第173章  メンデル



 地球では戦後の復興作業が始まっている。ザフトの残党による抵抗がまだ各地に残っているものの、それらは各国の軍隊によって掃討作戦が展開されているので、いずれ動けなくなると見られている。
 その復興作業の中で、地球では幾つかの問題が表面化していた。特に大きなものは各地に残る難民の帰国であり、そして破壊され尽くしたインフラの再建である。特に殆ど全土が戦場となったユーラシア大陸やアフリカ大陸は酷く、再建にどれだけの時間と資源が必要となるか想像も出来ない有様だ。
 これらの問題に対して大西洋連邦は支援計画を打ち出していたが、大西洋連邦も国内に相当数の難民を抱えているので、彼等の帰国事業で手一杯という有様である
 そしてこの混乱の中で大問題となってきていたのがブルーコスモス強硬派によるテロ活動や扇動活動であった。各地で反コーディネイター感情を煽って地域住民と在住コーディネイターの対立を煽ったり、連合寄りのコーディネイターに対するテロ行為を繰り返した彼等の行動は、復興に向かう今の世界にあっては害悪でしかなかったのだ。ただでさえ治安が悪化しているというのに、余計なトラブルを抱え込まされてはたまったものではない。
 この動きを利用したのが大西洋連邦とオーブ、極東連合であった。3ヶ国はアズラエルに協力を求めてブルーコスモス穏健派と中立派を切り崩しに掛かり、ブルーコスモスそのものを強硬派だけ残して崩壊させようと試みていたのである。特にブルーコスモス穏健派は難民事業や各地の復興作業、自然保護などに積極的に協力してくれるのでこれが巻き込まれると困るのだ。
 この3ヶ国の動きに他国も同調し、世界規模でブルーコスモスの分断工作が始まった。ロゴスも既にブルーコスモスから離れており、彼等を庇う者はもう居なかったのだ。ジブリールはこの戦争中は自分たちを利用し、終戦が見えてくるとあっさり切り捨てる地球連合のやり方に怒り狂っていたが、この流れを覆す力が無いことも理解出来るので余計に腹が立っていたりする。

「くそっ、裏切り物どもが。どいつもこいつも簡単に掌を返しおって」

 地球連合の圧力が強まった途端に離れていった自分の部下たちを口汚く罵り、ジブリールはこれからどうしたら良いのかと必至に考えていた。いっそのことアズラエルに頭を下げて連合諸国との取り成しを頼めばこの圧力をかわせるのかもしれないが、それはアズラエルに屈する事を意味する。
 かといってササンドラ大統領には自分は嫌われているから助けを求める事も出来ない。ロゴスが落ち目の自分を助ける筈も無い。アズラエルくらいしか自分を助けてくれそうな人間が居ないのだ。

「あいつに頭を下げるのか、この私が!?」

 冗談ではない、誰があんな男に頭を下げるか。ナチュラルの未来を自分の利益の為に売り渡すような変節漢にどうして自分が屈しなくてはいけないのだ。コーディネイターを根絶しない限り、ナチュラルは常に脅かされるというのに」

 ジブリールから見ればアズラエルは卑劣な変節漢であり、各国の指導者たちは裏切り者でしかない。だが自分お力が彼等に遠く及ばない以上、対抗手段が無いのだ。何処かに自分に味方してくれる有力者は居ないものか。ジブリールは生き残りと起死回生の手を求めて奔走する事になる。そして彼は、皮肉な事に拾う神を見つける事になるのだ。





 L4宙域、かつて東アジア共和国の拠点であった資源衛生「新星」があった場所であり、ここを巡って激しい戦いが繰り広げられた。今では新星はL5に移されてボアズとなり、L4宙域のコロニー群は全て放棄されている。つまりここは無人の安定宙域なのだ。東アジア共和国軍が撤退した後はザフトがここに前進基地をおいて実効支配していたが、ラクス軍と地球軍の攻撃を受けてこの宙域の実行支配力を喪失してしまった。
 今ではこの宙域はザフトと地球軍の双方が凌ぎを削る最前線であり、双方のパトロール部隊が幾度か衝突を繰り返している。だが主戦場からは離れており、大規模な戦闘が起きた事はなかった。
 かつてはメンデルコロニー跡にラクス軍が拠点を置いていたが、それはクルーゼ隊によって壊滅させられており、以後はクルーゼが一部の哨戒部隊をL4の廃棄コロニーの何処かに配置されているくらいになっている。
 この宙域に今、久しぶりに6隻の艦隊が姿を現していた。第8任務部隊の旗艦アークエンジェルとパワー、そして護衛の第28駆逐隊だった。彼等はアズラエルに言われたとおりにメンデルコロニーに近付くと、MSを出して周辺の哨戒をさせつつアークエンジェルを近づけた。

