37章  カガリの道


 医務室から離れた所でキースは足を止めた。黙って付いて来ていたカガリも足を止める。

「・・・・・・いささか、喋りすぎたな、カガリ」
「ああ、分かってる」

 カガリにだって分かっていた。自分が喋りすぎた事は。キースにも口止めしていたというのに、自分がこんなミスをするとは。

「お前の正体だが、勘の鋭い奴ならそろそろ訝しむ奴が出て来るかもしれん。何しろオーブの獅子の1人娘、カガリ・ユラ・アスハの名は有名じゃあないが、知ってる奴なら知ってる名前だからな」
「それも分かってるよ。キサカには何時も言われてるからな。身分を自覚しろって」

 何となくキサカのくたびれた顔が思い出され、キースは少し同情した。キサカとは砂漠以来なんとなくウマが合う仲で、これまで私的な交遊関係を続けているのである。ただ、2人の共通する趣味があれだった為か、偶然それを目撃したミリアリアにおじさん臭いと言われてしまったのだが。

 あれは、休息室での出来事であった。トールを探しにやってきたミリアリアはそこでなにやら真剣な顔をしているキースとキサカ、そして面白そうに見ているマードックを見つけたのだ。

「何してるんですか?」
「おう、ハウお嬢ちゃんか。今、2人が勝負してるんだよ」
「勝負?」

 見れば2人は細かいチェス盤のようなものに黒と白の石を並べている。何かのゲームのようだが、見ていてさっぱり分からない。

「これ、なんですか?」
「囲碁って言う、昔からのゲームだよ。最近はあまりする奴も居なくなったがね」

 キースが黒石を摘み、盤の端の方に置く。するとキサカがそれより少し離れた所に白石を置く。なにやら意味があるようなのだが、ミリアリアにはさっぱり理解できないのだ。

「これ、どういうゲームなんです?」
「まあ、簡単に言うと陣取り合戦だな。自分の石で拠りたくさんを囲んだ方の勝ちだ」
「ふうん」

 真剣な顔で盤を見詰めているキースとキサカ。なかなかに白熱した勝負の様だが、ミリアリアには何となく失礼な感想が頭に浮かんでしまう。そして、それがうっかり口を付いて出てしまった。

「なんか、おじさん臭いなあ」

 何気ない呟きに、キースが危うく上半身だけで器用にコケそうになった。そして少し悲しそうな顔でミリアリアの方を見る。

「あ、あのなあ、俺はまだ22歳なんだが?」
「え、あ、そうでしたね。キースさんってなんだか説教が好きだから、時々フラガ少佐より年上に見えちゃうんですよねえ」

 慰めにもなっていない言葉に、キースはガックリと項垂れてしまった。マードックとキサカが反論しないのは、2人とも既婚者だからだろう。
 結局、このミリアリアの言葉にショックを受けたキースは、それまでの接戦が嘘の様にキサカに惨敗してしまったのである。


 まあ、このような事もあり、キースとキサカは立場を超えた友人となっていた。カガリをキースが艦橋に置くように頼んだのも、キサカと話し合っての結果だったりする。カガリは、人の上に立たなくてはいけないから、今の内から全体を見る経験を積ませようとしたのだ。まあ、それが実を結んでいるのかどうかは分からないのだが。

 キースはカガリから少し身を離すと、右手でどうしたものかと頭を掻いた。

「言いたい事があるなら、今のうちに言ってしまえ。俺なら何を聞いても問題は無い」
「・・・・・・ああ、そうだな」

 カガリは拳を握り締めると、悔しそうな顔でキッとキースを睨み付けた。勿論カガリの視線程度で気圧されるようなキースではないが、その視線に込められた、強いが脆い力を察する事は出来た。

「なんでだよ、なんであんたがあんな事言うんだよ!」
「・・・・・・俺がコーディネイターとナチュラルが違うものだと言うのが、そんなにおかしいか?」
「ああ、あんたはキラの味方じゃなかったのかよ!?」
「味方、ではあるな。ただ、これはあくまでキラ個人を俺個人が気に入った結果でしかない。俺がコーディネイターという種族全体の味方という訳ではないぞ」

 それに、と前置きをして、キースはカガリが驚愕するような内容を話だした。

「それに、俺は元々はブルーコスモスだ。コーディネイターの味方をしろと言われても困る。俺は、元々あいつらをあまり好ましくは思っていない」
「キースが・・・・・・ブルーコスモス?」

