第29章 女の戦い
アヤウラ率いるファマス侵攻軍を完膚なきまでに叩きのめした連邦軍はファマス首脳部の予想通り、戦力の再建に専念していた。
艦艇は、ドックで強力なアキレウス級戦艦やリアンダー級巡洋艦が続々と建造され、艦隊に編入されている。また、従来のサラミス級全てのバリエーションを参考に大規模な改装を行った新型サラミスが就役するようになった。さらにティターンズが来栖川財団の助力をうけ、ジオンのムサイ級を参考にした新型巡洋艦アレキサンドリアを就役させようとしている。本来なら完成は83年後半のはずだったのだが、とにかく実戦に間に合わせることを目標にジャミトフ・ハイマンが建造を急がせ、ティターンズの拠点であるサイド7の1バンチ、グリーン・ノアで並行建造されていた同型艦の資材まで回して無理やり間に合わせたのだ。
一方、MSも更新されていた。主力は全てジム改に移行し、従来のジムタイプは全て後方に回された。また、一番旧式のジムはフォスターT会戦以前に全て回収され、前線から引いていたのだが、最新の技術でリファインされ、ジムUという強力なMSに生まれ変わっている。このジムUも順次配備されていた。何しろ改装機だからすぐに数が揃う。この他にもジムカスタムを量産向けに再設計したティターンズ専用機のジムクウェルや、ジオン軍から接収し、改修して量産が開始された連邦版ガルバルディβなどの量産が始まっていた。さらには、1年戦争以来、初めて基礎から設計を行い、さらに新技術であるリニアシートと全天周スクリーンの搭載を予定されている画期的な新型機、ハイザックの開発も超特急で進んでいる。
これらの中で、最も革新的なのはコーウェン将軍の主導で進められていたガンダム開発計画だったろう。ファマスの決起以来、戦時体制下のような要求が出され、とにかく開発を急がれたのだが、そのかいあって1号機、RX−78GP−01FBフルバーニアンが予定より1年以上早くロールアウトすることになりそうだ。これは極秘計画だったのだが、戦争勃発に伴って公然の研究となり、大量の技術者と膨大な資金が投入された成果である。ただ、2号機、3号機、4号機の開発は1号機優先のため大幅に遅れることになった。
これらの開発が進められた背景には、ファマスの装備しているMSが極めて強力だったことが上げられる。いわゆる「シュツーカ・ショック」は連邦の軍人、技術者双方を打ちのめし、これと互角以上に戦えるMSが求められた結果だ。特に、ファマスの誇るジャギュアーには現在の連邦軍でも最強のRガンダムですら不利を強いられることが分かっているので、これを上回る機体が求められた結果としてフルバーニアンが配備が急がれたのである。もっとも、流石にフルバーニアンの量産機はこの戦いにはまにあわないだろうが。
これらを率いる提督も優秀だ。第1艦隊は宇宙艦隊司令長官であるリビック大将が直接指揮する。第2艦隊はエニ―少将、第3艦隊はクライフ少将が指揮し、ファマスとの戦いではその戦術家としての実力を証明した。
そして、第1時フォスターT会戦で大した損害を受けなかった機動艦隊は新鋭艦と新鋭機を優先して配備され、名実ともに高速機動部隊として機能できることになった。
3艦隊はルナツーで再編成と訓練を進めていたが、機動艦隊はサイド6で訓練を続けていた。その中でも目を引くのが第1時改装を終了したカノンだ。艦体前方の3基のカタパルト・デッキは大型化され、中央は2列、計2基のカタパルトが設置されている。また、左右のカタパルトも上下2段式にされており、これら合計で6基のカタパルトを有している。艦体後部の着艦デッキはそのままだが、着艦しやすいように広くなった。そして、最も大きな変化は艦首ブロックの下部全体を利用したリニアカタパルトだ。戦闘機やスペース・ジャバーに乗ったMSなどに使用されるカタパルトで、下部が左右に開き、左右と上部にリニアラインが形成される。その電磁場の道を打ち出されるのだ。これの配備により、さまざまな事を打ち出すことが可能になり、マスドライバーの真似事もできるようになっている。通常はMSや戦闘機、シャトルなどを打ち出すのに使われる。
火力も強化されており、機銃が多数増設されている。そして、プロメテウスそのものも改良され、強力なコンデンサの搭載によって発射後にエネルギー兵器が使えなくなるなどの問題を解決している。
