第80章  敗北という名の後で




 キラのストライクとキースのスカイグラスパーが撃墜された。それを聞かされた艦橋クルーは凍り付いてしまった。まさか、あれほど強い2人が死んだというのだろうか。

「ハウ、脱出は確認していないか!?」
「わ、分かりません。信号を受信していませんが、脱出してないとは言い切れないです」

 ナタルの必死ささえ感じさせる問いにミリアリアが泣きそうな声で答える。実際過去に味方機が撃墜された事は良くあったのだが、脱出に成功していても脱出信号を受信できなかったというケースは多い。さらにその後の救難信号が届かなかった事も多いのだ。そういう事情を考えれば2人が脱出していないとは言い切れない。
 ミリアリアの答えにナタルは顔を伏せてしまった。それを見てミリアリアは困り果てた顔をマリューへと向ける。この艦の指揮官はマリューであり、マリューが反転して救助に向かうという命令を出さなければアークエンジェルは戻れない。
 舵を握って必死に操艦しているノイマンと俯いてしまっているナタルを除く全員の視線がマリューに集中する。見捨てるのか、戻るのか、その決断を迫っているのだ。マリューは直撃弾の振動が艦を揺さぶる中でどうするかを考え、遂に判断を口にしようとした。

「ノイマン中尉、艦を戻して頂戴」
「艦長、それじゃあ2人の捜索を?」
「ここまでやってきた仲間を見捨てる事は……」

 マリューがキラたちを探しに戻ろうと命令を出すが、それを遮る声があった。

「駄目です艦長!」
「ナ、ナタル?」

 ナタルだった。彼女はまだ俯いていたが、はっきりとした声でマリューの指示に異議を唱えてきた。

「駄目です艦長、今戻れば、アークエンジェルが沈みます。たった2人のパイロットの為に、艦の乗組員全員を犠牲には出来ません!」
「でもナタル、2人を見捨てて良いと言うの!?」
「止むを得ません。もうフラガ少佐もカラミティもダガーも戦闘能力を残していない筈です。彼らを艦に戻して補給を行わなくてはいけませんが、その状態で艦を戻すと言うのですか!?」

 ナタルの問いにマリューは返す言葉を持っていなかった。いや、まだ出撃してさほど時を置いていないトールの105ダガーは戦闘能力を残している可能性は戦ったのだが、たった1機でもう一戦交えるのは自殺行為だ。それが理解できないほどマリューは素人ではなかったのだが、仲間を見捨てるという選択が彼女に激しい嫌悪感をもたらしているのだ。
 しかし、艦長は決断しなくてはならない。決断するのが艦長の仕事なのだから。誰もがナタルの言葉に反論できない中で、マリューは暫しの沈黙の後、絞り出すような声で命令を変更した。

「戦場を離脱します。追撃してくる敵を牽制しつつ、艦を北東に向けなさい。ウェーク、ジョンストンを目指します」
「……了解、艦をウェーク島に向けます」

 ノイマンがマリューの命令を復唱し、舵をウェーク島へと向ける。それをまだ健在だったディンや補給を終えて戻ってきたジャックのシグーなどが追撃していたのだが、アークエンジェルはバリアントを後方に発射して牽制しながら全力でこれを振り切りに出た。追撃隊は何とか追いつきたかったのだが、余り母艦から離れると戻れなくなってしまうのでマーシャルが見えなくなる直前辺りで遂に追撃を打ち切ってしまった。

「くそっ、最後のチャンスだったってのに!」

 もうここから先は大西洋連邦の哨戒圏内に入ってしまう。幾らMSがあるといっても危険すぎる領域だ。もう足付きを仕留める機会は失われてしまったのだろう。ジャックは物凄い失望感に包まれながら母艦へと戻ったのだが、そこで彼は更なる凶報にぶつかる事になった。

「ザラ隊長とニコルさんとシホが戻ってない!?」
「ああ、既に戦場空域に残ってる物は無い。となると……」

 ミゲルが残念そうにジャックに言う。3人はストライクと交戦していた筈だから、もしかしたら3人とも返り討ちにあったのかもしれない。

「捜索は、捜索はどうなっているんです!?」
「俺たちにはこの辺りを捜索できるだけの余力は無いんだ。何しろこの辺りはウェーク島からの大西洋連邦の哨戒機がうろついてるからな。そんな所でボロボロのMSなんか飛ばしていたら、撃ち落してくれって言ってるようなものなんだ。それに、一応この辺りはオーブの勢力圏なんだよ」
「それじゃあ見捨てるって言うんですか!?」
「生きてるかどうかの保証も無い。そんな状況で、更に犠牲を拡大は出来ないんだ!」

