「そうか…ではお前はこの戦いが勝ち目の無い戦いだと知りつつも、最後まで戦うと言うんだな?」

「ええ……もう決めた事だから」

 オーブ、オノゴロ島内部の格納庫、メカニック・整備班が忙しく行き来する中で、ハイペリオンとクレイオス、互いの愛機の足下に座って、カナードとキラは話していた。伝えたい事、言ってやりたい事はそれこそ山のようにあるのに、中々それを伝える事が出来ないのが、カナードにはもどかしかった。

「だが俺達、少なくともショウ達にはこれ以上協力を期待しない方が良いぞ。俺達の請け負った仕事はあくまで逃げ遅れたオーブの避難民を一人でも多く救出し、それを無事に安全な所にまで送り届ける事だからな」

 カナードの言葉は予測の範疇であったのか、キラはさほど驚かなかった。

 ショウがミナから受けた依頼は、今カナードの言ったように、『逃げ遅れた避難民を一人でも多く安全な所に移送する事』だ。現時点で多くの避難民がソレイユに救助されている以上、彼等を乗せたまま戦闘行為を行う訳には行かない。それはキラにも分かる事だ。だからショウの事を恨むとか憎むとか、そういう感情は起こらなかった。

 自分達は正式なオーブの軍人だから、命令に従って戦う事も、そして命を落とす事も覚悟して戦っている。だが今、ソレイユに乗っている避難民達は違う。彼等は戦う覚悟も死の覚悟も無く、地球軍のあまりに一方的な宣戦布告の後、ほんの数十時間で避難する事もままならず、戦火の中を逃げ惑っていた人々なのだ。彼等は守られるべきだ。自分もまた、その為に戦っていたのだから。

「うん……それも分かってる」

 そうしてキラは一拍置くと、言った。

「誰もが大切な物や、護りたい人、貫きたい信念を持ってる。僕にとってそれは、この国で……今地球軍の理不尽な暴力に晒されている人達なんだ。だから僕は戦う。僕の護りたい物を、護る為に……」

 迷いを振り切った曇りの無い瞳で自分を見詰めるキラを見て、カナードはフッ、と笑った。

 正直、こいつをどうしようか迷っていた。

 一応話でも聞いてから、とは思ってはいたが、その先はどうするか……殴り合いにでも持ち込むか、懐から取り出した銃で頭を撃ち抜いてやるか、あるいは手と手を取り合って、もしくは抱擁し合って、全ての真実を伝えるか。選択は無数にあるが、そのどれが間違いでどれが正解なのか? 彼にはそれが分からなかった。

 少なくとも今のカナードには、今までは自分の想像の中にしか存在していなかったキラ・ヤマトと出会い、共に戦い、そしてこうして話していく中で、今すぐにこいつの命を奪ったり、傷つけたりしようという考えは、もう無くなっていた。だが、ならばどうすれば?

「………」

「あなたは、僕の影だと言った。それは一体……どういう意味なんですか?」

 今、最も聞かれたくない質問を、キラが口にしてしまった。こうなってはカナードも態度を決めなければならない。決断を迫られ、そして彼が選んだのは、

「……全てを教えるつもりだったが、だが今はまだ早過ぎるようだ」

 その答えだった。自分の口から全てを明かすのは容易い事だが、だがそれでキラが動揺し、最悪戦えなくなったとしたら……そう考えると、今のカナードはそれを口にする事が出来なかった。だがキラはそんな返答では満足した様子はない。それも当然だろう、さんざん思わせぶりな言葉をぶち上げたのは他ならぬ自分なのだから。

 だからカナードは、キラが自分の手で答えを捜す事が出来るように、ヒントを与える事にした。

「メンデル……ユーレン・ヒビキ……この言葉を辿れ……その先に、真実がある……」

「待って下さい、それはどういう……」

「後は、自分で確かめるんだな」

 彼はそれだけ言うと、ハイペリオンの整備に戻っていった。キラはしばしの間、彼の後ろ姿を見詰めていたが、これ以上問い詰めても、彼は何も話さないだろう。それが分かっていたから、何も言わなかった。そして彼も自分の役目を思い出すと、クレイオスの整備に戻った。