このカノンは先の会戦でトルビアックを失ったものの、北川と佐祐理が復帰したことで問題は解決していた。また、彼らと一緒にやってきた七瀬と中崎、住井、南、沙織の5人はカノン隊に組み込まれていた。七瀬と中崎はパイロットとして新たに編成されたエース部隊「サイレン」に組み込まれた。住井はアーセンを手伝って新型MSの製作をしている。南と沙織は秋子の参謀になった。
人事の問題も一掃された。まず、シアンが正式に機動艦隊の機動兵器全ての総指揮をとることになり、階級が中佐になった。中佐のパイロットというのは連邦軍では珍しいが、流石に第1艦隊にも相当する規模をもつMS隊の隊長ともなればこれぐらいの肩書きが必要となる。おかげで簡単な任務に出向くことができなくなってしまったが。また、祐一と北川、佐祐理は大尉に、あゆ、名雪、舞は中尉に、香里と栞は准尉に昇進していた。それと、トルビアックの後任としては副長だったヘープナー少尉が中尉に昇進したうえで新しい隊長となっている。
そんな訳でカノン隊は意気揚揚、今度こそファマスを叩きのめせると考えているのだが、まったく問題が無いわけではない。特にシアンの頭を悩ませているのは北川が帰ってきたことで栞、天野が激しく対立するようになったことだ。
今日も2人は格納庫で喧嘩していた。
「北川さんのバックは私が勤めます。天野さんは自分の隊に戻ってください!」
「何を言ってるんです。バックというのは全体に注意を払わなくてはいけないんです。栞さんのように注意力散漫な人では絶対に無理ですね」
「つまり、天野さんのほうが落ち着いていると言いたいんですか?」
「そのとおりです」
「それは、年の功ですね」
「貴女とは同い年でしょうっ!」
北川の前で2人がぎゃあぎゃあ言い合っている。ほとんど痴話喧嘩だが、それだけに怖くて誰も口を出せないでいた。
だが、今日は無謀な若者がいた。祐一が2人を宥めようと近づいていく。
「おい2人とも、もう訓練が始まるんだから、その辺で止めておけ。第一、栞だって北川の隊じゃないだろう?」
そう、北川は中隊長なのでサイレンのメンバーではない。だが、うかつに口を挟んだ祐一はすぐにその報いを受けることになった。
「祐一さんは引っ込んでてください!」
「そうです、これは私たちの問題なんです!」
栞の香里譲りの強烈なプレッシャーと、天野の放つ殺気を受けた祐一は文字通り蛇に睨まれた蛙になってしまい、ただ頭を上下に動かすので精一杯になってした。
そんな騒ぎを少し遠くから見ているのが香里だった。その表情は微笑んでいたが、どこか翳りを感じさせる。
結局、栞と天野の対決はシアンが強引に仲裁することで一応の終結を見た。だが、結局は問題を先送りしたに過ぎないが。
当の原因となった北川はというと、栞と美汐のあからさまなアタックに気付いているのかいないのか、何故か妙にうまの合う住井にちょっかいをかけたり、祐一やキョウと組んで遊びに行ったりしていた。今日も訓練が終わったかと思うとそのままアーセンの開発室に来ている。
「よう住井、どうだ、進み具合は?」
「北川か、いや、まだまだだな。何しろこいつは・・・」
住井は作っている新型機を見る。開発室に立て掛けられたMS用ハンガーには未だ組み上げが終わっていないMSが立っている。北川にはそれがムーバブルフレームと呼ばれるMSの骨格に当たるものだとは分からなかったが、素直に感心していた。
「こいつがあゆちゃんの新型機か。完成したらさぞかしとんでもないMSになるんだろうな」
「そいつは間違いないな。何しろこいつは、世界でも初めての試みが無数に取り入れられてるからな。完成すれば、たった1機で戦況そのものを覆せるかもしれない」」
「おいおい、いくらなんでもそいつは」
北川が苦笑する。いくらなんでもたった1機のMSが戦況を左右するなんてことがあるわけが無い。だが、住井はそんな北川に皮肉な笑みを向けた。
「北川、お前も知らないわけじゃないだろ。あゆちゃんはニュータイプだ、それも最強クラスのな。そして、彼女はシェイドに体を変化させている。アヤウラに投与された薬剤のせいだろうな。つまりだ、彼女はシアンさんと同格の存在だ。こいつは無視できる問題じゃない。今の彼女をもう少し訓練すれば、ザイファやセレスティアだって乗りこなせるようになるだろう。分かるか、あゆちゃんはな、最強のシェイドの1人に数えることができる存在なんだよ」
「だけど、シアンさんの話だと、あゆちゃんにはシェイドとしての力が欠落してるて言ってたぞ」
「そいつは不可視の力が使えないとかだろ? シェイドとしての肉体があれば十分だよ。今開発してるこいつは、ザイファやセレスティアで得られた技術を惜しみなく投入している。さらにな、ちょっと妙な技術も使ってるんだ」
