ギャリイイイン!!

 オーブ、モルゲンレーテ地下のMS試験場で、二つの影が斬り結んでいた。一つはフェニックス部隊の一人、黒歴史最後の侍、ケイン・ダナート。もう一人はキラだ。二人の振るう剣がぶつかり合い、火花を散らす。

「くっ!! 流石ショウ君の弟子!!」

「それを言うなら貴殿も同じ立場でござろう? 迷いの無い、良い太刀筋でござるな」

 そんな勝負の立会人となっているのが、ケインと同じフェニックス部隊の一人である疾風の少女カチュアと、何故か彼女と仲良くなってしまったセブン・ソキウスとイレブン・ソキウスの二人だった。

 流石に両名とも、ショウという同じ師に指導され、得物も同じ刀であるので、お互い一歩も引けを取らない。強いて言えばケインの方がくぐり抜けた修羅場の数と実戦経験の差で押しているようにも見えるが、そこはキラも然るもの、時折見せる一瞬の判断で”悪手”を”妙手”に変えてしまう動きは見事な物だ。これは訓練では得られない天性のセンスによる部分が大きいと言えるだろう。

 この戦いをジュース片手にのんびりと観戦しているカチュアだが、彼女の隣に座っているセブンとイレブンは目を丸くして、言葉が出ないようだ。それを見て彼女はそれも無理は無いか、と思う。人間とは順応する生き物だ。どんな非日常でも一年続けば日常になる。カチュアも当初フェニックス部隊に入った時は、まるで人外魔境に来てしまったような感覚を持っていた自分を思い出していた。

 と、そこに、任務から帰ってきたスティングとアウルがやって来た。だが二人とも普通ではない。体中凍傷にかかったようになっており、顔は凄い力で殴られたように青あざやたんこぶだらけになっている。何事かと、カチュアが聞くと、

「いやあ、仕事が終わって、ステラと一緒にロッカールームで着替えてたら…」

「シスが入ってきてさ。俺達の事見るなりオールフリーズをぶっ放すわ、殴りかかるわで、命からがら逃げてきたんだよ」

 そう語る二人を見て、カチュアの隣のイレブンとセブンは、一方はうんうんと納得したように頷いていて、一方はクスクスと笑っていた。ずっと男も女もないような環境で育ってきたのはこの二人とて同じだ。だからスティング達の言い分にも理解できる部分があるのだろう。

 カチュアも理解する事は出来たが、どうコメントすれば良いのか、頭を抱えてしまう。そう言えばシスもショウに引き取られてフェニックス部隊に入った頃はそんな調子だった。そこに今度はスティングとアウル、この二人の指導を行っているオグマとミラがやって来た。その様子からすると、どうやら二人とも今の話を聞いていたようである。

「むうう…俺もずっと男ばかりの世界で生きてきたからな…それは盲点だった…こういう情操教育はお前の方が向いているだろう、ミラ」

「そうねぇ…それじゃあ二人とも、これから私の指導を受けてもらいますからね、さあ行きましょう」

 オグマの意見に賛成し、二人に向き直るミラ。スティングとアウルは逃げようとするも、腕をがっしりと掴まれ、動きが取れない。

「「た、助けてくれーーーーっ!!」」

 カチュアは二人が引きずられていくのをハンカチを振って見送った後、試合の続きをと椅子に座り直したが、流石に後ろでこんな馬鹿騒ぎを行われては訓練を続行する気にもなれないのだろう。キラもケインも、どちらからともなく剣を引き、キラは腰の、ケインは背中の鞘にそれぞれ収めている。

「ちぇ、つまんないの」

 とぼやくカチュア。そんな彼女を、いつの間にかゴーストのように後ろに立っていたニキが窘めた。

「カチュア、二人が行っていたのはあくまでも訓練です。それを見て楽しむなどもっての外です。ここはいかがわしい賭博場ではありませんよ」

「あなたはどっちに賭けたの?」

「経験に勝るケインの勝ちに500アースダラー……って何を言わせるんですか!!」

 慌てて彼女に詰め寄るニキと、してやったり、という表情で笑うカチュア。ニキの周囲の空間の温度が上がり、カチュアの周りに大気の流れが渦巻く。今度はこの二人の間で激突必至の空気が流れるが…

