インターミッションその1 病室の日々 

 北川とトルビアックが入院して、2日、トルビアックはようやく目を覚ました。
「・・・ここは、何処だ?」
 トルビアックは目の前に広がる白い壁に疑問を抱いた。たしか、俺の部屋はこんな天井じゃなかったはず。そう思って起き上がろうとして、左肩からの激痛に倒れてしまった。そして、その痛みで全てを思い出した。
「そうだ、俺は舞を止めようとして、それで舞に切りつけられたんだった」 
 そう呟いてトルビアックは横になったまま首だけ動かして周囲を見回した。どうやら病院のベッドの上らしく、広い部屋で清潔なシーツがかけられている。やがて、その視線の中に相部屋の同僚を見つけた。
「おい、北川、起きてるか?」
 しばらく待ってみたが返事がない。どうやらまだ目が覚めないらしい。仕方なくトルビアックは再び天井に目を向けた。こうやっていると、のんびり寝たのは随分久しぶりな気がする。
 そうやっていると、再び眠気が襲ってきて、トルビアックは眠気の誘うまま眠りについた。


 トルビアックが眠ってしばらくしてから、香里が部屋に入ってきた。続いてシアンに祐一、名雪、あゆ、舞、佐祐理とぞろぞろ入ってきた。お見舞いにきたのだが、2人が眠っているのを確認して落胆した。
「どうやら、まだ目が覚めないらしいな」 
 シアンがやれやれといった感じで呟く。他の6人も同じ気持ちらしく、ほとんど同時に頷いている。
「仕方ない、俺は栞を見舞ってくるが、お前達はどうする?」
「あ、俺は行きます」
「じゃあ私も」
「うん、ボクも行くよ」
「あははは〜、佐祐理もついていきますね」
「私はここで起きるのを待ってる」
「私もそうするわ」
 舞と香里が残ると言い、5人が部屋から出て行った。後に残された2人はそれぞれに椅子を持ってきて並んで壁際に座った。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
 なにやら、重い沈黙が流れる。まあ、無理もない。つい2日前に舞は香里を殺そうとしたのだ。香里は仕方ないと思っていたが、舞にしてみれば殺そうとした相手と一緒に座っているのだ。後ろめたいことこの上ない。
 やがて、沈黙に耐えかねた香里が口を開いた。
「ねえ」
「・・・何?」
「あなた、何で連邦に入ったの?」
 香里に聞かれて舞は少し考え込んだ。
「・・・特に考えてなかった」
「・・・あ、そうなの」
 これで話が途切れてしまう。再び2人の間に重い沈黙が降りた。
 その時、ようやくトルビアックが目を覚ました。
「ああ、よく寝た」
 さわやかに目覚めたトルビアックは窓から差し込む光に目を背ける。
「むう、もう昼くらいかな」
 そこまで言って、ようやくトルビアックは部屋にいる2人に気付いた。
「よう、2人とも、元気そうだな」
 トルビアックの挨拶に2人は答えなかった。呆然とこちらを見ている。トルビアックが不思議そうに2人を見ていると、舞が戸ベッドの傍まで来て土下座を始めた。
「な、何やってるんだ、舞!」
「・・・御免なさい、本当に御免なさい」
「あ、ああ、そのことか」
 トルビアックは舞が何を言いたいのかようやく理解できた。あの日、自分を切ってしまったことを舞は謝っているのだ。
「もういいさ、すんだことだ」
「でも、私の気がすまないから」
 舞は全く譲ろうとしない。トルビアックは香里に目で助けを求めたが、香里は肩をすくめるだけだった。それを見てトルビアックは舞のしたいようにさせることにした。


