第175章  パトリック・デイ


 

 月基地に帰還した第8任務部隊はそこで点検と整備を受ける事になり、クルーには一週間ほどの休暇が出された。それを受けてクルーは各々に宛がわれた官舎に移ったり、近隣の月面都市に遊びに行く計画を立てている。残念ながらシンは僅かとはいえヴァンガードの封印を解いてしまった為に調整に付き合わされていたが。この機体の封印に付いてはマードックがクローカーから聞かされていたので、シンが本当に使えるのかどうかのチェックをしなくてはいけなかったのだ。ついでにドミニオンの3機のGも一緒に総点検を受けさせられて、オルガたちもドミニオンの整備兵と一緒にプトレマイオス基地の整備場に詰めさせられていたりする。
 フレイもミリアリアと何処かに行こうと楽しげに話しながら宇宙港を歩いていたのだが、カズィが何かを見つけて声を上げたのでそちらを見た。

「あれ、アレってクサナギじゃない?」
「クサナギ?」

 カズィが指す方を見ると、確かにオーブ軍のイズモ級戦艦が2隻入港して埠頭に繋がれているのが見える。他にもフブキ級駆逐艦も6隻ほどあり、どうやらオーブ艦隊がコペルニクス基地に到着しているようだ。

「オーブ軍もとうとう出てきたのね。本国の混乱は収まったのかしら?」
「いや、まだだぞ」
「え、その声は?」

 突然カガリの声がした。全員が驚いて声のした方を見ると、ユウナと軍人を連れたカガリが歩きながらこちらにやってきていた。

「カガリ、貴女もう来たの!?」
「何言ってやがる、もう直ぐ最終作戦が始まるんだろうが。だからこうして出向いたんだよ」
「最終作戦、何だそれ?」

 カガリが訳の分からない事を言ったのでトールが聞き返してくる。他の全員も首を傾げていて、それを見たカガリはアレっと疑問符を浮かべていた。

「あれ、聞いて無いのか。いよいよプラント本土侵攻作戦エルビスが発動したんだが?」
「そんなの初耳だけど?」
「……ひょっとして、まだ極秘だったか?」

 カガリが額に汗を浮かべてユウナを振り返ると、ユウナは柵に両手を乗せて完全に項垂れていて、随行の軍人に宥められていた。

「なあアマギ三佐、何処かに馬鹿につける薬って売ってないかなあ?」
「しっかりして下さいユウナ様、何かあった時カガリ様に代わって矢面に立つあなたがそんな事でどうします?」
「だから今から嘆いてるんじゃないかあ〜」

 どうやら極秘事項であったらしい。ユウナは極秘事項をあっさり漏らした自国の代表の駄目っぷりに頭を抱え、これが連合軍上層部に知られたらどういう抗議が来るかなあと今から想像して頭を抱えていたのだ。こういうのにカガリを出すと喧嘩になりかねないので、どうしてもユウナが出る羽目になる。
 まあ補佐役なんて貧乏くじ引かされるお仕事ではあるのだが、それでもユウナは愚痴らずにはいられなかった。こんなアホな理由で他国の抗議を受けるのは真っ平御免だと。元々そんなに気の強いタイプではなく、逆境になると脆い男なのだ。オーブ敗戦後の経験が大分彼を変えていたが、まだ他国の要人と真っ向から渡り合えるような胆力を持っているわけではない。だからそういう仕事はミナが引き受ける事が多いのだ。

 頭を抱えるユウナを宥めるアマギを尻目にカガリは気にしていない様子で話を続けていた。そのスルーっぷりに5人が呆れた顔をしているがカガリは気にしていない。

「まあそれは置いといてだ。お前等休暇なんだろ。私も仕事終えたら何処かに行きたいから誘えよな」
「俺たちはコペルニクスに行こうかと思ってたんだけど?」

 サイがどうしようかと仲間を振り返る。別に付き合っても良いのだが、どうしようかと思ったのだ。だがそれにみんなが答えるよりも早く、キラが背を向けて歩き出した。

「おいキラ、お前は?」
「……御免、僕は遠慮させてもらうよ。疲れてるし、そんな気分じゃないんだ」

 そう言ってキラは通路を歩いて行ってしまう。その背中は声をかけられる事さえ拒絶しているように見えて、サイたちも声をかけられなかった。そしてフレイはトールを見た。キラに何があったのか、知っているのはこの男だけなのだ。

「トール、メンデルで何があったの。あれじゃまるで昔に戻っちゃったみたいじゃない?」
「だから勘弁してくれって。俺はもう思い出したく無いし、俺が言って良い事でも無いんだってば」
「でも、キラ何度聞いても教えてくれないのよ。他に知ってそうなの貴方だけじゃない。アズラエルさんもヘンリーさんも御爺ちゃんもノーコメントって言って逃げるし」

