…どうしてこんな事になってしまったんだろう…

 フレイ・アルスターは独房の天井のシミを見詰めながら、もう何百回目になるだろう、その疑問を、自分の胸の中で反芻していた。

 全ての歯車が狂い始めたのはあの時、ザフトによってヘリオポリスが崩壊したあの日の事だ。それまでの自分は、いや、自分だけではなく、自分の取り巻き達も、婚約者のサイも、同じサークルの友達のミリアリアも、そして彼女の友達のキラも、トールも、カズイも、昨日と同じ今日が明日も明後日も続いていくものだと信じていた。

 だが、そんな風に何の疑いもなく信じていた退屈だが、それでも平穏で、幸せだった日常は、あっけない程簡単に崩れ去った。

 鳴り響く警報の中、フレイは無我夢中で逃げ惑い、やっと見つけたシェルターに転がり込んだ。だが、ヘリオポリスが崩壊し、シェルターは脱出ポッドとして宇宙に射出された。それはいい。ところが30分も動かない内にそのポッドのエンジンが故障し、彼女も、彼女の他のポッドに乗り込んだ人々も、絶望の淵に立たされていた。

 しかし神は自分を見捨てていなかった。少なくともその時のフレイにはそう感じられた。地球軍のMSがポッドを回収し、その母艦へと運んでくれたからだ。最初はMSを目にして戸惑ったものの、ミリアリア達もその艦、アークエンジェルに乗り込んでいて、それだけでもフレイは随分気が楽になった気がした。

 そこで出会った少年、ショウ・ルスカ。ミリアリアの話だと、彼がMSを動かしていたという事だ。

 MSを動かせるのはコーディネイターだけ。

 その先入観から、すぐにフレイは彼がコーディネイターだと考えた。尤もその場合は、彼女でなくてもそう感じる者が大多数だろうが。そうして、彼女はショウに嫌悪を感じるようになった。

 現在、地球とプラント、ナチュラルとコーディネイターという構図で戦争が起こっている事もあるが、それ以上にフレイのコーディネイター嫌いは、父親の影響が強かった。母親を幼い時に亡くしているフレイにとって、父親は唯一の肉親であり、絶対の存在だった。彼女の父、ジョージ・アルスター外務次官はブルーコスモスでこそないが、有名なコーディネイター排斥論者だったのだ。

 そして妻を亡くしているジョージ・アルスターは、同じくただ一人の肉親であり、一人娘のフレイを溺愛していた。フレイの欲しがる物は何でも与え、殆ど叱ったり咎めたりする事もなかった。またフレイの方も父親に依存していた。ヘリオポリスの工業カレッジへ入学した事も、(現在は事実上破談になっているが)サイと婚約した事も、全て父親の薦めがあったからこそだった。彼女にとって父はそれこそ呼吸する空気のような、魚にとっての水のような、なくてはならない存在だった。

 だから、あの時、父親が他の何百人の戦艦のクルーと共に宇宙の塵となったあの時、彼女の世界は崩壊した。

 痛かった。今までに感じたどんな痛みよりも。深々と胸に鋭い刃物を突き立てられるような。

 これは戦争だ、と、誰かが、覚えてはいないが、多分、フラガ少佐かマリュー艦長かが言っていた気がする。だが、そんな言葉で私の痛みを誤魔化す事は出来ない。この痛みの代償は誰が支払うべきなんだ!? 誰にこの代価を…!?

 その激情のままに、血の代価を支払う物として彼女が選んだのが、ショウだった。そもそも彼が父をちゃんと護ってくれればこんな事にはならなかったのだ。だからその代わりに彼が戦うべきだ。私と、父の無念を晴らす為に。

 いくらコーディネイターでも所詮子供だ。ちょっと優しさを見せてやれば簡単に籠絡する事が出来るだろう。後は私のマリオネットとして、その操り糸を誰かが死を以て断ち切るまで、戦って、戦って、戦ってもらう。一人でも多くのコーディネイターを殺してもらわなければ。

 そんな想いを胸に、彼女はバジルール中尉に軍への志願を申し出た。その時口にした言葉は、勿論その場限りの出鱈目だ。それでサイやミリアリアが軍に残る事になろうと関係なかった。ただ、ショウ・ルスカを戦場から逃がさない為だけに。

 そして彼は帰ってきた。だが、彼はフレイの思い通りには動いてくれなかった。それどころか自分の美しい顔に血をベットリと塗りつけてくれて、有り難い事に説教までしてくれた。

 許さない。もう賭なんて関係無い。あいつの命さえ奪えればそれでいい。

 再び沸き上がった激情に突き動かされて、フレイはたまたま医務室の抽斗の中にあった銃を手に、砂漠で再び戻ってきたショウを撃とうとした。が、後一歩という所で現れたシェリルによって、独房へと入れられてしまった。

