第56章  そして、次なる時代へ


 戦いが終了してなお、カノンはその姿を火星上空にとどめていた。誘爆の光が時折艦を揺るがすもの、修理さえ出来れば地球にもって帰ることは不可能ではないと思える。だが、フォボスにはカノン級を入渠させられるドックは無く、頼みの支援艦隊はまだ火星まで1日はかかる距離にいる。それまでカノンが持つとは思えなかった。
 このまま放置してとろ火に焼かれつづけるよりはと考えた秋子は、艦を沈める決意をした。リビックの許可も取り付け、臨時旗艦のリオ・グランデの主砲をカノンに向けさせる。リオ・グランデを始め、友軍に収容されたカノン乗組員たちは皆窓に張りつき、カノンの最後を看取ろうとしていた。
 そして、リオ・グランデの艦橋で秋子は静かに右手を振り上げ、一瞬の逡巡の後、一気に振り下ろした。リオ・グランデの主砲がカノンに向けて放たれ、直撃の光が幾度も艦を彩っていく。その巨体の為に一斉射では足りず、幾度も砲撃を加えて確実な撃沈を行う。
 爆発の光の中に消えていくカノンの姿にカノン乗組員達は涙し、敬礼を施している。ファマス戦役における象徴的な艦の最後に他の艦の将兵達も敬礼し、その最後を看取っている。そして、遂に融合炉の誘爆を起こしたカノンは内側から引き裂かれるように完全破壊された。
 カノンだった光が消え去った後、リオ・グランデの窓に取り付いていたカノンのクルー達はそれでもそこから離れようとはしなかった。祐一は泣き崩れそうになっている名雪を支えながら、感慨深げに呟く。

「終わったな。戦いも」
「うう・・・カノンが・・・・・・私達の・・・・・・」
「泣くなよ名雪、とりあえず、戦いは終わったんだ。カノンが沈んだのは残念だったけどな。もう誰かが死ぬ事だけは無いんだ。俺も、お前もな」

 ポンと名雪の頭に右手を載せ、祐一は珍しく優しげな笑顔で名雪を励ましていた。名雪はそんな祐一の顔を見て僅かに頬を染め、少し安心した顔で祐一の胸に頭を預けた。

そして、火星軌道会戦の6時間後にエイノー率いる第2連合艦隊主力が到着し、翌日にはリビック率いる第1連合艦隊も到着している。ファマスの武装解除と施設、装備の接収が連邦軍の手で進められ、連邦軍はファマス基地から膨大なデータと生産施設、新型兵器を入手する事になる。

火星に下りたマイベックは祐一と天野を連れてファマスの残した施設を視察していた。今3人がいるのは生産工場らしいが、そこにはもはや見慣れたシュツーカD型が並べられ、組み立てを待っている状態であった。

「シュツーカの新型か。こいつのせいで随分苦しめられたな」
「同感です。我々はともかく、ジム改装備の部隊は歯が立たなかったそうですから」

 マイベックの呟きに天野が頷きながら応じる。この機体は登場が遅かった事もあって遂に纏まった数が運用されることは無かったが、それは自分たちにとって幸いであったと天野は思っていた。
 他にもいろんな機体が組み上げを待っている。中にはジャギュアーまでがあった。これらの鹵獲機は地球に持っていかれ、各種性能テストに回される事がすでに決まっている。特にジャギュアーは鹵獲数が非常に少なく、完成前とはいえ貴重なサンプルとなるだろう。
 これからの仕事を考えていたマイベックに、祐一が問いかけた。

「ところで、この火星の施設をそっくり地球に持って行くって話、あれは本当なんですか?」
「流石に全てではないがね。工場などの生産施設は移設するそうだ。ファマスのMSは連邦規格で造られてるから、僅かな改修で量産出来るらしい。相沢大尉とてこいつに乗ってみたいだろう?」
「そりゃあ、まあ」

 祐一はジャギュアーを見上げた。ファマス戦役中において、遂にこの機体を堕とす事は適わなかった。エターナル隊の奴といい、久瀬大尉といい、とんでもない腕を持ってた奴ばかりだったせいもあるが、この機体の性能が他の機体とは隔絶していた為である。ジム・FBを手にした時はこれで勝てると思ったのだが、結局機動性以外の性能は及ばなかった。
 だが、ジャギュアーが生産されることは無いだろう。もし大量生産向きの機体なら、もっと多くの数を見かけただろうからだ。恐らくはシュツーカが生産される事になるだろう。あるいはその改良型がだ。
 祐一には予見しようも無かったが、シュツーカから続くファマス系MSの成果は、ペズンで開発が進められている“ゼク”に色濃く受け継がれ、名機ゼク・アインを完成させることになる。