 メンデルに行ってから、キラは自分を避けるようになったと言うフレイ。それは別にフレイだけではなく、他の全てを遠ざけているのだが、それがまるで昔に戻ったような印象で、かなり気にかけていたのだ。
 それはサイやミリアリアやカズィも感じていた事で、フレイに相談された時はどうしたものかと一緒に考えたのだが、事情を知っているはずのトールは頑なに口を閉ざしているので何が起きたかを知ることが出来ないでいたのだ。
 トールが頑として口を割らないのでどうしようもない八方塞りの状況だった。だがカガリは、それを聞いてにやりと笑ってフレイにキラを誘ってデートでもしてきたらどうだと勧めた。

「デートって、あんな状態じゃ誘っても来ないわよ」
「やってみなくちゃ分からないだろ、良いから言ってみろって」
「で、でも、なんていって誘えば良いのよ。私は誘った事も誘われた事も殆ど無いんだもの」

 その言葉に胸を抉られて蹲る眼鏡の元婚約者が1人いた。キラのヘタレっぷりのせいで余り目立たないが、こいつも実は結構ヘタレな面があるのだ。流石にもう今更なので周囲も呆れた目を向けるだけであったが。
 
「そうだな、ちと日は過ぎちまったが、ホワイトデーだからって言って連れ出すとかはどうだ?」
「ホワイトデー、何それ?」

 聞いたことのない名前にフレイが首を傾げるが、それを見たオーブ出身者たちは驚いていた。まさか、ホワイトデーを知らないというのか。まあこのイベントは極東連合とオーブ限定なので、大西洋連邦出身のフレイが知らないのも当然なのだが。そもそもバレンタインに女の子が男にチョコを送るという習慣も特殊なのだ。フレイの感覚だと恋人同士が贈り物をする日、というイベントだから。
 だから贈られたチョコのお返しをする日などと言われてもフレイにはピンと来なかったのだ。
 
「ホワイトデーには男が女に3倍返しってのがオーブの基本だな」
「そうね、愛は価格で決まるのよ」

 カガリのいっそ清清しいほどの傍若無人な言葉にミリアリアがうんうんと頷いているが、聞いている男たちは一様になんとも言えない重苦しい雰囲気を漂わせていた。3倍返しが何時から基本になったのだろうか。

「で、そのホワイトデーって奴で、キラを引っ張り出せるの?」
「お前、バレンタインにキラに何か渡したんだろ?」
「ええ、時計を送ったけど。ヴァシュロンのパトリモニーをソアラに言って取り寄せてもらったのよ」
「……ええと、フレイ君、彼は喜んでいたかい?」
「ええ、嬉しそうだったわ。キラからのお返しは無かったのがちょっと残念だったかな。でもなんでですユウナさん?」
「いや、なんと言うか、彼は多分無知で幸せだったんだろうなあて思ってね」

 それが少し残念そうであったが、まあ戦艦に乗っていてはそんな事をしている余裕も無かったのだろう。だがユウナは呆れた顔をしていたりする。そのユウナの反応にサイたちが不思議そうにしているが、ユウナは答えを曖昧にはぐらかすだけであった。

 この後、彼等はその時計が安くても1万アースダラーくらいはすると聞かされて目を白黒させる事になる。
 


 フレイはそれをネタに使えばキラは間違いなく来ると言われ、そういうものかなあとキラの後を追いかけていった。
 カガリはフレイを嗾けてキラの後を追わせると、サイたちを見回して準備をしろと言い出した。

「よし、というわけで私たちもコペルニクスに行くぞ」
「ちょっと待ったカガリ、コペルニクスに何しに行く気だい?」
「決まってるだろユウナ、姉として情けない弟の頑張る姿を後ろからそっと見守りに行くのさ」
「何を言ってるんだ、これからオーブ宇宙艦隊の再編成と訓練に取り掛からなくちゃいけないのに、そんな事してる暇有ると思うのかい!?」

 とんでもない事を言い出したカガリにユウナが慌てふためいているが、そんなユウナに対してカガリは更にとんでもない事を言い出した。

「ああ、だから私が帰ってくるまでに再編終えておいてくれよ、総司令官代理」
「総司令官、代理って、まさか君?」
「という訳で任せた、ユウナ」

 ただの参謀の筈が、いきなり代理にされてしまったユウナはぽかんとした顔で固まり、カガリはさっさと仲間たちと歩いて行ってしまった。また何か余計な事をしにいくのだろう。
 そして残されたアマギは、通路で両手を床について項垂れているユウナに躊躇いがちに声をかけた。

「あ、あの、ユウナ様?」
「ははは。アマギ三佐、何となくさあ、本当にカガリを立てて大丈夫かなあって心配になってきたよ」
「ユウナ様、そんな絶望を浮かべた顔でおっしゃらなくても」

