第158章 悪夢の始まり
世界を動かすのはただ力のみ、それは政治力であり、武力であり、あるいは感情であったり金だったりする。それに偶然という予想外の要素が加わって世界は動いている。世界を動かすのは常に人であり、神でもなければ悪魔でも無いのだ。
その世界を動かしている男の1人、ムルタ・アズラエルは久しぶりにロゴスの会議に参加していた。ブルーコスモスから脱退したアズラエルはロゴスという本来の姿に戻っていたのだ。そして居並ぶロゴスのメンバーの中に、今日は珍しい人物の姿もあった。スチュアート財団の当主であるヘンリーが来ていたのだ。
「世界はプラントを完全に滅ぼすという方向に動いていますが、ロゴスとしてはこれは困る。物を売る市場まで壊されては今後に影響する」
「それだけではない、世界中が滅茶苦茶に破壊されており、これを再建して経済活動が可能になるまで持ち直すまでにどれだけの時間がかかるか、考えただけでも頭が痛くなる」
ロゴスのメンバーたちは余りにも破壊され過ぎた世界の惨状に困り果てていたのだ。ロゴスは軍産複合体ではあるが、軍需は別に彼らにとって主要な産業の1つであっても、全てではない。彼らの売り上げの多くは普通の産業で上げられているものだ。航空産業なら戦闘機ではなく旅客機などがメインであるし、戦闘車両を作る会社も表向きには自動車産業なのだ。
彼らにとって軍事とは必要な産業の1つではあるが、戦争をしてその地域の経済基盤を破壊しては何の意味も無い。極論すれば軍需産業とは戦争をするとかえって損をするのだ。今回のような長期的な戦争なら確かに武器は売れるだろうが、経済基盤が破壊されてその後の経済活動が滞ってしまい、結果的に大損する羽目になるのだ。
だから彼らにとってプラントは戦後復興に是が非でも必要な物であった。幸いにして大西洋連邦本土と極東連合という世界の2大経済大国は無傷に近いが、それでも戦後復興の為の資材や装備、人員の派遣などを抱え込まされれば甚大な損害を蒙ってしまう。それを考えれば膨大な物資生産能力があるプラントを破壊するなど、到底容認できる事ではないのだ。この戦争に勝った後、プラントから徹底的に搾取して地球経済を立て直す、それがロゴスの考えであった。
ロゴスメンバーたちが口々に今の地球連合の動きは困ると口にし、一通り聞き終えたアズラエルも大きく頷いて賛意を示した。
「その通り、このままプラントを破壊されては我々は大損をします。何とかしてこの流れを食い止めなくてはなりません。その為に必要な手を此方から打つとしましょう」
「まずはメディアに圧力をかけて世論をこちら側に引き寄せる事ですな」
「政治家や知識人もです。金で動く輩は幾らでも居ますから、彼らを動かして議会に圧力をかけましょう」
「とにかく世論を誘導してプラントの完全破壊は暴論だという流れを作りませんと。今は世論が強硬派議員を動かしていますが、流れが変わればまた反応も変わるでしょう」
ロゴスメンバーたちの意見は概ね一致しており、各々の影響下にある政治家や知識人、名士に働きかけて世界の動きを変えるべく努力する事が決定された。ロゴスが力を合わせて1つの目的の為に動くというのは珍しいが、それほどに今の事態は彼らにとって不味い物なのだ。
ロゴスのメンバーたちが決定を受けてそれぞれに解散していった後、アズラエルはヘンリーを誘って別室で一寸した話し合いをしていたのだが、そこにメッテマリットからの電話が入ってきた。彼女から連絡してくるとは珍しいと思いながら受話器を取ったアズラエルであったが、話を聞かされた彼はすぐにその顔を厳しい物へと変え、幾度か頷いた後で何かを了承して電話を切った。
その様子の変貌振りにヘンリーは何があったのかと問い、アズラエルは厳しい顔のままでヘンリーに答えた。
「ラクス・クラインがスカンジナビア王国に来たそうです」
「どういう事だ、彼女はメンデルの反乱勢力から救出されてプラントに居るのではなかったのか?」
「いえ、あれは替え玉だったのでしょう。本物はメンデルを脱出して地球に逃げてきたようです。今はメテマリットさんの元に居るようで、1度会いに来てくれと言っています」
「お前を呼び出したのか、怖い物知らずなお姫様だな」