 ファマス戦役はファマスの降伏によって終結した。火星軌道は連邦艦艇によって埋め尽くされ、誰が勝利者であったのかをまざまざと誇示している。火星ででた捕虜はこれまででも最大の人数であり、その中には将官級多数が含まれている。ファマスの中心人物であったジェイムズ・サンデッカー元ジオン軍中将や久瀬彰吾元連邦軍中将の姿もその中にはあった。
 リビックの前に連れてこられた久瀬とサンデッカーは少しも媚びる所は無く、堂々とリビックの前に現れたのである。対するリビックも敗者を嘲るような趣味は持っていなかった。

「ひさしぶりじゃな、久瀬中将」
「確かに、リビック提督」

 2人の間には敵意や憎悪は無かった。まるで戦友と再会したような穏やかさが2人の間にはある。だが、直ぐにリビックは宇宙艦隊司令長官の顔になると、久瀬とサンデッカーを厳しい目で睨みつける。

「ファマスはその戦力の全てを喪失し、我が軍に降伏した。貴官らは地球へと送られ、それぞれ裁きにかけられる事になる」
「・・・・・・私は構いませんが、部下の命は助けていただけませんか?」
「それが難しいという事は貴官にも分かっているはずじゃ、久瀬中将。儂も、恐らくは他の司令官連中の多くも口添えをしてくれるじゃろうが、ファマスに参加した将官連中を政府は許さんじゃろう」
「・・・・・・・・・・・・・・」

 分かってはいた。自分について来てくれた部下たちもそれくらい承知していただろう。なまじ最初から敵であったジオン系の軍人よりも、反逆した連邦の軍人達こそ許し難いに違いない。
 久瀬はその事を思い、自責の念に囚われてしまった。


 ファマスに参加した将兵に対し、連邦軍の対応はちぐはぐしたものであった。連邦政府はファマスに参加した士官全員を裁き、厳罰に処する事を求めたのだが、連邦軍はこれに難色を示した。ファマス戦役はただでさえ少なくなっていた連邦軍の人材を更に枯渇させており、軍組織の維持さえ危ぶまれるほどに消耗していたのである。連邦軍はファマスに参加した将兵を再び軍に組み込むことで、消耗した戦力を立て直そうと考えていたのである。特に兵や下士官はただ上官の命令に従っただけであり、そのまま原隊に復帰させればよいとする意見が大勢を占めていた。実際、ファマスに参加した将兵の数は膨大な数字に登り、その全てを裁くだけの時間も、それだけの人員を収容する施設も無かったのである。それに、何よりも捕虜となったファマス将兵の中には、縛り首にするべき最大の対象が含まれている以上、それより下に責任を追及する必要性が薄れた事もあった。
 この為、ファマス将兵に対する処罰は実に徹底を欠いた物となったのである。それでも流石に久瀬についていって連邦に反逆した将官には一切の容赦がかけられず、全員が銃殺、もしくは無期懲役を言い渡されている。ファマスを代表していた久瀬とサンデッカーには延々と罪状が並べられた挙句、銃殺が言い渡されている。
 銃殺を言い渡された2人は特に何を言う事も無く、淡々と判決を受け止めていた。自分たちの運命が銃殺意外には有り得ない事を知っており、いまさら抵抗する気は無かったのだ。

