第100章 選んではいけない選択肢


 

 その夜は月と星空が美しい夜だった。ラバウル基地に停泊しいているアークエンジェルでは第8任務部隊結成祝賀会と称した飲み会が開かれており、飛び入り参加でアズラエルまでが加わってとんでもない状態になっている。

「さあ皆さん、今日は存分に楽しみましょう。酒は山ほどありますよ!」
「おおおおおおおおおお!」

 アズラエルの掛け声にクルー達が歓呼の声を上げ、テーブルの上に置かれている高価な酒の封を切っていく。だが、これはまだ始まりに過ぎなかった。事態は物凄い速さで悪化していったのだから。



「だからなサイ、俺はだなあ」
「やばい、トールの奴、飲まれてる」
「ええ、椅子に向って話しかけてるわ」

 何やらパイプ椅子に向って延々と苦労話を続けているトールを見てサイとミリアリアが困った顔になっている。だが、奇行はそれだけではなかった。

「ねえ艦長、キース大尉は本当は誰か別に好きな人が居るんじゃないれしょうか。だから私の気持ちに何時まれたっても気付いてくれないんじゃないれしょうか?」
「だ、大丈夫よナタル、そんな事無いわよ」
「いいえ、絶対にそうれす。やっぱり私みたいに堅物れ面白みの無い女なんか相手にされて無いんれす!」
「そ、そうかしら。ナタルって美人だし、スタイルも良いし」
「それを言うなら艦長の方がスタイル良いじゃないれすか」

 いつもならさっさと酔い潰れているはずのナタルなのだが、アズラエルが持ち込んだ酒はいずれも一級品ばかりであり、ナタルでも気持ちよく酔えるような代物だったのだ。それを飲んだナタルは確かに安物ビールを飲んだときのように直ぐに回って寝てしまうような事は無かったのだが、代わりにマリューに延々と愚痴を漏らしていた。

 その向こうでは説教上戸らしいアルフレットがクロトとシャニを前に延々と説教を垂れていた。2人が何故文句を言って逃げないかというと、その隣に頭に一升瓶の底を頭に乗せたオルガが無様に転がっているからであった。どうも酒が入って手加減できなくなっているらしい。

「良いかお前ら、軍隊って所はだなあ、上役の言う事に逆らってちゃやってけねえんだよ。そこんとこ分かってるかあ?」

 アルフレットの問いに無言でコクコクと頷いているシャニとクロト。あの2人が神妙な顔で頷いているのだから、隣にある人柱の効果は絶大であった。
 そんな親父の説教地獄に、キースがいきなり割り込んできてシャニに音楽データのディスクを課してくれと頼んできた。

「シャニ、お前が何時も聞いてる音楽データ、借りれるか?」
「はぁ、何すんだよ?」
「BGMが欲しいってみんなが言うからさ、お前の貸してくれ」
「……まあ良いけど」

 シャニはしぶしぶという感じでポケットからいつも使っている再生機を取り出すとキースに手渡した。それを受け取ったキースは例を言ってマードックの元まで歩いて行き、再生機を渡した。それを受け取ったマードックは早速格納庫に急遽取り付けられた放送システムに繋いで再生をかけた。


“あにきぃ……もうっ……だめだあ……”



 突如として格納庫内に響き渡ったあやしすぎるBGMに、大勢がその場でずっこけた。キースが放送システムを慌てて停止させてどうにかそのBGMは止んだが、格納庫の中には恐ろしいまでの静寂が訪れている。その静寂の中で、キースの問い掛けは妙にはっきりと響き渡った。

「シャニ、これは一体なんだ?」
「超兄貴だけど」
「いや、タイトルはどうでも良いんだが、何でこんな物が入ってるんだ?」
「オーブで特売してたからまとめて買ってきただけだよ」

 どうやらシャニはオーブで適当に曲を買い漁ってきていたらしいが、何でその中にこんな代物が混じっているのだ。キースは何だか酷く疲れた表情で再生機を取り外すと、シャニにそれを返した。流石にあれを聞く気にはなれない。
 しかし、整備兵の何人かが個人的にそれを貸して欲しいと願い出ており、中にはあれが気にいった者も居るようだ。




 宴会が行われているその頃、艦橋では1人ノイマンが端末を操作して艦の補修状況をチェックしていた。

「まあ、大体は直ってるか。折角カリフォルニアで直したのに、また壊されるとは思わなかったなあ」

 思えばヘリオポリス以来、ここまでずっと戦い続けてきた。まだ新米将校でしかなかった自分が今ではアークエンジェルの副長のような立場となり、こうして艦長が不在の間、最新鋭戦艦の留守を任されているのだ。これが出世で無ければなんだというのだろう。
 そんなノイマンの所に、ドックの作業員がボードを手にやってきた。

「ノイマン中尉、これから左舷第2兵員室横の修復に入ります」
「ああ、頼んだぞ」

 作業員の方を見ずに返事だけ返すノイマン。そんなノイマンに、作業員が気遣うような声をかけた。

「あ、あの、中尉?」
「なんだ?」
「やっぱり、行きたかったんですか、結成式の宴会」
「馬鹿な事を言うな。俺がこうしてここに居るから他の連中が安心して楽しむ事が出来るんだぞ」
「はっ、申し訳ありません」

 ノイマンの強い反論に作業員が慌てて敬礼して謝るが、ノイマンは何故か肩をプルプルと振るわせだした。

「そうだ、みんな楽しんでいるんだ。ふ、ふふふふふふ……」
「あ、あの、ノイマン中尉?」

 なんだか妙に黒いオーラを発しているノイマンに、作業員はちょっと引いてしまっていた。




 何故か宴会の雑務全般を押し付けられているキースはやっと一息付ける暇を得られて、やれやれと手近な椅子に腰を降ろしていた。どうもこの男、周囲から完全に便利屋と認識されているようで、何かにつけては厄介事を持ち込まれたり、面倒な仕事を押し付けられたりしている。それを毎回毎回文句言いながらもこなせてしまうから余計に周りが頼ってしまうという悪循環に陥っているのだが、それが改善される希望は無かった。
 手近にあったワインの入ったグラスを取ってそれにちびちびと口を付けていると、ビール瓶を手にしたフラガがすこし赤い顔でキースの隣にやってきて、壁に左腕を当てて軽く体重を預ける姿勢で話しかけてきた。