住井がちょっと得意そうになる。北川は住井のこういうマッドなところが苦手だったが、素直に聞いてやることにした。
「こいつの操縦系にはなんとサイコミュが搭載されるんだ。まあ、そのおかげでサイズはザイファなんかと同じくらいになっちまったけどな。こいつのおかげで有線ビーム砲が使えるようになった。おまけに、操縦システムは今までとまったく異なるシステムを採用しているのだ。なんと、サイコミュでパイロットと機体を結びつけることで機体の反応速度を劇的に改善したのだ」
もはや完全に自分の世界に入ってしまった住井、北川はサイコミュだと言われてもさっぱり分からないので、ただただ苦笑するしかなかった。
このとんでもない新型機は次回の遠征までには仕上げるとアーセンが断言しており、事実物凄いペースで完成に向かっていた。ただ、この機体が本当に役に立つのかどうかは、アーセンをよく知るシアンにすらも分からないらしい。なにしろ、シアンのアーセン評は「何とかと天才は紙一重」なのだから。
皆が来るべき戦いに備えている頃、不純な目的で陰謀をたくらむ女たちがいた。彼女たちは自分の望みをかなえるために周囲を巻き込み、迷惑するものは加速度的に増えていた。
そのうちの片割れ、天野美汐は真琴を手下とし、舞を牛丼で買収していた。さらに舞を味方に引き入れたことで佐祐理も天野に味方している。
彼女たちは天野の自室で「北川さんラブラブ化計画」なるものを練っていた。
「あうー、美汐、なんか作戦名がおばさんくさいよ。今時そんな名前つける人いないよ?」
不穏当な発言をした真琴を、天野は表情一つ変えず踵落としで撃沈した。そのあまりの早業に舞と佐祐理が凍りつく。
「真琴、私はおばさんではありませんよ」
天野は真琴
に言い聞かせたが、すでにこのときまことには意識が無かった。
「わ、私でも反応できなかった」
「あ、あ、あははははは〜」
舞がショックを受け、佐祐理がなにやら空疎な笑い声を上げる。そんな2人に天野は底冷えする視線を向けた。
「・・・何か、おっしゃいましたか?」
静かな声で聞いてくる天野に、2人はぶんぶんと音を立てて首を横に振った。
かくして作戦の立案が始まったのだが、作業は最初から難航した。何しろ北川のプロフィールには謎が多い。どういうタイプが好みなのか、趣味はなんなのか、まったくデータが無いのだ。いきなりぶつかった難題に、3人は頭を抱えていた。
「まさか、こんな盲点があったなんて」
「・・・情報不足」
「はえええええ〜〜、困りましたね〜」
打つ手なしの状況に3人は困った顔で向かい合っていた。
もう一方の栞はというと、こちらは最初から強力な人材を味方に引き入れていた。
「というわけで祐一さん、私に味方してくれますよね?」
「・・・は? 何で俺が?」
さすがに困り果てた顔で栞を見る祐一。
「決まってるじゃないですか、北川さんに一番詳しいのは祐一さんだからです」
「まあ、この艦内でなら一番詳しいだろうけど・・・」
「だからです、祐一さんを天野さんに渡すわけにはいきませんから」
戦いはいきなり情報戦で始まったらしい。こうなると、まず祐一を制した栞に軍配が上がるのだろうか? この他にも栞は仲のいいあゆや、コンピュータに強い住井を仲間に加えていた。
両陣営が全面対決に向けて人材を集めている頃、艦内トトカルチョ(南、佐織主催)ではダークホース的扱いを受けている香里はというと、これらの争いからは距離をおき、我関せずという態度をとっている。この態度は親友である名雪を不安にしていた。
「ねえ香里、いいの、このままじゃ北川君とられちゃうよ?」
食堂でオレンジジュースを前に名雪が忠告する。香里は表情を消したままコーヒーをスプーンでゆっくりとかき回していた。
「別に構わないわよ、私は、北川君がどうなろうともね」
「何言ってるんだよ、北川君が帰ってこなかった時、あんなに落ち込んでたくせに」
名雪に言われて香里はスプーンを止めた。
「・・・いいのよ、栞に好きな人ができたんだもの、私はいいのよ」
「・・・香里、栞ちゃんの為に?」
「あの子は今まで苦しんできたのよ。それが今、こうして自分の幸せを掴もうとしてるんだもの。邪魔できないわよ」
何処かさっぱりした香里の表情。だが、名雪は納得しなかった。真摯な視線を香里に叩きつけてくる。
「香里、本当にいいの、こういう事は後悔しないようにやれるだけの事をしたほうがいいんだよ?」
「名雪?」
名雪の声に含まれる悲しげな響きに香里が眉をひそめる。