「何の騒ぎですか?」

「「……!!」」

 エターナの登場に二人とも瞬時にそんな気配は消してしまうと、何事もなく、談笑していたように見せかける。そこはかとなく漂う白々しい空気に、多少不審な目を向けていた彼女だったが、そんな事はまあいいと思ったのか、キラに向き直った。

「…? 何ですか?」

「……あなたには、伝えておいた方が良いと思いますので…」



OPERATION,24 出撃の時 



「むううっ、これは……っ!!」

「ちょっととある所から僕が引き出してきたデータです。どうです? 中々面白いでしょ?」

 雨の降るプラント、いつもサンルームで、シーゲル・クラインは絶句していた。彼の前にしている端末に表示されている情報は、政治家として様々な修羅場をくぐってきている彼をも戦慄させる物だった。隣に座っているラクスも、いつになく真剣な顔だ。

 机を隔てて彼の向かいに座っているそのデータの提供者、ショウも口調はおどけた調子だが、眼は笑っていない。彼も自分の渡したデータがどれ程の重要性を持つ物なのかは十分に理解していた。

 それは先日ショウが壊滅させた研究所から引き出したデータだった。

「しかし、どうやってこれ程の被験者を…?」

 シーゲルの疑問も尤もだった。データに記録されていた実験の被験者の数は軽く100人を超える。一体どうやってこれ程の数の被験者を集めたというのか。だが、それにショウは事も無げに答えを返した。それもシーゲルの最も望まない形の。

「簡単ですよ。例えばユニウスセブンの時、自分だけ何かしらの事情であそこを離れていたり、あるいは家族とは別居していたり、そういう理由で助かったものの身寄りの無くなってしまった人をさらうか、もしくはザフトの軍人で、地球軍との戦争で負傷した中から目立たない程度に引き抜いて、記録には戦死としてしまえばいい」

 答えを告げる間に、彼の表情は苦虫を噛み潰したようになっていく。同じくシーゲルの表情もだ。ショウはその後に、「ただし、後者の人は万一にもそこで行っていた所業が漏れる事のない様に、真っ先に実験に使われて、殺されたみたいですけど」と付け加えた。

「そうして同胞達の命と引き替えに生み出したのが、これか…」

 画面を切り替え、そこに表示されたデータを見て、歯ぎしりするシーゲル。年若い少年少女の命を無数に踏み台にして、そうして生み出されたのはコーディネイターの出生率低下を防ぐ為の技術などではなかった。そこに表示されていた物、極秘の開発コードには"Stair”と銘打たれていた。

「一種のウイルス兵器ですね。サルからヒトへのミッシングリンクの話をご存じですか? それとウイルス進化という学説も…今度はそれをナチュラルとコーディネイターの間で、神ならぬ人間の手で行おうという事です」

 このウイルスは、生物に感染すると、その宿主の遺伝情報を強制的に変化させる。まだまだ制御が利かずに不安定な物だが、完成の暁にはこれを地球に撃ち込んで、人類全体をコーディネイターとする。これがディスクに記録されていた狂気の計画の全容であった。ショウが破壊した研究所のカプセルにいた、全身に水疱の出来たような遺体は、この実験に使われた被験者の物だったのだ。

「計算上、完成したそのウイルスが人体に侵入して、侵入された人体が無事に遺伝子改変に耐えられる確率は0.0002%。実際に使用された場合はもっと低くなるでしょうね。そうして生き残り、無理矢理コーディネイターにされた人達がプラントのコーディネイターに従わねばならないのは必然……まあ僕が研究所は破壊したし、バックアップも取られてはいない事を確認したから、残るはこのディスクだけ。そしてこれも」

 ショウは端末からディスクを抜き取ると、粉々に打ち砕いてしまった。これで悪魔の生物兵器はもう造られない。それを確認したシーゲルは、もう一つ、気になっていた事柄を尋ねる。

「しかし、このような実験、一体何者が…? これだけの規模の人体実験を行う為には相当なバックボーンが必要である筈…」

「行ったのは強硬派の議員。その中でも一部の熱烈なナチュラル排斥論者ですよ。間に何人か人を挟んで分からないようにはしていましたけど」

「!!」

 ショウの回答に、シーゲルは愕然となる。それは彼の隣にいたラクスも同様だった。目を見開き、口に手を当てる。

 プラントを代表する選ばれた議員の一部に、守るべき筈のプラント市民を実験材料として使っている者がいるとは。彼等の顔には驚愕と、それよりも深い失望の色が浮かぶ。予想できない事ではなかった。だがその予想が外れてくれる事を願っていたのも確かだった。

