それは非常に不思議な再会だった。
 父の付き合いのパーティで、私は内心渋い顔を浮かべながらも、誘いを承諾した。
 辺りには煌びやかに着飾った上流階級の人間で溢れている。
 私もその一部の筈なのだが、どうにも自分が浮いている様に思えてならなかった。
 いっそ抜け出して舞や祐一さんの所へと帰ってしまおうか。
 そうまでさえ思った程に、その場所は息苦しく、そしてつまらなく感じたのだ。

 そんな時だ。
 テラスで一人の男性を見付けたのは。
 手摺に身体を委ねているその人物の後姿に私は見覚えがあった。
 彼は何を見ているのだろう。
 そんな疑問が湧いた。

「あの……何を見てらっしゃるんですか?」

 一度考え出すと私はいてもたってもいられなかった。
 その人物は振り返りもせずに次の言葉を呟いた。

「……星を見ていました。特に面白くはありませんが、中の人間を見るよりはマシだと思いましてね」

 声にも聞き覚えがあった。
 瞬時、身体が強張ったのを、数年経った今でも良く覚えている。
 高校時代、私や私の大切な人達が嫌っていた声だった。

「……」
「貴方は……何故、私に声をかけたのですか?」

 今度は彼が私に質問を投げた。
 未だ彼の視線は星空を向いたままだった。
 私から始めた会話だ。
 私には余り答えたくは無いその質問を受けなければならない義務があった。
 今思い出すと実に不思議だ。
 何故私はあの時、こうもむきになっていたのだろう。

「寂し……そうでしたから」
「……そう……ですか」

 彼はやはり此方を向かない。
 声には私の予想通りの寂しさが混じっていた。
 私は何故か嫌っていたはずの彼の高校時代を思い出そうとした。
 少なくとも、こんな風に彼は他人に弱い所を見せる様なキャラクタでは無かった筈だった。
 陰険、嫌味、高飛車。
 彼を形容する言葉はあの頃は幾らでも湧いて出た。
 それだけに彼の事を嫌っていたのだろう。
 だがあの時、あの場所で浮かんだ言葉は『寂しさ』と言うものだけだった。

「お久しぶり……ですね、久瀬さん」

 彼の名は久瀬義明。
 私が通っていた学校で生徒会長を努めていた男だ。
 あの時の私は天敵の弱点でも見付けた気になっていたのかもしれない。
 妙な余裕と、おかしな緊張が私を支配していた。

「……」

 彼は無視するつもりなのか、未だ私の方向に振向かない。
 その態度が癪に障った。
 どうしてあの時、私はこうも好戦的になっていたのか。
 忌み嫌っていた筈の人物なら無視すれば良かったものを……。

「ほら……あんなに星が綺麗じゃないですか」
「……」

 彼は急に星の話を始めた。

「あれ、オリオン座ですよ。……綺麗ですね」
「それがどうしたんですか」

 ここで始めて彼は私の方に振向いた。
 その時の彼の表情は忘れたくても忘れられない。
 いや本当は忘れたい等とは思わなかったのだが、それ程までに印象的だったと言う事だ。
 恐ろしい程までに穏やかな笑顔を浮かべていたのだ。

「綺麗でしょう?」
「……」

 多分、私はだらしなく口を開けていたのかもしれない。
 それだけに彼の台詞には驚いた。
 失礼な話だが、彼はそう言う事柄に興味が無いものだと思っていたのだ。

「……綺麗じゃありませんか?」

 彼は少々残念そうな顔になる。
 私の反応を窺っているのだろう。
 偉く長い間、時が止まっていた様な錯覚を覚えた。

「綺麗……かもしれませんね」
「……そうでしょう」

 私が答えると彼は嬉しそうに微笑んだ。
 この男がこう言う表情を浮かべる事が出来る事自体、不可思議だった。

 これが彼――久瀬義明と、私――倉田佐祐理の再会だった。












The Story Only for You












 それからは何もかもがスピーディに事が進んだ。
 私達はお互いに連絡を取る様になり、彼の方から告白された。
 そして時を重ねプロポーズを受けた。
 私は無論、承諾した。
 何を焦っていたのだろうか、そう思われる程に私達の関係は急速に深まったのだ。
 気付けば結婚して五年が過ぎていた。

 最初は本当に大変だった。
 結婚の話を始めた時に両親よりも大変だったのが、舞と祐一さんだった。
 二人とも彼の事をお世辞にも良くは思っていなかった。
 本当にしつこい程に反対されたものだ。
 その度に、

