第108章  オーブの旗の下に

 


 宇宙に脱出したカガリたちはそのまま真っ直ぐにアメノミハシラに入った。非武装のシャトルでウロウロするのは自殺行為なので、これは当然の事だろう。その道中で戦闘を終えて帰還する艦隊と合流していて、シャトルは無事にアメノミハシラの宇宙港に入る事が出来た。
 宇宙港に入ったカガリは部下を連れてシャトルを出て、そこでイズモから出てきたミナと顔を合わせる事になった。ミナはカガリを見るといつもの不遜な態度を表に出し、カガリを出迎えている。

「オーブを捨てて逃げてきたのか、カガリ?」
「……そう思いたかったら、そう思えば良いさ。負けたのは事実だからな」

 何時もなら激発して掴みかかってくる所を、明らかに意気消沈した様子で返すカガリ。それを聞いたミナは余裕の態度を崩し、苦々しげに表情を歪めた。

「随分と落ち込んでるようだなカガリ。そんな事で、これからやっていけるのか?」
「どういう事だよ?」
「ホムラ殿から最後のレーザー通信を受けた。以後、海外のオーブ残存勢力に対する全権をカガリ・ユラ・アスハに委譲するとな。本国は陥落したが、お前はもうオーブの次の代表なのだ」
「…………」

 それを聞かされたカガリは最初顔を顰めたが、直ぐに不安そうな顔になって俯いてしまった。それを見たミナが今度こそ眦を吊り上げて声を荒げようとしたのだが、その機先をカガリの後ろからやってきた男に制されてしまった。

「こんな所で何を話してるんだ?」
「……誰だ、貴様は?」
「あ、これは失礼を。自分は北大西洋連邦軍、第8任務部隊所属のキーエンス・バゥアー大尉です。貴女はロンド・ミナ・サハク様ですか?」
「ほう、私を知っているのか?」
「ええまあ、私もそれなりの知識は持っていますから」

 暫し視線をぶつけ合うミナとキース。この対決は、キースが一方的に緊張を解くことで終わった。口調も砕けた物へと変わっている。

「脱出してきた連中はさっきまで激戦を繰り広げて疲れてる。まずは休ませてやって欲しい。俺と同じ連合のパイロットも何人か居るんだが」
「……よかろう、部屋と食事を用意させよう。こちらこそ気が付かなくて失礼した」

 キースが緊張を解いた為か、ミナもそれ以上意地を張ることはせず、キースの求めに素直に応じてくれた。それで周囲の緊張した空気も消え、シャトルを出てきた兵士たちがアメノミハシラの職員の先導で中へと入っていく。それを見て、キースはカガリの肩を軽く叩いた。

「カガリも今日は休んだ方が良い。疲れてる時は何も上手くいかないもんだ」
「……ああ、そうさせてもらう」

 キースの勧めに従ってカガリもアメノミハシラの奥へと行ってしまった。それを見送ったキースに後ろに居たユウナが恐る恐る声をかけてくる。

「な、なんでカガリを? 仕事は幾らでもあるんだぞ?」
「カガリもそうだが、今日は何もしない方が良いのさ。一晩たてば少しは頭も冷えるし、気も落ち着く。現実も受け入れやすくなるさ。君もそうだが、オーブ軍は初めて負けたんだからな」

 そう言ってキースはユウナを見て、次いでミナに視線を移す。ミナはキースの言葉に不快そうではあったが、否定はしなかった。

「確かに、私にも敗北を受け入れられない気持ちはある。敗北は私のプライドが許さないからな」
「誰も最初はそうだよ。そんな状態で何かやろうとしても上手くなんていかない」
「だから、カガリを休ませたと?」
「それもあるが、もっと大きな理由もある」

 そこで言葉を切り、キースは少しだけ表情を曇らせた。

「カガリは、初めて身内を失ったんだ。泣く時間は必要だよ。でもそれをあいつの立場で人前でやらせるわけにはいかないだろ?」
「新代表が親の死に正気を失くすような醜態を晒されては、確かに困るな」

 なるほどと頷いて、ミナはキースの前から去ってシャトルから出てくる兵士たちの方に行ってしまった。それを見送ったキースはユウナの方を振り返る。

「君も休んだ方が良い。情報の整理くらいなら俺がやっておくから」
「……いや、僕は遠慮させてもらうよ。カガリが出てきたらすぐ動けるようにしておきたい」
「そうか。まあ、そう言うなら無理にとは言わないが」

 ユウナの目を見て、かなり精神的に余裕をなくしているなと察したキースだったが、無理強いする気にもなれず、ユウナの意思を優先させる事にした。追い込まれている時の無理は危険だが、窮地は人を成長させる要素でもあるからだ。望む望まぬに関わらず、ユウナはこれからカガリを支える重鎮として頑張ってもらわなくてはいけない。
 キースはユウナを連れて必要なデータを積み込んだシャトルに戻ろうとしたが、その時シャトルから大泣きする赤銅色の髪の女性を、くすんだ金髪の髪の女性が支えて出て行くのと擦違った。それを見たキースはシャトルの入り口の取っ手に手を付いた所で止まり、なんとも言えない、重苦しい表情を作っていた。

「負け戦ってのは、何時でも何処でも同じだな」
「あなたは、負けても何とも思わないのか?」
「慣れてるからな。俺はザフトの地球降下後に志願したクチだが、今日までずっと負け続けてきた。同僚も後輩も先輩もどんどん死んでいって、そんな毎日を繰り返すうちに慣れちまったのさ」
「…………」
「分からないって顔だな。ま、負け戦なんてしない方が良い。今回の負けを教訓にして、次は負けない頑張れよ」

 キースのアドバイスを受けてもまだ戸惑っているユウナ。それを見たキースはおかしくなってくぐもった笑い声を漏らした。だが、笑っていたキースはいきなり後頭部に強烈な蹴りを食らって間抜けな顔で吹っ飛ばされてしまった。

「うう、ここ変、ふわふわして上手く動けない……」

 やったのはステラだった。どうも宇宙に初めて来たようで、無重力に戸惑って上手く動けないで居る。キースの後頭部に膝蹴りをかます恰好になったのはわざとではなく、移動をミスってぶつかっただけのようだ。ふわふわと漂っていくキースを見てステラがあれっと首を傾げている。その手にはなんだかボロボロにされているシンの右手が握られていた。
 頭を抱えながら振り返ったキースは、シャトルの前でふわふわと漂っているステラを見て少し怒った声を出した。

