第51章  突きつけられる現実


 

 窓から注ぐ朝日に、ナタルはゆっくりと半身を起こした。何となく頭が重いのは昨日飲み過ぎたせいだろう。昨日は司令部を後にすると、そのまま艦長が買い込んだ酒をフレイの家に持ち込んで……

「ふう、艦長の酒豪ぶりも恐ろしいが、まさか子供達があんなに飲むとはな」

 水でも飲むかのように平然とビールを開けていくフレイとカガリの姿には流石に驚いてしまった。ミリアリアはまあ人並みだったが、それでも平然と飲んでいた。マリューに至ってはもう空の酒樽の如く酒を流し込んでいたから恐ろしい。
 狂乱の酒宴は怒涛の暴露トークへと雪崩れ込み、マリューの過去やら自分の経歴やら、果てはフレイとキラの経験談にまで及んだのだ。


「何、2人は二桁経験済み!?」
「艦内でそんな破廉恥な事を……」
「「…………(黙って聞き入っている)」」
「うう、でもキラって酷いんです……もう疲れたって言っても盛った犬みたいに延々と」
「まあ若いからねえ」
「そ、そんな破廉恥な、事を……」
「「…………(現在想像中)」」
「一番酷い時なんか……もう腰が痛くて痛くて」
「超絶倫人ね」
「プシュ〜〜〜(どうやら限界を超えて体内ブレーカーが落ちたらしい)」
「「…………(現在妄想中)」」


 思い出してしまい、襲い来る頭痛に顔を顰めた。あれは地獄絵図だった。いや、早々に戦線離脱した自分はこうして誰のものかも知れないベッドを占領して朝を迎えたわけだが、果たして下はどうなっているやら。

「余り見たくはないが、そうもいかんだろうな」

 仕方なくベッドから降り、皺だらけになった私服はまあ諦めてトコトコと一階に降りると、案の定残りの4人はリビングで泥酔死体と化していた。マリューは酒瓶抱えて横になっているし、ミリアリアとカガリは背中を合わせるようにして座った姿勢のまま眠っている。どういう訳かフレイだけはタオルケットをかけてソファーを占有していた。全員潰した後に1人だけきちんと寝たのだろうか。
 我が弟子ながら、この辺りは実に侮れない少女だ。すでにハリセンをマスターしたというし、本当に物覚えが良い。

「ふむ、まあ、放っておいても大丈夫だろう」

 そう確信すると、ナタルはリビングを横切って家を出て行こうとしたのだが、リビングの戸に手をかけたところで声をかけられた。

「帰るの、ナタル?」
「艦長、起きていたのですか?」
「ええ、あれくらいで酔い潰されたりしないわよ」

 そう言って上半身を起こしたマリューは、大きな欠伸をしつつきょろきょろと辺りを見回し、潰れている3人を見て優しい笑みを浮かべた。

「まあ、本当ならいけないんでしょうけど、たまにはこういうのも良いかなと思ったのよね」
「艦長は随分楽しんでいましたからね」
「お酒は人生の彩よ」

 はっきりと言い切るマリューにナタルは額を押さえたが、すぐに立ち直ると扉を開けてリビングを出て行った。彼女も随分と逞しくなったものだ。
 フレイの官舎を出たナタルはどうしたものかと考えたが、とりあえず行きたい所も無いと気付いてしまう。それで暫し玄関の前で悩んでいたのだが、結局浮かんだのは港にあるアークエンジェルの入港しているドックに行くことであった。とりあえず艦の修理状況を聞くだけでも良いだろうと思ったのだ。

「ふむ、1人になるとこうも時間の潰し方が分からなくなるとはな。若い頃はまともに遊びに行った事も無かったから、仕方ないのかもしれないが」

 考えてみれば随分と寂しい青春時代だったように思う。中学の頃にはもう未来は軍人と決めていて、ずっとそれを目指して努力を重ねてきた。おかげで25歳で大尉になり最新鋭戦艦の副長などという大任を任されるまでになった。軍人としてみればまあ順風満帆とまでは言わなくとも、それなりに充実した人生なのだろう。
 だが、フレイやカガリと接するうちに、何となくその生き方が空しく思えてくるようになったのだ。目の前で皮肉の応酬をしたり男女関係でからかい合っている姿は、自分には全く縁の無いものであった。あの頃はそんな物は馬鹿馬鹿しいと気にもしていなかったが、こうして目の前でそれを再現されると、少しくらい横道に逸れていても良かったのではないかと後悔にも似た感情が過ぎってしまう。
 しかしまあ、そんな感傷も内心をよぎる別の思いにあっさりと打ち消されてしまう。
ふと空を仰ぎ見れば太陽は朝と呼ぶにはやや高い所にあり、自分が起きたのが随分遅かった事を教えてくれる。なんだか、こんなに遅い時間に起きたのは随分久しぶりだ。何となく艦長たちと同じ駄目人間になってしまった気がして、ちょっと気落ちするナタルであった。