 カガリでこれからのオーブはやっていけるのかなあ、という不安を体全体で表現するユウナに、アマギは必至に励ましの言葉をかけていた。この後アマギの必至の励まして精神の修復を果たしたユウナはこの理不尽をバネに能力の全てを傾けて艦隊の再編成を行う事になる。その際の鬼気迫る様子は同行していた多くのオーブ高級士官たちをして別人ではないかと瞠目させ、その手腕から他の連合諸国からはオーブの青狐と呼ばれるまでになるのだが、それはまあどうでも良いことだろう。
 ただ分かっている事は、プトレマイオス基地に入港したオーブ艦隊がコペルニクスやコロニーの駐留軍を加えての再編成作業を半日程度で完了したという事実だけである。





 コペルニクス市はオーブに属する月面都市であり、オーブが連合に組した事で他国の月面基地の将兵の憩いの場としても活用されている。その為にプトレマイオスなどからはコペルニクスまでの専用のリニアトレインも建造されており、割と気楽に行く事が出来る。だがコペルニクスはL3のオーブコロニーの住民の一時受け入れ地としても利用されているので、都市の中は今ちょっと過密状態でもあった。ここから本国への移送便が出ているのだが、全員を送れるのは何時になるやら。
 キラとフレイもこれを使ってコペルニクス市にやってきていた。キラはまだ浮かない様子であったが、フレイは駅に備え付けられている観光MAPを手に何処に行こうかと楽しそうに眺めている。赤や白系を好むフレイにしては珍しくライトグリーンのワンピースを着ていて、髪はストレートに降ろしている。シャツでそういう色を使っている事はあるが、外着はキラの知る限りでは初めてだ。
 そして楽しそうなフレイの肩をポンと叩いてマユラがエドワードの腕を引っ張って通り過ぎていった。

「じゃあねフレイ、私たちは行く所があるからさ」
「マユラさん、楽しそうですね」
「そりゃそうよ、久しぶりのデートだもん」
「はあ、また俺の財布が軽くなる……」

 マユラがエドワードと一緒に街の雑踏に繰り出していく。エドワードは奢らされるのが分かっているのかトホホ顔だが、まあ仕方が無いだろう。そして今度は少し遅れて改札から出てきたアサギが何だか不機嫌そうな顔で出てきた。

「ああもう、人の前でいちゃいちゃと鬱陶しいったら」
「ア、 アサギさん、無茶苦茶不機嫌ね」
「当ったり前よ。なによマユラったら、1人者の前で自慢してくれちゃってさ」

 そこまで言ってアサギはフレイを見て、そしてキラを見やった後、ガックリと肩を落としてしまう。

「うう、あんたは良いわよね、こんな彼氏がいてさ」
「いや、別に彼氏ってわけじゃ……」
「良いわよ、これからナンパされてくるから。私だって負けてないんだからね」
「そ、そうなんだ、頑張ってね」
「見てなさいよ、エドより良い男を捕まえてやるんだから!」

 そう言ってアサギは大股で駅から出て行った。それを見送ったフレイは困ったもんだと思っていたが、気を取り直すとパンフレットを手にキラに声をかけた。

「ねえキラ、何処に行こうか?」
「……フレイ、そんな物いらないよ。僕が案内してあげるからさ」
「え、キラここに来た事あるの?」
「来た事あるって言うか、ヘリオポリスに移る前はここに住んでたからね。地元なのさ」

 フレイの反応に微笑を浮かべながらキラは地元を案内してあげようと言い、歩いて外に出た。空から降り注ぐ電気の日差しはコロニーとも地球とも違う、月面都市独特のものであり、重力の小ささもあいまってここが月なんだということを教えてくれる。
 そして外に出て周囲を見回したキラは、街の景観が昔とそんなに変わっていないのを見て昔を思い出すように呟いた。

「変わらないな、ここは」
「懐かしい、昔の街に戻ってきて?」
「そりゃあね。思い出すよ、アスランともここで出会ったんだ」
「うん、良い友達だったよ。今は敵同士だけど、あの頃を思うと、今の状況が信じられなくなるな」
「……やっぱり、まだ引き摺ってるの。アスランと戦った事を?」
「ううん、その辺は割り切ってるよ。僕とアスランの守りたい物が違ったんだから、しょうがないってね。アスランはプラントで、僕はこっちで生きてるんだ、もうあの頃とは違うんだよ」

