第57章  父の姿




 こっそり覗いていた2人の首に、いきなり物凄く太い腕がぐるりと回された。完全に喉に入っているために声を上げることも出来なくなった2人の耳に、なんとも野太い声が飛び込んでくる。

「よお、面白れえ所にいるじゃねえか、なあセラン。それとヤマト少尉だったか?」

 アルフレットだった。キラとセランは吃驚してもがいたが、それはかえって自らの首を絞める結果へと繋がり、遂には抵抗する力を失ってアルフレットにズルズルと通路まで引きずり出されてしまった。コーディネイター2人を拘束できるこの親父は本当に人類なのだろうか。
 通路に出た所で開放された2人は酸欠状態から解放されて苦しそうに荒い呼吸を繰り返した。何となくあの世が見えかけていたりする。
 なんとも苦しそうな2人に向ってアルフレットはごつい腕を胸の前で組んで見下ろしながら不機嫌そうな声をかけてきた。

「で、なんでヤマト少尉がここに居るんだ? ここは部外者は立ち入り禁止だ。それを知らねえとは言わせねえぞセラン」
「そ、それは、その、何と言いますか……」

 ギロリと睨まれてセランは滝のような汗を流しながら焦りまくってしまった。命令違反を承知でここまで案内してしまったので、どうにも言い訳のしようが無いのだ。だが、セランが困っているのを見てキラがセランを庇った。

「ぼ、僕が無理を言って連れて来てもらったんです」
「お前が?」
「はい。僕も一応少尉ですから、セランさんは僕の言う事に従っただけなんです」

 キラの話を聞いてアルフレットはジロリとセランを見る。セランは縮こまって何か言おうとしたが、それをアルフレットが止めた。

「もう良い。とにかくここから離れるぞ。見つかりでもしたらまたややこしくなっちまう」
「でも、僕はフレイとっ」
「ああ、そいつも分かってる。悪いようにはせんからとにかく付いて来い」

 右手で頭をバリバリと掻きながらアルフレットは通路を歩いていく。その後を戸惑い気味ながらも付いて行く2人だったが、セランがアルフレットの背中に声をかけた。

「あの、少佐、何か嬉しそうですね?」
「ああ、優柔不断な情けない奴かと思ってたが、見た目よりは骨がありそうなんでな」
「優柔不断な情けない奴って、僕の事ですか?」

 キラがかなりショックを受けて自分を指差すと、アルフレットははっきりと頷いてくれた。それが止めとなったか、キラはガックリと肩を落としてしまった。何気に自覚はあったのが更に傷を広げたらしい。



 通路を戻ってきた3人はカガリたちを残した休息室へと入った。そこではカガリたちが何やら相談をしていたようなのだが、アルフレットの姿を見て慌てて相談を止めてしまう。アルフレットは5人の態度を怪しいとは思ったが、特にそれを追求したりはせず適当に空いている椅子に腰を降ろした。

「さてと、ようこそ悪ガキども、って所かな?」

 アルフレットが一同の顔を見回す。その視線を受けた子供達はそれぞれに困ったような表情になったり視線を逸らせたりしていたが、アルフレットは特に怒鳴ったりはしなかった。

「まあ、今回は友達を心配して来たっていう事だし、俺も出来れば会わせてやりてえんだけどな。今日はこのまま帰ってくれねえか」
「何でだよ。フレイはそんなに私達を嫌がってるって言うのか?」

 カガリがアルフレットに不満そうに聞いてきた。その問いに、アルフレットは困った顔で右手で頭を掻いている。どうやらこれはアルフレットが困った時にする癖のようなものらしい。

「まあ、嫌がってるというか、ありゃ逃げてるだけなんだけどな。俺もああいうのは何時もなら根性が足りねえって言ってお前らの前に引き摺ってくる所なんだが、個人的な事情で放っておけなくなっちまったんだな」
「個人的な事情?」
「それは聞くなよ。個人的だって言ってるだろうが」

 アルフレットに嫌そうな顔をされて、カガリは少し慌て気味に謝った。アルフレットも別段怒っているわけではないようで、すぐに真顔に戻ると胸の前で腕を組み、キラとトールを見た。