「私は、8年前に祐一に一度振られちゃってたから。でも、今は祐一と一緒にいられるだけで満足してる」
「・・・・・・」
「でもね、祐一はフリーだからまだ安心だけど、北川君はそうじゃないんだよ。もし手放しちゃったら、もう2度と手に入らないかもしれないんだよ」
名雪の言葉は長い年月を耐えてきたという実績に裏打ちされている。その説得力は並ならぬものがあった。だが、香里は寂しげな表情のまま、コーヒーを一口すすった。
「・・・香里」
「・・・いいのよ、北川君だって、私みたいな可愛げの無い女より、栞みたいな明るい娘の方が幸せよ。きっとね・・・」
82年2月13日、カノン艦内で行われている熾烈な北川争奪戦は、当の北川の預かり知らぬところでいよいよ規模を拡大していた。栞と天野は明日に迫ったバレンタインに向けて素晴らしく美味しいチョコレートの製作に余念がない。だが、2人とも巨大な問題を抱えていたのだ。
「あう〜、美汐、これチョコレートじゃないよ〜」
「・・・・・・・・・(泣き)」
「あ、あ、あはは、ははは・・・」
美汐の作ったチョコレートの試作品を口にした3人は顔を引きつらせまくった。何しろチョコレートが味噌風味なのだ。そのあまりにも怪しすぎる味に真琴は泣き言を言い、舞はチョコを加えたままの姿勢で泣き出し、佐祐理はさっきから空疎な笑い声を上げている。
それらの評価に天野は首を捻り、別のチョコを持ってきた。
「そうですか、やっぱり赤だしを使ったのがいけませんでしたね」
そう言って出したのはやや不恰好なホワイトチョコレートだった。その白い輝きに今度は大丈夫だろうという安堵感に包まれて3人はそれを口に運ぶ。
「「「!!!!!!」」」
再び襲ってきた衝撃に真琴が椅子から崩れ落ち、舞が口から泡を吹きながら気絶した。佐祐理にいたってはトレードマークの笑顔失い、なにやら「・・・一弥・・・もうすぐ行くね・・・」などと呟いている。
3人の反応に首をかしげた天野は自作を一口味わい、再び首をかしげた。
「美味しいと思うんですが」
根っからの和食党である天野は赤味噌味と、3人が存在を知らなかった白味噌味を味わい、その豊かな渋い味わいに表情をほころばせた。
同じ頃、栞の方でも悲劇が起こっていた。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
協力者3人は揃って絶句していた。あの「人生は波乱に満ちているほど面白い」という言葉の実践者を自称する祐一ですら言葉を失っていた。3人の目の前には2メートルはあろうかという巨大なチョコレート製の雪だるまが鎮座している。そのあまりに非現実的な光景に3人とも脳が停止していたのだ。
そんな3人の反応に栞は頬を膨らませて講義していた。
「なんですか、その反応は?」
「・・・・・いや、だってなあ」
「・・・・・うん、これはね」
「・・・・・こんなもん、始めて見た」
3人がそれぞれに感想らしきものを口にする。だが、それは帰って栞を怒らせてしまったようだ。
「どういう意味なんですか!?」
「いや、だってな、こいつはどう考えても食いきれないだろ」
「うぐぅ、みんなでかかっても無理だよう」
「みさきさんなら食えるかもしれんが」
2メートルの黒色の巨人を見上げて呟く。栞はその傍らに歩み寄ってこの雪だるまがいかに素晴らしいものかを説明した。
「いいですか、これを作るために石橋さんに頼んで作ってもらった金型、そしてこれだけのチョコレートを凝固させる技術、そして何より私が調合した完璧な滋養強壮剤まで入れてあるんですよ。このどこに不満があるって言うんですか!?」
力説する栞に3人は深いため息をつき、心の中で北川の冥福を祈った。
一方、香里の方はと言うと、名雪に半ば無理やりに行動を起こさせられていた。
「はあ、何で私がこんなことを」
「香里、ふぁいと、だよ」
エプロン姿でガッツポーズを作る名雪に、香里は苦笑を浮かべて作業に取り掛かった。そこにもう1人、厨房に顔を出す。
「あら、2人とも明日の準備?」
紙袋を抱えた郁美が厨房に入ってきた。
「そうだよ〜、郁美ちゃんはシアンさんに?」
「え、ええ、こういうのは久しぶりなんだけどね」
「きっと喜んでくれるよ〜」
幸せ一杯という雰囲気な名雪と郁美。だが、それは恋に悩む少女にはかなり毒な空気だった。
「・・・・・・のろけるなら外でやってくれるかしら、2人とも」
「「はっ」」
香里に言われてやっとこっちに帰ってきた2人。そこにさらに香里が追いうちをかける。
「それに、シアンさんってヴァレンタインを覚えてるのかしら。なんだかあの人忘れてそうなんだけど」