「・・・なあ、もういいから、頭を上げてくれって」
 トルビアックはもう懇願口調で舞いに頼み込んでいた。なんと、舞はあれから3時間の間、延々と土下座を続けていたのだ。その間、トルビアックが何を言っても舞は聞いてくれなかった。
 その時、扉の向こうから話し声が聞こえてきた。どうやら皆が帰ってきたらしい。
「おい、2人は起き、たか、な」
 入ってきたシアンはトルビアックに土下座をする舞を見て硬直した。
「どうしたんです少佐、早く入ってくださいよ」
 後ろから祐一たちが入ってくる。
「どうだ、目を覚ました・・・」
「どうしたの、祐一・・・」
「うぐっ、何があるの・・・」
「あははは〜、どうかしたん・・・」
「はう〜、お姉ちゃん、いますか・・・」
 入ってきた5人も続けて硬直していく。その様子を見てトルビアックは戦慄した。
「い、いや、これは、ち、違うんだ」
 トルビアックは慌てて弁明したが、6人は全く聞いていなかった。
「トルク、お前って奴は」
「トルクさん、やっぱり怒ってたんだね」
「うぐぅ、でも、舞さんも反省してるんだし、もう許してあげてよ」
「あははは〜、トルクさんて根に持つ人だったんですねぇ」
「こんな事させる人、嫌いです」
 5人が口々にトルビアックを非難する。それを聞いてトルビアックの絶叫が響いた
「俺は何もしていな―――い!!」
「じゃあ、これはどう説明するのかな?トルビアック君」
 トルビアックの絶叫に答える形で、冷ややかな声が聞こえてきた。そちらに視線を向けると、シアンが笑顔で微笑んでいた。
「し、し、シアン、少佐?」
「どういうことなのかな、トルビアック君」
 笑顔を崩さずにシアンが問い掛ける。しかし、トルビアックは気付いていた。シアンから漏れ出てくる殺気に。
「あ、あ、あ、あ・・・」
「・・・説明してくれないかな、トルビアック君」
 シアンが1歩1歩近付いて来る。トルビアックは動く事もできずに迫り来る恐怖に震えていた。だが、その恐怖は舞によってさあえぎられた。
「・・・違うの、トルクがやらせたんじゃなくて、私が自分でやったの」
「・・・そうなのか、舞?」
「・・・うん、お兄ちゃん」
・ ・・なんですか、お兄ちゃんというのは?
 トルビアックの頭に素朴な疑問が浮かび上がった。舞のお兄ちゃん発言にトルビアックの頭は一瞬真っ白になってしまった。だが、すぐに我に返ってシアンに聞き返そうとしたが、それより先に祐一たちが喋りかけてきた。
「いやあ、俺は信じてたぞ、トルク」
「そうだよね、トルクさんがそんな事させるわけないもんね」
「そうだよね、僕も信じてたよ」
「あははは〜、佐祐理も信じてましたよ〜」
「トルクさんって、やっぱりいい人ですね」
「・・・・・・」
 トルビアックは何も言わずに5人を見た。だが、誰1人として目を合わせる者はいなかった。誰もが額に大きな汗をかいている。
「お前らなーー!!」
 たまらずトルビアックが怒鳴りまくる。まあ、無理もない。冤罪着せられて軽蔑されたり、手のひら返すように信じられて誰が喜ぶというのだ。だが、シアンはトルビアックを見ずに舞と話していた。
「舞、それで、トルクは許してくれたのか?」
「・・・うん」
「そうか、良かったな、舞」
 そう言ってシアンは舞の頭をなでてやっていた。舞が嬉しそうにしている。それを見てトルビアックはもうどうでもいいような気がしてきた。
 舞から離れたシアンはトルビアックに頭を下げた。
「すまなかったな、トルク」
「な、何で隊長が謝るんですか?」
 初めてシアンに謝られたトルビアックとしては驚かざるをえない。
「妹が怪我をさせたんだ。謝るのは当然だろう」
「・・・妹?」
 シアンの言ったことをトルビアックが理解するのにたっぷり3分の時間を必要とした。そして、理解できたらら今度は驚愕が襲ってきた。
「ええええ―!!た、隊長が舞の兄貴―!!」
「・・・まあ、義理の、だがな」
 シアンがこめかみをぽりぽりと掻く。その向こうで舞が真っ赤になっていた。
「ぎ、義理の兄って、何でまた?」
「いや、話せば長くなるんでな。まあ、そう気にするな」
「どうやったら気にならなくなるってんです?」
 トルビアックに聞かれてシアンは答えられなかった。
 この騒ぎがうるさかったのか、北川がうめくように声をあげた。
「・・・なんだ、うるさいぞ」
「「「「「「「「「っ!!!」」」」」」」」」
 9人が驚いて北川の方を見る。北川が小さく目を開けてこちらを見ていた。
「よう、どうしたんだ、皆で」
 弱弱しいが、北川はこちらを見てはっきりと喋っている。それを聞いた8人が北川に駆け寄った。
「おい、北川、大丈夫か」
「北川君、目を覚ましたんだね」
「うぐぅ、心配したんだから〜」
「あははは〜、良かったですねえ」
「北川さん、良かったです」
「・・・もう、起きないかと思った」
「馬鹿やろう、心配させやがって」
「北川君、起きてくれて良かった」
 皆が口々に起きたことを祝ってくれている。そんな中で、北川は香里に視線を向けた。
「よう、美坂、どうやら無事だったみたいだな。良かった」
「・・・北川君のおかげよ」
 そう言って香里は目尻をぬぐった。嬉しさの余り泣いているのだ。それを見たシアンは他の6人の肩を叩いた。
「さてと、俺たちはそろそろ帰るとしようか」
 そう言ってシアンが6人に片目をつぶって見せる。それで皆も察したのか、一様に笑顔で頷いた。
「それじゃあ香里、北川の世話は頼んだぞ」
「・・・え?」
「自分を庇って怪我をしたんだ。介抱してやったっていいだろう。水瀬司令には俺から言っておくから」
 そう言ってシアンは頷いて見せた。最初は戸惑っていた香里だったが、やがて嬉しそうに頷いた。
「分かりました、シアンさん」
「おう、頑張れよ」
 そう言って部屋を出ようとしたが、ふと気になってトルビアックの方に目を向けた。そこではトルビアックがいじけていた。
「俺だって庇ってるんだけどなあ、俺には誰も介抱に来てくれないのかなあ」
 それを、シアンは見なかったことにして部屋を後にした。