「よおキース、お仕事ご苦労さん」
「そう思うなら手伝ってくださいよ」
「準備は手伝ってたでしょ」
「はいはい。で、艦長は放っておいて良いんですか?」
「それがさあ、なんか最近のラミアス艦長って俺に愛想良くしてくれないんだよな。ひょっとして俺、飽きられたかな?」

 フラガが指差す先を見れば、珍しくまだ起きている酔っ払ったナタルに愚痴られながら絡まれているマリューの姿がある。ナタルにマリューが圧倒されているという珍しい光景にキースが目を丸くしていると、フラガがキースに文句を言ってきた。

「ところでキース、なんだか料理が足りなくなって来たぞ。追加は無いのか?」
「ああ、それじゃ厨房のほうに追加オーダー出しますかね」

 言われて気付いたキースは内線を取ると厨房に繋いだ。

「ああ、格納庫だけど、料理の追加持って来てくれ」
「分かった」
「…………あれ、ステラ?」
「今から持ってく」

 何故かモニターに映ったのはステラであった。何故にステラが厨房に居るのだと考えていると、エレベーターが付いた音がして扉が開き、そこからガラガラと音を立てて料理を満載したサービスワゴンを押したステラがやってきた。

「おお、速かったなステラ……」

 出てきたステラに労いの言葉をかけようとして、そのままキースは固まってしまった。同じくステラの姿を見たフラガも絶句している。その驚きはたちまち周囲へと波及していき、何故かみんなが自分を見て口をあんぐりと開けて固まってしまったのを見たステラは首を傾げていた。

「どうかした、ムウ? ステラ、何か変?」
「あ……いや、変と言うか、その、何故にメイド?」

 そう、ステラは何故かメイド服を着ていたのだ。フラガに突っ込まれたステラは自分でスカートを軽く摘んで、クルリとその場で回って見せた。

「オーブのお姉さんに頼んだらお古をくれたの。丁度サイズが合った」
「お、オーブのお姉さん?」
「ああ、どっかで見た事がると思ったらそれ、フレイの家にいたメイドさんの服と同じ服だな。確か、ソアラさんとかいったか」
「そう、頼んだらくれた」

 そんな物貰ってたのかよとキースは突っ込みを入れたかったが、本人が大層御満悦なので、どうにも突っ込むのが悪いような気がしてしまい、何も言えなくなってしまった。
 だがステラはフラガが何も言ってくれないのが不満なのか、この恰好は不味かったのかと聞いてきた。

「ムウ、ステラの恰好、変?」
「あ――、いや、変とかじゃなくて……」

 似合ってはいるので変ではないのだが、何と言ったら良いのかと悩んでいると、フラガの隣に滑り込むようにして現れたサイとトール満面の笑顔でステラを褒めだした。

「いやいや、よく似合ってるよステラ」
「そうだって、変なんて思ってる奴は居ないって」

 サイとトールの言葉に格納庫の男どもが真面目にウンウンと頷いている。アークエンジェルが出航以来、ここまで艦のクルーの意思が1つとなったのは初めての事ではなかろうか。
 みんなにOKを出されたステラは料理を手に取ると、フラガにそれを差し出してきた。

「はいムウ」
「ああ、サンキュ」
「ステラが作ってみたんだ」
「へえ、ステラがね」

 ステラって料理が出来たんだと感心しながら差し出された皿に乗っている、なんだか見た事のない料理をフォークで口に運んだフラガは脳天を突き抜ける衝撃に一瞬意識を持っていかれ、必死にその意識を取り戻して右手で額を押さえた。

「こ、こいつは、艦長の料理と同じ……」

 信じがたいことだが、ステラが作ったという料理はマリューが良くフラガに食べさせている手料理と同じ味付けであった。一体どうやったらあの料理を再現できるのかと思いながらフラガがそれを問い掛けると、ステラは艦長に料理を教えてもらったと答える。
 この答えが意味する事の重大さに、フラガとキースは顔色を変えてしまった。つまりステラは教えてもらった料理を正確に再現する才能を持っているという事だ。それはとてもすごい事なのだが、何でよりにもよって艦長の料理を再現してくれるかねと思わずにいられない。

「なあキース、ステラなんだが、やっぱり一度ナタルに預けないか?」
「そ、そうですね。それが良い気がしてきた」

 マッドクッキングが増えるのはもう沢山なので、ナタルに預けてまともな料理スキルを身に付けてもらおうと2人は真剣に話し合っていた。何しろ被害を受けるのは自分たちなのだから。

「でも、何で艦長に教わったの?」
「ムウが何時も艦長の料理を食べてたから、ムウはこういうのが好きだと思った」
「……ああ、そうだったのか」

 別に好きで食べていたわけではないのだが、ステラはあれが自分の好きな味だと誤解していたらしい。フラガは自分の日頃の行いが如何に間違っていたのかを思い知らされ、深々と反省する羽目になっていた。

「ああ、いや、ありがとうなステラ」
「うん!」

 とりあえず自分の好みの料理を作ろうと頑張ってくれた女の子を貶す気にはなれず、フラガはステラの頭をなでなでしていた。
 しかし、その直後に突然背後に猛烈な殺気が生じ、驚いたフラガが振り返ると、そこにはなんだか体を小刻みに震わせているマリューがいた。

「フ・ラ・ガ・少佐〜〜」
「な、何、どうしたの艦長!?」

 何故怒ってるのか訳が分からないフラガ。だが周囲のクルーはマリューが嫉妬に狂っている事を見抜いていた。これまでもマリューはフラガがステラと一緒に居ると嫉妬の炎を燃やしていたのだから。

「ま、不味いぞ!」
「流血の惨事になる前に止めろ!」

 チャンドラとパルが周囲に静止を呼びかけるがそれより速くマリューは動いてしまった。フラガを押しのけてステラの頭を抱え込んでしまったのだ。

「ああもう我慢できない。何時も何時もフラガ少佐ばっかり独り占めして!」
「…………はい?」

 状況が把握できずにホケッとしているステラを抱きかかえたマリューがフラガに激しい抗議をぶつけてくる。突然の事態に頭が付いていけなかったらしいフラガはパニックを起こしかけていたが隣で聞いていたサイとトールは状況を正確に掴んでいた。

「まさか、艦長が何時も2人を見て嫉妬してたのって」
「ステラがフラガ少佐に懐いてたか羨ましかったのか?」

 かあいいかあいいとステラを愛でるマリュー。マリューに抱きかかえられてしまったステラは困り果てた顔でアウルとスティングに助けを求めていたが、2人とも何故か聞こえない振りをして黙りこくって黙々と料理を食べ続けている。それを見たステラは何とかならないかと無い知恵絞って必死に考えて、オーブでマユに教えてもらった台詞を思い出した。シンはこう呼ばれると喜ぶらしいという、あの台詞を。