『もうご飯作ってあげませんよ』

 と言うと祐一さんも舞も黙りこんでしまうのだ。
 冷静に考えると脅しをかけた自分も自分だが、それに応じる二人も二人だ。
 私よりも、私のお弁当が大事なのだろうか。
 だがそんな筈は無い。
 二人は良い友人、いや親友だから。

 彼と二人を会わせるのにまた私は、本来必要の無いはずのプロセスを踏む必要があった。
 何処の世界に結婚の承諾を親友に貰わなければならない人間がいるのだろうか。
 今考えると本当に滑稽だ。
 彼は微かに渋い顔を浮かべながらも了承をするのだが、舞と祐一さんがまたここで愚図るのだ。
 何とも頑固者で似たものカップルである。

『佐祐理さんをお前なんかに渡せるもんか!!』
『佐祐理は……渡せない』

 二人の決り文句と化したこの言葉。
 私はこれらを聞く度に苦笑を浮かべざるを得ないのだ。
 大切に想われている事は非常にありがたいしうれしい。
 だが当人達の問題でここまで干渉してくるのも如何なるものか。

『君達が嫌っている私に彼女を渡したく無いというのは良く分かる』
『だったらなあ!』
『だが……私も彼女を愛しているのだから、引くつもりは無い』

 大真面目な顔でこんな台詞を吐く彼に惚れ直したのは言うまでも無い。
 成程、惚気ると言うのは非常に心地良い感情だった。

『それに……君達に認めてもらうまでは彼女を妻に迎えるわけにはいかない』
『『……』』
『君達は彼女にとってとても大切な存在だから』

 こう答えられて二人は黙った。
 納得は出来ないが、彼の気持ちは伝わった様だ。

 そして私達は結婚式を行った。
 勿論、二人も誘った。
 両親よりも早くに舞が泣き出してしまったのは、最早語る必要も無いだろう。

 そうして私達二人だけの生活が始まった。
 その頃彼は既に若手人気小説家として有望な位置にいた。
 収入は良かった。生活面では何も苦労する事が無かった。
 私は家事一般が得意だったし、彼も気分転換だと言って良く包丁を握っていた。
 彼の料理は性格が滲み出ていて、栄養バランスが良かった。
 味は……まあ失敗もたまにはあったが、割と行ける方だと思う。
 妻びいきにしてもだ。
 何もかも幸せだった。

 それから数年経って今に至る。
 特に問題は無い筈だった。
 だがここの所、彼の態度がよそよそしいと言うか、今まで以上に冷たい印象を私に与えた。
 今日も書斎に篭りっぱなしだ。
 私に飽きてしまったのだろうか。
 そんな不安に駆られる。
 もう少しで私の誕生日。
 彼は覚えているのだろうか。
 妙に彼は無頓着なのだ。
 だから心配なのだ。









 私の小説は良く売れた。
 最初は趣味程度の物だったのだが、徐々に人気を博した。
 今では生活に十分過ぎる程の蓄えがあった。

「……ふぅ」

 ここの所、根を詰め過ぎたのだろう。
 目と肩に疲れが溜まっている。
 今日も一日中、書斎に篭りっぱなしだった。
 妻が心配していたが、今ばかりは頑張らねばならない。
 私は気を取りなおしてパソコンのキーボードを走らせる。

 私は比較的、締め切りは守る方だと思う。
 まあ今回も……恐らくは、間に合うだろう。
 いや間に合わせなければならない。
 それこそ相沢や川澄さんと交わした約束を破ってしまうのだから。

『佐祐理を哀しませたら……許さないから』
『まじで殴るからな……そんな事があったら』

 自然と頬が緩む。

「……誰が彼女を哀しませるものか」

 私は自分の指のギアを一段階上げて加速させた。










 私の誕生日まであと三日。
 未だ彼は書斎に篭りっぱなしだ。
 ただ食事はちゃんと取っている様である。
 書斎のドアの前に置いた食器の中身は綺麗に無くなっていた。
 彼はどんなに体調が悪くても、私が作った者は残さなかった。
 それだけの事でまだ私は彼を信じれる。
 まだ……











「……」


 カタカタカタ


 壁が書物で埋め尽くされているこの書斎にキーボードの乾いた音だけが響いた。
 私はこの部屋に妻を入れようとはしない。
 何となく気恥ずかしいのだ。
 我ながら子供の様な考えに苦笑する。