 この他にも多くのファマス士官たちが裁かれて行った。佐官級は降格された上で数年の懲役刑が課せられる物が多い。尉官級は降格された者はいるものの、懲役刑を課せられた者はごく僅かであった。そのごく僅かな例外の中に久瀬隆之連邦軍大尉の名があった事は偶然ではないだろう。表向きにはファマスにあって連邦軍に著しい損害を強いたという事だったが、本音が久瀬中将の息子だからという事を疑う者はいなかった。久瀬は中尉に降格された上、懲役1年を言い渡されている。
 斉藤連邦軍中佐は少佐に降格された上、懲役3年を言い渡されている。いささか刑が軽い気がするのは、斉藤の才幹を惜しんだ秋子が口添えをした為。将来的に自分の陣営に引き込む狙いがあるのだろう。
 斉藤の部下であった鹿沼葉子少尉、巳間晴香少尉は特にお咎めを受けなかったものの、辺境基地に左遷されている。軍属であった名倉由衣は退役し、友人の天沢郁美の元に身を寄せている。身寄りの無い彼女としては他に頼る相手も無かっただろう。後に彼女等はシアンが呼び集めている。
 ジオン残党であった捕虜は軍法会議にはかけられず、ジオン残党として捕虜収容施設に送られている。彼らにとって幸運だったのは、すでに連邦は収監した捕虜の釈放を進めていた事であり、多くの者が早期に釈放され、故郷に帰っている。また、その中の一部は連邦軍に帰属する事と引き換えにより早く釈放されていた。
 川名みさき大佐はは捕虜収容施設に入れられた後、2年して釈放されている。深山雪見中佐も同様に2年で釈放されていた。釈放された2人は再建されたサイド5に移住し、そこで水瀬秋子の求めに応じる形で連邦軍に所属を変える事となる。
 里村茜少尉はシアンの説得に応じ、連邦軍に移籍したため半年で釈放されている。その為、一時期は戦技教導団に所属していた。
 折原浩平大尉は捕虜収容所を3年後に釈放され、旧式輸送船を入手してサルベージ業者を始めている。その性格は商売には向かなかったものの、元エースパイロットの操縦技量はいかなる難所での作業も可能とし、仕事の確かさで信頼を得る事になる。
 長森少尉は1年で収容所を釈放され、暫くの間上月澪を伴って難民施設を転々とすることになる。その後、釈放された浩平の招きに応じてサルベージ業を手伝う事に。その仕事は社長に代わって対外的な交渉をする事であった。
 フレデリック・クライン大尉は3年後に釈放され、その後消息をくらましている。
 上月澪軍曹と椎名繭軍曹は年齢からか、捕虜収容施設に入れられる事は無かった。繭はサイド3にいる親元に帰されている。澪は親類の消息が掴めず、瑞佳が迎えに来るまで連邦軍の施設に預けられる事になる。2人がニュータイプだという事は秋子の指示を受けたバイエルラインの手で揉み消されており、上層部に知られてはいなかったおかげだ。もし知られていればたちまちニュータイプ研究所送りだっただろう。
 トルビアック・アルハンブル元連邦軍中尉は、懲役1年を言い渡され、服役後に軍を抜け、以後の消息は掴めなくなっている。彼の身を気にかけていたシアンが暫く足取りを追ったのだが、遂に見つける事はできなかった。
 捕虜の拘束期間に差があるのは、単純な運の問題である。どこに送られたかによって釈放までの時間に差が生じたのだ。

 

 そして、地球に帰ってきた彼らに待っていたのは、機動艦隊の解散命令と、新たな任地への赴任であった。秋子は再建の始まったサイド5に駐留するサイド5駐留軍の司令官となり、その際に中将に昇進する事となった。サイド5はかつての宇宙艦隊司令部が置かれたいた要地であり、全てのサイドと月面、地球軌道に睨みを効かせられるという絶好の位置にある。そこに名将の誉れも高い秋子が置かれたのは半ば当然のことであり、そこに駐留する戦力は宇宙軍でもルナツーの宇宙艦隊司令部と地球を守る地球軌道艦隊に次ぐ第3位の武力集団となる事が決まっている。
 秋子は解散した機動艦隊の戦力の大半をそのまま横滑りさせてサイド5駐留軍に組み込んだのだが、連邦軍最強部隊とまで言われた機動艦隊の人材は人材の欠ける他部隊からすればまさに宝の山であり、人事局から集中的に狙われたのである。その裏には秋子の力を恐れたジャミトフの意思がある。
 まず、秋子を支えてきたマイベックとシアンが狙われた。マイベックはジャブロー防御次席指揮官としてジャブローに降ろされた。シアンもその実力を買われて教導団の戦技教官としてペズンに赴任している。ただ、シアンは一年後にはティターンズの士官と争いを起してしまい、辺境の訓練基地である海鳴基地司令に左遷されてしまうのだが。
 他の者に先駆けて移動する事になったシアンとマイベックはルナツー宇宙港で集まることの出来た仲間達の見送りを受けていた。特に2人を手放さなくてはならない秋子の表情は苦渋に満ちている。

「2人を手放すのは辛いのですが、軍令では仕方がありません。新しい任地でも頑張ってきてください」
「考えてみれば一年戦争からずっと提督を補佐し続けてまいりました。もうまる3年ですか、長かったですなあ」
「俺は堅苦しい教導団ですよ。正直ご免被りたい任地です」
「それを言うなら、私だってジャブローだ。堅苦しい部署の総本山だよ」
「それについては、参謀長に同情してますよ」

