第46章  絆は、広く世界に…


 アークエンジェルに逃げ込んだネルソン大佐とドミノフ大佐の部隊。昨日までの確執を忘れたかのように作戦の成功を喜び合い、生き残れた事に喝采をあげる者たち。後はこのまま輸送機部隊と合流するだけである。両軍の兵士は初めての勝利を祝い、自分達でも勝てるという自信を取り戻している。
 ネルソンとドミノフも些かバツが悪そうな笑みを浮かべながら握手を交わしあい、これまでのいがみ合いを水に流している。カガリの起こしたアクションは、対立していた両者を纏め上げてしまっていた。
 カガリはその光景を見ながら、傍らに立つフレイとトールに話し掛けた。

「なんか、いいよな。こういうの」
「そうね」

 頷くフレイ。だが、どうして両者が和解したのか、さっぱり理解できないトールは困り果てた顔でカガリに問いかける。

「なあ、何があったんだ?」

 その問い掛けに、カガリとフレイは顔を見合わせて同時に首を捻った。

「さあ?」
「何があったって言われても、何があったのかしらね?」

 本当に分からないらしい2人の態度に、トールはますます混乱してしまっていた。まさか、彼らがカガリの無鉄砲な行動に感化されたなどと思うわけが無い。

 その時、格納庫の喧騒が唐突に止んだ。何かと思って周囲を見渡してみると、ストライクが戻ってきたのが見えた。格納庫に戻ったストライクがMSベッドに固定され、整備兵が取り付いていく。作戦の終盤を飾ったエースの帰還に、普通なら沸き返るはずの格納庫は不思議と静まり返っている。格納庫に満ちているのは、戸惑いと恐怖。それは英雄を迎え入れる空気ではなく、人ならざる何かを招きいれたような感じだ。
 突然空気が変わったことにフレイとトールは眉を顰めるが、自分たちがなにを言っても誰も聞きはしないだろう。その思いはフラガやマードックにも共通していた。強すぎる存在は異端者でしかない。人は、生物は異端者を受け入れない。生物は同じ存在で群を作るのであって、亜種が混じる事を容認しない。生物は縄張りに侵入する余所者を決して許さないのだ。

 

 コクピットから顔を出したキラは、自分に向けられている非好意的な視線に俯き、力なくコクピットシートに腰を落としてしまった。彼らが自分を嫌っている事は分かっていたのに、もしかしたらと僅かな期待を抱いてしまった。そんな自分の甘さを悔やみ、また1人で閉じ篭ってしまう。
 コクピットに引っ込んでしまったキラを見て、キースは近くにいるフラガとマードックに問いかけた。

「どうします?」
「俺達の出番じゃないと思うがね」
「同感ですな。ここは大人の出番じゃないでしょう」

 余り大人が口を挟んでは、かえって悪い方向へ向いてしまう事もある。ここは大人しく様子を見る方が良いだろう。フラガとマードックの答えにキースも頷きはしたが、視界の片隅でストライクの方に歩いていくトールとフレイの姿を認めた。最初は何をする気かと思ったのだが、直ぐに2人の思惑を察したキースはスカイグラスパーの通信機を操作して悪戯っぽい笑みを浮かべると、機から降りて人ごみの中へと歩いて行ってしまった。

 

 ストライクから出て来ないキラに業を煮やしたのはトールだった。カガリとフレイは迷いを見せており、その場から動く事が出来ないでいる。そんな2人を置いてトールが1歩を踏み出した時、フレイが戸惑った声をかけてきた。

「トール、どうするの?」
「決まってるだろ、キラを連れてくる」
「でも、回りはみんなキラの事を嫌ってるわ。そんな所に無理に連れ出しても……」

 ここはキラにとって敵地にも等しい。そんな所に無理に連れ出さなくてもいいのではないか、このままストライクに1人で居た方が、キラにとっても良いのではないか。フレイはそう思ったのだが、トールはそんなフレイの考えを真っ向から否定してきた。

「キラが何かした訳じゃない。なのにあいつが悪く言われるなんて間違ってるだろっ」
「それは、そうだけど……」
「俺はキラを連れてくる。止めても無駄だぞ」

 ストライクに向けて真っ直ぐ歩いていくトール。その後姿を見てフレイはまだ躊躇っていたのだが、遂には自分も前にでた。

「待ってよ、トール」

 トールを追ってストライクのコクピットへのタラップを上がっていくフレイ。だが、その後ろをカガリは追えなかった。

 


