第99章  孤島の主




 朝の日差しが照らし出すアルスター邸の敷地内。そこは管理人も居ないのに何故か何時も綺麗な佇まいを維持している。それは、1人の初老の男性が時々訪れては手入れをしているからなのだ。今も1人の男が脚立に乗り、鋏を手に庭の植え込みの手入れをしている。
 その男に、ソアラがお盆にお茶を乗せてやってきた。

「おはようございます、ホムラ様」
「ああ、おはようソアラさん。今日はどこかへお出かけなのかな?」

 なんと、鋏で植え込みの手入れをしているのはオーブの現代表たるホムラ代表その人であった。なんでこんな要人がこんな所でこんな庭仕事をやっているのだろうか。彼はソアラが珍しくスーツなどを着こんでいるのを見て少し驚いている。
 ホムラはソアラから湯飲みを受け取ると、ズズズッと静かな音を立ててそれを啜り、ふっと穏やかな吐息を漏らしていた。

「ここは静かで良い。ここには策謀も何も無いからね」
「お仕事がお辛いのですか。ホムラ様は?」
「……いや、仕事が辛いのではないな。ただ、オーブの苦難の時に何も出来ないのが辛いのだよ」
「…………」
「せめて、子供達にこの国と未来を残してやりたいものなのだがな」

 どこか遠い所を見ているようなホムラ。責任感の強い人物でありながら、国家が窮地に立たされている事を理解しているのに何もする事が出来ず、ただ座して見ている事しか出来ない自分が腹立たしくて仕方が無いのだ。
 ソアラは一介のメイドなので、ホムラの苦渋を完全に理解する事は出来ない。だが、彼女は彼女なりにオーブの未来への希望は抱いていた。

「ホムラ様、オーブの次代を担う方々は、立派に育ってきていると思います」
「カガリ達の事かな?」
「はい、カガリ様は人を惹き付ける魅力をお持ちのようです。お嬢様を初めとして、大勢の人がカガリ様の下に集ってきています。このお屋敷もアズラエル様やお友達の方々で随分と賑やかになりました」
「……カガリがな。確かに久々に帰ってきたあれは、出て行く前とは随分と印象が変わっていたな。自分で防衛計画の整備を始めたと知った時は驚いたが、ミナやユウナが手を貸しておると知った時はもっと驚いた」

 オーブを発つ前のカガリは血気が盛んなだけの年相応の子供でしかなかった。それが長旅から帰って来てみれば何やら面構えが少し変わっていて、軍の司令官として色々と自分で仕事を進めるようになっていた。何があったのかは知らないが、カガリがこの旅で色々な事を学んだのは確かだとホムラには思えた。

「私に、カガリに手を貸せというのかね?」
「自分で直接何かは出来ないとしても、オーブを守る事に繋がると思いますが」
「カガリを、信じるか」

 それは考えた事の無い選択だった。確かにカガリは見違えるように変わっていたが、まだ信頼できるほどとは思っていなかった。だが、今のオーブを守るにはカガリに出来うる限りの助力をするのが一番だと言われれば、そうかもしれないと思える。少なくとも今、オーブの防衛軍司令官はカガリなのだから。
 それに、自分にはもうそれくらいしか出来る事が無い。

「そうですな、それも良いかもしれん」

 ホムラは穏やかな表情で頷くと、また鋏を植え込みに入れ始めた。






 フィジー諸島にあるバヌアレブ島。その西にパクダと呼ばれる小さなサンゴ礁の島がある。地図にも滅多に載らないような島であるが、この島が表向きには殆ど知られていないのには訳がある。それは、この島が完全な個人の所有物で、その所有者がこの島が人目に触れる事を嫌っているからである。そう、この島の持ち主は、地図の記載にさえ影響を及ぼせるような人物なのだ。

 その島の中に立てられているそれほど大きくない邸宅の中で、日当たりの良いリビングに置かれている寝椅子に1人の男が横になりながら本を読んでいる。着ているのはくたびれたカーディガンにスラックスで、身なりを余り気にしているようには見えない。
 この男の傍に、黒い礼服を着た中年の男が近付いてきた。

「旦那様、島に1機の水上機が近付いております」
「水上機? 何処の機体だい。大洋州連合かな?」
「いえ、オーブの機体のようです。アスハ家の紋章が描かれていると」
「アスハ家?」

 その名を聞いた男は本を閉じ、ゆっくりと上半身を起こした。その顔には楽しげな笑みが浮かんでいる。

「どうなさいますか? 追い返すのでしたら」
「いや、この書斎にお通ししてくれ。一国の王女様なのだから、丁重にな」
「分かりました」

 主の命令には絶対服従、というのが伺える執事だ。執事が出て行った後、男は本を本棚に戻し、首を左右に動かして軽く背筋を伸ばした。

「どうやって僕のことを知ったか知らないが、向こうから会いに来るとは驚いたね。カガリ・ユラ・アスハさん」


 その島に向けて、アスハ家の紋章を付けた1機の水上機が近付いていた。後部座席の窓からカガリが海上を見下ろしている。

「あれがバクダか。こんな島があるなんて、知らなかったな」
「私もパパから話しを聞いただけだけど、本当にあったのね。劾さん、攻撃される気配は無いですか?」
「センサー系に反応は無いな。通してくれるようだ」

 水上機のパイロットを務める男、叢雲劾は計器を確認して雇い主に答えた。何でこの男がこんな事をしているかというと、オーブで仕事を探している時にソアラに雇われたのだ。万年金欠病に冒されているこの傭兵部隊は、というか、傭兵というのは買い手市場なので、大抵の傭兵は金欠である。傭兵は戦闘のプロだから引く手数多で大金を稼げる、というのはイメージが一人歩きしたデマだったりする。
 企業に雇われているサラリーマン傭兵は高給取りであるが、劾のような個人傭兵など、その生活は悲惨なものである。代金を得ても殆どが設備維持に消えてしまうからだ。
 マドラスで連合軍に雇われていた頃はそこそこ稼いで借金を返した劾だったが、契約が切れてフリーとなった途端にまた金欠となり、今度はオーブで仕事を探していたのだ。最初は輸送屋の護衛などの簡単な仕事を探していたのだが、そこに高級そうなスーツに身を包んだ女性が声をかけてきたのである。

「サーペントテイルの叢雲劾さま、ですね?」
「そうだが、貴女は?」
「ソアラ・アルバレスと申します。今回はビジネスでお伺いしました」
「……俺の事を知っていて、頼んでくる仕事という訳だな?」
「はい」
「分かった。話は俺の船で聞こう」