 シアンの台詞に2人は声を上げて笑い出した。これが今生の分かれという訳でもない。生きている限り、いつかまた手を取り合って戦う日も来るだろう。歴戦の勇士である2人にはそのことが良く分かっていた。
 2人は最後に宇宙港に集まってくれた仲間達を見回した。カノンで自分を支えてくれた頼れる部下たちを誇りに思いながら、2人は教本通りの見事な敬礼をした。

「それでは、一足先に行かせてもらいますよ。また、提督の下で働ける日がくることを期待してます」
「俺もです。今までいろんな上官の下で働きましたが、水瀬提督ほど働きやすい上官はいませんでした」

 2人に送られた賛辞に秋子は嬉しそうに笑顔を浮かべた。

 2人がそれぞれの任地に向うシャトルに乗りこんで行くのを見送った秋子は、傍らに立つ甥に語り掛けていた。

「シアンさんの穴は祐一さんに埋めてもらいますよ」
「・・・・・・俺に、出来ますかね?」
「シアンさんの推薦がありましたから。自身を持って良いですよ、祐一さん」

 秋子の保証があっても、祐一の不安は晴れなかった。偉大過ぎる前任者というのは何物よりも巨大なプレッシャーとなって圧し掛かってくるものなのだ。暫くの間、祐一の顔から心労の色が消えることはあるまい。

 

 更には北川が地球に下ろされ、ジオン残党を狩り出す部隊の指揮を任されることになった。

 最初はサイド5復興計画の基づき、サイド5守備隊として再建途上のオスローに駐留していた北川だったが、その辞令を受け取った時には天井を仰いで嘆息したものである。

「はあ、俺もその内移動させられるとは覚悟してたけど、まさか地球に降りてジオンの残党狩りをやれとはなあ。誰の差し金かは分かってるんだけどね」

 背後にティターンズの影を感じながらも、一介の大尉の言い分を人事局が認めてくれる訳が無い。それに、転属の理由が「歴戦の指揮官が欠乏する現状では、北川大尉のような存在は貴重なのだ」とまで言われては、反論する気も起こらない。それに、地上で独立機甲大隊の指揮をさをせてくれるのなら悪い気はしなかった。
 だが、そうなるとどうしても必要なものがある。もはや機動艦隊の1個MS大隊の指揮官という立場から、独立機甲大隊を率いる指揮官になるのだ。ここはやはり副官を連れて行かなくてはならない。副官の任命権は自分にあるから、信頼出来る人物を連れて行く必要がある。
 北川は立ち上がると、目的の人物の姿を求めて食堂に向った。今は昼時なので多分そこにいると思ったのだ。そして、その人物はそこにいた。

「お姉ちゃんは、午後から6バンチコロニーの作業の護衛でしたよね」
「ええ、退屈な護衛勤務よ。搭乗時間稼ぎね」

 カノンとは異なり、オスローの食堂はありきたりな物しかでない。それでも飽きがこないように工夫している当たり、コック達の努力が伺える。仲良し姉妹がテーブルに腰を下ろして食事を取ろうとしたとき、その向い側に北川が腰を下ろした。

「よお、お2人さん。相変わらず仲がいいね」
「あら、もう仕事は終わったの、北川大隊長さん?」
「お姉ちゃん、そんな皮肉混じりに言わなくても・・・・・」
「ははははは、いいよ栞ちゃん、もう慣れたから」

 と言いつつも、北川のこめかみにははっきりと血管が浮いていたりする。

「それで、どうした訳。食事に来って様子じゃないけど?」
「う、うん、じつは、ちょっと美坂に頼みたい事があってさ」
「「なによ(ですか)?」」
「・・・・・・いや、栞ちゃんじゃなくてね」

 同時に応じられて北川が困惑した声を上げる。

「何でですか。私も美坂です」
「いや、栞ちゃんの時は栞ちゃんって言うだろ」
「それはそうですけど」

 ぷうっと頬を膨らませて不満の意を表す栞。何が不満なのか、実は本人も余り良くわかっていない。
 そして、香里は水の入ったドリンク容器のストローを加えながら北川を見た。

「それで、あたしに話しって何かしら?」
「あ、ああ、その、頼み事があってな」
「頼み事、あたしに?」

 香里が少し驚いた顔になった。北川が自分に頼み事をしてくるなど、過去に例が無いからだ。それを聞いた栞の顔には焦りと怒りが見て取れる。

「北川さん、それは私じゃ駄目なお願いなんですか?」
「うん、ちょっと栞ちゃんじゃあね」
「私じゃ駄目って事は・・・・・・まさか、胸ですか!?」

ドガンッ!