 乱れ、荒れていた呼吸も安静にしていればいつかは平静に戻るように、フレイの中の激情の炎も、やる事もない独房の中では、少しずつ消えていった。それと同時に、考える余裕が出てくる。

 …どうしてこんな事になってしまったんだろう…

 何度も何度も考える内に、フレイもその答えが分かってきた気がしていた。いや、最初から分かっていたのかも知れない。ただ、それを認める事を自分が拒んでいただけで。自分が愚かだったのだ。何も考えず、ただ憎しみにその身を任せた自分が。

 思えば私はあの子、ショウ君の瞳を、一度も真っ直ぐに見ようとはしなかった。今ならその理由も分かる。

 あの子の紅い目は本当に綺麗だ。それこそ深く静かな湖の水面の様に、憎しみも怒りも、それらの感情を磨き上げられた鏡の如く映す。それから目を背けたかったのだ。彼の瞳に映る自分の姿から。あんな幼い子供を利用しようとする自分の醜さを。

 …認めたくなかったのだ…

 その時、不意に独房の扉が開き、隙間から漏れる光が、フレイの目に入ってきた。彼女が顔を上げると、そこにはシェリルが立っていた。その表情からは何の感情も読み取る事は出来ない。強いて言うなら、そこにあるのは同情だろうか。

「…出なさい、アルスター二等兵…」



OPERATION,18 邂逅 



 チュドオオオオオン…… 



 天と地がつんざくような衝撃音が鳴り響く、オノゴロ島地下、MS試験場。数機のM1アストレイが並んでいる中で、それらに見守られるようにそこに立っている人影が二つ。ショウ・ルスカとキラ・ヤマトだ。と、膝を折り、前のめりに倒れてしまうキラ。その体は全身に付けられた真新しい傷から流れ出す血によって、朱に染まっている。

 ショウはそんなキラを見下ろして、言い放つ。

「立ちなさいキラさん。これが実戦ならあなたは今日53回も死んでいますよ?」

「う…あ……」

 傷の痛みと出血多量で、呻いているばかりで反応しないキラ。ショウはもう一言付け加えた。

「…もう訓練を初めて4日になるのに何の進歩も無いとは。そんな事で強くなれるんですか?」

 強く。その言葉はキラの心に届いた。壊れかかった体に無理矢理な力を加えて、何とか立ち上がり、ファイティングポーズを取るキラ。しかしそこが限界だったようで、再び崩れ落ちてしまう。が、今度は床に倒れる前に、ショウが彼の体を支えた。そのままゆっくりと床に寝かしてやる。

 完全に意識を失っているキラを、興味深そうに見るショウ。

『…さっきはああ言ったけど…素晴らしいとしか言い様の無い素質だね。3週間で間に合わせる為に滅茶苦茶なメニューを組んだのに、音を上げずにそれについてくるとは……キラさんを含めて、僕が今まで指導した弟子は全部で8人…このまま成長すれば、いずれはカチュアちゃんやシスちゃん、ユリウス達をも凌ぎ、僕やエターナさんクラスの使い手になるかも…将来が楽しみだね…』

 そう考えつつ、横たわっているキラに右手をかざし、精神を集中する。するとその右手から暖かい光が溢れ出し、まさしく満身創痍のキラの体を優しく包み込んでいく。かつてヘリオポリスでマリューにも使った事のある、治癒の法術だ。

 その光に包まれ、今にも死にそうだったキラの体からみるみる傷が消えてゆき、荒かった呼吸も整っていく。数分で彼の体が小康状態を取り戻したのを確認すると、ショウは立ち上がった。

『…1時間もすれば超回復も完了してすっかり元気になる筈…さて、僕はその間に…』

 と、キラが回復するまでの行動を考えるショウ。そこにエリカがやってきた。彼女は倒れているキラに目をやったものの、ショウからは特訓中だと聞かされていたので、彼の命に別状が無さそうな事を見て取るとショウに向き直り、用件を言った。

「…ほう…?」

 ショウはその用件を聞き、楽しそうな笑みを浮かべる。彼は自分より大きなキラの体を軽々と抱き上げると、試験場から退出した。残されたエリカは、ショウが出て行ったドアが閉じるのを確認してから、ふうっと大きく息を吐き出し、周りを見る。上下左右を十数秒かけて見終わると、彼女は思わず唾を飲み込んだ。

「これが、あの子の力だと言うの…?」

 MS数機の力を以てしても、ちょっとやそっとではビクともしないはずの試験場の壁や床、天井に、今は無数の巨大なクレーターが刻みつけられ、さながら爆撃の跡のようになっていた。