 俺はトルビアック・アルハンブル。連邦軍でも指折りのエースで、黒い雷の異名で恐れられている。まあ、知っている奴は少ないが。そんなことより、今俺は負傷して病院のベッドの上にいる。まあ、戦士である以上、これは避けて通れないだろう。だが、俺はいま、世の不公平さに腹立たしい思いを味わっている。何故だ。連邦は誰もが平等に生きられる、民主国家ではなかったのか。何故世界はかくも不条理に満ちているのだ。
 そう、ここは病院だ。そこでは平等に治療を受ける権利があるはずだ。なのに何故、こうも不公平なのだ!?
 トルビアックが背中に黒い炎を燃え上がらせて理想論を心の中で叫んでいる。それには理由があった。丁度部屋の反対側、そこには北川が寝ており、同じように病院生活を余儀なくされている。まあ、それは別に問題はない。問題なのは、北川の傍で献身的な看護を続ける香里である。
「北川君、どこか痛いところとか、ある?」
「いや、痛くはないんだが、ずっと横になってると退屈で,少しベッドを上げてくれるかな」
「ええ、ちょっと待っててね」
 そう言って香里がベッドを操作する。すると、ベッドの上部が折れて、北川の上半身が30度ほどの角度であがった。
「すまない、美坂」
「いいのよ、気にしないで」
 そう言って香里は立ち上がった。隣に置いてある籠を両手で抱えるようにして持つ。
「それじゃあ、私は洗濯物を洗ってくるから」
「ああ、頼むよ」
「ふふふ、じゃあ、行ってくるわね」
 そう、香里は北川が目覚めて以来、ずっとこんな調子で北川の看病を続けているのだ。香里は責任があると言っているが、トルビアックには恋人同士にしか見えない。それを、最初は健気だなあ、と見ていたのだが、時がたつに連れてだんだんとむかつくようになってきて、今では憎悪していると言ってもいい状態になっている。
『何で北川ばっかり幸せになるんだ。俺に幸せは来ないのかあ―!』
 トルビアックがそんなことを考えているとも知らず、2人はほのぼのとした空気をかもし出していた。