 詰め寄ってくるジャックをミゲルは一喝して押さえ込んだ。本音を言えばミゲルも捜索に出たいのだが、それを口にする事は出来ない。この部隊の中ではミゲルが実質的なbQなので、自分が率先して暴走するわけにもいかないのだ。
 実は艦内では他にもエルフィやディアッカがイザークに詰め寄っていたのだが、イザークはこの海域を離脱する考えを変えることは無かった。指揮官が間違った選択をすれば、そのツケは兵士の命で支払われる事になる。その事を学んでいないほどイザークは馬鹿ではなかった。、




 ただ、この時まだ戻っていないディンがいた。ユーレクのディンである。彼はストライクが撃墜された現場に降り立ち、キラの生死を確認しようとしていたのだ。完全にバラバラになったイージスの破片の中に比較的原形を留めているストライクが横たわっている。フェイズシフト装甲はダウンしているようで灰色の機体と化しているその姿は見ていて味気ないものだったが、よく見れば装甲化されていない部分は溶解しているようだった。

「これでは、例えコクピットが無事でもパイロットは蒸し焼きだな」

 ディンから降りてストライクの装甲に近付いたユーレクは表面が焼け焦げているストライクの装甲に触れ、そしてコクピットハッチの前にやってきた。だが、流石にそれは人間の力で開くような物ではなかったので、仕方なくユーレクはディンに戻ってコクピットハッチを無理やり破って穴を開けてしまった。そしてもう一度ディンを降りて中を確認したユーレクは、そこに誰もいないのを見て我が目を疑ってしまった。

「居ないだと。どういう事だ?」

 コクピットの内装は焼け焦げ、計器類やシートは高熱で溶けている。だが、この程度の熱量で人間1人が何も残さず蒸発してしまうなどありえない。人間とは基本的に燃え難く出来ていて、骨も残さず焼き尽くすのにはかなりの高熱が必要となるのだ。良く調べたユーレクは、背面の脱出用ハッチが開放されているのに気付いた。見れば炸薬が炸裂した痕跡も残っている。

「自爆に巻き込まれる前に脱出したのか。それとも自爆に巻き込まれていても生きていたのか。という事は、奴は海に落ちたのか?」

 あの高度から落ちたのなら死んだ可能性が高いが、もし生きているとすればどこかの海岸に流れ着いているか、それとも溺死したか。

「いや、どこかに漂着しているだろう。最高のコーディネイターがそう簡単に死ぬはずが無い」

 それはむしろユーレクの願望だったかもしれない。最高のコーディネイターが、自分以外の手にかかって死んだなどと言う事があってほしくは無いのだ。もしそうなれば、ユーレクは目標を見失ってしまう事になるのだから。
 ユーレクは機能を停止したストライクに重突撃機銃を叩き込んで完全に破壊しておくと、潜水母艦と合流するために空へと飛び上がっていった。キラ・ヒビキが生きているのならば必ず地球連合に復帰してくる筈だと考えながら。

「いや、それともオーブ軍に拾われるか?」

 どちらでも良い。奴が戦場に戻ってくるのなら、どの勢力でも構いはしない。その時こそ自分の手で息の根を止めてやるのだから。それしか今の自分には無いのだから。






 戦場を離脱したアークエンジェルはウェーク島を目指して航行していたが、その艦内には沈痛な空気が漂っていた。キラとキース、どうやったら殺せるんだと言いたくなるような2人がそろって未帰還となったのだ。しかもフレイの時と異なり捜索も出来ない。
 2人の未帰還を知らされたフラガはヘルメットを床に叩き付けて格納庫を後にし、トールはショックを隠しきれない様子で資材の入った箱の上に腰を降ろしている。そんなトールにマードックたちはかける言葉も無く、ただ黙々と自分の仕事をしていた。
 オルガは別に感情を荒げたりはしなかったが、待機所に置かれているキラとの対戦途中だったポーカーの自分の手札を取り、それを開いて口元に笑みを見せていた。