ムルタ・アズラエルがどういう人間か知っていれば、彼を呼びつけるなどという事は普通は怖くて出来ない。彼と個人で対等に付き合えるのは本来ならヘンリーのような極めて社会的地位が高い者だけだ。だからカガリは許されるが、本来ならキラやフレイがアズラエルと普通に話をするなどありえないのである。まあ彼らの場合は腐れ縁と言った方が正しいのかもしれないが。
だが、ラクスが生きていたとして、一体何の用なのだろうか。今の彼女には何の力も無いはずであり、アズラエルと話しても何も得られるはずが無いのに。アズラエルは確かにラクスに手を貸していたが、何の見返りも無いボランティアをしてやるほどアズラエルはラクスに義理があるわけではない。
だがメッテマリットの頼みとあっては断り難いのも事実で、アズラエルはとにかく一度会うだけ会ってやる事にした。少なくともメンデルで何があったのかは聞く事が出来るだろうから。だが、アズラエルはラクスには何も期待していなかった。これまでの彼女の言動を見る限り、彼女には変化というのものはそれほど期待できないだろうから。
「彼女は生き残って何をするつもりなのでしょうね。メンデルで死んでいれば、あるいは殉教者として名が残ったかもしれないのに」
「ラクス・クラインとはそんなに頑固な少女なのかい、アズラエル?」
「頑固と言うより不器用な人ですよ。聖女のように振舞えるのに、僕たちのように冷酷になれる。平和を望んでいるのに戦いという短絡的な手段に手を出してしまう。止めておけば良いのに、自分がやらなくてはいけないと思い込んで暴走している、そんな人です。僕たちと違って悪人ではないのですがね」
まあ悪人ではないから極端に走ってしまうのだ、とも言えるのだが。悪人の持つ計算高さがあれば、あのような準備不足での無茶はしなかっただろう。ラクスはアズラエルの見る限り、カガリと非常に似ている面がある。2人を分けたのは経験の違いだろう。ラクスも同じような経験を積めばまた違った道を選べたかもしれない。
「僕はこれからスカンジナビアに行きます。貴方はどうしますか、ヘンリー?」
「そうだねえ、私もちょっと会っておきたい人が居るんだ。それに今調べてる事もあってね、近いうちに宇宙に上がる事にしてる。オーブから上がる事になるだろうな」
「宇宙に、何でまた?」
「キラ君にクルーゼのことを調べてくれと頼まれててね、世界中飛び回ったよ。それで色々と面白い事が分かってきたんだ。今はまだ結論が出ていないけど、どうもこれはとんでもない話になりそうだよ」
「ラウ・ル・クルーゼをですか。それはまた変わった依頼ですが、何か分かった事はあるんですか?」
「今はまだ断言は出来ないがね、状況証拠から来る推論は出ている。行方不明になっているフラガ家の膨大な財産や、フラガ家に戸籍上は存在するが出生記録は無いラウ・ル・フラガという謎の子供、ブルーコスモスの陰に隠れるように活動しているザルクとかいう組織、気になるだろ?」
「……ザルク、ですか。ジブリール君が強化人間を売り払った相手が確かそんな名前でしたね」
クルーゼとは幾度か情報のやり取りをした事もあるので信用出来ない相手だというのは分かるのだが、まさかジブリールとも別口で関わっていたとは。クルーゼには何があるのだろうか。そしてザルクとは。問題の根は自分が思っていたよりもずっと深く、闇に沈んでいたのかもしれない。アズラエルはクルーゼという男の正体に初めて興味を持ち、そしてヘンリーに何か分かったら教えて欲しいと頼んだ。
パナマ宇宙港の港には宇宙で使われる艦艇が多数係留されていた。これらは緒戦で失われた艦艇の補充を大西洋連邦各地のドックで建造し、ここまで運んできたものだ。これを運河を利用してマスドライバー近くまで運び、マスドライバーとブースターを併用して宇宙に打ち上げるのである。
現在のパナマにはおよそ60隻の艦艇が係留されており、あと少しで全艦艇が揃う事になる。その中には既に一部の艦隊で使用されている最新鋭のアークエンジェル級戦艦の姿も見受けられ、艦艇の世代交代が始まっている事も示されていた。いずれは旧式化しているネルソン級宇宙戦艦と代替わりしていくのだろう。既に名前も天使の階位から離れた物となっている艦も出てきている。
