第四話  守る為の戦い


 

 開戦から半年が経過した現在、戦線は完全に膠着状態に陥っていた。5月にはジオンが各地で大規模な作戦を行っている。アフリカ北部制圧を目指したジャベリン作戦、中部アメリカのパナマ運が征圧を目的とした青作戦、中部ヨーロッパ制圧を目的とするニーベルング作戦がそれだが、これらは暫定的な成功を収めただけで終わっている。何故かと言えば広がりすぎた戦線を維持する為に十分な兵力をジオン軍が集中できなかった事と、連邦軍が戦い慣れてきたという事が原因だった。緒戦でこそMSに蹂躙された連邦軍だったが、数ヶ月たった現在では対MS戦術を身に付け、淘汰を経て生き残った優秀な指揮官たちが率いるようになっている。
 結果として戦線は膠着状態となり、ジオンと連邦は大きな動きを見せることなく小規模な戦いを延々と繰り返すだけとなったのである。
 だが、この戦いは各地に残る非戦闘員を巻き込んだ消耗戦の始まりでもあった。


 海鳴基地は極東方面唯一の大規模拠点として機能しており、生き残っている周辺基地に送られる補給物資の中継拠点でもある。その為にこの基地は元からあった4本の滑走路を整備するだけでなく、デブロック重爆撃機用の3000メートル滑走路2本を新たに造成し、格納庫や倉庫を建て並べている。また、連邦軍基地としては初めてとも言える本格的なMS用ハンガーも作られ、ガンタンクやザクの整備が行なわれている。小規模な工廠機能さえ有しているのだ。
 ここを制圧できれば極東に残る各地の基地は補給を経ち切られて干上がるということくらい士官学校出たての少尉でも分かる事だ。当然ながらジオン軍は中国最大の基地であり、ジオンの降下作戦で制圧されたタイユワン基地を拠点としてアジア地方の征圧を進めており、その矛先を日本地区へと向けていたのだ。
 その為の最前線となったのが東京基地なのだが、これはすなわち瀬戸内海沿岸にある海鳴基地との間にある街や都市を焦土と化してしまう事でもあった。


 秋子が進めているジオン勢力圏内の民間人の後方への移送計画は、結果だけを見るなら順調とはとても言えない状態であった。VTOL機能を持つミデア輸送機を大量投入して一度に多数の民間人を移動させるというこの計画であったが、いきなりミデア輸送機の数が足りないという問題に直目する事となった。秋子はこの作戦の為に50機のミデアを要求したのだが、ジャブロー本部はそれほど多数のミデアを一方面に割く事は出来ないと断わってきたのだ。実際にミデア輸送機は幾らあっても足りない状態だったのでジャブローの言っている事に嘘は無いのだが、民間人の移動などという些事に貴重なミデアを割けるかというのが本音であっただろう。
 この為に秋子は仕方なく最初から配備されていた5機に大陸から後退して来た13機を加え、それに一応送られてきた10機を加えて28機となったミデア輸送機の内、15機をこの任務に振り分けたのである。この決断は各地の基地に対する補給事情を圧迫する事となったがやむをえないと秋子は割り切った。
 だが、50機必要と判断した作戦を15機で行うという事は、すなわちピストン輸送を余儀なくされるという事であり、ミデア輸送機隊は少数の護衛を伴いながら敵地とも言えるエリアに向かって行ったのである。

 ジオンは東京周辺は制圧しているが、その勢力圏は関東地域という極狭い地域に限られていた。これは連邦の航空攻撃が頻繁に行われている為に制空権を確保できなかったせいだ。残念ながら日本の空は連邦の勢力圏である。
 だが、連邦も事情は似たようなものであった。確かに中国地方から南を完全に押さえてはいるのだが、いつ九州方面にジオン軍が上陸してくるか分からないので九州方面にも遊兵のような形で兵力を回している事から東京正面に展開させている兵力は必ずしも十分とは言えない状態なのだ。兵力だけならジオン軍の5倍に達しているが、MSという絶対のアドバンテージは5倍どころか10倍の兵力差を覆す事さえあるので、兵力差を安心材料とは出来ないのだ。
 唯この秋子の布陣は既に崩壊していた。東アジアを押さえたジオン軍が九州の佐世保に上陸し、九州西部を押さえてしまったのだ。こちらに十分な戦力を回せなかった連邦軍はまともな抵抗も出来ずにここの制圧を許してしまい、南北から挟まれる形となっている。