「助けて、お兄ちゃん」

 お兄ちゃんと呼ばれたアウルとスティングは食べていた料理をブホッと噴出して激しく咽かえってしまった。他の連中も激しいショックを受けたようで、なんだかブツブツ言い出す奴や苦悩してる奴など、なんだか知られてはいけない危険な何かが表沙汰になっている。他にもボーマンが「良い……」などと呟いてセランにぶん殴られていたり、反応してしまったトールがミリアリアに激しく詰問されていたりと、もうどうにもならない混沌状態になってしまった。

 この混沌とした状況下で1人冷めた様子でいるマードックは、どうしたもんかとキースに話しかけた。

「大尉、どうにかなりやせんか?」
「どうにかって言われてもな。フラガ少佐はあれだし」

 顎をしゃくって一点を指し示すと、そこには何故かフラガが椅子に腰掛け、頭を垂れて真っ白に燃え尽きてしまっていた。




 この後十分ほどして、ようやく仕事が終わったサザーランドがアークエンジェルを訪れていた。アズラエルに誘われてはいたのだが、仕事が忙しくてこれまでこれなかったのだ。だが格納庫の中に入ってみると既に片づけが始まっており、宴会が終わった事が伺える。

「もう終わってしまたのか」

 残念そうに呟くサザーランドに気付いたのか、キースがワインのボトルを掴んで掲げて声をかけた。

「どうぞ大佐。まだ食べ物や飲み物はありますよ」
「ふむ、そうだな、折角来たのだし、御相伴にあずかろうか」

 サザーランドはキースの元まで行くと、キースがグラスに注いでくれたワインを口にし、したの上で暫く転がしてそれを味わっていた。

「これは良い。かなりの品だな」
「アズラエル持参のワインですから」
「しかし、随分と早く終わったのだな。まだやっていると思っていたのだが」

 もう終わってるとは思わなかったサザーランドが格納庫の中を見回して、その中に1人真っ白に燃え尽きているフラガを見て驚いていた。

「ど、どうしたのだ彼は?」
「いや、まあ、色々合ったんですよ、色々」

 何故か話を逸らそうとするキース。その様子のおかしさに、サザーランドはそれ以上の追及を避けた。世の中には知らない方が良いこともあるという事を、彼は知っていたのだ。



「何があったんだ、一体?」

 夜の闇の中、艦橋から伺える露天甲板には何故か沢山のクルー達が膝を抱えて座っていたり頭を抱えて蹲っていた。






 アークエンジェルがオーブを去った2日後、キラは病院を退院する事が出来た。元々倒れた原因はカガリたちの暴行ではなく過労だったので、病院で数日ぐっすり休めば、後は自宅で数日休養を取れば回復する程度の物だった。ただ軍務への復帰には病院側の許可が必要なので、キラはまだ暫くオーブに留まる事になりそうだった。出国手続きも何故かさっぱり進んでいない。
 病室を出たキラは両親と共に久々の我が家へと戻り、フレイやカガリ、カズィも招いて帰国祝いをやっていた。本当に久しぶりの家族との会話を楽しみ、これまでの苦労話や今までどこで何をしていたのかなどを話しあったりして、楽しい時間を過ごしていた。
 だが、夜も更けてきたという事もあり、フレイとカガリとカズィは家に帰る事になった。それでキラがフレイを送ってくると言って薄暗くなった夜道をフレイの屋敷へと歩いて行く。カガリとカズィは何故かニヤニヤ笑いを浮かべて同行を拒否していた。

「そうなんだ、ラクスが」
「うん、僕にフリーダムを託して、オーブに届けて欲しいって。でも、ラクスは僕に何か別の事を手伝わせたかったみたいだった」

 フレイの屋敷までの道中、キラは両親には語っていなかった事をフレイに話していた。ラクスとマルキオ導師という人が自分をSEEDを持つ者と呼んだ事、2人はこの戦争を自分達なりのやり方で終わらせたいと考えているらしい事を語っている。

「ねえフレイ、僕は正しかったのかな?」
「何が?」
「ラクスの誘いを断わってオーブに来た事だよ。あの時、僕はラクスに協力した方が良かったのかな?」

 ラクスは何故か自分を最初から味方だと考えていたようだった。それにSEEDという言葉が関わっているのは分かるのだが、それが何なのかが分からない。まあ、今更悩んでも仕方の無いことであるし、キラも特に悩んでいるような事ではないのだが。
 そんな事を話し合っていると、道路の屋敷側の方からソアラがやってくるのが見えた。どうやら連絡を受けて迎えに来ていたらしい。ソアラの姿を見たフレイはキラにここまで良いと言った。

「ありがと、後はソアラが居るから良いわ」
「でも、危ないよ?」
「大丈夫よ、ソアラは物凄く強いんだから」

 心配するキラに、フレイはおかしそうに笑って、明日は一緒にオーブのMSの訓練を見て欲しいといってソアラの方に小走りで行ってしまった。フレイを出迎えたソアラはキラに小さく頭を下げ、フレイと共に屋敷のほうへと歩いて行く。
 それを見送ったキラも家に戻ろうと来た道を引き返したのだが、その道中で何故かカガリとカズィにばったりと出会っていた。

「あれ、どうしたのカガリ。カズィまで?」
「いや、お前を待ってたんだよ」
「僕を?」

 何の用なのだろうかと思ったとき、いきなりカズィに何かのスプレーのような物を吹き付けられてしまった。それに抗議する間も無く急に眠気に襲われ、膝が折れて地面に付く。

「な、何を……」
「悪いねキラ。でも、僕たちにはどうしても君が必要なんだよ」
「ああ、すまないけど、協力してもらうぞ」
「協力って……」

 どうやら催眠ガスだったようだ。キラは薄れ行く意識の中で、2人の顔が邪悪に歪んでいるのを確かに見ていた。

 このあと、ヤマト家にはカガリから直接キラは今日はこっちに泊まるからという突然の報せがあり、両親を困惑させる事態が起きていた。




 翌朝、まどろみの中からキラがようやく意識を手繰り寄せて目を覚ました。何やら見た事も無い豪華なベッドに横になっていたようだ。そこは見た事も無い部屋で、なんだか無駄に豪華なつくりをしている。

