5 心も体も柔軟に
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ゆとりある心 すべてのことに計画性を持って、合理的に生きることも大切なことでしょうが、人間的に喜怒哀楽をわかち合える友を得て、心の余裕をもって生きていきたいものです。 人それぞれの個性を生かして、のびのびとその才能が発揮できたら、ストレスも残らずに、健康で生き生きとした人生が過ごせるでしょう。 人間はお互いに欠点だらけなのに、相手の欠点だけをついついほじくりだしてしまいがちです。また、自分に対して厳しい意見を言ってくれる人が、いちばん大切な人なのに、敬遠してしまいます。 きっと心にゆとりがなく、相手の気持になって考えたり、話を素直に聞くことができないためでしょうか。 頑固さも一つの個性で、一途さも尊いものですが、多くの人に出会い、世界を広げていって、自分の再発見のチャンスをつかんでみようではありませんか。
心にゆとりがあれば体も健康ですし、健康であれば心に余裕が出てくるものです。家庭や仕事、子供や病気の悩みを持った人たちが、自然の中に飛び込んでみて、どれだけ生き返ったことでしょう。 山歩きや山登りは、興味のない人からみれば、まったくムダのかたまりかもしれません。しかし、人生にムダがなくなったら、冷たい機械人間か、残酷な人間かが、世の中を支配するようになってしまうかもしれません。 受験戦争のために幼いころから成長期にかけて体を鍛えるチャンスがなかった世代の若者は、肉体的にも精神的にも、もろさがあるようです。これらの若者は将来のためにも、あらゆることに挑戦してみましょう。 それにひきかえ、戦前戦後を生き抜いてきた50代以上の中高年の人たちは、肉体的にも精神的にも、ものすごいパワーを持っていることに、驚かされます。そのうえ、生きるための知恵が身についています。 大自然の中で生きていくことに対しても、とても素晴らしいたくましさを垣間見ることができます。 危機に直面したとき、生きる知恵を体得した人たちのみが心にゆとりを持って対処することができるのではないかと、つくづく思うことがあります。 山歩きに限らず、すべてのことにいえることは、気力と体力がなければ、人生も楽しくないということでしょうか。
怠けきった体 文明生活に慣れ親しんだ私たちの体は、知らず知らずのうちに、怠けきっているようです。 まず、住まいの環境がたいへん合理化され、便利になったため、ことに、主婦の運動量は、極端に少なくなりました。かつては、長い廊下の拭き掃除に、足腰は鍛えられたでしょうし、洗濯も手動式、 すべてが人力でした。 また、エスカレーター、エレベーター、車など、文明の利器は、歩くという基本的な人間の動作すら、忘れさせてしまいました。
自然の中で山歩きを楽しむためには、体力の裏づけがなければ、楽しみが苦しみになってしまいます。 とにかく自分の足で歩くことから始めましょう。文明の利器にさからうことです。 発想の転換さえすれば、都会のジャングルにも、体を鍛える場所は、至るところにあります。 山歩き、山登りは、平らなところだけではなく、高度差がありますから、心肺機能も強くなければいけません。 エレベーターやエスカレーターを使わずに、マンション、交通機関、オフィス、デパートの階段、歩道橋の階段を上り下りする努力をするだけで、ぐんと体力アップにつながります。階段をはずみをつけて上る。二階分上って、ハアハアするようでは、ちょっと心細いことです。 しかし、毎日続けていれば、徐々に楽に上れるようになります。体を動かす習慣をつけ、少しでも体力がついてきたことに気づくと、体を動かすことの楽しさもわかってきます。 では、どういうことを体力というのでしょうか。筋力、筋持久力、パワー、スタミナ、柔軟性、敏捷性など、いろいろの因子がありますが、体を使い、運動刺激を与えることによって、体力がついていきます。
ただし、あせってはいけません。自分の体力に合わせて、徐々に距離をのばしていくことです。また同じ距離を時間を短縮してみるのもよいでしょう。 若い頃、スポーツをしていて、自分では体力があるつもりでいても、ブランクがあると、そう簡単に体力は戻るものではありません。そのような人に限って過信があり、急激に若い頃と同じような方法でトレーニングを始め、アキレス腱を痛めてしまったりします。 平衡感覚もよくないと、狭い尾根すじや岩場、丸木橋などでバランスをくずし、危険を招きます。平行棒の代わりになるものを探して、バランスよく渡れるかどうか、試してみましょう。 心の平衡も大切なことは、言うまでもありません。
日常生活のなかで、体力づくりの積み重ねがあれば、山歩きにも余裕が出てきて、楽しさが倍増します。
イラスト 土崎頼子 |
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