第55章  再会は嵐と共に



 1人、キースはあてがわれた官舎の屋上に椅子とテーブルを持ち込んで、傾いている日差しの中でのんびりと本を読んでいた。そのタイトルは何故か『ウサギとカメ』。
 久しぶりののんびりした時を満喫しているようで、その眼差しは完全にボケが入ってるのではと思えるほどにゆったりとしている。

「そのままゴールまで走り抜ければ勝ちだったのに。油断は禁物だね」

 くっくっくと笑いながら空いた方の手をジュースに伸ばした。周囲には誰もおらず、久しぶりに1人の時間を満喫しているキースは、実に満足そうであった。


 

 フレイとセランは猜疑心の塊になっていたエルフィとフィリスからアスランを救出してセランの家へとやって来ていた。アスランだけはもうふらふらになっていたが、ある意味何時もの事なので放っておいても大丈夫らしい。エルフィに手を引かれればちゃんと歩くのがかなり怖いが。
 フレイはセランにアスランの事をオーブの学生だと紹介している。ザフトのパイロットだなどと言えばこの場で拘束され、そのまま憲兵隊に引き渡されてしまうのは確実だからだ。大西洋連邦の兵士としてみるならフレイの選択は完全な利敵行為なのだが、軍人としての正規の教育を受けていないフレイにはそういう発想が無く、単純に知り合いを庇っただけに過ぎない。
 アスランもフレイを戦争が始まった後にヘリオポリスに疎開してしまった友人だと話を合わせており、フィリスとエルフィとセランを誤魔化している。フレイは連合士官の制服を着ているので連合軍であることは一目瞭然なのだが、2人とも特にアスランの言葉に疑いをかけたりはしなかった。今の時代、志願兵など珍しくは無い。

 セランの家は内陸側の丘を上がった斜面に立っている大西洋連邦風の造りをした家だった。セランの先導で家に入った4人はとりあえずリビングに通され、セラン自身は奥の方に行ってしまった。両親にでも話に行ったのだろうか。
 残されたフレイは少し不安そうに横目でちらちらとエルフィとフィリスを見ている。アスランと一緒に居たという事は、この2人は間違いなくザフトの兵士なのだ。だが向こうの方も何故かこちらをちらちらと見ており、物凄くいずらい雰囲気が漂っている。いや、エルフィはともかくフィリスは何だか疲れた顔をしているだけだが。
 そしてこの雰囲気に耐えられなくなったのか、フィリスがフレイに声をかけた。

「あの、フレイさん、でしたか?」
「は、はい」
「失礼ですが、アスランさんとはどういう御関係なのでしょうか。先程のお話では偶然胸を触られたという事でしたが」

 フィリスの問いにフレイはたちまち窮地に立たされてしまった。1体どう答えれば良いのだろう。エルフィのほうも何やら真剣な眼差しでじっとフレイを見ている。答えに詰って困り果てているフレイにフィリスとエルフィがずいっと詰め寄って答えを迫っていると、いきなり2人の背後から声がかけられた。

「2人とも、余り彼女を困らせるんじゃないぞ」
「あ、正気に戻りましたか」

 エルフィが正気を取り戻したらしいアスランに体ごと向き直る。アスランは頭を軽く振ってぼやけた頭に活を入れると、心配そうに自分を見ているエルフィに無理して笑顔を作って頷いてみせ、そしてなんとも恨みがましい表情でフレイを見た。

「お前は俺に何か恨みでもあるのか?」
「……とりあえず色々とあるけど、心当たりない?」
「…………」

 あの洞窟の一件以降も幾度かアークエンジェルを攻撃した事を思い出し、アスランは沈黙してしまった。とりあえず恨まれる当てはあったのだ。そして何故か言い負かされてしまったアスランにフィリスとエルフィは再び猜疑心の塊と化した視線を向けてきた。

「アスランさん、やっぱり何か恨まれる事したんですね?」
「い、いや、それは、その、なんと言うか……」
「答えられないような事をしたのですか?」
「ば、馬鹿な、そんな疚しい事はしてないぞ!」

 流石に我慢できなくなったのか語気を強めて言い返したが、すると2人は再びフレイに詰め寄って行った。

「フレイさん、一体何をされたんですか。怒らないから正直に話して下さい」
「そうです。貴女には辛い記憶かもしれませんが、これはとても大切なことなのです」

 全くアスランを信用していない2人の追及にフレイはアスランを見やり、視線で謝った。それを見てアスランがフレイに手を伸ばそうとしたが、それが伸びきるよりも早くフレイはヤバイ箇所だけ省いて事実だけを語りだした。とりあえず武器とか軍とかの箇所は全て省いてしまう。

