第112章  自由軍の初陣


 

 オーブの首都、オロファトの海に面した崖の上にある小さな休憩所。丸太で組み上げられた屋根とベンチ、簡易テーブルがあるだけの小さな建物の傍で、1人の男が脚立に腰掛け、鋏を手に庭木の剪定作業をしていた。
 そこに、メイド服を着たソアラが湯飲みと急須、お菓子をお盆に乗せてやってくる。

「アスランさん、休憩してください」
「ああ、すいません」

 剪定をしていたのはアスランであった。脚立から降りてきて、首に掛けていたタオルで汗を拭っている。ソアラはお盆をテーブルの上に置くと、アスランを迎えて済まなそうに頭を下げた。

「申し訳ありません、アスランさん。こんな事をさせてしまって」
「いや、1日中ベッドに縛り付けられてるのも嫌でしたから、丁度良い暇潰しでしたよ。逃げ出すとフレイが煩いですからむしろ助かりました」
「ふふふ、お嬢様もあれで結構頑固で融通が利きませんからね」

 ベッドから出して貰えなかったアスランはウンザリした顔でズズズっとお茶を啜っている。それを見てソアラが気を利かせてこんな仕事を頼み、アスランを外に連れ出したのだ。過労で倒れた人間には気晴らしも必要だろう。
 湯飲みをテーブルに戻したアスランは、1つ気になった事をソアラに聞いて見た。

「でも、なんで湯飲みが3つあるんですか?」
「ああ、それですか。そろそろ来る頃ですから」
「来る頃?」

 何がと首を捻るアスラン。その耳に、良く通る声が聞こえてきた。

「あ、居た居た。ソアラ〜、お茶なら混ぜて〜!」
「ほら、来ました」
「なるほど、こういう事ですか」

 主の行動パターンをよく理解しているソアラの読みに感心して、アスランはテーブルに置かれている羊羹を頬張り、お茶を啜った。

「……和むなあ」

 アスラン・ザラ。軍に入って以来初めてのんびりと過ごせる日々を送っていた。その場にフレイが駆け込んできて、ソアラが3つ目の湯飲みにお茶を注ぎ、フレイの前に差し出す。

「はいお嬢様、熱いですよ」
「む、紅茶じゃないの?」
「はい、このお菓子に紅茶は合わないと思いまして」

 並べられた和菓子を見て、フレイはそれ以上何も言わずに黙ってお茶を一口啜り、小さな声を上げて直ぐに口から離してしまった。どうやら熱かったらしい。それを見てアスランとソアラが笑い出し、フレイが拗ねてそっぽを向いてしまう。それを見てアスランが笑いながら謝ろうとした時、トリィが飛んできてフレイの肩に止まった。

「あらトリィ、良くここが分かったわね」
「トリィッ」

 キラの持ち物の筈なのだが、すっかりフレイのペットロボットと化しているトリィ、キラに返さなくて良いのだろうか。それを見たアスランは驚いて、何でトリィがここに居るのかと聞く。

「フレイ、どうして君がトリィを? それはキラに譲った物なのに」
「ああ、アークエンジェルに乗ってた時に私に懐いちゃって。いつの間にかこうなっちゃったのよね。キラも引き取りに来ないから、今でもうちに居るのよ」
「キラの奴、折角俺がプレゼントしたトリィを何だと思ってるんだか」

 プレゼントした物とはいえ、もう少し大事にしろと言いたい。不満そうにお茶を啜るアスランを見てフレイは首を傾げると、トリィを右手の指先に乗せてアスランに差し出した。

「なら、アスランが引き取る?」
「……いや、それはもう俺の物じゃないからな。フレイに懐いてるならフレイの所に居れば良いさ」
「そう? なら良いけど」

 フレイは指に乗せたトリィを自分の肩に戻すと、お茶をふーふーとして冷ましだした。紅茶は飲めるのに何で日本茶は駄目なのだろうか。よく分からない猫舌である。

「でも、キラたちは大丈夫かなあ?」
「…………あのな、俺に聞かれても答えられるわけが無いだろう。一応軍機というものがだな」
「別に作戦を教えてくれって言ってるわけじゃないわよ。まだキラたちは無事なのかどうかを聞いてるの」
「似たような物だと思うが、まだ宇宙軍はアメノミハシラを攻撃してはいないようだ。俺が知ってるのはこれくらいだな」
「そっか、良かった。じゃあみんなまだ大丈夫ね」

 良かった良かったと言ってお茶を啜るフレイ。あそこには友達や教え子達がたくさん居るのだから。安堵しているフレイを見て、アスランの心に彼にしては珍しい悪戯心が首を出してきた。