「か、香里、冗談に聞こえないよ」
「・・・・・・(絶句)」
「ああ、郁美ちゃん、気をしっかり持って―」
今度はちょっと違う世界に言ってしまった郁美の肩をな雪が必死に揺するが、郁美は帰ってきそうもなかった。そして香里は天井を見上げ、小さな呟きを漏らした。
「ヴァレンタイン・・・・か」
こうしてカノン隊の狂気の夜はふけていき、翌日、運命の日が来た。
2月14日、この日は恋人たちの宴の日である。そして同時に、もてない男たちが世界を憎悪する日でも会った。朝からあちこちでチョコレートが贈られ、それを受け取る男たちと憎悪に表情をゆがませる男たちの姿が見える。こういう時、神は平等ではないことを人は実感するのだ。
そんな中で、果たして神に愛されていると言っていいのかどうか、北川氏もチョコレートを受け取っていた。
「北川さん、どうぞ」
「北川大尉、受け取ってください」
「大尉、フォスター1ではありがとうございました」
どうやら、彼のファンは結構多いらしい。北川に群がる女性陣を見て祐一とキョウが目を丸くする。
「北川って、意外にもてるんだな?」
「ああ、日頃は目立たないくせに、一体奴のどこにそんな魅力があるんだ?」
2人は北川の贈られていくチョコレートの山に僅かな羨望と、たくさんの嫉妬心を感じていた。だが、そんな祐一にも忘れないでいてくれる人はいた。
「あ、祐一こんな所にいたんだ」
名雪が小走りに駆け寄ってくる。そして、祐一の前に立つと綺麗にラッピングされたチョコレートを差し出してきた。
「はい祐一」
「・・・俺にか?」
「そうだよ、結構自信作なんだから」
ニコニコと微笑んでいる名雪からチョコレートを手渡され、祐一はすこし赤い顔でチョコレートを受け取った。
そこからすこし離れたところではキョウがなにやら座り込んでいじけていた。
「神様、俺にも幸せをください」
嗚呼、青春の光と影ここにあり。
さて、今回の目玉である栞と天野はそれぞれに抱えた問題に困っていた。天野は3人から酷評されたチョコレートの改良型を握り締め、北川に渡すタイミングを計っていたのだが、いつまでたっても減らない女性たちにやきもきしていた。
「くっ、邪魔者が多いです」
一方、栞はというとあまりに巨大すぎる雪だるまチョコの輸送手段に悩んでいた。このクラスのものを安全に運べる台車となると大きすぎて調理場に入らないのだ。かといって、1人で抱えて運べる大きさではない。何より、体温でチョコが溶けてしまう。
「えう〜〜〜〜(泣)」
こうして2人がそれぞれに抱えた問題に四苦八苦している間にも、バレンタインはさまざまな人に光と影を提供していた。
中崎が七瀬からもらったチョコに感涙の涙を流していた。
「ありがとう、七瀬さん」
「いいのよ、中崎君には世話になったしね」
そう言いつつも、すこし頬を赤くしている辺り、七瀬も結構うぶだった。
舞と佐祐理は日頃の感謝を込めて世話になっている整備班のメンバーにチョコを配っていた。女性とは縁のないメカニックにとって、美人の比率が異常に高いカノン隊にあって上位に食い込むこの2人から義理とはいえチョコを貰えたのだ。その嬉しさは筆舌に尽くしがたかった。
そんな整備班を代表して石橋が2人に礼を言ってきた。
「すまんな2人とも、こんなにたくさん」
「いえ、構いませんよ、整備班の人たちには何時もお世話になってますし」
「・・・気にしないで」
はしゃぐ整備班のメンバーに暖かい眼差しを向ける2人。だが、佐祐理が本当に渡したい相手は今は遥か遠くにおり、舞の渡したい相手にはすでにお似合いな相手がいるのだった。
シアンはというと、なにやらジブラルタルコロニーの慰安施設である居住ブロックにある海洋公園に郁美とデートに来ていた。実は郁美がシアンに迫って無理やり休みを取らせた結果なのだ。郁美にしてみれば雰囲気のある所でチョコレートを渡そうと画策しているのだが、当のシアンはと言うと相変わらずその方面には犯罪的に疎く、単に郁美がここに来たかったんだなと思っていた。
海洋公園とは本来なら海中に設置された水族館のような施設と一体化した公園なのだが、ここでは海はないので外壁ブロックに作られた水族館が地下にある公園といったものになっている。地球に下りたことのない郁美は地球の海の生物に半ば魅せられていた。水槽の中を颯爽と泳ぐ魚たち、怪しげな甲殻類、奇妙な軟体動物、それらの全てが郁美には物珍しかった。