「お前ら、お嬢ちゃんにMS戦で勝てるか?」
「は、MSでですか?」

 問われてトールは残念そうに首を横に振った。トールも実は既にかなりの技量に達しているのだが、流石に他のメンバーと較べると見劣りしてしまう。フレイと真っ向からやったら少し抵抗しただけで負けるだろう。
 こうなると勝てるのはキラとなるのだが、キラの方は困り果てた顔でアルフレットを見ている。

「あの、何でMS戦なんです?」
「その面なら分かってると思うんだが、お嬢ちゃんにMS戦で勝ってみろっていうことだよ」
「それは、僕にフレイと戦えって事ですか!?」

 キラは初めて感情を荒げた声を上げた。キラは前にフレイと一戦交えた事があり、もう2度とあんな事は御免だと考えている。
 だが、珍しく怒っているキラをサイが宥めた。

「キラ、まだ少佐の話を全部聞いてないんだし、少し落ち着けよ」
「でもサイ!」

 キラは納得できない表情でサイに食って掛かろうとしたが、その場に居る全員から非難の目を向けられて次の言葉を出せなくなってしまった。こういう時に場を押し切る力強さがキラには無い。
 キラが黙ったのを見てアルフレットは話を再開した。

「舞台は俺が用意してやる。坊主はこの基地にあるダガーを使ってお嬢ちゃんに勝てば良い。お嬢ちゃんに文句は言わせねえよ」
「勝つって、模擬戦でですか?」
「そうだ。勝負は一回だけ。判定は俺がする。サシの勝負だ」
「でも、何でそんな事を……フレイと戦うなんて……」

 キラはためらいを見せたが、アルフレットは立ち上がるとそんなキラの胸倉をいきなり掴み上げた。身長差からキラは両足が完全に床から離れてしまい、苦しそうな顔をしている。

「ならどうする。お嬢ちゃんはお前を見たら間違いなく逃げるぞ!」
「…………」
「また追うか? それとも諦めるか? ええ!?」

 突然のアルフレットの凶行にその場にいたカガリたちは驚き、慌てふためいている。セランだけは困った顔をしていたが、アルフレットを止めようとはしていなかった。上官を殴ると後で問題になるからかもしれないが。
 キラはアルフレットの問いに答える事が出来なかった。その答えを自分はまだ見つけていないから。だから目を合わせる事も出来ず俯いてしまう。だが、その態度に苛立ったのか、アルフレットはいかつい顔を更に鬼瓦のようにしてキラに詰め寄ってきた。

「どうなんだ、男ならはっきりしやがれ!」
「…………」
「答えられねえのか。そうやって何時も逃げてるのか? 流されるだけか?」
「……逃げる?」

 キラは初めて顔を上げてアルフレットを見た。アルフレットはキラがようやく顔を上げたのを見て怒りに歪んでいた表情を少しだけ緩めた。

「運命ってのは自分で掴み取るもんだ。たまには追うんじゃなくて、捕まえて強引に振り向かせてみろ!」
「……掴み取る」

 アルフレットの言葉にキラはポカンとしてしまった。そんなこと、考えた事も無かった。好きになってくれたら良い、振り向いて欲しい、話がして見たい、何時もそんなふうに期待するだけで、自分から動いた事はなかった。
 壊れた関係が持ち直したのも全部周囲の人任せで、自分は何もしなかった。ただ寂しさに震えて、自分で自分を壊すだけだった。

「自分で、掴む」

 もう一度確認するように呟く。それを呟いた時、キラの瞳に僅かに光が灯ったのをアルフレットは確かに見た。ようやく表情が緩み、掴んでいた手を放してキラを開放してやる。
 
「覚悟が出来たら、何時でも来な。衛兵には俺から言っとくから、次からは普通にここに来れる」
「…………」

 キラは即答しなかった。アルフレットも話しはこれで終わりだと言わんばかりにキラに背を向け、セランにこいつらを基地の外に連れて行くよう指示を出して部屋から出て行ってしまった。
 残されたキラはひたすら考え込んでおり、声をかけるのも気が引けてしまうような状態になっている。それを見てセランは仕方なくカガリたちに声をかけた。