「何だフレイ、やっぱり彼氏のことは気になるのか?」

 エルフィやルナが聞けば耳を疑うような台詞をアスランが口にする。彼がこういう色恋沙汰を冗談で口にするのは極めて珍しいのだ。だが、それを聞いたフレイは何故かキョトンとした顔をしていて、アスランは少し意外そうにあれっと首を傾げる。

「何だ、心配だから聞いてきたんじゃ無いのか?」
「ううん、心配だから聞いたんだけど、私に彼氏なんて居ないわよ」
「はい?」

 誤魔化してるのかと思ったが、フレイは真顔だ。それを見てアスランは、ひょっとして俺はとんでもない勘違いをしていたのだろうかと真剣に考え込んでしまった。



 こんな穏やかなお茶会を、そっと木陰から覗いている男達が居た。

「くっ、アスランの奴、こんな所で美人2人もはべらせてお茶会か……」
「だ、だが、相手があのメイドでは、2人では流石に分が悪すぎる……」

 嫉妬団団長と副団長のイザークとディアッカは悔しそうに拳を握り締めながら、でも手が出せない現実に涙していた。ソアラに先日叩きのめされた身としては、どうにも手が出せないのだ。実はフレイも怒るとかなり怖かったりするが、幸運な事に2人はまだそれを知らない。





 スカンジナビア王国。それは北欧、スカンジナビア半島に建国された、現在では唯一となった中立国である。国力は低い国だが、その価値は唯一の中立国という事もあり、旧世紀の世界大戦中のスイスのように高まっている。
 この中立国にあるアズラエル財団傘下のビルで、この世界を自分の望む方向に動かそうと画策している2人の人間が顔を合わせていた。1人はプラントから指名手配されている反逆者にして、世界中のある思想を持った人間を糾合している人物、ラクス・クライン。もう1人は地球連合に絶大な影響力を持ち、大西洋連邦を影から牛耳っているブルーコスモスの盟主、ムルタ・アズラエル。
 そしてこの場にはもう1人の要人がいた。スカンジナビアの王族で、今回の会談の実現に協力していたメッテマリット・ルイーズである。彼女は顔が広い人物で、アズラエルの要請を受けてこの会談を実現させた。
 会議場にやってきたアズラエルはメッテマリットとラクスを見ていつもの商業スマイルを浮かべ、気軽に挨拶をしてきた。

「やあラクスさん、遠路はるばるようこそ、地球へ」
「お久しぶりですわ、アズラエル様」

 ラクスとアズラエルは南太平洋の会談から4ヶ月ぶりになる。ただ、あの時とは両者の境遇はまるで違っているが。ラクスを見るアズラエルには余裕が感じられ、ラクスにはあの時の余裕が感じられない。

「ラクスさん、少し痩せられましたか?」
「あら、そんな事はありませんわ」
「そうですか? 大事なお体です、無理をなさらないで下さいね」

 アズラエルの言うとおり、ラクスは確かに少しやつれていた。これまでの逃亡生活が随分体に堪えているのは一目で分かるのだが、弱気を見せない気丈さは変わっていないようだ。アズラエルは薄く笑ってラクスからメッテマリットに視線を移す。

「メッテマリットさんも、今回は骨を折らせて申し訳ありませんでした」
「いいえ、私は少し口を聞いただけですから」

 アズラエルの礼にニコリともせずに答えるメッテマリットに、アズラエルは笑顔を引き攣らせた。一体何処にどういう口を聞いたのだろうか。後で自分に苦情や請求書が来たりしないだろうなと心配してしまっている。メッテマリットは王族としてはかなり端に位置する、王位継承権があるだけの人物なのだが、これでスカンジナビア王国の内外に顔が利くので意外に侮れない。
 実はオーブのウズミやカガリとも面識があったりする。

「それでアズラエル、今日は世間話をしに私に手間を取らせたのかしら?」
「いえいえ、そんな事はありませんよ」

 メッテマリットの冷たい声に冷や汗をかきながらアズラエルは席に座り、ラクスと話し始めた。

「それではラクスさん、私が一番知りたい事があります。正直に答えてくれますか?」
「ええ、勿論ですわ」
「そうですか。それでは単刀直入にお聞きしましょう。パトリック・ザラを殺したのは貴女ではないんですか?」
「違いますわ。確かに命を狙ったこともありますが、私は全て失敗していますから。私たちが成功したのでしたら、アズラエル様に伝えない理由は無いでしょう?」
「……正直なことですね」