「ロディガン艦長、アークエンジェルはこのままメンデルに接岸します。その間は本艦は動けませんから、パワーが中心となって周辺への警戒を頼みます」
「了解しました。司令官、くれぐれも気をつけて下さい」

 パワーのロディガン艦長はマリューの頼みを快く引き受け、パワーをメンデルの宇宙港正面に固定させた。周辺は駆逐艦に任せ、パワーは正面で周辺警戒に集中する態勢をとったのだ。
 パワーは全ての艦載機を出して周辺哨戒をする事にしており、さっそく格納庫にMSを出すように指示している。それを受けて格納庫からはさっそく3機のウィンダムと3機のマローダーが出撃準備に入っていた。パワーMS隊隊長のボーマン中尉が装備の指示を出しながら自分の機体に飛んでいっている。

「今回は哨戒任務だ、余り艦から離れる必要は無い。各小隊は距離を開いて周辺索敵をしっかりやれ。それとどうも戦闘があったらしいから、機雷にも気をつけろよ」
「隊長、でも回りはゴミだらけですよ。こんな所で警戒しろって言われても無理ですよ」
「やれって言うんだからしょうが無いだろギャレット」

 愚痴る部下にそう答えてボーマンは自分の機体のコクピットハッチを掴んで止まった。そこでは妹のセランがコクピットの最終チェックをしていたようで、突っ込んでいた半身を出して場所を譲ってくれる。

「よし、調整は完璧。なんかあったら兄さんの腕のせいだからね」
「いきなりそれかよ、怖い整備兵だな」

 口の減らない妹にボーマンが呆れた顔をしたが、直ぐに真顔に戻ると妹の肩を掴んで引き寄せ、小声で注意を促した。

「セラン、ひょっとしたら敵が来るかもしれないから、補給の準備をしといてくれ」
「え、ここって放棄された無人のコロニー群でしょ?」
「つい最近に大規模な戦闘があったらしい、周辺のデブリがかなり新しいようなんだよ。それにこの辺りはザフトの哨戒部隊と幾度も遭遇戦が起きてる場所だ、用心した方が良い。司令部も艦長もそう思ったからこれだけの数を警戒配置に付かせてるんだろう」
「でもそうなるとちょっときついよ。前に一回戦って大分使っちゃったから、連戦となるとね」
「その辺りはがんばるしか無いか。まあ、用意だけ頼むわ」
「OK、やっておくよ」

 セランが右手の親指を立ててぐっと突き出し、装甲を蹴って他の機体へと移動していく。それを見送ったボーマンはウィンダムのコクピットに潜り込み、機体を起動していった。

「まあ、気の回し過ぎですんでくれたら、それが一番なんだけどな」

 ただの退屈な警戒配置で済んでくれれば良い。ボーマンはそう願っていた。




 メンデルに接岸したアークエンジェルは艦をここに固定し、周辺にMSを出して中に入って行くアズラエルたちを待つ事にした。アズラエルは随員としてキラを望み、更に護衛として武装した兵士が4人に機器の操作要員がついていく事になる。
 だがキラが行くことになって抗議の声を上げた者がいた。シンである。彼はこの研究所を前にして好奇心の塊と化しており、中に入りたがっていたのだ。まあ航海の間は暇だったので、気晴らしがしたいだけかもしれなかったが。
 しかし付いて行くと言われたアズラエルはどうしたものかと考えてしまった。

「付いてきたい、ですか。まあ僕は構わないんですが、あんまり気持ちの良いところではありませんよ」
「あの、一体ここは何なんですか?」

 この施設を知らないらしいマリューがアズラエルに問う。それは周囲の者も同感のようで、艦橋にいる全員がアズラエルを見ている。その視線の中でアズラエルは困ったもんだという顔でマリューを見た。

「一応ニュースにもなった筈ですがねえ。ここはメンデルコロニーと言いまして、遺伝子研究所だったんですよ。まあ数年前にバイオハザードが起きて閉鎖されたんですが」
「バイオハザードって、そんな所に入って大丈夫なんですか?」
「ああ、大丈夫ですよ。バイオハザード後、直ぐにX線照射で殺菌してしまいましたから。ただ、それ以来ここは禁忌の場所とされて誰も近寄らなかったんです」

 禁忌の場所、そう聞かされて周囲の者たちが不気味そうに窓の外にあるメンデルの外壁を見た。そう言われてしまうとこのご時世でありながら薄気味悪く感じてしまう。そしてシンの隣で聞いていたフレイは引き攣った笑顔で一番気になっている事を隣にいるトールに問いかけた。