これに先立って打ち上げ軌道を守るために軌道ステーションのアメノミハシラに防衛部隊が幾つか打ち上げられており、敵の攻撃に備えていた。打ち上げ中の艦隊というのは最も脆弱な状態であり、敵としては良いカモに出来るのだ。軌道上に打ち上げられたばかりでは回避運動も出来ないし迎撃機を出す事も出来ないのだから。この状態ならアークエンジェル級であっても持ち堪える事は出来まい。
パナマ宇宙港に並んでいる艦隊を視察していたサザーランド准将はその予定を上回るペースに満足そうであった。
「大したものだな、あと一ヶ月程度はかかると思っていたのだが」
「各地のドックが頑張ってくれていますから。みんな気付いているのでしょう、この戦争が終わりに近付いていると。我々の勝利がそこまで来ているのだと」
「……そうかも知れんな」
部下の返答にサザーランドは頷いた。先のカーペンタリア後略戦で地上から戦火は去り、世界は復興に向けて動き出している。TVから流れる放送は連日のように世界各地で始まっている復興事業を放送しており、勝利をもぎ取って帰還してきた兵士たちを取り上げている。
そして政府はプラントに対して侵攻する計画を発表していた。遠からずプラント本土進攻作戦も発動され、大軍がボザズ宇宙基地目指して各地から出撃する筈なのだ。もうすぐこの戦争も終わるのも確実だろう。
「2ヶ月、2ヶ月でケリをつける」
「は、何がでありますか、准将?」
「この戦争だよ。あと2ヶ月で戦争を終わらせるのだ。ザフトに立ち直る時間を与えてはならない」
そう、ザフトに立て直す時間を与えてはならない。確か日常のザフトは完全に叩き潰したが、宇宙に脱出した兵も数十万に上っている。それらの半数ほどが負傷して前線に戻れないとしても、半数は武器を取って出てくるのだ。それが訓練を終えて出てくる前、3ヶ月立つ前にケリを付けたいとサザーランドは思っていたのだ。
「宇宙では1ヶ月後のボアズ攻略作戦に備えて主力艦隊の訓練と整備に励んでいる。そして複数の任務部隊がザフトの防衛ラインに攻撃を加えてこれをズタズタにしている。このまま一気に押し切ってプラントを屈服させるのだよ」
「その為の、核弾頭の配備ですか?」
「大統領の許可はまだ下りていないが、恐らく許可されるだろう。プトレマイオス基地には艦載ミサイル用の大型弾頭と機載用の小型弾頭とNJCが既に用意されている」
地球連合軍はプラント侵攻作戦にあたって、核兵器の使用まで考えていた。既に敵がジェネシスと呼んでいる新兵器の破壊にはこのくらいの武器が必要だと考えられているのだ。もしこれで駄目なら危険を承知でローエングリンの射程まで艦隊を近づけるしかなくなる。核兵器を超える兵器となると、反物質兵器である陽電子砲くらいしか考えられないからだ。
「ところで、ダイダロス基地の方はどうなっている?」
「は、拡張工事は順調に進んでおり、既に2個艦隊程度の母港としてならば機能するまでになっております」
「MS生産工場は?」
「ダガーLのラインを整備させており、生産も始まっております。これで地球から打ち上げずともダガーLは配備できるようになりました」
「そうか、それでウィンダムの方は?」
「此方はまだ少数の生産が始まったばかりで、プラント侵攻作戦までに何機が配備できるか分かりません。ダガーLと並んで最優先機種として増産させておりますが」
ダガーLは去年の後半には量産がスタートしており、オーブ開放作戦でかなりの数が実戦に投入されて活躍していた。だがウィンダムはオーブ開放作戦でフレイが量産試作型を使っていたというレベルであり、その後にトールにも渡されてテストを繰り返し、最近になってそのデータを元にした量産型の配備がやっと始まったのだ。その生産はデトロイトの工場で行われているが、まだラインが稼動したばかりであり、多数を宇宙に送る事は無理だろうと考えられている。
サザーランドとしてはプラント侵攻に100機以上のウィンダムが欲しいと思っていたのだが、流石に量産が始まったばかりのMSを揃えるのは無理だ。プラントにはダガーLを主力として向かうしかないかとサザーランドは納得するしかなかった。
「まあ仕方があるまい、完成した機体は最優先で宇宙に上げるように。パイロットにも慣れてもらわんといかんからな」
「それと、まともな宇宙艦隊を持たないアルビム連合や赤道連合といった国々が、MS隊だけでも宇宙に上げて参戦したいと申し出てきておるそうです。政府がどう出るかは分かりませんが、多分受け入れるでしょうな」
