第178章  アスラン脱走


 

 この日、パナマのマスドライバー打ち上げ軌道に多数の光が観測された。それは総数で100を超すほどで、この戦時下においては最大規模のものであった。これは機雷封鎖されていた宙域の掃宙が完了した事で予定されていた第1、第2艦隊の打ち上げが行われた事による騒動で、出迎えの部隊やともに打ち上げられた輸送艦やらでこの宙域は埋め尽くされていた。その中にはザフトから脅威と看做されているアークエンジェル級戦艦も4隻含まれており、1個戦隊を形成している。
 順調であったらこの2つの艦隊がプラント攻略に参加する事は無いが、もし長引くようなら予備戦力として重要な意味を持つことになる。この2つの艦隊は陣形を整えると、迎えの艦隊の先導を受けながらプトレマイオス基地に向かった。


 多分、今日の自分の運勢はコキュートスとか地獄とか奈落の底とかに落ちていたに違いあるまい。これまでにも不幸だと思ったことは数え切れないほどにあったが、今日はこれまでの不幸を超える特大の不幸が自分を襲っていたようだ。何しろ味方である筈のザフトから追われる身となっているのだから。



 通路をのんびりと歩いていたアスランは、角を曲がったところでいきなり誰かとぶつかり、頭をぶつけて暫し悶絶していた。

「通路を走るな。今ので頭皮のダメージが更に加速したかもしれないじゃないか、どうしてくれる!」

 減らぬ抜け毛と後退する生え際に深刻な悩みを抱えているアスランは、頭に加えられた物理的衝撃に何とも斜め上な反応をしていたが、自分にぶつかって倒れたらしい相手を見てアスランは驚いた。その相手はミーアだったのだ。
 ミーアは舞台での衣装のままで走ってきたようで、ポスターで見た格好をしている。だがどうして彼女がこんな所を走っているのか聞こうと思ったアスランであったが、アスランが喋るよりも先にミーアが恐怖に引き攣った顔で助けを求めてきて、アスランは戸惑ってしまった。

「ア、 アスラン、助けて、殺される!」
「いきなりなんだ、物騒だな?」
「私、聞いちゃったの。クルーゼ隊長たちが私を始末するとか、地球とプラントが滅びるとか話してるの!」
「……何を、言ってるんだ。もう少し順序だてて話してくれないか?」

 殺されるとか、地球とプラントが滅びるとか、寝惚けてでもいたんじゃないかと疑いたくなるのも当然だろう。だがそんなアスランの疑問に答えてくれるように幾つもの足音と軍人には聞き慣れた金属音が聞こえてきて、咄嗟にミーアを手近な扉を開けて中に押し込み、扉を閉めて彼女とぶつかった際に散らばった書類を拾い出した。
 そしてすぐにそこに銃を持った警備兵たちがやってきて、白服を着たアスランを見て慌てて敬礼をしてきた。指揮官らしき男が少し焦りを見せている。

「こ、これはザラ校長」
「なんだ、そんな人数でライフルまで持って、警備にしては物騒じゃないか?」
「申し訳ありません、此方にラクス様が駆けてこなかったでしょうか?」
「ああ、来たな。俺にぶつかって謝りもせずに行ってしまって、おかげでこの有様だ。彼女は君たちに追われてたのか?」
「上官命令で事情を説明する訳には参りませんが、そういう事です。ご協力ありがとうございました」

 そう言って指揮官が部下を連れて駆けて行く。それを見送ったアスランは十分離れたのを確かめてから自らも部屋に入り、そして中で困り果てた顔をしているミーアと向かい合った。

「どういう事だ、何で警備兵に追われている。奴等は武装していた、尋常じゃないぞ?」
「だから言ったじゃない、クルーゼ隊長たちの話を聞いちゃったんだってば。ジェネシスがどうとか、ザラ議長の反応が楽しみとか、変なことを一杯話してて、私も始末するって言ってて、私怖くてそれで……」
「だが、どうしてザフトのクルーゼ隊長がプラントを滅ぼすなんて言うんだ。それに父上はもう死んでるんだ、幾らなんでもそんな出鱈目な話を信じられるわけが……」

 そこまで言って、アスランの脳裏を過ぎったものがあった。それは何時だったか、地球にクルーゼが弾道弾を撃ち込んだ時の戦いだった。あの時、キラとフレイは自分に妙な事を言っていたのだ。パトリック・ザラは生存していて、クルーゼに囚われて監禁されていると2人は言っていたのだが、あの時は程度の低い嘘だと思って取り合わなかったのだ。
 だが、もしあれが本当だったとするのならば、ミーアが本当の事を言っていて、クルーゼがプラントを滅ぼすと言っていたのなら、それは1つの答えをアスランに提示している。そう、クルーゼはプラントを滅亡させるのに邪魔だったから父上を排除したのだと。
 