「まあ、少佐の命令だから、今日は帰ってくれるかしら」
「……仕方ないな」

 セランの頼みにカガリは渋々頷いた。これ以上ごり押ししたら今度は憲兵辺りに拘束されて面倒な事になりかねない。それに、アルフレットはこの問題をキラの意思次第という形にしてしまったので、カガリたちはキラの背中を蹴飛ばしてやることくらいしか出来なくなってしまった。

「トール、サイ、今日はもう帰ろうぜ。少佐もああ言ってたし、後はキラの度胸次第だ」
「キラの度胸、ねえ」

 トールが物凄く胡散臭げな眼でキラを見る。キラはまだうんうん唸っており、恐らくは今何を話しているのかさえ気付いてはいないだろう。

「度胸よりも先に、まず現実に戻ってもらわないとな」
「こいつは、本当に何時も何時も……」
「フレイとは別の意味で、キラも周りが見えなくなるからなあ」

 トールが深刻そうに呟き、カガリが怒りに肩を震わせ、サイが諦めの溜息を漏らす。フレイが居ないとツッコミ役が居ないので、こういう時に強制的に場の空気を立て直す事が出来ないのだ。
 カガリたちがキラを見て困っているのを横目に、ミリアリアがセランの作業着の袖を引っ張って注意を自分に向けさせた。

「セランさん、フレイなんですけど、午後からどうするんですか?」
「午後から。確か、お墓参りとか言ってたわね」
「お墓参り?」
「ええ、軍の慰霊碑にお参りに行くんだそうです。お父さんも軍の作戦行動中に戦死しているから、一応戦死者扱いなんですよ。本来なら大西洋連邦の墓地に行くべきなんでしょうけど、ここからじゃ遠すぎますから。まあ、少尉のお父さんですから、名前はワシントンに刻まれてるでしょうけど」
「そう、か。お父さんの慰霊か」

 流石にそう言われてはちょっかいをかける気にはなれなかった。墓参りを妨害されたなどとなったら、あの重度のファザコンのフレイの事である。烈火のごとく怒り狂ってとんでもない事をしでかすに違いない。
 こうして、今日のカガリたちの挑戦はフレイに会うという目的を果す事無く終わってしまった。

 



 

 窓から海岸に寄せては引いていく波の様子を眺めながら、イザークはしきりに考えていた。何で俺はここにいるのだろうと。室内では共同作戦を取り、立場上は上級指揮官であるモラシム隊長がおり、さっきから沢山の書類を手に小言を立て並べている。
 何故ここに居るのかといわれれば、ザラ隊の出した書類をモラシムが見咎めたからだ。まあ補給物資の申請書で要求した物資量が必要量に対して著しく過大であったり、これまでの作戦における損害集計などなのだが、物資はともかく、損害集計は余りの多さに目くじら立てられたに過ぎない。ザラ隊の相手はアークエンジェル隊なので、寧ろこの程度の損害で抑えられている事を褒めても良いのであるが、アークエンジェル隊の実力を噂でしか知らないモラシムには異常な損害に思えたのだ。
 そして、どうしてザラ隊の出した報告書で俺が怒られなくてはならないのだろうかと思ったが、それは名目上ジュール隊はザラ隊とは別部隊でも、実際にはイザークはザラ隊の副長扱いだからだ。隊長が居ないのだから、怒られるのは副長の仕事である。責任者は責任を取る為に居るのだから。
 何時もはクルーゼを相手にアスランが受けている責め苦なので、それを考えればモラシムが相手のイザークはまだましなのだが、そんな事情はイザークの知ったところでは無いので、この一見不条理な現実に怒りを感じてしまっていた。
 それからかなりの時間がたって、怒るのにも疲れたモラシムにやっと開放してもらったイザークは自室に下がってきて自分の席でぐったりと伸びていたりする。

「はあ、何で俺がこんな汚れ役をしなくちゃいかんのだ」
「ご苦労さん」

 1人のほほんとグラビア雑誌を片手に部屋でくつろいでいたディアッカが投げやりな労いの言葉をかけてくるが、そんな態度で言われても嬉しくないイザークは物凄く不満そうな顔でディアッカに食って掛かった。