「アルビム連合のロングダガーは貴重な戦力だ、その申し出はありがたい」
アルビム連合のロングダガー隊はその性能の高さとコーディネイターパイロットの能力ゆえに地球軍でも最精鋭と呼べるMS部隊である。ザフトが投入してきて猛威を振るうようになっていたゲイツRに対して1機で互角以上に戦えるのはロングダガーだけであった。デュエルダガーやダガーLでは互角には戦えても優位には立てなかったのだから。
ただ、ロングダガー隊を何処に配備するかが問題だった。彼らはコーディネイターであり、配備した艦隊で将兵と摩擦を起こすかもしれない。命令すれば将兵は従うだろうが、どこまで押さえ込めるか。その辺りは宇宙軍と協議してそれ用の部隊を用意した方が良いかもしれない。
面倒な事だと思いつつも、それも仕事だと考えてサザーランドは視線をマスドライバーの方に向けた。あれがこれまで宇宙の戦いを支えてくれて、この反撃に繋げてくれた。もしあれが無ければ、今ごろ月基地を落とされて橋頭堡を失い、宇宙での反撃は半年は遅れていたかもしれないのだ。
この反撃は綱渡りな勝利を重ねたおかげなのだと、サザーランドはしみじみと思っていた。そしてその綱渡りな勝利を重ねてきた影にちらつく1隻の戦艦の姿も。
「ふふふ、アークエンジェルか。あの艦が全ての切っ掛けだったのだろうな」
最初は唯の厄介者としか思っていなかった艦だが、地球軌道での第8艦隊の勝利からアフリカでのバルドフェルド隊の壊滅、カスタフ作戦において先鋒を務め、マドラスに向かうまでに幾つものザフト部隊を撃破し、更にマドラス防衛戦、アラスカ戦で奮戦し、パナマ防衛戦に参加など、重要な戦場の多くにあの艦は参加して数々の武勲を重ねてきた。その中にはアークエンジェルが居なければ敗北していたと思われる戦いも幾つもある。
アークエンジェルはただ生き残りたい一心で頑張ってきただけなのだろうが、偶然もここまで積み重なればもう偶然だとは言えまい。
「だが、それがSEEDだと言っても、信じられるものではないのだがな」
「は、何がですか准将?」
「いや、何でもない。気にするな」
部下の問い掛けを誤魔化し、サザーランドは早足に湾口から離れていこうとした。前にアズラエルから聞かされていたこと、キラ・ヤマトとカガリ・ユラ・アスハはあの御伽噺の存在、SEEDを持つ者かもしれないという与太話の事を思い出していたのだ。
だが、そんな物が本当にありえるのだろうか。サザーランドにはどうしても納得できなかった。時代を作っていくのはそんな救世主ではない、と彼は信じていたから。
この打ち上げ準備に関連して、衛星軌道では俄かに地球軍の動きが活発になっていた。何しろ2個艦隊の戦闘艦艇と、それを支援する補助艦艇が上がってくるのだ。一度に100隻近くが打ち上げられる事になり、史上最大規模の打ち上げとなる。ザフトも当然これの阻止を目論んでいる筈で、多少の無理をしてでも攻撃してくると考えられている。
これを想定した地球軍は軌道ステーションのアメノミハシラの駐留戦力を増強し、打ち上げ軌道の防衛力を増強していた。その送られた部隊の中には、フラガとセンチュリオンの姿もあった。
アメノミハシラの宇宙港に降り立ったフラガは、アメノミハシラに集まっている艦艇の多さに正直驚いていた。この規模の宇宙ステーションに地球連合の従来艦だけでも1個艦隊規模の大軍が集まっている。他にも彼が初めて見るオーブ軍艦艇や極東連合の長門級戦艦の姿もあり、全部合わせれば50隻程度にはなるのではないだろうか。港に入れずに宇宙標識に固定している艦も多数でているほどだ。
荷物袋を手にシャトルからステーションに移ってきたフラガは、そこが地球連合の軍人でごった返しているのを見た。
「おいおい、何だよこの数、たまらねえな」
あまりの人数にうんざりしたフラガであったが、とりあえずアメノミハシラ司令部に着任の届けを出し、自分の部屋は何処かと聞く事にした。だが、受付で届けを出したフラガは、そこで奇妙な格好をした女性と対面することになった。
受付から暫くそこで待っていて欲しいと言われ、フラガはやれやれと備え付けの硬いソファーに腰を降ろし、つまらなそうに適当な雑誌に手を伸ばした。事務処理ってのは手間がかかるなあとかぼやきながらページをめくっていると、彼の前に人影が立ち止まった。
「お前がエンディミオンの鷹と呼ばれる、ムウ・ラ・フラガ少佐か?」