「フラッシュだ。良い手だろ、小僧?」

 そう言ってオルガはキラの手札を開き、そして笑みを苦々しいものへと変えてしまった。

「ちっ、結局手前の勝ち逃げかよ」

 オルガが開いてキラの手札は、フルハウスだった。



 この2人の未帰還で一番大きな衝撃を受けていたのはフラガとナタルだったろう。特にキースの未帰還が2人を酷く落ち込ませている。フラガにしてみれば戦争初期から各地で肩を並べてきた数少ない戦友の1人であり、他のパイロットとは一線を画す信頼関係があった同僚を失ったのであり、ナタルにとっては片思いの相手、周囲の評価はともかく、が戦場から帰ってこなかったのだ。
 戦場を離脱した所でマリューはナタルに部屋に戻って休むように命じ、ナタルはそれを受け入れて艦橋から去っていったのだが、その彼女らしくも無い弱々しい背中を見送ったマリューもまた辛そうな顔をしていた。彼女も戦争で恋人を失ったという過去があり、ナタルの背中が過去の自分に重なって見えたのだ。

「アーマー乗りは、いつも女を残して逝ってしまうのよ」

 マリューの呟きは誰にも聞かれないような小さなものだったが、誰かを非難するような響きが感じられるものであった。
 そして、通信席で通信機を操作していたカズィがマリューに通信が届いた事を告げた。

「艦長、ウェーク基地から通信です。アークエンジェルはこのままハワイ基地に向われたし、と言っています」
「ハワイ基地へ? アラスカではなく?」
「は、はい」

 マリューの問い掛けにカズィは困った顔で答えた。そんな事聞かれても困ると言いたいのだろう。この移動にはハワイ基地で補給と整備を受けるという意味もあるのだが、より大きな理由があった事をマリューはハワイで知る事となる。そして、このハワイでアークエンジェルの運命も大きな変化を迎える事となるのだ。






 オーブがアークエンジェルとザフトの激突を知ったのはわりと早くであったが、そこから彼らがキラたちが落とされた事を知るのはアークエンジェルからの捜索依頼を受けてだった。この報せを受け取ったキサカは少し悩んだあとでカガリに連絡を取る事にした。
 この時カガリはキサカに仕事を押し付けてフレイの病室にやって来ていた。いや、勿論見舞いだけではなく、別の用事もあったのだが。
 フレイはもう大西洋連邦に身寄りが居ないという事情を考慮したクローカーが引き取ることになってしまっていた。その為の必要な手続きをカガリの名前を使って書類を回したので何の問題も無く極めて迅速に処理されたおかげで、こんなに早く手続きが終わっていたのである。恐るべきは首長家の名前だろうか。
 フレイにしてみれば大西洋連邦に戻っても戦災孤児の施設に入れられるだけなので、まだ知り合いの居るオーブに留まれる方が良いという事でクローカーの提案を受け入れていた。カガリも最初はこれに喜んだのだが、後に大西洋連邦側から送られてきたフレイの身分証明等の書類に目を通したカガリは真っ青になってそれをフレイに渡していた。

「フ、フレイ、お前、一体幾ら溜め込んでるんだよ!?」
「え、何のこと?」
「これだよこれ、大西洋連邦から国籍をこっちに移す関係で書類を回してもらったんだが、何なんだこの資産は!?」

 そう言ってカガリが示したフレイの個人資産は、何処の国の国家予算だと聞きたくなるような額であった。だが、それに目を通したフレイはまだ訳が分からない顔をしている。

「何って、うちの資産だけど、これがどうかしたの?」
「出、出鱈目な額だぞ!」
「そんな事言われたって、これくらいだったらルーズベルト家だってケネディ家だって持ってるわよ。べつに珍しくは無いと思うけど……流石にロックフェラー家辺りには負けるけど、あそこは別格だし」
「だあああ、お前は金銭感覚が狂ってるんだよ。これだからヤンキーは!」

 たんに大西洋連邦とオーブの人間の資産家のレベルの違いなのだろうが、あの国は何でもかんでもスケールがでかい。まるで大きい事は良い事だのノリである。まあ、フレイがこの資産を使って何かするという可能性は……モルゲンレーテの買収など等、やろうと思えばかなりやれるのではあるが。もしやられたらオーブ政府はパニックを起こすだろう。
 なお、フレイが出したのは大西洋連邦を事実上動かしている一族だったり、世界に影響を及ぼせる一族だったりするのだが、カガリはその辺りにはさっぱり気付いていなかった。

「まあ良い。それよりフレイ、じつはさあ、せっかくオーブ国籍取得するんだから、ちょっと頼みがあるんだけど」
「何?」
「あ、あのさあ、オーブ軍のMS隊の訓練教官をやってくれないかな。ほら、うちには経験豊富なMSパイロットって居ないからさ」
「……あの、私は一応大西洋連邦の人間でもあるんだけど。二重国籍なんだから」
「そんな事言わないでくれよお、こっちも大変なんだから」
「それに、キラもサイもこっちの大学に編入して普通の暮らしに戻って欲しいって言ってたし、そうしようかと思ってるんだけど」
「ああ、じゃあ、正社員じゃなくてアルバイトという事でどうだ?」
「……ア、アルバイトって、あんたね」