 アークエンジェルが入港しているドックは海軍の軍港内にある。アイボリーのタイトスカートに白いシャツの上から水色の薄手のカーディガンを羽織ったナタルは身分証明で中に入るとそのままドックに行こうとして、ふと灯台のある堤防の先の方に人影を見つけて足を止めた。

「……あれは、何処かで見たような」

 いや、何を馬鹿な事を言っているのだ。あの後姿は何度も目にしている。間違いなくあれはキースだ。しかし、あんな所で一体何をしているのだろうか。

「まあ、あの人の事だから自殺しようとしている可能性は無いだろうが」

 そんな事を呟いて、ふと、何でそんな方向に考えが行ってしまったのかと深刻に悩んでしまった。もし彼女の悩みをキースが知ったら、きっとこう言うに違いない。

「朱に交われば赤くなる」

 と。




 キースは堤防の先でのんびりと釣竿を手に釣りをしていた。ややくたびれている軍服は歴戦の軍人を感じさせるのだが、口に咥えたタバコと脇に置かれたウィスキーのボトルが些かだらしなさを感じさせる。この姿を見ても誰も彼が連合屈指のエースパイロットだなどとは思わないだろう。
 その目は水平線に向けられ、なんだか哀愁を漂わせている。まるで何かに負けたかのような寂しさを見せるその背中は何者をも拒絶する重さを背負っているかのようだ。そんな彼に声をかけられる物などいるはずが……

「釣れますか、大尉?」

 たまには居るらしい、そういう変わり者が。ナタルの声にキースは驚いて背後を振り返り、私服姿のナタルを見て馬鹿みたいにあんぐりと顎を落とした。

 なにやら目を瞬かせていたキースは、袖でごしごしと目をこすり、もう一度ナタルを見てもう一度驚いた。

「え、これは、私服? スカート? 可愛い? 何で?」
「大尉、落ち着いてください。言ってる事が支離滅裂です」

 ナタルに落ち着けといわれてようやく我に返ったキースは小さく頭を振り、何とか吃驚仰天状態を脱する事が出来た。

「バ、バジルール中尉……じゃなかった、大尉、何でここに?」
「艦の状況を確かめに来たのですが、大尉を見つけましたので。こんな所で釣りですか?」
「ああ、ここ暫くドタバタしてて忙しかったからな。たまにはこうのんびりして、平和ってのを実感したいのさ」
「大尉は、戦うのが嫌いなのですか?」
「まあ、あんまり好きじゃないな。元ブルコスで色々と悪い事もしてきたが、人を殺すのは余り良い気のするもんじゃない」
「…………」
「と言っても、俺は元々復讐で軍に入ったからな。最初は殺しまくって悔やむどころか清々してた。正気に戻った頃には殺しても何も感じなくなってた。人間の感性なんて、毎日やってりゃどんな事でも慣れちまうもんだな」

 口調は軽いが、それが持つ意味は恐ろしいほどに深刻だ。殺す事に慣れ、死体を見ても何も感じない。それは歴戦の兵士ならば誰でも持つようになる当り前の特徴だ。だが、歴戦の兵士とは大別して二つに分かれる。大半は誰が死んでも自分だけは生き残ろうという生への執着を見せる。だが、ごく稀に磨耗し尽くした神経の負担からか、自分の命さえ軽く感じてしまう者もいる。
 ナタルはまだ死体を見た事が余り無い。宇宙軍での戦闘は死者を見ることがほとんど無いからだ。仲間が死体となっている時には大抵自分もすぐに死んでしまうので、乗艦が沈むか生き残るか、これが運命の分かれ道となる。加えて艦で指揮をとるだけの身だから人を殺しているという実感も余り無い。キースのように殺すのに慣れるなどという状況には遙かに遠かった。

「……私には分かりません。殺すのに慣れるというのは」
「ああ、分からない方が良い。俺みたいになっちまうからな」

 キースは新しいタバコに火を付けて煙を吐き出した。

「大尉だって嫌でしょう。平和な、硝煙の匂いと戦場の緊張感が無い世界に居ると、違和感を覚えるなんてのは」
「違和感、ですか?」
「そう、違和感。何て言うのかなあ、ここが自分の居場所じゃないって言うか、落ち着かないんだな。まあ、そんな事言っても戦場に戻ればまた平和が恋しくなるんだが」