「あん、あんたは誰?」
名前を呼ばれて雑誌から顔を上げたフラガは、目の前に妙に豪奢な黒尽くめの格好をした長身の女性が立っているのを見て、不信げに眉を顰めた。彼から見て、この格好はどう考えてもまともではない。
誰かと問われた女性は形の良い唇を笑ったように歪め、フラガの問いに答えた。
「私はロンド・ミナ・サハク、この城の主だ」
「ロンド・ミナ・サハク、この城の主?」
そう言われてフラガは過去の記憶を手繰り寄せ、それがオーブ首長家の1つだと思い出し、慌てて立ち上がって敬礼をした。
「し、失礼しました!」
「ふっ、面白い男だな。地球軍屈指のエースと聞いていたが、以外に普通の男のようだが」
「いや、俺は普通の人間ですよ。ですが、俺に一体何の用ですか?」
「いや、特に用事は無い。ただ名立たる地球軍のエースがここを訪れていると聞いたのでな、会って見たくなった」
「それはどうも」
ミナの言葉にフラガは表情をすこし引き攣らせた。フラガの趣味からはミナはどうも外れるようで、この威圧感のような物に辟易させられていたのである。確かに美人ではあるが、自分にはもっと穏やかな相手の方が良いと思っていたのだ。
そしてミナは、フラガを値踏みするような目でじろじろと見た後でとんでもない提案をしてきた。
「どうだ少佐、この戦争が終わったら、私の元に来ないか。今の仕事よりは好条件の待遇を約束するが?」
「また随分と露骨な勧誘ですね。何で俺なんかを?」
「私は有能な人間を求めている。今のオーブには1人でも多くの有意の人材が必要なのだよ、戦後に始まる次の戦いのためにな」
「戦後、ですか。目の前の戦いも終わってないのに、そんな先の事を考えてどうするんです、世界制服でもする気ですか?」
フラガはミナの誘いに危険な物を感じ取ってしまい、殊更にわざとらしく砕けた態度を取ってみせる。それはミナの言葉をジョークと受け取ろうとする態度であったが、その洞察力を逆にミナに気に入られてしまったようだった。
ミナはフラガの言葉に楽しげに笑い、再度フラガに誘いをかけてくる。
「別に大西洋連邦に義理立てしている訳でもあるまい、オーブに鞍替えしてその才能を生かすのも1つの生き方だと思うが?」
「別に義理立てしてるわけじゃありませんがね、それでも祖国ってのは大事に思うもんですよ。貴女だってオーブを裏切って他所に味方しようと思いますか? それに、ここには一緒にやってきた仲間が大勢居ますから」
「仲間か、そんなものの為に無能だらけの地球連合に顎で使われるとはな」
「上層部なんて何処もそんなもんでしょう。それに、貴女は簡単に国を捨てるような男を信じられるんですか?」
「……なるほどな、君の言う通りだ」
あんたならオーブを裏切るか、と問われたミナは納得して引き下がった。確かに国を簡単に裏切るような相手を信用することは難しいだろう。一度裏切った者は、簡単にもう一度裏切るのだから。
みなが去って行った後、フラガはどっと肩の荷を降ろしたような顔で脱力し、額に浮いている冷や汗を袖で拭っていた。
「ふう、怖い女だったな。
あんな眼光に晒され続けるのは精神的に宜しくない、あれなら寿命が縮むかもしれないがアークエンジェルでマリューの料理を食べていた方がマシだとさえ思えてしまう。でも料理は愛情、とか言って怪しげな調理法を用いるのは止めてもらいたいが。
フラガはソファーに座り直すと、また雑誌に視線を落とした。
地球軍の予想したとおり、ザフトはこの打ち上げを妨害しようとしていた。マスドライバーでの打ち上げならば大体の打ち上げ軌道は予測可能なので、そこに宇宙機雷をばら撒いて掃宙が完了するまで打ち上げ出来なくさせてやろうと考えていたのだ。
この為に急遽艦隊が召集され、臨時に地球に向かう艦隊が編成される事になった。その中にはジュール隊の姿もあったが、まだ編成されたばかりであり、パイロットや乗り込んでいるクルーも一部のベテランを除けば新兵や訓練生が多いという状況ではどうにも無理無茶無策な作戦ではなかろうか、という意見も聞こえていた。
そんな作戦を任された指揮官の1人、イザーク・ジュールは珍しい事にアスランの自宅を訪れていた。今ではアスランしか住む者も無いザラ家の屋敷であったが、アカデミーの学生の大半、どうにも前線に出しようが無いというほどに未熟な物を除いた大半の学生が出征する事になった今では完全にお飾りと化し、自宅で掃除をしたり庭の手入れをしたりというご隠居のような事をする日々が続いていた。