 どこの世界にアルバイトで雇えるパイロットが居るというのだ。しかも一応フレイは地球連合屈指の超エースの1人だというのに。しかしカガリの方もまた切実な理由がある。オーブ軍は実戦経験を持つ兵士が全く居ない。何しろ海外に軍隊をまともに派遣していないので、そういった機会が無かったのだ。その上訓練度も高いとは言えない状況にある。勿論熟練兵と呼べるレベルの兵も居るには居るのだが、全体としては弱兵揃いというしかないのだ。ようするにやる気が無い。
 こんな指揮官なら階級章投げ捨てて不貞寝したくなるような状況下にあって、撃墜スコア30機以上のフレイは喉から手が出るほどに欲しい人材なのである。カガリが手を合わせて頼み込んでくるのも仕方の無い所だろう。
 しかし、そんな交渉を続けているカガリの携帯通信機が突如として鳴り出した。マナー違反なのだが、カガリの立場上切る訳にもいかないのだ。最もカガリが持ってるのは携帯電話ではなく、携帯用の超小型無線機なので規則違反になるのかどうか。
 不満げな顔で無線機を取ったカガリが何事かを問うと、通信機の向こうからキサカの妙に潜めた声が聞こえてきた。

「カガリ様、今アークエンジェルから連絡がありまして、戦闘中に消息不明になったパイロット2名を探して欲しいといってきました」
「…………」

 内容が内容だけにカガリはフレイとクローカーの居る病室から出て、廊下を少し歩いた所でようやく口を開いた。

「落とされたのは誰だ?」
「どうも、キラ君とキースのようです」
「あの2人が落とされただと? いや、キースはともかく、キラがか?」
「はい。ザフトの方もかなりの犠牲を払ったようなのですが。ともかく、私は直ぐに捜索隊を組織して現地に向います」
「待てキサカ、私も同行するから、屋上にヘリを回せ」
「……やはり、同行なさいますか」

 やはりこうなったかと言いたげなキサカの声にカガリはちょっと口を尖らせたが、直ぐに表情を改めると手を打っておかなくてはいけないを指示した。

「分かってると思うが、この事はまだ外部には漏らすなよ。特にフレイには絶対に知らせるな」
「それは勿論考慮しております。この情報は私と周辺の者しか知りません」
「上出来だ」

 カガリは頷いて通信機を切ると、両手で頬を叩いて気持ちを切り替え、表情を作り直してフレイの病室へと戻った。病室ではフレイとクローカーが談笑していたが、カガリが戻ってきたのを見て話を打ち切ってカガリの方を見てきた。

「どうかしたのカガリ?」
「あ、ああ、ちょっとな。悪いけど仕事が入ったんで、今日はこれで帰るわ」
「そっか、カガリも一応お姫様だもんね」
「だから一応じゃないと言うのに……」

 まだ言うかと言いたげにカガリは口を尖らせているが、これはもう日頃の行いが悪かったとしか言いようがあるまい。あの優柔不断で八方美人な所があるキラでさえ不信の目を向けたくらいなのだから。
 カガリはフレイに文句を言った後でフレイに背を向けて病室を後にしようとしたのだが、ふとフレイが口にした言葉に足を止めてしまった。

「キラ、大丈夫かな」
「え?」

 思わず足を止めて振り返ってしまう。そこにはいつもと代わりのないフレイがいたのだが、その一言は今のカガリには無視できない意味があった。

「あ、何でもないの。ただ、ちょっと気になっただけ」
「は、はははは、考えすぎだよ。それじゃあな」

 内心ぎくりとしながらもカガリは笑って無理やり誤魔化し、その場を後にした。そして病室を後にしたところでどっと顔に汗が噴出し、フレイの異常なまでの勘の良さに戦慄してしまった。

「相変わらず異常な勘の良さだな。でも、今回は勘弁して欲しかったよ」

 これから捜索に行くというのに、いきなり不安になってしまうではないか。カガリはその事を愚痴りつつ屋上へと歩いて行った。






 周辺を捜索していたが、とうとう諦めて去っていくユーレクのディン。だが、彼はもう少しここで粘っているべきだったろう。ユーレクが立ち去った後でやってきた小さな小船が浜に乗り上げてきたのだが、それから下りてきた2人の男は連合のパイロットスーツを着た少年を抱えたいたのである。