 沈黙する一同。衣擦れの音一つ聞こえず、雨音だけが耳に響く。その時、サンルームのガラス壁の一角が、モニターに切り替わり、そこに若い女性の姿が映った。プラントの最高表議会議員の一人、アイリーン・カナーバだ。彼女は険しい表情で言った。

〈シーゲル・クライン!! 我々はザラに欺かれた!! 発動されたスピットブレイクの目標はパナマではない!!〉

 挨拶の言葉も抜きに切り出されたその言葉に、全員が身を乗り出すようにして彼女の方を見る。

〈アラスカだ!!〉

 その言葉に頭を殴られたように衝撃を受けるシーゲル。しかしそれとは別の反応を示した者がいた。ショウだ。

「早まった事を。何とか止める事は出来ないのですか!?」

 突然シーゲルの横に見知らぬ少年が現れた事に驚いた様子のカナーバ。彼女がショウに何かを言うより早く、ショウが続けざまに次の言葉を口にした。

「アラスカにはサイクロプスが仕掛けられているんですよ!!」





「…なっ、何でそんな物が…!!」

 同じ話をエターナから聞かされ、絶句するキラ。彼等がいる部屋の片隅に立っていたエレンが、情報を補足する。

「ショウが一時オーブにいた時、私と一緒に調べた情報よ。アラスカの地下にはサイクロプスが存在している。発動すれば周囲10qは溶鉱炉と化すサイズのね。そしてそれを知るのは地球軍の中でも大西洋連邦の上層部のみ。これはハッキングだけじゃなく、優秀な情報屋を雇って調べさせた情報だから、確かだよ」

「…っ!!」

「待ちなさい」

 エレンの言葉が終わるか終わらないかの間にキラは立ち上がり、部屋から出て行こうとする。それを呼び止めるエターナ。

「何処へ行くつもりですか?」

「アラスカへ。みんなを助けないと!!」

 そう言って部屋を出て行こうとするキラの脳裏に、自分の友人、フレイ、ミリアリア、サイ、トール、カズイ等の顔が次々に浮かび上がる。行かなければ。その想いが彼を突き動かす。しかし、彼の背中にエターナが静かな声で言った。

「どうやって? 今から向かっても間に合わないかも知れないし、第一どうやって行くつもりなのです? 只でさえ中立という微妙な立場を取っているオーブにあなた一人の為に艦を動かす事が出来るとは思えませんが? それにあなた一人が行って何が出来るのですか?」

 彼女はあくまで冷静に今ある事実を一つずつ述べていく。それを聞く度に、キラは自分の中で絶望が広がっていくのを感じていた。自分にはショウから授けられた力があるのに、アラスカまで行く事は出来ず、このままでは自分の友に待っているのはザフトに討たれるか、それともアラスカ基地の崩壊に巻き込まれるか、どちらにしても死の運命しかない。

 あの時、ヘリオポリスでショウに助けられて、それから力を求めて必至に訓練してきて、やっと誰かを護れるだけの力を手にしたというのに、それがありながらどうする事も出来ないなんて。圧倒的な無力感に打ちひしがれ、目の前が真っ暗になる。

『あなたはまだまだ強くなれる。あなたを必要としている人達の為に』

 ショウの言葉がキラの中で蘇る。そうだ。僕の大切な人を喪わない為に、その為にずっと強くあろうとしてきた。だが、現実に今の僕には大切な人の一人も護る事は出来ない。僕は何て無力なんだ。

「私達だけは例外ですが」

 エターナの発したその一言に、彼の周りの暗闇に一筋の光が差した気がした。縋るような眼でエターナを見るキラ。彼女は相変わらず、波紋一つ無い湖面のような静かな眼と声で、真っ直ぐに彼を見据え、言葉を紡ぐ。

「私達なら、アラスカまで行く事が出来る。そして戦う力もある。……仮にもあなたは私達の隊長であるショウが仕込んだ弟子の一人、私にとっての孫弟子ですから…協力する事にやぶさかではありません……ですが、もう一度聞きます。あなたは何故、アラスカへ行くのですか?」