 これまで幾度かテロをしていますとあっさりばらしてくれるラクスに、アズラエルは顔から笑みを消した。それまでの商売人の顔から、軍需産業連合理事、ロゴスのTOPとしての顔に変わったのだ。その怜悧な表情を見たメッテマリットが少し顔を顰める。
 アズラエルは冷たい眼差しをラクスに向け、別の事を問い質す。

「ラクスさん、貴女は今後どうなさるつもりですか?」
「…………」
「今後の展望を聞かせて貰えませんか。貴女はこの戦争で何をしたいんです? この戦争を終わらせたいんですか? それともこの戦争を利用して何かをしたいんですか?」
「どういう事でしょうか?」

 ラクスの声に初めて険が混じる。それまでの穏やかな調子が消え去り、代わって怒りが感じ取れるようになっている。それはラクスを知る者からは驚くしかない変化であった。そう、かつてこの顔を見たことがあるアスランを覗けば。それはそれまでのラクスからは感じられなかった威圧感を発している。だが、それはアスランを威圧する事は出来ても、アズラエルを威圧する事は出来なかった。
 ラクスの無言のプレッシャーを気にもせず、アズラエルはいきなり違うことを話し出す。

「そういえば、オーブは負けてしまいましたね。ウズミさんも戦死したようですし、貴女の方は苦しくなったんじゃ無いですか?」
「何の事でしょう?」
「惚けないで下さいよ。オーブがジャンク屋を使ってそちらに物資を供給していたこと、私が知らないとでも思ってるんですか? 組織を甘く見ない方が良いですよ」
「……はい、確かにオーブからの供給が断たれた事は響いています」

 ばれているのなら仕方ないと開き直ったのか、ラクスはあっさり認めた。だが、次にアズラエルが切り出した言葉には動揺したのか、かすかに表情が動いた。。

「そういえば、ザフトがオーブを攻めた本当の理由は、フリーダムに搭載されていたNJCらしいですね」
「どうしてその事を?」
「とあるルートからそういう情報を入手できました。まさかそんな物があるとは驚きでしたが」
「…………」
「でもラクスさんも酷いですよ。こういうものがあるならこちらに譲ってくれれば……」

 そこまで言って、アズラエルは口を閉ざした。ラクスはもう自分の話を聞いていない。ただじっと何かを考え込んでいる。彼女の胸中を満たしているのは後悔なのか、それとも打算なのか。
 これに続いてフリーダムの強奪が終戦の機会を奪い、パナマ戦を呼び込んだ。そしてそれが終戦に持ち込むチャンスを奪ったのだと突きつけるつもりだったアズラエルだったが、その様子を見てそれを言うタイミングを失してしまい、口を閉ざしてしまった。
 ふうっと溜め込んでいた物を吐き出すと、アズラエルはメッテマリットの方を見た。

「貴女は、この辺りの事情をご存知でしたか?」
「全てを知っていた訳では無いわ。貴方の方が詳しいでしょう?」
「という事はある程度はご存知という事ですね?」
「まあ、ウズミ殿とマルキオ導師が幾度か接触して、オーブから数度に渡って軍需物資が何処かに送り出された、という事くらいかしら」

 彼女も独自の情報網を持っている。それはアズラエルですら驚くような情報を掴んでいて、アズラエルが舌を巻く事もしばしばある程だ。アズラエルにしてみれば最も敵に回したく無い相手の1人だったりする。

「それでは、エザリア政権がどうするつもりなのかも御存知なのですか?」
「彼女はパトリックとは違うようね。何処で戦争を終わらせるのか、明確な考えを持っていないみたい。ただ負けるとは思っていないみたね」
「そうですか。現実が見えていないのか、何か逆転の切り札でも持っているのでしょうかね?」

 ありえないとは言えないだろう。MSやNJという切り札でプラントは連合とここまで戦い続けてきた。それに続く新たな切り札を作っているのではないか。その可能性をアズラエルは否定できないでいる。
 でも、果たして今の戦況を逆転できるような物があるのだろうか。あのフリーダム、ジャスティスとかいうMSを量産したとしても、戦局を引っ繰り返すには至るまい。逆にそれを維持するコストでプラントが内部崩壊するはずだ。
 考えても答えは出ない。そう纏めると、アズラエルは改めてラクスを見た。そろそろ頭の中で考えをまとめる事が出来た頃だろうと思ったのだ。

「それでラクスさん、貴女は今後どうなさるおつもりですか?」
「決まっていますわ。私はナチュラルとコーディネイターが争わずに暮らしていける世界を目指します。そして、何時の日か全てのコーディネイターがナチュラルへ回帰する。それが私の目指す未来です」
「……まるでうちの穏健派のようなことを言いますね。貴女は私ではなく、キースに話を持ち込むべきだったのかもしれません」
「キース?」
「キーエンス・バゥアー、今は連合軍でMAに乗っている変わった男です。昔はブルーコスモス穏健派でナハトという偽名で活動していました」
「あら、私、その方とお会いした事がありますわ」
「は?」