「え、ええとね、いきなり脅されて人気の無い場所に連れ込まれて一晩中拘束されてた、かなあ。翌朝には開放されたけど。その後も暫く付き纏われてちょっかいかけられたかな」

 とりあえず嘘は言っていない。嘘は言っていないのだが、フレイの自白内容はアスランをただの変質者にしてしまっていた。それを聞いたエルフィはもう泣きそうになり、フィリスは今度こそ殺意の篭もった目でギロリとアスランのほうに振り返る。振り返った先ではアスランが忍び足でベランダから外に逃げようとしていた。

「アスランさん、どちらへ行かれるんですか?」

 アスランの背中にフィリスの穏やかな声がかけられた。だが、この状況で穏やかな方がいっそ恐ろしい。アスランは錆付いた機械のようにギギギと首だけで振り返り、そこに鬼を見た。

「アスランさん、ちょっとそこにお座りなさい」
「フィ、フィリス、お、お、落ち着いて話し合わないか?」
「あら、私は落ち着いていますよ。落ち着いていなかったら、今頃何をしていますか」

 なんとも恐ろしい事を言うフィリスにアスランは顔を脂汗で埋め尽くしながらフィリスの前にちょこんと正座した。そしてフィリスがアスランに懇々とお説教を始め、時折ラクスかお父上に言いつけますよとかの脅しを交えている。それを聞いているアスランは脂汗をだらだらと流しながら小動物のように縮こまっていた。
 それを見ていたフレイは困った顔でエルフィに話しかけた。

「あ、あの、誤解しないで欲しいんだけど、別に変な事はされなかったわよ」
「行動が既に十分過ぎるくらい変なことです」

 もう情けないやら恥ずかしいやらで泣きながらブツブツ言い続けるエルフィに、フレイは困り果ててしまった。嘘は言っていないのだが、撃墜されて拘束されていたとか、アークエンジェルを追撃されていたとかをつけ加えたら色々と面倒な事になってしまう。ここは悪いとは思うが、アスランに犠牲になってもらうのが最善のようだ。とりあえず自分が上手く誤魔化さなかったという事実は因果地平の向こうへと放り捨てて蓋をしておこうと決めた。
 それから暫くして、この凄惨なリビングにセランが戻ってきた。

「少尉、母さんの許可は取り付けましたので、今日はうちに泊まって行ってください。そちらの3人も一緒にどうぞ」

 セランがリビングに来た頃にはフィリスの小言も終わっており、アスランはまたぼーと無気力になっているが、まあ連れてきた時と特に違いは無いのでセランは別に不思議には思わなかった。まあフレイとエルフィは困り果てていたりするのだが。


 

 セランの母はセランを少し年を食わせた感じの人で、レイラ・オルセンといった。父は少し中年太りが見られる人でバス・オルセンという。バスは食堂で新聞を広げるような、実際に居たらちょっと変わり者な人だったが、レイラは夫と違って人当たりの良いお母さんだった。
 ちなみにボーマンは今日も夜勤だそうで帰ってこれないらしい。そこそこ経験を積んだ中尉など、扱き使ってくださいと宣伝しているような立場なのである。

「お客さんが来るなんて久しぶりだから、少し張り切ってみたわよ」

 4人の前にはテーブルを埋め尽くすような料理の一個師団が並んでいた。それを見たフレイとフィリスが顔を見合わせてしまう。どう考えてもこれは食べきれる量ではないだろうと思ったのだ。
 だが、残りの2人はとても嬉しそうだった。

「わあ、美味しそう。ここ暫く味気ない食事ばかりでしたから、こんな御馳走は久しぶりです」
「ああ、家庭料理は久しぶりだ。前に食べた時は死ぬかと思ったが」

 何故かアスランは目尻に涙を光らせてさえいる。昔に何かあったのだろうか。そのまま和やかな雰囲気で夕食が始まり、エルフィの物凄い;:食欲にフィリスとフレイが驚いたり、セランの失敗談に皆で大笑いしたり、オルセン一家のこれまでの苦労話に真面目に聞き入ったりしてワイワイと騒いで楽しい夕食を過ごしていた。
 そして食事が終わって一息入れようかという時になって、ふとバスがアスランに声をかけた。

「アスラン君、だったかな?」
「え、はい、何か?」

 突然声をかけられてアスランは少し緊張してしまった。バスは読んでいた新聞を畳むとテーブルの上に置き、とても真剣な顔付きでアスランに1つの質問をぶつけた。

「君は沢山の女性を連れているが、本命は誰なのかな?」
「…………」

 問われた内容を、アスランは暫し理解できなかった。それがかなりの負荷がかかって処理が遅くなっている脳内で処理できた時、アスランは顔を赤くして否定しだした。

「ち、違います、この3人はただの友達ですよ!」

 ただの友達といわれてエルフィが目に見えて落ち込み、フィリスがポンと肩を叩いている。それを見たフレイが何だか理解の色を瞳に浮かべ、セランがその目に危険な光を宿す。そしてバスは「フム」と呟いて顔を赤くするアスランに忠告しだした。