 カガリが唖然としている。まさか、この男の何処にブルーコスモスと繋がる要素があるというのだ。

「う、嘘だろう。また何時もの冗談なんだろ?」

 それは、せめてもの期待を込めた問い掛け。騙される事を望んでいる問い掛け。だが、キースはそれを拒絶した。

「本当だ。俺はブルーコスモスにいた。もっとも、テロなんかした事は無いがな」
「なんで、なんでブルーコスモスなんかに・・・・・・・?」
「色々あったのさ。昔にな」

 昔、という言葉にカガリはビクッと反応した。キースの家で見付けた写真やファイルで得た情報。あれが何なのか問い掛けたくなるが、それは喉から先へは出てこようとしない。もし言ってしまったら、自分は2度とキースに近付けないのではないか、という恐怖が過ったのだ。
 カガリの様子がおかしいのにキースは気付いたが、特に問い質す事はしなかった。ただ、カガリの知らないブルーコスモスを語っている。

「ブルーコスモスと言っても、テロをしてるような過激派は極僅かだ。ほとんどはたんなる自然愛好者だよ。地球が好きなんだな」
「でも、ブルーコスモスのテロなんてもう日常茶飯事に起きてるぞ?」
「戦争のせいだ。家族や友人を殺された奴が、怒りと復讐心でブルーコスモスに入り、過激な事をする」
「キースは、そういう奴らとは違うんだよな?」
「違う」

 これに関しては即座に断言するキース。そのきっぱりとした言い方にカガリは少しだけ安堵した。少なくとも、キースはテロに走るような奴ではないという事だけは信じられるから。

「お前も聞いた事があると思うが、軍需産業連合理事のムルタ・アズラエルを知ってるな?」
「ああ、大西洋連邦の死の商人だよな」

 カガリの知識には、世界の要人の名が一通りは記載されている。その中にはアズラエルの名もあったのだ。

「ああ、あいつが現在のブルーコスモスの盟主で、テロを実質的に指導してる奴だ。武器なんかも全部あいつが流してる」
「おい、それって、完全なテロ支援者じゃないか。なんで大西洋連邦はそんな奴を放っておくんだよ!?」
「奴の政治的な力はかなり大きいのさ。あいつの金で選挙に当選した議員はそれなりの数になる。例え証拠があっても、逮捕には踏み切れないのさ」

 政治の根底にあるのは金であって理念ではない。政治家に要求されるのは冷静な現実感覚と実行力であって潔癖さではない。むろん理想と信念を持つ人物である事に越した事は無いが、理想を追って現実を見ないよりは、金に汚くても現実的な人物の方が良いのだ。
 そういう意味ではアズラエルは有能極まりない男だった。彼は見込みのある政治家に金をばら撒いて選挙に当選させ、その見返りに自分の権力基盤を強化していったのだ。そしてこの戦争によって自己の経済力を伸張させ、いよいよ大西洋連邦内で確固たる地位を築いたのだ。

「今回のGシリーズの開発にも奴は関わっている。モルゲンレーテにも裏で手を回していたかもしれんな。奴はサハク家とも繋がりがある」
「サハク家と!?」
「なんだ、知らなかったのか。オーブにもアズラエルの手は及んでるぞ」

 キースの話はカガリに言い知れぬショックを与えた。まさか、オーブにそんな奴の手が伸びていたとは。このことを父上は知っているのだろうか。叔父上は。
 だが、それ以上に疑問なのは、何故キースはそこまで知っているのかだ。いくら元ブルーコスモスでも、この知識は異常過ぎる。いや、到底知り得ない筈の事まで知っているではないか。

「なあ、なんでキースはそんな事まで知ってるんだ。あんた、一体何者なんだよ?」
「・・・・・・ブルーコスモス時代には、穏健派の若手リーダーの1人をやってたんだ。まあ、偽名だったがね」
「偽名?」
「そう、俺のブルーコスモス内での偽名は、ナハト。プラントとの交渉を引き受けていた」
「・・・・・・・ナハトって、あの、突然居なくなったブルーコスモスの?」

 カガリはその名に聞き覚えがあった。2年前に突然姿を消したブルーコスモスのメンバーで、ブルーコスモスにしては珍しい話の分かる人物であり、コーディネイターにも比較的穏便に接していたという。年齢は20前後の若さだが、その手腕は確かな物で、豊富な知識と人望によってブルーコスモスの過激派を押さえ込んでいたという。彼が影響力を持っていた間は、ブルーコスモスにとっては珍しい平穏な時代だったのだ。
 だが、ナハトの名が聞かれなくなってから、ブルーコスモスはたちまち豹変した。過激なテロを繰り返すようになり、プラントと地球の関係を急激に悪化させたのだ。