 仕事となれば、外部に聞かれては不味い物もある。劾はソアラを自分の船へと案内する事にした。ソアラもそれに付いて行き、港に停泊している海上船の客室へと通される事となる。そこには黒髪の女性と容姿端麗な若者、初老の男が居て、女性はソファーに腰掛けている。だが、何故か男性2人は泥汚れの付いたランニングシャツに頑丈そうなズボンと、まるでどこかの土木工事現場にでも居たかのような恰好だったが。
 劾は女性の隣に腰を降ろすと、向かい側のソファーをソアラに勧め、改めて仕事の内容を尋ねた。

「それで、仕事の内容は?」
「その前にお伺いしたいのですが、貴方は生身での護衛も受けていただけるのでしょうか?」
「仕事ならな。MS戦しか出来ないなどと見縊られては困る」

 傭兵は様々な仕事を請け負う。中には1つの技術に特化した者もいるが、大抵は複数の技能を持ち、様々な仕事をこなせる。そうでなくては傭兵は務まらない。
 その時、銀髪の青年がソアラの前にお茶を置いた。ソアラは青年に微笑んでカップを取り、口に運ぶ。そして、カップをソーサーに戻したソアラは小さく頷くと、劾に仕事の内容を語った。

「仕事はあるお方をフィジー諸島まで無事に送迎する事です。期間は1日」
「……要人の護衛か。だが、それなら軍や警備会社の人間を使えば良いだろう。何で俺みたいな傭兵に話を持ってくる?」

 余りにもおかしな仕事だ。しかもこの依頼人は護衛対象の素性を明かしたくは無いらしい。こういう仕事は大抵碌でもない裏があるものなので、劾は慎重であった。だがしかし、その慎重な態度もソアラが2人の間にある安物のテーブルの上に滑らせた1枚の紙のせいで崩れる事になる。

「これは?」
「ホールワディッツ銀行の小切手です。疑われるのでしたら、気が済むまでお調べください」

 受け取った劾はそれに透かしが入っている事を確かめると、それを隣の女性に渡した。女性は暫くそれを眺めた後で、本物だと頷いている。

「本物よ、劾」
「そうか。それで、一体幾ら貰えるのかな。わざわざ俺たち傭兵に話を持ってくるのだから、それなりに危険な橋を渡らされるのだろう?」

 こんな胡散臭い仕事を請けるのだとすれば、相応の金額を要求すると劾は言外に突きつける。ソアラもそれくらいは承知していて、テーブルの上に戻された小切手を指先で手元に戻して逆に劾に問い掛けてきた。

「銀行からは最大100万アースダラーまでの書き込みを許されておりますが、幾らくらいなら御満足でしょうか?」
「…………100万?」

 それを聞いた劾の中で、これまでは頑張って働いていた計算機が一撃でぶっ壊された。隣にいる女性もあんぐりと口を開けており、後ろの青年は指を折りながら何度も数えなおし、初老の男が天上の明かりを見上げて何かブツブツと呟いている。
 ソアラは彼等の奇行に特に何も言わず、現実に戻ってくるのをじっと待っている。そして彼等が精神を何とか持ち直すと、劾はコホンと咳払いして仕事の話に戻った。

「ま、まあ、護衛対象の素性を明かしてくれないと、金額は提示できないのだが」
「では、5万アースダラーで如何でしょうか? 1日の仕事としてはそれなりの額だと思いますが?」

 ソアラの提示した金額を聞いた青年が呆けた顔で何かが壊れたような声を漏らした。

「……い、1日仕事で5万アースダラーって」
「溜まってる湾口停泊料どころか、船の壊れた空調直して、洗濯機とかも新品に出来るわよ」
 
 青年に続いて劾の隣に座る女性が目を輝かせている。勿論こんな金額を提示してくる以上とんでもない仕事だというのは容易に想像できるのだが、彼等の経済状態がこの胡散臭い仕事を拒否する事を許さなかった。というか、ブルーフレームの部品を買う金も無いのだ。護衛対象の素性も問わない。この金額には当然ながらその辺りの事情も込みなのだろうから。

「分かった、引き受けよう。それで俺はどうすれば良い?」
「これから私に同行してください。そこに水上機と、護衛していただくお方々がおられます」
「やれやれ、どんな奴を守るのやら」

 劾は用意をしてくると言って客室を後にし、完全武装になった後で、地上車でソアラの言う目的地へと向った。そこで彼はアスハ家の紋章が描かれた水上機と、護衛対象らしい2人の少女と出会う事になるのである。そして困った事に、そのうちの1人に劾は見覚えがあった。そう、マドラスで自分の股間を蹴り上げて致命傷を負わせてくれた、あのクソガキだったのだ。

「お、お前は、あの時の!?」
「えーと、何処かで会った事あったっけ?」

 金髪の少女は劾に非難の視線を向けられて、戸惑うように首を傾げている。どうやら加害者の方は何も覚えていないようだ。それを理解した劾はガックリと肩を落とし、もういいと呟いて力なく首を左右に振っていた。



 こうして劾はカガリとフレイを乗せた水上機を操縦してパクダという島へとやってきたのだが、既に彼は背筋に冷たい流れを作っていた。確かに直接攻撃をしてくる気配は無いたのだが、明らかに迎撃を受ける兆候はあった。この島の近海に入った辺りから追跡を受けているし、島には対空火器が偽装されて配置されているのが伺える。それらの全てがこの島が普通の世界とは異なる場所である事を教えていた。

「流石は5万の仕事、というわけか」
「え、何か言いましたか?」

 劾の呟きを捕らえたフレイが聞き返すが、劾は独り言だと答えて機を島へと近づけていく。すると、船着場らしきビーチの桟橋の近くに誘導灯が点灯するのが見えた。

「着水しろ、という事だろうな」
「じゃあ、降りましょうか」
「了解した」

 フレイに促されて、劾は機体をビーチへと降ろして行く。その桟橋の近くに正確に機体を着水させた劾は、ふうっと息を吐いてヘルメットを脱ぎ、ベルトを外して外に出た。するとそこには、まるでお話に出てくるような執事が直立不動の姿勢で佇んでいた。
 そしてフレイとカガリも降りてくる。2人は劾の隣に並ぶと、この執事に来訪の目的を伝えた。

「あの、この島の主にお話があるのですが。これはアズラエル財団の会長、ムルタ・アズラエル理事の紹介状です」
「拝見しましょう」

 執事は紹介状を受け取って目を通し、頷くとそれをフレイに返した。

「確かに、ムルタ・アズラエル理事直筆の紹介状ですな。どうぞこちらへ、旦那様がお待ちです。カガリ・ユラ・アスハ様、フレイ・アルスター様」

 執事の人の促されて歩き出す2人、それに半歩後れて付いていく劾。仕事は護衛なので、2人の傍を離れるわけにはいかないのだが、劾にはこの島のおかしさが気になって仕方なかった。この島に来るまではまるで軍を相手取っているかのような警戒が行われていたのに、この島の中は全くの無防備なのだ。他所者の上陸を許さない事に絶対の自信があるのかもしれないが、それにしてもこれは劾の常識では異常な事に映る。
 3人が通されたのは島のビーチの近くに立つ、ちょっとした大きさの邸宅であった。外見は小金持ちの私邸という感じで、中の内装も一見質素な感じに整えられている。もっとも、カガリやフレイの目には見た目が質素に見えるだけで、全てが超高級品の塊だというのが分かる。