 ミデアの護衛をするのは足の長いフライマンタとセイバーフィッシュだが、流石に常に上空に張り付く事も出来ないのでこれもまた交代で上空に張り付く事になる。このために交代用の機体を常に確保するという問題があり、一度に投入出来る機数の少なさと、パイロットに過度の負担を要求する事となる。周辺基地には野戦飛行場を造成したものもあり、そこから飛び立つ航空隊が自然と主力とならざるを得ないが、これは配備されている機数の少なさもあって護衛の任を果たせるとは言い切れないのだ。

 秋子の目的はジオン軍を押し返す事ではなかったが、ジオンの勢力圏内に連邦の部隊がうろつくのをジオン軍が黙って見逃す訳が無い。この救出部隊はジオン空軍の襲撃にたえず晒される事となったのである。
 これによる損害は海鳴基地の司令部に暗い影を落とさせるに足る物であった。

「フライマンタ14機、セイバーフィッシュ6機、ミデア4機喪失、戦闘機パイロット12名戦死、・・・・・・輸送機に乗っていた民間人1300人死亡、ですか」

 これまでに行なわれた救出作戦における被害を纏めた報告書に目を通して軽い頭痛に襲われた。ジオン軍前線に対する攻撃や迎撃といった作戦と較べるなら被害は随分少ないが、ミデア輸送機4機という被害はかなり酷い。更に戦闘機パイロット12名を失ったという事も大きい。緒戦で熟練パイロットの大半を失ってしまった連邦軍は深刻なパイロット不足に苦しめられており、生産された機体も乗り手が無いという笑えない事態を招いている。現在急いでパイロットの養成を行っているが、それでもまだまだ数が足りないのだ。12名の損失を埋めるのはすぐには出来ないだろう。しかもその内の2人は宝石よりも貴重な開戦前から空軍で訓練を積み重ねてきた熟練パイロットである。その穴は新兵で埋められるので戦力の大幅ダウンは避けられないだろう。開戦とほとんど同じに訓練を開始した栞ですら今では出撃回数30以上を数え、2機の個人撃墜記録を持ち、海鳴基地航空隊の中ではベテランに分類されるようになっている。
 それよりも秋子の気を重くさせたのはミデアと運命を共にすることとなった民間人の死者の数である。輸送機の不足は1機に民間人をすし詰めにすることを現場に選択させたが、これがミデア1機あたりの損失に対して民間人の死傷者の増大に繋がったのだ。勿論全員が撃墜されたミデアに乗っていたわけではなく、ドップの銃撃に晒されたミデアの中で銃火を浴びた者も含まれている。
 ジオンは最前線以外での占領した地域の住民の生活を脅かす事はしていない。夜間の外出が制限されるくらいで、あとはこれといった制限を受けてはいない。これはジオン軍政府が寛容だったと言うよりも、これらの地域に兵力を置く余裕が無かったという事だろう。また、この寛容さにも占領軍の性格が良く現れており、ガルマ・ザビ大佐の統治下にある北米は指揮官個人の優れた資質に助けられてか極めて良好な統治が行なわれていたのに対し、マ・クベ大佐の統治するオデッサ周辺部は厳しい統治が行なわれ、住民のレジスタンス活動が絶えないという。


 一連の報告書を読み終えた秋子は嘆息して腕を枕にして机に突っ伏してしまった。地球全土でジオンの攻勢はなお続いており、連邦軍はただひたすら守りに徹していて反撃に出る余力は無い。
 東アジアでは唯一の拠点となっているこの海鳴基地も半ば孤立しており、海からの補給だけが頼みだ。それもハワイ基地を失った今では南米からはるばるやってくる輸送船と輸送機だけが頼りとなる。はっきり言って風前の灯火と言うべきだろう。
 その余りにも悪い状況に秋子は頭を痛めていたが、ここが落ちればインドで頑張っている南アジア方面軍とオーストラリア西部で頑張っている太平洋方面軍に対する補給路の片方が失われることを意味しているので、連邦軍も死守を命じてきている。まあその為か最新兵器が優先的に送られてくるというメリットはあったのだが、それでも苦しい事には変わりが無い。