「まさか、本当だったのか、キラとフレイの与太話は?」
「アスラン?」
「いや、だがそうだとして、何でクルーゼ隊長がそんな事をする。プラントを滅ぼしたいから邪魔だった父を排斥して、エザリア議長を据えたのだとしても、どうして滅亡なんて望むんだ?」

 中途半端に真実に届いてしまったアスランは混乱してしまった。彼はクルーゼの狂気に感づいてはいたが、それでもまだプラントを守ろうと頑張るザフトの軍人だと思っていたのだ。これまでの行き過ぎた行動もその現われだろうとしか考えていなかった。
 だがもし、全てがプラントを滅ぼす為の布石だったとすれば、これまでの暴挙の全てがナチュラルとコーディネイターの憎悪を煽る為に行われてきた物だとしたら、これまでのクルーゼの凶行が納得できてしまう。


 そこまで考えて、アスランは最大の問題に気付いてしまった。もしそうなら、ミーアは聞いてはいけない事を聞いてしまったことになる。そして自分も。ひょっとしなくてもこのままでは自分もクルーゼに狙われる事になるではないか。
 それに気付いてしまったアスランは頭を抱えてしまったが、縋るような目で自分を見ているミーアの手前そんな事を続けているわけにもいかず、どうしたものかと考え出した。

「ミーアを連れて逃げるとしても、ここから出て行くだけで一苦労だな。それに逃げたとしても身を寄せる場所があるわけでも無いし」

 プラントは閉鎖空間であり、地球にように歩いて別の国に脱出するという手が使えない。プラントから出て行くにはシャトルでもなんでもいいが、とにかく宇宙船を手に入れる必要があるのだ。
 流石にそんな物が簡単に手に入る筈もなく、アスランはこれを却下して誰かに助けを求める事を考えたが、今のプラントにはクルーゼの息のかかった人間が多い。エザリア議長でさえどうだか分からないのに助けを求めることなど出来ない。ユウキ隊長なら助けてくれそうであるが、彼が今何処にいるのか自分は知らない。内線で探せば調べられるだろうが、ミーアを探していた連中に聞かれる恐れもあった。
 こういう時にウィリアムスたちがいれば良かったのだが、生憎と彼等はボアズに出征中でいない。というか旧ザラ派の軍人たちは本国には殆ど残っていないのだ。
 なんだか考えれば考えるほど絶望的な状況だと思えてきて、アスランは頭痛がしてきた頭を何度か左右に振ってしまった。何でこう世の中悪いほうに行くのだろうか。何となく最近は神様を呪いたくなってきた。

「まあ、こんな所で悩んでいても仕方が無い。とりあえず建物を出て市街地に出よう。軍施設から抜ければ雑踏に紛れる事も出来るはずだ」
「でも、この建物って兵隊が沢山いるんじゃ?」
「君を探しているのは警備兵の一部だけだと思うから、何とかなる筈さ。問題なのは俺と一緒に居るところを見られたときだが、それは運次第だな」

 そう答えてアスランは扉を開け、周囲を確かめて人影が無いことを確認してからミーアを伴って外に出た。先程の連中に出会わなければ自分とミーアが一緒に居ることは奇異の目では見られないはずなので、正面ロビーに出るまで監視カメラを避けていけばそうそう見つかる事は無いはず。
 そう思ってロビーを目指したアスランたちであったが、この日アスランは徹底的に運に見放されていた。なんとロビーに降りる階段の手摺に手をかけたところで彼はゼムの率いる一団と出くわしてしまったのである。ミーアを連れたアスランと目が合ったゼムは驚き、そして一瞬眼を剥いて怒りを見せた後、平静を装ってアスランに近付いてきた。

「これはザラ校長、ラクス様と一緒でしたか」
「ゼム補佐官、何か御用でしょうか?」
「いえ、私が用があるのはラクス様だけでして。ですが、どうもザラ校長もご同行していただいたほうが宜しいようですな?」

 それはアスランがミーアから話を聞かされているという前提での言葉であった。それが意味するところを悟ったアスランはギリッと奥歯を噛み、そしてゼムに挑発するような問い返しをした。

