとも言わん。だがな、酒に逃げることは許さん!!」
 シアンの怒鳴り声に祐一はぼんやりとシアンを見詰める。
「不満か、なら直ぐに除隊申請を出せ。俺としても、現実から逃げるだけの男などに用はない!」
「・・・いや、不満はない・・・」
 酒瓶を離すとゆっくりとした動作で立ち上がった。
「・・・・・・」
 祐一は天野を見て何か言いたそうに口を数回動かしたが、直ぐに小さく頭を振ると、ゆっくりとシャワー室に消えていった。
 2人は呆然とそれを見送っていたが、シアンに促されて部屋を後にした。
 それからおよそ1時間後、カノンのメインパイロットやマイベック、秋子らが集まっている艦橋に、この数日姿を見せなかった2人が顔を出した。
「司令官、たった今から軍務に復帰します」
「秋子さん、これからは心を入れ替えて職務に精励します。どうか、お見捨てないよう」
 香里と祐一、ともに憔悴の色は隠せなかったが、それなりにきちんと身だしなみを整えていた。それを見て秋子はにっこりと笑って頷き、シアンはやれやれと言うかのように肩をすくめて見せた。
 そして、栞が香里に歩み寄った。
「それでお姉ちゃんは、これからどうしますか?」
 栞の問いかけに、香里はいつもの不敵な笑みを浮かべて応じた。
「決まってるでしょ、北川君の敵を討つのよ」
 香里の答えに栞がにっこりと頷く。そして、栞の隣に天野が並んだ。
「私も、それに参加させてもらいます」
「「天野さん?」」
 2人が少し驚く。天野はやや憂いを秘めた目で2人に答えた。
「私も、北川さんには惹かれていましたから。もっとも、ついに伝えることはできませんでしたが」
 天野の答えに2人が頷く。それは、同じ思いをもった女たちの連帯感だったのかもしれない。そんな3人を横目に見てトルビアックが舞いに話し掛けた。
「まったく、何で北川があんなにもてるのかね?」
「・・・潤のほうがいい男だから」
「それって、俺のほうが不細工ってこと?」
 トルビアックの問いかけに舞は頭を小さく横に振った。
「・・・違う、顔じゃなくて、男として」
「・・・そっちのほうが酷いって」
 ぼやきながらトルビアックが舞の肩に手を回す。だが、肩に触れた瞬間、舞の肘がトルビアックの鳩尾に炸裂した。そのダメージのせいでトルビアックが崩れ落ちる。
「な・・なんで?」
「・・・恋人でもないのに、肩を触ろうとした」
「そ、そんな・・・あんなにいい雰囲気だったのに?」
 縋るようなトルビアックの視線を受けて、舞は簡潔に答えた。
「・・・好きだなんて言ってない」
「ひ・・・酷いっす・・・」
 それだけ言い残して、トルビアックは気絶した。そんなトルビアックを見ながらシアンが舞いに話し掛けた。
「なかなか言うようになったな、舞も」
「・・・いつまでも子供じゃないから」
「そうかな、まあ、俺からしてみればまだまだ子供だと想うけどな」
 なかなか酷いことを言うシアンに、舞はやや鋭い視線を向けた。
「・・・お兄ちゃん、言い方が意地悪」
「かわいい妹は苛めたくなるものさ」
 平然と答えるシアンに、舞は小さなため息で答えた。
 それまではふざけていたシアンもが、ふと真剣な顔になる。
「それで、本当のところはどうなんだ?」
「?」
「トルクだよ、正直言ってどう思ってるんだ?」
 シアンの疑問に、舞は少し顔を赤らめて答える。
「・・・嫌いじゃない、けど、そのつもりはない」
「なるほど、ね」
 満足したのか、シアンは舞の肩に手をやって抱き寄せた。舞いも逆らわずに身を任せてくる。
「いつか、トルクとこうする日が来るかも知れんな?」
「・・・望みは薄いけど」
「・・・希望くらいもたせてやれよ」
 舞の非常な答えにシアンが苦笑する。2人の足元ではトルビアックが白目を剥いて口から泡を吹いていた。


後書き
ジム改 さて、遂にファマス編の前編が終了しました。連邦軍は数倍す戦
力をもってしてもファマスを討
    ち果たす事はできませんでしたが、多くのものを失いながらも幾つかの物をこれから得ていきま
    す。
トルク ていうか、何、俺のこの扱い?
ジム改 何って、せっかく舞といい雰囲気になれたのに、何が不満なんだ?
トルク 不満だらけじゃいっ! これの何処がいい雰囲気なんだ? ああ!
ジム改 舞が肘打ちで済ませた辺り。
トルク うがああああ、納得いかねえっ!
ジム改 気にするな。北川と佐祐理さんがレギュラーから外れた事でお前はむしろ出番が増えるんだから
トルク そうか、なら許してやろう。
ジム改 (現金な奴)