「…平和の国、か。話には聞いていたが、成る程な…外の世界での戦争など、まさしく別世界のもの、か」

 同じ頃、オノゴロ島の繁華街で、モルゲンレーテの作業員の制服に身を包んだマルスはトレードマークの白髪を弄りながら、皮肉と羨望の混じったような感想を呟く。ほんの数日前に領海で戦闘騒ぎがあったというのに、ここの人達はまるでそれを気に留めていないように見える。それはこの国がそれ程に永い時間を平和の中にあったという証でもあった。

 先日、オーブからアークエンジェルの行方について、公式回答が送られてきた。内容は要約すると、『足つきはオーブ艦隊の砲撃によって転針、オーブから離脱した』というものだった。が、それを素直に信じる者など誰一人としていなかった。それも当然だろう。自分達が最後に確認した時、足つきはかなりの損傷をその艦体に受けていた。あれで当該水域を離脱したなど有り得ない事だ。

 とは言え、公式回答でそう言ってきている以上、無理に押し通れば本国をも巻き込んだ外交問題に発展する。イザークやディアッカはそれでも強行突入を主張したが、そこはマルスの『愚か者』の一言で却下された。

 オーブの軍事力はプラントも地球軍も、簡単には手が出せない程のものなのだ。総力戦となれば最終的にこちらが勝利するとしても、相当の流血を覚悟せねばならないだけの力をオーブは有している。そこに突入していけば、自分達だけでオーブと戦争する事になる。いかにエース揃いのこの部隊であっても、たった5機のMSで一国相手に戦闘を仕掛けるなど論外だ。マルスの意見はそんな最悪の場合も想定しての事だった。

 その後暫く議論した結果、アスランの提案した潜入しての捜索が実行に移される運びとなり、彼等はここに来たのだ。

 軍人としてプラントの平和の為に戦っている彼の目には、この平和が羨ましくもあり、その裏でヘリオポリスで行われていた地球軍の新兵器開発に与し、それでも中立などと賜っている事を蔑む気持ちもあった。とは言え、繁華街を行き交う人々の笑顔を見ていると、ついついそれも仕方が無いか、とも思えてきてしまう。

 政治に正しいも間違いもない。要はどうやって国を護るかだ。オーブはヘリオポリスで得られたXナンバーの技術を盗用して、自国の防衛用のMSを開発している。連合がオーブの中立性を隠れ蓑として利用したように、オーブは逆に連合の技術を開発場所を提供する代わりに、了承を、得てはいないだろうが、その技術を取り込んだ、というのが彼の推論だった。尤もあくまで推論以上のものではないので、誰にも話した事はないが。実はこの推理は限りなく事実に近い物であったりする。

「でも、平和ならその方がいいんじゃないですか?」

 隣を歩いていたニコルが、彼の呟きを聞いて、そう返してくる。回想と思考の世界から連れ戻されたマルスは、溜息をつくと、言う。

「…私達が言って良い言葉ではないな、それは」

「「……」」

 それを受けて、ニコルと、その逆隣を歩いていたアスランはばつの悪そうな顔になる。数ヶ月前、地球軍の新兵器が開発されていたとは言え、ここと同じ平和があった筈のヘリオポリスを襲撃し、崩壊させたのは、間違いなく自分達なのだから。マルスはそんな二人を見て、呆れたようにまたしても溜息をつくと、言う。

「…それでも、私達はこの道を選んだのだ。ならば、進むしかない…」



 一方、ショウの方はと言うと、エリカがある人物がショウに会いたいと言っている、と言うのを聞いて、キラを医務室のベッドに寝かせた後、その指示された部屋に向かっていた。彼が扉の前に立つと、中の人物が操作したのだろう、扉が開く。そのまま進むと、そこには二人の人物が立っていた。

「初めまして、ショウ・ルスカ君。私はロンド・ミナ・サハクと申す者だ」

「弟のロンド・ギナ・サハクだ」

「ショウ・ルスカです」

 二人に向かって、ペコッと頭を下げ、挨拶するショウ。少し上目遣いに、目の前の二人の人物を観察する。男女の違いこそあるが、まるで鏡に映したかのように、この二人、ミナとギナの姿はそっくりだ。それどころか、その内面においてもこの二人からは同じような物を感じる。流石に内面のどんな部分が、と、そこまでは分からないが…

 と、そう考えている間に、二人の内、ミナの方が口を開いた。

「さて、堅苦しい前置きは抜きにして、単刀直入に言おう、ショウ・ルスカ。オーブに、私達の元に来るつもりはないか?」

「……何故、僕を?」

 本当に前置き抜きで、唐突に発せられた申し出に、ショウも即答を控え、その真意を探ろうとする。すると今度はギナの方が口を開いた。

「君は有能だ。連合のような腐った組織に置いておくには惜しい人物だ。オーブ、いや私達の元に来れば、その能力に見合うだけの待遇を約束しよう。それに君は傭兵だと聞いている。ならば別にここで艦を降りても問題は無かろう?」