 キースと会った事があると言うラクスに、アズラエルは驚きの表情を作ってしまった。ラクスとキースの何処に接点があるのだろうか。あの男は随分前に活動を止めて野に下ったはずなのに。

「何故、貴女とキースが?」
「半年ほど前に宇宙でアークエンジェルという軍艦に拾われた事がありまして、その時に色々とお世話になりました」
「……なるほど、ねえ。偶然というわけですか」

 また凄い偶然もあったものだとアズラエルはあきれ返ったが、ラクスといい、カガリといい、そしてキラといい、全てがアークエンジェルという戦艦に集ってくる。こうも偶然が一箇所に集中すると、アズラエルといえども運命という言葉を感じずにはいられなかった。
 そんな事を考えて、アズラエルは頭を軽く左右に振ってその考えを追い出した。今はそんな事を考えている時ではない。

「まあ良いでしょう。ラクスさん、貴女はこれから具体的に何をするつもりですが? 内戦を始めるつもりなのか、それとも民衆を扇動して革命でも起こすつもりですか?」
「私は戦争を否定しているつもりですが、軍事力の有効性を完全に否定しているわけではありません」
「それは貴女の言う台詞じゃないと思うんですが?」

 戦争を否定するのに軍事力は肯定する。その主張が成立するのはオーブのような他国を侵略する気が無い国の指導部だけで、ラクスのような武力を持って国家に歯向かう武装ゲリラの指導者が口にして良い台詞では無い。
 それに、この答えは余りにも抽象的過ぎた。アズラエルは何をする気なのか、具体的な答えを欲しているのであって、概念的な答えを望んでいるのではない。

「ラクスさん、私は具体的に何をする気なのか、と聞いてるんですが?」
「…………」
「まさか、決まっていないのですか?」

 ツッコミを受けて、ラクスは気まずそうに顔を逸らせてしまう。ラクスが黙り込んでしまったのを見て、アズラエルは呆れるを通り越して脱力してしまった。プラントで同志を率いて蜂起したというのに、具体的な方針を何も定めていないというのだろうか。もしそうなら、行き当たりばったりにも程があるというものだ。いや、そんな適当さで反乱を起こされたら、むしろプラント政府に同情をしてしまいそうである。
 もしエザリアがこの事を知ったら、ラクスを八つ裂きにしてやりたくなるのではないだろうか。まさか自分を政治的に苦しめ、国内を混乱させている元凶がこんな行き当たりばったりな連中だなどと考えたことも無いはずだ。
 アズラエルは流石に次の言葉が浮かばず、右手で顔を押さえてしまった。アズラエルもこういう事態は想定しておらず、咄嗟に次の言葉が出てこないのだ。どうしたものかと暫し部屋のあちこちに視線を移し、頭の中を纏めようとする。だが、まとめても答えは出なかった。ただ、1つだけ出た答えはある。アズラエルはそれをラクスに伝えた。

「どうやら、これ以上話す事は無いようですね」
「アズラエルさま?」
「私に譲歩を求めるなら、相応の代償を持って来ることです。貴女ならこれから何をしていくのか。それが分からないなら私は貴女に投資出来ませんよ」
「私たちが、信頼できないと?」
「どうやったら信頼できるのか教えて欲しいですね。確かにあなたは行動を起こしました。それは評価しています。ですが、その後を何も考えず、ただ理想だけを掲げて前に進むつもりですか。理想だけで動くと碌な事になりませんよ」
「ですが、理想無き力は多くの人を苦しめるだけです」

 これは譲れないとばかりに力強い声で主張するラクス。これはラクスたちの根幹をなす考えなので、何を言われようと譲れないのだ。だが、アズラエルにはこのラクスの主張は鼻で笑う類の物だ。考え方がまるで違うのだから仕方が無いのだが、アズラエルにとっては力に理想も正義も無い。代わりに政治的な理由が付いてくる。ラクスには逆に政治的配慮は無いので、この辺りに認識の差が出る。
 アズラエルはテーブルの上で両手を組み、その上に顎を乗せた。

「まあ良いでしょう、理想で何が出来るのか、見せていただきましょうか」
「それでは、今後とも協力していただけるという事でしょうか?」
「協力はしましょうか。ただし、今後の成果次第で減らすか、廃止する事もありえますよ。私は赤字部門を放置しておくほど優しくありませんから」
「……肝に銘じておきますわ」