「何だよこれ、たいした大きさじゃないのに、うちの屋敷より金掛けてないか?」
「多分ね。さすがスチュワート家だわ」

 カガリの問いにフレイが頷きつつ答える。カガリがそれになるほどと言いかけて、フレイが出した名前にピシリと表情が固まる。

「スチュワートだと?」
「ええ、世界でも五指にはいる資産家の一族よ。スチュワート財団は知ってるでしょ?」
「そりゃ知ってるが、何でかな、スチュワートって聞くとヘンリーが浮かんでくるんだけど」
「スチュワートなんて珍しく無いわよ。気にしすぎ」
「そう、だよなあ」

 変な方向に考え過ぎだと笑うフレイ。カガリもそれに頷いたのだが、通された書斎で待っていた男はまさにカガリの最悪の想像通りの人物であった。

「やあ、久しぶりだねえ2人とも」
「何で!?」
「貴方が居るんですか!?」

 そこに居たのはまさにあのヘンリー・スチュワートその人だったのである。そう、彼こそ世界屈指の資産家の一族の当主であり、スチュワート財団の支配者であった。
 スチュワート家は企業経営は雇い入れた超一流の経営者たちに任せ、自分達は財産管理に徹して余り表には出ない事で知られている。アズラエルのように自ら陣頭に立つという事はしないのだ。アズラエルがヘンリーの動きを苦々しく思いながらも何の手も出せなかったのも当然だ。ヘンリーに手を出してスチュワート財団を怒らせれば、アズラエル財団でも怪我では済まない。
 ヘンリーが好きに記事を書いて、この御時世にコーディネイターを擁護するような記事をワシントン・ポストが載せることが出来たのも、彼にこういう秘密があったからだった。






 カーペンタリア基地は先のアスランたちの奇襲攻撃でポートモレスビーが大損害を出して再建の真っ最中である為、ここ暫く静かであった。ただ、ポートモレスビーに奇襲をかけられたことで赤道連合もザフト潜水艦隊の威力を思い知ったのか、艦隊を出してトレス海峡を機雷封鎖するという手に出てきていて、これとザフト潜水艦隊の戦いが繰り広げられている。
 赤道連合としては大西洋連邦からカーペンタリアの攻略、ないしは無力化を要請されていて、当初は攻略するつもりだったのだが、いざ実際に戦ってみればザフトの圧倒的な強さに消耗を重ね続けるという惨状で、彼等は戦略をカーペンタリアを孤立させて無力化する事に切り替えていた。
 カーペンタリアは確かに強力だが、その存在価値は他の地上軍に対する巨大な後方基地だという事にある。特に台湾を中心とするアジア戦線への補給は重要な任務となっている。赤道連合はアラフラ海の左右に機雷による蓋をし、カーペンタリアのザフトをカーペンタリア湾に閉じ込めてしまおうと考えたのだ。これが成功すればザフト潜水艦隊は戦わずとも無力化される。
 これに対してザフトは潜水艦隊を繰り出して機雷封鎖を必死に妨害していたが、対戦機雷堰は少しずつ、だが確実に建設されていく事になる。潜水艦隊がアラフラ海に出てこれば他の空軍基地から出撃する対潜哨戒機で容易く発見する事が可能で、これに食われてしまい、どうしても積極的な攻撃が出来なくなる。

 このカーペンタリアの苦境に更に追い討ちをかけたのがパンダ海の小島を拠点とするアルビムを中心に地球上の各地にあるコーディネイターのコロニー軍を集めて編成されたアルビム連合軍である。彼等は赤道連合の島であるタンニバル諸島最大の島、ヤームデーナー島を拠点としてアーネムランド半島の要所、ダーウィンを狙う動きを見せており、大洋州連合軍と激突していた。
 このアルビム連合軍は大西洋連邦の支援を受けており、大量の物資のみならず、MSや艦艇といった兵器まで供給を受けていた。更にアズラエル財団から購入した高性能機、ロングダガーを主力として大規模なMS隊を編成するに至っている。その戦力は質的には赤道連合を上回るほどである。
 このネーアムランド半島の危機に対して、カーペンタリアも援軍を出す事を余儀なくされていた。大洋州連合軍はMSを装備しておらず、大量のMSを装備するアルビム連合には対抗できないのだ。ただ、このカーペンタリアの援軍もアルビム連合を相手にして大苦戦を強いられている。カーペンタリア部隊の主力はジンやゾノ、グーンなのだが、これに対してアルビム連合はザフト製MSに加えてロングダガーやディープフォビドゥンを装備し、フォルテラスなどの追加装備も有している。更にアルビム連合のパイロット達は十分な訓練を積み、実戦経験も持つベテラン揃いであり、質的に弱体化が著しいザフトでは苦しい戦いを強いられている。
 ただ、アルビム連合軍の数はさほど多くなく、アラフラ海やチモール海を舞台とした海戦や空戦で勝利を重ねながらも攻め切れないでいた。


 この膠着状態を打破する為、大西洋連邦は赤道連合の要請に応え、カーペンタリア破壊作戦を発動させた。その為の戦力はヴィクトリア攻略作戦の為にシンガポールに集っていた海上艦隊を中心とする部隊で、ヴィクトリア攻略作戦の準備が遅れに遅れた為にこちらに転用される事となった部隊だ。これにはアークエンジェルを旗艦とする第8任務部隊も参加する事になっており、アークエンジェル級3隻の集中投入という前代未聞の戦力に高い期待がかけられている。
 集結予定地点であるラバウル基地に到着したアークエンジェルとドミニオンは、軍港にある大型艦用の乾ドックに着地し、そこで整備を受ける事となる。艦艇は常に整備しないと戦闘力を維持できないのだ。
 マリューはラバウルに到着した事を確認すると、艦長席で大きく背を伸ばした。

「う〜ん、やっと味方と合流できたわね」
「艦長、ラバウルの司令部が出頭するようにと言ってきてますが」
「分かったわ、ナタルと一緒に行って来るかな。ああノイマン中尉、乗組員には半舷上陸を許可してあげて。また直ぐに戦争だから」
「分かりました。それと、今夜はアークエンジェルの格納庫でパワーとドミニオンのクルーも招いて第8任務部隊結成パーティーなんで、なるべく早く戻ってください」
「分かってるわよ」