 圧縮空気の漏れる音と共に、ストライクのハッチが開いた。既に待機状態に戻ったストライクのコクピットは薄暗く静まり返り、ヘルメットを抱えて俯き、くぐもった泣き声を漏らすキラが居る。コクピットが開いた音に気付いたのか、キラは涙に濡れた顔でハッチの方を見た。

「トール? フレイ?」

 どうして2人がここに居るのか、分からない。理解できない。誰からも疎まれるような自分に、今更2人は何の用があるというのだろう。
 トールはキラの表情を見て顔を顰めた。それはとてもではないが、地上軍を助け出したヒーローの顔ではなかった。目には光が無く、表情には猜疑心と怯えが見て取れ、絶望が全てを支配している。その顔はこれまでトールが見てきた中で一番情けない、負け犬の顔だったのだ。
 思わずカッとなったトールはキラの胸倉を掴み上げると、大きく前後に揺さぶった。

「おいキラ、何やってるんだよお前。何でこんな所で泣いてるんだよ!?」
「・・・・・・・・・どうせ出て行っても、またあんな目で見るんだろ?」

 化け物を見るような、怯えと怒り、蔑みの視線。それにキラは耐えられなかった。孤独と敵意の中でキラの精神は蝕まれ、とうとう限界に達してしまったのだろう。

「もう嫌だ。何で何時もこんな目にあって、無理やり戦わされなくちゃいけないんだ!?」

 初めて自分に向けられたキラの本音にトールが言葉を詰らせる。キラが好きで戦っているわけではない事は勿論知っていたが、それでも自分達を守る為だと割り切っていると考えていたのだ。それがまさか、ここまで追い詰められていたとは想像もしていなかった。
 だが、キラの初めて曝け出した本心に呆然としているトールの背中からフレイが声をかけてきた。

「じゃあ、戦うの止める、キラ?」
「フレイ、お前何を言って!?」

 驚くトールを押し退けてフレイは前に出た。フレイを前にしたキラは何故かビクリと体を震わせ、トールに見せた自暴自棄な勢いをたちまち霧散させてしまう。フレイにとっては2度目となる自暴自棄になったキラの姿。だが、それはまで前に較べればマシだった。少なくとも今はまだ話を聞ける状態ではある。

「キラがどうしても乗りたくないなら、トールに変わって貰って、キラはサブパイロットになる? そうすれば乗らなくても良いようになるわよ?」
「・・・・・・でも、艦長が許すわけ無いよ」
「そうかしら。キースさんやフラガ少佐の口添えもあれば、聞いて貰えると思うけど」

 パイロットとMSに関してはフラガとキースに任されていると言っても良い。2人が口を揃えてキラをパイロットの編成から外すと言えば、マリューは拒否はしないだろう。彼女はMSそのものには詳しいが、運用法を実戦レベルで理解できている訳ではないので、現場リーダーである2人の意見に注文を入れにくいのだ。
 フレイの提案が実現可能だと悟ったキラは、何故か喜ぶ事は無かった。いや、それどころかむしろ一層怯え方が酷くなっている。

「ストライクに乗らなくなったら、僕は何処にも居場所が無くなっちゃう。そうなったら僕はどうすれば良いのさ!?」

 キラの吐き出した本音に、フレイは怯んだりはしなかった。彼女はキラが自分の居場所が欲しいだけだという事を知っていたし、化け物と蔑まれる事をとても恐れている事も理解していた。
 そして、誰よりもキラの怖さを、どれほどの化け物であるかを知っているのもフレイだ。何しろ一度本気で戦った経験があり、その驚異的な強さは骨身に染みている。もう一度戦ったら今度は負けるという確信もある。だが、同時にその脆さと弱さも知ってしまったのだ。

「戦えば戦うほど、みんな離れていく。僕はただ守りたいだけなのに……これ以上、誰も死んでほしくないだけなのに……」

 力なく項垂れ、嗚咽を漏らす。戦いたくもないのに友達の為と武器を取ってきた。あのシャトルを守れなかった事を悔やみ、もう2度とあんな事は起さないと頑張ってきたのに、どれだけ頑張っても誰にも認められず、コーディネイターというだけで謂れのない差別に苦しまなくてはならない。
 だが、泣いているキラの頬を暖かい手がそっと撫で、零れる涙を拭ってくれた。