 残念だが、オーブからの物資を断たれた以上、アズラエルからの資金援助は命綱だ。これが断たれればラクスは傭兵を雇う事も、物資を購入する事も出来なくなる。マルキオのツテである程度は確保できるのだが、それでは協力してくれるジャンク屋は一部の物好きに限られる。彼等も生活がかかっている以上、ボランティアでは動いてくれない。アズラエルからの膨大な資金は重要なのだ。

 これで話は終わりなのか、アズラエルが椅子から腰を上げた。それを見てラクスの表情に僅かに安堵の色が浮かぶが、それは即座に凍りつく事になった。背を向けようとしたアズラエルがふと何かを思い出したかのように足を止め、ラクスに告げたのだ。最悪の事実を。

「そうだラクスさん、この事を御存知でしたか。パトリク・ザラはアラスカ戦で戦争を終わらせる算段を整えていた、という事を?」
「……パトリック・ザラが?」
「ええ、うちのササンドラ大統領と密かに接触して条件調整をしてたみたいです。アラスカ戦の勝敗で最後の調整をして、表に出す気だったんでしょうね。私の情報網に引っ掛かった段階の物ではレールは完成していたようですから。ですが、その予定はとある事件でぶち壊しになり、パトリックはパナマ戦をせざるを得なくなったそうです。ですが、その最中に彼は倒れ、現在に至るという事だそうです」

 パトリックはラクスたちが考えていたような狂人ではなく、終戦までのプランをきちんと立てて、終わり方を考えて戦争指導をしていたのだ。その事を最後まで知る事が出来なかったラクスはパトリックを誤解したまま、終戦に持ち込む絶好のチャンスを潰してしまったのだと聞かされ、これまでの微動だにしなかったラクスの笑顔が初めて動揺に歪んだ。
 ラクスたちの決起の理由は、パトリックたち強行派の主導するこの終わりの見えない戦争を、双方の和解という形で終わらせる事だ。その為に強行派のTOPであったパトリックの排除をラクスたちは目指していた。彼を打倒すれば、強行派は勢いを失くして主導権を失うと信じていたのだ。だが、それがまさかそのパトリックが戦争を終わらせようとしていたとは。

 自分たちのしてきた事はなんだったのだと悔やみだしたラクスに、アズラエルは更に追い討ちをかけるような事を伝えた。

「そうそう、フリーダムを手に入れてる自由オーブ軍のカガリさんなんですが、そのNJCを私に提供してくれるそうです。勿論タダじゃないですが、おかげで大西洋連邦は核を復活させられそうです」
「そ、そんな……」

 それはラクスが最も恐れていた事態の1つだ。ラクスはアズラエルの計算高さは理解しているが、その人間性を信用しているわけではない。ラクスにとってアズラエルはあくまで金蔓であって、同志ではないのだ。状況が変われば兵器で掌を返すに違いない、油断の出来ない相手だと思っている。
 ラクスがキラにフリーダムをウズミに届けてくれと頼んだのも、ウズミならNJCを平和利用してくれると信じたからだ。地球のNJによる被害は凄まじく、餓死者を出すほどの惨事を起こしている。これがナチュラルのコーディネイターに対する憎悪を更に増幅していると考えたラクスは、ウズミにNJCを託そうとしたのだ。
 だが、同時にNJCが連合に渡る事も恐れていた。そうなれば連合は核兵器を復活させ、ユニウス7の悲劇が規模を遙かに拡大して再現される事になるだろう。それだけは避けたかったのに、まさかそれがオーブから流れる事になるとは。


 自分のした事が裏目に出てしまった。それを理解したラクスが必死に何かを考えている。彼女がどういう答えを出すのかは気になったが、とりあえず伝える事は伝えたアズラエルはまた大西洋連邦に戻らなくてはいけないので、メッテマリットに礼を言って部屋を後にした。メッテマリットもラクスを一瞥した後、アズラエルを追って部屋を後にする。それを見送ったラクスはまだじっと考えていたが、何かを決めたのかゆっくりと立ち上がると、室内にある電話を取り、別の建物に居る筈のダコスタを呼び出した。




 廊下を早足に歩くアズラエルに追いついたメッテマリットは、アズラエルを少し非難するような口調で声をかけた。

「少し、言い過ぎではない?」
「彼女の理想を私は否定しているわけじゃありません。ですが、現実を見ない理想主義で世界を変えようとされてはたまりませんよ。原理的な理想主義者が世界を動かして、それが建設的な方向に向かった事がありますか?」
「全く無い訳じゃないわね。探せば幾つか例があるんじゃなくて?」
「……そんな奇跡みたいな可能性に世界の命運を賭けろと言うんですか?」
「まあね、それは正気の人間の選択できる無いようじゃない」