「ステラ、飛ぶ時はちゃんと前を確認しないか!」
「だって、ここ上手く動けない」
「……宇宙は初めてだったか」

 なるほどと頷き、そして右手に掴んでいるボロ雑巾のような男の子を指差してそれは如何したんだと聞いた。

「んで、手に持ってるそれは?」
「シン」
「シンね。で、如何したの彼は?」
「羽付きのMSに乗ってた奴に叩きのめされてた」
「……キラか」

 事情は知っているが、フレイを助けに飛び出そうとしたのを止めた奴が確かシンという名だった。つまりキラは止めに入ったシンに怒りの矛先を向け、暴行を加えたという事なのだろう。キラにしては珍しいが、それだけ我を忘れているという事だろうか。

「それで、シンを叩きのめした奴は如何してるんだ?」
「それがね、MSの中に戻って出てこないの」
「そうか。まあ、あいつも1人にしておいた方が良いだろうな」

 明日になっても出てこないなら引きずり出しに行く気ではあるが、今日は放っておく事にする。そして、ステラはキースに医者は何処に居るのかと聞いてきた。

「ねえキース、先生は何処?」
「先生? ああ、医者か。ここの事なら、あそこの真っ黒な人に聞いてみろ」

 キースが指差した先に居るのは出てきた兵士に慰労の声をかけているミナだった。ステラは頷くとそちらへシンを引っ張って飛んでいき、それを見送ったキースは今度こそシャトルの中へ入ろうとしたのだが、ステラが発した言葉を聞いてシャトルの壁に豪快にぶつかってしまった。

「おばちゃん、お医者さんどこ!?」

 その一言は宇宙港の中に奇妙な沈黙をもたらした。宇宙港で忙しそうに働いていた職員達が動きを止め、唖然とした顔でステラの方を見ているからだ。シャトルから出てきた兵士たちは如何したのかと周囲をきょろきょろとしている。
 そして言った当人はそんな周囲の変化など全く気が付いてないようで、自分をじっと見ている黒尽くめの女に答えを急かしている。

「ねえおばちゃん、何処なの?」
「……そこの8番通路を真っ直ぐ行くと良い。負傷者の手当てをしているから、行けば直ぐに分かる」
「分かった。ありがと」

 ステラは礼を言ってシンを引っ張ってそちらに行ってしまった。彼女自身も怪我をしているのに元気な事だ。でも、まだ上手く動けないのか途中で何人かにぶつかっているが。ついでに引っ張られているシンはステラが移動するたびに何かにぶつかっており、どんどんダメージが蓄積していた。あの傷は本当にキラに付けられたのだろうかとキースとユウナが疑ってしまっているくらいだ。
 それを見送ったミナは何を言うでもなく暫くじっとステラの後ろ姿を追っていたが、彼女が見えなくなると自分も身を翻して中へと戻っていってしまった。





 与えられた個室に下がったカガリは、ベッドの上に腰掛けて暫くの間悲嘆に暮れていた。自分の指揮で大勢の将兵と避難民を死なせ、父ウズミを目の前で失くし、挙句に腹心とさえ呼べたキサカまで失ってしまった。
 そしてホムラは本国に残り、後事を自分に託してザフトに降伏した。それがオーブ国民を守る為の止むを得ない選択であったことはカガリにも分かっている。だが、負わされた責任の重さにカガリは押し潰されかけている。もうウズミもホムラもいない。自分を支えてくれたキサカもいない。もう相談する相手も頼る先人もなく、闇の中を手探りで、自分で歩く道を決めなくてはいけない。
 それまで幾度もキサカに、キースに、多くの人に言われ続けてきたこと。上に立つ者の責任の重さを、カガリはようやく体感していたのだ。同時にそれは、自分の判断1つで多くの人間を殺す事になる事も意味している。オーブを守りきれなかったのはカガリの責任であり、オーブで戦死した将兵は自分の命令で死んでいったのだ。カガリはその失われた命の重さに押し潰されていたのだ。

「何で、どうしてこんな事に?」

 オーブが攻められれたのは誰のせいだ。フリーダムを持って来たキラのせいか。それともそれを受け入れたウズミのせいか。オーブを脅してきたプラントのせいなのか。
 そしてどうしてオーブは守れなかった。守りきれる機会は幾つもあったはずだ。最初のフリーダム返還要求を受け入れていれば、アズラエルの援軍の申し出を受け入れていれば、いや、こちらから積極的に先制攻撃をかける手もあったのだ。結局、オーブの理念が手足を縛り、その結果軍は絶対的に不利な状況での戦闘を強いられた。
 理想を追求することが間違っていたのか。ウズミの判断が間違っていたのか。それともオーブが弱かっただけなのか。

「私はこれからどうすれば良いんだ?」

 これから如何すれば良い。オーブを取り戻すにはどうすれば良い。オーブの理念を捨てて連合に組するのが最短の道なのは分かる。だがそれで良いのだろうか。オーブがこれまで守り続けてきた物を自分の代で捨て去っても良いのか。
 ホムラは何を考えて自分に後を託したのだ。オーブをどうして欲しかったのだ。せめてそれくらい言って欲しかった。亡命政権を作って、その後はオーブをどう導いていけば良いのだ。

 相談する相手をもたないという事はどれほど辛い事なのだろう。カガリにはもう頼るべき背中が無い。相談できる信頼できる大人も居ない。ミナは優秀かもしれないが腹の底が知れず、相談しずらい。ユウナははっきり言って頼り無い。キースは信頼できるし能力もあるが余所者だから相談できない、後はカガリを補佐できそうな奴が居ない。こうやって考えると、自分の周りにはキサカ以外に碌な人材が居ないのだという事が改めて実感できた。派閥を作る努力を怠ったツケだろうか。