 昔の親友より今の仲間だよ、と言うキラであったが、フレイはその横顔に影が過ぎったのを見逃さなかった。割り切ったと言っても、全てを振り切るのは無理なのだろう。そんな事が出来そうなのはフレイの周りではアルフレットやキース、フラガといったベテランたちくらいだ。
 元々キラは無理をしていたが、あのメンデルとかいう所に行ってからはますます無理をしている。キラの様子からその事を察していたフレイであったが、何があったのかをどうしても教えてくれないのでどうする事も出来なかったのだ。キラは自爆型なので、何でもかんでも内にため込んで最後には自滅してしまう。そういうキラをフレイは一度目にした事があった。
 どうにも暗いキラを見ていたフレイはしょうがないかと考えを切り替えると、キラの腕に自分の腕を絡ませて引っ張り出した。

「さあキラ、案内するって言ったんだから行くわよ」
「フ、フレイ、引っ張らなくても案内するってば」
「駄目、キラのペースにあわせてたら日が暮れちゃうから!」

 キラを引き摺るようにして街に出て行ったフレイ。その様子は周囲から見るとただのバカップルであったが、追跡者たちには些か違う意味があった。

「ぬぐぐ、キラの奴、女に引き摺られてデートとは何て情けない奴。私はあんな弟に育てた覚えは無いぞ」
「いや、キラもカガリに育てられた覚えは無いと思うけど?」

 カガリと共にキラを追跡していたカズィがカガリの文句に突っ込みを入れたが、カガリは勿論聞いていなかった。そしてカズィに声をかけてキラたちが向かった方向へと進んでいく。それを見てカズィもやれやれと撮影機材と集音器を持ってそれについていった。なんでもカガリ曰く、弟の青春活動記録を集めるという大義名分があるらしい。


 このデートはカガリが手配した数々の監視者たちの執拗な監視を受ける事となっていたが、前の遊園地と違って少しブルーが入っているキラはそれに気づく事が出来ずにいた。おかげで彼等は最初は楽々と彼等の後を追えていたのだが、そこに厄介な人物が現れる事になる。
 キラの案内で2人がコペルニクス市の歴史を紹介する資料館を訪れようとしていた時、いきなり声をかけられたのだ。

「あれ、キラとフレイじゃないか。どうしたんだこんな所で?」
「え、その声はキースさん?」

 声のした方を見れば、ラフな格好のキースと白系のパンツルックのナタルがいる。私服のナタルという非常に珍しい物を見た2人は驚いて目を丸くしていたが、キースの再度の問い掛けを受けてフレイが我に返った。

「なんだ、どうしたんだ?」
「あ、いえいえ、ナタルさんの私服って滅多に見ない物ですから」
「ああ、そっか、お前等は見ないかもな。これでも結構色々持ってるんだぞ、前は可愛い系だったし」
「キース、余計な事は言わないで下さい」

 彼女自慢を始めたキースにナタルが少し怒ったようにそれを止めたが、照れ隠しなのは明らかであった。そして未だに何も言わないキラを不信そうにキースとフレイが見ると、キラはようやく口を開いた。

「美、美人だ」
「こ、こらヤマト、大人をからかうなっ」

 面向かって美人だと言われてナタルが顔を赤くして文句をつけてくるが、それを見たキースは大声で笑い出し、フレイは拗ねた顔で思いっきりキラの足を踏みつけてキラに悲鳴を上げさせていた。
 この後キースは2人にキラの地元ならついでに俺たちも案内してくれと言い出し、フレイも了承してしまったので4人で一緒に行くことになった。だがキースが加わった事で追跡者たちはかなりやり難くなってしまった。キースの感の良さは大したもので、早々に追跡者に気づいてそちらを伺う様になったのだ。
 これに困ったサイたちであったが、そこで彼等はとんでもない厄介ごとを抱え込む羽目になってしまった。ナタルとデートをしていたキースを見てしまったカガリがパニックを起こしていたのだ。

「おい、どういう事だアレは、何でキースの奴がナタルと一緒に居るんだよ!?」
「そ、そりゃ付き合ってるからだよ」
「付き合ってるだあ、何時から、何時からだよ!?」
「お、落ち着いてカガリ、付き合いだしたのはつい最近だよ」

 暴走カガリを押さえ込むのはカズィには無理な事であった。だが2人が付き合いだしたと聞かされたカガリはその場にペタンと腰を落すと、空ろな顔で信じられないと呟いていた。

「嘘だろ、何でそんな事になってるんだよ?」
「いや、前からバジルール艦長はキースさんに惚れてたみたいだし、キースさんもまんざらじゃなかった様だし」
「それじゃ私はどうなるんだよ!?」
「どうなるって言われても、キースさんってカガリの好意に気付いてたのかなあ?」

 キースの態度を見る限りだとナタル一筋だったように思えるのだが、彼は果たしてカガリの好意に気付いていたのだろうか。いやそもそもカガリは何時からキースにそんな好意を向けていたのだろうか。自分は初めて知ったのだが。
 だがそんなカズィの考えなど関係なく、カガリはうわあああんっと声を上げて走り去ってしまった。一応これも失恋という奴なのだろうかとカズィは何だか真っ白になっている頭で考えていたが、答えは出そうも無かった。