「貴方は、私を守ってくれたわ」
「え……?」
「イージスに追われてた私達を、キラはちゃんと守ってくれたわよ。おかげで私もカガリもここに居るわ」

 ゆっくりと、相手が理解できるように言葉を紡ぐフレイ。その後ろでトールが何やら「俺も助けに行ったんだけどなあ」とかブツブツ呟いているが、そっちは豪快に無視している。

 



 艦橋では何故か艦内放送に割り込んできたこの会話に誰もが戸惑っていたが、慌てて艦内の通信網を調べたミリアリアがようやくそれを確認して軽い驚きの声を上げた。

「キースさんのスカイグラスパー経由で、ストライクの通信が艦内放送にリンクされています!」
「バゥアー大尉ですって。でも、何でこんな事を?」

 マリューが首を捻ってナタルに意見を求めるが、ナタルも当惑した様子で首を横に振るだけだった。ノイマンやパル、チャンドラは聞こえてくるキラとフレイの会話に困った顔を向けあっている。他人のこういう会話は聞いてるだけで背中が痒くなるのだ。
 ただ、誰もが戸惑っている中で、サイだけはこの真意に気付いた。

「キースさんは、きっとみんなに知って欲しかったんだと思います」
「どういうこと、アーガイル二等兵?」
「本当のキラを、今フレイの前で泣いてるキラをですよ。トールとフレイはキラがこういう奴だって事を知っていたから、キラの所に行ったんだと思います。トールは俺を説得しにも来ましたから」

 淡々と話すサイ。それを聞いて艦橋にいる誰もが気まずそうに表情を曇らせ、サイから視線を逸らせてしまう。ミリアリアもカズィも、マリューやナタルもそれぞれに思う所があるのだろう。



 
 キラの目にゆっくりと光が戻って来た。それを見たフレイは、嗜めるような口調で話しかけた。

「でもキラ、戦うだけじゃ、また1人になるわよ」
「…………」

 キラの瞳に怯えが走る。まるで叱られる子供のようだ。

「辛いなら、寂しいなら、それをみんなに知ってもらえばいいじゃない。キラはいつも1人で抱え込むから、みんな気付かないのよ」
「……でも、弱い僕なんて、何の意味も無いよ」

 不安そうなキラに、フレイは微笑を浮かべたまま首を横に振った。

「そんな事無いわ。みんなが怖がってるのは貴方の力だけど、それだけが貴方じゃないでしょう?」
「……うん」
「だったら良いじゃない。それに、艦長が言ってたわ。辛い時は誰かに聞いてもらった方が楽になるって。キラも誰かに悩みを聞いてもらえば良いのよ。トールだったら普通に聞いてくれると思うし」
「…………」

 キースやフラガを外してトールを推す辺り、その人柄をよく把握していると言えよう。

 

 

 艦内放送で流れる赤面ものの会話にキースは苦笑いを浮かべると、踵を返して格納庫を去ろうとしたのだが、その時いきなり後ろから服を引っ張られた。衝撃で首が絞まって咽こんだが、顔を顰めて振り返ってみれば、カガリが自分の上着の裾を掴んで俯いていた。

「あ、あの……」
「どうした?」
「その……ありがとう」
「何の事だ?」
「あんたなんだろ、この放送は?」
「さて、何のことやら」

 今のキラへの風当たりの強さの背景には、カガリの発言がそれなりに影響している事はキースも知っているが、それでカガリを責める気は無い。カガリの反応は当然のもので、責めるには値しないと考えたからだ。そしてキラ自身に無意識の差別意識があったのも確かだろうし、カガリが何も言わなかったとしても、キラという存在はいずれ問題を引き起こしていただろう。
 キラの本音を聞いて、カガリは自分の考えを恥じていた。キラは化け物みたいな能力を持ってるかもしれないが、心まで化け物ではないのだ。フレイはそれに気付いていて、自分はそれに気付けなかった。ネルソンやドミノフを見損なっていたことといい、自分には人を見る目が無いらしい。

 柄にも無く反省しているカガリを、キースは嬉しそうに見ている。それでいい、人は経験から学ぶものだ。過ぎてしまった事は仕方ない、後悔するのは当然だ。ようは、同じ失敗を繰り返さないようにすれば良いのだ。過去を変える事は出来ない。ならば、未来にその経験を生かし、前に進む事が償いとなるのではないか。
 キースは過去の経験からそう考えていた。だから、カガリが自分を恥じるのは良い事だと思ったのだ。