 北川、栞の余りに的外れな回答に脱力し、豪快にテーブルに頭を叩きつけていた。

「北川君、なかなか豪快なリアクションね」
「い・・・・・・痛い」

 額を押さえながら北川はよろよろと半身を起した。

「いや、そういうことじゃなくてだ。俺は美坂に副官になって欲しいんだよ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 香里は何も言わず、ただドリンクを飲み続けていた。代わりに栞が首を傾げながら問い駆けてくる。

「副官、ですか。何でまた?」
「いや、実は今度地球に降りることになってね。正式に部隊を任されることになったんだよ。それで、美坂に一緒に来て欲しいんだ」
「・・・・・・なるほど、ね」

 香里はドリンクを置くと、左手でウェーブのかかった髪を指で梳いた。

「確かにそういうことなら栞じゃ無理ね」
「え、えううううう〜」
「でも、それなら私じゃなくても、他に幾らでも適材がいると思うんだけど?」
「まあ、ね。でも、俺の考える限り、美坂以上に適任はいないと思うんだ。能力的には勿論、信頼度でもね」

 北川の賞賛は香里にいささかこそばゆい物だった。一年戦争中はその技量を認められながらも投降者として軽んじられ、カノン隊に来てからは回りに自分以上の化け物がゴロゴロしていたからすっかり埋もれてしまっていた。今まで自分をこんなふうに誉めてくれた相手はいなかったのだ。

「・・・・・・返事は、今すぐでないと駄目かしら?」
「いや、3日ぐらいは大丈夫だと思うぞ」
「そう、分かったわ」

 結局、香里は北川に副官として望まれ、共に地球に下りている。香里がこの話を受けたと知った栞と天野は酒保で泣きながら浴びるように酒を飲みつづけ、管を巻いていたという。

佐祐理とキョウはジャブローに降り、そこで新たに部隊を指揮することになる。真琴はサイド6守備隊に転出し、舞は大尉に昇進した上でサイド1守備隊に回されている。
 こうして、人材の大半を引き抜かれた秋子指揮下のMS隊は大幅な弱体化を避けられなかった。人事局は狙ったかのように指揮能力に富んだ人材を引き抜いた為、新たにサイド5MS隊をまとめることになったのは祐一であった。他から人を回してこれば良いという意見もあったのだが、秋子は絶対の信頼を置く祐一に任せる事で部下への信頼度を確保したかったのだ。もし新たにやってきたシアンの後任がティターンズの息のかかった者だとしたら、と考えると安心できないのだ。それと、現実問題として今の連邦には中尉〜中佐辺りの人材が払底しており、地位と階級が釣り合わない事など珍しくも無かったのである。地上軍では少尉で戦車大隊の指揮を取らされたという例さえある。
この下に辛うじて残され、大尉に昇進した天野と七瀬が付く。天野は功績に較べると昇進が遅れていたので、ようやく釣り合いが取れたというところだろう。この後秋子の命令で士官学校に行ってもいる。祐一が上位なのは先任だから。
 ほかにもあゆや栞、中崎といった人材は残されていたが、彼らは部下を指揮して戦うということには慣れていない。名雪も転属させられる所だったのだが、祐一が任命権を行使して自分の副官にしてしまったので事無きを得ている。完全に私情混じりだが、それを咎める者はいなかった。


 郁未は軍を除隊し、予備役に編入されている。会社で言うなら寿退社とでもいうのか。地球に帰還し、事務仕事などのごたごたが片付いた頃になって郁未はシアンと結婚式を挙げていた。再建途上のサイド5で行われることになった結婚式には機動艦隊で共に戦った戦友達が駆けつけ、ちょっとした同窓会となっている。


「うはははは、まさかお前が身を固めるとはなあ。これほど面白いことは珍しいぞお!」
「これってやっぱ出来ちゃった婚になるんだよなあ」
「郁未の性格を考えると、やっぱ尻に敷かれるよなあ」
「でも結婚しても直ぐに単身赴任か。中佐も罪な男だよ」
「独身では一生悟れんことが、一年の結婚生活で悟れるもんだ」

 上からアーセン、祐一、北川、キョウ、石橋である。シアンの控え室でもう言いたい放題に言いまくっている5人にシアンはこめかみをピクピクさせながらもどうにか笑顔を作る。