「もし、嫌だと言えば?」
「ザラ校長、このような所で騒ぎを起こす事は無いでしょう?」
「それが、答えか」

 交渉の余地は無い、そしてミーアの言っていた事が嘘ではなかったと確信したアスランは、迷わず逃げに入った。ミーアの身体を抱き寄せるとそのまま足腰の力だけで2階から1階に飛び降りたのだ。まさかそんな暴挙に出るとは思わなかったゼムは驚いて下を見下ろしたが、何とアスランは真っ直ぐに落ちたわけではなく、途中にあった突起物とオブジェを足場にしてミーアを片手で抱かかえたまま着地して見せた。

「馬鹿な、どういう体をしてるんだあいつは!?」

 人間1人抱えてあんな動きが出来るとは、どういう身体をしているのだ。アカデミーでは格闘技で並ぶ者の無い成績を残したと聞くが、まさかこれほどだったとは。予備動作を殆どせずにミーアを抱えて手摺を飛び越え、幾ら足場で衝撃を減らしたとはいえこの高さから飛んでなんとも無いとは。アスランはそのままミーアの手を引いて驚きのあまり固まっているロビーの軍人たちの間を駆け抜けて外に出て行こうとしている。
 それを見た警備兵の1人がライフルを向けようとしたが、それはゼムに制された。

「よせ、こんな所で銃撃戦をするつもりか!?」
「で、ですが!」
「こうなった以上、外で2人を捕縛する。クルーゼ隊長には悪いが部隊を動かして非常線を敷くぞ、奴等を居住区には絶対に逃がさん」

 事を秘密裏に運ぼうとした為にアスランたちを捕り逃す結果となった事にゼムは苛立っていたが、こうなった以上はもう奇麗事は言っていられない。危険は大きいが、警備隊と警察を動員して一帯を封鎖するしかなかった。ミーアが何を言っても今更情勢は変わるまいが、万が一という事もあるのだから。
 しかし、まさかアスランにあれほどの身体能力があったとは。並みのコーディネイターの水準を遥かに越えている。パトリックの息子なのだから優れているのは分かるが、これは完全に予想外だった。

「だが、ミーアを連れていては無理も出来ないだろう。奴を始末してザラ議長への土産話としてやるのも面白いか」

 荷物付きでは逃げられはしまい、そう考えると、ゼムは指示を出す為に手近な通信施設へと足を向けた。




 アプリリウス1の中が急に騒がしくなった。軍事区画が封鎖され、憲兵隊が慌しく走り回っている。防衛隊の部隊が配置されている軍事宇宙港を視察していたユウキは、この突然の事態に何も聞かされていなかった事に苛立ちながらどういう事かと本部に説明を求めたが、返ってきた答えは意外すぎるものであった。

「アスランが、ラクス・クラインを人質にして逃亡している?」
「うむ、ゼム・グランバーゼク補佐官からアスラン・ザラの捕縛要請が来てな。何がどうなっているのか、此方でもまだ良く分かっていないのだ。ただ本国防衛隊司令部からラクス様を無理に引っ張って物凄い勢いで出て行くアスラン・ザラが多数の人間に目撃されているのは確かだ」
「ゼム・グランバーゼク、あの突然エザリア議長の補佐官に加わってきた得体の知れない男ですか」

 これまで官僚でも知識人でもなかった男が突然議長の側近に登用されたのだから、当時の驚きは凄かった。
 統合作戦本部は今ではエザリアはに牛耳られているので苦々しくは思ってもそれを表に出すようなことはなかったが、それ以外の派閥に属していた者はこの人事はおかしいと囁きあっていた。当然それはエザリアの耳にも入っていた筈で、彼女の神経をかなり磨り減らしたといわれている。
 だがユウキの場合はゼムがクルーゼに協力している人間である事を掴んでいたので、今回の件にも何か裏が有ると感じていた。あのアスランがプラントを裏切るとは考えにくいし、そもそもあのラクス・クラインは偽者だ。それに気付かぬアスランではあるまい。そもそもなんでアスランがこの時期に脱走を試みるのだ。
 通信を切ったユウキはとにかくアスランに連絡を取るため、盗聴の危険が比較的少ない軍用周波数を使ってアスランの個人端末に連絡をつけた。これは本国防衛隊に属する組織の専用回線のようなもので、それだけに外部からの干渉に対する強度は高い。
 軍用端末であり、民間で使っている携帯電話などとは比較にならない性能を持つ専用機器だからこそ出来る特徴であった。通信信号も防衛隊専用のスクランブルがかけられているから、盗聴したくてもすぐには不可能だ。