 カタカタカタ


 私の小説家としての全てを今、ここに詰め込んでいる。
 間に合わせる。
 絶対だ。











 遂に私の誕生日は明日になってしまった。
 彼が食事を摂らなくなった。
 不意に涙が溢れそうになった。
 私はそれを我慢するのに必死だった。














 タイムリミットまであと……数時間。
 まずい……。
 強烈な睡魔が襲いかかって来た。
 ここで負けるわけにはいかない。
 彼女の手料理を我慢してまで頑張っているのだ。
 ここまで来て水の泡なんて事になっては面目たたない。
 あと……少しだ。


















 十二時を回った。
 二階の書斎には彼がいるはずなのに、何故こうも疎外感を感じるのだろう。
 一人きりの誕生日なんて味わった事等無かった。
 いや……一度だけある。
 一弥を失ったあの時。
 私は両親ですら否定した。
 そして勿論、自分自身も。

 嫌だ。
 あんな想いは……もう。
 私は駆け出した。

「失礼します!!」
「!? 何だ、佐祐理?」
「……え?」

 彼は身なりを整え何処かに外出する様子だった。

「すまない、佐祐理。私はこれから出掛けなくてはならない」
「……え、でも」
「すまない。今夜中は戻れるかも分からない」

 目の前が暗くなった。
 彼は慌しく走り去った。





 何を慌てているのですか?




 私より……大事な事なんですか?




 喉まで出掛かった言葉を必死に飲み込む。
 その味はあまりに苦く、私は遂に泣き出した。
 癇癪を起こした子供の様に。














「えぇ? 一日で? 無理だよ、幾らなんでも」
「すみません、無理を承知で言ってるんです」
「あのねえ、君の頼みでも幾らなんでもさぁ」
「一冊だけで良いんです! この通りです!!」

 恥も外聞もあったものでは無い。
 私は土下座した。
 昔から懇意にしてもらっている印刷店の主人。
 彼しかこんな事を頼める人物が他にいなかった。
 だが私にとって”こんな事”では済まされない問題だった。

「あ〜もう、頭上げな」
「承諾して頂くまで、私は顔を上げるつもりはありません」
「……ったく」

 完全な私事(わたくしごと)なのだ。
 我侭を言える立場では無い。
 だが……だからこそ彼しか頼めない。

「わぁーったよ。ただ俺を最初の読者にしてくれるかい?」
「……え、それは……しかし」

 困った提案を出されたものだ。
 最初の読者は既に決めている。
 あの人以外に考えられない。

「おいおい、それすらも駄目かい?」
「えーっと……その」
「ハッハッハ! OK、奥さんの次で良いよ。必ず読ませてくれ」
「……あ」

 何と言う事か。
 彼には筒抜けだったのだ。
 それだけ私の考えが読みやすいと言う事なのかもしれない。

「ありがとうございますっ!!!」













 チュンチュンチュチュン


「……ん?」

 私は雀の鳴き声でゆっくりと目を覚ます。
 泣き疲れて眠ってしまった様だ。

「あっあれ?」

 私の肩には毛布がかけられていた。
 お陰で寒い思いをせずに済んだ様だった。

「……義明……さん?」

 横では私と同じ様に書斎の本棚に背を預け眠っている彼がいた。
 気付くと私の手元には一冊の新しい本があった。

「……『 The Story Only for You 』」

 ページを捲る。
 最初に一行、こう記されていた。









この物語を最愛の妻、佐祐理に捧げる















 私はその物語を読み終えた。
 何とも恥かしい内容だった。
 私と彼の馴れ初め、あの高校時代の時の謝罪、そして今の私への彼の想いが延々と記されていた。
 これが今、人気の作家のお話なのか。
 思えば彼の書いた小説をまともに読んだ記憶が無かった。
 妙に小難しい言葉で記されたそれは、私には合わなかったと言うのが本音である。

「……ハッピー……バースディ、佐祐理」

 寝言を言う彼の顔は、満足そうに穏やかだった。
 私は彼の頬に軽くキスをして、少し遅い朝食の用意を始めた。
 栄養たっぷりの食事にしなければならない。
 私は鼻歌混じりに、そんな事を考えながら台所へと向かった。







 The End...






 誰かは印刷関係について知識がありません

 これ、ありえないぞ とか言うツッコミは却下です(待て


 と言うわけで佐祐理さん、誕生日おめでと〜!