 ストライクからキラを引っ張り出したフレイは、何故かニヤニヤ笑いを浮かべているトールを見て首を捻った。

「どうしたの、トール?」
「いや、そのな、キラ、フレイ、落ち着いて聞いてくれよ」
「何よ?」
「どうも誰かが悪戯したみたいで、ストライクの中の会話が艦内放送に流れてた」
「「……………」」
「いやあ、まさか全身がむず痒くなるような会話が全艦に流れるなんてねえ」

 キラとフレイの顔色が蒼白となり、次の瞬間真っ赤に染まる。そんな様子を見てトールが大爆笑した。身体を2つに折り、腹を抱えて大笑いしている。2人は大慌てでトールを弾き飛ばしてタラップへと移って格納庫を見下ろすと、なにやらみんなが自分たちを見てニヤニヤと笑っている。はっきり言って不気味だ。
 大勢の人から不気味な笑みを向けられて硬直している2人に、何とも愉快そうなトールの声がかけられた。

「こいつは、暫くは笑い話の種だな、2人とも」」
「あ、あんた、何で教えてくれなかったのよ!?」

 顔を真っ赤にしてトールの胸倉掴み上げて怒鳴り散らすフレイ。それに対してヘラヘラ笑いながら惚けまくるトール。キラは硬直した状態から復活する事が出来ず、タラップの手摺に両手を置いた姿勢のままで未だに固まり続けている。
 そんな少年達の漫才スレスレの騒ぎを見て、僅かな笑いがあちこちから漏れ出し、それは少しずつ格納庫内に伝播していく。恐怖に顔を青褪めさせていた兵士が、怯えていた整備兵がぎこちなく笑い出し、やがて格納庫に笑い声が蔓延するようになった。
 それは格納庫だけではなかった。艦橋で聞いていたマリューやナタル、ミリアリア、サイ、カズィも同様に笑っている。機関室でも、砲撃管制室でも、ありとあらゆる部署で笑い声が響き渡っている。

 キースは笑っている兵士たちを見ながら、そっとカガリの背中を押してやった。らしくもなく不安げな表情を浮かべるカガリに、キースは安心させるように頷いた。

「さあ、行ってこい。喧嘩は長引くとしこりを残すぞ」
「……うん、そうする」

 キースに頭を下げたカガリは、ストライクから降りてきた2人の所へと歩いていってしまう。それを見送ったキースは人気の無い通路へと足を向けた。

 仲間たちの笑顔に囲まれるキラとフレイ。その前に、些か緊張した顔付きのカガリが立った。随分久しぶりに自分の前に立つカガリに、キラの表情が硬くなる。

「キラ、その、あの……」
「なに、カガリ」

 キラはカガリの次の言葉を待っていた。また何か言ってくるのだろうかと少し身構えている。だが、フレイにはカガリの様子のおかしさというか、戸惑いが感じられていた。何と言うか、今のカガリは照れているように見える。
 そして、意を決したようにカガリは腰を90°直角に頭を下げた。

「キラ、悪かった!」
「え、えっ?」
「私があんな事言ったから、お前をここまで追い詰めちまった。私のせいだ!」
「いや、でも、カガリも嘘言った訳じゃないし……」
「それでも、私は自分が許せないんだ!」

 頭を下げっぱなしのカガリに、キラは慌てふためいていた。本当にカガリは思い込んだら一直線で、考えが変わるのも本当に早い。

「私にできる事なら、何でもするぞ。殴ってくれてもいい」
「いや、別にそんな事する気は無いんだけど」
「でも、このままじゃ私の気が収まらないんだ!」

 なにやらキラのほうが追い詰められているように見える。まさか女の子を殴るわけにもいかず、かと言ってやってほしい事も無い。如何すればいいのやらと天井を仰いで嘆息していると、脇からフレイの声が聞こえた。

「じゃあ、代わりに私がやってあげるわ」
「え?」

 電光石火でポケットから抜かれた大きなハリセンが袈裟懸けにカガリの脳天を打ち据える。余りの早業にキラの目にさえ捉えられなかった程だ。豪快な音を立ててカガリが床に口付けをする。余りと言えば余りの展開に格納庫にいた誰もが硬直してしまっていた。
 そして、地獄の底から響く怨嗟の声の如き唸り声を上げながらカガリがゆっくりと起き上がった。