 マリューはやれやれと艦長席から降りると、司令部に出頭する為に艦橋を後にした。それが合図だったかのように艦橋内のクルーが一斉に寛ぎモードに入ってしまった。

「ああ、肩凝った。この辺りは小島が多いから気を使うよ」
「ノイマン中尉、おじさんみたいですよ」

 ノイマンが肩をほぐすように回して呟いていると、CIC席のミリアリアがそんな事をいって茶化した。かなり年下の少女に言われてノイマンはムッとしたが、それを聞いたサイたちが大笑いしだして、ノイマンはそのままブスッとした顔で正面を向いてしまった。

 ラバウルの司令部ではサザーランドと簡単な事務手続きを行うだけで、作業は直ぐに完了した。ついでにマリューはアズラエルを軍用機で大急ぎでやってきたサザーランドに引き渡しており、アズラエルは肩を落としてサザーランドの隣に移っていった。
 これで仕事は終わり、マリューはナタルとパワーの艦長ロディガン少佐にアークエンジェルに戻ってパーティを始めるかと誘った。これにナタルとロディガンも頷き、早速戻ろうとしたのだが、その背中にアズラエルがとんでもない事を言ってきた。

「あの〜、僕も参加して良いですか?」
「はあ、理事がですか?」
「そうです、パーティーやるんでしょう? 勿論手土産持参でいきますから」
「手土産とは、なんでしょうか?」

 ナタルがなんだか不安そうな顔で問い掛けると、アズラエルはにやりと笑ってそれに答えた。

「近くの酒屋から良い酒を買い漁って持っていきましょう」
「ならOKですわ、アズラエル理事」
「ちょ、ちょっと、ラミアス艦長!?」

 酒と聞いて即座にOKしたマリューにナタルが焦った声を上げるが、酒に目が眩んでいるマリューには聞こえて無さそうだ。ナタルはやれやれと肩を落とすと、隣のロディガンの精悍な顔を見上げた。ロディガンは長身なので、ナタルでは見上げる恰好になってしまう。

「良いんでしょうか?」
「良いのではないかな、パーティーは大勢の方が楽しいだろう」
「はあ、まあそうなのですが……」

 ひょっとして自分が固すぎるのだろうかと悩み込んだナタルは、頭痛のしてきた頭を押さえながら先に帰ってしまった。



 この時、アークエンジェルの中ではパーティーの準備が進められていたのだが、その中で1つの不穏な動きが起きていた。食堂で料理長を相手に、ステラが妙な事を頼んでいたのである。

「パーティー料理の準備と運ぶのを手伝いたいって、何でまた?」
「カッコ良かったから」
「何だそりゃ?」

 相変わらず天然で訳分からない事を言う娘だと思った料理長だったが、まあ運ぶのを手伝ってくれると言うのだから断る事も無いかと考え、ステラの頼みを受け入れる事にした。料理長の許可を受けたステラは喜んで食堂から出て行き、料理長は何を考えてるのやらと不思議に思いつつ、仕事を再開した。
 これがパーティー会場にとんでもない騒ぎを起こし、アークエンジェルに壊滅的な人的被害をもたらす事になろうとは、料理長には想像することも出来なかった。


 そしてステラが上機嫌で食堂を後にしようとした時、ミリアリアが入ってきた。

「あれ、ステラじゃない。どうしたの?」
「ちょっと願いしてたんだ」
「お願いねえ」

 何を頼んだのやらと思ったが、それは問い詰めずに料理長にパンとレタスとハムはあるかと問い掛け、あるという返事を貰うと使わせてくれと頼んだ。

「甲板でトールたちがバスケットしてるんで、差し入れ作りたいんです」
「なるほど、そういう事なら良いぞ。好きに持ってきな」

 料理長のOKを貰ったミリアリアが礼を言って厨房に入ろうとしたのだが、その時制服の裾をステラに掴まれた。

「バスケットしてるの?」
「ええ、第2格納庫の格納甲板でね。ドミニオンからキースさんたちも来て混じってるわ。それで私が差し入れでも作ろうかと思って」
「じゃあ、ステラも手伝う!」
「え、ステラは料理が出来るの?」
「大丈夫、前に艦長に少し教えてもらったから」
「そうなの、ならサンドイッチくらいは…………何ですって、艦長に?」

 まさかこう来られるとは思って居なかったミリアリアは目を丸くしてしまい、そしてどうした物かと暫し考え込んでしまった。トールの事で色々と嫌な思いをさせられてる相手ではあるが、悪い娘じゃないのは分かっているだけにどうにも突き放せない。多分今回も本当に手伝いたいだけなのだろう。ただ艦長というのが物凄く気になってしまう。
 色々と悶々とした物を抱えていたミリアリアであったが、遂には折れてステラと一緒にサンドイッチを作る事になった。流石にこれで失敗する可能性は無いだろうから。



 第2格納甲板では全ての機材が片付けられ、代わりに2つのバスケットゴールが備え付けられていた。軍艦にはこういったレクリェーション機材も積まれていて、時々こうして楽しんでいる。
 今戦ってるのはフラガ率いるアークエンジェルチームと、キース率いるドミニオンチームであった。シャニは面倒くさそうな顔で参加しないで居るが、観客席で資材の箱に腰を降ろして観戦している。

「ちっ、こいつら速い。オルガ、スティングを止めろ!」
「任せとけ!」

 アウルとスティングが素早いパスワークでドミニオンチームの守りを崩していく。だがボールを持ったスティングの前にオルガが立ち塞がった。

「はっ、ここまでだぜスティング!」
「オルガか」

 強化人間同士の対決。身体能力と反応速度で勝るオルガはスティングのボールを奪えると観客の誰もが思っていた中で、ボールを奪おうと前に出たオルガの手を、体をその場でくるっと回して躱したスティングが走りこんできたアウルにボールを投じた。

「アウル!」
「OK!」

 ボールを持たずに跳躍したアウル。だが、空中を飛ぶアウルの手元に正確にスティングの投じたボールがやってきて、それを受け取ったアウルは見事にアリウープを成功させてしまった。そして試合終了を告げる笛の音が響き渡る。

「なあああ!?」
「ぐああ、あんなあっさり抜かれるなんて!?」
「何やってんだよオルガ!」

 一方的に抜かれたのを見てキースとオルガが悲鳴をあげ。クロトが仲間の不甲斐なさを詰る。まあこれはキースたちが弱いと言うより、スティングたちが強いのだろうが。勝ったトールとサイが腕をぶつけ合って勝利を祝っていた。そしてフラガは悔しそうなキースをからかって遊んでいる。
 そしてそこにミリアリアとステラがやってきた。