 その質問に、キラも彼女の眼を真っ直ぐに見返して答えた。その瞳には一切の迷いの色は無かった。

「僕は、僕の友達を、大切な人を護りたい。だから、アラスカへ行きます」

「……良い弟子ですね、ショウ……あなたの魂を受け継いでいる…」

 彼の答えに、満足したような微笑みを漏らすエターナ。一瞬だがキラの後ろにショウが立っているような、そんな錯覚を覚えた。他に部屋にいた数名、エレン、ユリウス、カチュア、セブン、イレブンもその笑顔に含まれた意味を読み取ったようだ。ならば、とイレブンが口を開いた。

「エターナ・フレイル、僕達も連れて行ってはくれないか?」

「何故?」

「僕はショウに負けて、考える時間が出来た。そこで出た結論の一つは、軍で戦う事だけがナチュラルの為になる事では無いという事。だから、見極めたいと思う。僕達ソキウスが本当にナチュラルの為に働くにはどうすれば良いのか。それを見極める為に、行かなければならない」

 そう訴えるイレブンと、彼に寄り添っているセブン。二人を見て、エターナは理解する。この二人は純粋なのだと。そのようにして生まれている存在なのだから当然だと言う者がいるかも知れないが、それでも、『ナチュラルの為に生きる』という想いには、キラの友への想いと同じく、一点の曇りも無い。その彼等に対してエターナが出した結論は、

「それでは急いで準備をして下さい、ソレイユ発進は一時間後です」

 その言葉の意味する所は一つだった。部屋にいた全員が一斉に動き出す。ものの10秒でその部屋に残っているのはエターナ一人となった。最後に残った彼女は、今この部屋にいなかった者、オーブの街に繰り出している者、ソレイユに待機している者の元へ、念を飛ばした。





 シンとステラはオーブの繁華街を歩いていた。先日の騒ぎで知り合った二人は、また個人的に会う事を約束していた。ちょうどこの日はステラに休暇が出されていたので、彼女はシンに会いに来たのだ。シンの方も彼女が来てくれた事に心から喜んだ。

 繁華街のショーウィンドウに展示されている様々な品物を見て歩いたり、ちょっとゲームセンターに入ったり。そうしている内に、時間は流れるように過ぎていった。少し歩き疲れた二人はカフェに、この間エレンとユリウスが半壊させた所はまだ改装工事中だったので別の所に入って、ステラはフルーツジュースを、シンはコーラを頼んだ。

 ふと、ステラの中で一つの疑問が生まれた。彼女はそれを包み隠すことなく、目の前の少年に打ち明ける。

「ね、シン。ステラの事、好き?」

「ブハッ!!」

 突然の、恐ろしく直球ど真ん中な質問に、シンは思わず飲んでいたコーラを吹き出してしまった。激しく咳き込みながら、心配そうに自分を見ているステラに目を向ける。からかわれているのかとも思ったが、自分を見詰めるステラは眼が本気だ。

「え、ええっと、それはですね…」

 突然敬語になるシン。別に女の友人がいない訳ではないし、また妹もいる。だが、異性として意識したのはこのステラが初めてだ。どうすれば良いのか。『落ち着け、落ち着け、心を静めろ』と、胸の中で必死に自分に言い聞かせるが、それに反して頭の中は真っ白で、何を喋れば良いのかすらも分からない。

 その態度は勿論表にも出ている。ステラはそんなシンの内面をある程度直感的に察知したのか、クスッ、と笑うと、

「ステラはシンの事、好きだよ。シスも好き。同じ好きでもちょっと違うけど…でも、好き」

 飾らないステラの告白に、シンは耳まで真っ赤になる。そして、体が反射的に俯こうとするも、何とかそれを制して、再びステラの方を向くと、少し上擦った声で、

「俺も…ステラの事は…好きだよ」

 それを聞いたステラの表情は、花が咲いたような笑顔になった。それを見ていると、シンはひょっとしたら自分が今、世界で一番の幸せ者ではないかと思えてくる。それはステラも同じだった。自分を見て、嬉しそうに笑うシンの顔を見ていると、ますますシンの事が好きになっていく。ずっと一緒だったスティングやアウルも、何かにつけてうるさくて心配性なフェニックス部隊の人達も、シスの事も大好きだけど、シンの事も凄く好きだ。