 カズィからこの事を連絡されたミリアリアはしょうがないなあと呟き、同行しているトールとサイにどうするかと尋ねた。カガリが居なくなったが、自分たちはこのまま追跡を続行するかという問いに、サイは少し安堵した様子で首を横に振った。

「俺はここで降りるよ、デバガメは趣味じゃないしね」
「そっか、私たちはどうしよっかトール?」
「まっ、このまま俺たちもデートに洒落込むのも良いんじゃない。折角月に来たんだし」
「う〜ん、私はどうでも良かったけど、トールがそう言うんなら」
「はいはい、それで良いですよ」

 トールはミリアリアの意地っ張りに苦笑しながら一緒に雑踏の中に歩いていく。それを見送ったサイは自分はどうしようかと思ったのだが、これといって用事も無かったのでカズィと合流して何処かに遊びに行く事にした。


 

 一通り回って遊び倒した4人はキラのお勧めのティーラウンジにやってきてお茶を楽しんでいた。ラウンジの脇を河が流れていて樹木も茂っているという月面都市としては贅沢な環境で、連れてこられた3人も感心した様子で席についている。
 そこでコーヒーや紅茶、オレンジジュースを口にしている4人であったが、コーヒーを口にしていたキースがフレイの服について物珍しそうに質問してきた。

「フレイがそういう色を着てるのは珍しい気がするんだが、なんかあったのか?」
「この服ですか。ええまあ、私の家系の伝統みたいな物です」
「伝統?」
「最初はカガリにホワイトデーだから誘えって嗾けられたんですけど、今日17日だし、私はホワイトデーなんて知らないから、ならいっそ私の都合で良いんじゃないかなって思って」
「なるほど、今日はそういえばパトリック・デイだったな」

 ナタルが納得して頷き、キースも言われて気がついたように頷いている。だがキラは何の事か分かっていないようで首を傾げていた。

「あの、何ですパトリック・デイって?」
「アイルランドのお祭だ。聖パトリックという聖人の命日なんだよ」
「聖パトリック?」
「昔の世界宗教の聖人らしい、今でも宗教は生き残ってる筈だがな」
「それで、私はアイルランド系だから、今日は伝統のお祭の日なのよ。緑色の物を身に付けるのが習慣ね」
「それでそのワンピースなのか」

 フレイが珍しい色の服を着ているなあ、とは思っていたが、それを聞く事も出来なかったキラであった。だが疑問には思っていたので、その理由が聞けて何だか納得した顔をして少し口元が綻んだ。それを見たフレイがくすくすと笑っていて、キラはどうしたのかと聞いた。

「フレイ、何笑ってるの?」
「だってキラ、今日初めて笑ったから」
「う……それは……」
「ま、トールにも堅く口止めしてるみたいだから理由は追求しないけど、せめてもう少し顔に出さないようにしてよね。サイもミリィもカズィも心配してたわよ。トールなんてミリィに問い詰められてオタオタしてたわ」
「トールには悪い事したかな」
「あの律儀さは大したものよ。あれで浮気癖が無ければミリィも安心できるんでしょうけどね」
「それは僕じゃなくてフラガ少佐のせいだってば」
「ふむ、フラガ少佐にも困ったものだ。この間もラミアス艦長がまた浮気してたとまた私に愚痴ってきた」
「あの人はあれでも一応ラミアス艦長一筋なんだけどねえ、直ぐ手を出したがる癖はこまりものだな」

 キラの秘密からフラガの浮気話に流れ込んで、4人は日頃の騒動を笑い話のネタにして暫しの談笑を楽しんでいた。



 

 ラクスを加えたプラントのクーデター勢力は、パトリック・ザラ救出にプラントの命運が賭けられていると知り、作戦を急ぐ事にしていた。ラクスからアズラエルからの親書を渡されたユウキはその内容に驚きを隠せなかったが、それが意味する物は直ぐに理解できた。

「正直信じ難い話だが、本当なのだろうな」
「私を騙す為だけにこれだけの事はしないと思います」
「だが、ザラ議長がクライン邸にか。確かに盲点だったな。あそこは候補から外していた」

 パトリックが監禁されているとしたら警戒厳重な政府や軍の施設、もしくは僻地だろうと考えて怪しい場所を片っ端から探していたのだが、まさかこんな目と鼻の先にいるとは。
 だが、居る場所が分かっても手を出すのは容易ではなかった。クライン邸は警備上の理由もあって周囲には遮蔽物となるような建物は無く、それでいて襲撃者が簡単に邸宅に近づけない様に巧みに植え込みが整備されている。一見すると優雅な邸宅であるが、軍事的に見れば優雅な作りをした砦のようなものなのだ。