「マイベックさん、前線の様子はどうです?」
「今の所はこれといった動きも無いですな。静かな物ですよ」
「それが納得できないんですよ。これだけ有利な状況にあるのに、どうして彼らは海鳴を落とそうとしないんでしょうか?」
「航空偵察では東京、佐世保のどちらにも兵力の増強は見られません。ただ、潜水艦が頻繁に出入りしているのが確認されています」

 ジオンは日本の海鳴基地を包囲するために東京だけではなく、佐世保にも新たな基地を建設して南北から海鳴基地を締め上げる手に出ていた。これに対して連邦軍も水瀬秋子大佐の指導の下、多数の戦車と地雷源、ロットシステムと自走砲による全周防御体制を堅持し、向かってくるジオン軍をひたすら追い返していたのだ。幸いにして相手はマゼラアタックばかりでザクはほとんど来ず、ドップの姿も無い。噂に聞く超大型空中母艦のガウもここには姿を現さなかった。恐らくジオン軍のアジアやオセアニアに展開する東部軍団はその戦力の大半を南アジア方面軍の撃滅に振り向けているのだろう。海鳴を落として後顧の憂いを断ちたいとは考えているだろうが、相手もそれほど余力があるわけでも無いのだろう。

「とにかく、警戒は怠らないで。せめてもう少しザクが有ればいいんだけど」
「鹵獲機はばらして部品取りにしないとやってられませんから。戦車が増派される事を期待しましょう」

 マイベックは肩を竦めて諦めたように言う。実際連邦軍も戦力建て直しに躍起になっており、61式戦車も何処でも数が足りていない。ここには連邦軍最初のMSと言えるガンタンクも配備されていることから優遇されていることは明らかだが、それでもやはり絶対数の不足はどうにもならなかった。
 ただ、秋子は1つの期待を賭けるに足る情報をジャブローから得ていた。RX計画と呼ばれる一連のMS開発計画、今海鳴にあるガンタンクに続く次世代MSの開発がジャブローで進み、RX−77、RX−78、RGM−79の開発ナンバーで呼ばれているMSの事だ。これが完成したら何機かテスト名目でこちらに回してもらえないだろうかと秋子は考えていた。

「まあ、その辺はまたレビル将軍にでもお願いしてみるわ。それより今は別の問題をどうにかしないと」
「難民、ですか」

 日本各地からジオンの手を逃れて連邦の勢力下に逃れて来た難民は多い。勿論それまでの住居から離れない者も多かったが、難民キャンプに逃れてきた者も多かったのである。それを受け入れていた海鳴基地はその負担に悲鳴を上げていたのである。数万人の難民が押し寄せれば食料だけでも莫大な物になるのだから。
 秋子は何とか後送してやりたかったのだが、安全に南米に送る方法も無い。まさか潜水艦で何万もの難民を運ぶ事も出来ないだろう。幸いにして海鳴周辺は荒廃していたとはいえAD世紀の建物が残っていた事もあり、彼らを住まわせる場所だけは困らずに済んでいるし、電力も核融合炉の登場で悩む必要は無い。だが水と食料だけはどうにもならず、秋子は少ない物資のやりくりに頭を痛めていた。

「可能ならこちらから打って出て、東京を取り戻したいところですね」
「それが可能なら、太平洋航路の安全が劇的に改善されますからね。船団で難民を送り出す事も出来ます」