「お前等、祝いに来たのか、からかいに来たのか?」
「からかいに来たに決まっとるだろうが」

 シアンの問い掛けに即答したアーセンは声を立てて笑い出した。シアンはこいつには勝てないということを改めて思い知らされ、重苦しいため息を吐く。

「シアンさ〜ん、結婚式の新郎がそんな不幸一杯な溜息つかないで下さいよお」

 祐一の言葉に、シアンの堪忍袋の緒が切れた。

「うがあああああああ、貴様等全員ぶっ殺すうううう!!」
「何で俺ええぇぇぇぇ!」
「あああ、北川が一瞬でボロ雑巾にいっ!」
「ふぉっふぉっふぉ、これしきで怒るとは、まだまだ人間が出来とらんぞ」
「誰か止めてやれよ!」
「じゃあお前が止めてみろ!」

 怒ったシアンの手によって、新郎控え室は戦場へと変わってしまった。結婚式会場で暴れて良いのだろうか。

 シアンの方が乱闘会場と化していた頃、郁未の控え室では郁未のウェディングドレス姿に感動するしながらも、誰もが聞こえてくる乱闘騒ぎに呆れていた。

「何やってるのかなあ、あの人たちは」

 あゆの呆れかえったと言わんばかりの声に誰もが苦笑混じりに頷いている。

「どうせ、また祐一が変な事言ったんだろうけど」
「・・・・・・相沢君だけかしら。あそこにはお馬鹿しか居なかった筈よ」
「お姉ちゃん、ちょっと言い過ぎだよ」

 名雪の予想の穴を香里が指摘する。名雪は反論することが出来ず、顔を引き攣らせながら困った笑顔を浮かべるだけであった。栞は姉の毒舌を窘めている。
 辺境からわざわざ休みをもぎ取って駆けつけてきた葉子と晴香、そして郁未の同居人である由衣は、郁未に羨望混じりの祝福を投げかけていた。

「元が良いですから、磨けば輝きますね。郁未さんは」
「馬子にも衣装って奴かしら」
「はうう、私も着たいです〜」
「・・・・・・誉め言葉と受け取っておくわ、葉子さん、晴香」

 余り祝福して無い気もするが、4人の関係はこのくらいの冗談の応酬は容認することが出来る。実際、その目はみんな笑っていた。
 その傍では泣き出してしまった舞を佐祐理と天野が慰めていた。

「グシュ、グシュ、お兄ちゃんが・・・・・・」
「ほらほら、舞ったらもう泣きやんで。折角のシアンさんの晴れ舞台でしょう」
「私は舞さんの気持ちも分かりますよ。北川さんは結局香里さんを選んだようですから」
「あ、天野さんまで、そんなに落ちこまないで下さいよ〜」

 宥めようとする佐祐理を2つの悔しげな視線が射抜く。佐祐理はビクンと体を震わせた。

「佐祐理はもう久瀬をキープしてるからそんな気楽な事が言えるの」
「持つ者に、持たざる者の気持ちは分かりません」
「あ、あはははははは・・・・・・」

 2人の嫉妬交じりの言葉に、佐祐理はただ乾いた笑い声を発することしか出来なかった。でも、現在久瀬隆之は軍刑務所に服役中なので、会う事も出来ないのであるが。それに、はっきりと告白された訳でもない。2人の関係はなかなか微妙なのである。


 控え室でみんなが騒いでいる間にも会場の準備は整い、あとは主役たちを待つばかりとなっている。こちらには秋子や真琴、七瀬や中崎がいた。見回せばアムロやヘープナー、などの顔までがある。ちょっとしたエースパイロット見本市のような威容を呈していた。

「でも、郁未さんの出産までに式に漕ぎ付けられて良かったわ。戦争も終わったし、まずは安心かしら」
「あう、そうだと良いんだけど」
「あら、真琴には何か心配事でも?」
「・・・・・・ティターンズがここんとこ煩くって。かなり強引な事もしてるし、またごたごたしなきゃ良いんだけど」

 サイド6守備隊である真琴はティターンズの横紙破りに辟易していたのである。実力で追い返そうと思う時もあるのだが、上司はティターンズの機嫌を損ねるのを恐れており、真達に圧力をかけている。自分たちが火星まで遠征してる間に連邦内部にどういう変化があったのか、真琴は肌で感じていたのだ。