 ラクスのやり方は危険だというアズラエルに、メッテマリットも頷いた。しかもラクスのやり方は性急過ぎる。あれではどれほどの混乱を生むか分からない。その事を考えてしまう2人は、ラクスをどうしても危険視してしまうのだ。
 だが、今の所彼女には世界を動かすほどの力は無い。それを考えればさほど気にする必要も無い相手だ。そう考えを切り替えると、メッテマリットはアズラエルにこれからの事を聞いた。

「そういえば、次はどうするつもりなの。ハワイに艦隊を集めてるみたいだけど?」
「さすが、情報が速いですねえ。そろそろ反撃に出るつもりなんですよ」
「ふうん、それで極東連合も佐世保に艦隊を集めてるわけだ」
「……どこまで知ってるんですか、貴女は?」
「とりあえず、極東連合が洋上艦隊主力と、強襲揚陸艦を佐世保に集めてる事くらいね。狙いはカオシュン?」
「まあ、ご想像に任せますよ」

 誤魔化しにもなっていないが、アズラエルは明言を避けた。既に大西洋連邦の海兵師団が4つ、ハワイとグアムに展開して出撃準備を行っている。これを支援する艦隊も空母4隻にアークエンジェル級3隻を含む3個艦隊で、カオシュンを攻略するには十分と言える戦力だ。これに更にようやく参戦してくれる事になった極東連合も2個洋上艦隊を佐世保に集め、上陸用の船団を編成している。これには極東連合が独自に開発した新型MS、オリオンが多数参加する事になっている。更にティリング率いる自由オーブ軍も参加が予定されていた。
 これらは恐らくザフトに知られているだろうが、一応機密扱いで動いている。最も、メッテマリットは全てを知っていると思われるので、こんな事を誤魔化しても意味は無いのだが。
 アズラエルが明言を避けたことでそれ以上の追求は避け、メッテマリットはアズラエルに1つの忠告をした。

「アズラエル、貴方、東アジア共和国の動きは知ってる?」
「東アジアが、何か?」
「最近妙な動きがあるわね。プラントのエージェントと接触しているみたい」
「……それは耳寄りな情報ですね。東アジアは何故かカオシュン奪還作戦に消極的で、どうもおかしいと思っていたんですよ」

 東アジア共和国とプラントが接触している。そして東アジア共和国の妙に消極的な動き。これらが結びついていないと考えるほどアズラエルは救い難い無能では無い。メッテマリットのくれた情報は、アズラエルに新しい動きを起こさせるきっかけを与えたのだ。

「それと、こっちはまだ裏も取れてないものなんだけど」
「何です?」
「パトリック・ザラの暗殺の事なんだけど、妙なのよ。死体が欠片も確認されて無いんですって」
「死体が無い? 確か、彼は爆殺された筈。それが肉片も見つかってないと言うんですか?」
「その辺りはまだ調べてる最中。何か分かったら教えてあげる」
「期待してますよ。それより、頼んでおいたもう1つの件は?」
「プラントの講和を進めてるグループね。こちらはジュセック議員が動いてるみたい。恐ろしく慎重に進めてるみたいで、詳細は私にも掴めないわ」
「貴女でもですか。どうりで私の情報網にかからないわけです」
「でも、ルートはある程度絞り込めてるから、接触は出来ると思う。何なら、貴方も大統領と話してみたら?」
「そうですねえ」

 自分の知らない所で色々と動いている。こういう話を聞くと、世界を動かしてるのは自分だけでは無いのだと実感できて、時々足元を確かめる事が出来る。そういう意味でもこの情報交換の意義は大きかった。

「ところでメッテマリットさん、どうです、御礼も兼ねてこれから食事でも」
「残念、これから別の人と会うのよ。食事はまた次の機会ね」
「次って何時になるんです?」
「さあ、何時かしら」

 苦笑いを浮かべて聞いてくるアズラエルを軽く突き放して、メッテマリットはすたすたと別の方へと歩いていってしまった。それを見送っていたアズラエルは、苦笑いを浮かべたまま肩を竦めてしまった。

「やれやれ、またふられましたか」





 アメノミハシラ周辺に無人衛星と有人機を利用した早期哨戒システムを構築しようとしているカガリたちだったが、それは遅々として進んでいなかった。そんな中で、クサナギを旗艦とする7隻の艦隊がアメノミハシラを離れ、訓練航海をしていた。ユウナが指揮を取り、衛星を敷設しながら艦隊行動訓練とMS隊の訓練を重ねている。
 クサナギの艦橋で椅子に腰掛けながら、ユウナは編隊飛行の訓練をしているMS隊を見ていた。