「ここは、何処だろう?」

 ぼんやりする頭で窓から外を見て、やはり見慣れない景色だと呟いて室内に視線を戻して、ふと鏡に目をやったキラはそこで凍りついたように動きを止めてしまった。鏡の中に映っている自分の姿を見て驚愕の余り固まってしまったのだ。

「な、なな……なんでカガリなんだ――!?」

 そう、鏡の中に居たのはカガリであった。まさか、そんな馬鹿なと思ってズボンの中を見て、とりあえず寝てる間に性転換されたとかではないことを確かめて安堵の息を漏らす。そして何がどうなっているのかと混乱した頭で考えていると、いきなり扉が開いて何故か自分とカズィが部屋に入ってきた。

「よお、起きたかキラ!」
「おはよう、キラ」
「カ、カ、カズィ、これは一体どういう事。何で僕が2人も居るのさ!?」

 当然といえば当然過ぎる疑問。そういえばさっきから自分の声までカガリになっている事にもようやく気付いた。何がどうなっているのかと混乱しまくっていると、カズィが落ち着くように言って事情を説明してくれた。

「キラ、これには深い訳が有るんだ。ああ、目の前に居るキラの恰好をしてるのはカガリだから」
「な、何がどうしてこんな事を!?」
「実はねキラ。僕は今、とても困ってるんだ」
「困っている?」

 カズィが困るとどうして自分がカガリにされるのだとキラがボケた頭で考えてしまう。だが、カズィから帰ってきた答えはキラの考えから数光年は離れた物であった。

「実はね、僕が今企画している特撮映画、カガリVSスーパーメカカガリのヒロインが未定なんだよ。前作じゃマユちゃんって女の子にやってもらったんだけど、あの娘乗り物酔いするんだ。スーパーメカカガリは今モルゲンレーテで作ってるんだけど、なんと今度は飛行機形態に変形可能というとんでもない代物だから、マユちゃんじゃ乗れないんだよね」
「……ま、まさかカズィ、冗談だよね?」
「キラ、冗談でここまですると思うかい?」

 掠れるようなキラの問いに、カズィは悠然とした態度で答えてくれた。

「次回作のヒロインは君だよ、キラ。まさかここまで女装が似合うとは思わなかった。カガリの見立ては正しかったよ」
「カ、カガリ、君が僕を売ったのか!?」
「いやあ、前から似合うんじゃないかなーと思ってさ。一度見たかったんだよな。ついでに私も一度お忍びで部下の仕事を見たかったし。それでまあ、カズィの話しに乗った訳だ」
「何でそうなるのさ!?」

 何が楽しくて特撮映画のヒロインをやらされなくてはいかんのだ。美少女が必要ならフレイにでも声をかければいいではないか。そう抗議すると、カズィは遠い目をして窓の外を見た。

「キラ、あのフレイにそんな事頼んだら、僕が明日の太陽を拝めると思うかい?」
「そ、それは……」
「まあ、キラを主役にすればフレイもOKかもしれないけどね。フレイってあれで結構一途な所があるから」
「うっ」

 カズィの反撃にキラが顔を赤くして勢いを無くした。それを見たカガリとカズィの眼がギラリと光る。キラは押しが弱いので、一度勢いを失くせば畳み込むのは簡単なのだ。

「まあ諦めろってキラ。大丈夫、誰もお前だとは分からないって。何しろ世界的な特殊メイク技術者に頼んで完璧に仕上げてもらったからな」
「しかもそれ、特殊な顔料を使っていて、専用の薬品でないと落ちないんだよ。だから今日はカガリのままで居て貰うしか無いんだ。大丈夫、今日の午後には届くから」
「そ、そんな、事情を話せば良いじゃないか」
「それは駄目だキラ。もしばれたら、私がキサカにこってり絞られる」

 自分の保身が理由かよとキラが声を上げても、2人は聞いてくれそうも無かった。まったく、何考えているのか。そもそもカガリそっくりにするのなら、最初からカガリを乗せれば良いのに。そう文句を言うと、2人は首を左右に振ってキラの問いを否定している。

「いや、必要な時はちゃんと別の顔にするよ。今回は女装が似合うかどうか試しただけなんだ」
「まったく、我が弟ながらここまで似合うとは思わなかったぜ。やっぱり元が良いと違うもんだな」
「カガリ、それ間接的に自分が美人だって言いたいの?」
「やかましい!」

 弟の愚かな突っ込みに教育的指導を行ったカガリは、それじゃあまあ、後は頼むと言ってキラに今日の予定表のようなものを手渡してきた。

「な、何これ?」
「今日の私の予定だ。まあ大体こんな感じだから、適当にやっといてくれ」
「適当にって、僕に軍の仕事なんて出来ないよ?」
「大丈夫だって、デスクにふんぞり返って書類にサインしてりゃ良いだけだから」
「……それだけなの?」
「おう、下から上がってくる書類に承認出すのが私の仕事だから。実務は全部下の連中がやってくれるから心配するな」

 カガリの仕事って一体……。キラは今更ながらにこの姉らしい人物がどうして日頃から仕事場を抜け出してあちこちに出没できたのか、その理由が理解できてしまった。


 こうして、キラとカガリが自分の立場を入れ替えるという前代未聞の珍事が始まった。これが後に色んな問題を生むとも知らずに、2人はそれぞれの予定を消化するために動き出したのだ。




 オーブ軍本国防衛隊に新設されたMS部隊。この部隊の基地では連日厳しい訓練が続けられていた。特にフレイ自身が直接相手をする模擬戦は実戦さながらであり、パイロットの中には怪我をする者までが居る。
 今もコンピューター制御された自動砲撃システムの照準に捉えられないように動き回る訓練をしているのだが、読みが甘い為に次々に被弾判定が出て動けなくなっている。被弾した機体にはフレイから叱責が飛び、新たなメニューが課せられていく。もうどれだけ繰り返したか分からないが、オーブ軍のパイロットはフレイから見ると悲しいほどに技量が低く、実戦に出たら良い的にしかならないような動きを見せている。
 そこに、何故か施設への通行証を持つキラが入ってきた。まあ実体はキラの恰好をしたカガリであり、通行証もこの日の為にわざわざ作らせておいた物なのだが。