意外に思うかもしれないが、宇宙世紀もこの時期になると地球に一度も下りたことのない人間も多く、まさに宇宙人な人間が増えている。そのような人間に地球を大事にしよう、などという発想が生まれるはずもない。1年戦争とはまさにそういった戦争だった。地球の自然や生きている生物たちを大事にしようという発想がなかったサイド3、ザビ家の人間は平然とコロニー落しという地球生まれや地球育ちには絶対に成し得ない作戦を敢行したのだ。もし、これが連邦の人間なら絶対に躊躇するはずである。
郁美も生粋のスペースノイドなのだ。シアンのように地球で数ヶ月も戦った経験や、教官として地球の訓練基地で過ごすなどといった生活をしていない。だから郁美はこういった生物をまったく知らないのだ。単にチョコレートを渡す舞台として選んだ公園だったが、何時の間にか郁美は当初の目的を忘れてすっかり観光気分になっていた。
開発室では住井とアーセンがあゆからチョコを渡されていた。どうやら新型機のお礼らしい。
「はい、2人とも」
「・・・・・おお、そういえば今日は14日だったな」
「博士、それくらい覚えていてくださいよ」
住井が常識のないアーセンを嗜める。
その後、開発室から2つの悲鳴が響き、衛生兵が担架を持って駆け込んできたのだが、まあ、いいだろう。
場所はすこし飛んで、フォスターTでも似たようなことが起きていた。やはり、五月蝿いアヤウラなどがいないので風通しが良くなっているのだ。
「はい浩平、クラインさん、チョコレートだよ」
「・・・・・・」
「お、悪いな」
2人は瑞佳や澪、繭、茜といったエターナル隊女性陣からたくさんのチョコレートをもらっていた。だが、クラインはともかく、浩平はチョコレートを前にして戦慄していた。つまり、瑞佳や茜はともかく、繭や澪の作ったチョコレートがどんな味なのか、恐怖しているのだ。その一方では久瀬もまたチョコレートをいっぱいもらっていた。どうやら全体の人気としては浩平達よりも高いらしい。
そして、彼の部下たちもまた久瀬に持ってきているのだった。
「はい大尉、これどうぞ」
「一応手作りなんです」
「こういったものは初めてなんですけど」
それぞれに渡してくる。北川に対する2人と違って彼女らは慕ってくれているだけなので、それだけにまともな物を贈ってくれている。まあ、その方が久瀬にとってもありがたいのだが。だが、1つだけ問題があるとすれば、葉子が茜の影響を受けてやたらと甘党になったことだろう。そんな訳で、彼女の作ったチョコレートもまた劇甘なのである。
将兵がなにやらラブラブな空気に包まれている中で、なかなかにおませな子供もいた。
「うゅ〜、なかなか渡すタイミングが掴めないよ〜」
チョコレートの入った綺麗にラッピングされた箱を胸に抱いて、みさおは倉田一弥の姿を追っていた。お互いに10代半ばなのでまだ早いという気もするのだが、彼女に入れ知恵をした年中笑顔の青年がいたのだ。
「いいかいみさおちゃん、恋は先手必勝、先に手を出した者が勝つんだよ」
「そうなんですか?」
「うん、だからね、今月の14日に好きな人にチョコレートを贈る日というのがあるから、それを利用して好きな人との仲を進めるのが第一歩かな」
「へー、分かりました、氷上さん」
などという会話がなされ、みさおはこんな事をしているのだ。だが、そんなみさおの奇行をじっと見詰める視線が二つ。
「ねえ、あの娘何やってるの?」
「う〜ん、大人の女にゃ分からんだろうなあ」
「・・・ちょっと、それってどういう意味?」
「言わなくちゃ分からん辺りがますます救えんよなあ」
深深と息を吐くガルタンの向う脛を思いっきり蹴っ飛ばし、あまりの激痛に声もなくのた打ち回らせてから真希は再び視線をみさおに戻した。
「ふう、私にもね、あったのよ。あんな風に可愛かった頃が」
「・・・自覚・・・あったのか・・・?」
のたうちながらもつっこんでくるガルタンの鳩尾を踏み抜いて黙らせ、真希は小さくため息をつきながら歩き去っていった。
誰もが青春を謳歌している中で、そんな若者たちをすこし離れたところで見ている男たちもいた。アヤウラ艦隊の参謀長である橘啓介と、リシュリュー隊の司令官斎藤だ。
「いいねえ、若いっていうのは」
「何だ橘、あんまりそういうこと言ってると、本当に老けるぞ」
「言ってくれるね、君だって30過ぎだろうに」
2人してテーブルに向かい合ってコーヒーを手にする。啓介から見れば浩平達は自分の子供のような年齢だし、斎藤から見ても一回りは違う。結局、こういうイベントでは彼らは蚊帳の外、のはずだった。
「あ、斎藤大佐、橘大佐、こんな所にいたんですか」