そんなザラ邸を懐かしい戦友が尋ねてきてくれた事にアスランは驚いたが、玄関に現れたイザークの姿を見て更に驚いた。
「イザーク、どうしたんだお前、随分やつれたな?」
「ああ、隊長ってのは大変な仕事だと、今更ながらに思い知らされてる」
そう、イザークは正式に隊長に就任したのは良いのだが、部隊編成に関わる事務仕事ですっかり消耗し切ってしまっていたのだ。かつてアスランがそうであったように、イザークもまた同じ道を歩んでいたのである。最もこれは彼だけではなく、新編成された部隊の隊長全てに言えることであったが。
「フィリスは前から何かと助けてもらってたが、エルフィの処理能力は流石と言うしか無いな。お前が常に傍に置いてたのも分かる。あいつのおかげでかなり仕事が楽になってる」
「エルフィは副官としては最適の人材だ、頼りにしてやってくれ」
「ああ、フィリスには俺の参謀をやってもらって、エルフィを副官にしようと思ってる。ジャックとシホにはMS隊を纏めてもらう予定だ」
「それが良い、ジャックはあれで指揮官としてそれなりに経験を積んでるからな、そろそろ格上げしても良い頃だ」
ジャックを高く評価して小隊を任せていたアスランとしては、彼がMS隊1つを纏めるまでに成長してきたということが嬉しく感じられていた。初めてやってきた時はアカデミーを出て間もない、経験の浅い新兵でしかなかったのに、長い戦いの中で誰もが少しずつ成長していたのだ。
イザークは一通り自分の艦隊の編成を話した後、聞き難そうな顔でアスランに相談を持ちかけてきた。
「ところでアスラン、実はお前に聞きたい事があるんだが」
「何だまた改まって。俺で分かる事なら何でも聞いてくれ」
「ああ、実はな、その、何だ。お前は隊長をやってたとき、どういう心構えで居た?」
「心構え?」
「ああ、実は、俺の艦隊で一寸した騒動が起きていてな。まあ新兵のせいなんだが、こういう事態に対して隊長はどういう態度で居るべきかと思って、お前の経験を聞きに来た」
「何だ、そんな事か」
アスランは隊長になれば誰もがぶつかる壁だと納得し、イザークに指揮官はどんな時でも表向きには動揺せず、常に自信ありげな態度を取っているべきだとアドバイスした。
「指揮官が不安そうになると部隊全体に影響するからな。新兵が入って来ての混乱なんて一時的なものだろうから、お前は相手にしないで部隊全体の掌握に努めてろ。そんな仕事は現場の指揮官の仕事だろう」
「まあ、そうなんだが、どうにも俺には馴染めなくてな」
「そんなに辛いんなら、俺が使っていた奥の手を教えてやろうか?」
アスランは席を立つと戸棚に手を入れ、何かの瓶を2つ取り出してイザークの前に置いた。
「これが俺の愛用していた胃薬の錠剤の入った瓶だ、かなり良く効くぞ」
「…………」
「そしてこれが最後の最後で手を出した精神安定剤、カットナラナイザーだ。これも意外と良く効くぞ。とりあえずこの2つがあればたいていの事は乗り切れ……どうしたイザーク?」
「いや、何て言うか、これまで苦労かけなたあと、しみじみ思ってな」
こんな物があっさりと出てくるアスランの環境に、何となく責任を感じてしまったイザークは済まなそうに頭を下げていた。
アスランから幾つかのアドバイスと胃薬と精神安定剤を貰ってきたイザークであったが、彼のアドバイスは今の彼の苦境を救うには今二つほど役に立ちそうもなかった。まあ自分の説明が悪かったのだが、状況は彼にとって最悪に近かったのだ。
ヴェザリウスに戻ってきたイザークはその足で艦橋に向かい、書類を手に何かを話し合っている。2人は入ってきたイザークを見ると敬礼をして書類をイザークに渡してきた。それは補給物資の一覧であったが、インパルス関係の装備品が思いの他多く、MS用のハンガーの1つを潰して倉庫代わりにしないと納まらない事が分かったのだ。
更にはインパルスのパーツ換装用の専用ベッドも搭載される事になり、本来なら最大で常用6機、予備3機の9機と、2機のMSを組み上げられるだけの部品を搭載できるヴェザリウスの格納庫は常用6機、予備1機、部品も削減という洒落にならない状況になってしまったのだ。何しろインパルスは運用に専門の設備と膨大な予備部品を必要とする。核動力なので専用の設備が必要となり、更に上半身が山ほどに下半身が予備を入れて4つも搬入されてきたので、予備機のハンガーや部品倉庫があっという間に埋まってしまったのだ。