 回線を開こうとして暫く待っていると、音声だけであったがアスランが出た。

『ユウキ司令、ですか?』
「ああ、何やら忙しそうだなアスラン。今日は私が初めてか?」
『いえ、既に憲兵隊や警備隊から幾度か投降命令が来ましたよ。勿論無視してますがね。回線開いたのは司令が初めてです。ですが、俺と話してると司令の身も危険ですよ』
「心配するな、こいつはうち専用だから盗聴の危険は少ない。だが端末の信号を追われてる危険があるから、すぐにそれは破棄しろ」

 士官だけが持つ個人端末は戦術コンピューターにもなる高度な携帯通信機であるが、同時にその所在を明らかにする為に発信機でもある。その信号を探せば探す人物を見つけられるのだ。その事を失念していたアスランは自分の迂闊さを呪ってしまった。

『どうりで憲兵が集まってくるわけだ』
「アスラン、何があった。どうして追われている?」
『ミーア、いやラクスがクルーゼ隊長たちが地球軍とプラントを相打ちで共倒れさせる相談をしているのを聞いてしまったそうなんです。詳しい事は自分にも分かりません。自分はそれに巻き込まれただけですので、細かい事情は自分でもまだ理解できてません』
「……なるほど、大体の事情は分かった」

 アスランの運の悪さも凄まじいものが有るとユウキは同情してしまったが、同時にその僅かな話だけでユウキは事情を察する事が出来た。つまりあのラクスの偽者はクルーゼたちの計画を偶然にも聞いてしまい、それでゼムが口封じしようとしたのだろう。アスランは追われる彼女を助けて一緒に逃げているというわけだ。アスランがラクス嬢を人質にしているというのは、ゼムが考えたでっち上げというわけだ。
 事情を理解できたユウキはアスランに居場所を聞く事は止めて、すぐに宇宙港の第8発着場に来いと指示した。それを聞いたアスランは戸惑った声を返してくる。

『第8ゲート、ですか。あそこは封鎖されている筈では?』
「いいから、今は私を信じて来い。何とか逃がしてやる」

 そう言ってユウキは通信を切り、通信記録を削除して別の場所に連絡を取り出した。事情が分かった以上、手を回す必要があるからだ。地下に潜んでいるサカイたちに連絡を取り、更に軍内部に居る仲間たちにも連絡を取って指示を出していく。そして最後にユウキは便箋と封筒を取り出すと、手早く何かを書いてそれをポケットに仕舞った。

「まあ、誰かを連絡員として送ろうと考えていたんだ。丁度良いからアスランに届けてもらうとするか。これなら我々が疑われる危険も低い」

 これはユウキたちのグループが初めてクルーゼたちに対して明確な敵対行動を起こした瞬間でもあった。




 ユウキとの通信が終わったあと、アスランは端末を壁に叩きつけて破壊して走る方向を変えた。ああ言われた以上、今はユウキを信じて逃げるしかない。何であれだけの話でユウキが納得してくれたのかは謎だったが、今はそれを悩んでいる時ではない。
 問題はここからどうやって宇宙港に辿りつくかだ。ここは工事途上で計画が放棄された辺りで隠れるには丁度良いのだが、場所が分かり辛い。

「ミーア、聞いたとおりだ。これから宇宙港に行くぞ」
「で、でも、それって戻る事になるんじゃ」
「ああ、そうなるな。でもそれしか助かる道は無さそうだ。ミーアの話じゃ、捕まっても助けてもらえそうに無いからな」
「そ、そうよね。捕まったら……」

 折角ここまで逃げたのに少し戻らなくちゃいけないと知ったミーアは恐怖に引き攣ったが、それしか今は手が無いというのも理解出来るので反対はしなかった。もし捕まったら何をされるか分からないのだから。
 アスランは引き返す途中で作業員の工具がしまわれていたらしい部屋から適当に使えそうなものを漁ると、ミーアの手を引いて走り出した。



 だが戻ったアスランたちの前には命令を受けているらしい憲兵隊が集まってきている。火器で武装はしていないが、取り押さえる為の警棒やらネットガンやらは持ってきているようだ。その人数にアスランは呆れた顔をしている。

「たかが2人を相手に大袈裟だな。それほど俺は重要人物だったか?」
「アスラン、どうするの?」
「さて、どうするかな……」

 アスランは逃げる為のルートを考えて周囲を見回した。その間にも憲兵たちはじりじりと包囲を狭めているが、アスランは適当な逃げ場を見つけると周囲を威圧するように睨み付けた。

「少々仰々しすぎるぞ、そんなに俺が怖いのか?」
「ザラ校長、大人しく投降してください。貴方に危害を加えるつもりはありませんから」
「隊長、何を悠長な事を言ってるんです。すぐに捕まえないと!」