 その時、彼女の中に誰かが入ってくる感覚があった。聴覚を通さずに、心に直接響いてくるようなこの声は、エターナの精神感応だ。それによって伝えられた内容に、ステラはとても残念な気分になった。だが、彼女に逆らう訳にも行かない。そうしたらシスにも迷惑がかかるだろうし、懲罰を受けて謹慎処分になったりしたら、シンに会いに来れなくなる。それは彼女としては避けたい事態だった。

「ごめん、シン、急な用事が入ったみたい。もう行かなきゃ…」

 名残惜しそうに席を立つステラ。シンも驚いたように彼女を見る。もっと一緒にいたい。二人とも同じ想いを抱いていた。と、その時、ステラの頭に名案が浮かんだ。首のネックレスを外す。大切な宝物だ。それを「はい」とシンに差し出す。

「…くれるの?」

 頷くステラ。少し躊躇ったようにしていたシンだったが、

「…ありがとう」

 と、受け取る。受け取ってくれて、ステラも嬉しかった。そうして仲間の所へ戻ろうとするが、もう一度シンを振り返ると、笑って言う。

「シン、また会おうね」

「ああ、きっと会おうな。ってか、次は俺が会いに行くから!!」

 自分の返事に彼女がにっこりと頷き、そして風のような速さで走り出し、その姿が見えなくなっても、シンはステラの走り去っていた方向を見ていた。



「フリーダムやジャスティスのパイロット、誰になるんだろうな?」

「さあなぁ、だが、もうすぐ量産されるだろうし、そしたら俺達にもチャンスはあるだろうぜ」

 ザフト軍施設内の通路を、一般の緑の制服を着た兵士達が談笑しながら歩いていく。彼等の話題に上っているのは、つい最近ロールアウトしたばかりの3機の最新MSの事だった。内一機は、設計段階からある人物の為の専用機として開発されており、他の二機、フリーダムとジャスティスと呼ばれる機体のパイロットが誰になるのかというのは彼等の議論の的で、ちょっとした賭けが成立する程だった。

 その二人の真後ろを、ショウは横切っていった。気配を絶ち、全く足音も立てない彼の隠身術は、触れ合いかねない程の距離でも、かすかな違和感さえも覚えさせることなく、すれ違う兵士達をやり過ごしていった。

「……」

 彼はほんの数十分前、クライン邸で交わされたやりとりを思い出していた。





「フリーダム?」

「そう、パトリックの指示の元、奪取したXナンバーの技術をも取り込み完成した、ザフトの新型機の一つだ」

「それを僕に奪えと?」

 穏やかではない会話がそこでは交わされていた。スピットブレイクの目標がパナマからアラスカへと変更されたというカナーバからの連絡を聞いて、部隊を止める事が不可能と知ると、ショウはすぐにクライン邸を発とうとした。アラスカにはアークエンジェルがいる。彼等も上層部に見捨てられた者達だというのなら、せめて彼等だけでも救いたかった。

 その衝動に従って、アラスカへ行こうとしていたショウを、シーゲルとラクスが呼び止めたのだ。最初にシーゲルは、このまま部隊がアラスカに降下した場合、結果はどうなるのか、それについてショウに意見を求めた。それに対して相手の心情も配慮したのだろう、ショウは躊躇って、ややあった後、話した。

「まず失敗しますね。少なくとも戦略的には」

 それはもう火を見るよりも明らかな未来だった。

 たとえ残されている戦力を殲滅した所で、今回の作戦の目的は電撃的な目標変更によってパナマに地球軍の主力を集結させ、その結果手薄なJOSH−Aを一気に叩き、地球軍の機能を半身不随の状態に陥れる事だ。

 だが、サイクロプスなどという明らかに基地の放棄を前提とした仕掛けが存在する以上、本部としての機能は何処か別の場所に移されているだろう。これではどれほど敵の戦闘機を落とし、戦車を踏みつぶし、戦艦を沈めた所で、作戦は失敗なのだ。それどころか、ただでさえザフトは兵士の数が地球軍に比べて圧倒的に少ないので、この作戦の失敗によって受けるダメージは計り知れない。

「ならばこの戦いで流される血に意味は無い。私もこれから穏健派の議員をまとめて作戦を中止するようパトリックに掛け合うつもりだが、残念ながら作戦が中止される可能性は万に一つ、いや、100パーセントあるまい。ならばショウ・ルスカ。傭兵としての君に、一つ依頼がある」