 煙草を吹かせながら釣りをするキース。その背中が妙に人を寄せ付けない重さを見せていたのはそのせいだったのかと理解し、ナタルは不謹慎にも小さく頷いてしまった。しかし、なんで平和を実感するのに釣りなのだろうか。
 何となく話題が無くなってしまったナタルは、立っているだけなのも疲れるのでキースが脇に置いていたクーラーボックスを引っ張ってきてそれに腰掛けた。キース本人は堤防に直に腰を降ろしている。

「うん……」

 気持ち良い潮風に吹かれながらナタルは両手を挙げて背を伸ばした。海に来たのは初めてではないが、こんなに何の意味も無く、ただぼんやりとそこに居るだけというのは初めてだ。堤防にうちつける波の音が立てる単調なリズムも妙に心地良いものに聞こえてしまう。
 うなじを流れていく風に表情を緩めたナタルは、子供の頃以来になる無意味な時間を満喫していた。

「……しかし、釣れませんね」
「そうだなあ、釣り糸を垂れて1時間、アタリはあるんだが中々のってくれない。餌だけ取られていく」

 些か寂しそうに答えるキース。ナタルは何となく好奇心が湧いてしまい、キースに頼んでみた。

「あの、大尉。私にも釣らせて貰えませんか?」
「良いけど、釣った事あるの?」
「いえ、無いので一度やってみたいんです」
「なるほど、そういう事か」

 キースはなるほどと頷くと、釣竿をナタルに渡した。

「まあ、そう簡単には釣れないだろうけどな」
「そうでしょうね」

 どこか憮然と負け惜しみのような事を口走るキースに、ナタルはクスクスと噛み殺した笑いを漏らした。それを見てキースがますます憮然としてしまうのだが、形勢が不利なので何も言い返せない。
 その時、いきなりナタルの持っている竿の竿先が下へと強く引っ張られた。

「あ、これがアタリ、というものでしょうか?」

 少し驚きながら竿を上に上げると、いきなりガツンと一気に下に引っ張られた。いきなりの事に驚いたナタルは慌てて竿を立て、キースは口に含んでいたウィスキーを噴出して驚愕している。

「馬鹿な、ビギナーズラックだと!?」
「た、大尉、驚いてないで!」
「しかも何だよこの引きの強さは。大物じゃないか!」

 これまでの俺は何だったんだあ、とばかりに頭を抱えて苦悩するキース。ナタルは強烈な引きに何時もの冷静さを失い、半ばパニックを起こしかけていた。

「キ、キース、助けてくださいい!!」
「あ、そ、そうだった。その竿高いんだから手を放すなよお!」
「そんな事言われても――――!!」

 必死に竿を立てるナタルの腰を掴んでグイっと堤防に引き寄せるキース。だが、相手は一体なんなのか、キースをして驚くほどの力強さで2人を海に引き摺り込もうとしている。

「た、大尉、これが噂の鯛なのでしょうか!?」
「いや、たとえ磯の石鯛でもこんなにパワフルじゃない!」
「では、マグロでしょうか!?」
「可能性は否定しないぞ!」

 なにやら戦闘中以上の必死さで魚と格闘する2人。遠くから2人をニヤニヤ見ている視線にも気付かず、頑張って魚を釣り上げようとしていた。




 2人の珍妙な釣りを、ドックで艤装作業をしているパワーのウィングから双眼鏡で眺めながらアルフレットは大笑いしていた。

「だあっははははは、キースの奴、今までに見たこともねえような焦った顔してやがる!」
「……おっさんよお、流石に覗きは情けなくねえか?」

 呆れたように肩を落として忠告するオルガだったが、アルフレットにはかすり傷も与えられなかったようだ。それどころかアルフレットはいかつい顔にふてぶてしい笑みを浮かべて詰め寄ってくる。

「何言ってやがるオルガ、他人の色恋沙汰なんてのは最高の笑い話じゃねえか。これを楽しまねえで何を楽しむ!?」
「力説するなよな」
「たく、若いくせに枯れてるなあ、お前」
「うるせえ、馬鹿なこと言ってるんじゃねえよ!」

 枯れてる、といわれたのが余程気に障ったのか、オルガは殺気さえ込めてアルフレットを睨み付けたが、それくらいで恐れ入るようなアルフレットではなかった。

「へっ、なら吼えるだけじゃなく、実践してみな」
「な、なにをだ?」
「基地の女の子を引っ掛けて遊びにでも行って来いって言ってるんだよ。面は悪くねえんだし、ガラの悪ささえ何とかすれば結構もてるぞ」
「余計なお世話だ!」

 アルフレットを怒鳴りつけると、オルガは「付き合ってられるか」と言って艦の中に引っ込んでしまう。

「何処に行くんだ?」
「MSの整備だよ!」

アルフレットの問いに叩きつけるように返してオルガは視界から消え去った。それを面白そうな顔で見送ったアルフレットは、やれやれとウィングの手摺に背中を預け、空を流れていく雲に視線を移した。