この辺りは最初からそれを想定されて建造されていたアークエンジェル級では起きなかった問題で、様々なストライカーパックを搭載、管理する事が出来た。更に試作機の母艦という事で過剰に充実された整備設備も持っていた為、色々と怪しげな試作機が持ち込まれることになったりしていた。
だがヴェザリウスにはそんな余裕は無い。元々はジンやシグーの運用が前提の艦であり、本来ならゲイツの運用も楽では無いのだ。何しろ新技術の塊なので、運用する母艦の装備が対応できない。ゲイツ以降の新型MSに対応できるのはエターナル級とミネルバ級くらいだろうか。
だが地球軍と違って国力が低いプラントでは全ての艦を改修するなど夢のまた夢、ナスカ級やローラシア級は新型へ対応した装備を搭載する事も出来ず、現場の努力でこれらの新型MSをどうにか運用していたのである。
今もヴェザリウスにはイザークとフィリスの2機のインパルスと、ジャックとエルフィ、シホのゲイツRが搭載されている筈だ。あと1機、ついこの間リコールしたばかりの欠陥MS、ザクウォーリアが搭載されていた。名目は評価試験機であるが、どう考えても数合わせである。
だがまあ戦力は戦力、強度不足は機体にリミッターをかければ分解も回避できるのでとりあえずはそれで補う事にしている。だが、問題はそんな事ではなかった。今イザークを苦しめているのは、補充で送り込まれてきた新兵たちだったのだ。
「ところでフィリス、ヒヨッコどもはどうしてる?」
「パイロットはジャックさんの指導で訓練中です。各部署の新人はそれぞれのリーダーに任せていますが」
「まさか予備パイロットが全員アカデミーを卒業して無いヒヨッコばかりとはな、これが前線に出向く部隊への仕打ちか」
「仕方がありません、宇宙軍のベテランはもう殆ど残っていませんから。地上から上がってきた将兵はボアズを基点としたぜ対防衛ラインに優先配置ですし」
ザフトはとにかく敵をプラントに近づけない事、これを最優先して新たな戦略を立て、それにそって兵力を配置し始めている。それに必要なのはプラントを守る最後の壁であるボアズ宇宙基地の戦力強化であり、周辺の哨戒線を抜けられないようにする哨戒部隊と遊撃部隊だ。
それの重要性に比べれば今回の任務はどうしても下位に来る。2個艦隊の打ち上げは確かに脅威であるが、それを阻止する為に絶対防衛ラインには位置した兵力を引き抜くわけにはいかないのだ。
しかし、だからといってこれは無いだろうとイザークは愚痴りたかった。いや、新兵はまだ我慢しよう。今のご時世では古参兵を十分な数回してくれなどとは口が裂けても言う事は出来ないからだ。だが、そんな情勢下でイザークに配慮をしてくれたありがたい上官が居たのだ。そう、ラウ・ル・クルーゼ提督である。
クルーゼはイザークが無謀な地球軌道への出兵に加わると聞いて、かつての部下を心配してくれて凄腕を1人回してくれたのだ。その送られた新人は確かに腕は良かった。何しろジャックたちでは勝てないほどに強かったのだ。戦力の補強としては確かに申し分ない人材だったのだが、問題なのは送られてきたパイロットの出自と性格にあった。
「何であんなのが、あんな得体の知れない研究所から送られて来るんだ?」
「生物工学研究所が何でパイロットを、と思ってすこし調べましたが、何も分かりませんでした。相当に硬いブロックされているようでして、どうしても調べるというのでしたら此方も相応の覚悟が要求されます」
これはつまり、普通に調べようとする範囲では手が出せないような重要機密に属しているという事だ。それがますますあの新人の胡散臭さを増大させてしまうのだが、これ以上危ない橋を渡らせる訳にもいかずイザークはそれ以上は良いとフィリスを止める事にした。
そしてフウッと息を吐き、アデス艦長を見る。
「アデス艦長、ヴェザリウスの準備は間に合いそうですか?」
「艦の準備はどうにかなると思います。問題は人ですね」
「そうですか」
アデスの回答にイザークはまあ仕方が無いかと呟き、頭を別の事に切り替えようとしたが、その前にアデスが注意するようにアドバイスをしてきた。