「て、てめえ、フレイ、いきなり何しやがる?」
「だって、気が収まらないって言ったじゃない。キラが殴れるわけ無いんだから、代わりにやってあげたのよ」
「何でお前がやるんだよ?」
「カガリらしくないわねえ。細かい事気にしちゃ駄目よ」
「第一、どっからそのでかいハリセン出しやがった!?」
「ポケットからに決まってるじゃない」
「どうやって入ってたんだよ!?」
「うーん、コツかしら」
「コツで物理限界超えられるわけないだろう!」
「まあまあ。どう、すっかり気も晴れたでしょう?」

 抜いたハリセンをポケットにしまいながら(40cmはあろうサイズのハリセンがどうして軍服のポケットに入るのだろうか?)まぶしい笑顔でカガリに問いかけている。その人を魅了して止まない微笑に、カガリはニッコリと笑顔で頷き返した。

「ああ、罪悪感は吹っ飛んだよ」
「そう、良かった」

 カガリの答えに嬉しそうに微笑むフレイ。そんなフレイの笑顔にカガリも実に爽やかな笑みを浮かべた。
 美少女が2人で眩しい笑顔を向け合っている情景は実に絵になる。そう、カガリの額に青筋が浮かんでなければ、打ち付けた時のダメージで顔を赤く腫らせていなければ、フシュフシュと暗黒闘気の如きドス黒い殺気を撒き散らしていなければ、の話であるが。
 そして、カガリはニッコリと笑いながら、拳を握り締めた。

「ぶっ殺すううううっ!!」

 拳を振り回してフレイを殴ろうとするカガリ。フレイは迷うことなく踵を返して逃げ回り始めた。キラの周囲を舞台とする盛大な鬼ごっこが始まり、周囲の者は巻き添えを恐れて慌てて距離をとった。
 キラは暫くあたふたしていたが、意を決して鬼ごっこを止めに入った。

「2人とも、その辺で止めておかないと怪我するよ」

 だが、1歩を踏み出した時、何故かお約束のように転がっていたドライバーの柄を踏み、キラはその場にすっ転んでしまった。

「ぶぉっ」

 豪快に顔面を打ちつけ、何とも痛そうな音が周囲に響き渡る。そしてよろよろと頭を起こそうとした。

「い、痛い……フギャアッ!」

 頭を起こしたところに止めとばかりに駆け回っていたカガリの足が後頭部に落ちてきた。豪快に踏まれたキラは全体重で頭を床に押し付けられ、というより蹴ったくられてその場に再度転がった。踏んだ所でそれに気付いたカガリが慌ててキラの身体に縋りつく。

「うわあああああ、キラ、ごめん、本当にごめん!」
「これは、痛いわね」
「ひ、ひ、酷いやカガリ……がくぅ」

 キラは文字通り踏んだり蹴ったりな目にあって気を失ってしまった。この3人のドタバタ漫才を見て格納庫に爆笑が響き渡る。誰もが腹を抱えて大笑いし、涙を浮かべている者までいる。
 悲しいお話は、いつの間にか笑い無しでは見れない喜劇へと変化してしまっていた。

 

 


 この喜劇を生み出した張本人は格納庫を離れ、1人でぼんやりと展望室でタバコをふかしていた。

「…で、良いのか、あそこに居なくて?」
「良いんですよ。俺にはああいう場は似合いません」

 先客だったキサカにキースが返す。

「知ってるでしょう、俺はオーブの獅子が大嫌いなブルーコスモスのメンバーだった男だって」
「知ってるよ。かつて、私は君の命を狙った事もあるのだからね」
「身に覚えがありすぎて困りますね。一体何回暗殺されかけた事か。てっきりプラントや親コーディネイター系の組織の差し金かと思っていましたが、オーブも一枚噛んでいたわけですか」
「まあな。あの頃の君はオーブではかなり危険視されていたのだよ。ナチュラルとコーディネイターの融和を唱える君の姿勢は立派だったが、それを好ましく思わない人は大勢いた」