「ま、まさか、お化けが出てきたりなんて、しないわよね?」
「どうかなあ、何しろ遺伝子研究所にバイオハザードなんていかがわしさ大爆発のところだし、お化けの1つや2つ出てもおかしくは無いだろ」
「いやいや、やっぱこういう場所で定番といえばゾンビとか遺伝子操作された化け物じゃないかな?」

 トールのお化け発言にカズィが茶々を入れ、なるほどとトールが頷いている。それを聞いたチャンドラたちがゲームと一緒にすんなと苦笑しながら窘めていたが、それを聞かされたフレイは何故か青い顔して震えていた。それを見たノイマンがどうしたのかと問うと、それがきっかけとなったのかフレイはたまたま隣にいたシンに抱きついて悲鳴を上げだした。

「もうヤダヤダヤダ、こんな気味悪いところ早く出て行きましょ、今すぐ。もしお化けとかゾンビとか本当に出てきたらどうするのよ!」
「お、落ち着けアルスター、それはこいつらの冗談だ!」
「ならノイマンさん見て来てくださいよ、私は嫌ですからねこんなトコ入るの!」

 もうパニック状態になっているフレイ、シンを抱きしめてガタガタ震えている姿からすると、どうやら彼女はこの手の話が苦手であったらしい。その様子を見ていたサイが右手で顔を押さえながらパニック状態のフレイの肩を左手で叩いた。

「そこまでフレイ、みっともないから止めなよ」
「何よサイ、私がこういうの嫌いなの知ってるでしょ!」
「知ってるけどさ、とりあえずシンを離そうな。目を回してるよ」

 サイのツッコミを受けて全員がシンを見た。確かにシンはフレイの腕の中でピクピクと痙攣をしており、まるで断末魔の瞬間のような様子と化している。それを見たフレイは慌ててシンを離したが、開放されたシンは何故か幸せそうな顔をしていたりする。

「し、死ぬかと思った〜、息が出来なくて苦しくて苦しくて」
「いや、死にそうな目にあったのに何で顔がにやけてる訳?」

 余りにもおかしなことを言うシンにキラが突っ込みを入れたが、シンはその問いに戯けた答えを返してくれた。

「いや、それが顔がフレイさんの胸に押し付けられちゃって、口と鼻が塞がっちゃって息が出来ないんすよ」
「……でも柔らかくて気持ちよかったな〜、とか?」
「そうなんすよねえ、良い匂いしたし……キラさん、なんか顔が怖いんですけど?」

 何となくラッキーという感じだったシンであったが、話を聞いていたキラの機嫌は加速度的に悪くなり、それを見てしまったシンは自分が虎の尻尾を踏んだ事に今さらながらに気付いた。

「ふっ、ふふふっふ、僕は1年近くも触らせても貰えないってのに、このラッキースケベは」
「誰がラッキースケベですか、変なあだ名をつけないで下さいよ!」
「いいや、大体シンは前からそうだった。温泉の時だってそうだったし!」

 どうやら温泉事件の時の裏切りを未だに根に持っているらしいキラであった。対するシンは碌でもない渾名が定着してしまってはたまらないので此方も顔を赤くして抗議しているが、その騒動には決着が付きそうもなかった。ただ、キラがとんでもない事を言ったせいでフレイが顔を赤くして縮こまってしまっているのだが。

「1年前までは触らせてた訳?」
「ううう、言わないでミリィ。ブカレスト基地に入る前の話よ」
「ああ、2人がおかしくなってた頃ね。そういえばマドラスで言ってたわね、キラが超絶倫人だって」

 マドラスで聞いた暴露話を思い出してミリアリアが納得したが、それを聞いた艦橋の男性クルー一同は大声を上げてキラに詰め寄り、どういう事かと問い詰めた後でまるで魔女裁判の如く一方的に罪状を突きつけ、そのまま艦橋の外に連れ出されていってしまった。両脇をノイマンとサイに固められて連行されていくキラの姿はまるでシベリア送りを告げられたユーラシアの受刑者のようであったと、後にミリアリアは著書の中で記している。




 メンデルの中はところどころに明かりが付き、一部の機器が生きている状態であった。アークエンジェルが電力を供給しているせいであるが、ドッキングベイで合流したヘンリーたちの話によるとメンデルの発電施設の一部が今でも生きているそうで、自分たちがここに来たときでも一部の機器が稼動していたらしい。X線照射にも耐えた施設があったということなのだろうか。それとも誰かがここの施設の一部を復旧していたのだろうか。酸素プラントも稼動しているようで呼吸が出来る。
 中に入ったのは結局アズラエルとキラ、チャンドラ、トールの4人に護衛の兵士4人で、これにヘンリーとイタラ、アーシャが加わっている。トールはパイロットであるが工学畑出身ということもあり、今回は護衛と持ち込んだ機器の操作をチャンドラと一緒に行う事になっている。
 アークエンジェル周辺にはフラガの指揮で4機のMSが展開し、万が一に備えて警戒を行っていた。こういう時にはキラにくっついている事が多いフレイも今回は怖いと言って同行を頑なに拒んでいたりする。まあそのせいでトールが行かされたのだが。