雪美がなにやら鞄を脇に抱えて歩いてくる。
「橘大佐、アクシズ艦隊の補給物資のリストです。目を通したらサインをして送ってください」
「やれやれ、深山中佐は仕事熱心だね」
そう言って啓介は渡されたファイルをめくった。
「あ、それと斎藤大佐」
雪美がなにやら鞄から何かの包みを出して斎藤に差し出した。
「はい、どうぞ」
「・・・これは?」
不思議そうに斎藤が聞き返すと、雪美はすこし頬を赤くして俯いた。
「えっと、その、今日はヴァレンタインですから」
「あ、そいういうことか、ありがたく貰っておくよ」
にっこりと笑顔を浮かべて斎藤は雪美からチョコレートを受け取った。チョコを渡した雪美は逃げるようにその場を後にする。
その後姿を2人は無言で見送り、ややあって啓介が斎藤を茶化した。
「ほう、良かったじゃないか、斎藤大佐」
「何言ってるんだ、義理だよ、義理に決まってるだろう」
「そうかな?」
「そうだよ、何が楽しくて深山中佐みたいな若くて美人で才能ある女性が、俺みたいな何の特徴もない30過ぎの男を相手にするんだ?」
そうは言いながらも少し嬉しそうな斎藤を見て、啓介は小さく苦笑していた。
緩やかに時間は流れ、コロニーにも夕方が来ようとしていた。夕日に照らし出された噴水がなにやら幻想的な輝きを散せる広場で、郁美はシアンにチョコレートを差し出した。
「はい、シアンさん、どうぞ」
「・・・は?」
郁美が差し出した可愛いラッピングの施された包みを見てシアンが困惑し、ついで必死に考え出した。
『今日は何かあったか、誕生日じゃないし・・・』
深刻そうに悩むシアンを見て郁美は大きく息を吐き出した。もう分かってはいたのだが、どうしてこの人はこうもこういう方面の常識がないのだろう。
「中佐、今日はヴァレンタインですよ」
「・・・・・・おお、そういうことか!」
ようやく合点がいったシアンは嬉しそうに何度も頷く。郁美は再びため息をつくと改めて差し出した。
「そういうことで、どうぞ」
「ああ、そうだな。いや、今まで気付かなくて悪かった」
左手で頭を掻きながら右手でチョコレートを受け取った。その様子は傍から見ると軍の高級将校というより、うぶな高校生を感じさせるほど危なっかしい。もっとも、それは渡している郁美にも言えたのだが。彼女の場合、FARGOで受けた訓練の過程で大人の関係には慣れているが、こういった男女の交際には慣れていないのだ。
流石にこの時間になるとヴァレンタインの熱も去り、いつもと変わらぬ空気が流れるようになる。そんな中で、名雪が香里の背中を懸命に押していた。
「ほら香里、せっかく作ったんだからちゃんと渡さないと」
「別に、北川君に渡そうってつもりで作ったわけじゃないわ」
あいも変わらず頑迷な親友の不器用さに名雪は心の中で溜息をつき、なかなか気付かない北川の感性も呪った。
一方、北川はというと、栞から送られた雪だるまチョコレートを前に絶句していた。
「・・・・・・」
開いた口がふさがらず、ホワイトチョコレートで表面を仕上げた2メートルの白い巨像を見上げ、咄嗟に言う言葉が見つからないでいると、栞が嬉しそうに説明してくれた。
「どうですか、この特製、雪だるまチョコレートは。製作時間丸2日にも及んだ超大作です!」
そう言ってない胸を張る栞。なんとか脳が活動を再開した北川は助けを求めて周囲に視線を走らせたが、視線を受けた祐一、キョウ、ヘープナー、中崎といった連中は露骨に顔をそらし、視線を合わせないようにしていた。見捨てられたことを悟った北川は顔いっぱいに絶望を浮かべ、その白い巨像を見上げた。
栞の雪だるまチョコレートと天野のミックス味噌チョコレート(外見が普通だったので、北川も警戒してなかった)を食べた北川は、まあ、雪だるまの途中で昏倒したが、せめてもの友情か、祐一達の手で自室に放り込まれることになった。
どれだけ時間がたったのだろう。ようやく意識の戻った北川は、うっすらと目を開け、周囲を見渡した。
「・・・どこ?」
ぼうっとする頭でしばし考え、内装からようやくここが自分の部屋だということに思い至る。何回か頭を振って眠気を飛ばし、ベッドから起き上がってみる。なにやらふらふらするし、変に体が火照ってる気がするのですこし不思議だったが、(栞の薬の影響である)とりあえず動くのには問題なかった。
しばらく体を動かしてると、乾いた音をたてて入り口が開き、なにやら袋を抱えた香里が入ってきた。
「あら、ようやく目が覚めたの北川君」
「おお、美坂か。ああ、まあなんとかな」
そう言って北川はベッドの端に腰を下ろした。