OPERATION,29 滅亡の序曲 ←フォント大きく



「怪我を負った者は、女性や幼い子供から優先して手当てします。比較的軽傷の方は暫くの間お待ち下さい。大丈夫です、薬や包帯も十分な量があります!! 必ず治療が受けられます、ご安心下さい!! 順番を守って下さい!!」

「ちょっと、人手が足りないよ!! ミラ、消毒薬と縫合セット、それに軟膏を持ってきて!!」

「は、はい!!」

 ソレイユ内部も、収容された数百名の避難民によって、かなりごった返していた。一応彼等は単独で任務に赴く時、自分で自分の負傷を治療する事もあるので、薬の種類や縫合などにはそれなりの知識と技術があった。と言うかそれ位出来なければフェニックス部隊の隊員は務まらない。

 めまぐるしく動き、怪我をした避難民達をてきぱきと治療していく。

 手当の終わった避難民達は、食堂へと移動し、そこで食事が配給されていた。

「ああもう、急いで下さい!! どんどん来るからペースが追いつきません!!」

「分かっています、もう少し待って下さい!!」

 医務室と同じく、殆ど戦争状態の食堂では、メイドとして最近ショウ達に出す食事を作っているセトナも、額の汗を拭いながら頑張っていた。とにかく、先にこの国を出港した避難船の中でもそうだろうが、避難民達は一人の例外もなく、疲れ切っていた。





「……うあああっ!?」

 シン・アスカもその例外ではなかった。彼は悪夢を見て、そして飛び起きた。

 自分を庇って、父と母が死ぬ光景が彼の脳裏に蘇ったのだ。悪夢という形で。周囲を見回してそこが見覚えのない部屋だと分かると、ほんの数時間前までの出来事が夢ではないと実感できた。もう、父も母も、この世にはいないのだと。

 そう考えて彼は、自分が握り締めているシーツに目が行った。ちらっと横を見ると、そこにはマユが隣のベッドに寝かされて、眠っていた。大切な妹が無事だと、それが分かったので、シンはほっと息をつく。その時、逆隣から声が聞こえてきた。

「シン……マユちゃん……ステラ、護る……」

 シンがそれを聞いて振り向くと、そこにはステラが、彼にもたれかかるようにして眠っていた。

 彼は知らない事だが、ステラによって救助された二人はあの後すぐにガイアの中で意識を失ってしまい、それをステラが慌てて自分の部屋に運び込んだのだ。そして彼女はそのままそこで二人の看病をしていたのだが、流石に戦闘後ということもあって、疲れによって眠ってしまったのである。

 それを示すように、彼女の姿は未だにパイロットスーツのままだった。

「ステラ……君が……あんな物に…乗っていただなんて……」

 シンは眠るステラの髪を、そっと撫でた。彼は自分の知らなかった事実を知って、衝撃を受けていたが、あまりにも多くの事が起こりすぎて感覚が麻痺しているのだろうか、まるで夢の中にいるようで、あまりそれを現実の事として実感する事はなかった。その代わりに、彼の中に芽生えた物があった。

 それは怒り。

 彼のその紅い瞳に、研ぎ澄まされた刃の如き危険な輝きが宿り始める。

 だがそれは誰に向けられた物なのか。両親を殺した地球軍に対してか。戦争にこの国が巻き込まれる事を防ぎきれなかったオーブに対しての物か。それともステラのような少女をこんな風に戦わせている者に対してなのか。あるいはこの理不尽な世界すべてに対してなのか。

 それは彼自身にも分からない。

 ただ一つ、分かっている事は、許せない物があると言う事だけだった。

 その衝動に突き動かされるようにして、彼は部屋を飛び出していた。





 一方その頃、オノゴロ島、ウズミの執務室。ここは今後の対策の為、現在は立ち入り禁止となっている。が、そんな事情など知らぬとばかりに堂々と入室する人物が一人。他でもないショウである。部屋の主であるウズミは、入ってきた小さな客人を見て驚いたようだった。ショウは”獅子”と評される大政治家と相対し、背筋を伸ばして一礼する。