「秋子さんは、ティターンズを押さえ込めないの?」
「・・・・・・真琴、余りそういう事は言わないでね」

 秋子は笑顔を消して真琴に釘を刺した。これ以上真琴に自由に喋らせれば、迂闊に口にするべきでない事まで喋りそうだったからだ。もっとも、秋子自身何もしていない訳ではない。ティターンズの勢力が伸びるのは彼女自身にも迷惑なことであるから、ティターンズに対する対抗策はすでに立ててある。秋子とリビックはファマス戦役の英雄であり、その影響力は計り知れないものがある。この2人が手を組めば、軍上層部も政府も無視は出来ないのだ。なによりリビックが宇宙艦隊司令部をジャブローからルナツーに正式に移した為、ルナツーにおけるティターンズの影響力は失われたと言ってもよい状態なのだ。サイド5もまた明確な反ティターンズ勢力である。
 秋子の見立てでは地球上ではともかく、宇宙ではティターンズの動きに対抗することは不可能ではないと考えている。ただ、この対立の図式が新たな戦争の火種となる可能性は高く、その問題に秋子は頭を痛めている。
 そして、その不安が秋子の動きに一定の枷をはめる事になり、後に1つの悲劇を招く事となる。


 式は盛大ではなかったのだが、なかなかに豪華なものと言えたかもしれない。バージンロードを歩く郁未の姿は誰もが感嘆の吐息を漏らすほどに美しかった。目立つようになってきた腹部は巧みに仕上げられたドレスのおかげで目立たず、その美しさを引き立てている。両親のいない郁未の隣を歩く父親役はマイベックが任されていた。他に任せられる人間がいなかっただけなのだが、頼まれたマイベックは複雑な顔で引き受けたものだ。

「・・・・・・独身で父親役と言われてもなあ。一応、おれはまだ30なんだぞ」

 というのが、彼の漏らした唯一のぼやきであった。

 宗教的概念が影響力を失って久しい宇宙世紀においても、結婚式と葬式だけは神様の出番となる。2人は牧師の前で愛を誓い合い、口付けを交し合った。その瞬間_歓声が上がり、誰もが祝福の言葉をからかいと励ましを交えて送っている。舞はもう泣き崩れており、名雪は祐一に意識した視線を送ったが全く気付かれずにがっくりと頭を垂れている。そして最後に郁未が投げたブーケは激しい争奪戦が行なわれ、それを手にしたのは意外な事に葉子であった。

「・・・・・・あら?」

 欲しいとは思っていたが積極的に取ろうともしていなかった自分の胸元に飛び込んできたブーケに葉子は最初何が起こったのか分からないという顔をし、次いで真っ赤になった。

「な、何故私の所にこれが来るんですか!?」
「あははは〜、それは次に結婚するのが鹿沼さんだという事でしょう〜」
「あああああ、いらないんなら私に下さい。そしておねえちゃんから北川さんをもぎ取るんです!」
「うう〜、これってつまり、私は当分結婚できないって事〜?」
「何故そこで甲斐性無しを見るかのような目で俺を見るんだ、名雪!?」
「それはつまり、根性無しの相沢さんがいつまでも名雪さんを待たせるという事でしょう」
「グサッ!」
「うぐぅ、祐一君死んじゃった?」
「あう、馬鹿?」
「はっはっは、MSに乗れば敵無しの相沢も、こういう事ではただの甲斐性無しか」
「・・・・・・お前が言える台詞か、北川。お前こそ美坂にちゃんと言えるのかよ?」
「何でいきなり私が絡むのよ、キョウさん!」
「うう〜、葉子さん、次は私に投げてくださいね」
「あんたはまず胸を何とかしないと男が見つからないわよ」

 葉子を中心に皆が笑顔を向け合っている。1段高い所からそれを見ていた郁未とシアンは笑顔を向け合うと、もう一度口付けを交し合った。その様子を一歩離れた所から見ていた秋子は右手を頬に当てた何時ものポーズで「あらあら」とやさしい笑顔を浮かべ、七瀬は羨ましげに2人をじっと見つめ、中崎とアーセン、石橋は苦笑を浮かべている。ヘープナーは南や沙織と並べられているワインや料理を喜んで食べ漁っていた。

 