 その男が、目の前にいる。

「キースが、あのブルーコスモスの穏健派の幹部?」
「昔の話だ。今はただの大尉さ」

 キースの声にはいささか自嘲的な響きがあった。別に昔の地位に未練があるようではないが、こう、達観を感じさせる何かがある。
 だが、カガリには納得できなかった。自分が聞かされた話が本当なら、キースがブルーコスモスから抜けなければ、地球とプラントの関係がここまで拗れる事は無かったのではないか。キースが頑張ってくれていれば、この戦争は起きなかったのではないかと思えてしまうのだ。実際にはキース1人が頑張っても戦争を止める事などは不可能だったろうが。

「キース、なんであんたはブルーコスモスから抜けたんだ。あんたが頑張ってれば、この戦争は起きなかったんじゃないのか!?」
「・・・・・・前にも言われたよ。昔のブルコス仲間にな」
「言われたって?」
「俺が残ってれば、アズラエルの暴走を許す事も無かったってな。戦争も起きなかったって。その時は買い被りだと答えたんだがね」
「買い被りなもんかよ。私の聞いた話の全てが、それを裏付けてるぞ!」

 カガリは怒っていた。出来るだけの力があり、出来る状況にいた男が、どうして全てを投げ出して逃げてしまったのだ。キースが頑張っていれば、この戦争は起きなかったかもしれないのに。そうなれば、どれだけの者が助かっただろうか。

「俺は、アズラエルとはウマが合わなかった。あいつと一緒にやっていける自信が無かったんだ」
「でも、だからって!」
「ああ、分かってる、分かってるんだ。俺が耐えていれば、アズラエルの重石になってれば、事態がこんなに早くここまで拗れなかったって事はな!」

 キースは大きな声でカガリの追求を遮った。その、怒りさえ感じさせる大声にカガリは追求の手を止めてしまう。

「分かっているんだ。だから、それ以上言わないでくれ」
「キース、お前は・・・・・・・」
「手遅れになってから気付いても、遅かったんだ。父さんも、母さんも、アネットも、友達も、全てを無くして、俺は自分が逃げた付けを支払わされた事に気付いたんだ」

 あの、誰もいない家。キースはあそこに帰ってきて、絶望したのだろう。全てを無くしたキースには、復讐に走るしか道が無かったのだ。

「俺は自分も、コーディネイターも許せなかった。だからブルーコスモス時代の知り合いだったサザーランド大佐に頼み込んで、MA乗りにしてもらったんだ」
「・・・・・・ほとんど訓練も無しでか?」
「ああ、基本操作さえ覚えられれば、後はどうにかなったからな」

 平然と言い切るキースだったが、それは有り得ない事だ。フレイは2ヶ月ひたすら操縦の訓練を重ねて何とかデュエルを使えるようになった。だが、それでもフレイの成長速度は異常と呼べるレベルなのだ。それを超える事など有り得ない。そう、普通のナチュラルなら。
 カガリの脳裏を、キースの実家で見た資料が過った。もしキースがアレに何か関係しているのなら、キースにも何か、ブルーコスモスだったという過去以上の何かがあるのではないだろうか。いや、むしろ何かがあるからこそ、この若さでブルーコスモスの幹部にまでのし上がれたのではないのか。

「なあ、キース、お前さあ」
「何だ?」
「・・・・・・・・・・いや、何でもない」

 珍しく口を噤んだカガリに、キースは訝しげな視線を向けたが、口に出しては何も言わなかった。
 カガリは怖かったのだ。この事を聞いてしまって、キースとの今の関係が崩れるのが。自分の中にキースへの淡い想いがあるのに気付いて以来、カガリは何かと理由を作ってはキースと一緒にいようとしている。恐らくはフレイの影響だろう。それまで男になんぞ丸で興味を示さなかったのに、フレイとキラの尋常ならざる複雑な関係を見てきて、その上でフレイの想いを今では良く理解してしまっているカガリは、自分の中で半ば死滅しかけていた乙女心なるものを不本意ながら呼び覚まされたらしい。そして、その対象となったのがキースだったのだ。
 何故か、と問われても答える事は出来なかっただろう。気が付いたらそうなってしまっていたのだ。これを知るミリアリアはカガリを露骨に応援しており、カガリにとってはありがたいと言うよりも、傍迷惑な状態になっている。もう1人、カガリの心情を知るフレイはというと、こちらはナタルの事もあって中立を保っている。
 今の所はカガリの1人相撲なのだが、果たしてキースが彼女の想いに気付く日は来るのだろうか。いや、気付いたら気付いたでまた問題が起きそうなのだが。

 この問題に関して、中立を保っているF・Aさんは、こう語っている。

「恋は病気みたいなものだから、行く所まで行くしかないのよね。まだバジルール中尉もキースさんもお互いに告白した訳じゃないんだから、カガリにもチャンスは十分あると思うわ」