「所で、俺どうしてこんな所で寝てたんだ? たしか、栞ちゃんの雪だるまを食ってたはずなんだが」
不思議そうに聞いてくる北川に、香里は柔らかい微笑を浮かべた。
「北川君、栞のチョコを無理して食べようとしたから、途中で気絶しちゃったのよ。ここには相沢君たちが運んだらしいわ」
「・・・そうか、それで、どうして美坂がここに?」
「妹の不始末だもの。姉としては責任を痛感してるわけよ」
そう言って香里は持ってきていた袋を備え付けのテーブルに袋を置き、中から飲み物を取り出した。
「はい、胃が荒れてると思うから、さっぱりしたものを用意してきたわ」
オーソドックスな宇宙用のドリンクを受け取った北川はすぐにそれを口にした。チョコで麻痺した味覚が喉を潤す液体によって取り戻されていく。一本を一気に飲み干した北川は改めて一息つき、香里に礼を言った。
「ふう、サンキュ、美坂」
「いいわよ、気にしなくて。それよりも、栞もかなり気にしてたから、会ったらなにか言ってあげて。あの娘、あれで結構デリケートだから」
香里はそれだけ言うと北川に背を向けた。
「じゃあ、私はこれで。栞のこと、頼むわね」
「・・・・・・」
香里は北川の返事がないのを不審に思ったが、振り向くことはせず、そのまま部屋を後にした。
後に残された北川はベッドに座ったまま、膝の上で組んだ両手を見詰めていた。しばらくその姿勢でいたのだが、やがて大きく息を吐くと、ベッドに仰向けに横たわった。
「ふう、やっぱり、美坂には脈なしなのかなあ」
一人、天井を見上げて悲しそうに呟き、やることもなしに香里の持ってきてくれた袋をさばくってみると、飲み物や胃腸薬に混じって綺麗な包装がされた箱が出てきた。何かがわからず開けてみると、中からすこし不恰好なチョコレートが出てきた。
「・・・これ、美坂が・・・?」
信じられないものを見た。といった顔で北川が呟き、ついで嬉しそうに笑顔を浮かべるとそのチョコを口に運んだ。
余談だが、翌日カノン隊はその機能を停止していた。艦橋のクルーと幕僚たちは何故か全員病院送りとなり、「ジャ、ジャムが」とうなされているという。アーセンと住井は未だに目を覚まさない。北川は静養中、そして、放置されていた栞のチョコを何気無しに食べてみたシアンも何故か過労で寝込んでいた。逆に何故か郁美は妙に肌が艶々して機嫌が良かったのだが。
ファマスと連邦の戦いも佳境に入っているこの時期に会って、訪れた僅かな幸せの時。だが、この幸せな時間は、これから始まる激戦へのカウントダウンを刻む予鈴だったのかもしれない。
2月23日、サイド5の暗礁宙域から地球圏全てに向けて演説が行われた。演説を行ったものの名はエギーユ・デラーズ。地球圏最大のジオン残党軍、デラーズ・フリートの指導者であり、ギレンの親衛隊隊長だった男だ。
リアンダー級巡洋艦
全長238メートル
兵装 単装メガ粒子砲4基
連装メガ粒子砲2基
艦首ミサイル発射管4基
連装機銃12基
MSカタパルト1基
艦載機:6機
<説明>
旧式化が著しいサラミス級の後釜として設計された新型巡洋艦。最初からMSの運用を前提に設計されており、サラミス級よりも僅かに大型化した艦体の左右に武装を配置し、上甲板前方をカタパルトデッキとしている。MS格納庫は艦内にあり、1基のエレベーターでカタパルトデッキに上げられる。設計にはカノンの建造で得られたノウハウが使われている。
従来のサラミス級を明らかに上回る高性能艦で、サラミス級もリアンダー級を見本に改装されていくことになる。サラミスよりも航続距離が長く、居住性がよいというこの艦の特長は、その建造目的がアステロイドベルトに潜伏するアクシズをはじめとするジオン残党の討伐にあることを示している。
アキレウス級戦艦
全長295メートル
兵装 大型連装メガ粒子砲4基
ブラスター6基
ミサイル発射管4基
連装機銃16基
MSカタパルト2基
搭載機:14機
<説明>
マゼラン級に続く次世代型汎用戦艦として建造された戦艦で、マゼラン級戦艦を大型化する形で設計されている。艦体前方はカタパルトデッキとなっており、2基のMSカタパルトと2基のエレベーターがある。左右の側面と下部に1基ずつ連装砲塔があり、後部上甲板にも同じく連装砲塔がある。やはり艦内にMS格納庫があり、最大で14機のMSを運用することができるが、通常は12機1個中隊を搭載している。リアンダーとともに長距離航海を行うことを前提に設計されており、大量の推進剤を詰めるタンクを搭載し、おまけに快適な居住環境を実現している。