「キサカ、お前がいてくれたら……」

 今更ながらにカガリはキサカの存在の大きさを思い知り、どれだけ自分が彼に助けられていたのかを実感した。こういう時、何時も振り返ればキサカが居た。何か聞けば、キサカは何時も答えをくれた。それが今ほど欲しいと思ったことは無いのに、もうキサカはいない。
 こんな苦しみを味わうくらいなら、いっそオーブで戦死していれば良かったとさえ思う。どんな状況でも素早く決断を下せたウズミは偉大な男だったのだ。そしてアズラエルたちも。彼等はこんな重圧の中で顔色1つ変えずに居たのだから。

「私は、お父様たちほど強くないんだ。何で来てくれなかったんだ、キサカ、叔父貴。何で私に後を任せたりしたんだよ。私はまだ、1人じゃ何も出来ないんだぞ」

 膝の上に乗せていた拳の上に零れた涙が落ちる。大切な人を幾人も失った衝撃と、課せられた重責に心が悲鳴を上げている。目の前でウズミが散った。自分を逃がす為にキサカは戻ってこなかった。M1開発で顔見知りになったジュリも戦死した。そして脱出間際に親友と言える仲だったフレイまで失ってしまった。その喪失感を埋めることも出来ないカガリは、溢れ出る感情を抑えることも出来ずベッドに倒れこんで大声で泣き出してしまった。





 オーブの敗戦。これは南太平洋の戦略に大きな影響を及ぼす事となった。ソロモン諸島にあるオーブがプラントに落ちた為に、これまで後方基地として使っていたラバウルとエリス諸島が敵の基地航空隊の攻撃範囲に収まる事になり、後方部隊をトラック諸島やマーシャル諸島、パラオ諸島にまで下げる必要に迫られたからだ。更にこれまで前線拠点だったニューギニアとフィジーは一気に窮地に立たされてしまう事になった。
 ラバウルで後方に移動していく部隊を見送りながら、アズラエルは隣に立つサザーランドにこれから如何するのかと問い掛ける。

「サザーランド君、これから色々大変だね」
「はい。ですがオーブを脱出した艦隊も合流しました。ティリング提督は現時点では協力は出来ないが、カガリ様の命令を受ければ連合に加わると言ってきております。大型空母1隻に大小の護衛艦が22隻となれば、1個艦隊と言って差し支えはありません。必要なら補強も出来ますし。機体は無くしたようですが、それはこちらで用意致します」
「タケミカヅチ、か。オーブにあれだけの艦を建造する余力があったとは思わなかったね」

 オーブ艦隊は合流後、ラバウルを目指して航行してきた。途中でようやく出撃してきた大西洋連邦第3洋上艦隊に出迎えられたのだが、彼等はボロボロのオーブ艦隊よりも、その中に1隻だけ威容を放っていた巨大空母に驚いたのである。それはラバウルに入港してきたタケミカヅチを見たアズラエルも同様だった。

「オーブ軍は僕の想像以上に持ち堪えていた。もしうちがオーブを攻めてたら、結構酷い目にあったかもね」
「そうですな。M1というMS、侮れない性能を持っているようです。衛星軌道からの偵察を行いましたが、どうやらザフトはオノゴロのインフラを使える状態で接収できたようですから、今後面倒になるかもしれません」
「……カーペンタリアを叩いた分のダメージを取り返されたかな」

 オーブの軍事技術力が高いレベルにあることは分かっていたが、それをザフトが利用したらかなり面倒な事になりかねない。タケミカヅチ級の空母を作れる建艦技術を持ち、高性能な量産型MSの生産が出来る施設があるのだから。それをそっくりザフトが接収したと言うなら、下手をするとカーペンタリア以上の拠点をザフトは得たのではないだろうか。カグヤも無傷とは言わないが早期に復旧する状態でザフトの手に渡った事も分かっている。
 オノゴロ島はここだけで完結する巨大な軍事基地であり、軍需工廠でもある。これをザフトがオーブの人的資源を利用してフルに活用し、その生産力で力を回復したらどうなるか。それを考えてしまったアズラエルは背中に冷たい物を感じてしまった。オーブ戦は、下手をすると地上戦の行方を再び混沌とした物に戻してしまうのではないかという恐怖を覚えたのだ。

「……サザーランド君、ここは別の人に任せて、連合軍最高司令部に戻ってください。戦略の建て直しが必要になりそうです。ユーラシア、東アジアと協議が必要でしょう。極東連合もそろそろ動く筈です」
「承知しましたが、アズラエル様は如何なさるのですか?」
「僕は一度本国に戻った後、スカンジナビア王国に行きます。そこでラクス・クラインと会合する予定でして、ザラ暗殺の真偽をもう一度質さなくてはいけません。彼女は否定していましたがね。それと、大統領が未だに維持しているプラントとパイプにこちらから接触してみます」
「ササンドラ大統領は、まだプラントとパイプを持っているのですか?」

 パトリック・ザラが倒れた事で講和の道が断たれたと思っていたサザーランドだけに、政府がまだ別のパイプを持っていたという事を知って驚いていた。そんなサザーランドにアズラエルは苦笑を浮かべている。

「彼も一国の大統領に登りつめた男ですよ。一国のTOPになれる男を侮ってはいけません」

 だが、アズラエルもそれを素直に喜んでいるわけではない。大西洋連邦は中々にしたたかな動きを見せている。それは大西洋連邦がブルーコスモスの意思とは乖離して来ているという事だ。完全に共同歩調を取れると思っているわけではないが、これまでの既得権が離れつつあると思おうと面白くはない。
 だが、一方では自国政府の指導者が有能な人物であると証明されたわけでもあり、嬉しくもあったのだ。無能な指導者に国を任せているというのは勘弁願いたい。

「ま、後はカガリさんの出方次第ですかね。彼女の決断次第では、連合がアメノミハシラを使えるようになるかもしれません」

 宇宙ステーション「アメノミハシラ」。地球軌道に存在するオーブの巨大基地であり、軍事拠点として使えれば連合軍は地球軌道の制宙権を奪還する事が可能になる。再建が進んでいるパナマには打ち上げる為に各地の造船所で建造されていた宇宙艦が集められており、第1、第2艦隊として月に配備されている第3、第4、第6、第7、第8の5個艦隊と合流する予定になっている。だが、アメノミハシラが使えてそちらに駐留させることが出来れば話ががらりと変わってくる。この2艦隊をアメノミハシラに回し、そこを拠点に地球軌道を守る事が可能になるのだ。パナマの打ち上げ軌道にアメノミハシラを移動させれば打ち上げは格段に安全になり、月との補給路の安全も確保される。
 だが、それはプラント側も承知している筈だ。アメノミハシラを放置しておく筈はない。直ぐにでも部隊を送ってこれを制圧するくらいの事はするだろう。まあアメノミハシラがなくとも大西洋連邦には新規のステーション建設計画があり、月でユニットの建造が進められてはいるのだが。これの地球軌道への射出とタイミングを合わせて2個艦隊を打ち上げ、この艦隊で守りつつ建設を進める。それが大西洋連邦のプランだった。