「クライン邸には武装した司法局の人間が30人は入っている。考えてみれば不自然ではあるが、なるほど議長が監禁されているとすれば納得もいく」
「ユウキ隊長、此方に同志はどれ程いるのですか?」
「集めれば数十人はすぐに揃うが、それだけの数を短期間に集めて動かせば容易く発覚してしまう。せめて状況が混乱してくれればな」
「状況の混乱、ですか。たとえばテロとか?」

 ラクスの出した提案にユウキたちが一斉に渋い顔をした。何でそういう発想が出てくるのかなあ、と言いたそうな顔だ。ユウキが咳払いをして場の空気を変えると、話を続けた。

「まあ、テロは現実問題として余り意味がない。むしろ警戒を強化させるだけだろう」
「では何か手が?」
「それはこれから考える。幸いにして君と一緒にやってきた兵士たちもいるから手駒も増えたからな。だがどうにも絶対数の不足だけは手の施しようがないか」

 世の中どうにもならない事があるのだ。事が事だけに絶対に信頼できる人間という条件があるので、その時点で話を切り出せる相手は限られてしまう。この絶望的な状況下で仲間を集める事は一苦労であった。しかも出来ればMSなどの武器も欲しいのだが、厳しく管理されているMSや戦車を調達するのは容易ではない。
 ラクスも出来れば手を貸したかったが、既にプラント内に残っているだろうラクス派の残党とコンタクトを取る手段は無かった。ただ彼女はクライン邸に気づかれずに接近する手立てを持っており、一枚のディスクをユウキに差し出した。それを受け取ったユウキは何かと思ったが、端末でそれを読み込んでみると表示されたデータに感嘆の声を漏らした。

「これは、迷宮の地図か?」
「はい、私を支えてくれたダコスタさんが残してくれた、このアプリリウス1の地下を走る未知の通路ですわ。元々は黄道同盟の方々が緊急時に使う避難経路だったそうですが、自治権確立後は封鎖されて、今では誰も知らない場所となったそうです」
「なるほど、という事は、これは敵も知らないということだな?」
「そうだと思います。現に私たちがここに居ても誰も来ませんから」

 敵が迷宮を知っているのなら、こんな危険な場所を放置しておく筈がない。入れないように潰されるか、監視の兵がおかれている筈だ。それが無い以上、彼等はこの地下の迷宮の存在を知らないか、全てを把握できてはいないという事なのだろう。黄道同盟でも一部の幹部しか知らない秘密の抜け穴だから当然なのかもしれないが。ラクスはシーゲルからこれの存在を聞いていたので、それをダコスタに調べさせてある程度の地図を作り上げていたのだ。
 このうちの1つがクライン邸に通じていたのである。この通路がもし発見されていないなら、これを抜けていけば易々と屋敷の近くにまで迫る事が出来る。だが最後は強襲になるし、此方の手勢が足りないのも事実なのですぐには動けそうも無い。

「まあ、この通路が使えるかどうかは直ぐに調べさせよう。後は人と武器だな」
「必要でしたら、武器は私が地下活動をしていた際に使っていた武器庫から武器を回収しましょう。まだ残っていれば、ですが」
「……まあ、背に腹は替えられんか」

 テロリストの武器庫を再利用、という提案にユウキが少し難色を示したが、今はプライドに拘っている場合ではないと判断してその提案を受け入れた。ちなみに聞いているサカイはユウキ以上に葛藤を抱え込んでいるようで、壁に手をついて時々殴りつけていた。
 とりあえずラクスはアズラエルの親書をユウキに渡し、更にクライン邸に潜入する方法も渡した事でホッと一息ついた。やらねばならないしごとが一段楽したという安堵感からだ。そしてラクスはなにやらメモを取っているフィリスを見て、気になっている事を問うた。

「フィリス、アスランはどうしていますか?」
「ザラ隊長ですか、隊長でしたら今はアカデミーの校長になってまったりと過ごしてますよ。時々ユウキ隊長の仕事を手伝ったりMA隊の新設作業をしたりと、あれこれ自分から面倒を背負い込んでるみたいですが」
「そうですか、元気そうで良かった」
「まあ、鬼のような仕事量からは解放されましたからねえ。ですが、もう貴女の事は死んだと思っているようです」
「……そうですか」

 元婚約者に死んだと思われていると知ってラクスは肩を落としてしまった。ここに来るまでにアスランに会えるかもと期待をしていただけに落胆も大きかったのだ。しかもアスランは目立ちすぎるので仲間に入れて無いと告げられてますます落ち込む事になる。
 その落ち込みようが哀れだったので、フィリスは何かアスランに匿名で渡しておこうかと告げ、それを聞かされたラクスは少しだけ元気を取り戻して直ぐに持ってくるといって別室に下がってしまった。これがアスランの悲劇の再開となる事を、まだフィリスは気付いていなかった。