「こうして面と向かってお会いするのは初めての事になりますね。僕がショウ・ルスカです、ウズミ様……」

「ああ、君の事は資料を読んで知っている。それで、私に何の用だね?」

 と、この予期せぬ訪問者には驚いたものの、すぐに落ち着きを取り戻して質問する。それに対して、

「伝えなければならない事があります。先の戦闘でこの戦いに介入したMS部隊、あれを率いていたのは僕です」

「!! そうか……」

 要点だけを述べるショウ。それを聞いたウズミは驚く反面、心のどこかで納得してもいた。

 あの謎のMS部隊は先のアラスカでも戦闘に介入し、連合とザフト、そのどちらにも与せずに、だが双方多数の人名を救った事は、ウズミの耳にも入っている。それと前後して、サハク家のロンドが雇っていた傭兵達が消息を絶ったという報告が耳に入っており、何らかの関係はあるだろう、と、彼は推測していたのだ。まさかそれがショウの率いる部隊だとは思ってもいなかったが……

 ウズミは心を整理すると、目の前の少年に対して、言った。

「オーブの理念は知っているだろう? 多くの民を救ってくれた事には心から感謝するが、これは我々の戦いだ。君達が介入すべき物ではないぞ。我々の力だけで、最後まで戦う」

 その言葉には強い信念が感じられた。それが正しいのか間違っているのかは別にして。だがショウはそれをジャッジする立場でもなく、またその必要が今ある訳でもない。今の彼はあくまで傭兵なのだから。納得の行く行かないはあっても、そこに善も悪もない。ただ任務でしかない。今の自分と仲間達はただ、抗う術を持たない人々を救う為の力。それだけで良い。

「ええ、分かっています。ですが僕達が救助した避難民の方達は、僕達が責任を持って安全な所まで送り届けます。それが今回受けた任務ですから。それ故に僕達はこれ以上、この戦いには干渉しません、いえ、出来ないと言った方が適切でしょうか……」

 と、カナードが予測した通りの答えを、ショウはウズミに返した。ウズミもそれが満足の行く答えだったらしく、「民を頼むぞ」と言い残して椅子に座ると、再び資料と睨めっこを始めた。ショウとしてもこれ以上彼と話すつもりはなかったが、だが最後に一つだけ、質問した。

「これから……どうするのですか?」

 その質問に対して、ウズミはきっぱりと答えた。

「為すべき事を為す。それだけだ」

 その答えを聞くと、ショウは再び一礼して、部屋を出て行った。

 その後ウズミは机に置かれた電話を取り、指示を出す。

「全部隊に通達せよ。オノゴロ島を放棄、カグヤへ集結せよ、と」

 そして部屋を出たショウは、歩きながら呟く。

「……そう、僕も、己の為すべき事を為すまでです」





「どういう事だっ!! お前が部隊を率いていながら、あんなちっぽけな国一つ落とせないなんて!!」

 同じ頃、地球連合の旗艦パウエル、艦長室と同程度の広さと設備を持つ、VIP用の個室にて、アズラエルはいきり立って机の上にあった山積みの資料を、立っていたシェリルに投げつけた。シェリルは避けようともせず、分厚いファイルの角が額に当たって血が流れ出たが、彼女はそれを拭おうともしなかった。

「ええ!? 僕があの国を落とせと言ったんだ、ならやってみせるのが君達の仕事だろうが!!」

 そう言いながら彼女の髪を掴み、その顔を自分の目の前に寄せ、唾を撒き散らしながら喚き立てる。

 結局、今回の攻撃でオーブを落とす事は出来なかった。その結果はアズラエルにはそれだけでも我慢のならない事だったが、それ以上に、撤退の指示を出したのが目の前の、この若き地球軍大尉である事に、怒りを感じていた。