「よくあんなお化け屋敷みたいなところに行く気になるわね、あの人たち」
「俺は行ってみたかったすけどねえ」
「マジで言ってるの?」
「大マジっすよ。だって数年前に事故で閉鎖された研究所なんて、なんか色々秘密がありそうじゃないですか」
「ああ、はいはい。男って本当にそういうのが好きよねえ」

 キラも男の浪漫がどうとか言ってそういう主張をする事があるが、フレイにはその気持ちがさっぱり理解できなかった。これが男と女の差なのだろうか。




 中に入ったキラたちはそこで良く分からない様々な機器が並ぶ部屋を見る事になった。それらが遺伝子研究に必要な機器だという事はイタラの説明で分かったのだが、どういうふうに使うのかは知識が無いキラたちにはさっぱりである。
 トールが記録用のカメラを担いでヘンリーに言われた所を撮影しながら歩いている。それを邪魔しないように後ろについて歩いていたキラは物珍しげに周囲を見回していたが、そんなキラの背中をイタラが叩いた。

「どうかの、生まれ故郷の感想は?」
「生まれ故郷、と言われても、実感無いですよこんな廃墟じゃ」
「まあそうじゃろうな。これでも昔はそれなりに活気もあったんじゃが、今じゃ誰も立ち入らぬ禁忌の場所じゃからの」
「でも、遺伝子研究所って言ってましたけど、一体何を研究してたんです?」
「色々ですよ、クローンとか、戦闘用コーディネイターとか、色々ね」

 キラの問いに答えたのはイタラではなくアズラエルだった。周囲を見回す彼の顔には露骨な嫌悪の色があり、彼がこの場所を嫌っている事が伺える。

「ここは人の罪と欲望を封じ込めた場所なんです。遺伝子を弄ってまで強大な力を欲した人間たちの、ね」
「アズラエルさんは、遺伝子操作を否定するんですか?」
「私はブルーコスモスの思想に賛同した人間ですからね。そうまでして人間を超えた力が欲しいのか、と思いますよ。何故人は自然の進化を待てないのでしょうね」
「遺伝子操作は進化ではない、そう言うんですか?」
「貴方はコーディネイターは進化したと思いますか、キラ君?」

 アズラエルの問い掛けに、キラは無言で首を横に振った。残念だがコーディネイターは進化した人間ではない。それは他ならぬキラ自信が良く分かっている。コーディネイターは環境に適応した新人類などではなく、遺伝子が変化した突然変異とでも言うべき物だ。だからナチュラルに勝つ事は出来なかったのだろう。
 些か元気をなくしたキラを見て、イタラは足を止めて1つの実験室のような場所でキラを呼び止めた。

「少年よ、ここがお前さんの生まれた場所じゃ」
「生まれた、場所?」
「そう、ここに並んでおる機材が初期型の人工子宮でな。お前さんの実父、ユーレン・ヒビキが作り上げた物じゃ。お前さんはここで研究されていた成果なんじゃよ。最高のコーディネイターとして、の」
「イタラ様、最高のコーディネイターって、何の事ですか。前にも幾度か耳にしましたが、キラさんの何が最高なんです?」
「あ、それは俺も興味あるな。キラって確かに凄いけど、かなりヘタレだし」
「トール、ヘタレって言わないでよ」

 アーシャの問いにトールが口を挟む。友人にヘタレ呼ばわりされたキラがムッとした顔で抗議するが、トールは涼しい顔だった。そしてイタラはやれやれと腰を適当な場所に降ろすと、すこし昔を懐かしむような顔でキラを見上げた。

「最高のコーディネイター、それはある男の再現を目指した計画じゃった」
「ある男?」
「世界で一番名の知られたコーディネイターじゃよ、お前さんも知っとる筈じゃて」

 知っている、そういわれたキラは誰だろうと思ったが、その答えにたどり着く前にアズラエルが教えてくれた。だが、それはキラにとって信じられない、いや信じたくない名前であった。

「最高の能力を持った人類最初のコーディネイター、ジョージ・グレンですよ。キラ・ヤマト、貴方は彼のコピーと言える存在なんです」
「僕がジョージ・グレンのコピー?」
「ええ、全てのコーディネイターはジョージ・グレンの公表した遺伝子構造データを元に生み出されていますが、何故かコーディネイターたちはジョージ・グレンに及ばなかったのです。どれだけ金をかけても、どれだけ研究を重ねてもね。それが何故かは分かりませんが、ユーレン・ヒビキは何かが足りないのだと考えて研究を重ねました。そしてジョージ・グレンに匹敵するポテンシャルを持つに至ったのが、君ですよ」
「ジョージが全てを公表しなかったのか、あるいは彼も全てを知ってはいなかったのか、恐らくは後者じゃろうな。あいつは理想主義者じゃったが隠し事をするような男ではなかったからのう」