「依頼?」

 その言葉に体を緊張させるショウ。僅かに間を置いて、シーゲルがその依頼の内容を語った。

「現在工廠においてロールアウトした最新型MS一機を強奪し、その力を使って、アラスカでサイクロプスに巻き込まれるザフト兵の犠牲を一人でも減らして欲しい」

 それがシーゲルの依頼だった。最新型MS、という言葉が出た時に、ラクスには何か心当たりがあるのだろう、はっとした顔になり、シーゲルの袖を引き、「お父様」と呼びかける。シーゲルは無言でそれに頷いた。ショウはと言うと、その依頼の中で気になっている部分を問い質す。

「何故わざわざ最新型の機体など強奪するんです? そんなのよりも、ディンかシグーの一機でもあれば十分だし、そっちの方が簡単ではありませんか?」

 ショウが疑問に思っていたのはそこだった。立場によって表立って動けない彼が、そんな物に縛られない自分の力を利用しようとする事は分かる。だが、何故それにわざわざ最新型MSなどを強奪する必要があるのかは、ショウには疑問だった。危険を冒してそんな物を奪うよりも、ディンかシグー、それと地球まで行く事の出来るシャトル程度なら彼ぐらいの権力があれば上手く都合を付けられるだろうし、またそれで十分なはずだ。

 しかしその疑問は、シーゲルの次の言葉で吹き飛んだ。

「フリーダムというMSそのものはさして重要ではない、重要なのはその動力だ。フリーダムと他の二機には、NJCが搭載されているのだ」

 現在地球圏にバラ撒かれている核分裂を無効化する装置Nジャマー。それを更に無効化する装置NJC。それが搭載されているMSという事は、フリーダムは核で動いているという事になる。そこまで考えが至った時、ショウはシーゲルの思惑が読めた。どうやらこの人は、アラスカの一戦のみで自分に課す役目を終わらせる心算はないらしい。

「当然それが地球軍に渡ればプラントへの核攻撃が行われる危険がある。君にはプラントへの幻影の脅威(ファントム・メナス)として、時が来るまでNJCのデータを守り抜いて欲しいのだ」

 彼はショウに、抑止力としての存在を担えと言っているのだ。

 現時点ではNJCはプラントの独占技術。つまり現在のザフトは戦局によっては地球へ向けて、反撃のリスクを伴わずに核攻撃を行う事が出来る。だがそれを搭載したフリーダムが何者かの手によって奪取されたという事になれば、地球軍には渡っていないという確固たる事実が確認できるまでは、そうおいそれと使用する事は出来なくなる。下手に使っても、その一撃で相手を全滅させる事が出来なければ、今度は逆に自分達の方が容赦のない報復攻撃に晒されるからだ。ましてや核の保有量では地球側はプラントを上回っており、なおかつプラントは宇宙空間に浮かぶコロニーである分、核攻撃には脆弱なのだ。

「…我々は早くも道に行き詰まった。ナチュラルの滅亡は、同時にコーディネイターの滅亡でもあるのだ…私はパトリックほど明るい未来を想像する事は出来ない…」

 疲れたように言うシーゲル。無理もあるまい、今日はあまりにも色んな事が、それも衝撃的な事が起こりすぎている。彼は一度椅子に体を投げ出すと、その動作だけで力を取り戻したようにショウに語りかけた。

「裏であのような実験が行われ、しかもそれが一部の者達とは言え、最高評議会の意志によって容認されている事実…そして好戦へと傾くこの気運…この流れは止めなければならん。先程も言ったように新型3機はパトリックの元で開発されている。それが奪取されたとあれば、スピットブレイクの失敗と合わせて彼の威信は低下する。その時を狙って、私はもう一度強硬派から政権を奪取する。それが出来なくとも、この流れに対して一石を投じる事は出来るだろう」

 穏健派の筆頭としてのシーゲルの意見に、ショウは同調した。プラントのこの戦争に対する目的は、コーディネイターの独立と自治権の確保だ。それに対して、今回の真のスピットブレイクはその政策に反した作戦だ。理念が気運によって誤った方向へと流れている。

 そしてその、今まで最高評議会のメンバーにすら隠されていた真の目標が地球軍にばれているという事は、パトリックのすぐ近くに獅子身中の虫がいる事になる。それもかなり早期からそのスパイが情報をリークしていると考えざるを得ない。でなければ基地の地下にサイクロプスのような大がかりでリスクも高い仕掛けが用意出来るはずがない。そのような状況下でパトリックに戦争指導を任しておく事は危険極まりない行為だ。シーゲルの懸念も尤もだった。