 その言葉にショウは返答に詰まる。シェリルとの契約がまだ済んでいない一点を除けば、傭兵という立場にあるショウがいつどこで艦を降りようと何も問題は無い。だからどのように返答すべきか。その言葉を選ぶ為に、ほんの少しだけ沈黙し、そして、

「…僕の力をそこまで評価していただけてとても光栄です。でも、残念ですがはっきりとお断りします」

 そう答えた。

「……人形のように誰かに使われるのを恐れたのか?」

 少し不愉快そうにして問うギナ。

「まあ…そんな所です…」

 いつもの微笑を浮かべてはぐらかすように返すショウ。これにギナは毒気を抜かれたというか、調子が狂ったような苦笑いを浮かべると、

「フン、まあ…いい…」

 そう言ってショウが入ってきたのとはまた別の扉から出て行ってしまった。残ったミナはしばらくギナが出て行った扉を見詰めていたが、気持ちを切り替えたようにショウに向き直り、言った。

「…君にも色々事情はあるだろうが…それ程の力がありながら、ただ無為に傭兵として生きる事が君の決めた道なのか? 君の力なら、世界を一つにし、その頂点に君臨する事とて夢ではないだろうに…」

 僅かな残念さが込められた声で、ミナは言う。自分達には無い恐るべき力を秘めた、目の前の幼子に向けて。ショウは微笑を絶やさずに返す。

「そんな事に興味はありません……僕はただ、この眼に映る力無き人、一人一人の命や幸せ、笑顔、その一つ一つを護っていきたいだけ。この力はその為にこそ在る。それは僕が強くなる前から、ずっと心に決めていたいた事。その為に強くなろう、自分だけじゃなく、誰かを護れる位に。僕はずっとそう想い、その為に訓練し、戦ってきた…」

 その言葉と共に、迷いの無い澄み切った瞳を向けられて、ミナも先程のギナと同じように、戸惑ったようになる。十代半ばの頃から、彼女も弟のギナもこのオーブの闇の部分、汚れ仕事に携わってきた。サハク家はオーブという国が成立した時から、そうして裏側から国を支え続けていた。オーブの為にコーディネイターとして生み出され、サハク家に養子として入った彼女達も、その宿命を背負って生きている。

 そんなミナだから、相手の言葉が虚か実かを見抜く感覚は常人よりも遥かに鋭敏で、正確だ。そしてその感覚が彼女に教える。この少年の言葉に嘘は無い、一片の欠片も、と。それは裏の世界に生きてきた彼女には信じられない事だ。しかし、自分の感覚は確かにそう言っている。その違和感に戸惑いながら、ミナは再び言葉を紡いだ。

「…それはお前の自己満足、欺瞞、自己陶酔、早い話が偽善ではないのか?」

 と、遠慮も何も無い、無遠慮とも言える厳しい指摘だ。この指摘でショウがどんな反応をするのか。怒るのか、それとも泣き出してしまうか。それを待っていたミナだったが、予想に反してショウは先程と同じ笑みを浮かべたまま、返答した。

「…フフ、よく言われますよ。確かに、聞く人によっては偽善者の言葉に聞こえるかも知れませんね。けど、少なくともそれが僕の心からの想い、信念である事は確かです。それに、偽善者というのは意見ばかり押しつけて自分では何一つ行動しないような者を言うのではありませんか?」

「……」

 沈黙するミナ。彼女の中にも、ショウの言葉には頷ける部分があった。政治家であり、サハク家の次期当主候補でもある彼女は首長会議にも出席する事があるが、そこでも口ではあれこれと美辞麗句を並べ立てるが、いざ行動する段になるといつまでもグズグズしているような輩は掃いて捨てる程いる。そんな者達を見て、ミナは心の中で『偽善者が』と吐き捨てる事もある。

 また、ヘリオポリスで行われていた地球軍の新兵器開発にオーブが協力していた事の責任を取る為、代表首長の座からは退いたが、未だにオーブの実権を握っている前代表、ウズミ・ナラ・アスハも、決断力・実行力はともかく、今の世界の現実が見えていない点で同様にミナは認識している。その娘のカガリなどはそんな認識以前の世間知らずの小娘だ。

 では、この少年は?