 昔を懐かしむような顔で言うイタラ。彼はどうやらジョージ・グレンと知人であるようだが、彼の外見から伺える年齢や、その立場を考えればありえない事ではない。いや、ひょっとしたらジョージ・グレンに協力して何かをしていたのではないだろうか。

「イタラさんは、ジョージ・グレンのお知り合いなんですか?」
「まあ、色々と縁がある仲じゃったからの。もっとも儂はあいつほど人を信じてはおらんかったが。儂ならあんな愚かな事はしておらん」
「愚かな事って、最高のコーディネイターなのに愚かなんですか?」
「愚かじゃよ、少なくともこの戦争の原因を作ったのはあいつじゃからの。理想主義も行き過ぎれば唯の害悪にしかならんという事じゃ。これはジブリールもシーゲルやパトリックも、シーゲルの娘も同じじゃがの。純粋というのも考え物じゃて」

 苦々しい顔で呟くイタラ、それを聞いたアズラエルも苦笑を浮かべており、キラは困った顔をしている。キラはラクスの考えそのものには賛同しているのだ。ラクスの言うナチュラルとコーディネイターの融和という思想は立派なものだし、もし自分が自由に動ける立場だったら彼女に手を貸していたと思っている。
 だが、それを口にしたらイタラとアズラエルは小さな声で笑い出した。それが馬鹿にされているように感じてキラが怒ると、2人はそうじゃないと否定して来た。

「いえ、若いうちは誰もそういう考えを持つんですよ。極端な主義主張に染まり易いと言いますかね」
「まあそうじゃの、儂も20の頃はジョージの賛同しとったからのう。綺麗な言葉というのは耳に心地良いものじゃて」

 アズラエルやイタラのような政治や経済に深く関わっている人間は奇麗事では世の中が回らない事を知っている。法律を完璧に適用すれば息苦しすぎて人々が苦しむし、福祉を充実させて格差を無くす社会を実現しようと思えば富める者から奪わなくてはいけない。
 世の中を上手く回していくには妥協が必要なのだ。それが出来ない者は潰されていくか、更に過激な方向に突き進む事になる。不幸な事にラクスは過激な方向に突き進めるだけの力を持っていたのだ。
 それはキラにはまだ理解できない世界の話であった。どうにも納得できない様子で唸っているキラを見てチャンドラは若いねえと呟いている。だが、その時カメラを担いでいたトールがイタラに質問をしてきた。

「あの、良いですか?」
「うん、なんじゃ坊主?」
「イタラさんの話だと、イタラさんってジョージ・グレンの告白の前から知り合いみたいなんですけど、イタラさんってコーディネイターなんですよね。なんかおかしくないですか?」

 そう言われてアズラエルを除く全員が声を上げてイタラを見た。そう、コーディネイターはジョージ・グレンの告白によって公開されたデータから作られたのだ。つまりジョージ・グレンの告白以前にコーディネイターが居る筈が無い。では一体、イタラは何なのだ。
 その問いに対して、イタラは目を閉じて暫しじっと考え込むように軽く俯いた。まるで昔を思い出すかのように。このイタラの沈黙は、意外に長い物となった。





 作戦を終了してプラント本国に帰還したアスランたち。この作戦に参加していた者たちはそれぞれの部隊に復帰していったが、この作戦はプラント内の力関係に微妙な変化をもたらしていた。現在のザフトの非主流派が集まって行ったこの作戦は結果だけ見るなら大成功に終わり、クリントへの補給をほぼ完璧に成功させたばかりか、クリントに迫った地球軍の艦隊1つを壊滅させ、もう1つを撃破するという華々しい戦果を挙げたのだ。
 これは昨今のザフトの戦力を考えれば驚異的な快挙であり、久々にもたらされた景気の良い話である。ザフトの広報部は早速この戦果を発表しており、プラントの市民は久々の大勝の知らせに表情を明るくしている。
 だが、この勝利はプラントの現主流派であるエザリア派にとっては忌々しい物となった。この勝利をもたらしたのは旧ザラ派の指揮官や古参兵たちであり、エザリア派の人間ではない。現在のエザリア派の率いるザフトが地球軍に敗北を繰り返し、地球から叩き出されて今ではボアズで決戦の準備をしている現状を考えれば、僅かな兵力と乏しい装備で作戦を見事に成功させたザラ派の有能振りが際立ってしまうのだ。作戦を許可しながらも何の援助もしなかった事がこの勝利を更に際立たせている。
 だがこの勝利を当のマーカストやウィリアムスらは喜んではいなかった。確かに勝利はしたが、この程度の戦果では大局は動かない事を彼等は良く知っていたのだ。ただマーカストが提督職に復帰している事でウィリアムスは頼れる同僚を再び得たことになり、独自に動かせる戦力が増えた事になる。更に今回の勝利でウィリアムスとマーカストの発言力は増大する事になり、2人の指揮下に加えられる兵力を増やす事が出来た。その中には先の作戦に参加してくれたベテランも加わっており、ウィリアムスはこの兵力を使って地球軍の動向を監視する偵察部隊の編成をする事にしていた。
 この偵察部隊の編成に関してはアスランとユウキも協力しており、ガルムに偵察用の追加装備を施した偵察艇型を作成する事にし、武装が貧弱で使いどころがなかったエターナル級を母艦として月や地球軌道、L2のグランソート要塞の監視を行わせようとしているのだ。

