地域の紹介のタイトル

文化の薫りと活気あふれる
美しい街

豊橋のほぼ中央部に位置し、文教地区・商業地区・居住地区とを併せ持つ地区です。銀杏並木、こぶし並木等が整備され四季の移り変わりが感じられる、美しい街です。
南陽地区市民館の写真

南陽地区のコミュニティーマップをご希望のかたは、窓口でさしあげます。

  愛知大学(町畑町) 愛知大学の写真
 昭和21年、中国にあった東亜同文書院、京城帝国大学、台北帝国大学などの教授をスタッフとして旧大学令により創立。開校当時は旧陸軍予備士官学校の建物をそのまま使っていたが、現在では近代的な校舎に姿を変え、一部にその遺構を残す。そのひとつ第15師団司令部の建物は、平成10年10月に修復され、文化庁登録文化財の指定を受けている。

時習館高校の写真  時習館高校(富本町)
 吉田藩の藩校「時習館」に繋がる伝統校。明治26年私立補習学校時習館として設立。その後、幾度も名前を変え、昭和31年現在の校名「愛知県立時習館高等学校」となった。
 学校の敷地は県立高校としては有数の広さを誇り、玄関前には広い芝生の庭、校舎北側には高木の生い茂る林、ハンテンボクの並木道などがあって、すばらしい環境となっている。

 豊橋工業高校(草間町)  豊橋工業高校の写真
 昭和19年に全日制の豊橋市立工業高校および定時制豊橋第二工業高校として発足。昭和27年に県立に移管し、全日制課程および定時制課程を置く『愛知県立豊橋工業高等学校』になる。
 校訓『切磋琢磨』のもとに学習、部活動、奉仕活動に力を入れ、心身ともにたくましい若者を育てるよう努力している。

豊橋聾学校の写真  豊橋聾学校(草間町)
 明治31年に『私立拾石訓唖義塾』として設立。日本の聾学校でも京都、東京に次いで全国3番目に古い歴史と伝統を持っている。昭和23年『愛知県立豊橋聾学校』と改称、昭和47年に富本町から現在地に移転し、東三河地方の聴覚障害教育のセンターとしての役割を果たしている。

 

 アイプラザ・緑地公園(向草間町)  緑地公園の写真
アイプラザの写真

第26連隊記念碑の写真  騎兵第26連隊跡・記念碑(王ヶ崎町)
 この地は明治42年に、騎兵第四旅団第二十六連隊が創設された所で、昭和46年同連隊会が記念のため石碑をたてた。なおこの碑は現在地より南の方にあったが、昭和48年に現在の二六公園に移された。同公園は本記念碑を中心にして、当時の衛門や歩哨の哨舎等が保存されている。 

 磯辺王塚古墳(王ヶ崎町) 出土したものの写真 磯辺王塚古墳跡の写真
 6世紀後葉に築かれた有力古墳。
 特徴として勾玉・官玉等の優れた装身具、金あるいは銀を象嵌した飾太刀、須恵器などの豪華な副葬品が出土していることで、この地域の豪族の墓であろうと考えられる。
 今は、碑文のみが立っている。

   (写真提供は豊橋市美術博物館)

小浜神社の写真  小浜神社・小浜貝塚(小浜町)
 神明社は明治24年と明治43年に磯辺村八幡社・磯辺村素盞鳴神社・磯辺村伊雑登美社・境内八幡社と共に本社に合祀した。祭神は天照大御神・須佐之命・伊雑登美命。
 小浜貝塚は神明社本殿の裏手にあり、縄文時代中期の貝塚。縄文時代はこの辺りまで海が入り込んでいた。
小浜貝塚の写真

 寶樹山萬福寺(小浜町) 萬福寺の写真
 寛治5年開山。本堂北側すみに天王岩がある。後醍醐天皇の子の後村上天皇または、長慶天皇が腰をかけた岩、源頼朝が狩に来て立ち寄り腰をかけてお休みになった岩、また吉田神社勧請の時、吉田天王の御輿をのせ休まれた岩等の言い伝えがある。何れにしても往古、萬福寺に雅客が多かったことを物語っている。