「余計なお世話だ、か。まあ、少しは成長したって辺りかな」

 オルガは気付いていないのだろう。昔のオルガは話しかけても一言も口を聞かず、全てに興味を持たない男だった。やる事が無ければ一日中寝るか文庫本を読むという奇妙な生活をし、艦のクルーとは決して交わろうとはしなかった。いや、クルーに興味を持っていなかったのだ。
 それが、今では自分のMSの整備をするようになり、整備兵などの僅かな範囲ではあるが言葉を交わすようになった。自分を嫌う素振りは見せているが、こうして話に付き合っているのだから面白い。

「似てるよなあ、お前とあいつは」

 言われれば2人ともそれを激しく否定するだろうが、アルフレットから見れば2人は実に良く似ていた。今、視線の先にある堤防で必死に竿と格闘している男も、昔はああして俺に逆らっていたものだった。今では良い思い出話だが、あの頃には血で血を洗う殴り合いさえした事があるのだ。まあ、その時の経験が今に生かされ、手より先にスタンガンや模擬弾を込めた銃が出るようになったのだが。
 なんとなくオルガがキースの被害者のような気もするが、まあそれはどうでも良い事なので無視する。

「まあ、後はお前に任せた方が良いかもな。俺よりお前の方があいつを分かってやれるだろ。何しろ同類なんだからよ」

 呟くアルフレットの見ている前で、魚とのバトルに敗れた2人の体が堤防の上から海に向けて仲良くダイブしていた。





 その頃、フレイとカガリとミリィは家で軽い二日酔いに苦しんでいた。いや、正確にはカガリとミリィが苦しんでいた。

「ううう、頭が重い、気持ちも悪い」
「頭痛がする、艦長って化け物?」

 青い顔をしてソファーに伸びている2人に水を渡しながら、フレイは驚異的な酒量を見せたマリューに恐れを抱いていた。まさか、3人がかりで完全敗北間際まで追い込まれるとは。

「やるじゃない艦長、まさかこの私を潰す寸前まで追い込むなんて」
「フレイ、お前も十分化け物だ〜」

 ソファーから死にそうな声でツッコミを入れて来るカガリに、フレイは少しむっとしてしまった。両手を腰に当ててカガリの前に仁王立ちしている。

「ちょっとカガリ、誰が化け物よ!」
「フ、フレイ〜、大声出さないで〜」
「頭が、頭が割れる〜」

 苦しそうにうめき声を上げる2人。フレイはやれやれと呆れながらもこれからどうしたものかと思案を巡らせた。確か今日はあのアズラエルが3時ぐらいに迎えを寄越すと言っていた。ならばそろそろ来るのだろう。でも、この2人をこのまま置いて行くのもなんだか気が引けてしまう。

「ええと、2人とも、サイかカズィを呼びましょうか?」
「いや、それは困る……」
「こんな格好、見せられない〜」

 言われてみて、改めてフレイは頭を抱えてしまった。下着だけのカガリに皺だらけのワンピースを着ただけのミリィ、確かに男どもには見せられない姿だ。いや、ミリィはトールになら構わないかもしれないが。

「確かにカガリは不味いわね。かと言って艦には他に頼めそうな女性はいないし」
「大丈夫だ〜、死んだりしないって」
「フレイは安心して行ってきなさい〜」

 フルフルと片手を上げて答える2人だが、その様子はフレイにはまるで墓場から蘇ろうとするゾンビのように見えた。

「そ、そうなの、頑張ってね。私はとりあえず制服に着替えてるから」
「おお、あの白い制服か」
「いいなあ、私も着たい〜」
「そのうち支給されるわよ」

 頭が痛い割には元気な2人を一瞥して、フレイは着替えをしに自分の部屋へと戻っていった。そこで支給されたばかりの連合士官制服に袖を通す。いくら洒落っ気のない軍服とはいえ、やはり真新しい服を着るのは楽しいものだ。しかも士官制服は見習い制服よりも見た目がカッコよく、少し大人になれた気がしてしまう。
 まあ、フラガやアルフレットが聞いたら「そんな事を言ってるうちは子供だよ」とか言われるのだろうが。
 鏡に向かい、くるりと回ってみる。うん、私は何を着ても似合う、と自画自賛してからようやく空しさに気付き、ちょっと気落ちするフレイだった。