「たく、俺も長いこと漁をしてるが、人間が網にかかったのは初めてだぞ」
「ああ、網を上げたら人間がかかってるんだもんなあ。さっき向こうでドンパチやってたけど、その時の落ちたんだろうな」
「とりあえず、マルキオ先生とこに運ぼうや。あそこなら治せる道具もあるだろうし」
「そうだなあ。じゃあ、さっさと行くか。魚も降ろさねえといけねえし」

 そう言って男達はパイロットスーツを着た少年を島の中へと運んでいった。彼らは単なる善意でやっているのだろうが、これが後に世界的な混乱を引き起こす要因の1つへと発展してしまうと知っていれば錘と共に海に沈めておく事を選んでいたかもしれない。
 彼らがその少年を運び込んだのは、この島で孤児院を経営しているマルキオ導師の元であった。ここには簡単な医療設備もあり、ちょっとした施療院と呼べる場所になっているのだ。
 マルキオ邸の前まで来た漁師たちは子供達に事情を話してマルキオ導師を連れてきてもらった。少し待っていると中から盲目の導師が子供に引かれるようにして現れた。

「怪我人という事ですが?」
「ええ、漁をしてたら網に引っ掛かってたんですよ。多分戦闘で落っこちたんでしょうがねえ」
「なるほど、分かりました。そういう事でしたら手当てをしましょう。ベッドに運んでいただけますか?」
「ああ、それくらいはお安い御用です」
「手当てを施した後、オーブ本島の病院へと搬送しましょう」

 そう言ってマルキオはその怪我人を家へと招き入れるのだった。この時、彼の目に光があればあるいはこの人物が何者であるかに気付いたかもしれないが、残念ながら盲目なので誰かを確認する事は出来なかった。こうしてマルキオは相手がキラだと気付く事無く、彼に応急手当をする事になるのであった。


 運びこまれた患者をマルキオが手当てし終えた時、いきなり外線の着信音が聞こえてきた。盲目のマルキオは音で分かるように設定してあるのだ。もはや慣れた仕種で外線をONにすると、ヴィジホンの画面にプラントのラクス・クラインが現れた。

「お久しぶりです、導師」
「これは、ラクス様でしたか。今日はどのような御用で?」
「いえ、連合内の穏健派の方々との接触はどうなっているのかの確認で……」

 いつものように穏やかな口調で話しを続けようとしていたラクスの声が突然途切れた。その変化にマルキオが怪訝な顔になったが、ラクスはマルキオの様子など気にも留めずに話題を変えてきた。

「マルキオ様、後ろの方は?」
「ああ、彼でしたら漁師の方が海で救助したそうで、うちに運び込まれたのです。これからオーブ本島に連絡を取って搬送用のヘリを回してもらおうかと思っています。そういう事でして、申し訳ないのですがそちらに行くのは少し遅れそうです」

 どうやらマルキオはプラントに行く予定があったらしいが、キラをオーブに送る関係で出立が遅れるという事らしい。だが、ラクスはマルキオに対してとんでもない事をお願いしてきた。

「マルキオ様、その方、私の元に連れて来て頂けませんか?」
「は、何故ですか。彼の状態は決して良好とは言えないのですが?」
「プラントで手当てを致しますわ。それに、私その方を知っておりますの」
「知っている?」
「はい、キラ・ヤマト様ですわ。こちらの調べた限りではSEEDを持つ方のようです」
「キラ・ヤマト…………」

 その名を聞いたマルキオは僅かに眉を寄せた。その名に聞き覚えがあったのだ。だがラクスはそんなマルキオの変化に気付く事無く話を続けていく。ようするにラクスはキラを仲間に引き込んでしまいたいらしい。その為に一度プラントに来させて説得したいというのだ。元々は別の同志に頼んでいた仕事だったのだが、マルキオならばより確実にプラントに連れ込めるので都合が良いという事らしい。
 マルキオは暫し悩んだ後、仕方なさそうに頷いた。それはつまり、キラを自分たちのために危険に晒すという選択をしたということでもある。しかし、2人が1つだけ考慮していない事があった。それは、キラ自身がどう考えているかである。