 アスランと話していた隊長が甘い事を言ったのが気に食わないのか、彼の部下らしい男が抗議の声を上げている。だが隊長は彼を一喝して黙らせた。
 アスランに睨まれた憲兵隊長が敬意を払いながらもアスランに投降を促してくる。赤いMSを駆って戦場を駆け抜け、多大な戦果を上げてきたこの英雄はザフト内では中々に人望を集めているのだ。更に父親の血筋もあってアスランに上官に向けるような態度で接する士官も結構多い。
 この憲兵もそういった1人なのだろうが、その対応がアスランに逃げる時間を与えてくれた。開戦前から軍事施設の規模拡張を続けていたアプリリウス1の軍事施設には色々と穴が多い。ようするに工事が途中で放棄されてしまった区画が幾つもあるということだが、アスランたちが逃げているのもそんな区画の1つだ。
 アスランはミーアを背中に庇うようにして吹き抜けになっている手摺の傍まで下がると、ミーアに小声でしがみ付くように指示した。それを聞いたミーアが慌ててアスランの首にしがみ付くと、アスランはミーアの胴に手を回して一息に手摺の上に飛び上がり、手摺を蹴って吹き抜けになっている穴へと身を躍らせていた。

「ザ、ザラ校長!?」

 まさか自殺か、それを見て驚愕した憲兵たちは慌てて手摺に駆け寄ったが、彼等が見たのは高所から吊られている作業用の天井クレーンのフックに捕まって反対側に跳んでいるアスランの姿があった。
 まさか、ここからあんな遠くにあるチェーンまで跳んだというのだろうか。その跳躍力も驚異的だが、こんな吹き抜けの中を迷いもせずに跳んでいくとは、どういう度胸をしているのだ。

「参ったなこいつは、恐れ入りましたよザラ校長」
「隊長、そんな事言っている場合ですか。すぐに追わないと!」
「無理だ、ここからどうやってあそこに居る2人に追いつく気だ?」

 フックにぶら下がったアスランが向こうの壁目掛けて先程漁ったワイヤーガンを発射し、壁に吸着したのを確かめてフックから離れ、一気に反対側のかなり下層の通路に降り立つと、またラクスの手を引いて走り出している。あそこに出る通路を確認している間に2人は何処かに行ってしまうだろう。
 悔しがっている部下が慌てた様子で自分の分隊を引き連れて駆け出すのを無視しながら、隊長は逃げていくアスランに小さく敬礼をしていた。

「私に出来るのはここまでです、どうかご無事で」

 彼はユウキの側に属する士官だったようだ。ユウキからの指示を受けてアスランに逃げるだけの時間を与えていたという事だろうか。だがまさかあんな方法でここから脱出するとは思っていなかったようで、アスランが飛んだときは本気で驚いていたのだが。



 憲兵隊から逃げきったアスランはそのままミーアを連れて工事区画を駆けていた。とにかく第8宇宙港に脱出するために全力を尽くしているのだが、問題は途中にある隔壁だ。更に宇宙港周辺には武装した警備兵も居るのでこれも障害となる。自分が持っているのは拳銃1丁だけなのだから。

「どうやって宇宙港のあるブロックに入るかだな。軍事施設だから警備も厳しいし、戦闘になったら歯が立たない」

 そんな事を考えながら走っていたアスランだったが、いきなりミーアの手を掴んでいた腕が思いっきり引っ張られ、反動でアスランは転びそうになってしまった。どうしたのかとミーアを振り返ると、彼女は荒い息をつきながら床に両膝を突いて完全にダウンしてしまっていた。

「も……もう駄目……は、走れ……ない……」
「しまった、ミーアの体力を計算に入れてなかった」

 ミーアがザフトの施設で訓練された自分の体力についてこられる筈が無い、その事をすっかり忘れていたアスランはミーアに限界を超えた走りをさせていたのだ。まあミーアも足を止めたら殺されるという恐怖があるだけにここまで文句も言わずに必至に付いて来たのだが、とうとう限界が来たらしい。いや、ここまでアスランに引き摺られながらも付いてこれたのだから彼女の体力は見た目よりあると言えるだろう。
 だがアスランは困ってしまった。流石に動けない人間を連れて逃走するのは無理が有る。何処かで車両でも調達できないかと辺りを見回していたアスランであったが、足音が聞こえてきたのを感じて舌打ちをし、床に耳を当てた。