 命令するのは自分であって、彼等は自分の言う事を素直に聞くコマであれば良い。それはこの女だって判っていた筈なのに、それなのに何故自分に逆らう? 自分はあそこで退け等とは一言半句として口にはしなかった。なのに何故彼女は自分の言う事を聞かなかったのだ? それが不満だった。

「……あのまま攻撃を続けても徒に自軍の被害を増やすだけだと判断し、現場指揮官として与えられた私の権限に置いて、撤退を命令しました……」

 だがそれを聞き終えない内に、アズラエルは彼女を突き飛ばした。彼女の細い躯が壁に叩き付けられる。

「そんな事を聞いているんじゃない!! 何でオーブを落とさなかったって聞いているんだ!!」

「………」

 シェリルは壁にもたれかかりながら、この男に対して返答をする事のむなしさを覚えていた。

 自分達がやっているのは戦争なのだ。極単純に言えばこちらは相手を殺すのが仕事であり、だが相手もこちらを殺すつもりで仕掛けてくる。そんな中で手加減をする余裕など、誰にもある筈がない。皆が正しく死に物狂いで戦っているのだ。

 そしてそれで現在の戦い方では落とせないと判断した以上、一旦兵を退く事とした自分の判断は間違いではないと、シェリルは今でも信じている。誰もが死を覚悟してはいるが、だからと言って自分を信じてついてきてくれる部下達を無駄死させる心算は、彼女にはなかった。

 しかるにアズラエルにはそれが気に入らないらしい。たった一度の勝敗、それも完全に決着がついた訳ではなく、一時的に中断したような物で、これから態勢を整えて改めて攻めれば、その攻撃でオーブを落とす事も十分に考えられると言うのに。結局の所、彼は自分の思い通りにならなかったのが腹立たしいだけなのだ。

「申し訳ありません……」

 彼女はそれだけ言うと、彼女はまだ話は終わっていないとばかりに何事か喚き続ける男を尻目に、部屋を退室した。相手にするだけ時間の無駄だ。そして通路に出て一度、深い溜息をつく。

 あのようなどうしようもない指揮官殿だが、しかし自分は彼に逆らえない。逆らう訳には行かない。そんな事はあってはならないのだ。己に与えられた役目を為し、彼の願いを成就させる事。自分はその為に戦う。そう言い聞かせると、彼女は通路を歩き、フューネラルのある格納庫へと向かった。

 その途中で士官が、指示を求めてくる。シェリルはこう答えた。

「パイロットは全て休ませ、整備班や手の空いている者は全て、MSの整備や補給に回して下さい。態勢を立て直し次第、オーブへ再度の攻撃を行います」

 そして他にも様々な、それでいて的確な指示を、周りの者に与えていった。



 カタカタカタ……

 オーブ、オノゴロ島の地下、モルゲンレーテ及びマスドライバー関係のメインコンピューターの中枢が走っている、立ち入り禁止区画の一つ。

 このような非常時、本来であれば無人の筈のこの区画の片隅で、一人の少女がキーボードを叩き、闇の中、画面に表示される数字の羅列と睨めっこしていた。

「うーん……自爆シークエンスに連動するようにして……作動と同時に……全ての機能を……」

 その少女はブツブツと呟きながら、腕を組んで首を捻っている。それだけ見ると可愛らしい仕草だが、その間にも彼女の左右異なった輝きを放つ双眸は、目の前のハンドメイドと思われる携帯型のコンピューターのモニターに、高速で流れている膨大な情報を、その一文字も見落とすまいと、爛々と光っている。

 少女の名はエレン・アルビレオ。本来はフリーの技術者であり、その独創的な技術とエリカ・シモンズとのコネもあって、一時的にオーブ、正確にはモルゲンレーテに雇われた身であるとは言え、本来は部外者である彼女にこんな国家機密に属する場所に立ち入る権限など有る訳も無く、当然不法侵入だった。