 その答えはミナには分からない。分かる事は、感じる事は、この少年が自分には無い物を持っているという事だけだ。自分が、永く世界の裏側で生きてきた為に失ってしまった純粋さ、他人を思いやる心、無償の優しさを。それを持つ彼を、眩しく思う。ショウは更に続けた。

「人にはそれぞれやるべき事がある。僕がやるべき事は戦い続ける事。それが今まで僕が奪ってきた命に対する、奪った僕の責任だから。ミナ……さん、あなたのやるべき事は、この国を護る事でしょう? 僕を取り込もうとしたのは、このオーブという国を護る為の剣とする為…あなたはこの国を愛しているのでしょう……?」

 そう言われて、ミナはまたしても考え込む。このオーブという国を、私は愛しているのか? それは為政者である彼女には、単純すぎるぐらい単純な質問だ。だが、裏の世界で人の中の醜い部分を見続ける内に、彼女自身、それを忘れていた気がする。

 自分は居たくもない裏の世界に留まり続けてきた。それは逃れられないサハク家の宿命でもあったが、それでも、あえてその世界に留まろうと思った理由が少なくとも一つはあった気がする。自分が日に日に汚れていく事を感じる中で、いつの間にか忘れてしまっていたが…

 それは、この国に生きる人々の笑顔を護りたいと願ったから…

 それを思い出した時、ミナははっとする。まるで違う道を歩いているショウと自分。だがその出発点は同じ場所であった事に。彼も、自分も、ただ誰かの笑顔が見たかったから。その為にショウは兵士となったのだろうし、自分は政治家になったのだ。同じ信念の元に。

 顔を上げ、ショウの瞳を見る。紅玉のような綺麗な瞳。優しさの奥に、炎のような意志の強さを感じる。ミナは目の前のこの少年に、まだ自分の半分も生きていないショウに、好感と、尊敬の念を抱いている自分に気付いた。

「そう、かも知れんな……今回は私達から引く事としよう、だが、気が変わったらいつでも私を訪ねたまえ。君のその力、いや君を私のものとする事、まだ諦めた訳ではないからな。私はいつでも待っている…」

 そうして自分の右手を差し出す。それを見たショウは少し戸惑ったように、数瞬、その手を見ていたが、やがて自分も手を差し出すと、その手を握り返した。しばらくそうしていて、やがて名残を惜しむようにその手を離すと、ショウは入ってきた時と同じように頭を下げ、入ってきた扉から出て行った。

 一人になったミナは、部屋の片隅に置いてあった椅子に体を投げ出すようにして座ると、焦点の合わない眼で天井を見詰め、呟く。その顔は険が取れて、少女のように安らかだった。

「…人は大人になるとどうして忘れてしまうのだろう……少年の日の夢や希望、少女の頃の理想やときめきを……ショウ・ルスカ…ほんの少しの時間だったが…話せて本当に良かった…忘れ物を見つけてくれて、ありがとう…お前と出会えたこの小さな奇跡を、私は神に感謝する…」

 そうして机に置かれていたワインの栓を抜き、グラスに注ぎ、飲む。こんなに美味い酒は久し振りだ、とミナは思った。



「そちらはどうだ?」

 一日中、足を棒にして歩き回ったが、さしたる成果も無く、モルゲンレーテに侵入する隙もも見つけられなかったマルス、アスラン、ニコルの3人が、イザーク、ディアッカとあらかじめ決めていた集合場所に行ってみると、彼等も戻ってきていた。多少の期待を込めてアスランが尋ねるが、イザークは面白くも無さそうに首を振る。

「まさか堂々と軍港にあるなんて思っちゃいないけどさあ」

「あの規模の艦だ。そう簡単に隠せるとは…」

「ひょっとすると本当にいなかったりして? どうします?」

 と、うんざりした様子でディアッカがマルスに話題を振る。すると他の者も指示を求めてマルスに向き直った。

「欲しいのは確証だ、足つきがいるか、いないか。もう少し時間があれば他に手もあるのだがな…」

 後半は少し愚痴るような口調になって答えるマルス。空を見上げると、既に紅く染まっている。彼等が潜入する際、連絡員から受け取った偽造IDでこの国で行動できるのは今日一日だけ。時間はもう残り少ない。

 彼等はフェンスに沿って歩きながら、侵入経路を検討し始めた。

「海沿いの警戒は厳しいな……システムチェックの攪乱は?」

「何層にもなっていて物理的には難しい。流石、と言うべきかな」

「システムに手を出すよりも通れる人間を捕まえた方が早いとは思うが…」

「って、誰がそうだか分かんの?」

 怪しまれないように小声で相談を続けるが、続ければ続ける程に八方塞がりな現状が認識できてきた。モルゲンレーテの社員を捕まえるのは悪くない案だとは思うが、ディアッカの言うように誰が社員なのかを見分ける術を自分達は持たない。まさかそれらしい者を片っ端から踏ん縛って試してみる訳にも行かない。そんな事をすればたちまち大騒ぎになって、足つきの同行を探るどころではなくなる。

「……」

 腕組みして、思考を巡らせるマルス。ギリギリまで捜索を続けたとしても、制限時間は後、長く見積もっても3時間前後。流石にそれだけの時間では、自分達の求める確証を得るのは難しいだろう。と、すると今後の行動はどうすべきか。一旦カーペンタリアに引き返し、情報を洗い直すべきか、それともあくまで足つきがオーブにいる事を前提に、オーブの近海に網を張り、待ち構えるべきか。