 果たして、この良く分からない関係は、どうなるのだろうか。

 などという事情もあり、カガリはキースにこの謎の答えを聞く事が出来ないでいた。一体、メンデルとはなんなのか。自分とキラにはどういう関係があるのか。最高のコーディネイターとはキラの事なのか。調整体とは。クローンとは。そして、お父様はこんな研究所にどういう風に関わっていたのか。この全てが今のカガリにとっては知りたい事であった。だが、もし知れば、今まで自分が信じてきた物が全て崩れてしまうかもしれない。
 今のカガリには、まだそれを覚悟出来るだけの時間も、何もかもが足りなかったのだ。それに踏みこむ勇気をカガリが得た時、カガリは新しい道を切り開くのかもしれない。それが、どのような道であったとしても。

 そんなカガリに、キースは奇妙な問い掛けをしてきた。

「なあカガリ、お前は、どういう道を選ぶのかな?」
「私が?」
「ああ、キラやフレイは今は戦う道を選んだ。お前は、何を信じて、どういう道を行く?」

 それに対してカガリは何も答えられなかった。答える言葉を、彼女はまだ持っていなかったから。

 


 医務室で、マリュ−とナタルはじっと窓の外を見ていた。そこから見えるのはごく普通の街並み。そう、戦火の跡などまるで見当たらない、平和そのものの光景。だが、ここにはもう誰も住んではいない。ここに住んでいるのはただ、科学兵器の猛威で死に絶えた、400万の死者だけなのだ。

「・・・・・・ナタル、私達にバゥアー大尉が見ろって言った物は、この寂しすぎる街なのかしら?」
「どうでしょうか」
「残念だが、違うな」

 2人の言葉を、フラガが否定した。2人はフラガに困惑気味の視線を向けている。

「では、何だと言うんです?」
「2人に見て欲しいのは、死体でも、街でもない。本当に知って欲しいのは、戦争によって誰が犠牲になるのかだ」
「・・・・・・誰が、犠牲に」

 それを聞いて、もう一度街を見た。犠牲となったこの街を。

「この街には、400万の民間人が住んでいた。ごく普通の、平和な生活をしてたんだ。なのに、戦争はそれを一瞬で奪ってしまう。戦争で本当に犠牲になるのは軍人じゃない、民間人だ」
「民間人・・・・・・・・・・」

 ナタルは考えてしまった。これまで、戦いに勝つ事しか考えてこなかった。キラ達を民間人として保護した時も、保護対象ではなく、単なる厄介物としか思わなかった。少なくとも、ナタルの考えには民間人を守るという発想はなかったのだ。
 キースは自分に考えろと言っていた事を思い出す。それで自分の回りの事を考えるようになり、結果として仲間というものを考えるようになった。マリュー達が驚いたナタルの変化はここにある。

「俺達は、なんで戦ってるんだ。コーディネイターを殺したいからか。それとも、ただ戦いたいからか?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「俺は、余り気にした事はないけどな。強いて言うなら死にたく無いからだ。だが、キースは違う。あいつは、何かを忘れたくて戦ってる」
「何かを、忘れる?」
「ああ、勿論表には出さないけどな。そうそう、艦長、バジルール中尉」
「何ですか?」

 フラガの問い掛けに、マリュ−とナタルは戸惑いを浮かべた。フラガが珍しく沈痛な表情をして居るからだ。

「この街は、あいつの故郷でもあるんだ」
「なっ!?」
「この街が、大尉の故郷!?」

 フラガの言葉に、マリュ−とナタルは驚愕した。まさか、そんな事が。だが、考えてみればキースは家族をザフトに殺されたとしか言っていなかった。どのように殺されたのかは一度として口にしていない。そう考えれば、嘘をついていた訳ではないのだ。

「ここが、大尉の住んでいた街」
「ああ、あいつが住んでた街さ。今回立ち寄るのにあいつが反対しなかったのは、里帰りの意味もあったんだろ」

 こんな所に帰って来たくは無かっただろうがな、とフラガは思う。帰ってきても向えてくれる家族も無く、挨拶してくれる隣人も無く、ただ物言わぬ死体だけがあちこちに転がっている。こんな所に帰りたいなどとは、普通は思わないだろう。キースも、戦争が終わるまでここに足を踏み入れる積もりは無かったはずだ。

「じゃあ、大尉は、実家に戻っていたんでしょうか?」
「だろうな、ジープで何処かに行ってたし。多分、家族の墓くらいは立ててあったんだろ」

 マリュ−の問いに、フラガは自分の予想で答えた。それを正鵠をいていた訳だが、まさかカガリまで付いて行ったとは流石に思わなかった。

 

 