「カガリさんがどう動くか、ですねえ」

 カガリが連合への加盟を正式に打ち出してくれない限り、連合は助けに出れない。先のオーブ戦における援軍は完全に連合の戦略的な要求とアズラエルの個人的な感情から行われた物だ。だが、そんな事を幾度も繰り返せるわけはなく、カガリが動いてくれないと宇宙のオーブ勢力は殲滅されかねないとアズラエルは考えていた。

 この後、アズラエルは旅客機で大西洋連邦に向った。そこでブルーコスモス内の動きを掌握する必要があるためだ。既にアルビム連合などのコーディネイター勢力が連合に組している以上、これまでのコーディネイターの排斥という立場を変えなくてはいけない。その為にはブルーコスモス内の意思を統一し、末端のテロなどを防止する必要がある。そして、その過程でアズラエルは必要なら相応の強硬措置を取るつもりでもいた。持ってて邪魔になる駒なら、始末してしまった方が後腐れが無い。必要ならまた調達すれば良いだけだ。末端の暴力馬鹿など代わりは幾らでも居る。

「さて、ジブリール君とルフトさんはどう出ますかねえ。出来ればキーエンスにも戻って欲しい所ですが」

 ブルーコスモス内の最強行派の筆頭であるロード・ジブリールと穏健派のリーダー格である初老のルフト・ディビーズはブルーコスモスの重鎮で、アズラエルといえども無視できない相手だ。この中でアズラエルは強行派に居たのだが、今では中立的な立場に身を置いている。この危ういバランスを穏健派に向けるためにアズラエルはかつて穏健派を束ねた事もある若きリーダー、ナハトの復活を望んでいた。





 攻略されたオーブ本土では、クルーゼの軍政の元に戒厳令が敷かれていた。幸いにしてオーブ軍は指揮系統を保持しており、降伏にあたって目だった混乱などは見られなかった。彼等はホムラの命令に従って武装解除に応じたのだ。これはオーブ軍の訓練度の高さを示す物で、教育の行き届いた兵士たちに羨望の目を向ける隊長までがいる。ザフトにはもうこれほど良く訓練された兵士は少ない。大半はただ戦闘訓練だけを施された、軍人とは呼べないような即席兵士ばかりなのだ。
 そしてザフトはオノゴロ島でさまざまな物を手に入れることが出来た。ほぼ無傷でザフトの手に落ちたモルゲンレーテの工場や、クルーゼが完全破壊を禁じたマスドライバーのカグヤ、設備の充実した湾口施設に未使用の武器弾薬や食糧といった軍需物資の山、そしてオーブの軍工廠である。これらを接収したザフトの経理担当官たちは喜びの声を上げ、これまで信じた事も無いような神に感謝の祈りを捧げたのである。年中切迫している補給事情の中で必死にやりくりしているザフトにとって、この使い切れないほどに備蓄された物資はまさに宝の山であった。
 クルーゼ自身はモルゲンレーテの工場を視察し、そこに完成間近で放棄されているM1を見て技師にこれは生産を続行できるのかと問い掛け、可能だという返事を受けてコーディネイター用のB型を量産するように指示を出している。M1の性能は自ら確認していたので、ゲイツ以上と思われる高性能機を戦力化出来るなら是非とも欲しいのだ。
 他にもモルゲンレーテには各種の武器弾薬の生産工場があり、これを使ってクルーゼはオーブ戦とカーペンタリアの損失を埋めようと考えていた。
 だが、そこでクルーゼはなんとも形容し難い物体を目の当たりにし、しきりに首を捻る事となった。それは強いて言うなら、オーブの防衛隊司令官にして前代表令嬢のカガリ・ユラ・アスハをパロディ化して巨大ロボットにしたかのような代物だったのだ。

「これは、一体何なのだ?」
「それが、モルゲンレーテ側の回答ではスーパーメカカガリとか何とか」
「……一応確認するのだが、これは軍事兵器なのか?」
「いえ、特撮用に依頼された撮影用機材の1つだそうです。ただ、何故か装甲も武装も軍用レベルで、実戦に投入も不可能ではないようです。何に使うのか知りませんがビーム砲まであります」
「……という事は、もう少し遅ければこれが我が軍の前に出てくる可能性もあったのか」

 こんな変なロボットが戦場に出てきて暴れまわって、こちらに損害が出るような事態になったら自分はどういう顔をすれば良いのだ。その光景を想像してしまい、クルーゼは頭痛を堪えるように右手で額を押さえていた。



 そして捕虜の処分について、クルーゼは驚くべき人物と出会う事になる。オーブは多数の傭兵を雇っていたのだが、その傭兵の捕虜の中に自分の顔見知りが居たのだ。リストからその名を見つけたクルーゼは彼を自分の元に寄越させて直接話をしていた。

「驚いたよユーレク、まさか君がオーブに居たとはね。オーブ軍に化物じみた青いMSが居るとは聞いていたが、なるほど君だったのか。イザークたちが束になっても勝てないわけだ」
「ふん、世辞は良い。用件はなんだ?」
「相変わらず愛想が悪い男だな。どうだ、もう一度私の元で働いてみないか。戦う機会には事欠かないと思うが?」
「……それは、私に前のようにザフトに雇われろ、という事か?」
「まあそういう事だ。オーブは負けたのだから、君の雇用契約も終わったのだろう?」
「……良かろう。では、これからはザフトのために戦うとしよう」
「結構、待遇については以前と同じで良いだろう?」
「構わん、武器と戦場、そして行動の自由があるならな」
「では、君は今日からうちの傭兵だ。MSは好きな物を支給しよう。後で要望を出してくれたまえ」