「だが、問題は継続できるかどうかだ。この全てを同時に監視する事は出来るが、監視し続ける事は出来ん」
「そうですね、回してもらったエターナル級は3隻しかありませんし」

 アスランがその通りと頷く。エターナル級は試作艦2隻と生産型3隻の5隻が建造されたが、6番艦からは改級になっており、そちらは全てが本国とボアズに回されている。機動力を重んじるマーカストなどは改エターナル級で艦隊を編成し、遊撃戦を行って地球軍をすり減らすべきだと唱えていたが、高価な上に核動力MSの運用母艦として使える改エターナル級を消耗する事を恐れた軍上層部に一蹴されている。
 改エターナル級に較べるとエターナル級は火力防御力に劣り、高速輸送艦だと揶揄される船でしかない。確かに核動力MSの運用母艦として使えるが、戦闘艦としての価値はさほど高くは無い。ましてミネルバ級が完成した事でその価値は殆ど失われてしまったと言える。
 そんな艦だから、半ば廃物利用のような形でウィリアムスの元に残存艦3隻が送られたのである。これをどう使うかでウィリアムスはこうして協議を重ねていたのだ。だが乏しい兵力でどうやって広範な宙域をカバーするか、それが問題であった。

「せめて6隻あればなあ。交代で偵察部隊を貼り付けれるんだが」
「無理ですよ、3隻回されただけでも驚きなんですから」
「それは分かっているがなアスラン、せめて敵の動向だけでも分からないと戦いようが無いぞ」

 地球軍は多くの監視部隊を貼り付ける事でプラント周辺とボアズに展開するザフトの動きをほぼ完璧に把握している。それはもう間違いが無いのだが、此方は敵の動向を掴むだけの偵察部隊さえ編成できないでいる。今になって長距離偵察部隊が必要になったのだが、必要になったからと言って直ぐにそんな物を用意できるわけではない。今ある機材を使ってどうにかするしかないのだが、使えそうな機材を集めるのにも四苦八苦する有様で、更にそれを扱う人材の確保も一苦労である。航法というのは簡単な物ではなく、小型機を確実にナビゲート出来るオペレーターは貴重な存在なのだ。この辺りはMAパイロットを多数擁している地球軍に大きなアドバンテージがあった。
 しかし居ないものは仕方が無い。アスランはアカデミーの授業の中での航法の重要度を挙げるなどの対策を講じてはいたが、それが役に立つのは戦後の事なので現状打破には何の役にも立たない。
 この無い無い尽くしの中でどうやってプラントを守るか、その事にウィリアムスたちは頭を痛める事になる。だがそれは彼等に与えられた力ではどうしようもない次元の事であり、悩んでもあまり意味が無いことであった。




 アスランやウィリアムスが頭を抱えていた頃、本国防衛隊司令部ではユウキが客人を迎えていた。左遷部署である事を示すかのように司令部は暇そうであり、ユウキも自ら茶を淹れて客人をもてなしている。それを受け取った少女は恐縮した様子であった。

「あ、あのユウキ司令、司令には副官はいらっしゃらないんですか?」
「ああ、副官は用事を言いつけて追い出してある。聞かれると拙いのでね。本国防衛隊と言えども何処に耳があるか分からないのだよ」
「じゃあ、ここは?」
「ここは大丈夫、信頼できる部下に毎日チェックしてもらっているのでね。盗聴器の類は全部殺してある。相手には私が適当に業務をしているように聞こえているよ」

 この部屋は盗聴されているという事を笑いながら教えてくれるユウキに部屋を訪れていた客、ジュディ・アンヌマリーとフィリス・サイフォンは顔を引き攣らせている。彼女等がやっている事は発覚すれば即逮捕、刑務所行きな行為であり、盗聴されていると分かっている部屋に自分たちを呼んだのかと言いたかった。
 そしてユウキは引き攣る2人と向かい合うようにソファーに腰を降ろすと、さてどうしたものかと2人に現在の状況を打ち明ける。