 その日の夜、アスランはミーアに請われて彼女のコンサートに顔を出した後、そのまま一緒にレストランに食事にやってきていた。ミーアの希望で一緒に歩いていきたいという事で2人はアスランが昔に父とよく来ていたレストランに向かう道をゆっくりと歩いていた。

「君のコンサートは初めて見たが、凄い衣装だな。もう少し露出を抑えた方が良いと俺は思うんだが」
「そうかな、この方が人気が出るってマネージャーが言うんだけど?」
「君はラクスの替え玉なんだろ。ラクスはそんなお色気路線じゃ無かったよ」
「う〜ん、そう言われるとそうなんだけど」

 ミーアはアスランの頼み込むような声にアスランがそう言うなら、と考えてしまった。自分だって別に露出度高い格好が好きでやっているわけではないので、アスランが嫌だというのなら新しい衣装を仕立てるのも良いかもしれない。
 そして人気の少ない道を歩いていた2人は、途中でアスランが花束を3つ買い求めて寄り道をした。ミーアは何処に行くのかと聞いたがアスランはそれに答えてくれず、黙って歩いていく。それにミーアは困った顔で付いて行ったが、やがてその行き先が墓地である事が分かった。ミーアは黙ってアスランの後に付いて歩いていたが、やがてアスランは1つの墓の前で足を止めると、そこに2つの花束を置いて方膝をつき、暫し黙祷を捧げている。
 ミーアはその墓に刻まれている名を声を出さずに読み、そしてアスランを見た。

「ご両親の?」
「ああ、母上はユニウス7で、父上は先の爆弾テロでね。2人とも遺体も残っていないよ」

 そういうとアスランは両親の墓の前から歩き出し、そんなに離れていない場所にある墓に花束を置いた。そこはクライン家の墓所である。そこに入っているのはラクスの母だけで、彼女は入っていないし、名も刻まれていない。彼女が死んだ事を知っているのはほんの一握りの人間だけなのだ。

「ラクスは公式にはまだ生きている、そう扱われているから仕方が無いんだよな」
「アスラン……」
「ああ、別にミーアのせいじゃない、気にしないでくれ。彼女の変化に気付いてやれなかった俺の不甲斐なさが招いた結果さ。俺がもっと早く止めていれば、ラクスがクーデターを起こす事も無かったかもしれないのに」
「そんなの、アスランのせいじゃないじゃない。そんなに気にしてもしょうがないでしょ」
「いや、俺のせいだよ。婚約者だった俺が真っ先に気付いていなくちゃいけなかったんだ」

 数年前に紹介されて、ずっと婚約者として一緒に居たのだから彼女の変化にも気付けたはずなのだ。彼女を止められなかった事が結果として彼女を死に追いやったのだという自責の念は今でもアスランの中で重く圧し掛かっているのだ。
 エザリアに左遷されてボケたように見えても、アスランは腐ってはいなかったのだ。だから何かをする機会があれば積極的に参加し、全知全能をかけてプラントを守る為に努力してきた。だが、それはアスランの周囲の者に要らぬ心配をかけてもいた。
 悲しく、そして孤独を感じさせるアスランにミーアは声をかけることが出来ず、墓地を後にした後も2人は暫しの間無言だった。そのままもう直ぐ店に付くかと思われたのだが、そこでアスランは神を呪いたくなるような災厄に見舞われる事になる。

 レストランにもう直ぐという所で、アスランはいきなり誰かに名前を呼ばれた。それもとっても聞き覚えのある声で。その声にアスランはまさかと背筋を震わせて辺りを見回すと、予想したとおりの人物を見つけて滝のような汗を流しだした。アスランの様子がおかしいのに気付いてミーアがどうしたのかと聞く。

「どうしたの、アスラン?」
「あ、い、いや、その」
「ザラ隊長、こんな所で会うなんて奇遇ですね」
「ル、ルナマリア、それにメイリン……とレイ?」

 やってきたのはルナマリアとメイリン、そして荷物を一杯持たされたレイであった。どうやら3人でショッピングでも楽しんでいたようだが、荷物持ちにさせられたレイの顔には濃い疲労の色が滲んでいる。レイは顔を上げてアスランを見ると、視線で助けを求めてきた。
 レイにアイコンタクトで助けを求められたアスランは顔を僅かに引き攣らせたが、それにアスランが答えるよりも早くルナマリアが話しかけてきた。

「ザラ隊長、どうしてここに?」
「あ、ああ、これからミー……じゃない、ラクスと夕食をしようかと思ってね」
「ああ、そうですか、ラクス様とね」

 ルナマリアはアスランの隣を半歩遅れて付いてきていたミーアを見て、何だかとても挑発的な笑みを浮かべてくれた。それを見たアスランの顔に更なる冷や汗がつたり落ちている。