 
 そしてもう一方の海に落ちた人たちはどうなったかであるが、こちらは随分数奇な運命を辿っていたといえる。海に落ちる時キースは慣れた仕種でスカイグラスパーに搭載されていた救命パックを投下しており、それは海に落ちると同時に一気に膨張してかなりのサイズのゴムボートとなったのだ。さらに海に落ちたサバイバルキットと食料の入ったボックスも合わせてエアバックで浮いており、海に落ちたキースは自分で泳いでゴムボートに這い上がった後にそれらを回収していった。何気に手馴れているのが彼の凄い所であろう。
 そしてボートに物資を繋いでやれやれと一息ついたところで、ふとキースはすぐ近くで聞こえるけたたましい物音に気付いた。何かと思ってそちらを見ると、まだ回収していなかった荷物に必死の形相でしがみ付いている女の子が居る。

「……はて、俺と一緒に落ちたMSのパイロットだろうか?」

 多分そうなのだろうが、彼女がしがみ付いているのは人間を支えられるほど大きなエアバックではないのであれでは直ぐに沈んでしまう。せめて暴れなければまだ浮いていられるだろうに、彼女は必死にしがみ付いては荷物と一緒に沈み、そしてまた溺れかけては浮いてきたバッグにしがみつくという事を繰り返している。そのあわてぶりを見ていたキースは仕方なく声をかける事にした。

「おいお嬢ちゃん、暴れないでしがみ付くだけにしとけばまだ……って、ありゃ聞こえてないな」

 仕方なくキースはボートを近づけると、暴れている女の子の腕を掴んだ。女の子はその腕に必死にしがみ付く事でやっと沈まなくなったおかげか、どうにか暴れなくなってくれた。
 だが、問題はここからだろう。相手は幾ら女の子とはいえザフトのパイロットである。迂闊にボートに引き上げれば逆に自分が殺されかねない。

「さて、どうするお嬢ちゃん?」
「あ、あなたは、さっきの戦闘機のパイロット!?」
「まあそういう事だ。因みに俺の言う事を大人しく聞くっていうならこのままボートに相乗りさせてやっても良い。勿論武装は解除させてもらうがね」
「じょ、冗談じゃない。何で私がナチュラルなんかに助けてもらわないと!」
「……君、泳げないんでしょ? さっきあれだけ必死に暴れてたじゃない」
「ぐっ」

 どうやら図星だったらしい。シホは途端に勢いをなくして顔を逸らせてしまう。それを見たキースはニヤリと悪人の笑みを浮かべ、更にとんでもない事を言い出した。

「まあ、このまま俺の腕を掴んでくれてても良いわけだが、このままだと結構危ないぞ君」
「ど、どういう事ですか!?」
「この辺りの海は暖かくて鮫が多いんだ。こんな所で水に漬かってるとやってきた鮫にいきなり体をがぶっとやられて水の中に逆戻りかもしれんぞ」
「……さ、鮫?」
「そう。ほら、映画とかによく出てくるだろ。ジョーズとか」
「…………」

 それを聞いてシホは顔面蒼白になってしまった。鮫というものを見たことがあるわけではないのだが、本から得た知識や映画などで何度か見たことはある。ただ、今シホの頭の中に出てきているのは水面に鰭を出して迫り、そのまま人間を丸呑みにしてしまったり、強力な顎で一撃で食い千切ってしまうような映画に出てくる化け物鮫だったのだが。まあ生まれてずっと宇宙にいたのでは仕方あるまい。
 頭の中でジョーズに襲われて死ぬという図式が成立してしまったシホはもう形振り構っていられなくなってしまった。ナチュラルの捕虜になった方が多分鮫の餌になるよりはマシに違いない。というか、人間目の前の脅威から逃れる事を最優先するものである。

「わ、わ、わ、分かりました。何でも聞きますから乗せてください!」
「本当に? 乗り込んだ後で暴れたりしない?」
「しません。絶対にしません。だから早く上げて!」
「ふむ、そうだな。ちょっとやばそうだし」

 そう言ってキースはシホの腕を力任せに引っ張り、彼女の体をボートの上まで引き上げた。ようやく水から這い上がれてシホがボートのそこにぺたんと腰を降ろして大きく息をしている。その背後でキースがシホのしがみついていた荷物も括りつけていた。

「よし、それじゃあ、とりあえずあの島に行くか。このボートだって何時までも浮かんでるわけじゃないからな」
「そ、そうなんですか?」
「そうだよ。急がないとほれ、その辺を泳いでるでかい魚の餌になりかねん」
「え?」

 なにやら聞き捨てならない事を言われたシホは、キースが指差す先を凝視してみた。すると、透明度の高い海中になにやら凄く大きな魚が何匹も泳いでいるのが見て取れた。それが何であるか、言うまでも無いだろう。