「アスラン君、相手を探すならじっくり考えた方が良いぞ。私もじっくりと考えてレイラさんを手にしたのだからな」
「いやあの、俺はまだ16なんですが」
「いやいや、今のうちから品定めをすることが大事だよ。出会いは限られているからね。例えばうちの娘を見たまえ」

 言われてアスランはセランを見た。セランは黙っていればコーディネイターの中でも大人の落着きを感じさせるそれなりの美人なので、アスランもじっと見られると内心ドギマギしてしまう。最もセランからすればアスランなどまだ16歳の子供としか映らないので完全な対象外である。
 
だがバスは、別に娘を紹介するようなことはしなかった。

「見た目に騙されてはいかんぞ。うちの娘は美人だが、性格はかなり歪んでいて凶暴だ。過去に幾度か付き合った事もあるが全て振られてしまっている。君も付き合う相手は良く調べたまえ」
「いきなり自分の娘の悪口言うんじゃない!」

 一瞬で怒り沸点に達したセランがテーブル上の皿を掴んで投げつけたが、バスはそれを軽々と受け止めてしまった。そのふざけた反応速度に他の4人が目を丸くして驚いている。

「こらセラン、物を投げるなと何時も言っているだろう」
「喧しい。大体どうして何時もこの距離で受けられるのよ!?」

 心底悔しそうに右拳を握り締めて地団太踏んでいるセランを見て父は詰まらなそうに皿をテーブルに戻した。それを見届けた後でアスランとフィリスが恐る恐る問い掛ける。

「あ、あの、貴方はオリンピック選手か何かですか?」
「コーディネイターでもあれは反応できませんよ」

 その問いを受けたバスは2人の疑問に答えてくれた。

「いや、私はただのサラリーマンだよ」
「な、何でサラリーマンにこんな超人的な能力が……」
「いやなに、これ位出来なければレイラさんと付き合うことなど出来んのだよ。なにしろおっ!?」

 喋っている途中でいきなりバスが真横を向いて両手を顔の前で合わせた。その両手には何故かフライパンが挟まれており、視線の先にはニコニコ笑顔に十字マークを浮かべたレイラがいた。

「あなた、人を危険人物呼ばわりしないでくれないかしら」
「とりあえず、人をフライパンで殴らないようになったら考えても良いんだがね」
「あら、そうですか。じゃあ明日からは中華鍋にしますね」

 ニコニコと物騒な事を言うレイラ。それを聞いてバスは額に汗を滲ませたが、特に何も言い返したりはしなかった。むしろそのやり取りを見ていた4人のが驚いているというか腰が引けている。そんな異様な世界で、フレイが震える声を漏らした。

「コ、コーディネイターの家庭って、凄く怖いのね」

 フレイの口から漏れた呟きを聞き取ったアスラン、エルフィ、フィリスの顔が驚愕に引き攣りまくった。

「待てフレイ、それは誤解だ!」
「そうです、私の両親はこんな事してません!」
「お願いですからこの家庭と一緒にしないで下さい!」

 こう、これが一般的なコーディネイターだと思われるのは彼らの中の何かが受け入れられないようだ。物凄く必死な顔でフレイに詰め寄りながら訴えている。エルフィに至っては完全に涙目だ。
 その3人の剣幕に押し切られたフレイはコクコクと頷く事でその意見を受け入れたが、フレイにはオルセン夫婦よりも3人の方が怖かったりする。とにかく目が怖い。



 

 とりあえずレイラが洗物に戻ったので、表面上落ち着きを取り戻した食卓に戻った4人は未だに殺気を放っているセランと、それを向けられても面の皮だけで散らしているバスに冷や汗をかいていた。凄くデンジャラスな一家だ。
 だが、その中で1人だけバスに声をかける者がいた。アスランである。

「あの、1つ聞いても良いですか?」
「何かね。言っとくが娘の3サイズは駄目だよ」
「いえ、そういう事じゃなくて、貴方達はコーディネイターですよね」
「ああ、そうだが、それがどうかしたかね?」
「コーディネイターなのに、どうして大西洋連邦に居るんです? 何故プラントに移住しないんです?」

 その問いにフレイとエルフィとフィリスはギクリと体を硬直させてしまった。何て事を聞くのだこの男は。
 バスはその問い掛けに、寧ろ不思議そうに聞き返してきた。

「何故プラントに行かなくてはいけないのだね。私達は長年ここに住んでいるのだよ」
「でも、コーディネイターはナチュラルに迫害されます。貴方達だってそうなのではないんですか?」