 一通りの補給物資を積みこんだアークエンジェルは、出発前に基地上空で滞空していた。このまま何もせずに去るというのは、流石に良心が咎めたのだ。それに、これだけの惨状を目の当りにして、誰もが参っていた。
 乗組員全員で甲板上に整列し、花束を持つマリュ−がそれを基地に投じた。風に乗って散っていく花を見送りながら、全員が敬礼を施し、仰角をかけられたゴッドフリートが弔砲代わりに発射される。
 艦橋のウィングに出ていたキースの隣に立つナタルは、キースの漏らした呟きを捉えた。

「さようなら、みんな。次は戦争が終わったら来るから、それまで待っててくれ」

 それは、余りにも多くの感情がこめられた呟きであった。ナタルはキースの横顔をじっと見ているが、それにも気付かないほど思い詰めた表情でキースは街を見下ろしている。キースがこんな思い詰めた憂い顔を見せるのを、ナタルは初めて見た。

『キース大尉でも、苦しむんだな』

 それは、新鮮な驚きだった。これまでキースが弱さを見せたのはフレイが行方不明になった時くらいであり、それ以外では常に飄々とし、掴み所が無いが頼り甲斐がある戦友であり続けた。だが、この人はこれほどの悲惨な過去を背負いながら、何時も笑っていられたのか。そう思うと、ナタルはキースがフレイに見せた優しさや、妙に説教好きな所が理解できた。キースの発言の根底には、この光景があったのだ。そして、この悲しみと辛さを乗り越えられたからこそ、フレイやトールに頼られる強さを得たのだろう。

「・・・・・・敵わないな」

 全く、この人には敵わない。この若さでブルーコスモス内で重要な地位につき、今では深い悲しみを背負いながらそれを全く感じさせず、子供たちを支え、未熟な自分たちを引っ張ってくれている。
 そして、そんな人だからこそ、自分も惹かれてしまうのだ。ナタルは自分の中に芽生えている想いをすでに認めていた。後はいつ告白するかなのだが、実は本気で誰かを好きになったのが初めてというナタルは、この事にかなり臆病になっていた。どうすれば良いのか、何を言えば良いのか、まるで分からないのだ。
 ナタル・バジルールの最大の弱点。それは、教本の無い世界では途端にどうすれば良いのか分からなくなってしまう事であった。

 だが、その時ウィングの一角で小さな、だが鋭い悲鳴が上がった。

「キラ!?」

 何事かとそちらを見る。すると、ミリアリアに倒れそうになっている上半身を受け止められたキラの姿があった。

「キラ、ちょっと、何よこの凄い熱は。どうしたのよキラ!?」
「ミリィ、医務室だ。早く連れて行くぞ!」

 トールがキラを担いで艦内へと消えていく。それは、ある小さな事件の始まりであった。

 

 

 アークエンジェルがアティラウを去る頃、プラントでは大変なことが起きていた。ヨーロッパでの敗北、月基地攻略の頓挫で大量の死傷者を出し、国民の信頼が揺らいでいるザフトだったが、それ以降の作戦は順調に進んでいる事もあって国内に広まり掛けた厭戦気運を払拭できるかと思われていた。

 事実、ヨーロッパにおける敗北を取り戻そうとアジアで開始されたマーケット作戦では、華南基地を落としたザフト軍と、大洋州連合のカーペンタリア基地から出撃したザフト軍が共同してインドのマドラスを拠点とする東アジア共和国軍と大西洋連邦軍を東と北から押しこんでいくという作戦だが、これは順調に推移し、特に北部からの攻勢には対処し切れなくなってきている。こちらがユーラシア連邦軍と大西洋連邦軍が展開していたのだが、ラウ・ル・クルーゼが率いる第4軍が編成されて攻勢に出てきたために、瞬く間に押し込まれてしまったのだ。
 東部からの攻勢には熱帯雨林が天然の障害となっており、待ち伏せ攻撃を多用する連合戦車隊にザフトは苦戦を余儀なくされており、こちらの進撃速度は鈍っていた。
 ヨーロッパや南米、月面に較べると遅かったものの、ようやく配備され出したMSが威力を発揮している。従来のB型の欠点を改善したD型のGシリーズが出てきた事でさしものザフトも梃子摺っているのだ。
 また、最近になってGとは異なる、量産型MSらしき機体も少数だが姿を見せだしている。ストライク・ダガーと命名された機体の先行量産型で、フェイズシフト装甲こそ持たないものの、基本性能はデュエルに引けをとらず、ビームライフルとビームサーベル、対ビームシールドで武装しているこのMSは、ジンやシグー、ザウート、バクゥといったザフト主力機全般に対して性能面で優越していた。これは稼働率や整備性の悪さに泣かされてきた従来のGシリーズでの経験を踏まえ、非常に使い易いMSとなっているのが特徴だ。