「ふっふっふ、誰も私だとは気付いて無いようだな。後はフレイにさえ気を付けておけば大丈夫だろうし。部下が真面目に働いてるかどうかを確かめるのも仕事だよな」

 なんだか言い訳のようなことを呟いて自己正当化したカガリは、早速フレイたちが居るMSの訓練場へと足を向けた。そこではMSがドタドタとみっともない動きで走り回っており、ザフトや連合のMS隊の動きをこれまで見ていたカガリはその情けなさに冷や汗をかいていた。
 こんなんで大丈夫なのかと思いながらカガリはフレイの居る野戦指揮車へと足を運んだ。そこではフレイが間抜けな部下達に顔を赤くして叱責を続けていて、一緒に居るオペレーターたちは首を竦めて仕事をしている有様だ。

「フレイ、どんな感じなんだ?」
「え? って、キラ。貴方どうやってここに!?」

 確かに昨日来てくれと頼んではおいたが、どうして大西洋連邦の軍人であるキラがオーブ軍の基地に入ってこれるのだ。カガリはフレイに通行証を見せて、カガリがくれたんだと大嘘を言って指揮車へと入ってきた。

「それで、どんな感じなんだ?」
「まあ、カガリが承知してるなら良いか。パイロットの腕は見ての通りよ」
「酷いもんだな、素人に毛が生えた程度じゃないか」
「まあ、オーブのM1は完成に手間取った分だけパイロットの育成が始まったのも遅れたそうだけどね。元々パイロットの数も少なかったみたいだし」

 オーブはパイロットの技量が総じて低かった。というか戦う軍隊として作られてもいなかった。カガリがオーブに戻ってようやく戦える軍隊へと生まれ変わろうとしていたが、装備は確かに一流だが肝心の兵隊が問題だらけだったのだ。流石に海洋国家だけあって海軍の方は高い技量を持っているようだが、空軍と陸軍の状況はお寒い限りであった。
 かつて大西洋連邦のエースパイロットとして幾つもの戦場を駆け抜け、多くのパイロット達と出会ってきたフレイから見ると、オーブパイロットは情けないほどに弱かった。フレイの知人が化物だらけなせいだという事もあるが、それを差し引いてもオーブ軍は弱かった。

「まあ、中にはそれなりの腕の人もいるんだけどね」
「そうか。なあフレイ、もし今、連合やザフトとぶつかったら、勝てると思うか?」
「まず無理ね。M1は良いMSだけど、パイロットがあの腕じゃジンにも勝てるかどうか」
「そんなに酷いのかよ?」
「ま、敵がオーブに攻めてくるんだったら、地の利がある分だけマシな戦いが出来ると思うけどね」

 なんだか今日のキラは妙に男らしいというか、強気な喋り方をするなと不思議に思いつつ、フレイは1機のMSを示して見せた。

「今の期待の星はこの子かな」
「これは?」
「ああ、シン君って言うの。軍人じゃないんだけど、事情があって訓練に参加してるのよ。流石はコーディネイターというか、上達が速いわ。M1に乗ってまだ1月くらいだけど、私が模擬戦をやって時々ヒヤリとするくらいにはなってきてる。前にはとうとう一本取られたわ」
「マジかよ」

 フレイを負けさせるなど、よほどの相手で無ければありえない話だ。何しろフレイの実力はカガリ自身が直に目にしてきて、病室で頭を下げてオーブ軍に来てくれと頼み込んだような凄腕で、そんな化物をまだ訓練して1ヶ月の人間がやりこめたというのだろうか。

「ま、その後ちょっと本気出しちゃったんだけどね」
「シンは……その子は大丈夫だったのか?」
「う〜ん、コクピットから出てきたら暫く動かなくなってたかな」
「お前、本当に本気出してただろ」

 シンのことを知らないように取り繕いながら喋るカガリ。これは意外と難事で、カガリは少しだけ苦労する事になる。




 その頃、キラは何時もカガリが仕事をしているオーブ本国防衛軍司令部の司令官オフィスで、黙々と仕事を続けていた。確かに書類に目を通してサインをするだけであったのだが、回されてくる書類の量が半端ではなく、カガリは何時もこんな事してたのかとキラは内心で悲鳴を上げていた。
 だが、キラはデスクに向って黙々と仕事をしていると、小脇のボードを抱えた紫色の髪の男が入ってきた。それを見たキラは、確かカガリから教えられたユウナという参謀だと気付いた。幼馴染でカガリのことを良く知ってるらしく、ばれないように気を付けろといわれている。

「やあカガリ、今日は随分と仕事熱心じゃないか」
「い、いえ、そんな事は無いですよ」
「それなら良いけど、余り無理しないようにね。珍しくカガリ様が真面目に働いてるって、職員が戸惑ってたよ」

 それを聞いたキラは笑顔を引き攣らせてしまった。一体、日頃のカガリはどういう仕事をしているのだ。
 ユウナはそのままオフィスにある別の机に向うと、端末を起動して仕事を始めていた。どうやら彼は幾つかの場所を行ったりきたりしているらしい。暫くお互いに無言で処理を進めていて、ふとキラは目を通していた書類に不備を見つけてしまった。

「あれ、これおかしいかな」
「ん、どうしたんだいカガリ?」

 キラの呟きを聞いたユウナがこちらにやってくる。キラはユウナにその書類を渡して数字を幾つか示し、計算が合わないことを伝えた。ユウナはそれを見て暫し暗算した後、確かに合わないなと言ってそれを差し戻す事にした。

「でも、良く気付いたね。適当にサインしてるだけなんじゃないかと思ってたけど、ちゃんと目を通してたのか」
「それは、仕事ですから」

 キラの答えにユウナはこれはこっちで言っておくよと言い、また自分の仕事に戻っていった。しかし、その内心では妙な違和感のようなものが渦巻いている。何でか知らないが、今日のカガリは何時もより喋り口調が丁寧で、物腰が穏やかなのだ。
 最初はキサカにでもまた説教されたのかと思ったのだが、どうもそういう感じではない。カガリは自然にそういう口調で話しているように見えるのだ。

「王女としての自覚が出てきたのかな? それとも少しは女らしさが出てきたのか?」

 男勝りなカガリの性格には結構苦労させられてきたユウナとしては、カガリが落ち着いてくれるのはありがたい事である。でも、何で急に変わったのだろうか。それがユウナには分からなかった。




 訓練基地では訓練が模擬戦に変わっていた。1対1での模擬戦で、練習用のライフルやサーベルを用いて行われるこの訓練は、パイロットの実力がもろに出る訓練でもある。これにはフレイも参加していたのだが、彼女の相手が出来るパイロットはいないようで、どいつもこいつも一方的に叩きのめされている。