 ここまで来るのに5回程オーブの兵士に止められたが……彼等には例外なく少しばかり眠ってもらっている。

 彼女には役目があった。

 ある人物より頼まれた、その役目を果たす為に、彼女はここまで来ていた。

「………よし!!」

 考えがまとまったらしく、一度頷くと、猛烈な速さでキーボードを叩き始める。ちなみに、現在、メインコンピューターに繋いでいるこの携帯型コンピューターは彼女の専用マシンとして自作した特注品なので、以前ユリウスとハッキング対決をした時のような、オーバーヒートの心配は無用だった。

 そうしてそのプログラムの作成が着々と進んでいたその時、

 コツ

 背後から聞こえる靴音。彼女は即座に反応した。

「誰っ!?」

 シュピィィィィンン……

 振り向くと同時に武器を取り出す。空気が何か、鋭利な刃物に切り裂かれるような音を立てて、両手に嵌めていた手袋から銀色に輝く糸が飛び出した。その数は指一本につき5本、全部で50本もの糸が、結界のように彼女の周囲に垂らされる。それは近づく相手が彼女に対して敵意や害意を持つ者なら即座に、その敵を切り刻む鋭利な刃物へとその姿を変える。

 そうして警戒しながら前方の闇を凝視していたエレンであったが、闇から姿を現した者を見て、まず驚きに目を見張り、次に呆れたように笑った。

「ほう、あなたは絃術をたしなむんですか?」

 と、現れた人物は親しげに声を掛ける。エレンはその言葉に苦笑しながら、糸を手袋に戻した。

「あなたも、こんな所にいると言う事は、目的は僕と同じ……と、考えて良いのかな?」

「ショウ。あんたもここに用があるの?」

 エレンのその言葉に、現れたその人物、ショウは肯定も否定もしなかった。だが、上着の内側に手を入れ、そして一枚のディスクを取り出す。それを見たエレンは半分驚いたようで、もう半分は、「ああ成る程、やっぱりそうか」と、納得したようだった。ショウの方も彼女のそんな仕草を見て、彼の中の疑問は解決したようだ。少しばかり不服そうに、鼻を鳴らす。

「ふン、ダブルブッキング、か……正直余り気分の良い物ではないんだけど……まあ、この事は僕の胸の中だけに留めておくとするか。万全を期す為、二重三重に策を打つのは策士としては基本的な事だからね…」

 彼は誰にともなくそう言うと、エレンの隣に座り、左手に持っていたバッグから取り出した特製の機材を剥き出しの回線に繋ぐと、一心不乱にキーボードを叩き始めた。エレンもそれに負けじと、自分の作業を再開する。

 タタタタタタタタタ………

 薄暗い空間にキーボードを叩く音だけが反響していた。



 フェニックス部隊母艦ソレイユのブリッジでは、現在は最小限のメンバーであるエターナとオグマだけが残り、状況をモニターしていた。

 彼女達としては、オーブでの任務、つまり避難民の救出ともう一つ、ショウがロンド・ミナ・サハクから極秘裏に頼まれたという依頼を果たしたら、早々にオーブ本国を離れるつもりでいた。

 カナードがキラに、ショウがウズミに言ったように、これ以上戦闘には介入しない。否、出来ない。

 艦に避難民を満載したまま戦闘を行う訳には行かないし、何よりも避難民の安全な場所(アメノミハシラ)へと送り届ける事こそが今回の任務である為、出来る限りここからは早く離れたい、と言うのがエターナの本音だった。しかし、未だに収容した避難民の手当て等も終了していないし、艦を動かすにしてももうしばらく時間が欲しい所ではある。

 が、しかし、どうやら事態の推移は自分達の都合を鑑みてはくれないようだった。

 広域レーダーに映る、海上の大きな輝点から小さな輝点が幾つも現れて、それがオノゴロ島へ向かって近づいてくる。

 大きな点は洋上に展開した地球軍の母艦、小さな点はそれから発進した輸送機だ。輸送機はどの機体の内側にも、その搭載能力一杯のMSを積み込んでいるに違いない。オペレーター席に座っていたエターナは、チッ、と舌打ちした。