 暫くすると、アズラエルからのものと思われる迎えの車がやってきたので、フレイはそれに乗り込んでアズラエルの店とやらに向かった。黒塗りのリムジンという所がいささか怪しさを感じさせる上、完璧な防弾仕様車だったりするのが少し怖い。運転手曰く、「アサルトライフルでも弾けます」だそうだ。
 それを聞いたフレイは表情を引き攣らせたものだが、車は別に襲撃される事もなく無事に目的地に到着した。そこは、一見するとごく普通の小さな中華料理店であった。看板には『海燕』と書いてある。
 一瞬の躊躇の後、フレイはその扉をくぐった。中には自分達以外にも客がいるようだが、奥のテーブルについているアズラエルとノイマン、フラガが自分を見つけてくれた。

「フレイ、こっちだ」
「あ、ノイマン中尉」

 こういう状況では顔を知っている人がいるのは嬉しいものだ。フレイはトコトコと3人の所に来ると、アズラエルにぺこりと頭を下げてノイマンの隣に腰掛けた。そして、ふと視線を感じてそちらを見てみれば、何故かフラガがニヤニヤとこちらを見ていた。

「な、何ですか?」
「いや、馬子にも衣装だなっと思ってさ。なかなか似合うじゃないか」
「それって、褒めてるんですか?」

 馬子にも衣装ってのは余り褒め言葉にはならない。フレイの視線にフラガは右手を顔の前で振りながら悪い悪いと謝った。

「いや、別に悪気はないぞ。似合ってるのはマジだから。なあノイマン」
「ええ、そうですね。でもまだ制服に着られてますか」

 サラリと毒舌じみた事を言われ、フレイはちょっと気落ちしてしまった。まあ、服なんてものは着ていればそのうち板につくものだから、今はまだ仕方が無いのだが。
 それから少ししてやはり支給されたばかりの士官制服に身を包んだキラとトールがキースに引き摺られるようにして現れた。キラにしてみればブルーコスモスと食卓を囲むなんてのは御免こうむりたいだろうから嫌がって当然だろう。でもまあ、連合の士官である以上、我侭を通す事も出来ないのでキースが引っ張ってきたのだが。トールは単純にアズラエルが嫌いだからだったりする。
 そして最後にやってきたマリューとナタルが加わった事で、やっと面子が揃った事になる。だが、アズラエルは時計を見て少し渋い顔になった。

「悪いね。もう少し待ってくれるかな」
「まだ誰か来るのでしょうか?」
「ああ、僕の部下みたいな奴だけどね。今ここに来ているんで、ついでに声をかけておいたのさ。君達も会った事があるはずだよ」

 アズラエルに関係がある人物で自分達が会った事がある。そんな人が居ただろうかとフラガたちは考えただが、生憎とそんな人物は浮かんでこなかった。
 その答えが出てきたのは、当人が店の戸をくぐった時である。長身痩躯の40代の連合士官。その人物を、フラガたちは確かに見た事があった。

「サ、サザーランド大佐!?」

 マリューが吃驚した声を上げる。それでようやくこちらに気付いたサザーランドが何時ものしかめっ面のままでこちらにやってきた。

「アズラエル様、今日はお招き頂き、ありがとうございます」
「いやいや、君はよく頑張ってくれてるからね。たまには労ってやらないと僕の人間性が疑われそうだ」
「心配しなくても誰もおかしいとは思わないだろ」

 サラリとツッコミを入れるキース。アズラエルのこめかみにビシリと青筋が浮かぶがキースは意に介した風もなくお茶を啜っている。アズラエルが特に言い返さないところを見ると、どうやらキースが彼にツッコミを入れるのは珍しい事ではないようだ。
 サザーランドが来た事で面子が揃い、全員の前に料理が並べられていく。中華料理店なので出てくるのは中華ばかりなのだが、それを見たキラは、何故か頭の中で警鐘が鳴り響くのを感じていた。ここ最近酷い目にばかりあっているせいか、その危険を感じ取る嗅覚は異常に発達してきているのだ。何と報われない、幸薄い人生であろうか。
 そして、その料理を口に運んだフラガが一瞬固まり、そしていきなりグラスの水をがぶ飲みしだしたのである。

「フ、フラガ少佐!?」
「何だこれ、無茶苦茶辛いぞ!?」

 フラガの言うとおり、その料理は全てが激辛であった。ナタルは口を押さえ、トールとキースは汗をだらだらと流し、キラはおろおろとしている。男性陣が口に運んでいるので仕方なく女性たちもそれを口に運び、ナタルはフラガのようにグラスを手に取り、フレイはフルフルと身体を震わせてキラを見た。その目からはポロポロと涙が零れている。

「キラ、これ、凄く辛いの」
「う、うん、分かったからフレイ、何も泣かなくても」

 どうやら辛い物が苦手らしいフレイには、この料理はわりと耐えられなかったようだ。だが、そんな中で1人だけ気にした風も無くそれを口に運ぶとんでもない人がいた。それを見たナタルが唖然として問いかける。