「ああもう、何やってんだよあいつ等は!」

 それを見ていたカガリは流石に悔しくなっていた。フレイはどちらかと言えば連合のパイロットというイメージがあるので、それにオーブ軍が歯が立たないのは何となく悔しかったのだ。
 しかし、そんなカガリを驚かせたのはシンが相手の時だった。シンはコーディネイターらしい反応の速さを見せており、フレイの攻撃にどうにか反応できていたのだ。もちろん相手をしているフレイはまだかなり余裕を持ってシンの相手をしているのだが、これまでの正規軍パイロットがまるで歯が立たなかったことを思えば大した物と言える。

「どうしたのシン君、そんなんじゃ、撮影で可変機なんて動かせないわよ!」
「な、舐めんなあ!」

 遊ばれている、そう悟ったシンは必死にフレイへ攻撃を続けるが、どれだけフェイントをかけてみてもフレイは全て先読みしたように動いてまるで隙を作らない。強い強いと知ってはいても、こうも一方的なのは我慢できないシンは、とにかくどうにかして勝ちたいという一念で機体を動かしている。

「くっそお、このまま、馬鹿にされたままで終われるか!」

 そう叫んだ瞬間、シンの動きが変わった。元々反応は速かったのだが、明らかのそれまでより速い反応を見せたのだ。突然早くなったシンに一瞬ついていけず、側面に入られてしまったフレイは咄嗟にシールドでシンの模擬サーベルを受け止めた。サーベルとシールドが接触して甲高い金属音を立て、力比べをする2機の足元のコンクリートにヒビが入る。

「な、何なの……」
「まだだああああ!」

 サーベルを叩きつけた腕を基点として旋回し、フレイのM1の力を流しながら自分のシールドをフレイのM1に叩きつけようとするシン。その動きに周囲が驚いている中で、フレイが機体を無理やり横に動かし、シンのM1に体当たりを行った。旋回の遠心力を加えてシールドを叩きつけようとしたシンだったが、それよりも短い動作で体当たりをかけてきたフレイの動きの方が終わるのが速く、シンのM1は不安定な態勢でそれをまともに受けて無様に転がってしまった。

「たたたた、そこで体当たりなんてありかよ」

 コンクリートの床に叩きつけられて少し目を回したシンが文句を言いながら機体を起こす。

「今度は勝てると思ったのになあ」
「あら、動きは良かったわよ。まあ経験の差って所かしらね」

 伊達に実戦を潜り抜けてきたわけではない。こういう咄嗟の動きではシンはフレイにまるで及ばないのだ。しかし、余裕を見せながらもフレイは内心で冷や汗をかいてもいる。先ほどシンが見せた動きは、自分を一瞬とはいえ本気にさせたのだ。あの体当たりはシンの隙を見出して反射的に加えた攻撃だったのだが、それはフレイから余裕を失くすほどにシンの動きが速かった事を意味している。
 M1から降りてきたフレイをカガリが出迎え、ドリンクを手渡してその腕を賞賛してやった。

「流石だな」
「ううん、さっきのは一歩間違ったら私が負けてた。シン君、才能があるのかもね」
「かもな。コーディネイターだから勝てるってのは、フレイ相手じゃ理由にならないからな」

 何しろ、最高のコーディネイターであるキラとさえ戦えるフレイだ。そなると、本当にシンには才能があるのだろう。
 だが、ドリンクを飲み終わったフレイがカガリにとんでもない事を頼み込んできた。

「そうだ、次はキラが私の相手してよ」
「い、いや、それはちょっと」

 キラではないのでカガリは焦ってしまった。自分もM1の操縦は出来るが、キラの真似が出来るわけではない。さっきのシンとの一戦を見ても分かるが、もしキラとやるつもりで最初から本気で来られたら殺されかねない。カガリが焦って断わると、フレイは残念そうに俯いてしまった。

「キラのケチ」
「いや、ケチとかそういうんじゃなくてだな。一応わた…僕は大西洋連邦の人間なんだから、M1に乗るのは色々と不味いだろ」
「それはそうなんだけどさ」
「まあ、カガリに許可を貰ってからだな。今日は我慢しろって」
「う、うん」

 何時になく押しが強いキラに、フレイは戸惑いながらも頷いてしまう。それでキラの恰好をしたカガリは視線を模擬戦に戻したが、この時フレイは少し頬を染めてポーとした顔でカガリを見ていたりする。
 なんだか自分に向けられる熱い眼差しに気付いたカガリが誰かと思って振り返り、その相手がフレイだと知って少し首を傾げて何か用かと問い掛ける。

「何だフレイ、なんか用か?」
「う、ううん、なんでもないわ!」

 カガリに問われたフレイは首をぶんぶんと左右に振ってそれを否定し、なんだか慌てた様子で指揮車から出て行ってしまった。

「何だ、あいつ?」

 なんだか様子がおかしいフレイにカガリは首を傾げてしまったが、直ぐに気を取り直すと意識を目の前の戦いに戻し、自分の部下たちの情けなさにトホホ顔になってしまっていた。
 一方、指揮車の傍ではフレイが胸を押さえて動悸を押さえるのに必死になっていた。顔が充血して赤くなっているのもはっきりと分かる。

「な、何よ、何ドキドキしてるのよ。あれはキラなのに……」

 そう、見慣れたキラのはずなのだ。なのに何故か、今日のキラはいつもと違って見えてしまう。そう、何でか知らないが、今日のキラは凛々しくてカッコよかったのだ。




 本国防衛隊本部は今、大変な騒ぎになっていた。カガリがこれまでになく生真面目、かつ精力的に仕事をこなしていて、仕事の流れが異常なほどに加速していたのだ。職員達はそのせいで何時になく大忙しで、休む暇も無く働いていたのだ。少なくとも今ここには仕事もせずに給料を貰っている公務員など1人もいなかった。
 この原因はカガリの代わりをしているキラの圧倒的なまでの情報処理能力にあった。ナチュラルどころか、コーディネイターの水準さえ凌ぐキラの頭脳は回されてくる書類に目を通し、疑問に感じた箇所を指摘し、内容と数字を正確に記憶していく。ようするに頭の出来だけは人類最高を約束されているキラは、この手のルーチンワーク作業には無類の力を発揮したのだ。
 元々キラはコンピューターの分野に強かった。コンピューターを扱うスキルに必要なのは膨大な知識と単純なデバッグ処理などに耐えうる根性なので、それがそのまま書類整理に役立ったのだ。生来から辛抱強くないカガリが苦手とした仕事に対してキラが天賦の才を持つというのは、悪魔の悪戯の結果なのだろうか。