 アスランの目には強い光が宿っている。何故この一家は大西洋連邦にいるのだ。どうして娘を軍に入れて自分達と敵対しているのだ。その答えをアスランは知りたかった。ザフトは地球に侵攻した際、地球に残されていた大勢のコーディネイターを『救出』してプラントに移送しているのに、何故。

「迫害か。確かに無かった訳ではない。ここ最近はその傾向が酷くなっているのも否定はしない」

 バスは新聞を広げ、その中の記事の1つを指差した。そこには各地で反コーディネイターのデモや集会が開かれ、プラントを全滅させろというキャンペーンを張っている。

「こういう世界だ。確かに私達が生きていくのは楽ではない」
「ならどうして?」
「どうして、か。その答えはセランに聞いてくれ。私はただ、ここが気に入ってるだけなのでね」

 そう言ってバスは食後のお茶に手を伸ばした。もう自分の言う事は無い、という意思表示なのだろう。それで仕方なくアスランはセランを見たが、セランはセランで何だか凄く腹立たしそうであった。

「何でそんな分かりきった事を今更言わなくちゃいけないのよ。少尉にも今日言ったばかりだし」
「分かりきった事、ですか?」
「当り前でしょ。ここは私の故郷で、私は大西洋連邦の人間なの。だからここに居るのよ」
「それで、同胞を敵にしていると?」
「そんなの知った事じゃないわよ。あっちがどう思ってるか知らないけど、こっちからすればプラントは侵略者なの。だから私と兄さんは軍に入って侵略者と戦ってるのよ。何かおかしい?」

 侵略者呼ばわりされたアスランは頭の中が真っ白になってしまった。同じコーディネイターからこんな侮辱を受けるとは想像もしていなかったのだ。こっちから見ればオルセン一家の方が裏切り者なのに。
 しかし、アスランは怒鳴りつけたい衝動を渾身の力で押さえ込んだ。自分は表向きはオーブ在住のコーディネイターなのだ。ここで怒りを面に出せば色々と面倒な事になる。

「同じコーディネイターを、自分の同胞を殺す事に対する罪の意識は、無いんですか?」
「ある訳無いじゃない、戦争中なんだし。それと、私の仲間はこの街の人たちと基地のみんなよ。戦友を大勢殺してきたザフトは私にとって敵だわ。そりゃ、最初は色々されたし、変な目でも見られたけど、助けてくれた人だって居たのよ。みんなも今では私を仲間だと認めてくれてるわ」
「……貴女にとっては、ナチュラルの兵士が同胞だと?」
「当り前じゃない、ずっと一緒にやってきたんだから。それとも何、君はこれまで一緒にやってきた仲間をあっさり捨てる事が出来るの?」

 セランの問いにアスランは無言で首を横に振った。これまで一緒にやってきた仲間をあっさり裏切るなど、出来る筈が無い。そう考えればセランの言い分も理解できないではないのだが、受け入れるとこれまで信じてきた何かを失ってしまうので、認めることは出来ない。
 セランは不服そうなアスランを「なんなの、この子は?」という目で見ていたが、アスランにそれ以上の追求をする事は無かった。フレイがさっきから視線で「もう止めて」コールを延々と送り続けていたりするのも影響していたかもしれない。





 食事を終えた後、彼らはそれぞれの部屋へと戻っていった。とはいえ男はアスラン1人なので個室を与えられており、セランの部屋にはフレイが、フィリスとエルフィにも一部屋が与えられている。だが4人の女性はセランの部屋に集ってわいわいと騒いでいるので、隣にいるアスランは聞こえてくる笑い声に寝る事も出来なくなってしまった。

『フレイさん、胸大きいですね』
『そ、そんな事は無いわよ』
『いいえ、あります。私なんて見た目で分かるぐらいに負けてます……』
『エルフィさん、大丈夫ですよ。あなたは十分魅力的です。第1、まだこれからじゃないですか』
『そ、そうですよね。私まだ15歳ですし』
『そうよ、気にしなくても男は向こうから寄ってくるんだから』

 聞こえてくる会話にアスランは顔を真っ赤にして頭を抱えてソファーで頭を抱えていた。なんつう会話をしているのやら。しかも会話の内容から蘇ってくるのはあのフレイと初めて会った日のしっかりと手に残っている感触である。

『あの、私も15なんだけど……』
『…………』
『エ、エルフィさん、そんな隅っこでいじけなくても』
『良いんです、ほっといてください』
『大丈夫。胸の小さい方が好みって男も沢山居るから』
『それは慰めで言ってるんですかあ!』