「ディアッカ、お前は気楽そうで良いよな」
「ああ、俺は苦労を背負い込みたくないしね」
「一度、俺と仕事変わってみるか?」
「止めとくよ。エリート家業は柄じゃないんでね」

 グラビアのページをめくりながら答えるディアッカに、イザークはまるで視線で人が殺せたらと言わんばかりのキツイ目になったが、その殺気さえ感じるような緊張感溢れる室内に、いきなり空気を叩き壊すようなメロディーが鳴り響いた。

「な、なんだ?」

 驚いたイザークが慌てて辺りを見回すと、室内に申し訳程度に置いてある応接用の机の上に時計が1つとカップヌードルが2つ置かれていた。音の発生源はこの時計らしい。このメロディーを聴いたディアッカはグラビア雑誌を畳むと立ち上がり、カップヌードルを手にとって1つをイザークの前に置いた。

「ほい、昼飯」
「……昼飯がカップヌードルかよ」
「贅沢言わないの。戦闘食よりはマシだろ」

 椅子に腰掛け、フォークで器用にヌードルを啜るディアッカを見て、イザークも仕方なくフォークを手にとって食べだした。暫く室内にヌードルを啜る音だけが響き渡る。そして中身を半分ほど減らした頃になって、ふとイザークが口を開いた。

「なあ、ディアッカ」
「なに?」
「……こう、何と言うか、凄く空しくないか?」
「言うな、俺だって分かってるけど口にしなかったんだから」

 言ってはいけない台詞というものがある。狭い部屋でザフトのエリートたる赤服を着ている男2人が仲良くヌードルを啜っている姿は、まるで左遷された元エリートにも見えたりするのだが、それを言うと全てが終わってしまうので言ってはいけないのだ。特にイザークのプライドが致命的な損傷を負いかねない。
 もっとも、イザークは自分で言ってからそれに気付いたようで、何やら自分の席に着いたまま真っ白に燃え尽きてしまっている。ディアッカはその様子を見て、闘争に敗れた元エリートの窓際族というものを連想してしまっていた。




 

 東アジア共和国の第4軍と大西洋連邦の第10軍は、北部からマーケット作戦に従ってインドに侵攻していたクルーゼ率いるザフト第4軍を迎え撃っていた。この第4軍はアークエンジェル隊とネルソン、ドミノフ率いる部隊を相手に大規模な戦闘を行い、大きな消耗を強いられて動けなくなっていた筈の部隊だ。しかし、クルーゼは消耗した部隊を補充無しに再編成し、無理をしてヒンズーグシ山脈を突破してきたのだ。その過程で更に犠牲を拡大したものの、連合側の防衛体制が完璧に整う前にインドに侵入することに成功している。
 このザフト第4軍に対して連合は2個軍6個師団と1個旅団を防衛に振り向けていたのだが、消耗して2個師団強にまで激減していた第4軍は、信じられない事にこれを撃破してしまったのだ。連合側にもMS部隊はあったのだが、MSの運用を理解できていなかった連合の指揮官達は戦車隊と共にダガー部隊を運用してしまい、ダガーを単なる対MS用の移動砲台にしてしまったのだ。その結果、機動的に運用されたザフトMS隊に良いように振り回され、無駄に消耗してしまったのである。更に東アジア共和国のソン・ツー・リン大将が引き際を誤った為、東アジア第4軍と大西洋連邦第10軍が分断されてしまった。
 少数のMS部隊が撃破された後は何時も通りの戦いが展開された。ディンとラプターが局地的な制空権を握り、その下をジンやシグー、ザウートが暴れまわって戦車や砲を蹂躙していく。それを助けに来た部隊は高速で動き回るバクゥ部隊に襲撃されて足を止められ、逆に各個撃破の標的とされてしまうのだ。
 こうなると連合軍は装備を捨てて後退するしかなく、後方に第2線を作りあげて態勢を立て直す準備に入ろうとしたのだが、その過程で東アジア第4軍、3個師団と1個旅団が壊滅状態になり、取り残されてしまう最悪の事態になった。
 クルーゼは敵兵の負傷者を増やすようにわざわざ命令を出しており、ザフト軍とまともにぶつかった第4軍は大量の負傷者を抱えて行動不能になってしまったのだ。この第4軍およそ10万は事実上戦闘不能になり、大量の犠牲を出した挙句に装備も消耗しつくして友軍の救援に縋るしかない状態に追い込まれていた。
 これに対してクルーゼは何故か一気に殲滅しようとはせず、緩い包囲をするだけに留めて補給の為に進撃を止めてしまった。これの意図するところは明らかで、この東アジア第4軍を餌にして連合に救援部隊を出させ、出血を強要するつもりなのだ。
 マドラスで戦況を分析していたサザーランドはクルーゼの悪辣極まりない作戦に憤慨し、同席していた部下達に「何と汚い手を使う奴だ」と罵っている。だが、罠と分かっていても1個軍もの大軍を見殺しにする事はいささか不味い。東アジア共和国軍の部隊なので、見殺しにすると東アジア共和国の心象が悪くなるだろうし、何より各地の部隊の指揮官達から戦友を見殺しには出来ないという声が多数上がっていたのだ。
 これ等の意見に対して、サザーランドは苦悩した。助けに行きたいという気持ちは勿論彼にもある。政治的にも見捨てるのは不味いというのも理解している。でも、1個軍を救うために仮に3個師団を送ったとしても、それがボロボロの部隊を守って友軍の戦線まで無事に後退してこれる筈がないというのも理解できるのだ。
 救出しても、恐らくは使い物にはならないだろう1個軍を救うために3個師団、いや、実際には敵を食い止める部隊も勘定すれば5個師団は無ければ成功は覚束ない。その結果どれほどの犠牲が出るだろう。下手をすれば二重遭難と同じ具を犯す羽目になる。
 勿論、救おうと思えば救うことが出来る。既にマドラスには反撃の為の部隊の編成が進んでおり、大西洋連邦と東アジア共和国の混成部隊であるインド軍集団が編成されている。この部隊を率いるのは大西洋連邦のマイケル・ハセク大将で、これまで反撃の時に備えてひたすら訓練に勤めてきた。この部隊は4個軍で編成された強力な打撃部隊であり、ザフトのマーケット作戦を打ち砕く反撃の中核となる部隊だ。出来ればこんな所で消耗はさせたくは無い。