 キサカは気恥ずかしそうに当事の事を教えてくれる。オーブはコーディネイターとの融和を唱える事で世界に存在感を見せていた国だったのだが、ブルーコスモスの中から穏健派を纏めて同じ主張をしだした男が現れたのだ。その事に慌てふためいたオーブの首脳部の中からキース、当事はナハトと名乗っていた男の暗殺を計画したのだ。
 キサカはその計画の実行部隊のメンバーとして幾度かキースの命を狙ったのだという。

「あの頃は、すまなかったな」
「……謝られる事でも無いでしょう。誰にだって立場はありますし、上司の命令は逆らえませんよ。お互い、もう過去の事です」
「そう言ってくれると、助かるよ」

 キサカは笑みを浮かべてキースを見返した。キースは加えていたタバコを指に取り、強化ガラスから外を見る。

「しかし、人生ってのは、面白いものですね」
「うん?」
「そうでしょう。かつて命を狙った者と狙われた者が、こうして肩を並べてのんびりと話をしている。生きてるからこうして面白い体験をする事が出来る。だから人生は、面白いんですよ」
「なるほど、確かにそうかもな。生きている限り、面白い事に巡り合える」

 キサカは楽しそうに笑った。こんな風に考えられるなら、確かに人生は楽しいに違いない。こんな風に考えられるから、時代の流れに逆らって融和路線を唱えるなどということが出来たのだろう。

 だが、それまで穏やかだったキースの笑顔がふいに引き攣った。そして面倒くさそうな溜息を吐く。

「やれやれ、もう少しのんびり出来ると思ったんだがなあ。敵もどうして打つ手が早い」
「キース?」
「送り狼ですよ。まったく、しつこい奴は嫌われるってのに」

 キースに言われてキサカもドゥシャンベの方角に目を凝らす。すると、確かにゴマ粒のような小さな黒点が現れていた。恐らくはグゥルに乗ったMS部隊だろう。

「多いな」
「全く、ザフトの兵隊さんは仕事熱心なことで」

 やれやれと肩を竦めて、キースは展望室から出ていった。それを見送ったキサカはもう一度外に目を向け、少しだけ考え込む。

「……彼と出会って、カガリ様も変わられた。私やウズミ様がどれだけ言っても頑迷に考えを変えられなかったあのカガリ様が、今は自分に迷い、悩んでおられる。人は経験を積むだけでは駄目だというのか?」

 ただ教えるだけでは、学ばせるだけでは身に付かない何かがあるのだろうか。自分たちが十数年かけて教えこんで身に付かなかった事を、カガリはこの艦に来た僅かな時間で身に付けようとしている。
 何が足りなかったのだろう。何がいけなかったのだろう。自分と彼には、オーブとこの艦とではそれほどの違いがあるというのだろうか。
 この艦に来てからの事をずっと考え続けたキサカは、幾つか思い当たる事に辿りついた。カガリとじゃれ合う赤毛の少女や、何かと問題の中心にいる焦げ茶色の髪の少年。そして2人の周りにいる少年少女たち。一歩引いて彼らを見守っているキースや、1人の生徒として教鞭を振るっているナタル。カガリに王女としてではなく、1人の少女としてこうやって接する人々は、これまでに居なかった存在だ。

「対等に接してくれる友人、普通の子供として叱ってくれる大人。カガリ様に必要だったのは優れた教師や環境ではなく、共に笑ってくれる仲間だったということか」

 子供に必要なのは友人だという事なのだろう。自分はそれに気付かず、ずっと王女を守り続けてきた。自分たちが間違っていたということは結果が証明している。ただ、カガリを変えたのはこの艦の環境であるので、カガリがウズミの望む方向に成長するかといわれると、それはかなり難しいだろう。現にカガリはコーディネイターというものに敵意を抱いた。これはウズミの望む形とは対極に位置している考えだ。
 だが、キサカはそんなカガリの変化が嬉しくもあった。ウズミの考えとは違っていても、それはカガリが自分で考え、見つけた答えなのだから。

「オーブ軍人としては失格なのだろうがな」

 こんな考えを持つようになってしまったのも、この艦に長く居たせいかもしれない。自国の利益よりもカガリ1人の身を案じてしまうのだ。そして、そんな自分を間違っているとは感じなくなっている。

「……だから人生は、面白い、か」

 キースが言っていた言葉を反芻し、キサカは口元に笑みを浮かべる。なるほど、確かに面白い。本当に人生は波乱に満ちている。
 キサカはベンチに腰掛けると、ここから戦いを見物する事にした。色々と考えたい事がある。どうせ何処に居ても危険なのだから、ここで血生臭いショーを見ながら考えるのもいいだろう。