 もう1つの作戦として行われているのが南米攻略戦で、こちらは最終的にパナマ攻略を目指している。だが、南米はこれまた熱帯雨林に覆われており、MSには最悪の戦場である為か、連合軍の反撃に苦戦を強いられているのが現状だが、こちらは実態を隠している。
 これらの作戦は全て来るべきオペレーション・スピットブレイクの準備であり、真の目標であるアラスカの防衛力を少しでも削ぐ狙いがある。こうして他方面で攻勢をかけておけば、アラスカに温存されている兵力がこちらに向けられるだろうという考えがあるからだ。
 実は、ザフト指導部はスピットブレイクの情報隠匿は完璧だと頭から信じ切っており、この情報が複数ルートから漏れているなどとは想像もしていなかったのである。だから、彼らは連合の欺瞞の兵力移動に完全に惑わされ、連合は自分たちの思惑通りに動いていると錯覚していたのである。ザフトの防諜体制には些か問題があるのだが、まだそれに気付いている者は居ない。
 そして、損情報を流しているルートの裏に、ラウ・ル・クルーゼの影を感じている者は、未だに少なかった。
 

 この戦況を鑑みて、更なる軍備増強を進めるザフトと調整を進めるため、ザフト参謀本部に向う予定だったパトリック・ザラ評議会議長兼国防委員長が、爆弾テロに襲われたのだ。いや、正確には襲われ掛けたのである。彼が乗る予定だったコロニー間移動用シャトルの停泊しているシャトルベースで、複数同時の爆発が起きたのである。
 その爆発でその場にいたパトリックの側近やザフト高官達が多数死傷し、更にそこに停泊していた民間シャトルや民間人も巻きこまれた大惨事となっている。このテロの標的がパトリック・ザラであったことは誰の目にも明白であったが、幸いにして彼は偶然この場に居合わせていなかった。
 パトリックの乗った公用車が故障を起こし、代替車を回す事になって移動スケジュールが狂った事が彼の命を救ったのだ。もし彼が倒れていれば、プラントは大混乱をきたし、この戦争において致命的な傷を負ったかもしれなかった。

 このテロ事件はプラントに大きな衝撃を与えていた。誰もがまさかと思い、同時に誰がやったのだという疑惑が渦巻いてしまう。コーディネイターは同胞意識が強いと言われるが、この事件によって同胞の中にパトリックの命を狙った裏切り者がいる事がハッキリしたからだ。もしかしたら連合のスパイによる破壊活動かもしれないが、その証拠が挙がらない限り、同胞の仕業だと思うしかない。
 プラント司法局は今回の犯人摘発に全力をあげて捜査を開始したが、これといって芳しい成果は上がっていない。逆に強引な捜査によって民間人との衝突が発生し、新たな問題を引き起こす有様だ。
 運が良かったパトリックもまた、この事件に衝撃を受けた者の1人だった。プラントの為に全力で働いている自分が、まさかテロの標的となる日がこようとは考えてもいなかったから。

「まさか、私が狙われるとはな。国民の総意で動いているつもりが、何時の間にか敵を生み出していたという訳か」

 普通に考えればパトリックを狙うのは政敵とも言える穏健派のシーゲル・クラインあたりだろうが、パトリックはこの事件に関してシーゲルの関与をまったく考慮していなかった。彼とは確かに政敵ではあるが、パトリックはシーゲルの高潔な人柄を良く知っていたし、物事の解決に武力を用いるという発想をするような短絡的な思考の持ち主でもないと評価している。もしそんな男ならば、パトリックは自分の政敵などと扱ってはいないだろう。
 だが、そうなると一体何者が自分を狙ったのだという問題にぶつかってしまう。アイリーン・カナーバ辺りは手段を選ばない所があるから、あるいはという気もするが、彼女ならまず先に議場で何らかの主張をしてからこういう手段に訴えるだろう。今の所、彼女にそういう行動に走る様子は見られなかった。
 使用された爆薬はザフトの工作用の高性能爆薬であったという。つまり、ザフトからの横流し品を使ったか、ザフトの兵士が自分を狙った可能性が高い。事実、爆薬の配置や起爆のタイミング、使用された時限装置のいずれもがプロの仕事であり、そんじょそこらの過激派の仕事ではないという報告も来ている。一体何者が裏にいるのか、流石のパトリックにも分からなかった。

 予定よりかなり遅れてザフト参謀本部にやってきたパトリックは、そこでユウキから現在のザフトの状況報告を受けることになった。手元の資料と合わせて、ユウキがスクリーン上に表示されたデータや配置図を示していく。