「救援部隊を出すべきか、否か……」

 結局、サザーランドはこの問題に作戦会議中には答えを出す事が出来なかった。会議が昼を過ぎた辺りで一度休憩を入れる事になり、サザーランドは会議室を出て外に散歩に行くことにした。1人で暫く考えようと思ったのだ。




 

 フレイは街で作ってもらった花束を持って慰霊碑へと続く道を歩いていた。着ているのは軍服だ。恐らく父は自分が軍の制服を着ている事を喜びはしないだろうが、他にちゃんとした服など持っていないので仕方が無い。
 この慰霊碑は軍の敷地内にある小高い丘の上にあり、あえて他の施設からは離れた静かな場所に置かれている。こんな場所なので当然人通りは少ない。というか、フレイはここに来るまで誰にも擦れ違っていない。だから木々が立ち並ぶ石畳の道を、彼女1人だけが歩んでいた。

「パパに、ブカレストの街の戦車隊の隊長さんに、クリスピー大尉に……。本当、たった数ヶ月なのに、沢山死んじゃったよね」

 そう、まだほんの数ヶ月なのに、大勢の人が死んでしまった。ヘリオポリス崩壊を知って、危険な場所にまで迎えに来てくれたパパ。戦火に巻き込まれたブカレストの街で、自分達を含む避難民を逃がす為に盾となって全滅した戦車隊。私のカガリを助けて欲しいという無茶苦茶な頼みを笑って引き受けてくれたクリスピー大尉。

「せめて、お世話になった人たちにはお礼を言わないとね」

 フレイには死者に手向ける華麗な感謝の言葉など思い浮かびはしない。ただお礼と、謝罪の言葉を述べる位だ。でも、それでも何もしないよりはずっと良い。自己満足だとは分かっている。死んだ人に何を言っても意味はないというのも分かっていても、人間は世話になった人を弔うという行為をやめない。
 随分長い道を歩いてきたフレイは、ようやく開けた場所に出た。これまで一本道だった石畳が円形に広がり、木立の中に小さな広間を作り上げている。その中央にモノリスのように置かれているのが慰霊碑だ。ここには戦死した将兵の名前が部隊ごとに分けられて刻まれており、かつての同僚などが見舞ったりしている。
 そのモノリスの前に、1人の高級将校が佇んでいた。痩身長躯の人物で、慰霊碑に片手を付いてじっと眼を閉じている。その人をフレイは見たことがあった。