 このカガリの突然の変貌に戸惑う職員は多かったのだが、それ以上になんだか物腰穏やかで言葉遣いも丁寧なカガリは男性職員に評判が良かった。黙ってじっと座っていれば将来を期待させる美人のカガリであり、オーブ軍内には非公認のカガリのファンクラブが結成されているくらいだ。もっとも、こちらは最近になって誕生した新興勢力と水面下で激しい対立が起きているらしいが。
 そんな訳で、カガリの執務室に書類を持っていく職員は少し嬉しかったりする。
 
 しかし、キラにはこれは拷問にも等しかった。幾ら外面がカガリでも中身はキラなので、当然ながら男からそんな熱い目を向けられても嬉しくは無い。いや、むしろ精神衛生上かなり悪い。でもカガリからはばれたらどうなるか分かってるよな? と脅されているのでとにかく終業時間まで耐えるしか無い。

「うう、恨むよカガリ、カズィ……」

 何が楽しくて男に異性に向ける視線を向けられなくてはいけないのだと、キラは頭の中でカガリとカズィに対して何度目かの処刑を執行しながら苦悩していた。
 だが、彼の不幸はこれだけではなかった。いきなり扉が開いたかと思うと、職員達を押し退けてキサカがキラの執務机の前にやってきてキラの両手をその大きな両手で包むようにぎゅっと握ってきたのだ。

「あ、あの……」
「カガリ様、遂に、遂に御理解されたのですね。キサカは嬉しく思いますぞお!」

 なんだか涙を流して喜んでいるキサカ。キラにはまあキサカの気持ちは分からないでもなかったが、ぶっちゃけ暑苦しい上に鬱陶しいという苦痛の方が大きい。何が楽しくてこのくそ暑いオーブ本国でキサカのような大男に泣き付かれなくてはいけないのだ。
 しかしそれを断われないキラなので、キサカが満足するまで感涙の涙に付き合ってやる事になる。そしてやっと手を離してくれたキサカは、キラにイタラが面会に訪れていると伝えた。

「イタラさんが?」
「はい、明日帰国するので、挨拶をしたいと」
「そうなんだ。それじゃあ、通してください」
「分かりました」

 敬礼をしてキサカが退室する。そして要人が来ると知って慌てて他の職員も部屋から出て行き、やっと執務室は静かになった。相変わらずユウナは残って仕事を続けているが、まあ彼は仕方が無い。
 そして暫く待ってイタラがアーシャと共にやってきた。

「よおお嬢ちゃん、久しぶりじゃのお」
「はい、お久しぶりです」

 イタラの挨拶にナチュラルに答えてしまったキラ。それを聞いたイタラがおやっと訝しげな声を上げ、ジロジロとキラの身体を嘗め回すように見る。その視線にキラが不快そうに身動ぎすると、いきなりイタラがビシィっとキラを指差した。

「お前さん、カガリじゃないの!」
「な、なにをいきなり……」
「うつけが、わしの目は節穴では無いぞ。確かに顔はそっくりじゃが、胸だけは儂を偽る事は出来ん。それは詰め物じゃな!」

 何で顔じゃなく胸で判別できるのだ。と突っ込みを入れたくなったが、とりあえずそれは後回しにしてキラは驚愕していた。まさか、この変装を一目で見破られるとは。それを聞いたユウナも驚いて椅子から立ち上がってキラを見ている。
 もはや誤魔化し切れないと悟ったキラは、肩を落として事情をイタラとアーシャ、ユウナに語りだした。

「実は僕、キラ・ヤマトなんです」
「キ、キラさんが、何で女装を?」
「それが、昨日カガリに拉致られまして、朝目が覚めたらこの姿に。今日一日はメイクが落ちないとかで仕方なくこんな事を」

 驚いているアーシャにキラが情け無さそうに自供する。自分はカガリとカズィに嵌められたのだと。それを聞いたユウナとイタラは流石に同情した目でキラを見ていたが、アーシャは何故か感心した顔でキラを見ていた。

「そうだったんですか。それにしてもキラさん、良く似合ってますね」
「ぜんっぜん嬉しくないです!」

 アーシャの言葉に、キラは魂からの絶叫を放っていた。




 フレイは今日の仕事が終わったという事で、学校に行ってカズィに会う事にしていた。ついでにキラも久々のキャンパスに行こうよと誘っていて、並んでのんびりとキャンパス内を歩いている。まあカガリにしてみればフレイと一緒に居るのはいつもの事なので別に問題ないのだが、なんだか今日は様子が違っていた。周囲から受ける視線の質が違うのだ。

「何だ?」
「どうかした?」
「ああいや、なんだかさっきから周りから変な視線を感じるというか」
「気のせいじゃないの」

 フレイは全く気がついていないようだが、カガリにははっきりと感じていた。そう、それは嫉妬と羨望の視線である。フレイは大学内でも評判の美少女であって、しかも現在フリーで知られている限り男友達はカズィ1人しかいない。つまり大学内の同世代の少年たちにとっては垂涎の的だったのだ。
 それが突然隣に見知らぬ男を連れて歩いている。しかも凄く仲が良さそうだ。こんな事になれば当然ながら周囲の注目を集めてしまい、フレイを狙っていた男共からは殺意交じりの視線を向けられる事もあった。
 カガリはその強烈な攻撃に堪りかね、フレイの手を取って走り出した。

「フレイ、さっさとカズィの所に行くぞ!」
「え、で、でも、場所分かるの?」
「大体分かるから大丈夫だ!」

 まあ、カガリは何度か新聞部の部室に足を運んだ事があるので、知っていて当然なのだが。
 部室にやってきたカガリはフレイの手を離すと、扉を強くノックしてカズィを呼んだ。すると直ぐに扉の鍵が開き、中からカズィが顔を出す。

「やあカ、じゃ無かったキラ、それとフレイ」
「よっ、中入って良いか?」
「ああ、どうぞ」

 カズィが中に入っていき、カガリがその後に付いて入って行った。そしてそっとカズィに顔を近づける。

「今の所誰にもばれて無いぞ。このメイクは凄いな」
「そうか、なら使えそうだね」
「でも、何処からあんな技術者雇ったんだよ。うちには居ないだろ?」
「ああ、アズラエルさんが送ってくれたんだよ。実は次の話はアズラエルさんも一枚噛んでてね」
「…………あの野郎」