「流石にアメノミハシラのパイロットは上手いねえ。地上上がりは使い物になりそうかい?」
「まだまだだな。もう少し叩かないと無理だろう。使える奴等も居るけどな」

 ユウナの隣で腕組みをしているのはキースだ。カガリから訓練を任されている手前、この艦隊に同行しないわけにはいかなかったのである。また、密かに経験の浅いユウナの補佐もミナに頼まれていた。

「でも、こんな状況で訓練に出る必要があったのかな?」
「カガリも焦ってるのさ。オーブ軍の弱さはあいつが一番理解してる」
「それは、僕もザフトとの戦いで嫌というほど思い知ったよ。高性能を自負してたM1がジンに押されてたんだからね」

 あの戦いはオーブの軍人にとって悪夢であった。各国が採用しているMSの中で最強を誇ると自慢していたM1が、量産型の最初のシリーズといわれるジンに負けたのだ。M1の性能はジンを圧倒しているので、これはパイロットが弱すぎた為だと断言できてしまう。凄腕のフレイが使ったM1はジャスティスとさえ戦って見せたのだから、機体性能は優れているのだ。

「まあ、早く何とかしてくれよ。敵が来る前にさ」
「やれるだけの事はやってるよ」

 ユウナに言われるまでも無く手を抜いているつもりは無い。だが、技量というものはそう簡単には上がらないのだ。新米を前線に出せるようにするには、最低3ヶ月は欲しいというのが本音なのだが。
 そんな事を話し合っていると、オペレーターがシンとステラのM1が帰艦したと伝えてきた。それを聞いたキースがユウナに一言言って艦橋を出て行き、格納庫に向った。

 格納庫ではシンが整備兵たちと機体の事で何か話している。そしてステラは機体の足元で少し顔色を悪くしてぐったりとしていた。それを見たキースがキャットウォークの手摺を蹴ってステラに近付いていく。

「ステラ、大丈夫か?」
「あ、キース……」
「そろそろ切れてきたようだな、苦しいか?」
「う、うん。すこし……」

 額に汗を浮かべているステラ。それを見たキースはステラに棒状のアンプルをそっと差し出した。それを見たステラが驚いた顔でキースの顔を見返す。

「ミナが少しだが持ってた。アズラエルからサンプルで貰ってたらしい。誰も居ない所で飲んでこい。ただ、サンプルだから中身が少ないぞ」
「うん、行ってくる」

 キースからアンプルを受け取って艦の中へ戻っていくステラ。それを見送ったキースの元にシンがやってきてステラは何処に行ったのかと聞いてきた。それに遅れてキらもやって来る。

「あれ、ステラは?」
「ああ、中に戻ったよ。すこし疲れたらしい」
「そっか」

 キースの言葉に疑問も抱かずに納得するシン。それを見て、キースはシンに質問をぶつけてみた。

「シン、君は、ステラをどう思ってるんだ。好きなのか?」
「な、何だよいきなり?」
「大事な事だ、正直に答えてくれ」

 顔を赤くして動揺しているシンだったが、あまりに真剣な表情をするキースは答えをはぐらかす事を許さない何かを見せており、シンは渋々という風に答えた。

「好きとかは分かんないけど、放っておけないんだよ。見てて危なっかしいというか……」
「なるほど、守ってやりたい、と思ったわけだ」
「ま、まあ……」

 面向って言われてしまい、シンは顔を真っ赤にしてそっぽを向いてしまう。その初な反応にキースは一瞬表情を綻ばせたが、直ぐにそれを引き締めてとんでもない事を言い出した。

「シン、ステラに余り深入りしない方が良い」
「どういう事です?」
「彼女なりの事情って奴だ。ステラとは距離を置いた方が良い。これは忠告だ」
「だから、事情って何なんだよ!?」

 いきなり訳の分からないことを言い出すキースに納得できないシンはキースに食って掛かろうとしたが、その時いきなり格納庫内に警報が響き渡った。

『敵艦隊接近、総員第1戦闘配置につけ!』
「敵だと!?」

 キースが声を上げ、シンとの話を打ち切って格納庫に指示を出す。

「パイロットは自分の機体に戻れ。整備兵はMSに戦闘装備を。準備できた機体から緊急発艦だ。日頃の訓練の成果を見せろよ!」
「いきなり実戦ですか!?」

 キースの命令を聞いた整備兵たちが驚いた声を上げるが、それを聞いたキースは大きな声で言い返した。

「何時か必要だから訓練してたんだよ。文句言う暇があったら手を動かせ、敵は待ってくれないぞ。死にたくなかったら急げ、今度は訓練じゃないんだ!」

 キースの叱咤を受けて、整備兵とパイロット達が慌てて自分の仕事に戻った。それを見たキースは、まだシンが自分を睨んでいるのを見て怒声を叩きつけた。

「お前も早くM1に戻れ。これは訓練じゃないんだ、さっさと行け!」
「……くっ」
「シン、今はMSに」

 拳を握り締めて激発しかけるシンだったが、それをキラが制した。キラにまで言われたシンはまだ納得できない様子だったが、仕方なくMSの方に向う。それを見送ったキラはキースを見た。