「あら、終わったみたいね」
「う〜んと、どっちが勝ったの?」
「うちみたいね。トールたちが喜んでるもの」

 勝ち誇ってるフラガと悔しそうなキースを見て、ミリアリアはそう判断していた。2人とも結構勝負事には拘る方なので、こういう時は分かりやすくて助かる。そして2人が食事を持って来たと大声で声をかけると、腹をすかせた連中が我先に集ってきて2人が持って来た箱の中からサンドイッチを取り出して食べだした。よっぽど腹をすかせていたのだろうか。
 まあ、その中からツナサンドを食べたスティングとクロトが苦悶の呻きと表情を残してその場に倒れてしまったのだが。ミリアリアの料理にはかならず一品地雷が混じっているのだ。ただ、何故かステラのツナサンドも同様の威力を発揮しており、周囲を不思議がらせていた。






 パクダで顔合わせをしたヘンリーとカガリとフレイ。3人は庭に置かれているテーブルに向き合うように座っていた。前には熱い紅茶が置かれており、豊かな香りを放っている。
 だが、それに手をつけようとする者はいなかった。

「まさか、ヘンリーさんがスチュワート家の当主だったなんて」
「一応、フリージャーナリストが本業というのは本当なんですよ。これでも真実を追う男なんで」
「それは、貴方に圧力をかけられるような団体は無いでしょうね。どうりでコーディネイター擁護論が新聞に載るのをブルーコスモスが止められなかったわけだわ」

 相手の正体を知った後も態度を変えないフレイ。この男を前に礼を尽くす事の無意味さを知っているからなのだが、これで良いのだろうか。そしてカガリがようやく紅茶を口にし、そして酷く不機嫌そうな声を出した。

「何でキースやアズラエルはあんたに会えなんて言ったんだ。あんたに会って、私たちはどうすれば良いんだ?」

 カガリにはこの男に会って何の意味があるのか理解できなかった。スチュワート財団といえば大西洋連邦の巨大財団であり、戦争にも当然加担していると思っていたのだが、今更何をしてもらうと言うのだろうか。
 このカガリの問いに対して、ヘンリーはテーブルの上で腕を組み、その上に顎を乗せて楽しそうな笑みを浮かべた。

「私の傘下企業は確かに戦時生産をしている所もありますよ。その辺りの判断は経営者に任せてありますから。でもねえ、私が積極的に協力している訳じゃないんですよ。だからアズラエルは何度も私に頼みに来ました。彼は幾つかの計画を同時に進めていて、その資金繰りに苦労してましたから」
「資金繰りに苦労してたって、あのアズラエル財団がですか?」
「そりゃそうさ。戦争ってのはオーブみたいに他所の国同士が殺りあってるのを遠くから眺めて、双方に物を売りつける場合に旨味があるんだから。自国が当事者で戦争をするなんてのは、商売としては下の下なの。戦争するのが儲けになるなんて、AD20世紀前半頃で終わってた」

 植民地を奪い合っていた頃なら戦争は金になった。軍事に投資をしても、それが利益となって跳ね返ってきたからだ。だがそれは植民地時代の終わりと共に終焉を迎えた。もはや軍事はただの負担となり、幾つかの国家が軍事費の拡大で崩壊するという事態を迎えたのもこの時代だ。これ以降世界は軍縮の時代を迎え、軍事力は国を守る為に最小限に抑えるという形へと移行していく。ただ、それでは幾つかの大国を除けばいざという時に身を守れないので、身近の国と手を組んで集団で身を守るという考えが生まれた。これが現在の新しい国家群の枠組みの原型となった。
 そして、これらの国家群の興亡とは関わりなく存在していたのがアズラエルやスチュアート、ロックフェラー、ヴァンダーヴィルドなどの巨大財閥たちであった。これらの財閥は戦時であろうと世界恐慌が起きていようと資産を増やし続け、現在に至って尚世界に隠然たる影響力を持っている。その権威と権力はオーブの首長たちなど遠く及ばない。
 
「だから、アズラエルはうちにも金を出して欲しがってるのさ。幾つかの部門は閉鎖して支出を押さえたみたいだけど、まだキツイだろうしね」
「それで、ヘンリーさんはどうするんです?」

 フレイが皿からクッキーを摘んで口に運ぶ。彼女の問いに、ヘンリーは少し困った顔になった。

「まあ、アズラエル財団に破産でもされたら大変な事になりますから、手を貸した方が良いのかな〜とは思うんですよね。でもそうなると大西洋連邦の力が増して、プラント叩き潰しちゃいますよ。優しい私としてはプラントに住んでる人たちの安全も考慮してあげてたり……」
「するんですか?」
「いえ、全然」

 爽やかな笑顔でふざけた事を言ってくれるヘンリーに、フレイは露骨に顔を引き攣らせてカガリは額に浮かぶ青筋の数を増やしていた。どうにもこの男、金が絡むとアズラエルに似た反応をする。金持ちというのはみんなこうなのだろうか。

「だったら世界の戦災者の支援とかすれば良いだろ。あんた、フレイの話からすると凄いお金持ちなんだろ?」
「馬鹿言わないで下さい。何で私が人の為に金使わなくちゃいけないんです?」
「何だよ、ケチケチするなよ」
「当り前ですって、金をばら撒く金持ちってのは見栄張りたがる成金だけですから。うちみたいな歴史を持つ資産家というのはみんなケチです。出す時は迷う事無く出しますがね」
「……そういや、フレイもアズラエルも結構ケチだったな」
「悪かったわね」

 アズラエルは赤字決済を見るのが死ぬより嫌だと言い切るくらいに煩いし、フレイも屋敷と敷地は立派だが使用人がソアラ1人しか居なかったり、身なりもごく普通のものだ。ヘンリーも身に付けてるのはくたびれた年代物の服である。確かにこいつ等は大金持ちのわりにはみんなケチ臭い。ただ、質素というわけではなく、金をかけている部分はちゃんとある。
 カガリがこの良く分からない金持ちの理屈に改めて首を捻っていると、突然ヘンリーが立ち上がって庭を海岸に向けて数歩歩いていく。その背中に向けて、フレイはヘンリーに別の事を問い掛けた。

「ヘンリーさんは、この戦争をどう思ってるんですか? 何で新聞記事でコーディネイター擁護論なんか出したんです?」
「僕はジャーナリストですから、事実をそのまま記事にしただけですよ。別にコーディネイターがどうなろうと私には関係ありません」
「でも、戦争に対してはどうなんです?」
「……痛い所を突いてきますねえ」

 ヘンリーは僅かに顔を顰めている。どうにもこれは聞かれたく無い事柄であったようだ。

「確かに私は戦争は余り好きじゃないですね。この戦争のせいで結構損害受けてますし、正直いい加減にして欲しいと思ってます。ですがねえ、私はアズラエルとはどうにもそりが合わなくて」
「ちょっと待て!?」
「それが本音ですか!?」