 お互い出来もしないことを言い合って2人は苦笑を浮かべ、そして視線を壁に貼り付けられている地図へと向ける。そこにはハワイが攻略された後、ジオンの潜水艦が出没するようになった太平洋が描かれていて、洋上部隊が襲われた場所に×印が書かれている。その×印の多くは海鳴基地周辺に集中していた。敵はこの基地を狙うことで容易に輸送船を仕留めているのだ。
 だが連邦軍も手をこまねいているばかりではない。駆逐艦とドン・エスカルゴ対潜哨戒機を投入して周辺の潜水艦狩りを行い、何隻かのユーコンを撃沈する事に成功している。だが駆逐艦はジオンが投入し始めた水中用MSに食われることがあるので、対潜哨戒の主力はドン・エスカルゴが担っている。
 この対潜哨戒と水中部隊の戦いは今の所伯仲しており、どちらが優勢とは言えない状況にある。だが海鳴に届く物資の何割かを海没させているという点で海鳴が勝っていると言えるだろう。

「やはり、まずは航路の確保かしらね」
「同感です。補給が来ないと弾切れか飢え死にですから。ですが、よくジオンはこれだけの戦線を支えられますよね」
「宇宙から直接物資を投下しているようです。それを宇宙艦隊が妨害してくれれば大分楽になるんですが」
「ルナツーを守るだけで手一杯の宇宙艦隊には無理な話ですね。残念ですが、まだ戦力は回復していません」

 自分も緒戦では巡洋艦の艦長として幾度かの会戦に参加し、その大半に敗北してきた。その過程で膨大な数の艦艇が敗北で激減してしまい、開戦時の1割程度にまで減ってしまったのだ。アレから半年が経過したのだからルナツーやジャブローで艦艇の建造も進んでいる筈だが、どれだけ再建が進んだのかは秋子にも分からなかった。

「まあ、とりあえずは空軍の増強を要請しますか。ドン・エスカルゴとフライマンタを送って貰えれば暫くは大丈夫でしょうし」
「出来ればティン・コッドやセイバーフィッシュが欲しい所ですけどね」

 とりあえず空軍の増強を要請しよう、ということで話を終え、秋子は早速文書の作成に取り掛かった。ここに逃げてきた大勢の連邦市民を守るために、秋子はやれるだけの事はするつもりだったのだ。




 海鳴基地周辺を駆逐艦と敷設艦が動き回って機雷を敷設していた。これはそれまでの潜水艦だけではなく、水中用MSという存在が確認されたからだ。これが地中海で連邦艦隊に壊滅的な打撃を与えたことが報告され、各地の軍港周辺に機雷を敷設するよう命令が出されたのだ。
 これを受けて海鳴でも海軍が周辺海域に機雷を敷設していたのである。海鳴港周辺に3重の防潜堰を形成し、水中用MSの侵入を防ぐ事になったのだ。だがまだ堰は完成しておらず、現在頑張って形成中である。
 その作業を埠頭から見ていた香里は本当に間に合うのかねと心配そうに洋上の作業を見守っていた。

「機雷なんかで侵入を防げるのかしらね」
「お姉ちゃんは不安なんですか?」
「ザクくらいなら吹き飛ぶでしょうけど、機雷が有ると分かってる場所に来るならそれなりの装備を用意してくるでしょう?」
「でもそこまで考えてたらキリが無いよ。それに無いよりはあったほうが良いでしょ?」
「それはそうだけどね」

 隣で埠頭に腰掛けてカップアイスを美味しそうに口に運んでいる栞は姉の心配を考えすぎだと言うが、香里はそれでも心配そうな顔をしていた。本当に大丈夫なのだろうかと。
 そんな姉の心配など気にした様子も無く栞は2つ目のカップを手にして、そして姉にMSの方はどうかと聞いた。

「そういえばお姉ちゃん、MS隊の編成はどうなってます?」
「相変わらずザクとガンタンクよ。しかもザクの方はオリジナルの部品が無くなって、一部は変なのが付いてるわ。61式のシャーシにザクの上半身を乗せた作業車両も有るしね」
「あのガンタンクモドキですか、あれには笑っちゃいましたね」
「同感だわ。しかも61式のシャーシじゃ小さすぎてバランスも悪くて、工兵隊からは不評みたい。石橋整備長は落ち込んでたわ」
「整備班は頑張って改造してましたから。ですが、ちょっと無茶でしたよね」