 通常なら前者の判断を採用する所だが、今回の場合、状況から考えて足つきがオーブにいる確率をマルスは90パーセント以上と見ている。先の戦闘にはアスラン達も参加していた事だし、自分達の母艦でも戦闘の様子はモニターしている。後者の判断を、確証は無くとも納得させる事は出来るだろうが…

 と、その時、だしぬけに、道路の向こう側から声が掛けられた。

「すいませーん、第2ドックってどっちでしょう?」

 彼等が声のした方を振り向くと……マルスを除いて全員の表情と体の動きが固まった。声を掛けたのはまだほんの10歳ぐらいの少年だった。だが、アスラン達は知っている。その少年がその小さな体に、恐るべき力を内包している事を。

 彼等を呼び止めたのは、ショウだった。





 アスランやイザークも、こんな所で再会した事に驚きはしたが、それはショウの方も同じだった。ミナとギナとの会談から、一旦ストライクの修理の具合を見る為、ドックへと向かおうとしたのだが、そこで迷ってしまった。

 右往左往している内に外へ出てしまい、戸惑っていた所に、モルゲンレーテの制服を着た者達が目に留まる。渡りに船とばかりに声を掛けたのだが、モルゲンレーテの社員だと思っていた彼等は、何とザフトのパイロットだった。

「どうしてここに?」

 等と頭の悪い質問はしない。彼等はアークエンジェルの足取りを探るべく、オーブに潜入してきたのだ。そうとしか考えられない。まさかパイロットからモルゲンレーテに転職した訳でもあるまい。

 と、するとこの時点でアークエンジェルがこの国にある事は知られてしまった事になる。ストライクのパイロットである自分が彼等の目の前にいる事。証拠としては十分過ぎる事実だ。一人、ショウの知らない人が混じっているが、その人の波動を感じ取って、ああそうか、とショウは納得する。この静かで、研ぎ澄まされた刃のような鋭さを持つ波動は、砂漠と、このオーブの近海で感じた、あの金色のシグーから感じたのと同じ物だ。この人はあのシグーのパイロットなのか。

 そうショウが現状を認識している間、アスラン達はゴクリ、と唾を飲み込み、ショウの一挙一動に注意を払っていた。何しろショウの実力は彼等、特にイザークとディアッカは嫌と言う程知っている。彼は生身でコーディネイターを倒せるだけの実力がある。その彼がもし今、機密の漏洩防止の為に自分達に襲いかかってきたら…と思うと、ゾクッとする感覚が背を走るのが分かる。そうなったら、正直逃げる事も難しいだろう。

 彼等の中では唯一ショウの事を知らないマルスだが、アスラン達の異常な緊張と、彼等を緊張させている少年の身のこなしや動きから、只者ではない事は認識できる。彼がいつ、どんな動きをしてきても対応できるよう、戦闘態勢に入る。

 当のショウは、殺気などは微塵も発さずに、ゆっくりと近づいていく。彼にしてみればただそれだけの事だが、一歩近づく毎に、アスラン達の緊張と警戒が高まっていく。彼等にとってショウの存在はそれ程の脅威なのだ。

「…こういう偶然もあるんですね…こんな所でバッタリ出会ってしまうとは…」

 穏やかな口調と表情で、まるで友人に対するかのようにして言うショウ。だがその相手は現在、傭兵としての任務が終了するまでの間とは言え、敵対する立場にいる軍の軍人達だ。それを考えていないのか、それともそんな事すら彼にとっては些末な事なのか、気に留める事もなく、話しかけた。

 どう返せば良いのか……アスランは言葉に迷う。と、彼の後ろからイザークが進み出た。その目には挑戦的な光が宿っている。

「お前がこんな所にいるとはな。やはり、足つきはこの国にいるのか?」

「ご想像にお任せします」

 口にせずとも分かっている事であったので、イザークも本気で聞いた訳ではなく、ショウもそれを読み取り、それに合わせた。

「お前、この事をお前の上官、いや、雇い主に報告するのか?」

「……」

 次にイザークはこの接触によって考えられる事を質問した。ショウは少し間を置いた後、

「いいえ…僕の仕事は襲撃があった場合、アークエンジェルに対する脅威を排除する事。あなた達がここに来ていた事を報告する義務はありません」

 そう答え、補足するように続けた。

「…あなた達もこれは非公式の潜入捜索でしょう? ならば悪い事は言わない、ここで僕と出会った事、僕と話した事は全て忘れて、帰った方が良い…」

 出来る筈も無い要求を口にするショウ。その瞳は、今は哀しそうな光を宿している。それを見たイザークも、彼の中にある感情が理解できた。

 軍人である以上、MSに搭乗して地球軍の戦闘機や戦車を撃破するだけではなく、その手に銃を持ち、生身の人間を撃つ事もある。イザークは初めて自分が殺した敵の死体を見て、吐き気がしたのを覚えている。今ではそんな事もないが、それでも人を撃つのは正直気分の良くない事であるのは変わらない。訓練で的を撃つのとは訳が違う。