「さて、現在我々はとても困った状況におかれている。プラントの各地を探して回ったが、未だにザラ議長の所在が分からない。人は多少は集まったが、まだ状況を覆せるほどの力も無い。さてどうしたものかな」
「評議会議員が2人も手を組んでいても、何も出来ないのですか?」
「ジェセック議員やグルード議員が表立って事を起こす訳にもいかんのだ。そんな事をしたら状況は最悪になってしまうからな」
「……ラクスのクーデター、ですか?」

 ユウキとジュディの話にフィリスが表情を暗くして問いかける。プラントの中でユウキたちが十分な力を集められない、その理由をフィリスはラクスのクーデターに有ると考えたのだ。ラクスが既にプラントの現状に不満を持つ人間を掻き集めて連れ出してしまったから、プラントにはそういう人間が居なくなってしまったのだと。ウィリアムスやマーカストはクーデターにも等しいユウキたちの計画には心情的にはともかく、軍人として参加する事は無いだろう。彼等はそういう人間だ。
 だから手持ちの戦力でどうにかするしかないのだが、どうにも人手不足は否めないでいる。何しろ本国防衛隊の中にさえエザリアの間者が紛れているのは確実で、完全に信用できる人間というのは少ないのだ。

「フィリス・サイフォン、君の所の人間は使えないかね?」

 ユウキがジュール隊に組み込まれている特務隊メンバーに期待をかけたが、フィリスはそれを否定した。

「無理だと思います。話せばたぶん皆さん力を貸してくれると思いますが、皆さん素直な方ですから、隠し事が出来ません」
「そうか、そういうことなら仕方があるまい」

 残念そうに肩を落とすユウキ。フィリスはすまなそうであったが、ジャックやエルフィやシホを巻き込むのは自爆寸前の爆弾を抱え込むような物だろう。人間としては信頼できる相手なのは疑いようも無いのだが、こういう謀の類には全く向かない性格をしているのだ。直情で猪突猛進なイザークは最初から考慮されていない。
 だが人手不足でもやるしかない。ユウキは頭を掻きながら隠している資料を取り出してジュディとエルフィに見せながら現在の情勢を説明していくが、それを聞いていたフィリスがあることを思い出して調べて欲しい事が有るとユウキに言い出した。

「ユウキ隊長、うちの部隊に送られてきたステラ・ルーシェというパイロットなんですけど」
「ステラ・ルーシェ?」
「彼女の素性を調べてくれませんか、どんな事でも構いませんから」
「パイロットの素性など調べてどうするというのだ、何か気になる事でもあるのかね?」

 ユウキの問いにフィリスは先の作戦で起きた、敵パイロットとの通信の内容を伝えた。敵がステラの事を知っていたばかりか、自分たちを人攫いと呼んで奪還しようとしたいたことを。そしてステラはその異常さから前に一度調べようとしたのだが、上層部から軍機と言われて調査そのものを封じられた事を語った。
 それを聞いたユウキは確かに妙だなと言い、調査してみると約束した。だが、何処まで分かるかは保障できないと。

「それで、そのステラというパイロットは何処の戦線から来たのだ。それとも訓練校か?」
「いえ、それも分からないんです。クルーゼ隊長が連れてきたというだけしか」
「……クルーゼが?」

 ユウキはクルーゼが絡んでいると聞かされて眉間に皺を寄せた。あの男が絡んでいて正体が軍機扱いとなると、碌でもない物が出てきそうな予感がしてしまったのだ。そしてそれは、程なくして現実の物となるのである。




 プラントに1隻の貨物船が入港してきた。それはスカンジナビア王国からやってきた貨物運搬船で、スカンジナビアから運んできた穀物や水、野菜といった食料を満載している
。その船がプラントの港で貨物の積み下ろしをしており、船員たちが湾口労働者と共に走り回っている。
 船長は書類を挟んだボードを係官に見せていたが、湾口を見回してその寂れ具合に眉を顰めていた。

「活気が無くなったな、この港も」
「え? ああ、そうですね。航路が地球軍に押さえられたせいで、今では密輸船も来ない有様です」
「困ったもんだ。まあ儂等も半分密輸船みたいなもんだし、偉そうな事は言えないんだけどよ」

 船長は気後れした様子など微塵も感じさせぬ様子で心にも無いことを口にし、係官はボードの書類をめくるうちに目当ての封筒を見つけて口元に笑みを浮かべる。そして書類にサインを入れ、船長に手渡した。