「な、一杯居るだろ。意地張らなくて良かったねえ。目の前で女の子が鮫に食われるシーンを見せられたら流石に寝覚めが悪い」
「な……あんなに……ジョーズが……」

 どうやらシホの頭の中では鮫=ジョーズの図式が完成しているらしい。まあ、海の無い内陸部の国では保存上の問題で保存性のいい状態の魚が並ぶ事があるが、その国の人は魚の開きばかりを見て育った為、海の魚はこういう形で泳いでいると本気で思っている場合があるので、正確な知識を持たないとこうなってしまうのだろう。
 自分がこんな危険地帯で溺れていたのだと理解できたシホは真っ青になって腰砕けになってしまった。ようやく自分が何時死んでもおかしくない状況に置かれていたのだという事を理解できたのだ。
 シホが暴れないのを見て取ったキースは彼女の腰にある拳銃を奪うと、それを自分の荷物袋に放り込んでしまった。流石にこんなものを敵に持たせておくのは危なすぎる。それでとりあえず一息つくと、取り出したオールで島に向ってボートを漕ぎ出した。日没までに付かないと本当に海の藻屑になってしまうから少し頑張らなくてはいけないだろう。幸い、島はそんなに遠くないのでまあ大丈夫なのだろうが。




 何とか日が暮れる前に島にたどり着けた2人はぐったりとしながらゴムボートに括りつけてきた荷物を荷揚げしていった。とにかく夜露を凌げる所に行かないと色々と困ってしまう。だが、野営の準備を進めているキースの姿にシホは不思議そうな声をかけてきた。

「あの、何をしてるんです?」
「何って、寝るところ作らないと不味いでしょ。何時救援が来るか分からないんだし」
「そんな事しなくても、通信機で助けを呼べばいいのではないですか。サバイバルキットに近距離通信機くらい入っているでしょう?」
「ああ、それならほれ」

 キースははこの一つを指差して見せた。それは何故か箱が少し歪んでおり、中に海水が入ってしまっていた。

「これは?」
「君がさっき必死にしがみついてた箱。通信機はその中にあったのよね。ついでに電灯や信号弾なんかも」

 ニコニコと楽しそうに教えてくれるキース。だがシホはすっかり顔面蒼白になってしまい、そのまま貧血でも起こしたかのようにその場でパタリと倒れてしまった。余程ショックが大きかったのだろう。
 キースは倒れたシホを急造の寝床に横たえると、とりあえず火を起こす為の薪を集めるためにその辺を探し回る事にした。何で手馴れているのかは突っ込んではいけないところだろう。幸いこの島は椰子の木などもあったので、この実を集めて当座の食料とする。
 だが、彼は海岸に出たところでふと足を止め、何故か薄暗くなってきた空を見上げてしまった。

「……なんと言うか、俺って最近何か悪い事したっけか。それとも誰かの陰謀か?」

 嘆息してキースは視線を海岸絵と戻す。そこにはシホと同じ赤いパイロットスーツを着たどざえもんが半分砂に埋まって波に洗われていたのである。このまま潮が満ちれば水の底に消えるだろう。その男はついこの間にも見かけたアスラン・ザラである。前回といい今回といい、余程不運な星の元に生まれたのだろう。
 キースはなんで俺がこんな事をとぶつくさ言いながらそのどざえもんを砂から引きずり出し、頬を2回ほど叩いてみた。

「おい、生きてるか?」
「う……ううう……」

 叩くと反応して呻きを漏らすから、どうやら生きてはいるらしい。しかし、何でこんな所でこの男は埋まっていたのだろうか。見れば背中のジェットパックの右側が綺麗にもげている。脱出する際にでも失敗したか、破片でも食らって破壊されでもしたのだろうか。

「まあ、仕方が無いか。また埋め戻すわけにもいかんし」

 やれやれと溜息をつき、キースはアスランを背負って来た道を引き返しだした。流石に人1人背負って薪拾いは出来ない。
 野営地に戻ってみるとシホが目を覚ましていた。流石に少しは立ち直ったのか、まだ整理の終わっていない荷物を片付けてくれている。

「おお、気が付いたか」
「あ、お帰りなさい。何処に行ってたんですか?」
「いや、ちょっと薪と食い物を集めにな。あと、海岸でこんなの拾った」

 キースは開けた所に背中に背負って来たアスランを降ろした。それを見たシホが目を丸くして驚いている。

「ザ、ザ、ザラ隊長!?」
「海岸で埋まってたのを見つけたんで拾ってきたんだ。まだ息はあるから、火でも起こして体を温めてやればそのうち目を覚ますだろ」
「だ、大丈夫でしょうか?」
「とりあえず息はあるし、大丈夫だろ。見たところ外傷は無いようだし」