 機嫌の良さそうなクルーゼに頷いて見せ、ユーレクはクルーゼの前から立ち去って行った。クルーゼにしてみれば最強のジョーカーを手元に置いたも同然であり、何が相手でもユーレクをぶつければ負ける事は無いと考えている。ユーレクの力をクルーゼは良く知っているから。
 だが、クルーゼは気付いていなかった。ユーレクが以前とは少しだけ変わっていた事に。戦う事の他に、もう1つの目的を持っている事に。




 この後、クルーゼはホムラと会見し、彼とオーブの統治とザフトへの協力に付いて幾つかの取り決めを交していた。ホムラ首長の立場はプラントに協力する限りこれを容認する事となり、オーブの内政はホムラがこれまでどおり掌握する事となった。ただし、オノゴロ島はザフトの管理下に置かれ、オノゴロ島の全ての施設はザフトに接収される。またプラントの戦争にオーブは全面的に協力することも約束させられており、オノゴロ島の施設を運用する為に必要な物資、人材をオーブは提供する事になった。
 オーブ軍は武装解除され、兵士や下士官はオノゴロ島以外の島で解放されている。装備を奪い、オノゴロ島への入島を厳しく管理すればレジスタンスの活動する余地も無いというのがザフト側の判断であったが、ホムラの強硬な要求を呑まされたという面もある。ザフトが捕虜をどう扱っているかは有名で、ヴィクトリアの虐殺事件に見られるように占領地での振舞いはお世辞にも褒められた物ではない。それが分かっているだけに、ホムラは健闘してくれた自国将兵にそんな運命を味合わせたくなかったのだ。
 その見返りとしてオーブはオノゴロ島の戦時生産に協力することを確約させられ、オーブ政府が立場を保証した労働者や技術者をオノゴロ島に送る事になった。これはオーブの理念に反する事ではあったが、国民の安全を考えれば仕方がないとホムラは受け入れている。下手に反発して軍政をオーブ全土に広げられたら目も当てられない。


 ただ、この条約はこれまでの他地域におけるザフトの対応から較べると随分と穏やかな物であった。特に交渉に当たったのが「あの」ラウ・ル・クルーゼだという事を考えると、何か悪い物でも食ったのかとまことしやかに疑われるほどだった。
 勿論クルーゼが善人になったわけではなく、オーブを攻めた事を悪いと悔やんでいたわけでもない。クルーゼにしてみればプラント本国の方針が地球からの撤退となっているのだから、短期的にオーブを利用して戦力の再建を行い、カグヤを使って戦力を宇宙に脱出させる事が出来ればオーブに用は無い。ならば多少譲歩を見せオーブの協力を取り付け、戦力の再建を進めた方が得策だと考えたのだ。どうせそう長い事いる訳ではない。
 それに、クルーゼ個人にしてみれば後で地球ごとジェネシスで吹っ飛ばす予定なので、別に今オーブを殲滅する必要も無い。

 ただ、クルーゼにとって面白くないのはオーブを脱出した残党軍の存在だ。数は大したものではないが、連合に与されれば厄介な事になる。この問題をクルーゼはホムラに何とかするように求めたのだが、ホムラの回答はクルーゼを歯軋りさせる物だった。

「それが、脱出した者たちはこちらの命令を聞くつもりは無いようです。どうやらアメノミハシラに脱出しおったカガリに従っておるようですな」
「ではカガリ。ユラ・アスハに投降を勧めて頂きたい。オーブは既に降伏したのですぞ!」
「軍にはウズミ前代表の薫陶を受けた者が多いのですよ。彼等がカガリを立てて歯向かっておるのです。カガリもウズミの娘だけあって、頑固一徹でしてな。説得を聞こうともしないのです」
「……では、残党勢力はオーブに対する反逆者として処断しても構わないのですな?」

 アスハ家の最後の嫡子を葬っても良いのか、と暗に脅しを込めて言い放ったクルーゼであったが、驚いた事にホムラはこれをあっさりと受け入れてしまった。

「止むを得ないでしょうな。オーブの正統政府はここにある以上、彼等は公式に反逆者として扱われます。ですが我々は固有の武力を失いましたので、むしろあなた方に討伐を依頼する形となりましょう」
「なっ……?」

 自分の投げた球を投げ返され、クルーゼは次の言葉を継げなくなってしまった。オーブ本国がカガリたちを公式に敵と言ってしまえば、カガリたちの存在に付いてホムラたちを糾弾出来なくなる。
 カガリたちの事を押し付けられたクルーゼは不機嫌そうにホムラの前から立ち去っていく。それを見送ったホムラはやれやれと肩の力を抜くと、椅子を回して窓から外を見た。そこからはオロファトの郊外にある山腹が伺え、丁度アルスターの屋敷があるのだ。あそこには自分が手を入れていた庭木がある。

「私は、恐らく後世に売国奴として記録されるだろうな。それをカガリが解放し、私は首長の座を追われて退陣する。これが理想なのだがな」

 もしカガリが撃破されればそれまでだが、カガリはそれを乗り越えてくれるとホムラは信じていた。何しろカガリは、どうしようもなかったとはいえ、オノゴロ島の民間人を見捨てる決断を下せたのだから。組織を動かせる人材は探せば居るが、有事に際して決断を下せる人材は中々居ない。ましてあの若さで悩みに悩んだ末に下して見せたのだ。カガリには指導者の資質が備わっている。
 カガリの補佐として幾人か人材も付けた。後は彼等の若い力に期待するしかない。彼等がどういうオーブを作っていくのか、それをホムラは楽しみにしていた。

「その時には、私はのんびりと隠遁生活を楽しませてもらえるかな?」

 オーブ国民が自分を否定してカガリを受け入れる。そんな未来を望むホムラは他人が見ればおかしいとしか思えないだろうが、ホムラは真剣だった。オーブを立て直すには古い血を捨て去る必要がある。その仕上げには、オーブ国民がこれまでのオーブを否定する必要があるのだ。そのためなら、ホムラは喜んで捨石になるつもりであった。