 まさかこれ程早く態勢を立て直し、再攻撃を仕掛けてくるとは。

「私の予想では、どんなに急いでも後数時間はかかると見ていましたが……どうやら余程優秀な指揮官がいるようですね」

 どんなに事態が気に食わないからと言って、だからぶつくさと喚いてもどうなる物でもない。彼女の明晰な頭脳は愚痴を零しながらも、現時点で選択可能なオプションを思案していく。と、そこに、無線機でオーブ側の通信を傍受していたオグマが声を上げた。

「艦長、どうやらオーブにも動きがあったぜ」

「貸して下さい」

 彼女はオグマからインカムをひったくると、それを耳に当て、通信の内容を聞き取ろうとした。

 ウズミ・ナラ・アスハ自身が行っていると思われるその放送は、オーブ軍全体にオノゴロ島を離脱し、マスドライバー宇宙港のあるカグヤ島へ集結せよとの命令だった。自分達フェニックス部隊の介入もなく、残った戦力では到底守り切れないという事は、ウズミにも分かっているらしい。だが、カグヤ島へ集結せよ、とは……?

「地球軍の目的であるマスドライバーを背にしての徹底抗戦? ……それとも、主力部隊の宇宙への脱出…?」

 可能性として大きいのはその二つではあるが、そこまで考えた時、別の可能性が彼女の頭に浮かんだ。だがそれは、それこそ正に最悪の選択であると言うべき物だ。”それ”は為政者たる者が決して選んではならない選択肢だ。ウズミ・ナラ・アスハが理性に従って行動するなら選ぶ筈が無い、と、彼女は考えるのだが、

『人間、追い詰められるとろくな事を考えませんからね……』

 万に一つの”その”可能性が現実の物にならないとも限らない。エターナはそう考え、精神感応で現在この艦にいる部隊員の全員を集めようとした。が、その時、勢い良くブリッジの扉が開き、そこから息を切らせて二人の少女が入ってきた。

 彼女が驚いて振り向くと、そこには、

「ステラ……それにマユさん。どうしました?」

 穏やかな口調で話しかけたエターナに対して、マユが顔を上げた。冷静なエターナの表情に、僅かに動揺が走った。それと同時に彼女の心に、嫌な予感と言うか、虫の知らせのような物が芽を出した。何故ならマユの顔に浮かんでいたのは、ただ環境が変わった事による物ではない、それとは別種の不安と恐怖が浮かんでいたからだ。

 そしてこういう、決して良いとは言えない状況の中での悪い予感程、良く当たる物はない。

「お兄ちゃんを知りませんか? 艦のどこを捜してもいないんです!!」

「シンがいなくなったの!! 私が少し目を離した間に……」

 動揺した様子で叫ぶマユとステラ。エターナは自分の中で、悪い予感がどんどん大きく育っているのを感じてはいたが、だがしかし、ここで自分が不安な表情を見せては余計に、そして無用にこの二人にも不安を伝染させてしまうだけだ。それが分かっているからこそ、努めて冷静に、彼女達を安堵させるような言葉を掛けようとした。そんな彼女の口が何か言おうと開いたその時、

 グオオオオン……

 微かな震動と音が、彼女の体に伝わってきた。

 マユがそれを感じた様子はない。だがステラやオグマは、確かにそれを感じたようで、驚いた表情で周囲を見回している。それはそれ程小さな、艦体と空気の揺れに過ぎなかった。戦士として訓練された五感を持つ、彼女達にしか感じ得ない程の。

 そして感じたその3人の中でも、この艦に乗っている時間の長いエターナとオグマは、その震動が一体何による物なのか。それをも把握していた。

「今のはカタパルトのハッチの開閉音……MS部隊に発進を命じた覚えはありませんが……? オグマ!!」

 エターナが今の音の原因を突き止めるべく、指示を声に出すより早く、オグマはキーボードを操作し、回線を格納庫に繋げていた。ほんの数瞬の間があって、格納庫内部の様子が表時される。そのデータに表示された物は。