 ショウはシーゲルからの依頼に対して、即答を控えた。その依頼を引き受けるという事は、地球と宇宙に生きる人々の命を全て自分が背負う事と同義だ。だが、思い出す。今までだって、自分は数え切れない程の人の命を背負って戦ってきた。自分はそれが任務とは言え、あまりにも多くの人の命を奪ってきた。その痛みと恐怖と哀しみは未だに自分の内にある。自分は今まで殺めた者達の命と、自分の力への責任を背負って生きているのだ。

 今回の依頼でも、自分がその責任を負う事によって、最終戦争の可能性を減らす事が出来るのなら本望だ。自分は決して道を誤らない。誤る事は許されない。そう常に自分に言い聞かせて、今まで生きてきた。これからもそうして生きる。それだけの事だ。

 ショウはその依頼を引き受けた。シーゲルは彼に、深々と頭を下げた。

 そうして今度こそクライン邸を発とうとするショウに、哀しげな顔のラクスが語りかけた。

「……結局私達は卑怯なのかも知れません。私達には戦う事は出来ません。それをあなたやザフトの方々に押しつけているだけで…」

 彼女には父のような政治家としての信頼や実績も、ショウのように戦場で戦う力も無い。あるのは歌姫としての実際的とはお世辞にも言えない影響力と、歌う事、ただそれだけだ。それを言い訳にして、戦う力を持っている者に全てを押しつけているのではないか? 自分もこの流れが正しくないと感じるのなら、彼等と共に戦場に赴いて戦うべきではないのか? だが彼女の中のそんな想いに気付いたのか、ショウは穏やかな顔で首を振った。

「……戦いを終わらせる為に戦う。矛盾でしかない言葉…戦う者が、人がいる限り戦いは終わらない。僕は今までずっとそれを見続けてきた。僕はその中で、争いの犠牲になる人達を護りたいだけ。かつての僕のような人を、一人でも減らしたいだけ……僕にはそれしかできない。それは確かにあなた達には出来ない事でしょう。あなた達の出来る事とやるべき事は他にある筈です」

「……!!」

 その言葉にラクスは僅かに目を見張った。彼の言葉は、自分の中にあった想いを真っ向から否定する物だ。しかし彼女の中にショウへの反感などは、不思議と生まれなかった。もっと彼の言葉を聞きたいと、そう思った。そんな想いまで感じ取った訳ではないだろうが、ショウはその期待に応えてくれた。

「昔ある人がこんな事を言いました。『歴史というものは終わらないワルツのようなもの、『戦争』『平和』『革命』この三拍子がいつまでも続く…ゼンマイの加減で三つのリズムは時々変わってしまうけれど、メロディーは変わらない』……確かにその通りかも知れない。あなた達は今のこの戦争の時を出来るだけ早く終わらせ、次に来る平和の時が出来るだけ永く続くようにする事が出来るでしょう? そしてそれは僕には出来ない事です」

 ショウは振り向き、立ち去ろうとして、立ちつくしているラクスを振り返ると、言った。

「僕とあなたの戦場は全く別の場所だ。でも、その戦いにかける想いは、望む未来は同じ物だと、僕は信じています」

 その言葉を最後に、ショウの姿は空間に融けた。ラクスは空を見上げて、もうここにはいない彼に囁きかけるような、決して大きくはない、だが深く重みのある声で自分の内に生まれた決意を語る。

「…ショウ、あなたには教えられました。私も戦います。たとえこの世界の流れに逆らっても、この声が嗄れ、喉が潰れるまで歌い続けます、平和の歌を。ショウ、私はそれをあなたに約束します……」





 ショウは既にシーゲルとラクスから教えられていた、フリーダムのある格納庫の目の前まで来ていた。ここまでの道中、誰にも見つからなかった。今回の仕事は、あくまでも『地球軍のスパイと思われる者によって、NJCを搭載した新型機が強奪された』という事実を作り出す事が大前提だった。もし、奪取を行った者が傭兵だと知れれば、当然プラント内部の人間の依頼によるものという事になり、プラント内の混乱を引き起こすだけに終わってしまう可能性もある。