「キースさん、どうしてあんな事を?」
「……お前は知ってるだろ、強化人間がどういう代物か」
「強化人間って、じゃあ彼女はオルガさんと同じなんですか?」
「オルガとは違うタイプだが、強化人間だよ。体を弄られて、薬を使われてる。本来の使用だと薬じゃなく、別の方法でコントロールするつもりだったらしいがな」
「だから、シンにあんな事を?」
「ああ、強化人間は長生きできない。拒絶反応で死ぬか、薬で廃人になるか、どっちにせよ碌な最後は迎えないのさ。あと数年で死ぬと分かってるのに、情が入ったら後が辛いぞ。大切な人を失くす事の辛さは、俺も味わってるからな」

 あと数年で死ぬと分かってる女に情を持たせるわけにはいかない。そう考えてキースは2人に介入してきたのだ。それは強化人間であるキースが一番分かっていることなのだろう。キースは自分が幸運を掴んで長生きしていると知っているが、オルガやステラたちは薬物漬けな分、調整体である自分よりも生きられる可能性はさらに低い筈だ。

「キラ、お前もフリーダムに。俺もメビウスで出る」
「はい、エメラルドの死神の実力、久しぶりに見せてくださいよ」
「任せておけ」

 キラと右拳を軽く合わせて、キースはメビウスが搭載されているブロックへと移動していく。それを見送ったキラはフリーダムへ戻ろうとしたが、ふとある事に気付いて足を止めて振り返った。

「もしかしてキースさん、だからナタルさんに答えないんですか?」

 強化人間は長生きできないから、自分もそうだからナタルとの間に線を引いていたのか。それも1つのあり方なのかもしれないが、キラにはそれが正しいとは思えなかった。

「キースさん、僕は間違ってると思いますよ。自分で選んだ道なら、どんなに苦しんでもきっと納得できると思います」

 自分も色々あったが、苦しんで悩んで、幾度も後悔したが、今の自分が間違ってると思っているわけではない。シンが例え同じ苦しみを味わったとしても、キースと同じ答えを出すとは限らないではないか。

 だが、それはまずこの戦闘を終えてから話す事だろう。今は戦うほうが先なのだ。これが終わったら一度キースと話そうと考え、キラはフリーダムへと向った。


 こうして、自由オーブ軍とザフトの最初の戦いが勃発した。それは双方にとって予想外の、遭遇戦という形で発生した戦いとなった。




後書き

ジム改 各キャラ間の情報の差を少しだけ埋めたぞ。
カガリ 私が出てこなかったな。
ジム改 今回は用が無かったからな
カガリ でもラクスって、状況が資金繰りに苦しむ中小企業みたいだな。
ジム改 実際資金繰り苦しいし。物資もタダじゃないのだよ。
カガリ オーブ無くなっちゃったしなあ。
ジム改 おかげでラクスはゲリラ戦でいう所の安全な後方と後援者を纏めて無くしてしまったのだ。
カガリ でも止める気は無いんだよな?
ジム改 もう引き返せないからねえ。立ち止まれば死ぬだけだ。
カガリ おいおい。
ジム改 でも結構戦力揃えたけどね。
カガリ その戦力こっちに回してくれ、うちもきついんだ。
ジム改 アークエンジェル組は味方と一緒で大分楽なんだけどねえ。
カガリ 何でキラと一緒だと、何時もこうなるんだろうなあ。
ジム改 運命だ、諦めろ。
カガリ シクシク……
ジム改 それでは次回、ザフト艦隊を激突したユウナ率いるオーブ艦隊。どうにか逃げようとするユウナだったが、ミナは戦えと言ってくる。技量に勝るジンとゲイツに苦戦を強いられるM1部隊。そして駆けつけてくる援軍。何とか戦闘を生き残ったオーブ艦隊はアメノミハシラへと帰港したが、何故かステラの様子がおかしい事にシンが気付いてしまう。次回「ステラ」でお会いしましょう。

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