 整備班はMS隊が鹵獲してきた撃破したザクの残骸から部品を取って自軍のザクを直していたのだが、その際に不要となったジャンクパーツを流用してガンタンクを真似た作業MSを完成させたのだ。だがいざ動かしてみると上半身が重過ぎて駄目だった。まあそれでも経験を積むという点では大きな意味があったのだが。
 その完成したザクタンクとでも言うべきガラクタは現在でも捨てられることは無く、湾後部に置かれて監視用として使われていたりする。

 なお、ジオン軍では同じ発想でより大型のマゼラアタックのベースを使用していた為、石橋作のような問題は起こらず様々な用途に各地で活躍していた。まあ戦闘に使えるような代物ではないのだが、あらゆる装備が慢性的に不足しているジオンではありがたく利用されていた。

 そして香里はもう一度視線を沖合いの敷設艦に向けると、栞の隣に腰を下ろして栞が持ち込んでいた3つ目のカップアイスを勝手に取って蓋を開けていた。

「あー、お姉ちゃんそれ私のです!?」
「良いじゃない、ケチケチしなくても。減る物じゃないんだし」
「減ります、減りますよ!」

 アイスを奪われた栞が姉に両手を振り回して抗議していたが、香里は涼しい顔でアイスを口にしていた。
 




 秋子が心配したとおり、この時佐世保基地にはジオンの兵力増強の動きがあった。ただ連邦に気取られないよう少しずつ進められていたので連邦の航空偵察では察知できなかったのだ。
 佐世保のMS格納庫には見慣れたMS−06Jなどの他に最近になってアジア戦線に姿を見せ始めたジオンの新型、MS−07AやYMS−07Bの姿もある。これは対MS戦を想定した格闘戦用MSであり、06Jとの戦闘データを元に開発された機体だ。これは連邦軍も遠からずMSを投入してくるというジオン上層部の判断から開発が進められた物であるが、敵にMSが来なければザクよりも使い難いMSでしかなく、主戦場である東南アジア戦線からは嫌われていたのだ。
 グフは地上戦に特化して開発されたMSゆえにザクを凌ぐ重装甲と高機動を併せ持っている。だから陸戦用MSとしては傑作と呼べるスペックを誇っていたが、その特殊な固定武装ゆえにパイロットを極端に選ぶ機体だったのだ。極論すればエース向きの機体だと言える。
 その為に汎用性が失われ、各地の戦線から嫌われてこんな所に送られていたのだ。まあ07系自体が最近になってキャリフォルニアベースでA型が生産開始されたばかりで、まだ運用法も確立していないのだが。
07Aは固定武装を持たず、単にザクの発展型でしかないのだが、YMS−07Bは右腕にヒートロッドを、左手は5連装75mmマシンガンになっている。だから07Aまで嫌われるのはおかしいのだが、まとめてグフと認識されるので一緒に嫌われたのだ。それに操縦系の癖はグフである。

 海鳴基地への侵攻準備を進めている佐世保基地が騒々しいのはいつもの事であったが、今日はいつもとは些か様子が違った。なにやらピリピリと張り詰めた空気が漂っていたのだ。
 一般の将兵や湾口作業員は1隻のユーコンをちらちらと横目で見やり、そして小声で何かを噂している。その潜水艦は色々と問題のある連中を運んできたのだ。それはジオン情報部の人間であった。明らかに正規軍ではない特務部隊と思われる兵士が潜水艦から降りてきて、なにやらさまざまな機材を港に運び出している。
 この部隊はジオン情報部のアヤウラ・イスタス中佐率いる龍と呼ばれる部隊で、これまでにも幾度かの作戦を成功させた優秀な部隊だ。今回も何らかの命令を受けて出動してきたのだろうが、それが何かを察する事は彼らには出来なかった。



 佐世保にやってきたアヤウラは基地指令に面会すると、本国からの命令書を突きつけていた。それに目を通した司令官が何とも不機嫌そうな顔でアヤウラを睨みつけているが、アヤウラは涼しい顔であった。

「ご覧の通りです。我々は本国から送られてきた試験装備の運用テストを兼ねた実戦を求めているのです」
「その為に、海鳴基地への攻撃を急げと言うのかね?」
「本国は一刻も早い結果を求めています。この戦争が膠着状態に陥っている以上、何処かで打破するきっかけが欲しいのですよ」
「その為に、この改造人間を使うと言うのかね?」
「改造人間ではなく、シェイドと呼んで頂きたいですな」