 トルビアックと北川が目を覚まして5日、トルビアックは上半身を起して窓から外を眺められるほどに回復していた。
「ふう、風が気持ちいいなあ」
 グラナダの風だから人口の物だが、トルビアックにはそんなことは関係なかった。ただ気持ちよさそうに外を眺めている。もっとも、トルビアックは別に自然が好きだとか、そういう訳ではない。ただ、現実から逃げていたのだ。部屋の向こうでは北川と香里がますます親密になって語らっている。
「そうなんだ、相沢君がそんなことを」
 そう言って香里はくすくす笑っている。北川はそんな香里に嬉しそうに話を続けていた。
「ああ、それで相沢の奴、作戦前の宴会の時、俺に見せた芸をみんなの前で披露したんだ。止めろっていったのにな。おかげで皆さぶそうだったぜ。相沢は最後までやってたけどな」
「ふふふ、相沢君らしわね」
「ああ、あいつは変な奴だからな」
「あら、それは貴方もでしょう」
「おいおい、それはないだろう」
「ふふふふふ」
 北川が困った顔で香里に抗議するが、香里はおかしそうに笑うだけで答えない。北川もそんな香里を見て楽しそうに笑い出した。
「ははははは」 
「ふふふふふ」
「・・・・・・」
 幸せそうな2人の会話から逃げようとしていたトルビアックだったが、気持ちいい風も、天井からのまぶしい光も彼を現実から遠ざけてはくれなかった。
『このバカップルがあ!』
 もはや、止めようのない怒りに胸のうちを焼かれるような思いを味わいながら、トルビアックは眼下に広がる公園を眺めていた。そこには多くの人が歩いていたが、そこに1人、見慣れた男を見つけた。
『おや、あれは隊長じゃないか』
 シアンが1人でベンチに座っている。それを見てシアンはなんだか嬉しくなった。
『そうだった、隊長も彼女はいなかったんだよな』
 そう、シアンは今まで女性とは縁のない人生を歩んでいた。そんなシアンにトルビアックは例えようもない近親感を抱いた。だが、次の瞬間、その気持ちは粉みじんと砕け散った。
 トルビアックが見ていることも知らず、シアンはベンチに腰掛けていた。シアンは知らなかったが、この公園は有名なデートの待ち合わせスポットなのだ。まして、シアンはデートに来ているわけではない。少なくとも、彼はそう思っていない。
『一体、どうやって俺の配属先を調べたんだ?』
 シアンは送られてきた手紙に際止めを通した。そこには、こう書かれていた。
<11月28日、午前11時にグラナダ記念公園の広場のベンチに来てください。
天沢郁美>
 読み返した手紙を懐にしまう。そして、時計を確認した。時計は10時50分を示している。
「そろそろ、かな」
 そう呟いて周囲を見渡す。だが、それらしい人物は何処にもいなかった。
「・・・まあ、まだ時間じゃないしな」
「いいえ、もう時間ですよ」
 後ろから突然声をかけられた。驚いて振り返るとそこに郁美が立っていた。
「しょ、少尉、いつの間に」
「あれ、気付かなかったんですか?」
 シアンの取り乱した様子に郁美はおかしそうに口元を隠しながら答えた。シアンはバツが悪そうにせきをすると、改めて郁美を見直す。
「それで、何のようかな。俺をこんな手紙で呼び出したりして」
「少佐、いつの間にか俺になってますよ」
「あの時は仕事中だったからな。普段はこうだよ」
「そうなんですか、良かった」
 郁美が嬉しそうに微笑む。それを見てシアンは困惑顔になった。
「何が嬉しいのかな?」
「・・・少佐、もしかして鈍い」
 郁美は少し寂しそうに言う。言われたシアンはうっと唸って少し引いた。自分でもそう思うだけに反論できなかったのだ。シアンの反応を肯定と受け取った郁美は小さく溜息を吐くとまた笑顔に戻った。
「まあ、いいです。それより、そろそろ行きましょうか」
「・・・何処に?」
「食事にです。何の為にこんな時間に誘ったと思ってるんです」
「・・・なんで?」
「・・・はあ、ルナツーで助けてくれたお返しです!」
 少しきつめに郁美が言う。それを聞いてようやく分かったのかシアンが大きく頷いた。
「ああ、そういうことか。しかし、そんなことで恩に着なくてもいいのに」
 シアンが少し真面目に言う。それを聞いて今度こそ郁美は深いため気をついた。
「もういいから、行きましょう!」
「いや、まあ、そんなに気を使わせては・・・」
「私がいいと言ってるんだから、いいでしょう!」
「・・まあ、君がいいって言うんなら、私はかまわないが」
「それじゃ、行きましょう」
 そう言ってシアンの隣に並んで歩き始めた。シアンはまだ頭に?が浮かんでいたが、郁美は嬉しそうだった。
 それを見たトルビアックは両手を握り締めていた。
『た、た、隊長の裏切り者お〜』
 ここからではさすがに会話は聞こえない。聞こえていれば少しは違っただろうが、トルビアックからはシアンがデートに行ったとしか思えなかった。この日、シアンは午後4時頃に見舞いにきたのだが、なぜかトルビアックの憎悪の視線が北川たちだけでなく、自分にも向けられているような気がして首をひねっていた。あの一件以来、香里を1人で外出させるのは危険だと判断したシアンが皆と相談し、行きは大丈夫だろうが、暗くなる帰りは危ないということでシアンが毎日迎えにきていたのだ。だが、どうして自分がトルビアックに睨まれねばならないのか。まさか、トルビアックがシアンがデートをしていたと考えているとは思わず(本人もデートだと思っていない)、心当たりがないので首を捻るしかなかった。


 こうして、トルビアックの苦悩(嫉妬?)は2人がカノンの医務室に移されるまで続き、その怒りは笑って済まされるようなものではなかった。この後、トルビアックは舞に熱烈なアタックをかけるようになるが、その原因の一旦はここにあったのかもしれない。



後書き
ジム改  えー、インターミッションではカノン隊メンバーの平和な日常を描いていきたいと思います。たまにはこうい   
      う趣向もいいでしょう。
トルク  ちょっと待てえ――!!
ジム改  なんだ、トルク君?
トルク  何だあの扱いは、これは俺の不幸日記か!?
ジム改  ・・・そういう意見もあるな。
トルク  あるな、じゃねええええ!!
ジム改  まあまあ、きっといつかいい事も有るさ。
トルク  うがああああ、やり直しを要求する!
ジム改  無理だって