「上の方から近づいてくるな。急がないと拙そうだ」

 ミーアの手前焦りを表に出さないように努めているが、内心ではアスランはかなり焦っていた。流石に拳銃一丁で戦うのは無理だ。どうしようかと辺りを見回しているアスランであったが、その時いきなり近くから金属同士が激しくぶつかる甲高い音が聞こえてきた。



 警備兵がターゲットが居ると思われる部屋に突入した時、そこは既にもぬけの空であった。アスランもミーアもそこにはおらず、警備兵たちが銃を手に室内をくまなく探しても発見できなかった。これを報告されたゼムは苛立ちを隠そうともせずにマイクを掴んで指揮官を怒鳴りつけていた。

「近くに居る筈だ、必ず探し出せ。いいか、絶対に捕まえるんだ。射殺も許可する!」
「射、射殺ですか。ですかもしラクス様に万が一の事があったら……」
「非常時だ、止むをえん。プラントの安全の為にも裏切り者のアスラン・ザラを絶対に逃がすな!」

 叩きつけるように言って、ゼムはどうしたものかと思案を巡らせた。宇宙港の近くで見失った以上、最悪の事態を想定しておくべきかもしれない。アスランがMSなりシャトルなりを強奪してプラントから脱出するという可能性を。

「てっきり都市部に逃げると思って非常線を敷いたのに、まさか宇宙港方面に逃げるとはな。裏をかかれたわ」

 そう言って握った右拳でデスクを殴りつけ、部下に本国防衛隊司令部を呼び出させた。すぐに担当者がモニターに出てきたが、ユウキが出てこない事にゼムはまた苛立ってしまった。

「司令官殿はどうされたのだ?」
「それが、宇宙港に視察に出ておられまして。現在は私が代行をまかされております」
「……仕方が無い、裏切り者のアスラン・ザラがプラント外に出る可能性がある。防衛隊のMSを戦闘装備で待機させておきたまえ」
「それは、撃墜しろという事でしょうか?」
「命令に従わなければ撃墜しろ。奴を逃がす訳にはいかん」
「わ、分かりました、直ちに準備させます」

 代理の指揮官が敬礼を残して消えた後、ゼムは椅子に腰を降ろして右手で顔を押さえていた。このような事態は完全に想定外の事だったのだ。

「油断だった、というしかないか。あのような所で暢気にする話ではなかった。クルーゼの企てを今の段階で妨害されては、私の計画に支障が出る。別に奴等が逃げたところで何かあるとは思えんが……」

 だが、これでもし自分の計画に傷が付くような事があったら目も当てられない。危険要素は早めに排除しておくべきだとゼムは自分の言い聞かせ、とにかく事態を収拾する事に全力を挙げることにした。





 この時、アスランとミーアは通風口の中を進んでいた。一番最後尾を這いずりながら進むアスランは、自分たちを助けに来た意外な人物にどうしてここにと聞いたのだが、それに対しては曖昧な答えが返ってくるだけであった。

「いやあ、それはユウキ司令に聞いてください。私はただ第8ゲートまで連れて来いと言われただけなんで」
「それでどう納得しろって言うんです、ギルバート先生?」

 そう、あの時アスランが聞いたのは通風口の金具が外れる音だったのだ。そして中からアカデミーの教官の1人であるギルバートが顔を出し、2人を中へと誘ったのである。2人は急いでその中へと入っていったが、途中にセンサーがあるのを見つけてアスランが吃驚していたが、その声を聞いたギルバートが笑いながら殺してある事を教えてくれた。
 そのままギルバートの案内で通風口を進んでいった3人は、上手く閉鎖されている第8宇宙港へとたどり着く事が出来た。そこにはシャトルが待機していて、整備員たちが出港準備の作業をしている。

「こ、これは?」
「来たかアスラン、待ちわびたぞ」
「ユウキ隊長、これは一体?」 

 整備員に混じって指揮をしていたユウキがアスランを呼び寄せる。このような物を用意していたユウキにアスランは困惑を隠せないでいたが、ユウキは説明している暇は無いと言ってアスランとラクスの偽者にシャトルにすぐに乗れと言い、周囲の者にはすぐにシャトルを出すぞと指示している。
 そしてユウキはアスランに手紙を託してきた。

「アスラン、これを地球軍の指揮官、とにかく提督級に渡してくれ。これにはプラントの命運が掛かっている」
「一体どういうことなんですか。俺にも分かるように説明をしてはくれないんですか?」
「残念だが時間が無い、部下からの報告で外にも網が張られそうになっているらしい。お前はさっさとここから逃げ出すんだ。それに丁度連絡員が欲しかったところだしな」
「連絡員って、どういう事です。貴方は何をしようと……」
「ああ、細かい事は気にするな。それより急げ、今なら防衛隊のサボタージュでまだ網は穴だらけだからな」