 クルーゼとホムラの取引によってオーブの兵士たちは武装解除されたうえでオノゴロ島から運び出されていった。士官には尋問が行われ、将官や幹部級の佐官は拘束されて暫く解放されることは無さそうであったが、大部分はオノゴロ島から退去させられる事になった。
 ただ、オーブ戦における負傷者は多く、彼等は機能しているオノゴロ島の病院に収容されて手当てを受けている。この処置も大変な作業であり、ザフトにとって大きな負担となっていた。大洋州連合も一部の部隊が残ってくれていたのだが、大部分は本国の防衛の為に戻ってしまったのだ。何しろカーペンタリアが叩きのめされたので、本国北岸の守りが極端に手薄になってしまった。
 この負傷者の中にはザフト将兵も多く、特務隊からもミゲルとフィリスが負傷して入院している。また特務隊の保有MSの半数が大破してスクラップ同然、ないしは中破という状態になっている。オーブ戦におけるザフトの被害も決して軽くは無かったのだ。

 多くの者が雑務に追われて働いている中で、中には暇な者も居る。特務隊の面々はそんな暇組で、乗艦であるアースロイルに残っていたジャックは回ってきた報告書に目を通しながら呆れた声を漏らしている。

「こりゃ酷いな。オーブ攻略戦で3割の被害だってさ」
「無理も無いですよ、あれだけの激戦でしたから。特にフリーダムの火力は圧倒的でした」

 艦の厨房でエプロンつけて何かやっているシホがジャックの話に答えている。2人は特に用事も無いので、艦内で待機をしていたのだ。他の連中はみんな出かけてしまっている。

「しっかし、エルフィとルナも熱心だよな。ザラ隊長を追って病院に行っちまうとは」
「ルナに付き合わされてるレイも大変でしょうね。でも、ザラ隊長はどうして捕まえたオーブのパイロットを見舞ってるんです?」
「確か彼女は隊長の知り合いだよ。前に見た事がある。ジュール副長とも知り合いみたいだったぜ」
「お友達、という事でしょうか。戦争で敵同士になってしまったのなら、ザラ隊長も辛かったでしょうね」
「……戦争だからって、割り切れない事もあるよな」

スポンジにクリームを塗っているシホ。その手さばきは中々のものだ。最後に果物をトッピングして彩を加えている。

「よし、出来ました」

 シホは満足げに頷くと、出来たケーキを持って食堂に戻り、ジャックと向かい合うように椅子に腰掛けてケーキを切り分けた。

「エルフィさんに教わった通りにやってみました。上手く出来てると思いますよ」
「大きく出たな。では味見を」

 ジャックがフォークを手にケーキを口に運び、租借している。それをシホが真剣な眼差しでじっと見ている。そのシホの前で、ジャックが難しい表情になった。

「エルフィにはまだまだ及ばないな」
「そうですか」

 ガックリと肩を落とすシホ。だが、それを見たジャックはニヤリと人の悪い笑みを浮かべた。

「ま、それでもかなり上達してるよ。十分美味いって」
「あ、ジャ、ジャックさん!」
「ははははは、悪い悪い」

 拗ねるシホにジャックは頭を掻いて笑ってケーキを食べだした。シホもちょっと膨れながら自作を味わい、豊かな甘さに頬を緩めている。

「でも、フィリスをジュール副長が見舞いに行ったのは驚いたよな」
「そうですね。副長もフィリスさんの事を気にかけていたんでしょうか?」
「さあ、日頃はそんな素振りは欠片も無かったけど」
「まあ、フィリスさんは喜んでいるでしょうね」

 実は特務隊の中で一番健全に青春してるのはイザークとフィリスではなかろうかと思う2人であった。なお、イザークが嫉妬団だという事は未だにフィリス意外には何故か気付かれていなかったりする。




 フレイの眠るベッドの横で椅子に腰掛け、じっと彼女の覚醒をアスランは待っていた。出来れば2度と戦いたくなかった相手。でも、出て来るだろうと予感はしていた。キラとは違うが、フレイも不器用な少女だったから。オーブにザフトが攻めてくると知って、黙っている事は無いと思ってはいた。
 敵パイロットとしてみれば友軍機を何機も叩き落した憎むべき相手なのだが、強引に理由をこじつけてオーブを攻めたという罪悪感がアスランの内にはあり、それがフレイへの怒りを打ち消してしまっている。それに、アスランにとってはフレイの住む場所を襲ったのはこれが2度目だという負い目まであった。

「流石に、今度は1発じゃ許してくれないだろうな」

 顔を合わせるたびに殴られているような気がするが、今回はボコボコにされる覚悟をしていた。謝っても許してはもらえまい。
 そんな事を考えていると、フレイの様子が少し変わった。それに気付いたアスランは起きるのかと思って少し腰を浮かせている。そして、フレイはゆっくりと瞼を開けた。

「…………」

 寝ぼけ眼でゆっくりと左右を見たフレイはアスランと目を合わせた。そこでアスランの顔をじっと見ていたフレイは、小さく欠伸をするとまた目を閉じてしまった。

「待て、寝るんじゃない。起きろ!」
「何よ、煩いわねえ」

 2度寝しようとした所を邪魔されて、フレイは不機嫌そうに上半身を起こした。右手で寝ぼけ眼を摺り、少しぼんやりしながらもアスランの方を見る。

「……ここは何処よ?」
「病院だよ。君は撃墜された後、ここに収容されたんだ」
「そっか、私、助かったんだ」

 あの戦いを思い出してか、フレイは短く息を吐き、そしてアスランに幾つか質問をしてきた。

「キラたちは、脱出できたの?」
「……ああ、取り逃したよ。キラたちはアメノミハシラというオーブの宇宙ステーションに辿り着いたらしい」
「そう。それじゃあ、オーブは今どうなっているの?」
「とりあえずホムラ代表が我々に協力する形でオーブ統治をしている。ザフトはオノゴロ島を接収したよ。オーブ国内に大きな混乱は見られない」
「ホムラ代表が……」

 なるほどと頷くフレイ。彼女には政治の事は分からないのでホムラが何を考えているのかは洞察のしようが無いが、オーブ国内が混乱していないというなら問題は無いのだろう。
 そしてアスランは少し躊躇った後、フレイに頭を下げようとした。