「サザーランド大佐?」

 そう、大西洋連邦軍の参謀本部に席を置き、ブルーコスモスでもある人物。フレイから見れば雲の上の人である。
 サザーランドはフレイの声を聞いて目を開け、振り返ってフレイを見た。

「アルスター少尉、か」

 サザーランドはフレイの名を確認するように呟き、そしてその手に持っているものを見て慰霊碑の前から退いた。フレイは慰霊碑の前を空けてくれたサザーランドに頭を下げ、慰霊碑の前に膝を折って花束を置いた。そしてそこで瞑目した後、クリスピーたち第11機械化中隊の名前を刻んだ場所をそっと指で追っていく。

「クリスピー大尉……」

 精悍な顔付きの黒人の士官の顔を思い浮かべ、フレイの頬を一筋の涙がつたり落ちていく。自分の頼みなど聞かなければ生きてマドラスまで来れただろうに、死ぬのを覚悟して戦場に戻って行った。それも、前に自分に助けられた借りを返すためなどという理由で。
 彼の犠牲のおかげでカガリは助かった。カガリが助けに行った避難民もかなりの数を救うことが出来た。でも、大尉はもう居ないのだ。

 肩を震わせて悲しみに耐えているフレイの背中に視線を向けていたサザーランドは、暫く待ってから声をかけた。

「アルスター少尉」
「……はい、何ですか?」

 右手で涙を拭い、立ち上がってサザーランドを見る。サザーランドは相変わらずの鋭い視線を向けてきており、気の強いとは言えないフレイはたちまち気圧されてしまう。
 だが、別にサザーランドはフレイに酷い事を言うつもりは無かった。

「お父上の事だが、君には話しておいた方が良いだろうと思ってな」
「パパの事、ですか?」
「うむ。アズラエル様はあの時に色々と言っておられたが、少々誤解を招く内容だったからな」

 サザーランドはそこで言葉を切り、一度空を仰ぎ見た。

「君のお父上、ジョージ・アルスター次官はブルーコスモスの関係者だった。それは間違いない」
「…………」
「だが、君が思っているような人物ではなかった。アルスター次官はこの戦争を終わらせようと尽力しておられたのだよ」
「……終わらせる?」

 それはフレイにとって意外な言葉だった。ブルーコスモスといえば反コーディネイターの急先鋒であり、この戦争を拡大したり各地でテロをするような過激手段というイメージがあるからだ。
 フレイが意外そうに呟くのを聞いたサザーランドは、さもありなんとばかりに頷いている。

「意外に思うのも無理は無い。組織というのは過激に動いている者たちがイメージを作るからな。だが、実際にはブルーコスモスといっても色々な派閥や思想がある。アルスター次官はコーディネイターを嫌ってはおられたが、殺そうとまでは考えておられなかったのだ」
「そう、だったんですか?」
「アルスター次官はナチュラルとコーディネイターを別けようと考えていた。プラントにコーディネイターを移し、ナチュラルとの接点を失くそうとしていた。そうしてお互いが不干渉という立場を取れば、問題は一応の解決を見ると考えられたのだな」

 臭い物には蓋をしろ、という理屈である。ジョージ・アルスターはコーディネイターは嫌いだから自分の前からいなくなれば良いという考えの持ち主だったのだ。だが、それは平和的なプロセスで行われるべきもので、戦争をしてプラントごと抹殺する為ではない。そんな過激なことは考えてはおらず、彼はこの時代の流れを止めようと必死に動き回っていたのだ。
 父が家にさっぱり帰って来れなかったのも、家で自分にコーディネイターは話が分からない奴らだと愚痴を零していたのも、そういう理由があったのだ。
 ブルーコスモス内では穏健派寄りの中立という立場をとっていたジョージだが、彼が死んでしまったことでますます戦争の収拾をつけようとする者が減ってしまったのは大西洋連邦にとってもプラントにとっても大きな痛手であった。戦争は自然と拡大する力学を持っており、それを縮小するのは容易ではない。それを地道に進めていた人物を失ったことで、終戦への道は確実に遠くなってしまった。