 ようするに自分を逃がしたいのは地球軍と連絡を付けたいというだけか。自分を追っ手から逃がすだけなら何処かに匿ってくれても良い訳だから。まあプラントの外に逃げれるならそれが一番確実といえば確実なのも確かであるが、シャトルを用意する手間を考えれば普通は出来ない。

「ユウキ隊長、このシャトルは何なんですか?」
「こっちの事情で隠していた機材の1つだ。さあ早く行け、時間が無い。中にはMSを1機積んであるから最後の時はそれを使え」
「……分かりました、今はこれで納得しておきますよユウキ教官」

 どうやら聞いても答えてくれそうに無いと悟り、アスランは皮肉を漏らして渋々シャトルに乗り込んでいった。それを見たユウキは発着場から離れて管制ルームに入り、部下が内部の空気を抜いていくのを見守っていた。そのユウキの隣にギルバートが付く。

「良かったんですか、何も話さなくても?」
「我々の計画を知ればアスランの事だ、こっちに残って作戦に参加すると言い出す。あの手紙を届けてもらえれば分かることだよ」
「そうですか。ああ、撤収準備は整ってます。証拠はアスランがここを脱出する際に爆破したということで。シャトルは旧ラクス派テロリストが隠匿していた機材って事にしてますよ」
「それは酷くないか?」
「手筈を整えるだけで手一杯でしたよ、取り繕う余裕は無理って物です。シャトルを発進準備できただけでも褒めて欲しいですね」

 それに、嘘を言っている訳ではないとギルバートは苦笑いしながら言った。ラクスを取り込んだユウキたちはラクスの情報を元にプラントに隠匿されていた物資や旧ラクス派の残党を掻き集め、物的、人的に数を充実させてきたのだが、このシャトルもそういった物資の1つだったりする。
 アスランが脱走をして1時間と掛からずに1機のシャトルを発進可能状態に持っていったのだ。褒められこそすれ叱られる覚えは無いだろう。ユウキもそれには小さく頷き、部下に指示して閉鎖されている正面ゲートを爆破させた。
 そしてその爆発の中を急発進したアスランのシャトルが抜けていく。それを見送ったユウキは急いでここを離れて持ち場に戻るように指示すると、自分も管制室から逃げていった。表向きには彼等はここの視察に来ている事になっているので、さっさと本来の仕事に戻らなくてはいけないのだ。




 閉鎖されていた第8ゲートから未確認のシャトルが発進したという報せを受けたゼムは罵声を発して奴等を逃がすなと激を発したが、すぐに気を静めるとアスランがどうやってシャトルを入手したのかを考え出した。常識で考えればシャトルなどそうそう手に入る物ではない。勿論このご時世だ、時間さえあればジャンク屋から買うなりすることは出来る。実際にラクス軍などはジャンク屋から相当の物資を入手していた形跡があるくらいだ。
 この世界にはジャンク屋という国家の管理が及ばないグレーゾーンが存在している。これが世界中に武器や宇宙船、はてはMSのような物までを広く拡散させてしまい、各地で海賊行為や武装集団跳梁跋扈という事態を招く要員ともなっている。何しろ国家や企業を介さなくてもジャンク屋から直接それらを購入できて、しかも国に届け出る必要は無いのだから。
 アスランが使ったシャトルもそういう類の代物ではないのか。ゼムはそう考えていた。




 宇宙に出たアスランは地球軍への合流を考えてとりあえず確実に会えそうなボアズに向かおうかと思ったが、その前にヤキン・ドゥーエの部隊に捕まらないように回避コースを取る事にした。流石にこんなシャトルで戦う事は出来ない。
 格納庫にはユウキが用意してくれたらしいジンHMが積まれているが、もし追撃に追いつかれたらあれで戦う事は出来るだろうか。
 どういうコースを取ろうかと考えているアスランであったが、その時ミーアが計器を指差して何か映ってると言ってきた。

「ねえアスラン、何か映ってるんだけど?」
「レーダーか、追ってきたかな」

 アスランがパネルを覗き込むと、レーダーが近付く機影を捉えている。数は4つ。速度からしてMSを積んだシャトルか高速MSキャリアーだろう。ヤキン・ドゥーエではなく本国から出てきたようだ。