 

 

 敵接近の知らせは、たちまち艦内を駆け巡った。眼下には少ない燃料で逃げてきた輸送機が着陸しており、無防備な姿を晒している。もう逃げる事は出来なかった。

「アークエンジェルは反転、敵部隊を食い止めます」
「分かりました。全艦戦闘配備、ローエングリンを除く全兵装を起動させろ!」

 マリューの命令にナタルが頷き、艦の戦闘システムを起動していく。かなり苦しい戦いになるだろう。ボロボロのアークエンジェルと傷ついた戦闘機2機、MS2機で何が出来るだろうか。戦車は無く、サンダーセプターも燃料切れで棄てられている。だが、それでも逃げる事は出来ない。ここに来るまでに悲惨な現実を散々見てきたマリューには、難民を見捨てるという選択は出来なかった。そして、それはナタルにも言える。ナタルもこの人たちを見捨てて自分たちだけ助かるという選択は出来なくなっていたのだ。
 反転して迎撃の態勢をとるアークエンジェル。格納庫からは2機のスカイグラスパーが飛び出し、ストライクとデュエルも発信準備をしている。だが、ヘルメットを小脇に抱えたキラをマードックが捕まえた。

「いいか、ストライクはもう限界を超えてる。何時動かなくなるか分からんぞ。性能もかなり落ちてるんだ!」
「でも、まだ動くんでしょう?」
「もう壊れてるって言ってるんだ。こんなので出たら、死ぬだけだぞ!」
「……構いません。みんなを守れるなら、僕の命くらい」
「お前……」

 自分の命を安く考えているキラの言葉に、マードックは言葉を失った。こいつは何時もこんな事を考えてるのだろうか。
 だが、その台詞に我慢できない人がいたりする。キラの両肩にポンと手が置かれた。振り返ったキラは、背後に立つフレイとカガリを見て、音を立てて硬直してしまった。

「え、ええと、どうかしたの、2人とも?」
「ねえキラ」
「お前、今何て言った?」

 2人はキラの問いには答えず、なにやら凄絶な笑みを浮かべてキラに問いかけてきた。その余りのプレッシャーに反論する気さえ起こらないキラは素直に答えてしまう。

「あ、あの、みんなを守るって……」
「違うでしょう、その後よ」
「私には、自分の命くらい安い物だって言おうとしたように聞こえたんだけどなあ?」

 肩を掴む手がギリギリと肩に食い込んでくる。キラは助けを求めて周囲に視線を走らせ、トールの顔で視線を止めた。

「ト、トール……」
「ん、どうしたキ…ラ……」

 ギシイッという、空間が軋む音をトールは聞いた気がした。フレイとカガリ、2人の発する殺気の如き凄まじいプレッシャーがこう言っていたのだ。「あんたは黙って仕事してなさい」と。
 トールは引き攣った笑顔で3人から視線を外すと、何も見なかったかのようにさっさと歩いて行ってしまった。

「ト、ト〜〜〜ル〜〜〜〜!」

 キラは見捨てられた事を悟り、悲痛な声を上げて彼の名を呼んだが、彼が振り返る事は無かった。だって怖いし。

 そして、フレイとカガリはキラの両脇を固めると、ジロリとキラの顔を視線で嬲った。もはや生きた心地もせず、脂汗を流し続けるキラ。

「いいこと、自分の命なんてどうでも良い、何て考えは捨てなさいよ」
「もし今度そんな事言ったら、分かってるよな?」
「は、はい……」

 逆らったら殺される。そう確信したキラはカクカクと首を上下に振った。それを見た2人はキラを開放し、ウィンクを交し合う。キラにとっては天敵のようなコンビであった。
 キラはホッと安堵の息を吐くと、コソコソとストライクのコクピットへと逃げていった。未だかつて、ここまで情けない気持ちでコクピットに入った事は無いのではないだろうか。そしてフレイのデュエルに乗り込み、機体を起動させていく。