 だが、フレイには1つ分からないことがあった。どうしてサザーランドはこんな話を自分にしてくれたのだろうか。

「あの、大佐」
「何かね?」
「どうして私にそんな事を教えてくれたんですか?」

 問われたサザーランドは、それにどう答えたものかと暫し考え込んだ。理由など特には無い。たんにこんな所でたまたまフレイに会い、何となくそんな気紛れを起こしただけなのだ。
 あと、誰かと話して気を紛らわせたかったというのもあった。

「いや、特に深い理由は無いな。何となくだよ」
「そうなんですか」
「まあ、強いて言うなら気分転換だ。少々悩み事があって、疲れているのだろう」

 そう、単なる気まぐれだ。山のような仕事を抱えて疲れきってしまった時、たまたまそこにフレイがいたからというだけに過ぎない。
 そしてサザーランドは、気まぐれついでにフレイに質問をしてみた。

「アルスター少尉、もし孤立した友軍が居て助けを求めていたら、君ならどうするね?」
「孤立した友軍、ですか?」
「ああ、助けに行っても間に合うかどうかは分からない。いや、行けばかえって犠牲を増やすことにもなりかねない。そんな状況で、君なら助けに行くかね?」

 その問いに、フレイは考え込んでしまった。助けに行っても間に合わないかもしれない。行けばかえって犠牲が増えるかもしれない。そんな状況なら見殺しにして戦力を保持するべきかもしれない。ナタルもそういう状況でどう判断するべきかを教えてくれた事があって、その時は無理だと判断したらそこで切り捨てる事も必要だと言っていた。
 でも、おかしな事にフレイはそこで見捨てて良いのだろうかと迷ってしまう。これまで彼女が出会ってきた軍人は最後まで責任を放棄しようとはしなかった。誰もが非戦闘員や戦えなくなった戦友を見捨てて戦力を保持するという選択はせず、最後まで戦い続けていた。
 ここに来るまでにそんな人たちを沢山見てきたせいか、フレイもまたそういう考えを持つようになっていた。

「私は、助けに行くべきだと思います」
「どうしてかね? 行けば無駄な人死にが出ると分かっているのに」
「……私がこれまで会った人たちは、みんなこういう時は諦めずに助けに行ったと思いますから」

 人は周囲から色んな事を学んで成長する。フレイはこういう妙にモラルの高い人々を見てきたせいで、そういう考え方をするようになっていたのだ。これがもしクルーゼ隊にいて、クルーゼの影響を受けたりしていたら効率最優先の思考をするようになっていただろう。
 実はアークエンジェルの幹部達にはフラガとキースという2人のベテランがかなり強い影響を与えていて、マリューが積極的になったりナタルが丸くなったりトールが楽観主義者になったりしている。
 サザーランドはフレイの言葉に頷きはしたが、一般論としか思わなかった。志願兵には特にこの手の理想論を口にする者が多いが、フレイはその中でも特に夢を見る側の人間に見えたのだ。
 だが、フレイの話にはまだ続きがあった。

「それに、戦ってる人たちは仲間が助けてくれると信じてると思います。私達も、アークエンジェルも本当に危なくなった時には友軍が何時も助けに来てくれました。ギリシアでも、ドゥシャンベでも来てくれたんです。あの時の嬉しさは忘れられません」

 それを聞いたサザーランドはまじまじとフレイの顔を見詰めた。何時も鋭い光を絶やさない眼は珍しい事に驚きを称え、そしてそれはすぐに穏やかな物へと変わっていた。

「そうか……そうだな。確かに前線の将兵は救援を信じているだろう。それを見捨てれば、将兵に士気に関わるかもしれんな」
「あの、何故そんな事を?」
「それは……」

 その理由を言うかどうか少し考えて、サザーランドは言わない事に決めた。3個師団の生存者およそ7万人。その生死を決める決定をするのは自分の仕事であり、こんな少女が背負うべき重責ではない。