「艦長。こいつはヤバイ。格納庫にあったデスティニーインパルスが動いてる」

「!!」

 その報告に、今度こそエターナは表情を引きつらせた。

 行方をくらましたシン。隊長であるショウから現在指揮権を預かっている自分が部隊の誰にも出撃を命じてもいないのに動き出している、しかも誰の専用機でもない、予備として持ってきた実験機。得られる情報はこれでもかと言う位、考え得る最悪の状況を導いている。

 エターナは瞳を閉じ精神を集中させると、一心にマユの兄であり、友人の一人でもある少年の事を想った。

 ニュータイプとしての優れた直感が、たとえ距離が離れていようと、彼がどこにいて何を考えているのか。それを彼女に伝えた。

 暗闇の中に、確かに”観え”た。狭い空間、MSのコクピットに座る、シン・アスカの姿が。

 同時に、彼の中に渦巻いている炎が”観え”た。暗い感情に縁取られた、やり場のない怒りの炎が。

「……困った事になりましたね…」

 そうこうしている間に、開いたハッチからデスティニーインパルスが発進した。エターナは閉ざしていた瞳を開けると、それがまるで別の国で起こっている事であるかのような調子で、そう言い放った。

 今の所状況はかなり悪い。

 現状を整理して考えると、まず、今回、民間人のシンが格納庫に立ち入り、デスティニーインパルスを動かせた理由は二つ。一つは彼がステラ達の友人として何度かこの艦を訪れて、ある程度内部構造を把握していた事。

 そしてもう一つの原因は、このソレイユはオリジナルと比較して、ほんの数人のブリッジクルーのみでも戦闘を行えるよう、艦内の機能の多くをコンピューターによって自動化するように改造されている。シンは恐らく、そのプログラムを一時的に書き換えたのだろう。

「……今後、ゆっくりと整備する機会に恵まれたのなら、もっとセキュリティを充実させましょう」

 加えて他の機体なら兎も角、シンの乗り込んだデスティニーインパルスには、CBやWゼロカスタムのような改造が施されてはおらず、しかも元々あれは試験機として設計されていた関係上、複雑な機体構造による物理的負荷やエネルギー効率など様々な問題があり、到底実戦に耐え得るような代物ではないのだ。しかもそれに乗っているのはコーディネイターとは言え、パイロットとしては素人のシン。これは自殺行為以外の何物でもない。

 だがそれすらも、恐らく今の彼には分かってはいない。怒りが彼の視界を狭め、思考をも妨げているのだ。

「どうする? カチュア達を行かせるか?」

 と、オグマ。だがエターナはこの意見を却下した。

 自分達以外のメンバーは、ショウも含めて全員、任務遂行や怪我人の治療などで手が離せない状態だ。特にカチュア達は数百人単位の避難民の手当や食事の用意、寝床の確保で手一杯。とても動かせる状態ではない。下手に彼女達を動かして、ソレイユがオーブを離脱するのが遅れてしまっては、ひいては収容した避難民をこれ以上の戦闘に巻き込んでしまっては、それこそ本末転倒だ。

 と、なれば、打つ手は二つに一つしかなかった。一つはシンを見捨てる事。そして今一つの方法は、

「……私が行きましょう」

 静かに紡ぎ出されたエターナのその決意の言葉に、ステラとマユは驚いて目を見開き、オグマは「おおっ」と唸り声を上げた。





 オーブ。戦火が飛び交い、憎しみが世界を覆うこの争いの時代の只中にあって、南海に輝き続けた奇跡の宝石。その輝きが喪われる運命の時は、もう、すぐ目の前にまで迫ってきていた。





TO BE CONTINUED..


感想
ソレイユのMSにもセキュリティは無かったんですか!? ショウたちはオーブを離れるつもりのようですが、さてウズミは歴史を辿るのか。しかしシンはどうやってMSを動かしてるんでしょう? まさか何処かで訓練してたわけじゃないでしょうし。