「ジュール隊長、私は今は貴方の部下です、そのように敬語を使われずとも良いのですよ」
「ああ、分かってはいるんですが、どうも慣れなくて。アデス艦長は元上官ですから」
「それは分かりますが、慣れないと今後が面倒ですよ」
イザークは将来が約束されているエリートだ。自分などよりもっと上の人間、隊長や提督などを束ねるような要職につく事だってあるだろう。そんな時に元上官だからといって遠慮をするようでは困るのだが、まだ若いイザークにはそこまでは望めないのだろう。アデスはこの若い上官に苦笑し、それ以上は進言を控える事にした。
そしてイザークが次の問題に話を移そうとした時、いきなり艦橋の扉が開いて緑服を着た金色の髪の女の子がふわふわしながら入ってきた。
「……変なとこ、出た?」
「……誰だ、こいつ連れてきたの?」
入ってきた少女を見たイザークが一瞬顔を引き攣らせて怒鳴りそうになったが、アスランに言われた事を思い出してどうにかそれは押さえ込んで、努めて事務的に問いかけた。
その問いに答えるかのようにシホが入ってきて、ふわふわと飛んでいるステラを捕まえてイザークに謝ってきた。
「すいませんジュール隊長、ステラさんに艦内を案内してたんですが、無重力に慣れていないみたいで」
「シホか、さっさと連れて行け」
イザークは苛立ってくるのを賢明に押さえ込んでシホに早く連れて行くように言ったが、ステラと呼ばれた少女は今も目の前をふわふわと漂っていて、イザークの神経をささくれ立たせていた。そのイザークの苛立ちが顔に出たのか、ステラはビクッと反応してしまった。そしてその顔が何だか泣きそうな感じに歪んだのを見たフィリスは右手を伸ばしてステラを捕まえた。
「ステラさん、今は話し合いの最中ですから、ここでは無く他のところで遊んでいてください」
「あの人、怖い」
「ええ、ジュール隊長は怒らせると凄く怖いですから、怒らせちゃいけません」
涙目のステラをあやしながらシホに預け、シホはステラを引っ張りながら艦橋から出て行った。それを見送ったイザークは苛立った感情を抑えきれずに顔を赤くしていたが、その顔をフィリスに咎められてしまった。
「隊長、そんな顔をしてるからステラさんが泣きそうになるんですよ。何でそうステラさんを嫌うんですか?」
「ここは軍艦であってミドルスクールじゃないぞ、何であんな子供が配属されるんだ?」
「ステラさんを子供だと思うんでしたら、もう少し大人の余裕を持ってください。あれじゃ子供を苛めてるようですよ」
「…………」
フィリスに言い負かされたイザークは不満そうであったが、言い返すことも出来なくて黙り込んでしまった。ただ内に相当な不満を抱え込んでいるらしく、額には幾つか血管が浮いていたりしたが。
こうして再編成されたジュール隊は地球軍の打ち上げを妨害する為の新たな作戦の準備に入る事になる。全ては時間を稼ぐ為、その為にザフトは全てを切り捨てようとしていた。各地に点在する前線拠点も時間を稼ぐ為の捨石として戦力が補強され、プラントに辿りつくまでにすこしでも地球軍の足を止める事になる。
ただ問題があるとすれば、制宙権を喪失した為にザフトの動きは地球軍の索敵機によって大体把握されてしまっているという事であろうか。
後書き
ジム改 イザークにとって苦難の日々が今始まる。
カガリ 全くステラも困った奴だ、すぐ誰かに迷惑をかける。
ユウナ …………
キサカ …………
キラ …………
カガリ 何だお前らその顔は!?
ジム改 言わなくても分かると思うのだが。
カガリ 私が何時誰に迷惑をかけたというんだ!?
ジム改 自、自覚がねえのか、こいつ。
カガリ で、何でステラがイザークの所に?
ジム改 それについてはまたそのうちに。
カガリ ところで私は一体今どこに居るんだ!?
ジム改 赤道連合と話し合ってるから、そのうち帰ってくるよ。
カガリ そのうち忘れ去られそうなんだが、最近ラクスより出番無い気が。
ジム改 心配せんでも最終決戦にはちゃんと居るさ。
カガリ それって何話後の話だよ!?
ジム改 それでは次回、プラントを立つイザークたち、それをキャッチした地球軍はアメノミハシラに近隣の部隊を集めだす。そして地球ではアズラエルとラクスが3度目の話し合いをしようとしていた。次回「見えぬ道標」でお会いしましょう。