 それ故にショウは、まさしく幻影のように、その存在を誰にも知られずに行動する事が要求された。ロックを解除し、格納庫に入る。監視カメラは数台、メンテナンスクルーの数は6、いや7名。この程度なら問題は無い。

 懐から愛銃を取り出す。左手のオートマティックには、今は麻酔弾が装填されていた。

 それを確認すると、一気に躍り出る。右手の突撃拳銃はその猛射で次々にカメラを撃ち抜き、左手の拳銃は麻酔針を的確に発射し、それは正確にクルー達の頭部に命中し、一瞬の間を置いて彼等の意識を奪っていく。1時間もすれば目を覚ますだろう。

 監視カメラが全て壊れ、最後のメンテナンスクルーが意識を失い、無重力に身を任せプカプカと漂い始めるまで、ほんの数秒の出来事だった。

 この場に意識のある者はもういない。ショウはそれを確認すると、浮かんでいるクルー達の周りに結界を張ってやった。これならこれからエアロックを開け、フリーダムが飛び立っても、空気の流れに吸い出される事も、飛び立った衝撃で傷付く事もない。彼等が目覚める頃には結界も消えているはずだ。

 ショウは入ってきた扉をロックすると、自分の目の前のフリーダムを見据えた。鋼鉄の天使を思わせるフォルムを持つ鉄灰色の機体は、主の訪れを待っているかのように、静かに佇んでいる。

 それが良い機体である事はショウには一目で分かった。彼はパイロットだ。良い機体と巡り会う歓びは、理屈を超えてその内に存在する。ほんの少しだけそんな想いを、まるで持て余すように楽しんでいたがすぐに自分の役目を思い出すと、フリーダムのハッチを開いた。



 一方、オーブの港でも、ソレイユが発進準備を整えていた。

 既にメンバーは全員が乗り込み、それぞれ自分達の部署に就いている。艦長席にはエターナが、ゲスト席にはニキが、オペレーター席にはミラが、ドライバー席にはオグマが座り、他のパイロット達も、ユリウス以外はブリッジに集合している。

 ステラ、スティング、アウルの3人も、今は私服から、フェニックス部隊の制服に着替えていた。この服は、前回の任務の成功を報告した時に、エターナから与えられた物だ。これで自分達も本当にこの人達の仲間だ。3人の中に、そんな不思議な安心感が生まれた。

 そしてキラとエレン、セブンとイレブン、二人のソキウスも、そこにいた。

 今回、彼等が行おうとしている事は、高い確率で地球軍とザフト、その双方を相手として戦う事になる。その時の為に、戦力は多い方が良いという判断で、キラの為にはエレンの修復したストライクが積み込まれ、ソキウスにはフェニックス部隊が予備として持ってきた二機のMSが貸し与えられる事になっていた。

 格納庫のユリウスから通信が入る。どうやらその3機を含め、現在このソレイユに搭載されている全てのMSの整備は万全、との事だ。エターナはそれに頷くと、席から立ち上がり、大きな声で言う。

「機関始動、発進用意!!」

「了解!!」

 彼女の声にオグマが応え、小刻みな振動が艦全体に伝わってくる。ソレイユの巨体が海面から離れ、空中に浮き上がった。そして数十メートル程度で一端静止すると、オグマが艦長席を振り返り、軽口を叩くように、エターナに言う。

「艦長、操艦に何かご注文は?」

 それに対して、エターナはにやっと笑うと、

「それでは最大戦速でぶっ飛ばして下さい」

 そう、冗談交じりに言う。オグマもそれにすっかり気を良くしたようで、やはりニヤリと笑うと、ハンドルに向かい、そして指の関節をボギッ、ボギッと鳴らす。そうしてハンドルを握る。準備は整った、後はエターナの声一つ。彼女は頷くと、キッ、と前を見据え、叫んだ。

「ソレイユ、発進!!」

 空飛ぶ白亜の宮殿は動き出した。アラスカへ向けて。一部の者の都合の良い計算、その為だけに無為に消え去る。その運命に捕らわれた多くの命、その運命を変える為に。

 そして時を同じくして、同じ想いを背負った一筋の流星が、プラントから飛び立った。





TO BE CONTINUED..


感想
ソレイユ1隻あれば全てにケリが付く気が。W0やV2AB、ガンダムXなどを装備してるなら、このまま圧倒的な戦力に物を言わせてアラスカの両軍主力を殲滅、双方に服従を強要するのが可能なのではないですか?