 胸を逸らせてそう言い切るアヤウラに司令官はますます不機嫌そう、いや、嫌悪の視線をぶつけてくる。元々気に入らない男であったが、まさか人体実験の産物を持ち込んでくるとは。
 司令官がこの男を気に入らない理由はそれだけで十分であったが、同時にもう1つの理由もあった。それはこの男が所属するジオン情報部はギレン・ザビ相当直属の部隊、つまりギレン派に属する人間だということだ。キシリア・ザビの側に属するこの司令官とはいうなれば身内の敵という事になる。
 実の所、ジオンの地球攻撃軍の総指揮は北米のガルマ・ザビ大佐がとっている。彼の指揮下にギレン、ドズル、キシリアの3人が保有する部隊から抽出された部隊が統合して出来たのが地上攻撃軍なのだ。ガルマ・ザビのカリスマ性と兄姉全員から好かれているという彼の存在は大きく、この寄せ集めの地上攻撃軍が3者の利害を超えて作戦行動できるのも彼という存在に3人が譲歩しているという点が大きい。ドズルはともかく、ギレンやキシリアさえもガルマには甘かったのだ。
 だからキシリアの指揮下の部隊にギレン配下のアヤウラ少佐が加わってくる事も出来る。だがそれも上の調整の結果であって、現場レベルでは相変わらず対立構造は続いていた。まあ露骨に勢力範囲を分割している宇宙よりはマシなのだが。
 このアジア戦線はキシリアとドズルの勢力がぶつかり合う地域で、東京のクルーゲ准将などはドズル派に属している。



 アヤウラは佐世保基地のビルの1つを徴用すると早速仕事に取り掛かった。彼がやる仕事は本国から命令された試験体のテストデータを取ること。キシリアはNT研究機関としてフラナガン機関を立ち上げ、ジオン・ダイクンが提唱したNTの本格的な研究を始めている。これに対抗するかのようにギレン・ザビも密かに進めていたシェイド・プロジェクトを加速させていたのだ。
 アヤウラは持ってきた資料からファイルを取り出して目を通し、そして詰まらなさそうにそれをデスクに放ると部下に肩を竦めて見せた。

「シェイド、NT、まるで映画の中の話だな大尉」
「同感でありますが、本当にこんな人間が存在するのですか?」
「訳の分からない化け物から抽出した因子を取り込むことで人間を進化させる、か。SFに出てくる改造人間だよ。基地司令ではないが、仕事でなければ私も関わりたくないね」

 シェイドのことをアヤウラも詳しく知っているわけではないが、彼は計画立ち上げの頃からこれに関わっている。だから主任研究者であったアーセン博士やその部下たちほどではないが、彼もシェイドに通じている。脱走したアーセン博士と2人の試験体を追撃したのも彼であったが、残念ながら振り切られてしまった。彼が脱走などしなければシェイド計画はもっと早く進んでいただろうに。
 そして今、アヤウラはここに試験体の1人を連れてやってきていた。海鳴基地で実戦を経験させ、その戦闘データを本国に送って量産型の開発に役立てるのだ。それに、開発中のシェイド専用MSの開発にもデータが必要である。

「だが、本当にデータ通りの性能が出るのですか、私には疑問です」
「私も半信半疑だが、私は一度生身の奴らと交戦したことがある。2度と御免だがな」
「どうなったのですか?」
「ああ、連れて行った小隊4つのうち送り込んだ3つは帰ってこなかった。私と共にいた最後の1つはその現場でそいつらの死体を確認したよ」
「……相手は、何人でした?」
「1人、たった1人の男だ」

 それを聞かされた大尉は顔色を変えていた。一体どうやったらそんなことが可能だというのだろうか。だがこの上司はジョークを言うような性格では無い以上、真実なのだろう。そしてそんな化け物が今自分たちと同じ建物の中に居ると思うと、ゾッとしてくる。
 そんな畏怖が顔に出ていたのだろう。アヤウラは冷笑を浮かべてこの部下に心配するなと伝えた。