 その点、MS戦は良い。『殺す』のではなく、『壊す』に過ぎないからだ。自分が撃破するのは訓練で、シミュレーターに表示される敵機の映像と大差の無い、只の的。それ以上でも以下でもない、勿論動きの良し悪しなどの違いはあるが、少なくとも意識のレベルではそういう風に認識できる。乗っている者の顔を知らなくて済むからだ。

 だが、知ってしまった。自分だけでなく、アスラン、ディアッカ、ニコルも。

 だからと言って自分達の任務に違いが生じる訳でもない。が、戦っている最中にふと、ショウの顔が浮かぶ事もある。その時、一瞬とは言え最悪な気分になる。きっとショウも同じなのだろう。だから不可能である事は承知の上で、こんな事を言ってきた。だが、ザフトの軍人として、プラントに生きる者の一人として、ショウの力が地球軍の陣営で振るわれる事を、ただ見ている訳にはいかない。

 イザークは絞り出すような声で答えた。

「俺は…お前を倒す。ただ…それだけだ」

 その声は震えていて、拳は爪が掌の肉に食い込む程にと握り締められていた。ショウは僅かに視線を逸らし、それを見て、そして、

「…そう、ですか…ならばその時は…僕も全力で以てお相手しましょう…」

 その言葉を最後に、その姿はフッ、と掻き消えた。アスラン達も周囲を見回すが、前後左右どこにも、もうその姿は確認できない。気配も感じない。呆気にとられているアスラン達を余所に、マルスは引き上げの命令を出した。正直かなり紙一重の、命拾いしたと言うべき状況ではあったが、それでも目的は達成した。足つきはこのオーブにいる。それが確定したのだ。そして自分の宿敵である、『ソードダンサー』も…



「畜生、あのおっさん滅茶苦茶やりやがって!! いつか絶対闇討ちしてやる!!」

「よした方が良いって、返り討ちにされるのが関の山だよ」

「…シス、早く帰ってこないかな…」

 同時刻、北大西洋上空を移動中のソレイユ。その通路を、新たにメンバーとなった、スティング、アウル、ステラの3人が談笑しながら歩いていた。しかし、ステラだけイマイチ元気がない。それは彼女の師であり、年下ながら姉代わりでもあるシスが、現在この艦にいない事が原因だった。

 フェニックス部隊は最大の目的である、隊長であるショウの捜索を続ける傍ら、非合法の人体実験を行っている研究所を襲撃し、被験者達を救出、裏で話を通してある孤児院や施設に預けたり、世界各地の診療所を回って、怪我や病に苦しむ人々を治療したりもしている。ただし後者に関してはは部隊総出で行う訳ではなく、エターナとシスの二人が行く事になっている。

 勿論、匿名で医薬品や金銭を届けたりするのは他のメンバーも行うが、今、この艦を留守にしている二人は、他のメンバーには出来ない特殊な技能の持ち主、治癒の法術を扱う事の出来る存在だ。そんな能力を持つ彼女らが、後者の仕事に出向くのは必然と言えた。

 一度ステラは、何故シスにそんな事をするのか、と聞いた事がある。その質問にシスは、いつもの無表情から、ほんの少しだけ笑顔を引き出して、答えた。

『…それが私達、フェニックス部隊の任務だから。私達の探している、私達に力を授けてくれて、この部隊を作った人は……教えてくれた…ただ、戦闘の技術や戦略だけじゃなくて、本当に色んな事を……自分自身だけじゃなくて人を護れるぐらい強くなれ、って、そう教えてくれたから…』

 と、ステラも人の事は言えないが、良く分からない返答が返ってきた。ただ、その言葉や声の調子から、シスが彼女の、部隊全員の探し人である、隊長、即ち彼女の師に、特別な感情を抱いている事は伝わってきた。

 結局一週間で帰る、と言ってシスはエターナと共に行ってしまい、今日は4日目。ステラは寂しい、という感情を味わっていた。ラボにいた頃は、そんな感情はそもそも抱いた事は無かった。それを察したのか、スティングがポン、と彼女の頭に手を置いた。