 どうやらエルフィが泣いているらしい。しかし……

「あれで15歳だったのか」

 手の感触からサイズを妄想したアスランは一瞬表情が緩んだ。その時、アスランの耳に何処からとも無く声が聞こえてきた。

『ようこそ、ドリーミングの世界へ』

 その声に現実に引き戻されたアスランは慌てて周囲を見回し、誰もいない事を確認した。何だ今の声は。いや、あれは幻聴だ。幻聴なんだと必死に自分に言い聞かせる。だが言い聞かせれば言い聞かせるほど悶々と変な妄想が浮かび、ドリーミングの導き手が手招きする姿が見える。
 見えない何かを拒み、否定し続けるその姿はまるで幻覚に苦しむ薬物中毒者のようにも見えた。





 そしてようやく隣の部屋が静かになった頃になって、自らの内なる獣との戦いに勝利したアスランは荒んだ心を抱えたままベランダに出た。決してベランダで繋がってる隣の部屋の女性に夜這いをかけようとかの不届きな理由ではなく。単純に外の空気が吸いたかったのだ。
 ベランダの手摺に両腕を乗せて持たれかかり、丘を駆け上がってくる夜風を浴びて気持ち良さそうに目尻を緩める。この街に来て、何だか初めて心安らぐ瞬間を迎えたような気がした。

「ふう、1人は良い。周囲は静かだし、書類も無いし、頭下げに行かなくても良いし、胃薬も飲まないで良いし……」

 ずらずらと並べていって、アスランはまた落ち込んでしまった。本当に、何でこんな毎日なんだろうと考え込み、日頃の行いが悪かったかと過去の所業を思い起こす。

「……特に心当たりは無いんだが」

 まあ、戦争中なので人殺しが罪になる云々は棚上げにしておいて、とりあえず過去の所業にここまで酷い目に合わされるような悪事は無い筈だ。そもそも俺は何時頃からこんな目に会うようになったのだろうと考え、あのヘリオポリス以降だと気付いてガックリとその場に膝を付いてしまった。

「やっぱり、中立国のコロニーを問答無用で襲撃して破壊したのは許されないことだったのか……。だから罰が当たったのか……でもなんで俺ばかり……」

 ちなみに、破壊したのはコロニー内で重火器を撃ちまくったキラやアークエンジェルクルーであってアスランたちではないのだが、表向きにはザフトの攻撃で破壊された事になっているのだ。
 心を落ち着かせようとベランダに出たのにここでも苦悩しているアスラン。だがその時、いきなり背中の方からガラガラという音が聞こえた。誰かが戸を開けたのだ。背後を振り返ってみれば、何故か右手で目を擦っているフレイが不機嫌そうな顔で立っている。

「ど、如何したんだ、フレイ?」
「……アスラン? あなたこそ何でこんな所にいるの?」
「俺は、ちょっと夜風に当たりたくてな」

 アスランの答えにフレイは妙に眠そうな目でじっとその顔を見詰め、ボソリと問い掛けてきた。

「夜這いする気じゃないわよね?」
「するかっ!」

 フレイの問いにアスランは全身で怒りを表しながら否定した。






 些か寝ぼけ眼のままのフレイと肩を並べて手摺にもたれ掛かったアスランは、マドラスの夜景を見ながらフレイとあの時の続きのような事を話しあっていた。フレイは眠そうではあったが、時折頷いたり返事を返したりするので聞いていることは間違いない。

「あの時、君は言ったな。子供を親の都合で操作するのは間違っていると」
「ええ」
「あの時は否定したが、今では否定できないかもと思うようになった。俺達にもコーディネイターなりの問題があると知ってしまったからな」
「……問題ばかりなのは、どっちも同じか」

 ぐったりとしながらもやれやれと肩を竦めるフレイ。敵も味方もいろんな問題を抱えている物らしい。

「結局あれね。遺伝子弄ろうと人間は人間なのよね。頭良くなってもやる事は変わらないのよね」
「……前に話した時とは少し変わったな。あの時はコーディネイターは碌でもない奴ら、じゃなかったか?」
「こっちも色々あったのよ。あれからもいろんな人にあって、いろんな物を見て、色々知らない事を知ったわ」

 そう、本当に色々あった。キラと戦い、死者の街で物資を探し、ドゥシャンベで同じナチュラル同士が対立する姿を見た。そして、その対立を越えて助け合う姿も見てきた。新しい友達も出来た。そして、今こうしてコーディネイターの中にナチュラルが1人という異常な状況に置かれても何故か余り気にならなくなってしまった。この疾風怒濤の日々の中で、何か色々と磨耗してしまったらしい。