「ストライク、行けます!」
「デュエル、準備完了!」

 コクピットから艦橋に回線を繋ぐと、何だか楽しそうな声でミリアリアが状況を教えてくれた。どうやらさっきの笑いの残滓がまだ残っているらしい。

「敵はグゥルに乗ったMSよ。ストライクとデュエルは敵を通さないことを第一に考えて動いて頂戴。数が多いけど、頑張って」
「分かった」

 キラは頷くと、まだ使えるエールパック装備で出撃していく。そしてフレイがロングライフル装備で出ようとした時、ナタルが通信を入れてきた。

「敵は多い、囲まれないように注意しろ」
「はいっ!」
「アークエンジェルの砲火の傘から余り離れるなよ。それと、生きて帰ってこい、フレイ」
「……中尉?」

 フレイはナタルが自分のファーストネームを呼んだことに軽い驚きを感じた。そして、ナタルがとても身近になったような気がして、嬉しくなってくる。

「フレイ・アルスター、デュエル、行きます!」

 デュエルも出撃し、ナタルは全方位戦闘の準備を進める。そのナタルに、マリューが声をかけた。

「フレイ、ね。随分優しくなったじゃない、ナタル」
「……そうかもしれませんね。甘いのも、悪くは無いです」
「あら、言うようになったじゃない」
「私もいつの間にか、この艦の空気に染まったみたいです」

 ぎこちなく笑うナタルに、マリューは苦笑いを浮かべた。あの軍人堅気の塊のようだったナタル・バジルールも随分と柔らかくなったものだ。

「まったく、フレイさんといい、あなたといい、恋をすると女は変わるわねえ」
「……そうですね」
「あらあら、惚気かしら?」
「ご不満でしたら、艦長もフラガ少佐にOKを出したらどうです?」

 この時、ナタルは初めてマリューをこういう話題で打ち負かした。マリューはナタルの反撃にうろたえ、苦虫を噛み潰した顔で視線を逸らした。

「私は、軽薄な男は好みじゃないのよ」
「バゥアー大尉も軽い性格ですが、軽薄とは思いませんでしたよ。付き合ってみなければ分からないのではありませんか?」
「……ナタルに言われるようじゃ、私も終わりかしらね」

 憮然としてボソリと呟くマリュー、2人の会話を聞いていた艦橋クルーたちはクスクス笑っていたが、それも敵が近付いて来るまでだった。
 パルの報告が艦橋に響き渡る。

「敵MS、イエローゾーンを突破、レッドゾーンに侵入。ゴッドフリート有効射程まで、あと15秒!」
「砲撃用意!」

 ナタルが指示を下し、ゴッドフリートの砲身が微妙に上下する。
 そして、ナタルがマリューに声をかけた。

「まあ、とりあえずはこの場を生き残ってからにしましょう」
「そうね、愚痴るのもからかうのも、生きていてこそよね」
「そういうことです。お互いにしぶとく生き残るとしましょう」
「……そうよねえ。とりあえず、生きてやりたい事があるうちは、死ねないわね」

 マリューも頷く。そして、ついに敵が主砲射程に入った。

「ゴッドフリート、撃てぇ!」

 戦闘開始の号砲となる砲撃が開始され、4条の光の束がMS部隊に叩きつけられる。色々な事があった。多くの問題にぶつかってきた。だが、今日この時、初めて幾つかの問題にケリが付いたのだ。マリューとナタルの確執もいつの間にか消え去り、フレイは自分の足で立っている。失われたわけではないが、キラへの恐れも表面的には薄まった。カガリは自分が出来る事を考え、自分なりの道を探している。
 そして舞台は、次なるシーンへと移っていくのだった。



後書き
ジム改 物語は次の段階へ突入
カガリ 遂に漫才担当になったか
ジム改 このままボケツッコミで売っていくかね?
カガリ 私はシリアス路線でいきたいんだ!
ジム改 心配せんでも後半は幾らでもシリアス出来るよ
カガリ 私もシリアス出来るのか?
ジム改 勿論だとも。何せ君には凄い設定があるからな
カガリ 王女とか、血縁とかだな
ジム改 いや、小豆相場に手を出して大損したという笑えない隠し設定が…
カガリ 誰が何時そんなもんに手を出した!?
ジム改 多分冗談だ。余り気にするな
カガリ お前のジョークはたまにジョークじゃねえ時があるだろ!
ジム改 まあそれはさておき、いよいよ次回はクルーゼとの激突だ
カガリ あの変態仮面が出てくると何時も誰かが迷惑する
ジム改 今回はお前も迷惑する側だぞ
カガリ 私が撃ち落して…今はオペレーターか
ジム改 その通り。では次回、翼持つ牙でまたお会いしましょう



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