「そ、その、フレイ、今回の事は……」
「謝ったら、本気で怒るわよ」

 謝ろうとしたのだが、それをフレイに止められてしまい、戸惑ってしまった。

「ど、どうして?」
「私も、もう昔の私じゃないわ。攻撃を決めたのはあなたじゃないでしょ。そのくらいは分かってる」
「…………」
「怒ってない、と言ったら嘘になるけど、それを言い出したらキリが無いから。それとも、アスランは私に散々詰られて殴られたりしたいの?」
「いや、そういう訳じゃないんだが」
「それに、貴方から見れば私は仲間を大勢殺した憎い敵でしょ。何で殺さないのよ?」
「……そんな事できるわけ無いだろ。俺は軍人で、テロリストじゃない」
「なら私も同じよ。軍人だから、命令されたから戦った。そういう事よ」

 それで自分を納得させる。それは軍人として必要な自分をコントロールする能力の1つだが、それを実践できる人間は少ない。フレイがそう考えられるようになったという事に、アスランは驚きを感じていた。

「……君は、凄いんだな」
「私は凄くないわ。私の周りに居た人たちが凄かったのよ」
「なるほど、良い先生に恵まれてたわけだな」

 はははと楽しそうに笑い、アスランはフレイが元気そうなのを見ると、椅子から立ち上がって背凭れにかけていた上着を手に取った。

「君の体に異常は無い。目が覚めたのならさっさと退院した方が良いだろう。着替えをして1階のロビーに来てくれ。軍服はそこの袋に入ってる」
「……変な事してないわよね?」
「するか!」


 この2人を扉の隙間からこっそり覗き見していたエルフィとルナマリアは、仲の良さそうな2人の様子にかなり焦っていた。あの鈍感王で感情を表に出さないアスランが、それも女性がどちらかというと苦手なアスランがあんなに楽しそうに話すのを見るのは初めてなのだ。

「だ、だ、誰ですかあの人は?」
「フレイさんだよ。ザラ隊長の友達だって聞いてるけど……」
「あれはどう見たって友達以上ですよ。実は隠してるだけじゃないんですか?」
「それは、否定できないけど」

 アスランに特別な感情を持つ2人であるが故にアスランが絡むと些か見る目が歪むのかもしれない。ルナマリアに付き合わされているレイから見れば別にそこまで疑うような会話には思えないのだが、ルナマリアにはそう思えるらしい。

「……しかし、何で俺はここに連れて来られてるんだ?」

 レイ・ザ・バレル、何だかんだ言いながらもルナマリアに振り回される不幸な男であった。





 そしてイザークはというと、こちらはフィリスの病室に見舞いに来ていた。柄でもなく花束などを持ってきている辺りがアスランよりも気が利いている部分だろう。それを受け取ったフィリスは、この血気盛んで無骨な男がどういう顔でこの花束を購入したのか凄く気になったが、素直に礼を言ってそれを受け取っていた。
 花束を渡したイザークはパイプ椅子を引っ張ってきて腰掛けると、早速フィリスにあれこれ文句を言い出した。

「全く、こんな事で俺の手を煩わせるな。こっちは忙しいんだぞ」
「また何かありましたか?」
「ああ、馬鹿は何処に行っても居なくならん。今日も両手で数えられん位に叩きのめしてきた」

 不良軍人が多すぎると零すイザークに、フィリスはどこから突っ込んだら良いのか分からなくなってしまった。イザークも傍迷惑な嫉妬団の団長なのだから似たような物だとフィリスは言いたかった。

「ま、早く復帰してくれ。お前が居ないと事務が滞ってアスランが過労死するからな」
「副長が頑張ったら良いじゃないですか」
「俺が頑張っても大して役にたたんだろうが」
「威張って言う事じゃないますよ?」

 色香の欠片もない会話を交し続ける2人。しかし、フィリスと同室になっているもう1人の男、ミゲルはベッドの上で反対側を向きながら、物凄く困った顔をしていた。

「なんか、居辛い……」





 フレイを連れて連絡船でオノゴロ島からオロファトへとやってきたアスラン。何で送ってくれるのだというフレイの問いに、アスランはまだオーブが混乱しているからだと答えた。実は敗戦後のオーブ国内でザフト将兵が我が物顔で暴れ回るという事件が頻発していたのだ。戦争の勝者が傲慢になるのは珍しくない事ではない。20世紀後半辺りからこの戦争の常識を修正する誤記が加速したが、それが出来たのはごく一部の列強国の軍だけで、大多数は古来より続く虐殺と略奪を繰り返し続けた。軍のモラルの向上とは物凄く金と手間がかかるのだ。
 ザフトもこの例に漏れず、占領地域での横暴に多くの悲劇が生まれている。オーブでもこの問題が起きており、クルーゼは暴行略奪の厳禁を指示して憲兵を配置しているのだが効果は芳しくない。この状態は暫く続くと見られており、フレイの身を案じたアスランがこうして同行しているというわけだ。幾らなんでも隊長級が傍に居るのに悪さをする馬鹿は居ない。
 だが、この時アスランたちをそっと追跡する怪しい影が複数あった。それはザフトの兵士達であった。その中には何故かディアッカの姿までがある。

「副長、やはりアスラン・ザラは隣の少女の家に向っているようです」
「そうか、アスランの奴、まさかお泊りする気じゃないだろうな?」
「港ごとに女が居る、ですか。しかもあんな美人が」
「ラクス様にエルフィ、ルナマリアもだな」

 羨ましいじゃねえか、あの野郎。嫉妬団メンバーたちの目に暗い炎が燃え上がり、心の奥底から更なる嫉妬の炎が燃え上がる。ディアッカにはとりあえず女っ気がゼロなので、アスランに対する恨みは深い。

「ですが副長、団長も今日は女の所と聞いてますが?」
「あいつは部下の見舞いだ。心配しなくてもイザークにフィリスは口説けんさ。あいつは女に興味無しだからな」
「じゃあ、何で嫉妬団団長なんかやってるんです?」
「さあな、それは俺も良く分からん。先代の師匠から受け継いだとか何とか言ってたが」
「師匠?」