「昔の私だったら、貴方とのんびり話すなんて絶対に無かったわ。コーディネイターなんて不気味な化け物としか思ってなかったもの」
「ぶ、不気味な化け物、ね」

 化け物扱いされてアスランは表情を少し引き攣らせたが、フレイは楽しそうに微笑んでいた。

「怒らないでよ。昔の話なんだから」
「……今は違うのか?」
「まあ、気持ち悪い化け物とは思わなくなったわ。現に今、貴方とこうして話してるじゃない」
「まあそうだが。どうして心境が変わったんだ?」

 アスランの問いに、フレイはトロンとした目をゆっくりとした動作で星空に向けた。そこには街の光で消されてはいるものの、沢山の星が輝いている。そう、あの晩と同じように。

「……キラと、貴方のせいでしょうね。結局コーディネイターも私たちと同じで馬鹿ばっかりなんだって教えてくれたわ」
「まて、それはどういう意味だ?」
「だって、キラはやることが何時も裏目に出るような子だし、アスランは今日のあれ見てカッコいいとか思う人は居ないわよ」
「あれはお前のせいで誤解を招いただけだろうが!」
「まあ本当の事をそのまま言う訳にもいかないでしょ。セランさんたちにばれたら貴方たち、全員捕まって牢屋の中よ」
「……そ、それに付いては感謝している」

 敵地で見つかったら終わりなのはよく理解しているので、正体を明かさないでくれるフレイには文句が言えない。自分に被害が及んでもだ。
 悔しそうに表情を歪ませているアスランの隣でフレイはだらしなく大きな欠伸をすると、何だか眠そうな顔と声を出した。

「まあ、細かい事は良いじゃない。今日の出会いは夢の中の出来事、目が覚めたら終わりの小さな奇跡よ」
「奇跡、か」
「そうよ。夢が覚めたら、また敵……なんだから……」

 敵、という部分にアスランの表情が動いた。そう、フレイはアークエンジェルのパイロットで、自分はそれを追撃しているザフトのパイロットだ。フレイの言う通り、ここを離れればまた殺しあうだけの関係に戻ってしまう。
 それに対してアスランが何か言おうと口を開こうとしたが、その言葉が口から先に出ることはなかった。それを言うより早く、肩に何かが圧し掛かってきた。それが何かと思うよりも早く豊かな赤い髪が広がって自分の顔にかかってくる。

「なんだ、寝たのか」

 自分の肩にもたれているフレイの寝顔を見てアスランは仕方なく背中に手を回し、もう片方の手で両足を持ち上げてその体を抱き上げた。所謂お姫様抱っこ状態だ。一見かっこいいが、実は抱き上げる方にかなりの腕力を要求されるので実際にやる奴は余り居ない。
 その時、腕の中でフレイが身動ぎした。もしかして目を覚ますのかとアスランの顔が緊張に強張るが、幸いにして目を覚ます兆候ではなかったようだ。もしこの状態で目を覚まされたら簀巻きにされてベランダから吊るされてしまいかねない。
 だがアスランが安堵したのも束の間、いきなりフレイが何かを言いだした。

「……死なないで」

 目尻に涙が浮かんでいる。死んだ父親の夢でも見ているのだろうか。そう思ってしまうと、フレイの父を殺したのは自分の部隊なのでアスランは何となく自分が責められている気がしてしまったが、次に漏れでた寝言にアスランは足を止めてしまった。

「1人に……しないで……キラ……」

 それは何を意味する言葉なのだろうか。前にフレイはキラが好きだと言っていた。あの時は別れたと言っていたが、今でも想いを無くしてはいないのだろうか。あるいは夢の中で父とキラを重ねて、キラが死んでしまう夢でも見ているのかもしれない。ナチュラルがコーディネイターに好意を持つというのもアスランには信じ難い事であったが、目の前にその実例があるのだから認めるしかない。
 あの日、ナチュラルの中に居る事でキラは辛い目にあっている、とフレイは言っていた。それを自分はおかしいとは感じなかった。コーディネイターはプラントに来て同胞と共に暮らす事が安息に繋がるとアスランは考えており、これはプラントに住むコーディネイターに共通する考えだ。これは別におかしな考えではなく、その民族が人間らしく扱われるのは国家の中だけというのは常識だ。
 全ての地球上の国家で邪魔者扱いされているコーディネイターが人間らしく扱われたければ、事実上プラントに移住するしかない。そして彼らは自分達が人間らしく生きる為に、生きる権利を求めて独立しようとした。かつてヨーロッパ中で白人系ユダヤ人が邪魔者扱いされ、イスラエルを安住の地と呼んであらゆる手段を使って国を維持したようにだ。
 だが、民族レベルではそうであっても、個人レベルではそれが当て嵌まらない例もある。オルセン一家は大西洋連邦国籍を持つ大西洋連邦人だが、彼らはプラントに移住する気は欠片も無いようだ。アスランからすれば信じ難い事だが、彼らはナチュラルの為に同胞を敵とする事に躊躇いを感じてはいない。世の中にはこういう例外も居るのだ。