 しかし、何で撃墜された日に遭難者を2人も拾わなくてはならないのだろうか。おかげで食料が全然足りないではないか。というか、寝床を3人分も確保していない。寝床はまあ何とかなるとしても、食料は後で釣りでもして確保しなくてはなるまい。幸い、サバイバルキットには釣り道具も入っている。

「流石に野晒しにもできんしなあ。仕方が無いから、俺のスペースに置いておくか。後は火を起こさないと」

 アスランを自分用に作っていた寝床に移した後、キースは薪を集めてその中に枯れ草を集めると着火機で火をつけた。これは燃料で火を付けるタイプではなく、圧電素子で火花を散らすタイプなので海水がかかっていても機能していた。
 枯れ草に付いた火はその上に積まれた木に中々燃え移らなかったが、それでも暫くすると燃え移ったのか火の勢いが少し強くなった。それを見たキースは残りの薪を焚き火の傍に積み上げた。それを見ていたシホがまた不思議そうな顔をしている。

「あの、木を積み上げて何をしてるんです?」
「乾かしてるんだよ。湿気があると木は中々燃えないんでね」
「物知り、なんですね」
「物知りというか、まあ、人生経験って奴だな。こう見えても色んな事を経験してるんでね」

 何でもないようにキースは言っているが、それはシホからすればかなり凄い事である。と同時に、コーディネイターである自分がナチュラルにただ助けられているだけだという現実に何となく不快なものも感じていた。そして更に腹立たしいのは、自分の持つ知識も技術もこの状況を生き残るには何の役にも立たないという事だろうか。
 キースは時折薪を火に投じながら何も口にしない。シホも何も口にしようとしなかったが、とうとう我慢できなくなったのかキースに話しかけた。

「あ、あの……」
「うん、何?」
「助けてくれた事には感謝しますが、何を考えているんですか?」
「考えるって、何を?」
「私達を助けても、あなたにどんな得があるんです。私はただの足手纏いでしかないのに?」
「……まあ、確かに役に立ってはいないわな。通信機壊されたし」
「そ、それはその……御免なさい」
「まあ、謝られてもしょうがないから、気にするな。気にしたって通信機が直るわけじゃないしな。そのうちオーブの偵察機なりが戦場跡を偵察にでも来るだろうから、その時に助けてもらえばいいさ」
「楽観的なんですね、貴方は」

 なんでそう事態を前向きに捉えられるのだろうかと、シホは呆れかえった顔で答えていた。



後書き

ジム改 落ちた人たちはそれぞれに大変なのでした。
カガリ なんか、キラがピンチなんだが。
ジム改 実は、どうしてマルキオがキラをプラントに連れてったのか、凄く悩んだのだ。
カガリ どうして?
ジム改 マルキオって盲目なんだぞ。何でキラだと分かる?
カガリ …………。
ジム改 普通、応急処置したら病院に搬送するのに、どうしてプラントへ連れて行ったのか。
カガリ キラって分からないのにプラントに連れて行く理由は無いよなあ。
ジム改 しかも重傷者だぞ。殺す気としか思えん。
カガリ で、今回みたいな形になったと。
ジム改 うむ、ラクスが連れて来いと要求した事にした。こうでもしないと説明がつかん。
カガリ 私が拾ってたら迷わずオーブの病院に連れてくからなあ。
ジム改 正気の人間なら普通はそうするって。
カガリ で、キースのほうは?
ジム改 あいつが墜落で死ぬって考えた人いるのか?
カガリ 確かに、しょっちゅう落ちてるからなあ。
ジム改 被弾して引き返すまで入れると何回やられたか。
カガリ トールよりやられキャラのイメージが強いもんなあ。
ジム改 シホとアスラン拾ったのは成り行きだけどな。すぐにカガリが来るし。
カガリ で、私がアスランに銃突きつけて脅すのか?
ジム改 いや、原作と違って碌な面識無いから別の反応だと思う。
カガリ ……嫌な予感がするんだが?
ジム改 気のせいだろう。
カガリ 前科が多すぎるだろうがあ!
ジム改 では次回、壊滅したAA追撃部隊はカーペンタリアで再編成を受ける事に。失意のイザークを待っていたのはジュール隊の正規部隊への昇格と、新しく編成される軍団への編入命令であった。カーペンタリアにクルーゼと交代で新しい司令がやってくる。
カガリ 「運命に弄ばれて」で会おうな!


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