 なんだそりゃと同志達が首を傾げているが、ディアッカも良く知らないので答えてやる事は出来なかった。嫉妬団の歴史、そこには世に出せない巨大な秘密が存在するのだ。


 オロファトに付いたアスランはそこで吃驚仰天する事になる。アスランはフレイをただのパイロットだと思っていたのでもっと普通の家に案内されると思っていたのだが、アスランが連れて行かれたのは首都の郊外に立つ邸宅だったのである。しかもこの狭いオーブで広大な敷地を持っている。
 その敷地に入っていく道路の途中で、何故かメイドの女性がじっと佇んでいるのにアスランが気付いた。

「フレイ、あの人は?」
「ソアラよ。うちのメイドなの」

 アスランに答えて、フレイはアスランを置き去りにして走り出し、ソアラに抱きついている。それを受け止めたメイドさんは優しく笑っていたが、アスランに向ける目は好意的とは言えないものであった。それを向けられたアスランは居心地悪そうに身動ぎしたが、回れ右をする事は無く一礼してソアラの前までやってきた。

「お嬢様、こちらの方は? ザフトの士官のようですが」
「あ、アスランよ。私をここまで送ってくれたの」
「アスラン……もしや、ザラ家の?」

 どうやらアスランの事を聞いた事があるらしい。ソアラの問いにアスランが頷き、ソアラは頷くと2人を先導するように中へと入っていった。そして2人を追跡していたディアッカたちも木陰から敷地内へと入っていこうとする。


 中へ通されたアスランはソアラの入れてくれた紅茶を手にしながら、フレイに頼み事をしていた。

「屋敷を使わせて欲しい?」
「ああ、特務隊の仮本部にしたいんだ。最初は何処かの小さなホテルでも徴発しようかと思ってたんだが、ここを使わせてもらえればその必要もない」
「まあ、部屋は余ってるから大勢でなければ構わないけど、ソアラ、どう思う?」
「私は賛成です。治安の悪化を心配してお嬢様を送って頂いたような方ですから、このままここに滞在していただいた方がこちらも安全かと」
「俺は番犬代わりですか?」
「その通りです。ザフトの隊長がいる場所に悪さをしにくる者は居ないでしょう」
「まあ、そんな奴が居たら叩きのめして憲兵に突き出してやりますよ」

 ギブ&テイクとでもいうのだろうか、ソアラは家の安全を考えてアスランたちを置いておく方が都合が良いと考え、アスランは仮本部を手に入れる代わりに安全を保障してやるという関係になるわけだ。まあそう割り切られた方がアスランとしても気兼ねしなくて良いのだが。
 そんな事を話し合っていると、TVモニターの中に妙な警報が表示された。それを見たソアラがコンソールを操作し、眉を顰めている。

「防犯装置が反応している。侵入者のようです」
「侵入者って、ザフト?」
「攻撃システムが起動していますね。いま監視カメラの映像を回します」

 少し待って、TVモニターに表示された映像を見たアスランは額を床に摩り付けて2人に謝る事になる。そこに映し出されていたのはディアッカを含む10人ほどのザフト兵士だったのだ。なお、アルスター家の警備システムはかなり強力なもので、各種センサーシステムだけではなく、それと連動した警告、攻撃システムまで存在している。どうやらディアッカたちは警告を無視して奥に入り、攻撃システムを起動してしまったらしい。まあスタン系のものばかりなのだが、場所によっては殺傷能力を持つ物も配備されている。隙だらけに見えるが、ここの防御力は無茶苦茶高いのだ。
 この後、馬鹿な侵入者達はアスランの手で全員拘束された。まあ、半分は軽い麻痺状態になっていたりしたのだが。彼等を詰問した結果、アスランが美人と何処かに出かけるのを見て付けて来たというアホな事情が暴露され、聞いたフレイとソアラは怒るよりも呆れてしまっていた。そしてアスランは情けなさの余り壁に手を付いていたという。




 オーブの崩壊によって世界が動き出した。戦略の立て直しを迫られる地球連合と、地球からの戦力を引き上げを目論むプラント。プラントは戦略の根幹にあるジェネシスの建造を急ぎ、宇宙戦力の再編成にも力を阻止でいる。
 だが、そんな情勢下で双方にとって一気に戦略的な価値を増してしまったのが、オーブの宇宙ステーション、アメノミハシラである。これが連合に加担すれば地球軌道の勢力バランスが一気に崩壊し、地上のザフトは宇宙に脱出できなくなる。更に地球連合の宇宙への戦力打ち上げを阻止することも出来なくなる。
 本国が陥落した後に残党の集結拠点となっているこのアメノミハシラを排除する。それがザフトの次の目標であった。そして連合もまたアメノミハシラを味方に引き込もうと考えている。宇宙に逃れて尚、カガリたちは運命の中心にいるようであった。

 そのアメノミハシラの重力ブロックの一室で、1人ミナがワインをグラスに指2本分ほど注いで、それを手にとってグラスの中で揺らしていた。その瞳には何処か憂鬱げな光が宿り、何時になく覇気が感じられない。
 そして、その形の良い唇から、何とも言えない呟きが漏れでた。

「まだ、若いのだがな……」




後書き

ジム改 世界情勢が動き出しました。
カガリ 私はどっちに歩けば良いんだ!?
ジム改 それを教えてくれる人はもう居ない。
カガリ うう、胃と頭が痛い。
ジム改 普段は頭使わないからな。
カガリ ああ……って、ふざけた事言ってんじゃねえ!
ジム改 まあ悩むだけ悩んでくれ。それが人の上に立つって事だ。
カガリ 失敗したら無能呼ばわりされそうだ。
ジム改 心配するな。政治家ってのはどれだけ頑張っても無能呼ばわりされるもんだから。
カガリ それの何処がフォローだ!?
ジム改 まあ、現役の為政者は何をしても叩かれるって事だ。諦めな。
カガリ 酷い話だ。
ジム改 これからもカガリは苦労ばかりしてもらうぞ。
カガリ ……私も胃薬買おうかなあ。
ジム改 それでは次回、戦略の立て直しを図る連合。プラントも次の動きを模索する。世界の運命が次の段階へと走り出す中で、ラクスはジャンク屋の手を借りてプラントを脱出する。一方、シンはキースのスパルタ特訓に付き合わされる事に。そしてカガリは、悩みと苦悩の果てに遂に表舞台に立つことを決断する。次回、「旗は戦姫の手に」でお会いしましょう。

 

次へ 前へ TOPへ