「ナチュラルにもコーディネイターにも、いろんな奴が居るもんなんだな」

 些か複雑な心境ながらもアスランはフレイを部屋に戻そうと足を踏み出したが、いきなり入ろうとした戸口からフィリスが出てきた。驚きの余りアスランはその場で足を止め、パクパクと口を開けている。

「隊長……」
「フィ、フィリス、何でここに?」
「話し声が聞こえたものですから。悪いとは思いましたが立ち聞きさせて貰いました」

 フィリスの声は硬い。その視線は厳しく、じっとアスランの腕の中の少女を見据えている。先程の話を聞いていたならフレイがアークエンジェルのパイロットだという事は容易に知れるだろう。ならば、フィリスがフレイに敵意を持つのは当然だ。
 だが、警戒の色を見せるアスランに対して、フィリスは何故か小さく溜息を吐いた。

「隊長、そんなに警戒しなくても良いですよ。別にフレイさんをどうこうするつもりはないですから」
「どうして?」
「……こんな所で騒ぎを起こしたくは無いです。私だって無事に艦に帰りたいですから」
「そうか、なら良いんだが」

 フィリスの返事にアスランはほっと安堵の息を漏らした。正直、女の子相手にで喧嘩などしたくは無い。フィリスはアスランの前に立つと、少しだけ表情を緩めた。

「隊長とフレイさん、あの迷子になった時に会っていたんですね」
「ああ、お互いに仲間に連絡も出来なくなってたからな。一応言っておくが、その時のフレイは捕虜にしただけで、何もやましい所は無いからな」
「分かってます。隊長にそんな度胸や甲斐性があるわけ無いですから。ラクスも呆れ果ててましたよ」

 フィリスの振り回した言葉のナイフがアスランを切り刻む。実はかなり気にしているアスランであったが、言われて治るなら誰も苦労しないわけで、未だにアスラン=甲斐性なしの図式は機能している。

「ですが、フレイさんは何に乗っているんでしょうね」
「俺が落とした時はスカイグラスパーに乗ってたぞ。翼がエメラルド色の奴だった」
「そうですか。じゃあもしかして、この人がエメラルドの死神なんでしょうか?」
「いや、フレイが入隊したのは最近の事だそうだから、エメラルドの死神じゃあないと思う」
「最近ですか。最近で足付きのパイロットというと……」

 脚付き事、アークエンジェルには異名を付けられたエースが3人居る。有名なのがエンディミオンの鷹とエメラルドの死神で、この2人にはアスランたちもかなり痛い目にあわされている。だが、この2人は有名なので本名も知られており、この2人でないことは確実だ。となると、他にはストライクのパイロットとデュエルのパイロットだが、ストライクはキラなのでこれも外れる。そうなると、残るはデュエルに乗る真紅の戦乙女になるわけだが。
 そこまで考えて、アスランはフレイの寝顔を見た。

「真紅の戦乙女、か。言われて見ればフレイは赤いパイロットスーツを着ていたし、髪も赤い。ちょっと考えれば分かることだったな」
「私をあそこまで追い詰めたあのデュエルのパイロットが、こんな女の子ですか。ちょっと自身無くしそうです」
「そんなに強かったのか?」
「ニコルさんが圧倒された程です」

 こんな女の子がそこまでの力を持っているとは俄かに信じ難い話だが、それを言ったらフィリスやエルフィもその類になるので、実は結構沢山居る人種なのかもしれない。

「人の外見に騙されてはいけないということだな」
「隊長、何で私を見ながら言うんですか?」
「いや、余り深い意味は無いよ」
「何故そこで目を逸らして言うんですか?」

 ちょっとこめかみを引き攣らせるフィリス。アスランはその問いには答えず、ひたすら惚け続けていた。その態度に何かがぶち切れたのか、フィリスはその場でクルリと背を向けて室内へ戻ろうとした。

「そうそう隊長、一言だけ御忠告します」
「な、何かな?」
「寝ている女性を抱いたまま長話をしない方が良いと思いますよ。起きてしまいますから」
「…………」

 アスランの顔をまたしても脂汗が埋め尽くした。そして恐る恐る腕の中で寝ているはずの女性の様子を確かめたアスランは、表情をはっきりと強張らせた。既に死相さえ浮かんでいるように思える。
 フレイはどの辺りから目を覚ましたのかは分からないが、自分の状況を認識して顔を赤くしてプルプルと肩を震わせている。はっきり言って、この抱き方は抱いている方も恥ずかしいが、抱かれている方はもっと恥ずかしいのだ。
 その握られた右拳は何を意味するのだろうか。