「大丈夫だ、こちらから手を出さなければ、あれは何もしてこん」
「そうなのですか?」
「戦い向きの性格をしておらんのだ。普段はぼうっとしてのんびりとしている」
「なら、危険はないと?」
「ああ、危害は加えてこんさ。ただ、別が問題はあるんだがな」

 そう答えて、アヤウラは頭を抱えてしまった。それ以外に何があるんだと大尉は思ったが、それは翌日に明らかとなる。

 翌日、基地の主計課の担当官が龍の建物に血相を変えて押しかけてきた。兵士たちは何事かと思ったが、担当官は数字の並んだ書衣類を突きつけてどういうことか説明しろと抗議してきたのだ。それに目を通した士官はそれが理解できて困惑している。

「これはどういう事です、何処でこんなに食料を消費したと?」
「私が知るもんか、使ったのはそっちだろう。ここには知らされていた人数分の用意をして送る手筈だったが、要求されたのはそれを遥かに上回っている。人数が増えたのかね?!?」
「いえ、そんな事は無いはずですが」

 士官は困惑した顔になってアヤウラに連絡を取り、どういうことかを確認した。その連絡を受けたアヤウラは手続きのミスだと伝え、自ら謝罪に出向いていた。そしてその足で彼は今回のトラブルの原因の元に向かい、部屋の鍵を開けて中に入るなり思いっきり怒鳴った。

「貴様、あれほど食う量は抑えろと言っておいただろ!」
「うん、だからあんまり食べてないよ?」

 その部屋には10代後半と思われる少女がいる。その室内には銃を持った兵士が4人いたが、彼らは皆唖然とした顔で入ってきたアヤウラを見ていた。アヤウラはその兵士の1人を捕まえ、こいつは一体何をどれだけ食ったかと問い詰める。

「おい、こいつは何をどれだけ食った!?」
「それが、その、食パンを10斤くらいにボウルでサラダ、あとミルクを……」
「信じられません、一体何処に入ったんですか?」
「ああ、それは私にも聞くな。こいつらは皆おかしいんだよ」

 ありえない量の食料が1人の少女の腹に消えていくのを見た兵士たちは未だに我が目を疑っている。まあそうだろうとアヤウラも思う。少なくともこいつのこれは人類の範疇に納まる食事量ではない。アヤウラもこいつを維持するのに必要なのは食糧だと理解はしていたが、まともに使おうと思ったら部隊の兵站が破壊されてしまうことも理解していた。

「何でこんな小娘1人のために俺が苦労しなくちゃならんのだ」
「それは私を連れてきたからだね」
「俺が好きで連れて来たとでも思ってるのか!?」
「あんまり起こると体に悪いよ、そういう時はご飯でも食べるのが一番」
「お前を見ていれば食欲が失せるわ!」

 アヤウラが銃を持ち出して激怒しているが、少女は全く気にした様子もなく11斤目の食パンに手を出していた。この娘こそアヤウラが連れてきたジオンの切り札の1つ、シェイドの試験体である川名みさきであった。ちなみに大尉なのでアヤウラの部下たちの最高位の1人でもあったりする。 
 そう、アヤウラの仕事とは彼女の駆るザUJ型を海鳴の守備隊にぶつけることであった。



後書き

ジム改 みさき登場。
秋子  そういえば私たちは1年戦争で会っているんでしたね。
ジム改 昔に2人は敵として激突したことがあるのだよ。
秋子  よく生きてましたね、私たち。
ジム改 みさきの戦闘能力の特性の関係で、この頃はファマス編ほど化け物じみては居ないのだ。
秋子  程度の差であって、出鱈目に強いのは一緒でしょう?
ジム改 そりゃまあ、化け物レベルなのは一緒だけどね。
秋子  祐一さんは今頃宇宙でボールですか?
ジム改 いや、北川と一緒にセイバーフィッシュに乗ってるはずだよ。
秋子  じゃあ今呼び寄せても無駄ですか。
ジム改 いや、それ以前にまだルナツーに居ることも知らないでしょ。