「そんな顔するなって、後たった3日の辛抱じゃねえか。寂しいなら俺が話し相手にでもなってやろうか?」

 そしてアウルも、

「ま、そんな沈んだ顔されてちゃこっちまで辛気くさい気分になっちゃうからね。ゲームぐらいなら付き合ってやるけど?」

 と、わざとおどけた口調で言ってみせた。それを受けてステラはぎこちなく微笑むと、

「うん…ありがと…二人とも…」

 そう言った。アウルとスティングも眼を合わせて、笑い合う。と、先頭を歩いていたアウルが何かに気付いたように立ち止まった。

「ねえ、この部屋って使われてないのかな…?」

 そう、彼は閉ざされた扉の前に立って言う。その扉には、

『危険!! 絶対に入るな!!』

 と書かれた貼り紙がされていた。が、

「そう書かれてると無性に入ってみたくなるんだよねえ…」

「何か凄い物でもあるんだろうか?」

「…入ってみよ…」

 それは全くの逆効果だった。人間、入るなと言われると入ってみたくなるものなのである。扉には簡単な電子ロックが掛けられているだけだったので、機械工学も叩き込まれていたアウルが簡単にロックを解除すると、3人は部屋の中に入った。

 鬼が出るか蛇が出るか…と、警戒しながら入ってみる、が、そこに彼等が期待していたような物は無かった。内装こそ多少エターナ達が使っている部屋よりも豪華ではあるが、基本的には普通の部屋と変わらなかった。本棚の本や書類はキチンと整理整頓され、この部屋の持ち主が綺麗好きな性格なのが伺える。しかしそれよりもスティング達の目を引いたのが、部屋のあちこちに飾られたプラモデルであった。

 完成品だけでその数は数十個以上で、本棚には箱から出していない物が置かれている。

 3人は、それぞれ、飾られている完成品のプラモを手に取って見てみる。

「こいつは…塗装だけじゃなく、組み立ても完璧だ…熟練したプロの業だな…」

「惚れ惚れする出来栄えだねぇ。何だか輝いて見えるよ」

 と、男のロマンが分かるのか、感心したように色んな角度から見るスティングとアウル。が、しかし、横からペキン、という小さな、乾いた音が聞こえてくる。その不吉な音に二人が振り向くと、案の定そこには、右手にプラモ本体を、左手に付け根から折れてしまったそのプラモの足を持ったステラがいた。きょとんとした表情から、状況が良く分かっていないようだ。そこに、



「あああああああーーーーーーっ!!???」 



 悲鳴とも雄叫びともつかない声が響き渡る。余りの音量に耳を押さえながら3人がそちらを向くと、そこにはカチュアが、その顔を真っ青にして立っていた。体はブルブルと震え、口からはガチガチと歯と歯がぶつかり合う音が聞こえ、全身冷や汗をかき、その指先はステラが壊してしまったプラモデルに向けられている。

「い……嫌な予感がして来てみれば…シ…ショウのガンプラに何て事を……こ、殺される……私達全員…あの…地獄の猛特訓で…あれで一体何度の生死の狭間を…」

 明らかに様子がおかしい。スティングが詰め寄ろうとするがその前に、

「もう駄目…終わりだ…この世の終わりだ……うーん…」

 そう言ってカチュアは気絶してしまった。スティングは慌ててカチュアを抱き上げると、アウルの方を見やる。だが、アウルも自分にも訳が分からないとばかりに、首を振るだけだった。

 一体、カチュアは何を気を失う程に恐れているのか、二人ともそれが皆目見当も付かなかった。自分達が知る限り、カチュアやシス、この部隊のメンバーは、全員が人として究極の強さを持つ者ばかりだ。その彼女をこれ程までに怯えさせるとは、一体何者なのか。

「…??」

 一人、首をかしげるステラ。彼女が自分の呼び起こしてしまったものの恐ろしさを知るのは、もう暫く先の事だった。





「!!!!??????」 



「どうしたの!? ショウ君、気分でも悪いの?」

 ソレイユの方で騒ぎがあったのと時を同じくして、オーブ、モルゲンレーテの一室で、キラと、彼に対MS戦術論を教えていたショウだったが、突然ショウが胸を押さえてうずくまってしまった。慌てて駆け寄るキラ。ショウは「大丈夫です」と言って立ち上がるが、何か様子が落ち着かない。キラが聞いてみると、

「何か…とてつもない喪失感が胸を横切ったんです…例えるなら、精魂込めて描いた絵が燃えてしまったような……」

「???」

「…今日の訓練はここまでにしましょう…たまには休養も大事です…」

 そう言うとフラフラと出て行ってしまうショウ。





 時に、C.E71、3月28日。遠くない未来に戦いの予感を感じながらも、戦士達は平和な一時を過ごしていた。





TO BE CONTINUED..


感想
……すいません、全ての展開が最後のガンプラで吹き飛んでしまいました。そしてショウ君のイメージがいきなりケロロ軍曹に変わってしまったんですが。ガンプラ壊された事を感知して倒れるとは。しかし、作ってたのはMG? それとも初販版?