「フ、フレイ、その、何だ、これはお前が寝てしまったから部屋に運ぼうとしたのであってだな。決して疾しい気持ちがあったからとかそういう理由じゃなくてだな」
「…………」

 アスランが必死に言い訳をするも、フレイはそれに答える事無く自ら床に足を下ろした。その顔は真っ赤になっており、額には幾つもの血管が浮き出ている。ついでに言うと、何やら握り締めている右拳に浮き出ている血管が物凄く怖い。

「フ、フレイ、待て、お、お、落ち着いて話し合おう!」
「やかましい、この生ゴミコーディネイターっ!!」

 この日、アスランは拳を推力として夜の星空に舞い上がるという貴重な体験をした。





 翌朝、窓から差し込む朝日のまぶしさに目を覚ましたエルフィは、爽やかな朝に大きく背を伸ばした。

「う……ん、こんなにのんびりした朝は久しぶりです。やっぱりたまにはお休みも必要ですね」

 モラシムに無理を言ったり、来た早々にトラブルに巻き込まれたり、何故か連合の兵士に拾われて泊めて貰ったりなどのハプニングの連続であったが、それでも心身共にゆったりと出来たのは良い事だ。潜水艦の中ではシャワーで使う真水の量まで制限されているのだから。
 起き上がったエルフィは隣で寝ているフィリスを起さないようにベランダに出ると、手摺に両手を付いて朝日に輝くマドラスの街と、そこから先に広がる青い海に目を輝かせた。

「綺麗……」

 プラントでは決して味わえない何処までも広がる空と視界一杯の海。海の方から運ばれてくる風は冷たく、とても爽やかだ。
 だが、そのまま暫し情緒にひたっていると、何処から、かすかに啜り泣く様な声が聞こえてきた。

「エルフィ〜、助けてくれ〜……」
「……隊長?」

 右の方から聞こえる弱々しい声にそちらを見てみると、何故か布団(何故そんな物がある?)でぐるぐる巻きにされ、ロープでしっかり縛り上げられたアスランが天井からぶら下がっていた。目から帯状の涙を流して床を濡らしている。

「……隊長、い、一体何が?」

 流石に自分の上官が簀巻きにされてベランダに吊るされているとは想像しておらず、エルフィは目を丸くして固まってしまっていた。頭の中は完全にフリーズしてしまっている。自分を見て固まってしまったエルフィの様子に、アスランはますます自分が哀れに思えてきて何時果てるともなく涙を流し続けるのであった。

 この後、エルフィに救出されたアスランは朝食まで貰ってオルセン家を後にする事になる。フレイとセランは先に仕事に行ってしまっていた。ただ、フレイはレイラに手紙をアスラン宛の手紙を託しており、それを受け取ったアスランは少しだけ残念そうにそれを懐にしまった。
 オルセン家を後にした3人はとりあえず今日の宿を決める為に街へと向う。一応、今日は予定されていた情報収集をしなくてはならないのだ。
 近くにあったバス停でバスを待つ間に、フィリスがアスランに小声で問い掛けた。

「隊長、さよならも言わなくて良かったんですか」
「……この再会は夢の時間、目が覚めるまでの小さな奇跡。次に会えば敵同士、と彼女も言ってたからな。これで良かったんだ」
「そうですか」

 この事に付いて、フィリスがこれ以上何か言う事は無かった。次に会えば敵同士、確かにその通りで、次はどちらかが死ぬかもしれないのだ。なら、ここで別れたほうがお互いの為なのだろう。
 だが、このオルセン家での体験は、アスランとフィリスに考えるきっかけを与える事になる。それは小さな切っ掛けでしかなかったが、後の2人の行動に大きな影響を及ぼすことになる。



後書き

ジム改 たった1話で2人の再会は終わるのでした。
カガリ だっかっら、アスランが出るなら私も出せよ!
ジム改 と言われても、流れの問題で出せないのだ。
カガリ わたしは何処に居るんだ?
ジム改 未だにアークエンジェルの仲間達の所。次回はお前達が主役だ。
カガリ おお、何をするんだ?
ジム改 うむ、若い行動力を大爆発させてもらう予定だ。
カガリ ……それは何も考えずに突っ走ってると言わないか?
ジム改 そうとも言うな。
カガリ たまには知性的な行動もしたいんだけど。
ジム改 知性?
カガリ な、なんだ、その疑いの目は?
ジム改 いや、お前にそんな物あったかと思ってな。
カガリ お前はああ〜〜〜
ジム改 では次回、キラとカガリは基地にフレイを尋ねていきます。
カガリ アスランも動くんだな。



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