 要するにズラエルと手を組むのが嫌だから戦争に余り協力したく無いという事だ。何つうふざけた理由かと思ったが、何となくカガリもフレイも似たような面があるせいか、今1つ文句を言い難い。
 だが、これでこの男を説得する方向が分かった。要するにこいつはアズラエルと仲良くするのが嫌なだけなので、アズラエルとは関わりにならない方向で協力を求めれば良いのだ。

「じゃあ、オーブやアルビムに投資するってのは、どうですか?」
「オーブはウズミ代表が幅利かせてますから話が通じ無いのがね。うちも一応ロゴスに席がある身なんで、あの人に毛嫌いされてますし。アルビムとは前から時々話をさせてもらってるから構わないんですが。都市の建設資材や機材で商売した事もありますし」
「じゃあモルゲンレーテに投資って事でどうだ。最近オーブもきな臭くなって、色々と大変なんだ」
「モルゲンレーテにね……」

 ヘンリーはどうした物かと空を見上げて考え込み、ふと思いついた質問をカガリにぶつけてみた。

「カガリさん、もしオーブが連合とプラント、双方から味方になれ、駄目なら戦争だと言われたら、貴女はどっちに付きますか?」
「そ、それは……いきなりそんな事聞かれても。オーブは戦争には加担しないし、侵略もさせないのが理念なんだぞ。だから、多分どっちも断わると思う。お父様はきっとそう言うと思うから」
「……私はカガリさんの考えを聞いたんですがね」
 
 やれやれと肩を竦め、質問を変えてきた。

「それでは、オーブが戦場になって、敵が攻めてきたら、貴女は敵の迎撃と民間人の安全のどちらを優先しますかな?」
「何だよそれ、何でオーブが戦場になるんだよ!?」
「たとえ話ですよ。カガリさんはどっちをとるのかと思ってね」

 ヘンリーのにこやかな笑顔の裏に隠れた邪な素顔に腹立たしさを感じつつも、カガリはこの質問に正直に答えた。

「そんなの、どっちかなんて割り切れるわけ無いだろ。どっちも大事じゃないか!」
「……そうですか」

 カガリの返事を聞いたヘンリーは庭からじっと海を見つめ、そして2人の協力要請にはっきりとした拒絶を突きつけた。

「残念ですが、協力は無しです。お引取り願いましょうか」
「な、何でだよ!?」
「カガリ、落ち着いて!」

 いきなり激昂して椅子を蹴って立ち上がろうとしたカガリをフレイが懸命に押さえる。こんな所で暴れたりしたら、最悪生きてオーブに帰れなくなる。フレイにしがみ付かれたカガリは渋々振り上げた手を降ろし、不愉快そうにヘンリーに背を向けた。

「もう良い、あんたに協力なんて求めた私が馬鹿だった!」
「カガリ、お願いだからそういうの言うのは止めてよ」
「煩い、私は帰るぞ!」

 そう言ってカガリは大股でこの場から立ち去っていったが、フレイはその後を直ぐに追おうとはせず、ヘンリーにどうしてあんな事を聞いたのかを問い掛けていた。

「ヘンリーさん、どうしてあんな事を?」
「別に。私はただカガリさんの考えを聞きたかっただけでしてね。その返事が期待通りだったんで、失望しただけ」
「ヘンリーさん、ひょっとして……」
「ま、この話は終わりにしときましょうよ。私は彼女のお願いを聞かない、今回はこれで終わりです。また次回に期待してますよ。その時は別の質問でしょうがねえ」
「そうですか。じゃあ後1つだけ。ヘンリーさん、さっきロゴスって言いましたけど」
「まあね。うちにも軍需部門はありますから、軍需産業連合にも所属してます。その関係でうちから相当の資金がブルーコスモスに流れたしね」
「でも、ヘンリーさんは戦争は嫌だって?」
「私は嫌だけど、好き嫌いで企業が動く訳じゃないからね。君だって分かる筈でしょ。組織ってのは、個人の意思を無視して全体の利益の為に動く生き物さ。私を含めた幾人かはこの世界の流れに否定的だったけど、それを止める事は出来なかった」
「でも、止めようとはしてくれたんですよね」

 フレイの問いにどこかくすぐったいような笑みを見せるヘンリー。それを見たフレイは深々とお辞儀をしてカガリの後を追って行った。それを見送ったヘンリーは楽しげな表情で家に戻ろうとして、そこに変な物を見た。

「これ、お土産にくれないか?」
「駄目でございます」

 劾が装飾品の銀の皿を指差して執事に交渉を持ちかけていた。ヘンリーは何でサーペントテイルの叢雲劾がこんな所に居るのかと不思議そうに首を捻っている。しかし、カガリたちの護衛はしなくて良いのだろうか。






 ボアズ前線基地の近くの宙域に、沢山の光が咲き乱れていた。連合の第7艦隊を中心とする艦隊がボアズの近くまで進出し、ボアズから迎撃に出てきた艦隊とぶつかっていたのである。
 これの迎撃に出ていたのはザフトの勇将アーリーオル・マーカスト提督率いる16隻の艦隊だった。敵が40隻以上いる事を考えれば無茶な迎撃戦であるが、マーカストはよく戦線を支えて敵を通さないでいる。
 現在の戦場では集団で動く連合第7艦隊に対して、マーカストは3隻で編成した4つの小集団による連続した襲撃によって敵の足を止め、戦力を削り取っていくという戦術を使っている。一撃離脱なので敵もこちらも大きな被害は出していないが、敵の足を止めるのには最適の戦術だ。失った戦力は本隊に残した4隻から抽出して補っている。
 この戦いにおいてザフトは初めてフリーダム1機、ジャスティス1機を戦場に投入し、連合軍に馬鹿にならない損害を強いていた。フリーダムのパイロットはハイネ、ジャスティスにはセンカが搭乗しており、連合のMS隊に手痛い犠牲を支払わせている。ただ、彼等も連合の圧倒的な戦力、自分達に数倍するような数のダガーやファントムに加えて、強化兵の使う複数のカラミティやフォビドゥンまで加わっていた。これらを相手にしては流石に無傷ではすまず、両機とも判定中破とされるほどの被害を受けて母艦であるエターナルに引き上げている。

 この久しぶりにプラントの近くで起きた艦隊戦は、連合側の損害が全体の3割に達した時点で連合側が撤退を開始し、ザフトはどうにかボアズへの直接攻撃を防ぐ事に成功していた。連合は32隻のうち戦艦1隻、駆逐艦3隻を失い、8隻が損傷するという損害を受けた。だがザフト側もローラシア級2隻を失い、全ての艦が損傷するという被害を受けた。MSも2割近い犠牲を出している。
 後退命令を出したマーカストはこの勝利がザフトの実力ではなく、2機の核動力MSの力でもたらされた物だと理解していたので、この勝利を素直に喜ぶ事は出来なかった。