 まさかアズラエルまで加わってくるとは。一体この自主制作映画は何処まで突き進むのだろうか。

「ひょっとして、オーブの全面バックアップで作って売りに出せば結構な金になるのかな?」
「カガリ、自分を世界の笑いものにしたいのかい?」
「分かってるんなら作るなよ!」

 たわけた事を口にしてくれるカズィの首をカガリが締め上げ、カズィがギブギブと悲鳴を上げて助けを求めているが、何故かそこには助けてくれる筈の第3者が、フレイがいなかった。フレイはまだ外で自分の右手を見てポーとしていたのだ。
 フレイを探しに外に出たカガリは、扉の前でなんだかボーっとしているフレイを見て声をかけた。

「どうしたんだよフレイ、なんかあったか?」
「……何でもないよ、キラ」
「そうか?」

 なんでもないと言うわりにはなんだか挙動不審のような気がするのだが、まあ良いかと思ってカガリは室内に戻ってしまった。しかし、これが後にとんでもない事態を引き起こす事となってしまうのである。




 2人が元の姿に戻ったのはその日の夜の事であった。やっとメイクを落として髪の色を戻して服を着替えた2人はそれぞれに起きたことを教えあった。イタラに見破られたという話を聞いてカガリは嫌そうな顔をしていたが、まあイタラくらいなら良いかと怒る事は無かったが。
 
「全く、もう2度とこんな事をしないでよ!」
「ああ、悪い悪い。次はちゃんと確認してからやるよ」

 全然懲りて無さそうなカガリに、キラは今日何度目かの溜息をついて肩を落としてしまった。
 しかし、本当の災厄はこの翌日に起きたのである。

 翌朝、フレイから連絡を貰って基地へと赴く為に途中の交差点で待ち合わせをしたキラであったのだが、何故かここに来るまでにあちこちから敵意の視線に晒されているような気がして首を捻っていた。自分はオーブ本土に知人はいないはずなのだが。
 そして待ち合わせの交差点に付いてみると、既にフレイが来ていた。フレイもこっちを見つけたのか、手を振っている。今日は髪型を変えたようで、完全なポニーテールになっていた。

「おはようフレイ」
「うん、おはようキラ」
「じゃあ、早速基地に行こうか。でも、僕が見て何か役に立つのかな」
「だ、大丈夫よ。今日は模擬戦で私の相手をしてもらうだけだから」
「そっか、それくらいならお安い御用だよ」

 ニッコリと笑って歩き出そうとするキラだったが、何故かフレイはその場に立ち止まったままだった。それを見てどうかしたのと聞くと、フレイはキラのほうに小さく右手を出してきた。

「手……」
「手って、あの、それがどうしたの?」
「昨日みたいに、手握ってって」
「…………えっと?」

 その意味を理解できるに連れて、キラの顔が百面相を描いて愉快な状態になりだした。多分そのこっぱずかしい情景が頭の中に浮かんで脳みそがハングアップでも起こしたのだろう。傍から見ていると愉快なくらいに慌てふためいている。
 しかしまあ、往来のど真ん中でそんな奇行を繰り返していると当然ながら衆目を集めるわけで、キラは遂に周囲からの好奇の視線とフレイの期待と羞恥の眼差しに遂に屈服した。フレイの差し出した手をぎゅっと握り返して歩き出したのだ。

「こ、これでいいよね、フレイ」
「う、うんっ」

 その手の感触にフレイは嬉しそうに頷き、キラの隣に立って歩き出した。




 その頃、カガリはというと……

「うがあああ、お前等私を殺す気かあ!?」

 デスクの上に山のように積み上げられた書類にカガリが悲鳴を上げていた。それを聞いたユウナがからかう様にカガリに答える。

「何を言ってるんだいカガリ、昨日はそれくらいこなしてたじゃないか」
「ユウナ、手前知ってる筈だろうが!?」
「ん〜〜? なぁんのことかな〜ぁ?」
「こ、こいつは……」

 事情を知ってるくせに何も知らないかのような態度を取り続ける幼馴染に、カガリは握った右拳をプルプルさせて怒りを堪えていた。一応昨日のキラは自分だという事になっているので、文句を言う事も出来ないのだ。
 そして怒ったり困ったりしているカガリを見て満足したのか、ユウナがやっと意地悪な笑みを消してカガリのデスクの上の書類を半分くらい抱えて自分の机の方に持っていった。

「まあ、今後はこういう事はしないように。明日からは仕事量をいつもに戻すように調整するから、今日は2人で頑張ろうか」
「ううう、すまん」
「でも、キラ君だったかな彼は。本当にカガリそっくりだったよ。僕でさえ気付かなかった」

 なんだか感心しているユウナに、カガリは無茶苦茶引き攣った笑顔を作って誤魔化し笑いを浮かべていた。まさか、キラが自分の弟などと教える事が出来る筈が無い。オーブは王政なので、そんな事になったら血縁で色々と問題が起きてしまうからだ。

 こうして、オーブ軍に深刻な混乱を引き起こす原因となったキラ・カガリ入れ替わり事件は幕を閉じた。幾人かに色々な騒動を巻き起こして。
 



後書き

ジム改 すいません、電波な内容になってしまいました。
カガリ 何だこれはあああ!?
ジム改 うむ、シリアスじゃやれないようなネタを冗談交じりにやってみたのだが。
カガリ 無茶苦茶じゃねえか!
ジム改 まあ、次回からはシリアスに戻るから許せ。
カガリ 本当なんだろうな!?
ジム改 うむ、本当だ。いよいよザフトのオーブ攻略戦の準備が整うから。
カガリ ……複雑だ。
ジム改 クルーゼも降りてくるし、もう時間稼ぎの返還交渉をする必要はない。
カガリ あれって時間稼ぎだったのかよ。
ジム改 当り前ではないか。平和的態度で油断させて、戦力が揃ったら突然強攻策を使うのだ。
カガリ 無茶苦茶悪党じゃないか、それ?
ジム改 よくある事だよ。歴史を調べれば幾らでも出てくる。
カガリ 何だかなあ。
ジム改 それでは次回、遂にカーペンタリアに来るクルーゼ、準備が整ってきたプラントはオーブに対して突然強硬な態度に出てきてオーブ政府を困惑させる。だが祖国の危機を知らないカガリたちは今日も日常を生きていた。そしてプラントではオーブ攻略作戦の為に宇宙艦隊の動員が決定されたが、それに反対する提督がいた。次回「平和は過ぎ去った」でお会いしましょう。

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