「荷物の確認をさせてもらうが、宜しいかな?」
「構わん、好きなだけ確かめろ」
「宜しい、では取り掛かるとしよう」

 それを受けて湾口当局の人間が荷物の検査をはじめ、船長は係官と共に中へと入っていった。残りのクルーは検査の終わった荷物をせっせと運んでいたが、その中には帽子を目深に被っているラクスも居た。
 ラクスはサカイの後に付いてせっせと荷物のチェックをしていたが、彼女はなんだか憂鬱そうであった。それに気付いたサカイがどうかしたのかと聞くと、ラクスは少しショックを受けていると答えた。

「幾人かの方と目が合ったのですが、誰も私とは気付いてくれませんでした。私はそんなに印象に残らないのでしょうか?」
「いや、普通こんな所にラクス様が居るとは誰も思わないでしょう。それにばれない方が都合が良いです」
「それはそうなのですが」

 どうにも納得できないのは有名人の性か。サカイはやれやれと肩を竦めて作業を再開する。彼も同行してきた陸戦要員やパイロットもこれまでの旅ですっかりこの手の仕事に馴染んでしまっていた。戦争が終わったら運送業でもやっていけるかもしれない。実際に地球に帰ったら海運業でもやるかと話し合う者も居る。
 作業の合間に戻ってきた船長はラクスたちを物陰に招き寄せると、2人にIDカードのような物を渡してきた。

「これはなんですか?」
「市民IDだ。こいつが無いと何かと不自由する。全員分あるからお前等が配っておけ。そいつがあればプラントの中に入れる」
「どうやってこんな物を、手続きにはそれなりの時間がかかるはずですよ?」

 サカイが簡単には手に入らないはずの市民IDを船長があっさりと持って来たことに不信げな視線を向ける。それを向けられた船長はふてぶてしい態度でサカイが目を剥く様な事を言ってくれた。

「そりゃそうだ、そいつは偽造品だからな」
「偽、偽造!?」
「ジャンク屋にはそういう代物も流通してんのさ。何処で、とは聞くなよ」

 サカイが凄い顔で睨みつけてくるのを見て船長は問いかけてくるのを先に封じてしまう。質問を拒否されたサカイは怒りに肩を震わせていたが、やがてそれを飲み込んで落ち着きを取り戻した。

「ま、まあ、状況が状況ですのでこの件は不問という事で。ですが、IDがあっても港湾局がそう簡単に通してはくれないでしょう?」
「そいつも大丈夫だ。ジャンク屋の中には今回の俺みたいに密航の手伝いをする奴も居るからな。ちゃんと入国できるように必要な奴を金で買収してある」

 それを聞かされたサカイが額に血管浮かべて再び沸騰しだし、ラクスが慌てて宥めている。プラントの外交部署に武官として配属されていた彼は公僕として責任感に溢れ、パトリックやジェセックからも信頼された人物なのだ。そんな違法行為が罷り通っているなどと聞かされれば冷静では居られないのも当然だ。
 だがその違法行為のお陰で自分たちはプラントにもどれるのだと考えると、それを追求する事も出来ない。それが情けなくてサカイはコンテナに右手を付いて暫くの間肩を震わせていた。

「あ、あの、サカイさん?」
「暫くそっとしておきな、色々と自分を納得させてるんだろうよ」

 自分の中の正義と必至に戦っている男の背中を見て、船長はラクスの背中を押してそこから去っていった。



 こうして、ラクスたちはプラントへの進入に成功する事になる。それはプラントという水面に投じられた1つの石であるが、その波紋がどれ程の変化となるのかは誰にも分からなかった。



後書き

ジム改 ザフトの戦力はボアズで一戦したら消耗し尽くしそうだなあ。
カガリ ジブリールって結構大変な状況なんだな。
ジム改 そりゃまあ、アズラエル率いるロゴスの支援があってこそあれだけの勢力を誇れた訳で。
カガリ ジブリール単独じゃ支えきれなかったと。
ジム改 組織ってのは金掛かるからねえ。
カガリ んで、メンデルじゃやっとイタラの正体が分かるのか。
ジム改 この爺さんの素性はこのSSにおける謎の1つだったからねえ。
カガリ ある意味でキラ以上におかしな爺さんだったからなあ。
ジム改 ラクスもプラントに帰ってきたし、これで次の舞台の準備は整った。
カガリ ジャンク屋って、悪用すると怖いんだな。
ジム改 原作でもやってる事は犯罪そのものだし。ロウが兵器密造したりね。
カガリ では次回、イタラが語るジョージ・グレンと自分、キラの秘密。そしてコーディネイターという存在の謎。ラクスはプラントで地下組織に合流し、そこでフィリスと再会する。地球軍は艦隊戦力を月とアメノミハシラ、グランソート要塞に集結させていよいよ攻勢に出る準備を整えようとしていた。次回「過ぎた日の記憶」で会いましょう。


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