「フリーダムとジャスティス、開発局の言う通り圧倒的な性能だが、決して無敵では無いな。これを勝利と思わん方が良いのだろうが……」

 艦橋の中で勝利に浮かれている幕僚やクルーを見ると、水を差すのも悪い気がしてしまう。最悪の未来を予想するのは司令官だけでいいだろう。
 何やら考え込んでいるマーカストを見てか、参謀がどうしたのかと声をかけてきた。

「どうされました、提督?」
「いや、なんでもない。それより、この辺りに警戒衛星を幾つか配置しておいてくれ。今回は哨戒部隊が運良く見つけられたが、次も見つかるとは限らないからな」
「は、分かりました」

 命令を受けて後方の工作艦に指示を出しに行く参謀を見送って、マーカストは再び思考の深みへと沈んでいった。数で圧倒的な差を付けられ、質でも決定的な優位には立てなくなってきた自分たちの戦力で、これからどうやって戦っていけば良いのか、それを考えなくてはいけないから。






 そして、いよいよカーペンタリアにオーブ攻略部隊が集結し始めるようになった。次々に潜水母艦や潜水揚陸艦、輸送機などが集り、宇宙から大量の物資が降ろされてくる。また、大洋州連合の部隊もブリズベンに集結を開始している。その大軍はオーブを攻略するには過剰とも言えるものであったが、ザフトはオーブ軍の実力を過剰に高く見積もっていたのだ。これは先にフレイのM1がキラのフリーダムを叩きのめした映像のせいで、オーブ軍のMSはゲイツを凌ぐ高性能機だという恐怖が上層部に広まったせいだ。
 また、オーブにはフリーダムがあるので、最悪これも敵に回る可能性があるという事を考慮し、アスランの特務隊にはジャスティスのほかに追加でフリーダム試作3号機が送られてきた。
 だが、アスランはこの嬉しい筈のニュースを受けて、何故か暗澹たる気持ちを抱えて仲間たちの前にたった。プレハブに集った特務隊のパイロット達はどうしたのかと首を傾げている。

「ああ、実は、我が隊に核動力MSであるフリーダムが配備される事になったんだが、困った事が起きた」
「困った事?」

 何が起きたのかと訝しげに問うイザークに、アスランはどうしたもんかと聞きたそうな顔で答えた。

「我々は明日、輸送機でダーウィンに向う事になった。そこの友軍と合流し、アルビムの部隊を撃破する」
「アルビムを。そんなに追い込まれてるのか?」
「かなりの被害を受けてる。このままではダーウィンを落とされかねないらしい」

 ロングダガーをコーディネイターが操縦しているのだ。ジンでは対抗できないのも無理は無い。しかも向こうはこれまで訓練を積み、幾度かの実戦を経験したベテラン揃いなのに、こちらは新兵のが多いという有様なのだ。
 これを何とかするために火消し役として特務隊が一時的にダーウィンに向う事になったわけだが、これには特務隊の全戦力を投入する事が決まっている。つまり、機種転換訓練をしてる暇が無いのだ。
 じゃあ何のための新型何だよとディアッカが文句を言うと、アスランは気が進まない顔でルナマリアを見た。

「ああ、つまりだ。この中で現在機体を持たないルナマリアは留守番という事になるんだが……」
「おい待てアスラン、まさかお前?」

 何となくアスランが何を言いたいのか理解してしまったミゲルがまさかという顔をする。アスランはミゲルに気が進まない顔で頷き、ルナマリアに告げた。

「ルナマリア、フリーダム3号機は君に預ける。俺たちが戻ってくるまでに機種転換を終えておくんだ」
「わ、私にフリーダムをくれるんですか!?」
「なに―――!?」
「ちょっと待てアスラン!?」
「何考えてんだ―――!?」

 それを聞いたルナマリアが大喜びし、イザーク、ミゲル、ディアッカが悲鳴のような抗議の声を上げた。まさか、折角の最新型をルナマリアのような新兵に託すなどと、正気の沙汰ではない。だが、アスランもそれは承知の上だったりする。

「お前たちの抗議も分かるんだが、現実を見ればこれしか無いんだ。ダーウィンの救援にイザークやディアッカ、ミゲルを外すなんて考えられないし、フィリスやシホ、エルフィ、ジャックはサポートに必要だ。レイも実戦経験を積ませる必要がある。猫の手でも借りたい状況で、パイロットと機体を遊ばせておく余裕は無い」
「だけど、それならフィリスのゲイツをルナマリアに渡せば良いだろ!?」
「ルナマリアでフィリスの穴を埋めるのか、イザーク?」

 興奮して顔を真っ赤にしているイザークにアスランは冷静に問い掛けた。フィリスの穴をルナマリアで埋めれるとでも思っているのか、というアスランの問いに、流石のイザークも黙り込んでしまう。フィリスの実力は既に自分と較べても遜色ないレベルに達している。いやフィリスだけでは無い。昔はあんなに馬鹿にしていたジャックやエルフィも、最近加わったばかりのシホも今では凄腕と呼べる実力になっている。幾ら赤を着ているとはいえ、彼等の代わりはレイやルナマリアでは到底勤まらない。
 ただでさえ困難な作戦に、置いていけるようなパイロット等いないのだ。となれば、多少の無駄は覚悟の上でルナマリアにフリーダムを渡し、機種転換訓練を受けてもらう。これ以外にアスランたちの取りうる選択肢などなかった。流石に訓練無しのぶっつけ本番ではイザークやミゲルでも使う事など出来はしない。

 ただ、アスランはこのダーウィン救援作戦を最初断わっていた。自分達はオーブ攻略戦の準備に入っているのだから、そんな仕事はカーペンタリア残留部隊にやらせろと。
 だが、この抗議は聞き入れられなかった。いや、聞く事が出来なかったというべきか。カーペンタリアにも余力など既に無い。オーブ攻略作戦はザフト地上軍の限界を超えた作戦なのだ。それだけの戦力を集中させている今、カーペンタリアにもまともな戦力など残りはしない。そんな状況下で投入する戦力となると、少数でありながら圧倒的な戦闘力を誇る特務隊しかありえない。
 この答えに、アスランはそれ以上抗議する気力を無くしていた。そして、自分達はここまで追い詰められてしまったのかという苦悩だけが胸中を埋め尽くしてしまった。1部隊に戦略上の不備を押し付けるしか無いなど、冗談も良いところだ。