「か、艦長、平気なのですか?」
「え、何が?」
「こんなに辛いのですよ?」
「何言ってるのよナタル、これ位じゃないと美味しいとは言えないのよ」

 全く気にした様子も無く真っ赤に染まった回鍋肉を平らげていくマリューの姿に、ナタルは戦慄を禁じえなかった。この人の味覚は一体どうなっているのだ、という疑問だけが頭の中を締めている。そして、マリューと同じ物を平然と平らげたアズラエルが嬉しそうにマリューを見ていた。

「いやあ、この味が分るとは、艦長さんは中々に味が分る人ですねえ」
「あら、アズラエルさんこそ、まだまだ食べられそうですね」
「当り前ですよ。僕に限界はありません」
「私も追加をお願いしていいでしょうか?」
「勿論。味の分る人にこそ食べていただきたい」

 アズラエルは随分機嫌が良いようで、平然と追加オーダーを出してくれる。だが、運ばれてくる毒々しい赤色の豆腐を見て他の者は顔を引き攣らせてしまった。キラは相手がブルコスで軍のお偉いさんだということも忘れてサザーランドに小声で問いかけた。

「あ、あの、この人っていつもこうなんですか?」
「……うむ、アズラエル様の味覚は常人とはかなりずれていてな。所謂悪食という奴なのだよ」
「これって悪食って言うんですか?」
「そうとしか言えまい。付き合わされる私は必ず体調が悪くなるのだ」

 この人も苦労してるんだなあと知り、キラは天敵とも言えるブルーコスモスの幹部に何となく同情してしまった。ひょっとしたら、自分よりこの人の方が不幸なのではとこの時ばかりは思ってしまった。




 食事も終わり、飲茶などを手にのんびりとした時間が漂うかに見えるのだが、実はわりとヤバゲな空気が漂っている。その発生源はもっぱらアズラエルとキースだ。アズラエルはにこやかに、キースはむっつりとして会話を弾ませている。

「いやあ、あの頃は散々だったねえ」
「お前のせいでな」
「コーディネイターの輸送船に爆弾を仕掛けた事もあったねえ」
「俺はやった覚えは無いぞ」
「一緒にパトリックやシーゲルの命を狙った事もあった」
「……あれは貴様の仕業だったのか」
「各国の政界や財界に圧力かけてプラントに強攻策を取らせたり」
「……おのれは、人の足引っ張る事しか出来んのか?」
「やだなあ、僕がいつ君の邪魔をしたんだい?」
「とりあえず、今までの自分の台詞を思い出してみろ」

 どう見てもこの2人は友達ではない。いや、と言うか本当に元同僚だったのだろうか。アズラエルはニコニコと笑いながらキースの機嫌を損ねる事ばかり言ってるし、キースは何やら殺気さえ滲ませてツッコミを繰り返している。
 余りの空気の悪さに耐えられなくなったキラはまたサザーランドに問いかけた。

「あ、あの、この人たちって一体、どういう関係なんですか?」
「うむ、まあ、昔に比べればこれでも随分関係改善しているのだよ」
「あの、そんなに酷かったんですか?」

 フレイとトールも話しに加わってきた。サザーランドは3人の子供に視線を向けられて少し戸惑っていたが、それくらいで話に詰まったりはしない。流石は参謀本部の切れ者参謀である。

「元々、キーエンスはアズラエル様に迎えられる形でブルーコスモスに入ってきたのだ」
「あの、キースさんにどういうツテがあったんです?」
「それは彼から聞いてくれ。私が言うべき事ではないだろう」

 どうやらかなり複雑な事情があるらしいと察するフレイとトール。だが、キラだけは前から時折感じているキースの持つ不思議な能力に関係があるのではないかと思っていた。キースはかつて、暴れる自分を取り押さえた事があったし、コーディネイターの歩兵に白兵戦で勝利している。
 ナチュラルが訓練したコーディネイターの兵士に勝てるわけが無いのだ。なのにキースは平然と勝ったと言っていた。敵中に最後まで留まり、帰ってきたら全身返り血まみれだったのだから、それは嘘ではないのだろう。少なくとも生き残れるだけの実力はあるのだ。

「あの、1つ教えて欲しいんですが」
「なんだね、キラ・ヤマト少尉」

 サザーランドの灰色の目がキラの顔を射抜く。その視線に晒されたキラは文字通り竦みあがってしまったが、別にとって食われる訳でもないだろうと思い、気を落ち着かせた。しかし、このサザーランド大佐の持つ迫力はどこか桁が違っている。ナチュラルとコーディネイターの分類を超えて、本当に凄い人は凄いということなのだろう。どれだけ力があって知能が高くても、自分などこの人の前では呼吸さえ困難になるほどに気圧されてしまうのだから。
 些かの怯みを見せながらも、キラは自分の抱いた疑問をサザーランドにぶつけた。