 連邦軍の歴史上、初めての内戦はこうして終結した。失われた艦艇は両軍合わせて500隻にも達し、MSや戦闘機は3000機にも達する。地球連邦軍は失われた戦力を再建する為に80年度第2次軍備増強計画を発表、消耗した宇宙艦隊戦力の再建を図ることになる。これは旧式艦艇の近代化改装と、新規設計艦艇の量産、時期主力機動兵器の開発と量産を意味するもので、短期間で連邦軍を立て直す計画である。これにはファマス戦役で得られた技術資料と戦訓が十分に反映されることが決まっており、連邦軍はアキレウス級戦艦とリアンダー級巡洋艦にかわる新型戦艦、新型巡洋艦の設計をはじめる事となる。
 この計画の奇妙な所は、連邦軍の計画のはずなのに、なぜかティターンズ配備戦力という項目が存在する事だ。これは通常部隊とティターンズの差別化を測る狙いもあったのだろうが、新型艦でありティターンズの主力として量産が進められているアレキサンドリア級重巡洋艦と、バーミンガム級の改造型であるドゴス・ギア級戦艦をティターンズの専用艦としたいというのだろう。事実、アレキサンドリア級は第1次生産分8隻の調達が進められており、更に第2次生産分が各地の工廠で建造されている。そしてドゴス・ギア級戦艦も1番艦の船体が完成間近であり、さらに3隻の建造が進められているくらいだ。このドゴス・ギア級戦艦はすべて建造中のグリーンノア・Uの工廠で建造されている。
 そして、何よりもティターンズが他部隊との差別化を意識したとしか思えないものが、新型ガンダム開発計画、後にガンダムマークUと命名される高級量産機の開発計画である。連邦系技術のみを投入されて開発されるこのMSは、ティターンズの期待を一身に受けており、ファマス戦役で得られた技術を加える事でより高い完成度を持つ事になる。

 ただ、ようやく戻った平和のはずなのに、すでに新たな戦乱の兆しは漂い始めていた。再建の始まった各サイド群で続発する反連邦運動。それを力で押さえつけようとするティターンズと、それに追随する連邦軍。アクシズにはいまだ強大な戦力があり、ファマス戦役の影響を受けなかった地上のジオン残党は今だ活発に活動を続けている。いつ、何処で新たな戦争の火の手が上がってもおかしくは無い状況なのだ。
 この事態を収拾するべき連邦政府は今や、完全に3つの勢力に分かれようとしていた。ジャミトフを始めとする連邦軍強硬派に従い、スペースノイドへの圧力を強めようとする勢力。これに対抗するのがスペースノイド擁護派の議員達で、この構図は一年戦争前から不変に存在してきた形ではある。ただ、一年戦争前は曲がりなりにもバランスの取れた均衡を見せていた両者の立場は、今や前者の圧倒的優勢という歪んだ形を生み出していた。  
変わりに強硬派議員の行動を掣肘しているのが同じ連邦主流派でありながら、強硬派とは一線を画すリベラル系議員達である。倉田幸三やアルバート・クリステラ議員などを中心とするこの勢力は、地球連邦を中心として考えている点では強行派と同じなのだが、それを無理に力づくで推し進めようとはせず、飴と鞭を使い分けるべきだと主張しているのだ。つまり、軍事力による恫喝も必要なら取るのを辞さないが、何でも軍事力で片付けるべきではないと主張しているのだ。
 秋子やリビックはこのリベラル系議員と繋がっていた。そして宇宙軍を掌握し、ティターンズの勢力拡大を防ぐことにしている。その為、どうしてもティターンズとの軋轢を避けられない状態を生んでいる。

 この不安定な状態は一部の良識ある者達の努力でさまざまな危機を経ながらも、表向きには3年の間続き、地球圏には曲りなりにも平和な時間が流れていた。誰もがその時間を貴重なものだと実感し、それが少しでも長く続けば良いと思っている。だが、平和とは、ほんの一握りの愚か者の手で簡単に失われてしまう程に脆く、儚いものである事を、ごく一部の人々だけが知っていた。

そして、宇宙世紀0083年7月31日、ファマス戦役以降で最大の悲劇が起こるのである。

 

後書き
ジム改 遂にファマス編も終了。
栞   ううう、私は人生の敗北者じゃないです〜。
ジム改 これこれ、まだ続きはあるんだからそんな悲しげな声を出さないの。
栞   本当ですね。私にも甘いラブロマンスはあるんですね!?
ジム改 ・・・・・・・・・・さあ?
栞   このへッぽこ作者ぁ!
ジム改 へ、へっぽことまで言うかね、君は。
栞   良いですよ〜だ。次に話じゃ私がエースなんですから。
ジム改 ・・・・・・あゆと七瀬がいるが?
栞   私だってニュータイプです。大体なんでオールドタイプの七瀬さんが私より強いんですか!?
ジム改 カツ・コバヤシという例もあるし。
栞   私はあれと同格ですかぁ!
ジム改 いや、カツよりは強いけどね。
栞   それは喜んで良いんでしょうか?
ジム改 さあ、全ては本編で開かされる〜。
栞   ・・・・・・果てしなく不安です。

 

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