 こうして、アスランはルナマリアにフリーダムを預け、ダーウィン救援の為にカーペンタリアを立つ事になる。ルナマリアの機種転換訓練の監督はジュディが行う事になり、短期間で物にするよう超過密スケジュールでの猛特訓が課せられている。なお、戦闘訓練に際しては遂にジンからユーレクも使っていたシグー3型に乗り換えたグリアノスが付き合うという豪華さである。ただ、フリーダムを使ってシグーにボコボコにされていたルナマリアは余りの不条理さに悲鳴を上げていたのだが。
 しかし、こんな新兵器の1機や2機で今更何が変わるというのだろうか。







 同じ頃、プラントではオーブ攻略の為の作戦準備が行われ、さらにラクスの捜索が軍と警察の総力を挙げて行われている。こんな日々の中で、1人世界の流れから無視されたかのように黙々とパトリックが作り上げた終戦へのレールを別ルートで敷きなおしている人物がいた。そう、パトリックに協力して終戦工作を行っていた男、パール・ジュセックである。
 この人物はパトリックとシーゲルの友人であり、議会内では強行派と穏健派の間に立って緩衝材のような役割を果している、良くも悪くも凡庸という言葉が良く似合う議員だ。だが、実際には彼はとても有能で、パトリックが頼ったほどの人材である。普段は昼行灯のようであったので、誰もその素顔を知らなかったのだ。
 ジュセックはオーブ領事館のサカイ武官から身の危険を感じるようになったという報告を受け取り、彼に最後の伝達事項を託して暫く行動を控えるようにと伝えている。もし無理と判断すれば、大西洋連邦の大使館に匿ってもらうなりして身の安全を図るようにとも言ってある。
 その後は暫く彼との連絡が取れなくなったが、私的なルートを経由して彼が大西洋連邦に匿われている事を知らせてきた。どうやら自分の薦めに従ったらしい。サカイの生存を知ったジュセックは彼を大西洋連邦との連絡員として再活用する事にし、新たに私的な交友関係を利用してスカンジナビア王国ルートを作り上げていたのだ。
 このルートはプラント強行派も穏健派も、ラクスたちも関わっていない彼独自のルートであり、クルーゼの情報網にさえ引っ掛かっていなかった。ジュセックという存在はクルーゼからさえ無視されていたのだ。

 このルートで再びササンドラ大統領と親書を交換しあったジュセックは、プラントが滅ぼされる前に何とか、せめてプラントの自治権だけは残そうと粘り強く交渉を続けていた。事ここに至っては、もうパトリックが目指したようなプラント有利の講和など望むべくも無い。

 だが、この講和の交渉と並行して、ジュセックはもう1つの動きも見せている。彼はパトリックを探していたのだ。先の爆殺事件の公開情報に疑問を持った彼は密かに探りを入れ、司法局の人間から事件現場から発見された遺体がパトリックのものかどうか、確証は無いという情報を得た。勿論パトリックの遺体という可能性が窮めて高いのだが、状況証拠だけで判断すると爆殺されたにしては幾つか不自然な点があるという事なのだ。だが護衛の遺体は身元確認がされており、パトリックである事を否定するほどの物では無いという。
 ただ、ジュセックはどうにもこれが腑に落ちず、密かに部下を使ってこの裏を探らせていた。そして彼はいくつかのことを知る事が出来たのである。

「司法局の捜査に何者かが介入した疑いがある、だと?」
「はい、断言はしかねますが、そのような痕跡が幾つか見つかりました」

 ジュセックの部下が調べた範囲では、巧妙に隠されて入るが幾つかの情報操作の痕跡が確認されたというのだ。ただ、それをやったのが誰かは分からないと。

「つまり、何者かがパトリックを殺したように見せかけ、ラクス嬢にその責任をなすりつけた、という事か?」
「その可能性は否定できません」

 部下の回答にジュセックはなるほどと頷き、そして1つの可能性でしかなかったパトリク・ザラの生存という問題を確信へと変えていた。誰がどういう理由でやったのかは分からないが、パトリックは暗殺されたのではなく、誘拐されたのだ。そしてこのパトリック暗殺に関しては本当にラクスは関わっていないのだろう。彼女が主犯なら、その後をもっと上手く立ち回っているだろうから。

「パトリックが何処にいるのか、探す必要があるな。それとパトリックを暗殺と見せかけて誘拐した犯人もだ」
「ですが、我々は警察でも諜報員でもありません。やれる事には限界があります」
「それでもやらなくてはいかんのだよ。そう、プラントを救う為に」

 そう、プラントを戦火の果てに滅ぼしたくなければ、パトリックを救出して彼にもう一度舵取りをしてもらうしかない。パトリックの言葉ならば市民も従うだろう。たとえ降伏同然の講和であったとしても、それを行わなくてはいけない。
 こうして、誰も知らないところから密かにプラントを救う動きが始まった。これがどういう結末をもたらすか、それはまだ分からなかったが。




後書き

ジム改 準備完了、次回は100章だし、次回は何かギャグメインで行くかね。
カガリ 何で、いきなりギャグなんだ?
ジム改 これ以降、暫くドシリアスが続くから。
カガリ ……それってつまり、ザフトが総攻撃してくるって事か?
ジム改 そりゃまあ、それ以外に取りようは無いわな。
カガリ どうすんだよ。オーブにはM1しかないんだぞ!?
ジム改 あれ、一応ゲイツより強いらしいんだけど?
カガリ 原作じゃクルーゼ隊のジンに歯が立たなかっただろうが!
ジム改 それを言われると苦しいのだが。
カガリ M1のパイロットを何とかしろ。機体が良くてもあの腕じゃ駄目だ!
ジム改 3人娘でも強い方らしいからな。そりゃ弱いだろう。カガリでも並以上らしいし。
カガリ 私が言うのもなんだが、何でその道のプロより偶に訓練するだけの私のが強いんだ?
ジム改 それは考えてはいけない事です。まあ、こっちじゃフレイが鍛えてるけどね。
カガリ おお、それじゃあ少しは出来る奴が!?
ジム改 現在の期待の新人はシンかな。
カガリ へ、シン?
ジム改 こいつはキラと同類なので、主人公補正という天賦の才があるの。
カガリ いや、そういうのは天賦の才とは言わないだろ?
ジム改 それでは次回、遂に動き出すカズィの野望、そしてカガリも恐るべき計画を実行に移してしまう。2人が欲しいのはキラという存在。捉えられたキラは君たちは間違っていると叫ぶが、それは2人を止める事は無い。この計画はオーブを混乱の坩堝に叩き込んでしまう。そしてアークエンジェルでは狂気の宴が今始まる。よもやこの宴が、第8任務部隊を壊滅に追いこむ事になろうとは誰も予想も出来なかった。次回「選んではいけない選択肢」でお会いしましょう。
エルフィ 間に合ったら、「エルフィとシホのカーペンタリア旅行案内」も載せますよ。


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