「キースさんは、前にザフトの兵士と白兵戦をして生き残りました。ナチュラルに出来る筈が無い事を、どうしてキースさんは出来たんです?」
「それは……」

 答えるのを渋るサザーランド。余程深い理由があるのだろうとキラは察したが、サザーランドが答えるよりも早く第3者がそれに答えてしまった。

「ああ、それは簡単ですよ。キーエンスはコーディネイターを殺す為の力を人工的に付与された調整体だからです」
「は?」
「調整体?」
「なんです、それ?」

 キラとトールとフレイがアズラエルの方を見る。逆に語るのを躊躇っていたサザーランドは顔を引き攣らせ、キースの顔色が一気に青褪めた。アズラエルはキースとサザーランドの慌てぶりを楽しむかのように薄く笑うと子供達の疑問に答えだした。

「君達も会っただろうけど、オルガ・サブナックが現在の技術で作られたブーステッドマン。彼は脳内インプラントと薬物強化で身体強度と反応速度をコーディネイター以上に引き上げた戦闘用の人間なんです」
「なんで、そんな酷い事を……」

 人間を強化したと聞かされ、フレイが悲痛な声を漏らした。他の者も信じられないという目でアズラエルを見ているが、アズラエルは詫びれずにそれに答えた。

「元々彼は死刑囚だったんだよ。それを研究に手を貸すことで生きる道をあげたんだ。感謝されこそすれ、文句を言われる筋合いは無いでしょう?」
「でも、そんな非人道的な事をするなんて。人の身体を弄んでどうしようって言うんですかっ?」
「決まってますよ。コーディネイターどもを地球から叩き出すんです。元々はキーエンスだってコーディネイターに対する抑止力として当時の遺伝子研究者達が生み出したんですからね」
「抑止力?」
「そう、抑止力。遺伝子研究者たちは際限なく人類の究極を求め続け、次々に強力なコーディネイターを生み出していきました。ですが、その際限ない強化に畏怖した研究者達はコーディネイターがいずれ自分達に牙を剥く日を予見し、コーディネイターに対する抑止力としてさまざまな研究を開始しました。その1つがブーステッドマンの研究です」
「それが、その……」
「そう、彼。キーエンスはその時に体の一部を人工物に置き換えられた実験体の1人なのです。彼は筋組織、肺など運動に関わる部分の一部を人工物に置き換えることで優れた身体強度とを持ったわけです。彼がコーディネイターでも不可能とされるGに平然と耐え切ってMAを使いこなし、「エメラルドの死神」と呼ばれるようになったのはその人間を超えた身体のおかげなんですよ。まあそれでもオルガ・サブナックに較べれば大した事無いんですがね」

 アズラエルの言葉にサザーランドを除く全員がキースを見た。キースは怒りに身体を小刻みに震わせていたが、否定しない所を見るとそれが真実だということなのだろう。ナタルがキースに気遣うような視線を向けているが彼が気付く様子は無い。
 そして、アズラエルは決定的な事を口にし始めた。

「まあ、普通のコーディネイターに対するならそこまでの無茶は必要なかったんですがね。ブーステッドマンは当時は調整体と呼ばれていて、L4メンデルという研究所で研究されていた、最高のコーディネイターに対する抑止力だったんです。まあ結果としてはこれだけ無茶をしても1対1ではその最高のコーディネイターの想定ポテンシャルに及ばなかったんですがね」
「最高のコーディネイター?」
「まあ、全ての面でこれまでの常識を超えた能力を与えられたコーディネイターの事だよ。膨大な犠牲の末に何人かの失敗作を経て、何とか完成品が出来たそうですよ」
「なんで、そんな下らない物を求めたんでしょうか。その科学者達は?」
「その理由は、全ての始まり、諸悪の元とも言える理論、随分昔に出てきたSEEDと呼ばれる理論です。人の進化の可能性、更なる高みへの階梯、言葉を介さず、状況を超えて理解しあえる人間。それがSEEDを持つ者たちと呼ばれています。元々コーディネイターとはこのSEEDを持つ者をナチュラルに受け入れさせる為の橋渡し的な役目を負わされていたのですが、何処をどう間違ったのかコーディネイターたちは自分を進化した人類だと言い出しました。究極のコーディネイターとはこの誤った認識の暴走が生んだんですよ」

 そこでアズラエルは一度言葉を切り、ジロリとキラを睨み付けた。その視線に含まれた悪意にキラは息苦しさを感じてしまう。

「君もそうでしょう。ナチュラルは自分より劣った存在だと、これまで考えたことが無いとは言わせませんよ。そのナチュラルを見下した視線が許せないから僕たちはコーディネイターを認められないんですから」
「でも、だからって何も殺さなくても。核まで使って……」
「核を使ってまで自分達を殺したいのか、ですか。どうしてそこまで憎悪されることになったのか、その理由を考えたことはありますか?」