「丁度良かった、私たちも何処かで食事にしようって思ってたんですよ。ねえメイリン?」
「え、ええと、そうだった気もするかな」

 姉の発するプレッシャーに裏を合わせるメイリン。それを聞いたルナマリアはふっと勝利の笑みを走らせると、アスランに自分たちも一緒に行って良いかと笑顔で頼み込んできた。それを受けたアスランはアウアウと喘ぐような声を漏らしていたが、その隣にずいっと出てきたミーアが僅かに引き攣った笑顔でそれを受け入れてしまった。

「ええ、構いませんわ。一緒に行きましょう」
「あら、そうですか、ありがとうございます。ラクス様と一緒に食事が出来るなんて光栄です」

 何だかルナマリアとミーアの間で火花が散っている。それを見たアスランは今から胃がシクシクと悲鳴を漏らしだしていたが、いきなり腕を取られて柔らかい物を押し付けられた事でその痛みが一気に倍加した。

「さあアスラン、行きましょうか」
「お、おい、腕を組まなくても良いだろ。人前だぞ」
「別に良いじゃない、婚約者同士なんだから。ねえルナマリアさん?」
「そ、そうですねえ、婚約者ならおかしくは無いですよねえ」

 ミーアの露骨な挑発を受けてルナマリアの顔が更に引き攣る。この2人に挟まれたアスランが何だか死人のように青褪めた顔をしているのを見てレイが同情していたが、ふと静かなメイリンのほうを見ると、彼女はなぜか自分の胸を両手で触って何度か揉んでいた。

「な、何をしている?」
「……ちょっと悔しいかなって」
「そんな事気にするな、個人差という奴だ」
「女の子にとっては重要な問題なのっ」

 メイリンに噛み付かれたレイはやれやれと肩を竦めたが、ふと自分に向けられる強烈な視線に気付いてそちらに目をやると、アスランが縋るような目で助けを求めていた。ミーアとルナマリアの熾烈な牽制合戦に何時の間にかメイリンまで加わって3竦みの状態になっていて、アスランはもう絶体絶命のピンチだったのである。
 それを見たレイはふっと笑うと、視線でこう言い返していた。気にするな、俺は気にして無い、と。そしてアスランは3人に引き摺られるようにしてレストランへと連行されていってしまった。それを見送ったレイは視線を夜空へと受ける。プラントの空は地球の星が輝く夜空に較べるとどうにもプラントの強化ガラスの空は見ていて寂しく、この点だけはレイは地球の方が良いと思えてしまう。実際に地球帰りの将兵の中には地球に戻りたいと考える者も多いのだ。

「地球は人類の故郷、か。俺にとってもそうなのかな?」

 クローンにとってもそういうものなのだろうか、とレイは自問自答していた。だが答えが出る前に後ろからルナマリアが呼ぶ声が聞こえてきた。

「何やってるのよレイ、ザラ隊長が奢ってくれるって。早く来なさいよ!」
「……ああ、分かった」

 考えるのを止めて、レイは身を翻した。あの声を聞くと、まあ良いかと思えてしまたのだ。ちなみにこの後レイはアスランに涙目で見つめられ、仕方なく2人で折半という形で払いを済ませていたりする。




後書き

ジム改 大作戦前の最後のデートイベント終了。
カガリ 何気に私が失恋してるじゃないか!
ジム改 しかも相手にも知られずひっそりとな。
カガリ 余りにも惨めな気がするのは気のせいか!?
ジム改 だってキースは最初からナタルしか見てなかったし。
カガリ くそお、こうなったらアスランを捕まえてやる!
ジム改 ……ここにカガリまで入ったらアスランは何処かに旅に出そうだな。
カガリ それで、次はいよいよ地球軍のプラント侵攻か?
ジム改 まあそうだな、いよいよ出撃だ。ザフトもボアズに軍を集めて迎撃作戦の開始。
カガリ ようやくオーブ軍にも出番が来るのか、長かったな。
ジム改 まあ小国の艦隊は指揮権の問題もあるから任務部隊扱いだけどな。
カガリ それでも良い、やっと私の出番だ。
ジム改 まあそうだけどね、クサナギに乗って出撃だ。
カガリ それでは次回、月のプトレマイオス、ダイダロス、L2のグランソートの3つの基地に地球軍の大艦隊が集結を完了する。最初の攻撃目標はボアズ。一方ザフトは乏しい手勢から繰り出していた偵察部隊からの情報で地球軍の攻撃目標を察知し、ボアズに戦力を結集させる。だがボアズに集まったザフトでは意見が割れる事に。次回「アズラエルの羽音」で会おうな。


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