「MSキャリアだとすれば、MSは最大で8機か。すべてゲイツだと流石に苦しいか」
「アスラン、逃げられそう?」
「ギリギリまで逃げてみるさ、俺もザフトと戦いたくなんて無いからな。迂回コースでボアズに向かい、地球軍と合流する。もし追いつかれたら俺が時間を稼ぐから、ミーアは手紙を持って先に行ってくれ」
「そんな、それじゃアスランは!?」
「心配するな、本国には俺と戦えるような凄腕は残っていない。適当に相手をして振り切るさ」

 追ってきているのがジャクの乗ったジンであってくれれば8機が相手でも適当にあしらって振り切る事も出来るだろうが、もしベテランの駆るゲイツRであればその時は命を賭ける必要が出てくるだろう。
 だがそんな覚悟はおくびにも出さず、アスランはミーアを安心させるように落ち着いた様子でこのまま振り切ってユウキ隊長の言ったとおり地球軍に合流すると言った。だが何故かミーアはそれに浮かない顔をしており、どうしたのかとアスランが聞くと彼女は不安そうに答えた。

「地球軍って、ナチュラルが沢山居るんでしょ、そんな所に行くのは怖いわよ」
「……ミーアは、地球に降りたことは?」
「無いわ、ずっとプラントに住んでたから」
「そうか。まあ心配するな、とりあえず俺の知り合いを頼ってみる。借りを作ると色々と後が怖そうだがな」

 最後の方はボソボソとした小さな声で呟くだけに留めた。そう、地球軍に居るであろう彼女を頼れば色々と助かるのだが、彼女に借りを作ると後でどんなお返しを要求されるか考えるだけでも恐ろしい。だが他に当ても無いので、アスランはアークエンジェルが上手く居てくれればと期待をしていた。
 ただ、彼女に会うという事は同時にあいつとも顔を会わせるという事であり、それを考えるとなんだか頭が痛かった。今じゃもう因縁が深すぎて糸でも引いてそうなほどにグダグダな関係になっているのだから。

「とりあえず顔見たら一発ぶん殴らないと俺の気が済まんよな」
「何言ってるの、アスラン?」
「いや、こっちの事だ、気にしないでくれ」

 何の事、と聞いてくるミーアにアスランは誤魔化し笑いを浮かべてシャトルへの航路データの入力を進めた。




 このアスランたちの騒動が起きる少し前、L5宙域外縁で変化があった。ボアズ基地が周辺に展開させていた哨戒部隊が次々に連絡を絶ち、僅かにもたらされた報告は全て敵襲を告げている。どうやら地球軍は哨戒艇の狩り出しを組織的に行っているようで、ごく短時間の内に哨戒部隊の大半が連絡を断っている。これを救援しに向かった遊撃艦隊は10隻ほどの地球軍艦隊と交戦したことを報告しており、この狩り出しは敵の遊撃部隊の仕業であると判明した。
 これを受けてオズボーン基地司令は全軍に戦闘配置を命じ、ウィリアムスやマーカスト、ハーヴィックといった歴戦の提督に率いられた艦隊が所定の配置についていく。

 そして誰もが息の詰まるような緊張に耐えながらじっと待っていた時、遂に変化がおきた。ボアズから見て北極星方向、Nフィールド最外縁を守っていたMS部隊がミサイルによる飽和攻撃を受け、守備隊の一部が瞬く間に叩き潰されて後退したという報告が来たのだ。そしてすぐに光学観測班からNフィールドに無数の光点を観測している。遂に地球軍が襲来したのだ。
 地球軍の放った3つの矢の1つ、第1集団がボアズに殺到してきた瞬間であった。そしてそれは、この戦争における最大の激戦、ボアズ会戦の始まりの砲火でもあった。




後書き

ジム改 実はキラよりアスランの方がスーパーコーディではないかと思ってしまう今回でした。
カガリ こいつはアクションゲームの主人公か何かか?
ジム改 実はアスランのスペックは宮崎アニメの主人公並なのだ。
カガリ つまりその気になれば垂直の壁を気合で登れると?
ジム改 屋根から幾度落ちても痛いで済むほど頑丈でもある。
カガリ ……アスラン、随分遠くに行っちまったな。
ジム改 まるで自分は真人間のような言い方だな。
カガリ 私は普通の人間だ!
ジム改 お前も結構凄いと思うがな。アスランを一撃でノックダウンで来たのお前だけだし。
カガリ お前がそうしたんだろうがあ!
ジム改 ゲフッ!
カガリ む、白目剥いてやがる。軟弱な奴だな。それでは次回……てまだメモ書き貰ってねえ。コラ早く出せ!
ジム改 返事が無い、唯の死体のようだ……

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