 アズラエルの問いにキラは言葉に詰まり、そして力なく首を横に振った。これまで両親に伴われて月からヘリオポリスと移り住んでいたが、何処でもなるべくコーディネイターである事を隠し続けて生きてきた。もしばれれば周りの自分を見る目が変ることは明白だったし、何よりブルーコスモスに見つかるのが怖かったのだ。
 どうして自分達を狙うのか、何で自分達がこんな目に会わなくてはいけないのか、これまでずっと考えては苦しみ、そしてナチュラルへの憎しみを常に心のどこかに抱え続けてきた。だが、自分たちが何故憎まれているのかを考えたことは無かった。いや、そんな事を考える人間はまずいない。いるとすれば、それは何かが壊れている人間だろう。
 そしてアズラエルは、今度はフレイを見た。

「言ったでしょう、フレイ・アルスター。コーディネイターなどに近付いては、お父様が悲しみますよ。あの方もブルーコスモスだったのですから」
「……そんな、嘘よ」
「嘘じゃありません。ジョージ・アルスターはブルーコスモスとして大西洋連邦内における我々の勢力拡大に随分役立ってくれました」
「…………」
「そのジョージ・アルスターのお嬢さんがコーディネイターの少年と仲良くなるのは、色々と問題があるんじゃないですか。お互いの為にも距離をとっておいた方が良いですよ。まして、彼の同胞は貴女のお父さんの敵なのですよ」

 アズラエルの言葉に、フレイは足元が崩れていくような衝撃を受けた。忘れたかった過去、目を背けていた現実、知りたく無かった父の素性、その全てが自分に再びこれまで犯してきた罪を蘇らせてしまう。

『コーディネイターの癖に、馴れ馴れしくしないで!』

「嫌……」

『あんた、コーディネイターだからって、本気で戦ってなかったんでしょう!?』

「やめて……」

『キラは、戦って戦って死ぬの、そうじゃなきゃ許さない』

「私……私は……」

『私はあなたを、道具にする為に近付いたのよ』

 両腕を抱えてカタカタを震えだしたフレイを心配そうに見るキラ。何をそんなに怯えているのかと思い、その肩に手を置こうとしたが、手を近づけた途端、フレイはビクリと震えて避けた。

「フレイ?」

 避けられたことに少しショックを受けながらも問いかけたが、フレイは混乱したように右手で髪を掻きあげ、何か聞き取れない声で呟いている。そして、いきなり表情が恐怖に歪んだかと思うと、泣き出しそうな声を紡ぎ出した。

「ご…ごめ……ごめんなさい。わ、わたし……」

 堪らなくなった様にフレイは立ち上がるとそのまま駆け出して店を飛び出してしまった。

「フレイ!?」

 残されたキラは呆然とその場に立ち尽くし、フラガやノイマン、サザーランドは事態に付いていけず戸惑っている。フレイとキラの余りに複雑すぎる関係を知っているキースやトール、マリュー、ナタルはフレイの変化の理由を察しており、アズラエルに憎悪の篭もった視線を向けていた。
 だが、誰もアズラエルを咎める言葉を口に出来ないでいる。何故なら、アズラエルの言った事は今の時代を考えれば、必ずしも間違っているとは言えないからだ。

 誰もがフレイの後を追えないでいる。いつしか外には雨が降り出し、彼女の姿を闇の中に完全に隠してしまう。フレイは、マドラスを包む闇の中に消えてしまったのだ。



後書き

ジム改 キースの素性がようやく判明。
カガリ 読者はとっくに気付いてると思うぞ。
ジム改 それを言うなって。
カガリ で、キースって凄いの?
ジム改 ナチュラルより体は凄く頑丈。この点だけは並みのコーディに勝るよ。
カガリ それ以外は?
ジム改 ナチュラルとしては優れてる。コーディには及ばない。
カガリ オルガってコーディを軽く捻り殺せる位凄いんだよな?
ジム改 設定ではそうらしいな。
カガリ 何でそんなに弱いの?
ジム改 所詮実験体だもの。2人の間には技術的に20年の開きがあるし。
カガリ じゃあキースがエース張ってるのは?
ジム改 本人の努力と特性を生かした戦法のおかげ。知識量も物を言ってる。でもフラガより弱い。
カガリ 最初の頃はあんなに強かったのに。
ジム改 今でも強いよ。ただ教え子達が強くなってきただけで。
カガリ ところで、フレイは収拾付くのか?
ジム改 多分。一応マドラス編は中盤の山場だし。
カガリ 何故に? 山場と言えばアラスカでは?
ジム改 それはまだ秘密。

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