「現在は月基地攻略戦の失敗で消耗した戦力の再建が急務となっております。来月に宇宙軍に配備予定のローラシア級巡洋艦2隻とジン48機、シグー12機で防衛線の穴は何とか埋まります」
「ふむ、それまではどうにもならんか。地球との間の補給線はどうなっている?」
「・・・・・・正直、苦しい所です。月基地から出撃してくる艦隊の妨害が当初の見込みを遥かに上回っておりまして、護衛の巡洋艦さえ食われる有様です。最大の問題は護衛のジンが敵のMSに対抗できない事なのですが。後、MAも馬鹿にできなくなっています。改良型のメビウスや、新型のMAの登場でジンといえども食われる様になりました」

 ユウキの報告に苦虫を噛み潰したような顔になるパトリック。まったく、ゲイツの開発が遅れた事がここまで響くとは。

「それで、どれほどの影響が出ているのだ?」
「地球攻撃軍は補給不足に苦しんでいます。MSの消耗は緩やかにですが確実に増えていますし、食料や医薬品、武器弾薬も充分に行き渡っているとは言えません。中には敵から奪った物資で辛うじて部隊を維持している、などという部隊まであります」
「ふむ、酷い状況だな」
「それどころか、物資不足で戦線を縮小せざるを得ない所も出てきています。また、宇宙でもプラント本土の防衛力が落ちた為、連合の攻撃がプラント本土に届くようになっています」
「月基地からの攻撃か」

 月基地はプラントにとって大きな脅威だ。直接プラントコロニー群を長距離攻撃出来る位置にあるので、この戦争中、恒常的にこの攻撃に晒されているのである。攻撃はほとんどがマスドライバーで撃ち出される隕石と長距離ミサイルだが、これはプラント正面に張り巡らされた哨戒網と迎撃艦隊、プラント本土の防衛システムでこれまでほとんどの迎撃に成功していた。だが、肝心の迎撃艦隊の戦力が減少した為、迎撃から漏れる物が出てきたのだ。
 プラントコロニーを直撃する隕石やミサイルは流石に一撃でコロニーを破壊する事は出来ないが、確実に民間人の死傷者を増やしているのだ。前などはシャトルバスが隕石の直撃を受けて完全破壊され、民間人20人以上が死亡するという惨事まで起きている。この攻撃に対する不安は確実にプラント市民の精神を蝕んでいる。
 先に行なわれた月基地攻略作戦も、この問題の恒久的な解決の意図があったのだ。まあ、結果としては最悪の状況になったわけだが。

 パトリックは視線をユウキから外すと、列席している白衣を着た人物に問いかけた。

「ナリハラ博士、新型MS、ZGMF−X09Aと、ZGMF−X10Aの開発状況はどうかね?」

 問われたナリハラ博士は口元に不敵な笑みを閃かせ、眼鏡をキラリと光らせながら立ち上がった。

「ふっふっふっふっふ、私の才能が信じられないのかね、議長?」
「い、いや、そうでは無いのだが」

 毎度の事ながらこの男、何とかと天才は紙一重を地で行くタイプの男だ。いや、能力的な問題は無いのだ。まさに天才科学者と呼びうるその才能は優れた人材が並み居るコーディネイターの中でも群を抜いている。ただ、性格に著しい問題があるだけだ。それと、完成した物は大抵碌でも無い物である場合が多い。
 現在開発中のニュートロンジャマー搭載型MSの中で、最も開発が進んでいる2機、09Aジャスティスと10Aフリーダムなどもその例に漏れず、機動兵器でありながら動力に核分裂炉を採用するという正気とも思えない設計が成されている。もし戦闘中に燃料棒が衝撃でぶつかり合い、連鎖反応を起したらどうするつもりなのだろうか。他にもジャスティスは背中にサブ・フライトシステムを背負っているが、これなどは大気圏内の飛行用と言う振れ込みだが、兄弟機のフリーダムは自力で飛べるのだから、ジャスティスもそうすれば良いだろうにとか、フリーダムの背中のリニアガンやビーム砲は高速機動中には撃てないなどの欠点が満載されている。更に追加兵装である大型兵装ユニットは、なんと巨大なミサイルコンテナと超大型ビームサーベルが取り付けられた大型ブースターで、使いこなすにはコーディネイターでも特に優秀な者が必要だ。
 この仕様を聞かされた時、パトリックは眩暈と偏頭痛を感じて暫し右手で顔を押さえていたという。この機体の開発費だけでどれだけのMSが生産できると思ってるのだろうか。いや、それ以前に運用の前提条件が優秀なコーディネイターなどという破綻した条件を設定してある辺り、最初から汎用性など無視してあるに違いない。そもそも核分裂炉の整備と追加兵装の運用には専用艦艇を建造してこれに当てるなどという無茶苦茶な条件までが出されているのだ。平時ならいざしらず、何処の世界に戦時に試作機の運用の為にわざわざ専用艦艇を建造する軍隊があるのだ。
 だが、ザフトはこのプランを通してしまった。どうやらザフトの指導部も正気ではないらしい。こんな物作らなければとうの昔にゲイツの開発が進み、月基地攻略戦には先行量産型をそれなりの数投入できていただろうに。予算不足で開発が遅れている為、未だに量産試作型が実戦部隊に少数引き渡されてテストをしている段階なのだ。しかもかなりの不具合が報告されていて、工廠ではその対応に追われていると言う。
 パトリックは次々に浮かんでは消えていくさまざまな苦い記憶を振り払うと、いささか苦悩の色が濃いしかめっ面でナリハラ博士を見た。