「いや、ただの例えだ。大した意味はない」
「そう、なんですか」

 フレイは何だか戸惑いを見せて首を傾げていたが、サザーランドは小さく笑うだけでそれ以上教えてくれる事は無かった。そして彼は軍帽の位置を直すと、踵を返して基地へと戻る道に向って歩き出した。だが二歩ほど踏み出したところで足を止め、上半身だけでフレイに向き直る。

「少尉、余りアズラエル様の言った事は気にしないことだ。次官は君の選択を無下に拒絶するような男ではない」
「……キラの、事ですか?」
「そうだ。個人の問題にまで政治的意図を絡めることは無い。まあ、私も余り好ましいとは思っていないがね。それに、前例が無いわけでもない」

 そこまで言って、いきなりサザーランドは小さく含み笑いを漏らした。何かフレイのようなことで問題を起こした人が昔に居たのだろうか。
 フレイが何だか珍獣を見るような眼でサザーランドを見ていると、サザーランドも自分が変な笑いを浮かべていることに気付き、誤魔化すかのように一つ咳払いをした。

「さて、私は基地に戻るとしよう。まだ仕事は沢山あるのでな」
「あ、はい」

 フレイが慌てて敬礼したのを見て、サザーランドも敬礼を返してきた。そして正面に向き直ると、今度は振り返る事無く歩いて行ってしまった。

 その後姿を見送ったフレイは慰霊碑の方を向くと、それまでの悲しい顔ではなく、ふわりとした笑顔を浮かべて話しかけた。

「パパ、どれだけやれるか分からないけど、私は精一杯生き抜いて見るね。そして、もし生き残れたら、その時はまた来るから」

 それはフレイが出来る、精一杯の誓いであった。そして慰霊碑に背を向け、サザーランドと同じように来た道を戻っていく。その足取りは来た時よりは力強い物となっていた。



 そして、会議室に戻ってきたサザーランドは参列者達に向けて級援軍の編成を行うことを伝えた。この意見に反対した者は多くいたが、サザーランドは反対者に向けてこう言っている。

「ここで助けに行かなくては、将兵の軍に対する信頼を失うことになる」

 この一言が救援部隊の編成を決定付けた。戦力の損失も確かに痛いが、将兵が上層部に不信感を持つのはもっと不味い。今まで連合が必死に踏み止まって戦線を支えてこれたのは、将兵の防衛戦争という認識による士気の高さによる所が大きく、それが失われればたとえMSなどの正面装備が充実しても勝つのは難しいだろう。
 こうして東アジア共和国と大西洋連邦は後方にいた機甲部隊を前線に急行させ、ザフト軍に対して一点突破を仕掛けるべく部隊を編成し始めた。そこには、マドラスに駐屯していたMS部隊も送られる事になったのである。




後書き

ジム改 実は色々頑張っているクルーゼでした。
カガリ 1人だけ真面目に戦争してたんだな。
ジム改 これで主役サイドにいれば出番も多かっただろうに。
カガリ 出てきてもアスランの胃痛を悪化させる嫌な上司だけどな。
ジム改 ……フラガとクルーゼが逆の場所にいたら、怖いと思わないか?
カガリ ……キラが自室で首吊ってそうだな。
ジム改 デプリベルトを前にして「私は不可能を可能にする男だな」と言うクルーゼか。
カガリ 颯爽として少し惚けた感じのクルーゼ。
ジム改 気持ち悪いことこの上ないな。
カガリ あの仮面は健在なんだろ。私なら迷わず撃つぞ。
ジム改 全部あの趣味の悪い仮面が悪いんだけどな。怪しさ大爆発だし。
カガリ ところで、マドラスのMS隊って事は、アルフレットたちが出るのか?
ジム改 その通り。マドラスには沢山のMS部隊があるから、そこから実戦可能な部隊を出すのだ。
カガリ パワーは?
ジム改 ありゃまだ艤装中。
カガリ アークエンジェルは?
ジム改 大修理と改装の真っ最中。
カガリ じゃあどうやって輸送するんだ?
ジム改 MSキャリアーや輸送機で。この世界のMSはレイバーもどきだから自力じゃ長距離は歩けない。
カガリ MSを運用するってのも大変なんだな。
ジム改 では次回「血塗られた丘」で会いましょう。



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