「それで、あれはスピットブレイクに間に合いそうなのか?」
「流石にそれはちと難しいぞ。時期がもう少し遅れてくれるなら可能だろうがな」

 議長に向ってなんという横柄な口調だと怒鳴りつけられそうな喋り方だが、これがナリハラ博士なのであり、周囲もそれを承知しているためか何も言わない。パトリックはこれがスピットブレイクに間に合わないというなら、それ以上の興味は無かった。元々積極的に使いたいという訳でもないのだから。

 この新型機の話を一時収めると、パトリックは次の問題に移った。

「ジェネシスの建造状況はどうか?」
「改造は順調に進んでいます。あと半年もあれば実用段階に持ちこめると思われます」
「半年、か」

 流石にそれは甘い予測だろうとパトリックは思った。ナチュラルに悟られないよう隠蔽工作には万全を尽くしているが、情報など何処からでも漏れる物だ。まして、あれほど巨大なものなら地球からの光学観測でも発見されてしまう。パトリックはザフトが言うように、これが連合に悟られずにいられるとは到底思えなかった。彼の内では、これの建造その物を利用して連合に『砲艦外交』を挑もうと考えていたのだ。別に完成させる必要は無い、これを建造しているという事実こそが大きな圧力となるのだ。
 実際にパトリックの予想は正しく、すでに今の時点でもジェネシス建造の情報は連合側に知られている。まあ、流石に詳細を知られている訳ではなく、プラントで何やら要塞でも建造しているらしい、という程度のものなのだが。
 この手の物の建造を完全に隠蔽する事など不可能だ。どれだけ隠そうが、資金や物資の流れ、船舶の移動などで何かがあると察知されてしまう。

 しかし、このジェネシスの建造はザフトだけでなく、評議会もかなりの期待をかけている。今更中止にも出来ないプロジェクトなのだ。プラント市民はこの建造計画を全く聞かされてはいないが、それでも評議会はこれが総意だと言い張っている。
 何時か、この乖離がプラントに致命的な事態を招くのではないかという不安が、この時パトリックを襲っていた。小さな歪みも、放っておけばいずれ取り返しのつかない物となってしまう。その時、プラントは滅びるのではないかと、パトリックは想像したのだ。

 


後書き
ジム改 カガリってやっぱり楽だわ
カガリ 何だいきなり?
ジム改 だって、主役みたいな性格してるから
カガリ 私は主役でも良いぞ
ジム改 それだったらどんなに話が楽に展開する事か・・・・・・
カガリ でも、キースって実は結構偉い奴だったんだな
ジム改 お前ねえ。サザーランド大佐の顔見知りだぞ
カガリ 私の正体も知ってたしな
ジム改 もっとも、かっこ良さでは今ひとつなのがネックだ
カガリ 何故だ?
ジム改 キースは何故かシリアス度が足りない
カガリ ボケキャラだし、しょうがないんじゃないか?
ジム改 でもなあ・・・・・・・・・
カガリ まあ気にするなって。それで、プラントの方だけど
ジム改 うむ、今とっても大変だ
カガリ それもあるけど、テロ?
ジム改 タイムリーな感じだろ
カガリ いや、誰が狙ったのか凄く気になる
ジム改 さあ、誰だろうねえ。考えてみたまえ
カガリ 何故か候補が多くて絞り込めないんだが?
ジム改 議長も大変だよなあ
カガリ それに、フリーダムとジャスティスも出てきたけど
ジム改 うむ、それがどうした
カガリ ボロクソ言ってるな
ジム改 核分裂炉の原理を知ってれば、機動兵器のジェネレーターに使うなんて思わんぞ
カガリ なんで?
ジム改 詳しくは原発について勉強しましょう
カガリ 逃げるな、説明する方が戦いだ!
ジム改 だって、これ長いし
カガリ まあ良いか。では次回、謎のお姉さん登場!
ジム改 実は本作で一番危険な人かも。その正体は・・・・・・秘密w


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